日本海岩老

お前ひとりどれほどのもんなのだ 何を甘えて思いあがりの無能者で卑怯者が
看護師に成る為にどれほど苦労するかを知っている。
新幹線内の卑怯者といいどこに美しい日本が 
各界の指導者達は皆がそれでいいと真似する前に作法にのっとり潔く腹を切れ

昨日は初めてここの集落に入り仕事
ここに生まれたら高校にゆくにも朝一番のバスは7時41分 それからトンネルを幾つも抜けて増毛駅に付いても汽車も高校もすでに無い 
そのままバスで留萌にゆき途中で乗換 学校はすでに遅刻 料金は片道1230円
バスは一日二本だけ
お前らが廃線反対とジョッパレば他の地域は値上げするぞと脅すJR
年間50億円もの赤字の新幹線だけを残すのは地域格差をさらに生んでゆく 
北海道汽車会社の中に誰か折角ある線路で地域を育てみようと言う気概のある奴はいないのか 

漁師のオヤジは前歯が一本も無い 
歯医者に通うにも予約など出来ないチョット時化たら国道なのにいっかた通行止め 
車の免許など自動車学校に通う手段すらない
凪れば漁に出んならんシケれば通行止め
崖の下で陸からの電波も来ない 
店など一軒も無い タバコが欲しけりゃ近い処で19キロ先に買いに出ないとない 
たまに町に出て焼酎を買って後生大事に抱えてバスに乗って帰り家で呑む 
獲った魚も運ぶコストがまかなえるだけの量を獲れん日には廃棄
機械も遠すぎて売っても修理にも集金にも行けないと言われ
どしても欲しけりゃ現金でと
地名も岩尾なのか岩老なのか誰も気にしない
樺太から引き揚げて親戚知人でも他所のメシにはトゲがあると言い
追いやられて追いやられて苦労の末にここの硫黄鉱山に辿り着きほどなくして閉山
漁師になったと言う。
年から年中の着枯らしは出稼ぎに行った先の土建屋の作業服
それでも 
夕陽が綺麗でょぅといい ウニを獲り山菜を採り
息子娘の手紙を待ちひたすら生きてゆく

出来る事は少しでもいい値で買ってやる事しか出来ない
一発屋の根性を掛けて


久し振りに崖下村の前を新造船が通ってゆく
いってらっしゃ~ 
いって来るわ いって来るまた戻って来る 日本語っていいなと思う。

「 ありがとう 」

何の因果も無い人を襲う通り魔の決め台詞 
「 誰でもよかった 死にたかった 」
そう言いながら自分より弱い者を選び圧倒的に強い力を発揮する物を使い事前に知らせる事もなく襲う。
『 卑怯者 』
卑怯者を生んだ環境と造った環境
二十歳だからもう大人だと本人の責任とツラこいて出て来る血縁者
卑怯者を育てた生んだ環境が垣間見られると思うのだ。
ニュースも垂れ流すのでなく卑怯者が出来て行く過程を徹底的に検証し教訓としなければ若者の命が無駄になる。

卑怯者が本当に誰でもよかったならヤクザの事務所でも襲ってみれ 
襲いにゆく前に一つ忠告してやる。
ヤクザの事務所のドアは防犯上(笑っちゃうが)必ず引っ張る方向に外に開くようになってる。
理由は色々あるが小難しい本を読んだくらいの脳天気な頭では勝つ事は出来ない
身勝手な卑怯者はボコボコにされて学習して来い

経験上の思い込みで何の根拠もないが男は27歳がひと区切りと感じてる。ここから何らかの転換が無い奴は付き合っても無駄と思っているし40歳頃までに大人しくならん奴は危険極まりなく話合いの余地はなく警察始め行政の仕事と思っている、
例えばギャンブル依存症など27歳までに脱却し他に守るべきものを見つけた者はその後すんなりいってる。
少しでも早く声を掛ける事が出来る者が声を掛ける事が必要なのだ。
それはどうしても元経験者や多少危ない業界の元経験者になってくる。

暴力など凶暴な奴は40歳頃になるとあれコイツこんなに穏やかな顔だっだかと思う時があるが  40歳過ぎても変わらん奴は誰にも迷惑掛けずに早くクタバッテ仕舞えと思ってる。
すべてを知ってる訳ではけしてないがギャンブル依存症など各種依存症は民間が儲けの為に造りだし後始末は皆の税金から対応する。
この後に及んでもIR法案など通そうなどと何を考えてるのか狂ってるとしか思えんのだ。
勝は依存症を生み 負けは他罰へと向かう。

狂った卑怯者を少しでも減らす方法は
俺が稚内で電気関係のその人を初めて見た時に
このひとはなんと素晴らしいのかと感動した事があり少しでも真似をしよう 近づこうと今でも思っている。
そのひとは常に
「 ありがとう 」
と言うその言葉がなんて言うのか身に付いてると言うか自然と言うか、なんとも表現のしようがない言葉でいつも
「 ありがとう 」
と結ぶ 今そこにある状況に 今ある偶然に感謝がこもっているのだ。
俺はそれ以来
 「 ありがとう 」の言葉がこの世を救うのではないかと今でも思っている。
俺の様に右でも左でもなんでもかんでも感動する奴はその反面も反作用として大きく持っている。
その凶暴な感情を押さえる事が出来るのは感謝される事の嬉しさなのだ。
「 ありがとう 」と

夏休みに家出のすすめ

弥生の貸元のお蔭で充分に食っていけるようになったばっかりに今の時代みなどこかしらおかしい
精神の均衡が取れなくなりそうだったら壊れる前に海も山いつでも待っている。

冬山の荷物運びを大事な収入源とし始めて何度か危ない目にあった俺にはエベレストとかナンチャラ言う山に買物にゆく訳でもなく用も無いのに登る奴や小さなヨットで用も無いのに太平洋を渡ろうとする奴やロッククライミングなど掴んだ石がポロッと取れない保証はどこにも無いのに狂ってると思ってしまう。
それで本でも書いて稼ぐ人は仕事になるが
殆どの人は精神の家出で右でも左でもどちらかに優れてしまったばかりに危ない事を狂気をしたくなるのではないのかと
それで他人様に迷惑を掛けないように精神の均衡を取っているのではないのかと思うので
登山も太平洋横断もたいした事ではない
凡人が一番なのだ。

月々18000円の年金生活に入っていまは毎週月曜日午後から水曜日は休みと決めていて その日が来るのが楽しみなのだ。
それでも予定通りには中々休めないが
5月28日から30日まで道東を832キロ走って使った燃料が45.4リッター リッターあたり150円とすると6750円位になる。
後は大好物の筋子オニギリとカップ麺とウチダザリガニとアイヌコタンの品物代くらい いつもポケットに18000円を入れて使い切りそうになったら戻るので細かく計算する事は無い
なのでどのズボンも洗濯する時はポケットに小銭が入っている。

ほとんど街中に行く事はない海辺か大した事がない山にゆく 
仕事でもないのに寒いのも嫌 暑いのも嫌 疲れる事も嫌なのだ。
ただ自然は怖いそして自然は決まった決まり事で機械のように動くのに自分がいかにちっぽけかを知らされる。 
自分の小ささに出来る事、出来ない事を身体で肌で知る。
それに比べて人は何を考えてるのかわからん読めんのだ。
それゆえに俺は人であふれる都会に出る根性はないのだ。
人間水と空気があればなんとかなる 
どうせ家出するなら食える野草の本を持って土のある処に出て見るのもいいのではないか
二年前に一円も持たずに北海道を苫小牧から釧路、帯広、増毛とお貰いと人頼みで東西に縦断出来る事を証明したシェーンのようなオヤジもいる。
少し余裕があったら有料もあるが各地に無料で見れる博物館もある。
芸術はまったく理解出来ないししようとも思わんが博物館は自分に出来る事と出来ない事を教えてくれる。
ガンタ一本すら自分で作る事は出来ない
どうせ家出するなら難しい本ばかり読んでないで厳しい北海道で自分を見つめ直す事も大事だと新幹線のニュースを見て思った。

同じ人間だと言う以外は縁も所縁もないが 六代目山口組 司忍親分はこう言ってる。
「 人間悪い所は中々直らない それでもどこかいい処がある見つけて褒めてそこ伸ばしてやらないと 」と
恐そうな団体でも子分は重石が効いてるうちに年食って自分で考え大人になる。
なんでもかんでも親分からの縛りを解き野に放す事が良いとは言えん 
ロクデナシでも集まってる場合は頭をしっかりと押させておくことによって
全体を少しでもいい方向に持ってゆく事も出来る。
犯罪者に人権など無いと思っているが
それでも罪の無い人間などない スピード違反も駐車違反もした事のない奴は居るのか
知らず知らずのうちに人を傷付けた事はないのか
車からゴミを車外に掘り出し車内は綺麗に片付いてる車などなんぼでもある。
人間などちっぽけなものでロクデナシなのだ。
考え足りない頭でも悪い事をやってもその中でも生きてゆこうと一生懸命なのだ。
少しでも早く少しでも理解でき声を掛ける事が出来る誰かが声を掛けてやる事が必要なのだ。
同じような似たような者の今の背中を見せる事が必要なのだ。
自力で自分の頭で考えて苦しんで這いあがって来いと
待っていると

ボ~とした児童相談所ょ 知らなきゃ教えてやろう。

小さ子が新しい親には懐かないのは当然なのだ。
新しい親はなんの予防策を持たない小さな命は唯一の自分を守って呉れる肉親である実親を奪いに来た侵略者としか見る事は出来ないのだ。
実親と新しい親との間に立って刃物を持って闘い初めても何もおかしくはない
その覚悟がないなら男は子連れ再婚すべきではないのだ 
また母親も何が何でも自分は食わないでも盗みをしてでも子を守ると言う覚悟がなければ再婚すべきではないと思う。
男は男の子は本能的に強い者に憧れてゆくからまだ何とかなってゆくが

女の子は母親もメス同士の敵になる確率が高い事を直感で知ってゆく
それゆえに両親(りょうおや)に懐かない事が起きてゆく
それは仕方のない事なのだ 男が好きになった好みの人はどんどん衰えてゆく 
だが時間が止まったように子供はかつての好みの人に容姿が似てゆくだろう。
母親がメスとして生きてゆくのなら子供が女の子の場合は育てる事を諦めるべきだと
すべてとは言わないが悲しいがそうなのだ
元亭主で実の父親も親族も回りも隣近所も特に気を付ける必要があるのだ。

これが実態なのだボ~とした児童相談所ょ 知らなきゃ教えてやろう。
弱い者に手を出す奴は躊躇なく蹴り倒してやるべきなのだ。
その反面血の繋がらない子だからこそと気を使い育てて送り出した奴も数人知っている。
それはどんなに稼ぎが悪くても頭が悪くてもバカ野郎でも 
認めてやらないと 褒めてやらないと 立派な男の勲章なのだ。

使い方は多少違うが自罰、他罰、無罰

自罰オヤジ
30億も女に貢いだオヤジは鉄屑拾いから財産を築いたそうだが
人造石油があった今の東雲町周辺は鉄屑が沢山あったので学校も行かずに鉄屑拾いやコークス拾いをやったが
母親は鉄屑を拾いにゆく事は許されなかったので こっそりやってそのまま西田商店に持って行き買って貰った。
そんな子供や大人は当時は沢山いた鉄屑拾いも縄張りがあり競争が激しくコンクリーを割り鉄筋を取り出すなど結構大変だった。
そんな俺には赤平の立坑跡ややここの廃線跡の線路がカッパわれもせずに残っている事が不思議なのだ。
そんな俺でも30億の使い方は間違っていると思う。
各地の児童養護施設は銭が無く受け入れ枠を増やせないでいる、たった数千円でも大層喜んでくれる。
それは成長を楽しむ事が出来るのだ。

美人は男が手塩に掛けて造るのもので買うものではない 自分が美人と思えばラーメンと同じでそれでいいのだ。
ラーメンと一緒にしてすまんメンと言うではないか
自業自得とは言え銭の使い方は残念だったな~と

他罰野郎
5歳児は残念ではすまん 弱い者に対する暴力は連鎖するし癖になり より過激になってゆく
それを防ぐには自分も痛い目に合う事が必要と思うのだが ほぼ同じレベルの者と殴り合いになると
上には上がいる事を知ってゆくし それはじきに自分を押さえる事を知る。
江戸時代が必ずしも良いとは言えんと思うのだが10人に1人の割合で町中をトキトキに研いだ刀を差してる連中が闊歩して 
そんな危ない時代にどうやって平民は暮らしていたのか侍は侍の町人は町人としての、高度なご法度と矜持があったとしか考えられないのだが
いまはこいつは怖いと言う事を知らないのではないかと思う奴がいる。
強いのではなく身体で痛い目にあっていないのだ。
そんな奴が自分を過信して出来ない事や現状の不満のはけ口として自分より弱い者に向かってゆくような気がしてならない
限りない自由も平等も無い それはご法度と矜持を持ち自分の手で掴まんならんのだ。

無罰一課
勝手な思い込みかしらんが弱い者に対する暴力は連鎖するし癖になり より過激になってゆく
二回も虐待で検挙されながら不起訴
なぜか自分の子に対する罪は軽いような気がしてならない他人の子なら不起訴などあるのだろうか 
前提には子は親の所有物か性善説があるのか

しかし毎回、毎回、児童相談所はなんの為にあるのだ役立たずのクソ連中 
そんな矜持の無い連中は居ればあてにするのだ部署丸ごと辞めて配置転換ではない失業して鉄屑でも拾え

ラーメン屋 のぶりん

書き出しで誰かがひぇ~とか言ってオッチヌのは松本清張
書き出しで初老のオヤジが訪ねて来て過去を語るのは森村誠一

左は国境の海 右はなんと言うのか内浦か 幅200メーターもあるかどうかと言う砂丘の上に舗装道路
社会派と言われたらしい両作家が好みそうな場所を先端を目指し走る。

ドンドンゆくとなんだなんだ何かの旗が

なんと会津の旗ではないか なんでまたと思い書き出しを読むと
万延元年から慶応3年までここに会津藩200名も居たらしい こんな吹きさらしの処にと思ったが後で知る。

砂丘をドンドンゆく

野付半島は海流の影響でこの不思議な砂丘が続いているが今世紀に入って消滅しつつあるらしい。


ここに来るには漁業者以外は この先通行止めと看板があり大概の車はその看板を見て戻ってゆく
道路はかなり悪いがおりゃ~はその為にこの低速付四駆車を買ったのだ。
タカミが生きてりゃ~アニキ~それりゃダメだ~環境がとかなんとか言いそうだが
もうすでのオッチンデしまってるので、、、、、、
看板によると先端は漁業者だけが入れるらしいここまで来て戻る内地の車が数台あった
すぐ目の前の力によって境界を造られた国境の海の半島に民営のこの先立入禁止の境界看板を見るとなんか複雑な思いがあるのだが
まぁ~いいっか~

灯台の横に根室半島を向いて新しい地蔵さんが立っている物事なんでも最初はあるが新しい地蔵さんは有難味が薄れる。
書いてる字も消えてしまい何が何だかわからんくなってやっと有難味が出るのも不思議な話だが
それも まぁ~いいっか~

途中にネイ~チャンセンターとかナントカがあって主に野鳥がドッタラコッタラと説明がある
俺は鳥はカラスしか興味がないのでサラッと見るが加賀伝蔵は読むと面白い

窓から外を見て気になる風景があったのでそこに居たネエチャンに聞く

留萌港の川口にポツンと建ってる電柱のような物はあれは下に結構大きい貨物船が今でも埋まっていて数人が犠牲になった。

なので聞くが遥か海上に木が枯れて立ってるらしい難破船かと思ったぜ~と言った。
少し利口そうな環境庁ご用達風のネエチャンは呆れたような顔をする 
俺は冬期間は環境庁の仕事を結構やったので
この手の扱いは上手なのだ質問に質問で攻める。
利口そうなネエチャンによるとこの半島は年に1,5センチほど消滅してるそうだ。
それも今世紀に入って加速されているそうなのだ このアリューシャン列島に繋がるこの半島が
消滅の危機にさらされているらしい。
落ち込む時は加速されるのは世の習いなのだ。
空知の宮島沼も消滅の危機にある 何か数千年しかない資本経済と因果関係があるのではないのかと疑ってしまった。
考えてもどうしようもないが自分なりの大河ドラマを造っているのだ。

5月28日から突然出て来た道東も30日には数年振りで逢う約束があるので何が何でも戻らんといかん
明るいうちにいける処まで行って寝て早朝に増毛に戻る事に
夕食は見る度に感心する安国のラーメン屋、のぶりんでラーメンを食し丸瀬布道の駅で寝る。
突然旅おし~まい~

さけ科学館

次の目的地は標津サケ科学館 
道内で生息する魚のかなりの数をとっ捕まえて水槽で飼ってるが 
水槽内の魚はいま時期は産卵時期で少し可哀想なのだ。

黒いのはヌマチチブ
ヌマチチブが水槽内で世代交代してる この魚は穴に潜る習性があり穴の沢山あいた石を置いておくと産卵して世代交代する。


標津を目指して山また山の中にそびえ立つ雌阿寒岳と思われる山を左に見ながら東に進む
今回の道は38号線以外は初めて走る道で雄大でこれが北海道と言う感じがいい これだけ広いと何処かに仙人のような暮らしをしてる人がいるのではないかと思うのだが

車の旅は車で泊まってこその面白さがある。
ひとつは気の向くままどこにでもガソリンさえあれば予定変更はし放題
もう一つは夜明けと共に行動出来てその土地の朝の顔が見れる 
夜明けは新聞配達や漁師や農家など働き始める人達で昼とは全然違った顔があり面白い


標津サケ科学館 ヤマベの群れ 
ここは飼育をして研究してるので産卵から世代交代と変ってゆくさまが見れてとても参考になった。


いまは無い寧楽小学校には廊下に水槽が沢山あって地元の川や沼の魚を飼育していた。
それがすごく面白くN先生の心意気を感じた。
意外と地元の川には沢山の種類がいてなぜそこで その種類が多いのかと調べると面白いのだが
地元の魚を知らずにやれ熱帯魚だ、やれナンチャラフィッシュなどと言ってると
チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られと思うのだが


だいたいいい処は見たので展望台にあがって見る。
冬は怖そうな大地 仕事柄どうしても冬を想像してしまい平らな大地は怖い
冬になると平原はたった数メーターが命の境目になってゆくのだ。
冬の平原はまった 恐ろしい事に冬が過ぎてしまえば何事もなかったかの様にしれっと美しい自然が待ち構えている。
近づく者を容赦なく食ってしまう まったくハエトリ草かウツボカズラかと思うような綺麗さがある。
思うに食虫植物のケバさはハエでさえケバさを求めてるのかょと人類の端っこの俺は思う。

大地を延々と開拓してゆく先人達の苦労と何が何でもものにするその根性が俺には欠けている。
多少ボッチに出来の問題があっても根性があればそのうちに何んとかなるべ~と言う世代なのだが
どっちもダメなのだ。
せめて世間様の迷惑にならんように出来る事をやって過ごしてゆこうなどとこの広い怖そうな大地を見て思った。

カーナビのお蔭で時間が出来た 一度行って見たかった場所に移動する事に

何時

よいよ最初の目的地に近づいた 朝早く着きすぎ店は開いていなかった。
ブラブラして開くのを待つ 

てんこ盛り さ~食うぞ~ウチダザリガニ


たらふく食った 近所のアイヌの人達の話など健康そうなお姉さんと楽しく 
お話ししながらやや40分以上掛かった。
一人で食うには量が多いので数人で行って他の物もワカサギの天麩羅やニジマスなどを注文して食うのがいいと思う。
味はシャコか花咲カニに似ている。
下手な冷凍シャコや冷凍のカニを食うならこちらの方が味は濃く遥かに美味い
伊勢湾でもシャコは獲れるが北海道のシャコは倉庫くらいの大きさがある。

場所は阿寒湖の遊覧船乗り場100メーターほど東の釣り堀屋さんで店の名前は食い気で確認し忘れたが
ウチダザリガニを食わして呉れる処と聞くとすぐわかる。
竿も貸してくれさらに釣ったニジマスは食わしてくれる。
中に入ると簡素な造りで食堂かなとチョット思うが 
俺は歯は丈夫なので歯で割って食ったり手掴みで殻がアチコチに飛び散るので 
このシンプルな店がいい事がわかった。
食い物は手づかみで食らうと美味しさが倍増するのだ。

二風谷コタンから始まりポロトコタンと回り混沌とした現代を商人(あきんど)として生きる方法が見え始めている。

坂を登り切った左側の店に入る。
早朝で客は俺一人 おばちゃんからグイ呑みとシャツを買う。
ここはアイヌの血統をひいた者だけが店を出す事が許される。
各地のアイヌコタンをみる度に逃げようのない血統を引いた者達の生き様を少しでも見たい知りたいと
思い続けてる。
北海道旧土人保護法と言うメチャクチャな法律によって土地に住む権利や物の搾取と差別を明治32年から平成9年まで続けてきた歴史があり
その中でも逞しく生きる様が凄いのだ。

現代の資本主義の原型は弥生人≒渡来人によって持ち込まれ様々な方法で狩猟民族の縄文人を北と南に分断し占拠して来た。
その方法は保存の効く穀物を使う。
縄文系は狩猟を生業としていて獲った獲物は保存が出来ない為に皆で分けるのが習慣となっている為にその日暮しが身に付いてる。
山にゆけばその日はダメでも明日は何とかなると言う楽天的な性格なのだ。

「 おらおら縄文家ょ~種籾まで食っちまったなら種籾貸してやってもいいぞ~ 」
「 弥生様~ 」
秋になって
「 おらおら縄文家ょ~返す量が違うんでね~か~ 」
「 一粒から600粒が出来るんだぞ~可哀想だから8は縁起がいい数字だべ~8粒はやるが残り592粒はよこさんかい~ 」
となって資本家と労働者に分かれた。
現代に至ってもアイヌの人達に銀行がすんなり融資をするとは考えづらいので
ここに並ぶ店店は木を手で彫り売れたら次を造りやがて1個売れたら食い扶持を節約して2個商品を仕入れと少しづつ在庫を並べていったと思うのだ。
俺が思うには最初に弥生人に種籾を借りたのが間違いだと思うのだ。
小商いは身の丈に合わせた無借金経営が基本で俺もっと早くわかっていたならと思う。
アイヌの人達はすべての物に神が宿るとするが弥生や資本家は神は一つとして崇める。
その手法を商いに利用し支配を続けさらなる格差を生み続ける事になってゆく

ア~メン 払いたまえ~救い玉枝~ いま何時なんじ信じる者は救われる~

いえ

38号線を東にどんどんゆく 以前はカーナビなど使うものかと抵抗していたが
タブレットとか言うカーナビを使う様になって目的地に直行出来るようになって時間の短縮がかなり出来てる。
高速と有料道路は使わないと設定してるせいか車が少ない場所ばかり走っているし街中はほとんど迂回してる。
これは目的をハッキリさせんとただの輸送トラックになってしまいそうだ。
道の駅 ピア21士幌に泊まる人気がないのか車はトラックばかり


拘束時間が長い長距離トラックは車の中で暮らすと言う普通では考えられない勤務体系になっている。
国産トラックは中も狭くせめてボルボにくらいにならないと次の世代はトラック乗りにはならないだろう。
ベットもクソ狭い棚でなく畳一枚程度にしてコーヒーやチョットした物を食える湯沸かし器程度は標準装備であってもいいのではないかと思う。
トラック乗りはこれからの北海道は大変だと言う夜明けとともに雲霞の如くキャンピングカーや道外ナンバーが動きだし 突然止まるわ追い越し車線をへっちゃらでのろのろ走る。
やはり観光はその土地を横からチョロッと見せて貰うと言う事が大前提になる。
よそから来て自分の流儀や何かをそこに残してゆく事は御法度だと思うのだが
その為には生活の邪魔にならないように後の車と間合いをとってサッサと除ける事が大事になってくる。

夜明けと共に足寄国道を走る 螺湾小学校を少し過ぎた峠の頂きの草原にポツンと一軒家があった。

古いが放置家屋と言うよりは残してあると言う感じでしっかりと立っている。
この峠を走るドライバーにとってはどんなに心の支えになっただろう事は容易に想像できるし
出稼ぎ先から車に夜具を積んで阿寒や弟子屈に帰る人達にもやっと故郷に帰って来たと思わせただろう。

昔の農村によくある家の作りになっている。
左に正面玄関 右に幅一杯の縁側 中は見てないが大体の作りは間仕切りで部屋を区切り間仕切りを外すと大きな一部屋が出来る。
そこは嫁を取り嫁に出し婚儀の宴会場になり 時には葬儀の場にもなってゆく 農作業で土の付いた野良着を脱ぐ事もなくチョコッと腰掛けて一服や世間話も出来る構造になっている。
目的のない雑談には上下を超えた情報の交換や癒しを生み続ける。
たった数センチ高い所に上がっただけで見えるものや感じるものが違って来る。
雑談それは子供の目線と大人の目線との情報交換の場にもなってゆく
縁側や雁木には越中富山の万金丹ほどの物凄い効用と効果があるのである。

一軒の家が家と家との婚儀などその家族の歴史を見守り続けてきた。
あそこの家なら大事な娘を大切にして呉れるだろうと近在の家に娘を嫁がせ地域を育ててきて次を育てる。
もし何かあったなら相談にも乗れる なんだったら怒鳴り込みも出来る
 その重石を背負って風雪に耐えて凛として
この家は立っている。

ここの崖下村は昔は道が無くどん詰まりで殆どが親戚で幼馴染で住民同士はたまに喧嘩もするが仲はいい
その中に住んで12回も住民票を替えた俺がここが一番住みやすいと感じ思うのは 
その延々と繋がっている家と言う集落の中に居るからなのだと感謝してる。