修羅場になったら言葉はほとんど意味はないとずっと思って来た俺にとっては言葉だけではほとんど信じていない
テレビを見ていて芸能人が事前の打合せで知ってるはずなのに大袈裟に騒ぐ姿にケリを入れてやりたくなるのだが
昨日のNHKを見てから、いま凄く口が上手くなりたいと思う。
何かもっともっと臨機応変にどうでもいい口が上手くなりたいと思ってる。
コンビニで明日への希望も無く クソ寒い陽も上らん朝こっ早くから義務教育も行かずに働く子がいるなど許せん
なんぼ腹減ってもいい、身体が辛くてもいい、だが希望だけは持って欲しい無くさないで欲しいと思う。

でもそう思っても 俺のただの遠吠えに過ぎない
もしかしたら今でもどこかで出会ってるのかも知れない 
朝コッ早くから道路に居る警備の若いネエチャンや若い衆かもしれない
決して目を合わそうとしない危険だが稼ぎのいい潜りの若い衆かも知れない
ドン臭い俺が気付かづに居ただけなのかもしれないと
これからは年端もいかない子が働いていたら気の利いた事を沢山言えるようになりたい
その子がわずかでも笑ってくれるような気の利いた面白い事を瞬時に言って
またそんなバカオヤジが自分の仕事場に来ないかなと思って貰えるようなそんな気の利いた事を言いたいと

これから浜はシャコの時期が来る 北海道のシャコはデカい地元では倉庫と

無性に腹が立つ

弁天市場の空いてる敷地に他の場所に持っていた、築80年は超えてるだろうと思う家を壊して その木挽鋸と釿で作られた頑丈な材料を使って、東屋をおっ建てた。
ブチ壊すの大好きな俺は、よせばいいのに大工の春さんの古い家の解体を手伝って屋根に上がったのは、いいが腐ったマサ屋根を踏み抜いて頭を梁にぶつかりならが落下したが途中に引っ掛かり運良く首が痛いだけで助かった。
ナマンダブ~、

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帰る家を無くした生活が長かったせいか家には執着があり結果 
俺には余るほどの家と空き部屋を持っている。
すべて自分の手で真っ当に働いて稼いだものだ。
そんな俺は思うのだが年端もいかない若い娘が学校も行かんで明日への希望も無く、ネットカフェで長期に家族で暮らしてるなど そんな事があるなどそんな馬鹿なと思う。
野郎はどこに行った、そんな無責任野郎の根性無しはチ〇コ切り落とせ。

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ここ弁天市場では都会から来た若い娘がラーメン屋をやりながら自活してる。他に居候が一人とその他一人と間借り人一人 家賃収入は建物全体では全くの赤字だがそれでも何とか維持をしようと思う。
それは自分で言うのも恥かしいが、これからの将来ある子の何かの助けになればと思うのと自分の自己満足の為でもある。
俺には余るほどの部屋もあるし支えるだけの器量もあると思う、それなのに
今夜NHKで見た稼いでも稼いでも若い貧困の子がいる事などは許されない

隣のタラコを作ってる水産加工会社グルメ食品のバスには従業員募集の広告が書いてあるし。
住む所はここに沢山ある。
山に行けば山菜も沢山ある 
連休初日の昨日と今日は多少の手間と仕入れはゼロ円で山菜はお情けも含めて7、000円ほど売れた。、

そんなに困ってる奴がいるなら なんで上手く接点が繋がらないのか
こんな貧困を放置していて美味い酒など飲める訳がない
それは社会が悪い役所が国が悪いとか四の五の言って他に転嫁して済む話ではないような気がするのだが
なんか頭のいい奴が考えてばかりで四の五の言って何もせん そんな奴らに無性に腹が立ち始めてる。

ここで食う心配無く一旦休憩して通信教育を受けるなり栄養を取って力を付けてもう一度チャレンジするなり明日を漠然と夢見て布団で足伸ばして寝て
夕方になっても寝る所の心配もせずに
普通の生活をする為に永住するなりしたらと思うのだが
そんな事をさせてやりたいと考えて実行出来る奴は日本のそこら中に居ると思う
なんで上手く接点が繋がらないのか何か上手い方法はないのか 考えた奴に大盛りラーメン一杯タダで食わそう。

言いたい放題 滋賀県 完

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訂正 なんか路銀の計算が合わないと思ったら帰りのフェリー代をカードで払っていた。
全部で6万5千円ほど使っています。

舞鶴から小樽に行く「 あかしあ 」の船尾船内 大荒れで誰もいない
船酔いする俺は酔い止めを二錠も飲んでムッタシきて寝てばかりいたが目を閉じると余計だめで何もかも敏感になってしまう。
エンジンの振動は「あかしあ」の方が少なく感じたがシケで僅かなブローチングも身体で感じる。
16000トンもある船がブローチングを僅かでも感じるのはフェリーだからなのか当て舵のせいか
いちいちこれから揺れると船内放送する細やかな気遣いと言うか 注射しますよとわざわざ目の前で空気を抜くシーンが思い出す。
船内は真っ直ぐ立って歩く事も出来ない状態だった。

そうそうフェリーには乗らないが臆病な俺は乗船時には脱出経路は必ず確認する万が一あった場合はトラックの乗船口から水が入った場合はエァーポケットとバルクヘッドが少ないフェリーはひとたまりも無い事は容易に想像出来る。
が今まで乗ったフェリーは乗客は自分の部屋の通路に出ると、どんな形で沈んでも、たとえ船首が先に沈んでも出れる。
船首が先に沈む事は船の場合はあまり無いし仕事柄今までの何度か見た沈没でも見た事が無い
豪華客船は知らないがフェリーは沈んでも通路に出れば そのまま直進か一回だけ曲がれば必ず外に出れるような構造になってる。
ただし救命胴衣を着けてる事と出口ハッチを誰かが中か外から開ける事が必要 

どんな船でも推進力を失った船は流木以下になるので
機関場の人間は逃げる事は無いはずで一番下にある機関場の修理や維持スタッフは最初にアウトになる。
それが修理屋の醍醐味でもある

エンジンが止まったら小さな船なら何かをロープに繋いで流すと良い 船尾から流すか船首から流すかはその時の状況による。
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やっとこさ小樽に着く

旅の途中でとうとう前期高齢者になってシマッタ。
今回使った路銀は銀208匁 
フェリー代 増税前15、800円 増税後16、260円 コンビニや宿泊費などレシートがあるものは20、712円 他にレシートが無い物はせいぜい5000円程度 合計57、772円ほど
6万を持って行ったが途中で根性無くして フナ寿司も食わず 
タカノハ貝拾いもせづに切り上げたので路銀が残ってしまった。

若者よ悩んだら旅にでょ 
その時々の雨にあたり風に吹かれ情けを受けて強くなるのだ。
角を曲がったらそこから旅と言ったのは泳六輔 
ルイス、フロイスが信じる所の西洋の神は己が乗り越えられる苦労しか与えられないらしいぞ!

言いたい放題 滋賀県

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県境で雨にあたりながら舞鶴に到着

最初に通った、近江今津に出て琵琶湖をやや一周したが途中に琵琶湖大橋を通ったので正確には比叡山を端折った。
40年ほど前に高給に引かれちょっと危ないオヤジがやってる職場に変わった。
数週間後にはその会社は破たんして身一つで山奥のトンネル現場に数人と一緒に堀投げられた。
現場に入る修理屋はメシも宿もすべて会社持ちなので 金は無く飯場の冷蔵庫をあさりしまいにはアユの稚魚をすくい春菊など野菜をカッパライ食い繋いだ日々だったが どんなに困っても会社も変わり今更泣き言は言えない 
やっとたどり着いたのは大阪の日本橋のある場所だった落ち目になる時はとことん落ち目で
そんな大阪も転がり落ちる落ち目の日々 
そんな中でも大阪人の商人の誇りと東京に対する二番手の誇りを沢山教えて貰った。
最後に国に帰れと渡された金で気が付くと飛騨高山の駅に居た。
チョットだけ不良になった恥ずかしく真っ暗闇な一時期だった。
すっかり変わりどこがどこだかわからない 
来て見て他の選択肢は沢山用意されていたのに選択肢は自分にあった事を確認した。

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行く先々でみな桜が綺麗だと言うが色合いだけを言えば北海道の方が綺麗だ。
だけど食う訳でもないし色がどうでもどっちにせ誰も困らんので綺麗ですねと愛想をいい続けてきた。

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言っておくが昔の大型バイクに乗ってる時のヘルメットなので顔はかなり狭められて実態と違うと思うのだが 足はヅブ濡れ状態で買い物袋をガムテープで防水してからなんとか少し暖かくなった。
最近の内地旅行は天気に見放されてる。さっさと圀に帰れと言ってるのかもしれない 
もう内地には来る事は無いかもしれないと思いながら舞鶴のフェリー乗り場に3時頃着くが待合室に休む椅子が全く一個も無い
二階の通路は閉鎖されている。小樽とは全然違うセコイ内地人のセコサがもろに出てる。
深夜0時5分に出航まで時間があるので何がなんでも休む事にした 玄関先のアスファルトに杭を打ってテントを張ってやろうかと思ったが面倒なのと帰る間際になって天気が晴れて来たのでキャンプシートを玄関先の外に敷いて防寒着のままテントをかぶり寝てやった。
疲れが出たのかすっかり気持ち良く寝ていたら強面風のどっかのオヤジに寒くないかと起こされた。
フェリーの職員は誰もが中に入れとは言わないが、そのオヤジは声を掛けてくれる。
俺は名古屋の駅裏で声を掛けられて道を変えたし大阪の天王寺公園で声を掛けられて生延びたし何時も声を掛けられて生きて来た。
この年になって
「お前に義理を返して貰うほど安くないぞ そう思ったら困ってる奴がいたら声を掛けてやれ」
と言われた栄生のオヤジや大阪のオヤジに少しでも近づいたのだろうか

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大シケで運行が遅れてるフェリーに4月7日深夜乗船

言いたい放題 滋賀県

4月6日
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内地でよく見る隠れ里
集落の入り口に最近人が来るので迷惑してるような事が書いた立て看板があった。
林相もかなり標高が高い事が分かる場所にある。
来てしまってすみません

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在原業平の墓
杉林の中に小さな地蔵さんだった。
安東周造タイプのおとっつぁんがいたのでどっちの方角に行ったら天気が良いかを聞くが ここから出た事がないのでわからんと言われた。
もっとも在原集落は出る道一本入る道一本しかなくおまけにかなり急で狭く険しい車ならすれ違うのは難しい

話はそれるが近年よく朝の連続ドラマは見る、それも毎日二度も見るのだが半年も見て前作が終わって、たった一日でまったく違うドラマを見るのは元嫁さんの先を見届けないうちに次の嫁さんと言うようで抵抗がある。
「梅ちゃん先生」で戦後の焼野原に立つなんと言ったか忘れたが 子供が焼け跡から何かを拾う姿はまるっきり自分の姿を見るようだった。
ガキの頃に学校から戻ると隣にあった綿工場と共に自分の家が燃えていて
いまでも焼け跡にあった自分で作った冬の食糧のジャガイモが忘れられない
それまでも水道も電気もない原野二線の貧しい集落で父親はどこかに行ってしまい さらに帰る家を無くした一家はその後は誰を間引きするか
だった。
 次男坊は首を絞める代わりに内地に行く事になったが いま思えばそれで良かったしその事が無ければ今の自分は無いと思う。
そんな訳でたった一日で全く違うドラマを見る事はしない
連続ドラマは最低でも一週間は見ないし大河ドラマは最低一カ月は見ないし
別れて二十年近くになるので次に若い嫁ッ子と思ったら年食ってシマッタ
最近は安東周造、石橋蓮司のような根性がありながら弱そうに見えるそんな年を食いたいと思ってる。

奥深い田舎では数百年前と思われる墓でも花や何かしらの供物があるが在原業平の墓は朽ち果てていた。
食うや食わずの山間の村人にはあまり良く思われていないのかも
ここ在原は少し昔まで根性出して行く気にならなければ行けない場所にある。
内地の隠れ里は北海道と比べると不思議な事に小さな集落でも大概は子供の姿を見かける。
学校はどうなってるのか誰か教員免許を持ってる人でも居て寺子屋でもあるのか
いつも不思議に思う 
でもこの在原集落が成立つなら北海道での自分の生活の仕組みがまた変わってくると思うのだが

 

ビーチング

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留萌と増毛の圀堺の礼受にクジラが浮いていた。
留萌港のクレーン船の通船修理をしに行った時に発見
大きさは20~25フィートくらいかクジラもこうなるともあわれ粗大ゴミで
修理中に顔を見たクレーン船の頭に聞くと役所から回収の打診があったとの事 
沖まで引っ張り出しクレーン船で吊るのだろうが現場はクレーン船の係留場所から迂回し10キロほどの場所で深さも1メーター程度の遠浅が数百メートル続く場所なのでクレーン船や引き船やロープを掛ける通船や埋立場所までの大型クレーン車で運搬など百万単位の大変な出品になる。
財政の大変な留萌にはご愁傷様と言うしかない
市では出しの風が吹いてクジラがどこかに流される事を願ってると思う。
付近には小さな崎があるので潮の流れから行くと次は数百メーター隣の増毛町か
昨日朝に留萌に行く時に見たらもう無かった。
クレーン船が出動したような形跡はなかったので出し風でどこかに行ったのかも
それだけの銭があったら市民奉仕が出来るものをと市幹部がハチマキ頭にロウソクを立って風よ吹け~とお祈りしてる。
姿が見えるようだ最近の留萌市役所は俺がいた時とは全く違う皆なんか真剣で一生懸命

もし沖に流されたのならしばらくは離岸流と巻潮でこの増毛沖辺りに漂うだろう沿岸航行は注意が必要

先月は隣の阿分から流された人は別刈漁港内で発見されたが地形を考えるには、どうして別刈漁港内にすっぽり入るのか不思議
よほど帰りたかったのか

言いたい放題 滋賀県

移動の途中にヤンマーミュージアムの看板発見で寄って行く事に
感想は幾つかの企業ミュージアムを見た俺にとっては
綺麗だったが創業者崇拝風でうん~だった。
エンジンはダイムラージーゼルエンジンとヤンマーが一台のみの展示 もう一台は俺も持ってるのとほぼ同じ物
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世界最初のジーゼルエンジンだがOHCでスイッチを入れると回転して動きが分かるがせめて部品の説明や行程の説明が欲しい
このエンジンは創業者がダイムラーと仲が良かったから貰ったとかナンチャラカンチャラと書いてあった。

夜になり雲の動きが見えないさらに風と霙が酷くなる確か風の方向は西からだったと思うので山を越えて福井県に入る事にしたが
琵琶湖は海ほどではないが大荒れと向かい風でバイクは時速30キロ程度しか出ない暴風域を抜けるのはいつのコッチャと思いながら走るがやっと敦賀の駅に到着 ずぶ濡れでまず風呂に入らないと宿探しをして宿に入る。
一息ついてから、ここまで来たらと街の探索に出る。

おっと北海道知事賞などと書いた大きな木の看板発見 北海道でたまに見るチェーン店のラーメン屋
入って見ると俺よりはるかに若いのに可哀想なくらい疲れた風のそこそこの年齢のお姉さんが一人でやっていた。
俺はこうなるともう駄目で 色々想像してしまう。フェリーで新天地の敦賀に来たのか、連れ合いはどこに、置き去りされたのかなどと思ってしまった。
さらに決して美味いとは思えないラーメンとやたら品数の多さ ラーメン屋は品数が多くすると作業の流れが悪くなりさらに材料が無駄になる。
儲けていたら品数は少ない方がずっと有利でタコ焼きがいい例で一品物の店でパッとせん店やパッとせんタコ焼き屋などは無い
駅前のせいか数人のお客さんがいたが値段も800円とかなり高かった。
きっと年金も払っていないだろうに先が見えるようで
あまりにも可哀想で北海道に連れて帰ってラーメン屋をさせたかった。

疲れか今日は呑む気にもなれない さっさと宿に戻り寝ようと街を探索しながら歩いてると喫茶モンシェリーの前でいかにも田舎の子と思われる女の子が安物のビニールバックを持ち手を振っている。

藤木海運ビルの前で 六番町のガード下で 三の丸の前でと 中に入って待ってればいいものを、こんな光景を見た事が何度もあった。
沢山のものを捨てさった人生がよぎる。
その子は似たような年代の女の子と待ち合わせだった。
どんな子でもささやかな幸せを送っていって欲しいと思ったし、それを保証するのは後の無い年寄の仕事かもしれない

4月5日人生ケジメの日 朝もやはり雨だった。
けじめとしてどうしても琵琶湖を一周せんといかん
内地の運転手はみなバイクが邪魔だと煽る事もなく走る、
後ろに渋滞が続くのでバス停などがあると除けて走るが申し訳ないのでなるべく国道は走らないようにしてるのだが。
滋賀県に入りさらに雨が酷い地図を見る状態ではないが標識を頼りに高島に向けて走る。
高島境に来てさらに暴風で雨が酷いこんな時は山に入るのが一番と空の晴れてる方向に走る。
スノータイヤを履いて来るべきだったかも思いがら近道と思わる 通行止めを無視して突破する先にあった場所は
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言いたい放題 滋賀県

4月4日
前日は天気予報は外れ雨には当たらなかった。
宿泊は一度楽してしまったので近江八幡駅前のビジネスホテル 第一ホテルに泊まる5100円部屋の真ん中に柱があるがいいかと聞かれた。人柱でなければ構わんと泊まる ここのフロントマンはご先祖様はきっと旅籠の主人ではないかと思うくらい頭が低く愛想が良い 湖西地方とはなにか違う。
夜は駅前にある焼肉屋良で一杯呑むメシと酒で三千円少々 地元の土建屋のオヤジ達らしい人の話を聞きながら呑む
滋賀には最盛期には荘園のような形の城が160前後有ったらしい こうして酒を呑みながら地元民の話をそばで聞きながら領主の人柄などを値踏みしたのだろう
誰もが明日をもわからん戦国時代にはいり誰を倒すか誰と組むかは大問題だったろう 裏切りそうな奴やハシコイ奴などそこでの諜報活動に身を隠して諸国を回る物売りなど他国者は警戒されたのが今でも習性として残ってる感じがしてならない
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安土城址の駐車場 なぜか二輪車はただ
開園と言うか開城と言うのか9時からで駐車場整理のオヤジと30分ほど雑談したが何せ詳しい織田の生残りかと言うほど詳しい
最後に言われたセリフはもっと勉強して来たらもっと面白いと言われた。
う~ん駐車場のオヤジは穴場かもしれんと

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なだらかに見えるが角度は優に40度近い上に どこの城も石段はバランスを崩すように作られてるので登りづらい
ほとんど登山に近い

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所々に元地蔵さんや元墓石などを敷いてある中にはハッキリそうとわかる石仏があり誰が置いたのか簡素な入れ物に銭が入ってる。
ほんと内地の人は信心深い

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年齢の割に身体を鍛えてると思ったが駐車場のオヤジは20分から30分で登れると言ったが
そんな時間では無理 途中何度も挫折しそうになったし石は前日の雨で濡れていて何度も足を滑らした。
足を滑らすと顎が前の石段に打ちそうになるくらいの急勾配を登り切って琵琶湖を眺める。

天下布武じゃ~
天下布武とは暴を禁じるとあるが信長には言われたくないと思うのだが
ファミリーの身内に裏切らては世話ないべ御身の不徳の致すとこじゃ~
俺は安土城を燃やしたのは秀吉ではないかと思うのだが

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誰が積むのかこの置石は内地の山奥に行くとそこかしこにある。
積んだ人に何しに積むのか聞いてみたい

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無人のお寺で手入れはあまり良くない ここまでは来るには大変
受付の奥に小屋がありそこに、この山を手入れしてると思われる人がいるが話を聞くと面白過ぎて1時間位はすぐ過ぎる。

雨が本格的に降って来たのでお暇(いとま)をしたが
内地に来てからから見ていた内地のテレビ天気予報がおかしい変だ。 一局だけかと他局も色々見るが変だと思う。
天気に身体を張ってるので天気を見るのは多少は上手い方と思うが、
わかりやすくと天気図が絵なのは確かにわかりやすいが
午前と午後の天気を見ながら広域に移動するには、天気予報は県内のみで簡単に分かり易くとなってるのかも知れないが仇でこれでクレームが来ないのは不思議 午後から雪混じりの強風域に入り酷い目に遭う。
さらに道はおそらく昔の領土の色合いが強く残ってるせいか
これが国道かと思う、いきなり狭い曲がりくねった道がある  これはご先祖様の土地は何が何でも売らない通さないなどと言う内地に良くあるパターンでそんな所を通る奴にも問題があるとは思うが
第一ホテルの朝飯掛かりのお姉さま達が甲賀方面には道が複雑で行けないと言った意味が分り全身南無阿弥陀仏状態になる。
油断と思い違いで北海道人は雨には弱い事も分かった雪は払えば落ちるが雨は染みこむ 
ゴアテックスの防寒着でなく完全防水のカッパを持って来るべきだった。
雪に桜 風流じゃ~風流じゃ~茶釜を持て~
夜になり一旦敦賀方面に避難したがさらに甘さが

言いたい放題 滋賀県

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そこら中に地蔵さんがあり聞くと一軒に一つあるとの事

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式内奥津島神社ここまで行くには急な崖に近い階段を登るので大変
絵馬は500円でそばの竹筒に入れるようになってる。
500円を入れたが年寄になって今更何もお願いする事もないが世界平和と帰るまで雨が降りませんようにと書いた。

滋賀は権力地京都に近いせいか様々な職業に朱印状を発行してる。
中には全国の森に入って木を切る事を許された「ろくろ氏 」などなど天皇によって出された物や時の将軍によって出された朱印状は絶大な効果がある為に全部が本物とは限らず中に偽物も沢山あったのではないかと思っている。
朱印状を見せられても山奥の田舎武士に至っては実物を見た事すらない者も沢山いただろう。
そこには本物と判断する根拠はやはり人その者ではなかったのか
戦国時代には書付や朱印状を手に諜報活動をしたと言う様々な業種で薬売りや棒手振りなど偽物を本物と通用させる為には言葉も重要だった思うが言葉を発する前の職業を表す
 大工は釘袋を下げ修理屋は手を油で汚し立ち姿や動作や信念が重要だったと思うのだが
俺は何が嫌いと言って釣り銭を相手の掌に着く前に捨てるように離す奴。
手を握られると思ってるのか手は汚れてると思ってるのか その程度の客商売根性の奴が大嫌い
世が世なら投げ銭か~と叩き切ってやる所だが、あいにく刀の持ち合わせがないので切らない
ついでになぜか都会で足に合わないブカブカの靴を履いてる奴は男女共に大嫌いで
前を歩く度に、かかとがパンクンパックンと外れる姿を見ると戻れるうちに田舎に帰れと後ろからブ殴ってやりたくなる。
逃げられた元嫁さんには御足代を渡してるので、そんな事は決してないと思う。

元留萌農協組合長は富山平村の百姓出身で先祖からよく落武者狩りの話を聞かされたそうで
話によると同じボロボロの落武者でも狩られる者と逃がして貰える者との違いがあるそうだ。
生死を分ける境目は立ち振る舞いと凛とした信念だったとの事だった。
全く同感で言葉にする前の自分の人生を職業を凝縮した動作立姿をしたいと思う。

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島内はなんでも自分で直すらしい見てると苦労してる様だったのとチューブの入れ方を間違えてる。
長年その方法でやって来たのを通り掛かりのよそ者が口を出すべきではないと思ったが
やりますかと言ったら やって言いというのでやって見せた。がまだ理解をしてないようだった。
どの道、車など全くない島では車輪が正確に回れば命まで取られる訳ではないし たいした違いは無いので組むのを一緒に手伝った。
4人のお年寄りからじっくり話を聞いた一番長く聞いたのは西居さんと言う御爺さんで浜で二ゴロブナの下こしらえをしていた御爺さんはフナの腹を切らずに浮き袋とハラワタを散り出す方法いとも簡単にやって見せてくれたが熟練の技だった。
みなそれぞれに源氏の流れを誇りにしてるように感じ 
通りすがる人に源氏の子孫ですかと聞くと冗談もあると思うがみなそうだと言う。

島は最初は7人で始まってるので同じ氏が多いが
この誰もが親戚のようなバン飯に何食ってるかもわかる島になぜかそれぞれの家に表札が掛かってる。
爺様達にはなにか北海道とはまた違う自分の出自に誇りというものを話の端々に感じられた。

言いたい放題 滋賀県

本土側には大きな屋根付の駐車場があり島民はそこに自分の車を置きっぱなしにしてるとの事だった
よいよ乗船 
通船は本土側は船時間と書いてあるが沖島側はバス時間と書いてあった。
最初は島にバスがあるのかと思ったり、なにかバスに憧れなどがあるのかもと思ったが謎は帰りになんとなくわかった。
沖島まで10分掛かると書いていたがもっと早く感じた。
きっと所要時間は昔の表示のままなのだろう 見てると料金500円のお金を払う人、黄色い回数券のような物をちぎって渡す人、まったく払わない人と三様 年齢はまったく関係ないので顔パスか力関係か何か独特の決め事があるのだろう。

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島の自販機 お金を入れてボタンを押すとちゃんと出た、沖島の名誉の為に言っておくが島の唯一の大通りにも自販機はある。
この自販機はみなと屋さんと言う店の物らしいが本日閉店で島内ではメシは食えないことに
俺は港にいたオヤジから聞いていたので山を一つ越えた所まで戻り食糧を買ったが そこの店の40代と思われるお姉さんは沖島には行った事がないと言う。

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幅3尺から4尺程度で割と広い通り それでも三輪自転車がすれ違う事は難しい
ここに観光客が船時間でどっと入りお金も何も使う所がなく お金が落ちないうえにプライバシーも何もあったものではないだろうから、そりゃムッタシ来るのはわかる。
せめてすれ違う人には挨拶は必要と思う。

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個人経営と思われる博物館 入館料200円で見たければ電話を掛けて小川さんを呼ばなければならない たった一人では申し訳ないので通り掛かりの人にも今開館するから一緒に見ましょうと声を掛けてみるが高いだの安いだのと四の五の言うセコイ関西人風を6人を誘い込んだ。
中は20畳ほどの広さだったが展示物の鬼瓦に菊の紋が有ったのにはビックリした。
聞くと皇室とは縁があるらしく表に出さない品物が沢山あり皇族がたまに来るとの事だった
元々は源氏の落ち武者の流れを組む7人だけの島だと説明してくれる館長の小川さんと言うかなり高齢の人は思わず元は先生ですか聞いたほどの風格が有ったが元漁師との事 

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島ただ一軒の喫茶店で珈琲とお茶と若干のお菓子のみ
この狭い通路に『いっぷくどう』と書いてあるだけで「いっぷくどうですか」と言ってるのか「いっぷく堂」なのかと思ったが
戸を開けようとした時に突然昔読んだ本を思い出した。 
寒村の砂丘に女が一人住んでいて そこに迷い込んだ男を繋ぎ止めようとする本があったな~と思い出した。
最後は確かブチコロして砂に埋めたと思った。
あれは誰の作品だっだか松本清張の奥能登「ゼロの焦点」だったような違うような気がして思い出せない
松本清張は一部しか読んでなく、それも面倒な漢字は適当に読んでるが松本清張は社会派と言われるが、そうは思っていなくてどちらかと言うと娯楽小説と思っている。
ちなみに松本清張は作品中で登場人物をかなり滅多らやたら沢山ブチコロシてる部類の作家だと思う。
俺は一人暮らしなのでアリ地獄だろうが、なんだろうが一向に構わないのだが、
などと思いながら戸に手を掛けるが
まてよ~女お笑い芸人のあのなんと言ったか片方は結核だか何だかになった、
痩せた女の相方のメガネ女みたいな店主だったら引くな~などと思いながら思い切って戸を開けると
唇は山口百恵で目は小雪風できっと化粧したら映えると思うスッピンでも充分綺麗なお姉さんだった。
珈琲を頼むが 
「時間が掛かるので帰りの船に乗り遅れますが構いませんか」と言う。
お~お~来た~来た~アリ地獄と思ったら思いっ切り笑ってしまった。
看板がどこからも見えずらい事を言うが
「御縁ですから 」と言う。
さらに笑ってしまった。
沖島出身で島に戻って来て喫茶店をやってると言うお姉さんはきっと変な奴が来たと思ったろう。

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登るのは急で大変な所にあった神社から 昔どこかで見た景色でこの感じはよく夢に出てくる。
一度も行った事が無いはずなのに以前に来た事があると思う事がよくあるが何か理由があるのかと考える。