増毛を去り新天地に行くかどうするか考える事があって月曜から
涼しいだろうオホーツクに行って来たがここより熱かった
街のど真ん中に岩が見えるアイヌ語でインカルシと言い遠軽の語源になった。
網走にはよく行くが改めて遠軽に行く事はなかったが今回は道の駅が出来たのでそこで車中泊して翌朝目的地に
町外から来た素人にはタダの石だが町内どこからでも見えるこの岩が望郷のシンボルになってるだろうと思う。
遠軽には明治32年に留岡幸助先生によって創設された家庭学校がある
家庭学校は「有難」を是としている 書いたのは明治なので今風に書くと「難有」となる
人生は難が有るものなのだと言う教えで難があって身を持って経験したからこそ「有難う」と言うお礼の言葉が出て来る事らしい
目的地にいく途中で無敵の親子鶴が行く手を阻んでいる
子供鶴が草の中に2羽いてク~ク~と泣いているのでもしクラクション鳴らしたり
写真を撮る為に車から降りたりして親鳥が飛び立ったら
飛べん子はパニックになるしキツネに襲われるかも知れんので3羽が道路を横断するまで待つしかない
鶴の恩返しは、あれは確か見てはダメと言ったのに見てしまい鶴は飛び去る話で
約束は守れと言う話だったと思うが
やや待ってる間に鶴が羽根を引っこ抜いて機織りをしてたら折角助けた鶴は早晩干乾びて
しまうだろうに見て飛んで行って良かったのだとか
こやつでラーメンスープは何杯取れるだろうかと考えたり
鶴親子がサッサと避けて呉れないから う~ん心が汚れていく
助けただのあんだのと、してやった事は忘れろ、して貰った事は忘れるなが一番かな
俺が通り抜けた後に浜側からむさい顔したオヤジや気合の入ったお姉さんが朝の忙しい時間帯に根気よく待ち続けやがて逆走行して通っていく