経済と狩猟民族

5年前に救助されたトンガの漁師どうなってるのか無事だといいが
救助作業動画は嫌だが参考の為によく見る。
救助作業に一円でも貰うとそれは経済行為になる経済となると採算ラインが出来てここまではやるが・・・・それ以上は・・・・・となってしまう。
とっかかったらゲーム感覚でいき一点あがり~としないと気持ちの落とし処がない場合もあり
さらに連れ帰ったがコイツはもう一度元の場所に置いて来ようかと思う奴もいた。
昔の話です。


真夜中にゴソゴソ音がしたら玄関先に箱が置いてあった。
持って来て呉れる漁師は数人いるが誰かわからんカエシのしようがない
タラはどこかと分けてナメタは軽く干して唐揚げと一週間は食いつないでいけるので
一次産業の田舎は食うだけなら何とでもなってしまうのだが

海辺の田舎はKIZAI的には不利で周辺人口が内陸と違い半分は海で住人はタコやらナメタなど銭の持っていない魚類さんが占める。
その為に内陸の経済地域の半分しか見込めないのだ。
でも浜の生活は原始時代の狩猟民族生活に近く農耕民族とは明かに違いがあり
土地に対する意識が低く漁がなければすぐ移動をするし獲物は種籾の様に保存が効かない
それは沢山獲った者はそうでない者に分け与える事しかない
そこに野獣のような者とそうでない屋内に向く者との共存が出来て狩猟民族に経済などないのだ。
それでなければ魚一匹を釣る為に高いボートをドッタラコッタラ

現在の経済とは保存の効く種籾を如何に沢山所持するかに尽き
種籾はすなわち銭でそれは公平な分配など有り得ないのだ。
戦国時代の切取次第と同じで力が優先するその手法は一万数千年続いた狩猟民族による縄文時代
が農耕民族に駆逐され弥生時代に入ってわずか2681年程度しか立っていないがすでに綻びが見え始めている。

パソコンが調子悪く買い増しをしたこれさえあれば何処に居ようが・・・・・・
と思うのだがまだ慣れていない

これからは黄昏た海辺や山の田舎にこそ未来があるのだ。
北海道には沢山の未開や放棄された土地があり目の前には鹿などの食料が闊歩しているのだ。
食えなくなったら都会をすて北海道を目指そう
田舎には住む所も用意してる職場は沢山あり
何せ空き家だらけなのだ。
ここ4000人が住む田舎に来てもうすぐ30年になるがいたって快適
田舎は人間関係がドッタラとかよく耳にするが そんなの当たり前で待ってれば煩い住民は順番に・・・・・・です。

誰かここ4000人の町に来て個人タクシーをする人はおらんのか
限界集落では年寄りは水戸黄門警護役の由美かおるが風呂に入るのを見届けて寝てしまうので真夜中は走らんでいいし
車庫の裏に野菜を作り魚を貰いと楽しい生活が待っている。

keizaiなんのこっちゃ

毎日毎日危険を犯しても経済を回さんとイカンとテレビで吠えるが
何をクッチャベッテんだべ~とテレビに回し蹴りを入れてやりたくなる。
あのな~田舎には元々経済など存在せんのだ。
石炭も森林資源も取り放題採算が取れなくなったら町そのものが見捨てられる。
北海道を二つに割ると函館から稚内まで西海岸は大きな町は小樽、石狩、留萌、稚内
一方東海岸は八雲、伊達、室蘭、苫小牧、根室、斜里、網走、枝幸、、、、、とある。
この差で面白いのは北前船が寄った処で現在も栄えてる町は本州も含めて中々無い
古着を積んだ北前船は等価交換ではなく搾取に近い船であったのだ。
現在も首都圏や大都会の為に資源や人材があるうちは田舎は搾取され利用され無くなれば消滅してしまうのだ。

元締めの会社が田舎を見捨て引揚げる時に一緒に優秀な人材までも連れ去っていった。

いまこのパンデミックになっても大都会の為に経済を回せといい
あまり何度も言うのでは今度は社会インフラがドッタラコッタラと
お前達はバカなのか
ここは汽車も廃線、バスもろくに来ない、タクシーなど無くなって数年立つ
吹雪の中で皆ロクに除雪していない道を数キロ歩いて食料を買いにいく
そもそも経済、社会インフラなどすでに無いのだ。
それで困るだろう~どうだ~都会のごみを引き受けたら
真面な暮らしが出来るぞ~と都会で電気を絞った後の残りカスで自分世代で処理も出来ん核のゴミを金で頬を叩くようにして持って来る。

田舎でなにが悪いのか洗脳されてもっといい生活など余計なお世話なのだ。
知った顔だけで新年会をやり宝引きをやりビンゴをやりと雪が融けるまで屋内レジヤーに講じるのだ。
少しの晴れ間にタラを持った婆様が食い切れんから半分に切って呉れと持ってあるく
そんな田舎生活で充分ではないのか経済がドッタラコッタラ余計なお世話なのだ。
春になったら数歩先には山菜がなって浜には魚が戻って来る。
田舎は意外に感じるが年金や農水産物で外貨が流入して使い道がないので貯まる一方なのだ。
農水産物はほぼ経費だけで仕入れが無い物が多く
魚も取っても海に銭を払う訳でもないリンゴの木もリンゴを取る度に木の根元にリンゴ代を払う訳ではない
田舎の生産物は経費が殆どなのだ。
いまや都会の言いなりなって新しい機械だの新しい車だのと買ってはいけない
その余った銭は地域循環に回すべきで
月に3万を雑貨や食料品を買えば集落に20軒あれば月60万が売り上げになり粗利12万あれば田舎の商店は売残りを食って裏に畑を作ってマキを焚いて成り立つのだ。
要は田舎は都会に洗脳されたらいかんと言う事で今ある地域の中の生活を楽しみを見つけるべきなのだ。

今年もささやかな新年会をやったが
貸元をやったので来週あたりに賭博開帳図利 でお縄になってるかも


こちらの画像は賭博罪時効が成立した15年前の宝引きですでに鬼籍に入ってる人も数人いる。
田舎はこうしてKEZAIと社会インフラを回してるのだ。
限界集落はいま楽しまないと明日は知れん人が多いので町内会費など宵越しの銭は持ってはイケない

 

雑草

昨日午後から波が堤防を越えて来て窓ガラスに当たっている。
ここの窓ガラスは6尺×6尺の複層ガラスだがいつか割れるのではないかと思うので冬はガラスの前に雪を積んでいるが

夏は水槽浄化の為に水に強い草を植えてるがドンドン大きくなって大きな窓に日景を作ってくれる。

町に新しい駐在さんが赴任して来ると何かしらの怪しい草を栽培してるのではないかと中に入って来る。
特に若い駐在さんは全然関係ないワイファイがドッタラコッタラなどと世間話をしようとする。
俺は親切心から若い駐在さんの捜査能力を鍛えてあげようと
如何にも怪しい奴の様に出来る限り眼を合わせない様に反らす様にクビを90度横に向けて話をする。
サッサとこの雑草はなんでわざわざ植えてるのですかと聞けばいいものを~
ま~花でもない雑草をわざわざ育てるのは確かに怪しい
ウマダシヨウの間にイケない草を植えてるのではないかと横目で水槽の中をチラチラと見るのだ。


雑草は管理が難しい

本当にこいつは悪い奴だと思う奴にあった記憶がないが最近あれこれはチョットおかしいと思う者に立て続けに遭ってる。
明かに年齢は半分以下で規模と言う言い方はおかしいが規模は10分の1以下だろうと思う奴に俺のやり方は無駄が多いとか、ここをこうすると良いとか言われたり、
また他の者には生活態度がドッタラコッタラと言われてしまった。
俺は回りで見てると好き放題で常に一か八かに見えるので説教をしたくなるらしい

どうもスマホとやらになってから何でも知る事は出来る様になったが知ってる事と出来る事は違う様な気がしてならないのだ。
知らない事をスマホなどで字面だけで知るのと人に相対して教えを乞うのでは全然違うのだと思う。
このコロナになってからオンライン授業とやらが流行っているらしいが
教えて呉れる先生の一挙手一投足をしゃぶり尽くす様な教えを受けた者とオンライン授業やグーグル先生やスマホ先生に習った者との差が
逢った事も無い相手を批評したり叩く好戦的な現象に繋がっている様な気がしてならないのだ。
何かを知る事は楽しいが
冬の水の冷たさや焼けた鉄の熱さなどを肌で知ってやっと半回りでないかと思う
いまはチコちゃんに叱られるテレビをまったく見ていないが
もうなんでも知ってる事など大した事ではなくなる。
それよりは身体で実体験をした者が雑草の様に生き残っていくだろうと
自分が生かされる場所は何処なのか、どのレベルなのかと考えてしまい若者の話をうわの空で聞いてしまった。

レスキュー

海は恐い波打ち際をチャプチャプやってるのが一番だがレスキューとなるとそうはいかない


クルーズ船アルバトロス
直読みア~ホ~鳥が2017年に3日間漂流していた南太平洋トンガの漁師を救助する。
海でも陸でも民間で誰かに手を差し出すレスキューをするのはア~ホでなければ出来ない

最初のコンパスが動く処は船が旋回して漁船を風下に抱きかかえ波から防いでいる事を示す
途中で一人海に飛び込むが普通の精神状態では飛び込む事はないと思うが
3日間も漂流していればわからんでもない
救助が終わり救命ボートを吊り上げる時にバウにいた作業員二人のうち一人は骨折していると思う。
海の揺れる上での救助作業員は毎度危険と隣合わせなのだ。
この後クルーズ船アルバトロスの乗客は募金で15000ユーロを集めこの船を失った漁師が再起する為に贈った。
景色より食い物より一生の土産話になっただろう。

15年以上前になるが無人で漂流しているボートを見た事がある。
結果はあっと驚く為五郎だったがその後乗員は無事回収したが
海の上では焦りが一番禁物で何か起きた時を想定してイメージートレーニングをしておくことが大事だと思う。

美的センスゼロの俺が言うのもなんだが
美的センスとしては大きい船が小さい船を助けるからいいのであって逆だったら悲惨の一言になってしまう。
それは日常でも大きいものは小さい者に譲る事が美的センスから見てもいいのだと思うが
狭い桟橋を歩きすれ違う時もデカいボートオーナーが真ん中をデンデンと歩くのは美しくない
コンビニに車を止める時もいい車こそキチンと止めるのが美しいのだ。
いい車に乗るのか、いい服を着るのか、胸の内に持つのか
その価値観は自分が決めるもので
みなそれぞれが自分の中に王道を持っているのだと思うが


そうするとこんな事は起きない
昨年秋 左川口シャケ釣り場所からおよそ80メーター先でボートが釣りをしている。
ボートを持ってる王者の釣りとは言えん漁師じゃないんだから今年は止めよう。
さらに川口は太古の時代から流れて来た岩が必ず暗岩としてあり危険この上ないしぶつかればソコソコの銭も掛かるのである。

明けましておめでとうございます。

ナンノコッチャ年明けから仕事をして稼いでシマッタ

古い町並みを見て歩くのが好きでそれもいわゆる観光地は殆ど行く事はない

郡上八幡

町並みを見てつくづく思うのは現代の商店街がシャッターを付けた事で世相が変わってしまったのではないか言う事で
時間から時間まで稼ぎました後は自分の時間で一切ダメと言うなら勤め人をするべきで その程度の覚悟では商いをやってはいけない
商いは来て呉れた人と一緒に楽しむ道も沢山あるのだ。

この引き戸の商店が営業が終わった事を知らせるのはサラシのカーテン一枚なのだ。
俺がガキだった頃に空き瓶をぶら下げて留萌駅前の酒屋にたった1合の酒を買いによくいった。
買いに行くのが遅い時はカーテンが掛かった戸をドンドンと叩いて引き戸を開けて売って貰った。
売る方も夜中だろうが戸を開けてくれる。

昭和は戦争を経験した人達が商いをして平和に対する思いや覚悟が
いまの世代とはまったく違いその思いが地域を守って来て
小商いの商人も簡単に破る事が出来る閉じまいで誰が来るかわからんでも戸を開ける、その覚悟と
商いに対しての覚悟が違ったのではないかと思うのだが


上越高田

現在の成長戦略とやら言うが商いを戦いにしてはいけない
バイクで転んでも頭を打たない程度の格闘技は少しだけやったが強い者だけが残るならそれはもう人間社会ではない
商いは地域に必要とされ地域と共に育ってゆくのが理想なのだ。


宇陀

見ず知らずの他人を標的する犯罪が増えた事は何かがおかしい
地域の安全を考える時にこれからは小商い店は三階建とシャッターやドアを禁止したら
世の中は変わるかも知れんと思うのだが
防犯が悪くなった為のシャッターか
銭以外は一切シャッターアウトのシャッターが治安を悪くしたのか

俺の処は壊れた電動シャッターを外し引き戸にしたが明るくなってよかったが
戸三枚分の さ~サラシを買う銭がない~

正月は鳴物で サラシに巻いた~

嫁さんに逃げられた俺が言う
昭和の恋さんは待っては呉れるが平成や令和の恋さんは待ってはいない
待ったのは小室佳子さんくらい

あと一日


弥生の里 熊野の山々
毎年この年末になると歩くのもやっと言うほど疲れる。
区切りとしてやっておく事や思い出すのもムッタシくる事やあれやこれやと今年は多すぎたなんでだろうと考えてしまうのだ。

人類の歴史は500万年あるらしいが
俺自身は石器時代か縄文時代あたりに生まれていたらきっと今よりはマシかと思う時がある。
こまごました事大嫌い片付けも整理整頓も出来ない
一つの事を考えたら他の事は一切出来ない性格なので
住んでる傍に穴でも掘って魚や鹿でも捉まえて焼いて食ってそこに骨でもなんでも掘り込んで一杯になったら家族を連れて魚や鹿の居る処に移動
上司も会社も客もヘッタくりもない家族が食っていくだけの生活
それって毎日が釣りと狩猟のレジャーで毎日がキャンプ生活
なんか考えると結構面白いかもと思ってる。

う~ん着てる物が違うだけでこんな感じのオヤジは沢山いるぞ~
釣針がドッタラコッタラ 潮流れがドッタラコッタラともう目が祖先帰りしてる。

縄文時代と弥生時代を考えると
どうも俺の回りは縄文系が多いなと思いながら今日から年賀状を書こうと思う。
本年は真にありがとうやんした~

闇金方式複利成長戦略の限界


ヤマハOEMの除雪機をベルト交換した けっこう面倒
家庭用除雪機は栗山にあった石狩造機が最初に作り始めて次はヤマハがアメリカからTOROを輸入して販売を始めた。
TOROは日本では考えられない作りでモンキーとハンマーがあれば殆ど直るのではないかと言う作りでビックリした。
それは国土の広いアメリカでは修理は基本自分でやる事を想定した事を思えば理にかなっていた。

その後ヤマハは自社で作る事になり雪国の二輪販売店の冬の裏作として資金繰りに貢献したが
ホンダも加わり一大市場と成長するが
何を思ったのか二輪ルート以外の量販店にも各メーカーが卸す様になり現在に至る。
俺は思うがヤマハの中古部品はあまり売れない 売れないと言う事は壊れないのだ。
ヤマハの技術なら量販店で売らないでも充分売れると思うのだが
ホームセンターで売る事は資金力や訴求効果でドンドン売れるが
その代わりに二輪販売店は売上は落ちて冬の仕事を奪い後継者を奪い
全体的には二輪販売店は減少の一途を辿るに至り
現在は石狩から稚内までおよそ300キロ間に自転車がパンクしたら直す処は数軒しかない
だが除雪機は壊れても誰も命の危険などないから自分で治す者が現れるのは必然なのだ。
まった規格部品の集合体の除雪機はどうにかなって動いてしまうのだ。

生産終了して35年ほどなり部品が無いので他のキャブを付けるがいたって快調

量販店に降ろす事で田舎の二輪販売店が息子に次がせる事も出来ずに閉店終業してしまうが
メーカーが今までメーカーを育てた販売店を守る気構えがあるなら
多少の総台数は減ったかも知れんが夏冬通しでメーカーの為に稼ぐ販売店がこれほど減る事はなかったろうと思う。

「 クッソ~なんであのガキより俺が後ろなのだ~」と販売店同士を競わせる為に
年に一回北海道中から傘下の販売店を200社ほど集め売上順から前列右に並ばせた。
それは前年対比何パーセントの成長をする設定で
その差はアデ~レでさえ驚く複利で毎年毎年成長する事を求められる。
いま販売台数が100台を2パーセントの毎年成長するなら
翌年は102台5年後には111台を売る事になるが
そんな事は絶対出来ないなぜなら平均20パーセントのロストユーザーが居るからなのだ。
それでもバカの一つ覚えの様に成長率をいい 結果は量販店に頼み
既存販売店を殲滅してゆく
販売店は販売店で なら売ってもろくに儲けが無いなら修理で稼ぐのが当たり前で
歳食ったユーザーが居たら
「 旦那~今更買換えても使い方が慣れる前にアッタラコッタラ~ 」
と修理売上に走り買換えを進める事はなくなってしまった。
まったく卵が先かニワトリが先か状態になるが
メーカー自身が生んだ卵を卵焼きにして喰ってしまったのだ。

冬は解体中古部品業となってるが機械は余程の使い方をしない限り壊れる処はほぼ決まっている。
なので部品取りに持っていても残骸はほぼ同じ物が次々と残ってしまう。
これらはまとめてスクラップにするのだが
個々に外し売りに出す事は他者がやっている中古部品価格の暴落を招いてしまうのと外す手間と発送手間代にもならないのだ。
自分では業者間の付合いはマメにやって来たと思うので
閉店する店から次から次へと持ち込まれるのだ。
まった雪国の二輪販売店の苦しさもよくわかるので言い値で買い取る事が多く決算をするとナンノコッチャとなってしまう事が多いのだ。

メーカーは成長成長と言って卵を産みだしても卵焼きにして喰ってしまっては成長などありません
闇金の様に複利で成長重視する消費文明は無理があり終わったのだ船と違い壊れても陸地の除雪機は今ある物を大事にする事も大事と思う。
健康でありさせすればどうなっても生き残るれるのも末端枝葉の強みなのだ。

枯れ葉にチョロッと緑を混ぜて

新規のお客さんの修理は断り続けてるのには除雪機の整備や配達で毎度忙しい
24日は小樽まで配達に

9時に出る時はこんな天気で  これから120キロ先にトンネルやカルバートを16から18ほど通り小樽に
途中浜益から望来まで猛吹雪で先が見えなく
着いたのは1時で4時間掛かった。

お決まりの南小樽市場に寄って色々買う


帰りも吹雪にあう

25日は大荒れでほぼ視界ゼロ状態に
俺の家の前の道路は一台止まると対向車はやっとすれ違う
そんな中でも宅急便の集荷は毎日来るが
そんな状況でも宅急便のドライバーさんは恐ろしい事に右前輪に輪留めをする。

この吹雪の中でも道路中央側にしゃがみ込む輪留めをする行為はいつか事故になるだろうと思う。
そうなった時は第一当事者も第二もお互いに不幸になるだけだと思うのだが
さらに24日と25日はクリスマスプレゼントの配達で深夜になろうが配達が終わるまで帰る事は出来ないでいた。
吹雪で何処走ってるかわからん中で雪囲いで表札もろくに見えない個人の家を探して配達をする。
北海道の田舎では道路から家まで数十メートルなど常識!当たり前で
その間を雪を漕いで家まで歩く
靴はと言えば会社がどっかに大量発注した安手の靴で
車と言えばアイドリングストップで車内は冷え切っている。
やめた方がいいと思うので会社に意見はするが戻って来る事はない

日本列島は3000キロはゆうに超えると思うが雪など見た事もない所から半年雪降る処まで一律に決められ
それを上層部が言うなら逆らわないと固く守らせる構造は巨大になるとよくある話なのだ。

もすぐ車に落ち葉マークを付ける事になるが
その枯れ葉デザインを黄昏た年寄りに付けさせる事を考えた奴の頭の中身や何も言わんで製品になるまで従う構造は
アベノマスクも同じなのだ廃棄にも俺達から取り上げたミカジメ料が使われるらしいが
そんなバカなとアベノバカマスクとパワーアップさせつつある。

枯れ葉マークも多少デザインを変えてチョロット緑など混ぜた位にしても枯葉は残し
最初に考えた奴に気を使うデザインどれほど腐った落ち葉なのだと思う。

それでも先に希望は必ずある。
物事は一方だけに揺れる事はない右に揺れたら左にと
今迄は東京で決められた事が地方に流れて行く
それはテレビでも同じで東京目線で作られたモノが一方的に流されるがこれからはそうはならない
地方が独自に早く安価に発信する事が出来る様になったのだ。

北海道中の淡水魚を集めて飼育してるが
近くの川や沼でもよく見ると不思議が一杯で尽きる事はない


5センチほどの川カレイを採取して3年掛けて18センチほどに大きくしたが やはり淡水だけでは無理があって現在は飼育を止めた。
カレイとハナカジカは人を認識してると思う時がある。

八分に感謝

相談と雑談の違いは相談は結果を求めるが雑談はどうでもいい話で結果は求めない
中にはそれでどうなのよと詰将棋の様な会話や揚げ足取りの会話になる奴もいるが殆どは押し付けられる事もなくどうでもいい話で
その人の姿もセットになり
そうかだから今この人はこうしてるんかと気付きもある。
これが本で学んでもダメとは言わんが本でもドラマでも後から上手くマトメてる場合が多いので実際とはかなり違うと言う事が多いのであまり信じてしまうのも考え物な場合もある。

相談事は結構されると言うか修理業は壊れてどうしたらいいべ~と相談されるのがメシの種なのだ。
全然商売に関係ない相談事の多くは胸に結果を持って来る。
その自分の考えてる事に対して同意をして欲しい場合が多くたとえ正論であっても
その誰でもわかる正論を自身が実行に移せる能力と環境下にあるのかが問題で、
それが出来ないから現状があり やはり自分自身が答えを探す旅に出るしかないのだ。
賭け事ではないが勝負ごとを色々やったが先に行けば行くほどほんの僅かが達成出来ない
それは目標をほんの僅かを下げると数倍の余裕を持てると言う事になる。
現状は維持したいが苦しむの嫌と言うのは中々ない
苦しんでいるならやはり今の場を少し下げて立ち止まる事も必要で
750ccのバイクを買ってローンに苦しいいのなら125でも充分だべやと場を下げる事も大事なのだ。
様々なバイクを乗ったが大したかわらんのだ。
八分の生活も中々快適なのだ。

俺の回りはロクデナシやヤサグレたオヤジやお姉様が多いが見てる限りでは小ズルい奴やセコイ奴は居るがコイツ本当に悪い奴だと思う奴にあった事がない
人生もここまで来て腹をすかしメシもろくに食えない事も経験したし冬は山で仕事をしたので一応遭難もした冬の川に転落もした
借金もそこそこに抱えたが
それほど悪い人生ではなかった。
経験では悪い事より圧倒的にいい事が多いがそれは自分自身の物事の捉え方の問題で
精神科や診療内科では悩みや苦しみの90パーセントは自分自身が作り出した妄想と考える先生もいて
それはタダタダ話を聴いてやるしかないと言う先生もいて
その為に先生自身が病んでしまう人もいる。

誰かが言った死ぬこと以外はかすり傷と
まったくそうだと思う生きていさいすればそこそこにいい人生が待っているのだ。
経験上どにもならん事は笑って誤魔化せ 時が一番の妙薬になる事は多く
自分が生きる、それは誰もの生きる権利を認めて奪う事は決してやってはいけないと言う事なのだ。

雑談

昔若い十代の子を預かった事があって少々凶暴で自傷行為が激しかった。
その子の生立ちと態度に自分の若い頃を見てしまった。
それから平岸の心療内科がいいと聞けば連れて行き旭川市立がいいと聞けば連れて行き曙がいいと聞けば連れて行きと一年ほどやった。
その時の俺の認識では心療内科は精神科の一歩手前の科と言う認識だった。
やがて自傷行為は無くなったがその後も次々と問題も起き
なんどアンカーを抱かせて海にと思った事やら
カンが異常にいい奴で俺がムカついてる時は船には中々一緒に乗らん奴だった。

大阪の心療内科の問題は建物が消防法適合とか合法とか言う問題ではなくガソリンに火を付ける奴がいると言う問題なのだ。
ガソリン販売を厳しくしてみても自分の車か除雪機から抜けばいいので防ぐ事は出来ない
これが列車内やホームセンターなども防ぎようがないのだ。

自分はこんなに一生懸命やってるのに他の者に対比させて今の状態はどうなんだと言う怒り
その気持ちが熟成され社会に向いた結果が見ず知らずの一般を巻き込み電車を襲ったりする。
解決する為の方法は沢山ある。
落ちこぼれた者にとって再起を夢見る事が出来ない状況や社会の不公平感が絶望にと追いやる。
その怒りを持った者をそれを個人の努力の問題と片付けるのは簡単だが、
さらに弱い見ず知らずの者に向かう事は性善説にたった人間社会では防ぎようがないのだ。
防ぐ手立ては準備段階で思い留まって貰うしかない
それには脳裏に少しでもいい思い出が必要で
その思い出を与えてやる事が出来るかどうかに掛かっている様な気がしてならない
それは地域であり職場であり趣味の仲間なのかも知れない
隣町が小平だがある日止められた。
たまたま車検書が積んで無かったが警察官は「 あ~たまたまだね 」と
今度来る時あったら車検書を見せて下さいと言われ放免になった。
スピード狂いの俺でもそれ以後小平市街地は徹底してスピードは出す事はない

狂った奴でも脳にほんの少しのいい思い出を残せるかどうかに掛かっている様な気がしてならないのだ。
ほんの少しの小さないい思い出を少しづつ無理なく積み重ねていく
それは行政の問題ではなく地域に住む者がお互いに手を取り合っていくしかないのだ。
どう見てもヤサぐれてる奴には元ヤサぐれてるオヤジが頭の良さそうな奴には元頭の良かった奴と得手不得手はあるが
無理せずま~ま~こんなものかと言う程度で持続させて行く事が大事な様な気がしてならない
阻害からは何も生まないでさらに危険を招く

不公平感を持つ時にそれが納得のいくものでなければならない
アイツは頭がいいから仕方ね~やとか親が金持ちだから仕方ね~やと
そう思う時になんだアイツはと一番に思うのは政治家の姿勢が大きい
たった一日で100万だとか皆が困っているのに銀座三兄弟とかま~恥ずかしくもなく続きそれは怒りの対象になっていく
清貧であって欲しいがせめて皆の稼ぎのピンハネで食っている事は頭に置いて行動して欲しいと思うのだが

日々どうでもいい様な事 雑談が地域を相手を救うかも知れん
そんな訳で年明けは欲の塊となって皆で白やら黒のマスクして宝引きだ~