仕事の為の仕事

昨日は朝コッ早く留萌港に呼ばれ修理をするが早く終わって時間があったので会費要員だが久し振りにチョットした会合にいく
その会合は行政と民間との混合で苦手なのでスルーしていたが開始時間が中途半端な午前11時 う~んメシでも食わしてくれるのかと参加する事に
会費は払ってるがメシは当たらんかった
ようは腹減る時間に合わせサッサとしゃんしゃんと手締めをして終わらせと言う出来レースだった。


戦艦「陸奥」の主砲身 全長18.8メートル 室蘭で作られた

参加人数はおよそ30人ほどで発言する人はバッチを付けた数人がほぼ言うが内容より発言する事に意義があるのか何を言いたいのかよくわからん
これはこれでクックとなるほど次回の選挙を思うと面白かったが
そんな中で座長がこのナンチャラ会合について
「 やってる事が町(まち)の為になってるのか うんぬん・・・・・ 」と言う
さすが儲けてる企業人と思った。
自分のやってる事が何かの役に立ってるのか
仕事の為の仕事になってはいないだろうかと年に一回くらいは振り返る事は仕事をする人間は大事な事だと思う。

改めて自分を振り返ると歳は食ってるがこれがまった結構役に立ってるのである
修理と言う仕事はほんと面白く ゲームをやってる様に動かない物が動き出し何かしらの役に立つていく
これが製造業や修理業の面白さなのだ さらに出来高払いだが銭が貰える
冬山での仕事は一人の失敗が全体を命の危険にさらす その危うい場面を何度も見て来て自分の限界を見極め10年前にすべて止めて今は海関連になっているが

周辺で問題がさらに起きていくだろうと思う事があってその対処も細々と進んでいない様に見える
一番の原因は食い扶持を保証された人達の仕事の為の仕事をしてる処にあるのではないかと思っている町も各課の人事異動はあるのだろうと思うが
費用対効果を見る事が難しい課と数字を見る事が必要な課とがあって
老婆心ながら各課を横断したコラボが必要でないかと思うのだが

うん! 老婆はよく聞くが老爺は聞かんぞ~なんでだ~


寒いの~借金だらけの人生だったが終活中で個人情報が詰まってる銀行から借りた証書を燃やして暖を取る

東北は何処にいっても東北弁だが播但地域はとうとう播州弁を聞く事はなかった。

すさんでまっせ

せっかく旅にいって戻って来たのにムッタシ来る事が多く最近かなり荒んで(すさんで)いる。
そんな中で10数年前に諦めた銭が戻って来た。
ほんと銭は貸したら戻って来ないのでまったく珍しい 利息は付いていないが嬉しい~機嫌を直して
先週からラーメン屋を開業する為にラーメンを食い続け米を食っていないので
ほんのごく一部を使って回転寿司でコメと青魚を食って自分の舌の確認してみようと思うのだ。
深川いこうか~滝川いこうか~へ~らっしゃい

何度か貸した経験から銭は絶対に貸したらいかん 友達を失くし恨まれ果ては首など〆られたり後ろから殴られたりするのは貸した側でいっそやった方がよく精神衛生上もいい
いまは月1万8千の年金暮らしなので生活ギリギリで良かったぜ

 
出発前にせっせと貯めた8万円をしっかと握りしめフェリー代往復68000円とホテル代6600円はカードで払ったが残りは全部現金で払い残った銭は福沢諭吉3枚


舞鶴まで戻って来たら後はフェリーで寝てるだけなので諭吉未満は硬貨も含めてここのお助けボックスに入れて来た。

燃費は平均リッター18キロほど走るがガソリンは
出来る限り田舎の小さなスタンドを利用するのだが
北海道の田舎スタンドは何故かしら寂れた感があるが内地の田舎の小さなスタンドでもガソリン以外にも何かしらの生活用品を扱ってる店が多く寂れ感はない
これは歴史が関係していて郡領は山の常を境にして戦国時代に争った事が現代も遺恨として残り山の常を超えてまで買い物に行かない事があるのではないかと思う
その点北海道は寿司食うかと50キロや100キロは普通に走っていき郡境と言うものがない
これが北海道の地方の商店が成り立たない理由と思うのだが

福井県三方上中郡若狭町三宅西大畑 179円 19.1リッター 3.419円
岡山県津山市三浦   175円 19リッター 3.325円
広島県呉市川尻町西    157.8円 16.63リッター 2.625円
岡山県岡山市東区一日市 166円 10.3リッター 1.710円
沼ノ端   160円 19.19リッター 3.070円
今回は少しウンと思ったのがガソリン価格で上と下では20円の開きがあり
一番安かったのが呉市川尻町の小さなスタンドで感覚的に地方の田舎は安かった気がする。
確か燃料補助金制度は令和6年も継続中だったと思うがなぜにこんなに価格差があるのか不思議
沢山売れると思われる比較的大きい店は高かった。
思うに父ちゃん母ちゃんでやってる店は安い 自分の人件費を考慮していない事が考えられる事と燃料補助金は本当に有効に効いているのかとも思った。
俺の人生で書類を書く面倒臭い事大嫌いもあるが補助金は諸刃の剣の感がありただの一度も補助金を貰った記憶がない
田舎の小さな店はそう言う店は結構あるのではないかと思う。

時薬


マリーナー斜路に波で打ち上げられるイワシ
型がよくて生きのいいのをすくって食って見た「 鰯七度洗えば鯛の味 」と言うので刺身で食ったら美味かった
残りは塩付けにして何も食う物が無い時に食おうと思う。
北海道西岸はいたる処がイワシだらけでいったい海にはイワシはどれほど居るのだろうと思う この光景はレミングの行進を思わせる。
レミングは陸から海に飛び込んだがイワシは海から陸に飛び込んだ立場が違えば色々あるのだ。
数が多すぎカラスもゴメも全部を食う事が出来ずに放置されている。
畠中町にあるスカンピンパン屋が言うには食い物が豊富にある為かサギが巣を作ってるらしいがサギのその鳴き声と言ったら
老婆が首を絞めらてる断末魔のようなグ~ギャ~ア~ァと凄い声を出すのだが今はまだ聞こえてこない
イワシは打ち上げられるわサギは啼くわでこの世も終わりかょ~


西岸の現在のマリーナーが出来る前は漁師の船置き場で誰もが自由に出入り出来る場所だった。

そこに突如マリーナーを作って浅海漁の磯船置き場とボート置き場をフェンスで仕切って反対側にある出入り口には鍵を掛けた。
漁師の側から見ると地元民でないボート利用者から自分達の財産をフェンスで守ってると言う意識がある。
ボートの側から見ると少々荒くれた様に見える!地元漁師から高価なボートを守ってると言う意識がある。
マリーナーが出来て28年ほどなるが両者を隔てているフェンスも一部錆びて無くなっているし
その隙間からなし崩し的にボート側に漁師が越境して来ているがボート側からそれをおかしいと言う者も聞いた事がない
そのうちにフェンスは崩れさりどっちも予算は無さそうだから再度フェンスを作る事は無いだろう
そうなった時にお互いに声を掛け合う事も起きてきて生活者の漁師と遊びのボートとの境界がなくなる
その時に現在の釣りが目的のレジャーボートが大きく変わる切っ掛けになると思っている。
食う事が目的の新鮮な魚は漁師から買う事と海に出る事とゲームとしての魚釣りとの融合が起きていくと期待してる。

漁師もボート利用者も両方を見て来た立場から言うと今はだいぶ変わったがヤサグレ加減はどっちもどっち
声を掛けあい理解しあう為にもフェンスや壁は要らない 問題は時が解決していく
先人の不安を払拭する為にも後からいった者は一歩下がる気持ちが大事で王道とはそういった事ではないかと思うのだが
違うかネタニヤフ

銭かえせ

内地から戻って来てから野球には一切興味はないが毎日ショウヘだのイッペイだのとテレビで言ってる。
金額を別にするとこれはよくある話なのだ。
自分がいる場所が自分とあまりにもかけ離れた場所にいる時にそれが自分の力と勘違いして自分を見失ってしまう時によく出る言動が
虎の威を借りる狐なのだ。
誰々を知っているとか何処に努めてるとかもこの類なのだが
以前から悪評のあったナンチャラ岳なども勘違いをしてしまった類なのだ。
回りの環境や立場のそれらを除いて自分自身を精米歩合をすると自分とあまりにも違う事に愕然として何かに走ってしまう事もよくある事なのだ。
そうならない為には常に自分の実力や能力を知る事が必要で結果相手の凄さも知る
お茶の県庁の中だけではなく賢い奴や凄い奴はそこら中に居るが
勝負師ショウヘイの銭は戻って来る事はない諦めてまた稼ぎましょう。

俺は暑いのは超苦手で夜は窓開けて寝るのでそろそろ網戸を付けるべと用意した
が寝てる部屋から網戸が用水路に落ちてしまったので拾いに行ってビックリ


いつもは深さ10センチ程度なのだが用水ケーシングマスにやたら水が溜まっている。
ここは以前にも大雨の時に上流からの流木などで詰まって水害になって倉庫も水浸しになったり隣も浸水した事があるので堤防を降りて確認にいった。

 
流木がテトラにつかえて流れずに他にも色々詰まっている。
ヒューム管はおよそ直径1メートルくらいで長さは12メートルほどあるので半径×半径がナンチャラカンチャラで8割としておよそ7.5トンほどの水が一気に流れる計算になる
う~この流木をうかつに取ったら危ないかも

数年前にここから3キロほど離れた町内のさほど大きくない用水路のゴミを取った人が一緒に海まで流され何日か後に海で発見された事があった事を思い出したので一人で取る事は止めて
地元の管理してるだろう某役所に連絡をしたすぐ見に来てくれて
俺はすぐ取った方がいいと何度か言ったが危険なので雪解け水が減った時に取りましょうと言う
暑寒山系の雪が無くなるまで待つのかな?
その間に雨も降る俺は何回か手伝うから取って言うが却下
「野菜を売ったり、牛の世話をしたり、ものをつくったりとかと違って、基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち」の行政の人達の発言なので諦めたが
二日経って土曜日は気温もあがりさらに水嵩が増して来たが土日は某行政も休みなので自分で取る事に

 
ロープで引っ張るが全然取れん ロープやワイヤーは伸びて危ないのでチェーンとチェーンブロックで引き上げる事に

 
流木が取れて一気に水が流れてゴミも出て来る出て来るボンデンが出て来る処が浜


このあと残ったゴミを取除きミッション完了
堤防やテトラを登ったり下りたりと作業開始から掛かった時間は90分
流されてイワシの餌にならないで良かったぜ~
「 基本的に皆さま方は頭脳、知性の高い方たち 」もたいして頼りにならん事がわかった。

流木は俺のでない税金に払った銭返せ


予定では四国今治に上陸して香川を通り徳島から神戸に行きそこから敦賀に行きフェリーと思ったが寄り道ばかりで時間がなくなってしまったが今年秋にまた来ようと思う。
夜道は走る事はやめてどこだかわからん道の駅で車中泊をしたが問題発生FFヒーターが点火しない山陽といえども夜は寒い
シェルを木造骨格に交換した時に雨漏りを見る為に30ミリ断熱材を外してしまって
寒いので予備バッテリーを使い切るかもと思いながら電気毛布を使い寝る。


なんのコッチャ電磁ポンプの替えたばかりのホースが固くなって接続から空気を吸ってしまってる。
格安ヒーターを買ってホース類は日本製の耐油ホースに替えて使っていたが
この電磁ポンプのドラミング音は寝ていて結構気になるので外に移動した時点でホースの長さが足りなくて急遽付属のホースを使ったのが間違え  固くなってる部分を切取り繋なおして取り合えず帰るまで持つだろう。
ビニールホースは耐油ホースでない物に油を通すと固くなるのだ。

墓ばかり見て歩いたので祟りか
さすが夜の墓は恐いが昼間の墓は面白と思い恐い事はない
そもそもが幽霊も怖がらせていては誰も来んぞ
恐いのは生きてる人間の方が遥かに恐い その怖さは最初から怖そうな奴はまだマシだが罠に嵌める奴は恐くない優しを見せる。
この時期は新天地に行く者も多いと思うが知らない奴には最初から近づくな
呑み屋で知り合った知合いの知合いはまったく知らない奴と思え!
住んでる処は絶対に明かさない!メール交換などもしてはいけない!
これは新天地に行ったら鉄則
見るからに怪しい俺は誰にでも声を掛けるし、よく声を掛けられるが例外

 
銀の馬車 留萌にあったキャバレー銀馬車を思い出した。

 
生野鉱山寮馬車道

カーナビを見ると同じ銀鉱山でも神子畑鉱山とは尾根が違う場所にいる
いかんこの道の行き止まりを見てみたい誘惑駆られるがダメ
今回は最後の内地旅と思ったが意外と元気に過ごしているので再来できると思ってるがわからんのだ
敦賀までの途中で一日時間が欲しいので急ぐ事に

  
この播但地域は塀が好き 家より塀に銭が掛かってるのかも
何処か他所から突然移って来て銭があるからと立派な塀を作ったら
きっと揉め事が起きるだろうと思う
どう言う基準で塀を作るのか何か基準がありそうに思う。
これは大地の水と土が基本の北海道とは違う
この塀を作る心理は腕を組む人の深層心理に近いものがありそう

 
福知山を過ぎたあたりからみぞれ混じりの雨
冬の長い北海道にとってはこの季節が全然違う長い日本列島は商売上とても助かりメシの種は沢山ある。

 
ふらふら遊んでる時は元気いっぱいだが本当にまた再来出来るかどうかわからないので
ここだけは見ておこうと決めていた。
ここまで来たらあとはフェリーに乗るだけ運営資金が足りないらしいので・・・・・

未来は今の延長線上にあり今は過去の延長線上にあり
過去を知る事で自分の道が見えて来る事は間違えないと思うのだが

タイムアウト

魚泥棒クロテンは子育てをしてるのかも知れんので他所に連れて行って放すと安寿と厨子王 になるのでここで放免してやったら春の雪の上をぴょんぴょん跳ねて走っていった。


想像するに同女遊加の石は山が崩れて墓石が落ちて来たと言うより
何処からも苦情の来ない遊女達の無縁墓地に近年道路を新たに作ってそこにあった石を一か所に集めたと言うのが本当の処ではないかと思う。

アチコチ放浪して歩いて思うのは
他の国の事は知らんし一度も海外に行った事もないし行きたいとも思わないが
日本だけに限って思うには紆余曲折はあっても一歩づつ確実に良くなってると思える。
家族の為に娘を身売りさせる事もなく飢饉があって餓死者が出る訳でもないし
下手打ったと玄関先に青竹で封鎖され一族根絶やしや痛い切腹をさせられる訳でもない
その日のメシに困るなどは近代と比べても大幅に減って極一部の問題で
その多くは対処方法は現代では無い訳ではない
なぜにそう思うかと言うとテレビなので全部を鵜呑みする訳にはいかないが家族で縁も無い山奥に住んで自給自足で暮らしてる人達もいる
それは田舎に住めば食う事は出来ると証明してると思う。
日々暮らす中で不満の種は尽きないだろうが 足りないモノを探し続けるよりまずは現代に生きてる現状に感謝があって
そこからまた先に進む事を考える事が自分の精神衛生の為にもいいのではないかと思う


島々を繋ぐ有料道路を渡って行った先が行き止まりだった。

呉から四国上陸にはフェリーを使うつもりだったがこちらのフェリーは札幌バスターミナル並みに乗り場が沢山あって何がなんだかわからない さらに寄り道につぐ寄り道で
ここで敦賀フェリーまでの帰り道およそ490キロの行程を考えるとタイムアウトになってしまった。
諦めてもう一度10月には早めに休みを取って来ようと山陰に戻るが
カーナビもいいが今度は忘れずに地図本を持って来ようと思った。
今回は中華ソバを中心に食べていたが田舎道が多くそれも営業時間が昼2時間だけとかが多くあまり食べる事は出来なく
腹減ってここまで来てと思ったが東広島で山岡家ラーメンを食ったが北海道と同じ味だった。

また何処かで寝ていざ敦賀に

石に刻む

自民党の処分が出揃ったが石に刻みそうな勢いで怒ってらっしゃる先生様もいるが未記載はそもそも自分らで決めた法律違反でしょ、
それは自民党ではなく検察が処理すべきものだと思うのだが
なぜ検察は途中で止めて起訴をしなかったのか思うに二つ
ひとつは86人を全員起訴をしたら政権与党は成立たなくなる事から忖度して途中で起訴を止めた。
もうひとつは加計、森友、サクラと安倍晋三長期政権が握った人事権で育った検察内部も腐ってる。
どんなに支持率が下がろうが言われようが岸田首相は安倍晋三長期政権残党狩りをしなければならない
金儲けが上手い自民党は儲けて税金を集める、野党はその税金を使い金儲けに散々コキ使われた下々を助ける。
与党と野党が両方共に助けあってこの土地に生きる者が幸せに暮らせる道を進むのが政治だと思うのだが


脱輪からデフロックを使い脱出してさらに進んでやっとこさ付いた先が

 
下蒲刈 家と家の間が軽がやっと通れる幅


下蒲刈 瀬戸内海の海上交通の要衝として栄えてきた町で、江戸時代には朝鮮通信使も立ち寄った地
残念ながらこれは移築した施設なのと内部はなぜか撮影禁止
暇そうで見学者は俺一人だった中に説明大好きオヤジがいて考える隙間も与えずに付いて来てずっと自分の話をしゃべり続けていた。
中に朝鮮通信使の立ってる人形があったが背丈が俺と同じ170cmあった。
渡来人は比較的大きかったが江戸時代に実際にそんなに上背があったのかとオヤジに聞いた
「 朝鮮通信使はお客さんだから大きく作った 」とオヤジは言った
江戸時代から忖度は有ったのだ。


すぐ裏には瀬戸内海がありその流れの速さにびっくり その速さは川と言っていいと思う。

 
なんだなんだ何処かで聞いたような


ここだった。この歌はこの橋を渡って島々の地名を順番に歌ってる事がわかった。

 
こう言う路地を歩くのは大好き どんどん先に歩くと


出ました墓が 観光案内所で後から聞いたところ山の上にあった墓が崩れ落ちて来て縁者の無い墓をここに集めたらしいとの事だった。

 
寛政6年 同女遊加や安永6年高橋市なにがしの文字が石に刻まれてる。

 
十三才や四月ナ?七日なにがしや判別出来ない石もあり遊女の墓らしい
それでも亡くなった後に誰か思い人(おもいびと)がいて海の見える丘の上まで運び石にありったけの字を刻んだり字の書けない者はただの斜めの線のような印(いん)を刻んだと思う石もある。
字を刻む銭がある者や字を自分で刻む者や字を書けない者も思う人が息が絶えても躯と石をその高い丘まで運ぶ思いは何も変わらんかったのだろうと思う。

この海に囲まれ閉塞された地では漁師か野菜を売ったり、あるいは牛の世話をしたりとか、あるいはモノを作ったりとかで識字率は低かっただろうと想像されるが
字や知識を覚えてる事と内面の思いや前に進もうとする事はまた違ったものがあるような気がしてならない
俺が思うのだが社会に出たら目の前の問題を様々な角度から自分の眼と身体で見て調べていく事をしないと家族は食わせていけない
ある意味高校までは知識の吸収だが社会は常に自分で知らべ探求する
その様は社会は大学と何も変わらんのではないかと思う
義務教育も中途半端で高校も大学も行った事ないから知らんけど

魚泥棒


ここにはゴーストライダーの様に姿は中々見せないが色々な動物が住み着いていて
干してる魚がいい塩梅に干せた頃に夜陰に乗じて無くなってしまうが
今週は高さ3メートルの場所に魚を干して大丈夫と思っていたら美味い魚ニシンとガヤが無くなっていた。
犯人はアライグマかと思い役場に頼んで罠を仕掛けて貰ったら
コイツが犯人で眼が可愛い尻尾と足が黒いのでクロテンだった。
倉庫の天井から吊り下げていた太さ1センチほどのウインチ配線コードを登ったらしい
西部劇では馬泥棒は即縛り首 当局に引き渡すか さ~てどうしたろうか!

道間違える

そこそこ長い人生で何度も道を間違える性格なのだが俺も相当性格が悪いと思った
紅麹ニュースを見て思ったが和歌山工場に立入検査をした厚労省の役人は何処から歩いて来たのだろう
ニュースを見る限りでは工場には駐車場もありそうに見えるが
なんの為に役人はわざわざ歩いて工場に入ったのだろう。メディアサービスか

 


おいおいグーグル先生この道案内はほんとかいな ここで車を落としたらJAFはこんぞ


ミカンを運ぶモノレールで想像するには急カーブ脱輪をこのトタン板一枚で防いでいるのかも怖すぎるぞ~

内地は何処でも墓があるが今まで見て来た墓とはちょっと違う
狭い場所では平らな処は食糧を作り畑に出来ない急斜面や家のすぐ裏に墓を作る事が多いがここでは墓参りに行くにも大変な高台に作っている。
内地の各地の奥地に行ったがこんな高台に墓があるのはかなり珍しい
なぜだろう?
目指しているのは「歴史が見える丘」に向かってるハズなのだが歴史も何もミカン山しかないぞ
何かがおかしいここで不慣れなスマホで情報を取ってる事に気付くべきで地図本を持って来るべきだった。
この後で無理くりUターンして側溝に脱輪をしてしまいやっとデフロックを使い脱出するが
かなり時間を無駄にしてしまい「歴史が見える丘」は等々行く事は出来なかった。
スマホに変えた事や一度思い込んだら中々修正が出来ない性格が災いしてる

今もつくづく「歴史が見える丘」に行かなかった事を悔んでいるクッソ~秋に再度呉にいくぞ~
今から贅沢は敵だ~何か手放す物さがして売り飛ばしまた千円貯金をしようと気持ちを切替えて日々生きていくぞ~

皮脚絆の街


鉄のくじら館の下にあったバイク
呉れのご当地ナンバー 下の赤い部分が船底を表し右の切 欠きはバルバスバウを表してる
これもびっくりだがバイクのナンバーの下地色は全国的に決められていて50以下は白 51から90は黄色125はピンクなのだが
126cc以上は車両番号で125cc以下は税標識番号と呼んでいて税金を払って市町村の道路を使っているかと見る為のナンバーで交付や使用方法は市町村に権限があり
簡単に貰う事が出来るし現在はご当地ナンバーで色以外はデザインは比較的自由に出来るのだが
びっくりしたのはこのバイクは下地が白いので50ccか250ccがあるが250はご当地ナンバーは無いと思うのだが50だろうかそれにしても車体が大きい車種はなんだろう
長い事バイクに乗り続け今も乗りもせんのに数台持っているので
早く売って銭にして次の路銀にしよう。
車旅も長距離は身体がだんだん辛いのでフェリーの往復料金が6万8千円なので今度は格安飛行機でマスクして目的地に行くのがいいなかと想い始めてる。


コンテナ船とポンプ浚渫船のパイプ
このパイプで海底の砂や泥を吸い取っていくポンプ浚渫は道内でもアチコチで昼夜止める事なく作業員が働いている。


周辺を掃除していた昔は呉れで超元気だったろうと思うオヤジに綺麗なカチ上げですねと言った。
そのオヤジは造船所で働いていたそうで色々話の相手になって呉れた。
俺が若かりし頃借金の方に包里で皮脚絆と皮前掛けを付けて毎日毎日溶棒を溶かし続け
危険回避の為に大声で張り詰めた日々があった事を思い出していた。

呉で車中泊する場合は大和ミュージアムの有料駐車場が24時間使えてトイレもあるので便利でもう一泊したかったが
一度も行った事がない四国に渡り讃岐うどんを食わねばならんと泣く泣く諦めて
何処か高台から皮脚絆の街、呉れを眺めてと思ってグーグル先生お勧めの高台にドンドン進む


下の集落から登って来たのだがなんか凄い処に行かされ道幅は軽がやっとバックで戻るも怖いので前進あるのみ


もし下から登って来る車がいたらすれ違う場所が無い農作業車に迷惑だと思って
ここでユータンをしなかった事が後で困る事に