画像は翌朝に焼尻島西浦崎から天売島を見る この海況の先にあの波があったとは想像も出来ない
シーブリース700 艇体重量約820キロ 燃料満タン2人乗船 装備重量約 1,320キロ エンジンはオーバーパワーのDF225馬力 最大速度約45~47マイル
艇体はレスキュー艇としての余分な物なシートやパッド類を外して軽くしてるので100キロは軽いと思う。
最初からスピードボートを意識して作られた為に船体も少々変わっていて
出ドモになっていていわゆるフラップ装備に近い船体構造になっている。
その為に時化に強く大多数の船とはまったく違う
海難に関しては素人だが大きな原因には船長の判断ミスに寄る所が多いと感じてる。
特に船などは乗船者や船団など集団で行動する事が多いので集団心理には大きく左右され
この集団心理をどこかで断ち切る事が出来ればイジメやとても考えられない千葉警察の慰安旅行問題が起きないと常日頃思っているのだが
港を出る時は多少の波程度で沖合3海里くらいまで出たところで波に遭遇するが
その時点で波浪予測が頭にあり沿岸に戻り沿岸を航行するが思った以上の波があり
チョットしんどいなと思い始めるが行けない波ではないと思った。
小平沖で何度か季節外れと思われる定置網に遭遇し迂回をする。
この時点でもう自分の船しか頭になく 他の船の能力を超え始めたという意識はまったくなく
考えるまでもなく無意識に折角ここまで来たので行こうと思い始めてる。
海には崎というものがあり年寄りの言う いわゆるデッチャッキの事で
この崎が小さくても海況が大きく変わる。
車で海岸を走ると小さな集落がある場所はこの崎のある場所が多く
昔の人達が風や波を避けて船を出せる場所の近くに住んだ場所で自然と集落が出来てる。
増毛から留萌間ではここ中歌のテンヤの崎 舎熊の崎 彦部の崎と数カ所ありどこも船着き場になっている。
大きい処では留萌の黄金岬は陰に留萌港が作られている。
この崎に波がどの方向からどれくらい見えるかが大きな判断基準になるのだが
小さな船が双眼鏡を出して見るような波の状態ではなかったし裸眼ではそんなひどい状況にはまったく見えなかった。
後で考えると波の方角が北北東の場合は海岸に返し波が立たない事が分かった。
波が北北東なのに小さなさざ波が立つ事すら知識不足には理解が出来なかった。
この時点で先頭を走る資格は無かった。
鬼鹿沖に着いた時点で戻るか行くかの判断をしユータンをし直接声が聞こえる距離まで近づき最後尾の船長と会話をするが この時点の判断に間違いがあった。
本来なら一番小さい船に電話で意見を聞くべきだった。
出る時に携帯の充電が半分程度と足りなく なるべく使わないようにと思った事がどこかに合ったと思う。
最悪を想定してバッテリーから充電は出来るアダプターは持ったのだが
レスキューバックに手回し充電器がある事はもう念頭になかった。
どんどん神様の罠にハマりつつあり、どこかで連鎖を断ち切らなければ 戻ろうと言わねばならなかった。
持ち物で人生が変わるなどは沢山あるが先頭の船は特別時化に強かったので不安は合ってもそれは集団の先頭に立って引率をしてるという程度の不安だった。
これで自分が22FTに乗っていたら戻った事は間違いないと思われるが
それもその場に立ってみなければわからないのが集団の恐ろしさだと痛感した。
海に出る時は絶対にアナログの腕時計は必需品で
経過時間と残り時間を瞬時にわかる針の時計を忘れたと気付き始めたのはまずいと思い始めた時だった。