玉や~

今年も知ってる人も知らない人もみんなと一緒に花火を見る事が出来て嬉しかった。
花火は時代とともに変わるのだろう
イカやらタコやら見ようによってはレッサーパンダに似た物まであったが俺的には古典的な菊型が好きだな
それと最近は離れたところから光と音がずれて聞こえるのがいいと思うのだが
連チャンで打ち上げると この光がパッと消えた瞬間に音が聞こえる余韻というかなんというか その風流が無くなんともせわしない
この年になると花火は消えた瞬間が良いのだと思うようになった。

待ち人あらわれずだったが 誰かそばに居たような誰か遠い処の人と電話で話をしたような気がするのだが 
花火の日の事は酔っ払って記憶がパッと消えてる。

命≧学校

使用人が数人いて箱膳でメシを食っていた俺が
家が突然没落して家禄は召し上げられ原野二線の雨漏りするボロ屋に移り住み
 ついでになんの因果か俺はかなり後まで言葉が喋れずに
言葉をやっと少し話せるようになったのが小学校2年で、すねた開運町界隈のクソガキ達に散々虐められた。
上手く喋れず字も書けない 学校も面倒臭いので行ったり行かなんだりして鉄屑を拾って西田商店に売りに行ったりしてた。
西田商店の先代と従業人の皆さんには本当にお世話になりました。
没落一家の家計を支える大事な貰った お金をカツアゲされたりしたが
ある日劇的な逆転をし現在に至る。
それは二つ
喧嘩の仕方を教えて貰った事。
強い奴には油断があるが弱い奴には油断が無い 相手が多数で喧嘩をリーグ戦でやると決勝戦までに疲れてしまうから喧嘩をする時には一番強い奴をあの手この手で一人の時を狙い倒す事。
倒れてる奴は蹴ってはいけない これは男がすたるので絶対にやってはいけない

もう一つは中村区栄生の地回りに教えて貰った。
男は強い奴にも貧乏人でも掃除の姉さんでも誰にでも同じ態度で接する事
この二つを教えて貰った事。

虐めと喧嘩の違いは一人対数人これは虐め
二人対七人までは喧嘩
俺は思うのだが学校も大切だが子供がうつ病になるまで命掛けてクタバルまでしても行くほどの学校でない。
どのみち虐めに合う学校など大した学校でないと思う。
義務教育だろうがなんだろうが、学校なんかやめてこっそり稼げ
俺は時間通りに家を出て留萌川に勝手に作った菜園に出掛けてジャガイモを植えた。

定休日

関東の交通機関は江戸城に向かっていて
すぐ隣の町に行くにも一度江戸に出ないと隣町にも行けない為に不便で
北海道で考える移動時間は100キロを1時間半と考えるのとはまったく違う。
時刻表が無いので歩くのが一番とかなり歩いた。
手には使えないノートパソコンと喪服一式を肩に 両手には香典のお返し二人分
普段ならたいした重さに感じない荷物の量だがなぜか重い
メチャクチャ重い肩にずっしりとくる。
旭川空港に置いたロードスターのトランクにカバンをほり込み増毛に着いて初めて旅行カバンのチャックを開いてやった。
ふっと軽くなったような気がした。 

しかし皆はよく物を知ってる。
なぜこんなに色々な事を知ってるのか俺は最強のアンポンタンなのかと思うほど知ってる。
その知識の源はどこなのか
家族の背の高さに合わせた情報 子供の背丈に合わした1メーターの目線で見た物、聞こえた音
1,7メーターであれば その目線で見た物 手が届いた物などを朝のメシ時や夕方のメシ時に持ち寄り雑談という形で情報が大量に行きかうのだと思う。
実際に体験し毎日交わされる 莫大なその情報量が咀嚼されチを通わせて行きかう。
家族は何物にも代えがた存在なのだ。


朝5時の早朝の道中に立っていた気の強そうな、お姉さんは三橋鷹女
関係ないが『カキ食えば鐘が鳴る鳴る法隆寺』これしか知らん

兄弟達に

帰りの便の予定もなしに立ったが14日から4連休だったので連日満席。
持って行ったパソコンは使えなく空席状況も分からずで成田空港に一番近い成田市で待機だった。
泊まるところも満杯 JR駅前にあった成田市観光案内で親切で綺麗なお姉さんにあちこち探して貰いやっと成田山新勝寺のお参りの人達が泊まる宿に落ち着く
観光地嫌いの俺だが このさいだからと成田高校の脇を通り裏山を登りお参りに行って来ました。
カツノリの事やゴリの事も色々頼んでおきました。

新勝寺のすぐ下の下界にあった順華という中華屋で晩飯を食った。
メニューには紹興酒などがあったが日本酒はなかったので
中国から来たばかりと思われる、兄さんに日本酒に近い酒をくれと言ったら
「メニューにない 日本酒あるょ 呑むか」
なにか異国の地で働く このアニも大変だな~と思った。
大盛りに近い固い焼きそばと日本酒で会計は1000円だった。
14日はいつか一緒に見るはずだった滑走路の端にある航空博物館を一日がかりで見た。
理論派のtakamiが一緒にいたらどんなに楽しかったかと思うと
中国の味と少々涙の味がした。

兄弟達に

いったい生きるとはどんな意味があるのか。
故郷とはいったい何なのか
こればかりを考え続けた数日だった。
道すがら誰かに声を掛けたかったし声を掛けて貰いたかった。
異常にションベンが近い俺は搭乗する前にションベンをしに旭川空港のトイレに入った。
そこに薄い青いツナギの背にスカイマークと書いた作業服を着た若い男が入ってきた。
その男はションベンをし終わった後に便器に向い深々と頭を下げ礼をしてるではないか
俺は上野駅でホームやトイレの清掃をクタバルまでし続けなければならないだろう、小柄で痩せた、さくら姉さんを思い出した。
この若い男は便器を清掃してくれる清掃員にきっと感謝をしてるのだろう。
「清掃人に感謝するなんて兄さん感心だな~」と言った。
「え!あ!それはツナギのチャックがしっかり納まってるか確認してるのです 」
そうだ! ツナギの作業服は通常のズボンとはチャックの上下が逆なのだ、その為にチャックがしっかり納まらないので確認が必要なのだ。
後でスカイマークの手荷物カウンターにいたアニ~に紛らわしい真似するなと言ってやった。
あ~あ~クッソ~もう駄目だ 思い込みが頂点に達してる。

あれほどここ北海道に帰りたかった奴がそんな簡単に
箸別に広い売り土地があって もうすぐ買う予定だったのに バンガローもすでに表札を付けて用意しておいたのに
あちこち転々とした俺は今となっては留萌は故郷ではない
たまに行っても何かよそ者のような感覚しかない
なぜだろうか古くても足を延ばして寝る家が無いかからなのか
知り合いは沢山いるが家族はいない
いまは増毛が終の棲家となってそれで満足してるし、ここに戻ると安心する。
岩橋英遠の言う「故郷とは自分を記憶してくれる人達のいるところ」
と言うがそれだけでもなさそうな気がする。

数日の関東滞在だったが俺には絶対にこの大都会には住む事は出来ないと思ったし
奴が帰りたい帰りたいと言い続けたのもよくわかる。
人間は魚ではないので特に北海道や沖縄など歩いて帰る事が出来ない場所ほど望郷の思いは強いのかもしれない。
都会は金を稼ぐ場所で暮らす場所ではないと強く思ってしまった。
スカイツリーがなんぼ高くてもわざわざ見ようと思わないし 3Dの映画を金出して見なくてもよいし 電車に乗ってまでゲームをしようとも思わない
東京という大都会は手に入れる事が出来ない事が多すぎる為に虚構に頼ってるような、まったく可哀想な場所だと思ってしまった。
ここでは暑寒の山々に囲まれて毎日が3Dの世界だし波もかぶる。
毎日が誰かに声を掛けて貰える。
叶うものなら連れて帰りたかった。

兄弟達に

未登録の携帯が鳴り
「ダイスケデス オトウサンガシニマシタ 」
へ~シンダ あいつがクタバルなど有る訳が無い ふ~ん新手の香典詐欺か
「ハハニカワリマス」
うんうん ここで他の人に代わるのも怪しいぞ 俺は絶対に騙されないぞ
だって先月何年ぶりの電話で
成田の航空博物館を一緒に見ようと約束したはずだった。
「ナンタラ カンタラデ ドシテアシテ ドタラコッタデ ハッケンシタトキニハ マッキノガンデシタ 」
まだ相手が何を言ってるのか分からない
チを分けた兄弟以上の兄弟だった。
そのうちにあちこちから電話が鳴る。
「アニキ元気ですか Sです 御無沙汰してます いま電話いいですか Tの事なんですが 」
「S~知らんな~下村梅子なら毎朝NHK見てるから知ってるが野郎はしらん 」
「アニキしっかりしてください S、シンゴです 」
その頃の俺なら悪い冗談には電話を顔面に叩き付けられると思ってるのか
シンゴから言葉が中々出てこない もう真ともな受け答えになっていない
また電話が鳴る
「アニキ T、シュウイチです。いま地方にいて帰れません T、アニキが 」
と不幸続きのシュウイチの涙声が延々と続く 
十数年前に逃げられた嫁さんからtakamiの事を聞いたと電話が来て
俺の臆病な性格と病院嫌いを知り尽くしてる元嫁さんは病院に行くようにと言う。
どんどん数十年以上前に戻されて行く
一日24時間365日を一緒に過ごした奴らだった。
もしコイツラが不幸に見舞われるとしたら 何百分の一かの責任は俺にもあると思ってきた。
すぐにいつも乗る全日空かエァーDOの格安航空券の手配にかかるが中々無い 
関西の旅行代理店に電話して頼むとすぐスカイマークを用意してくれ 初めてスカイマークに乗る事にしたが
まだ実感がないが色々な事が思い出される。
一緒にバイクを乗った事や釣りをした事や山に登った事やバックシされた事や
そのうちに待てよ~葬儀に出ないば 
クタバッタ事を確定しないば ただ連絡が無いだけで何も無かった事になるべゃ~と
どの道 いまは数年に一度しか逢わないのだから 知らんプリしようかと 電話は無かった事にしようと思い始めていたが 
なんで数年ぶりの あの電話で具合悪いと言わなかったのか
一ケ月チョイという短い闘病生活の間に何度アニキ~と俺を呼んだ事かと思い始めた。
http://fukuroh.at.webry.info/201207/article_1.html
みんな俺が言うのもなんだが 病院を嫌うな薬は飲め

島行き2

画像は翌朝に焼尻島西浦崎から天売島を見る この海況の先にあの波があったとは想像も出来ない

シーブリース700 艇体重量約820キロ 燃料満タン2人乗船 装備重量約 1,320キロ エンジンはオーバーパワーのDF225馬力 最大速度約45~47マイル 
艇体はレスキュー艇としての余分な物なシートやパッド類を外して軽くしてるので100キロは軽いと思う。
最初からスピードボートを意識して作られた為に船体も少々変わっていて
出ドモになっていていわゆるフラップ装備に近い船体構造になっている。
その為に時化に強く大多数の船とはまったく違う

海難に関しては素人だが大きな原因には船長の判断ミスに寄る所が多いと感じてる。
特に船などは乗船者や船団など集団で行動する事が多いので集団心理には大きく左右され
この集団心理をどこかで断ち切る事が出来ればイジメやとても考えられない千葉警察の慰安旅行問題が起きないと常日頃思っているのだが

港を出る時は多少の波程度で沖合3海里くらいまで出たところで波に遭遇するが
その時点で波浪予測が頭にあり沿岸に戻り沿岸を航行するが思った以上の波があり
チョットしんどいなと思い始めるが行けない波ではないと思った。
小平沖で何度か季節外れと思われる定置網に遭遇し迂回をする。
この時点でもう自分の船しか頭になく 他の船の能力を超え始めたという意識はまったくなく
考えるまでもなく無意識に折角ここまで来たので行こうと思い始めてる。
海には崎というものがあり年寄りの言う いわゆるデッチャッキの事で
この崎が小さくても海況が大きく変わる。
車で海岸を走ると小さな集落がある場所はこの崎のある場所が多く
昔の人達が風や波を避けて船を出せる場所の近くに住んだ場所で自然と集落が出来てる。
増毛から留萌間ではここ中歌のテンヤの崎 舎熊の崎 彦部の崎と数カ所ありどこも船着き場になっている。
大きい処では留萌の黄金岬は陰に留萌港が作られている。
この崎に波がどの方向からどれくらい見えるかが大きな判断基準になるのだが
小さな船が双眼鏡を出して見るような波の状態ではなかったし裸眼ではそんなひどい状況にはまったく見えなかった。
後で考えると波の方角が北北東の場合は海岸に返し波が立たない事が分かった。
波が北北東なのに小さなさざ波が立つ事すら知識不足には理解が出来なかった。
この時点で先頭を走る資格は無かった。
鬼鹿沖に着いた時点で戻るか行くかの判断をしユータンをし直接声が聞こえる距離まで近づき最後尾の船長と会話をするが この時点の判断に間違いがあった。
本来なら一番小さい船に電話で意見を聞くべきだった。
出る時に携帯の充電が半分程度と足りなく なるべく使わないようにと思った事がどこかに合ったと思う。
最悪を想定してバッテリーから充電は出来るアダプターは持ったのだが
レスキューバックに手回し充電器がある事はもう念頭になかった。
どんどん神様の罠にハマりつつあり、どこかで連鎖を断ち切らなければ 戻ろうと言わねばならなかった。
持ち物で人生が変わるなどは沢山あるが先頭の船は特別時化に強かったので不安は合ってもそれは集団の先頭に立って引率をしてるという程度の不安だった。
これで自分が22FTに乗っていたら戻った事は間違いないと思われるが
それもその場に立ってみなければわからないのが集団の恐ろしさだと痛感した。

海に出る時は絶対にアナログの腕時計は必需品で
経過時間と残り時間を瞬時にわかる針の時計を忘れたと気付き始めたのはまずいと思い始めた時だった。

島行き

増毛港を15時に23FT、22FT、24FT すべてVハルの船3隻で先発組出港。
直線距離にして約67キロ 37海里 
出港前の直前波浪予測は0から0,5メーター(沿岸波浪モデル予想(気象庁発表))この予報はよく当たり
出港時には殆ど波が無いに等しい
ただ気になるのはロシアのテルネイと増毛の丁度中間あたりに0,5から1メーターの波の小さな塊がぽっかりとある事と陸では0,5メーターの波の中に小さな5センチほどのさざ波が見える事。
この小さなさざ波は山瀬が吹いている事の証で増毛にとっては南風か東風が吹いている場合に起きる。
この風が吹くと事は近々に風の向きが北風に変わる場合が多く
今回は一隻ではないのでなんとなく嫌な感じがした。
出港直前にヨットは天候が悪いと言っていたので
誰かが戻ると言ったらその時点で戻ると言って出たが
単なる経験不足でプロの漁師なら当然予測が付いた事だったし
焼尻島には長年の友人もいるので事前に電話をして意見を聞くべきだった。

別に遊びに命を掛ける必要はないが遊びにもある程度の決断をしなければならないし
その行程が仕事に生かされる事は大いにあると思っているし実際にそうだと思う。
自分の身で実際にしてみてこそ役に立ち生かされて行くと思う。
仕事と遊びの違いはやってる事が自分の為なら遊び 誰かの役に立って初めて仕事
給料は貰うが誰の役にも立っていない場合や貰った金額に見合わない場合はほぼ遊び

テレビのアンビリードッタラコッタラなどの安直な物を見て
その立場に立った時に自分でも乗り切れると思う勘違いが起きる事は 
これはテレビゲームの危険性とほぼ同じと思っている。
ただし本や活字だけは上手く説明は出来ないが俺の場合は参考に成っているし現実には時間がどんどん進み状況も良くなるか悪くなるかどっちにせどんどん変わり
その時に正常な判断が出来るか、間違った意思伝達が行われていなかったか
を振り返って検証の為にも書いておかなければならない
常に危険を回避状態が必ずしもいい結果を生むかと言ったらそうとは限らない
それは包丁が危険だから使ってはいけないと使えない状態が起きるに近い。
ただし危険な状態の境界線がどこなのか知る事は個人差があり経験しかない
その場合は自分一人で行けが 俺の持論だったが今回はリーダーとして申し訳ない事したし責任も感じてる。
心理状態も事前下調べも装備も何がまずかったのかを忘れないうちに書き残して置き これからの反省と教訓にしようと思っています。 

嘘こき

な~んだ やっぱしハッタリだったんだ。ハッタリと嘘の違いは
ハッタリは相手が折れるとやっと生きる。
嘘はどこまで行っても嘘

離党届を書いて親分に預けながら後で有効でないとか返せとか
書いてる時は学生の飲み会みたいに盛り上がったんだべな~きっと
選挙区はガキの世界ではないと思われるので、どっちにせ次回はありませんがな~

オスプレイは垂直離陸機 この飛行機は生産国を問わず世界中で墜落してる。
特にチルトロータータイプは難しいらしく落ちる墜ちる。
左右のエンジン回転をピッタリ合わせないと傾くし 
チルトする瞬間がもっとも難しいと素人でもわかる。
それも離陸直後の子供たちが暮らす町中で落ちる。
ちなみにエンジンが二機ある船はなぜか故障が多く
それも重大故障が多い 
一機が故障したら残る 一機で帰って来ると為に最大搭載馬力を二つに分けて
二機載せる人が随分いたが今は船外機を二機付ける人はいない

防衛大臣が詳細な事故報告を取寄せ、中を検討すると言ってるが
あれは本気ではない もし本気なら無知か嘘こきのどちらか

事故は故障や不具合で起きる可能性が大なので世界中で特に
東の国で事故の情報は欲しがってると思う。
俺なら詳細な事故報告は何があっても絶対に他国には出さない
どうしてもと言うなら嘘の報告書を渡す。
ある航空機整備士は言ってる
自分の国で買った、戦闘機の重要部分は中を見る事すら許されずにアメリカ本国にパッケージのまま送ると

張ったりとブラフとは同義語
全然関係ないが松山善三のハッタリ村は厚田にあり発足と書いてハッタリと読む
ブラフは危ない世界の人達が往々にして使い 
ブラフが通らんかった時はかなり痛い目に合う。
ハッタリはお子様や甘い世界や男女間では泣いて謝れば許される場合が往々にしてあるらしい。