森本正義さんについて 

トラの威は借りるわ、やりたい放題やるわ、嫁には逃げられるわで
思い出すと恥ずかしい事ばかりだが
逃げられた嫁さんとの仲人であり留萌商工会議所副会頭であり地元信金の理事で当時の日産自動車の大株主でもあった森本正義さんには本当に多くの教えを頂いた。
大戦中は戦車隊にいたが生涯、車の免許を持つ事はなく宮園町の二軒長屋から留萌駅前の会社まで毎日、竹の五升籠を持って徒歩でおよそ2キロの道のりを歩き通し道々の商店に
「 儲かってるかい 」と声を掛け続け
商店の悩みや困り事の相談にのっていた人で地域を歩く事の大切さを教えて貰った人だった。

いまこの歳になって言われた事の意味に初めて気づく事も多く
中でも「 宣伝はしてはいけない住んでる土地に求められる商いをしなさい 」
全くそうだったと今更ながら思っている。
もし早くに気付いていたならと思うが後の祭りなのだ。

商いの大小でなく、その土地に必要とされる物や技術が無理なく食って行く為には必要で
自分が幾らこれはこの価格と思っても浜の物が溢れている土地で一杯5000円の丼など観光客で一時は売上が上がっても通年では経費すら賄えない事が起きて
結果は更なる価格上昇で地元との乖離が大きくなってゆく

寝だめ食いだめは出来ない やはり通年食って行く為にはその地域土地に根差していく事が大事になっていく
全国アチコチ旅をして歩くが俺の旅行は作られた表面だけの観光地ではなく、その土地その土地にある無垢の歴史や食べ物を見て歩くのが好きだ。
そう思う時にいち旅人としては地元の生活、歴史、生業をちょろっと邪魔しない程度に見させて貰うという態度姿勢が大事ではないかと思う。
受ける側も観光客価格はやはり長続きはしないのでは無いかと思うし地元に受入れられる。
価格帯や規模が長続きするだろう。
コロナが収まってもこれからは違うものがコロナの代わりに出て来るだろう。
その時に日々食って行く為に地元や地域に根差し必要とされ求められる者が残って行くのだろうと思う
今更ながら「 求められる商いをしなさい 」と言われた事が身に染みている。

29日金曜日はマークルーザー5.7リッター V8を船体から引き抜く

一人親方で子方は居ないので何から何まで一人でやる。
その親方の肩が痛く力が入らん 500キロのチェンブロック2台を使い前後に移動しながら上げて

エンジン取外し完了 このエンジンは半世紀以上も前のGMのブロックを基本にしていて大した進化はしていない

エンジンが始動しないと言われたらハイそうですかと
エンジン外せと言われたらハイそうですかと
食って行く為だけでもなく
アチコチ蚊に刺され掻いて毎日油まみれになり自分の身体を使う修理屋はもっとも地域に根差し必要とされてるいい商いだと思う。

黒蛇抄

元気有り余ってる若かりし頃に小柳ルミ子の白蛇抄なる映画を見たがあらすじよりアンナ事やコンナ事の内容が脳裏にこびりついた。

木曜日に札幌の整形外科に行ったがいつもと同じ道では退屈なので望来から山道を超えて当別に抜けてみた。
途中で黒い蛇を初めて見た。
黒い蛇はカラス蛇と呼ばれ居るとは聞いていたが
蛇はいっかた見るが黒い蛇は一度も見た事がないので信じてはいなかったが
都市伝説ならぬ田舎伝説では黒い蛇は空を飛び、嚙まれるとイチコロになると言う。
俺は自分の目で見たものしか信じないが本当にいる事を確認した。

オリャーと飛んで来てイチコロになるのも怖いのでガッチリと窓を閉めて中から写真を撮ったがどうも引かれてアウトになってる。
蛇は大嫌いだが少々可哀想な気がする。

白蛇抄は水上勉原作だが見たままの官能作品である。
ところで白に対して黒で『 黒蛇抄 』を映画で作るとしたら誰が主演になったらピッタリだろうかと道々考えたが
それは「 ウラジミール、プーチン、君とは同じ未来を見てる 」と言った元総理だろう
『 嚙まれるとイチコロになると言う 』う~んピッタリ

「 人の一生は棺を蓋いて定まる 」と言う。
俺は少ないながら一人の納税者として ウラジミール、プーチンと同じ未来を見たり桜やモリケケなどや
何より国会で118回も嘘を付き続けた。
それは国民を愚弄の衆と安く見て、コケにし、嘘を付き、あざむき、ダマし続けたのだ。
その者の国葬には大反対で
病をおして総理を続け過労でクタバッタたとか総理現職でもない一政治屋の国葬に使う銭を俺の収めた年貢からは一銭ビンタ使って欲しくはないのだ。

商いの大恩人で逃げられた元嫁さんとの仲人である森本正義さんの葬儀には田舎ではあったが何処からこれだけ集まったのだと言う二千人が集まり
急遽第二会場が作られその時に「 人の一生は棺を蓋いて定まる 」を実感した。
その時会場で一番大きい花輪を出さして貰った事がせめてもの感謝だった。
「 俺が仲人をした者は皆仲良くやってるのに嫁に逃げられたのは初めてだ 」と言われた。
様々な教えを貰ったが
「 商いは政治ではない 」や
「 食えるうちは家業を変えるな 」と言われ
副業はするが修理工は貫き通した。
もっとも俺が食っていけるのは米を毎年N先生から一俵貰うので、
それも自分の力ではない一俵は江戸時代なら一俵一石で一両したのだ。
それを毎年毎年ありがとうございます。

元気の出る言葉を

17年間に225時間しか使っていないエンジンの使用履歴を調べる。

船の上に上がったり下がったりと毎日何回も繰り返す船の上は輻射熱で熱く脳の中が沸騰して動くのも億劫なのだ。
どうも暑さに弱くなってる気がするのだが気のせいなのか
オラ~辞め~たと言いたい処だが散々売ったので辞めるに辞められない
今更ながら大恩人の商売は始めるのは簡単だが辞めるのは大変だと言った言葉を思い出している。

春先にあるこじゃれた家に行った。
家人は留守だったが玄関先に紙が飾ってあり
それには「 元気の出る言葉を 」と書いてあった。
う~ん 俺は相手を批判する言葉はドンドン出るが相手が元気が出る言葉は中々出てこないょ~なと思ったらブログを書けなくなった。


ここで修理に携わって暮らして居たら仕事は毎日がゲーム状態なのだが
ガソリンを入れっぱなしにして3年間も放置した船のエンジンが掛からんと持って来た。
エンジンは掛からんで正解
下手に始動して海に出たら歩いては戻れない

フューエルペーパーセパレーターの中に水が溜まっていて高圧ポンプが錆びてシマッタ
全く使わない事は機械にとってはいい事ではない長期間使わない時は揮発性の物はどうしても劣化と北海道は結露があるので抜いておく必要があります。
人間も使わないと動かんくなるらしい

メリケン子

3×6のコンパネを敷いてさらに敷布団を敷いてさらに寝ながらパソコンを見れる様にとあれやこれやと
考えたが以前なら面白かったが最近は何か動きや切れ悪い 何かしら億劫なのだ。

軽トラも3年も掛かって改造申請合格し車検書を貰って大手を振って何処にでも行けるのだが
燃え尽き症候群なのか目的もなく動く事が面倒になった。
これが歳を食うと言う事かと思う。

そんな中で13日に砂川コメリに部品を探しに行って帰りに蕎麦が食いたくなり中央市場の傍にある東家そば屋に初めて入る
先客に妙齢のおば様が二人が何やらクッチャベリながら食事中だった。
贅沢に天ざるを頼みしばし待つ間にテレビニュースで札幌市内で親子熊が出たと言う。
そのおば様は
「 あんた~私の知合いが親熊を鉄砲で撃ってさ~子熊を連れて来て育たのさ
その子熊にケンと名付けてメリーと一緒にさせたら子熊が生まれて付けた名前がメリケン子って言うんだって 」
ケン、メリと言えばスカイラインGTRである俺は食ってる蕎麦を噴出した。

砂川と滝川は空知川を挟んだ隣同士だが雰囲気が全然違うなんと言うか旧産炭地で
若いニイチャン達は腰からチェーンをぶら下げてそれに財布を繋いで、お姉様達は朝コッ早くからピンヒールを履いている
そんなイメージの街なのだがお菓子や食の街でもあり
こう言う街は何かに付けて強いのだろうと思わせる砂川は好きな街でもある。

土日ラーメン屋を後20回やったら今年は終了
このままいったら自分の労賃を抜いたら利益は少しだけ出るので食うに困ってクタバル事を考えるならクタバル覚悟でラーメン屋か焼き鳥屋など一品屋をやれと言う俺の実践目標は達成になる

本業の修理業は後80日働いたら半月ほど休もうと思う。
さらに後継者は居ないので二年後を目途に修理工具は残し一番大きい倉庫50坪の倉庫を解体処分をしようと決めた。
なんかそう思ったら凄く気が楽になった。
ここに来て丁度30年になるが今まで住民票を12回も変えたがここに住んで一番長い事になり
ここが俺には一番合っているし金銭的も楽なのだ。
この地域があっての俺でこの地域に残り続ける為には何をするべきなのか模索中なのだ。

果報は寝て待て


滝川美術館で人造石油の展示をやってるとポスターがあったので見に行って来た。
そこで見つけた写真

現在の留萌駐屯地で以前は留萌人造石油でここに石炭から石油を作る施設があり
大きな工場は川を挟んだ北側にあって現在の東雲町で市立病院やカナモトがある場所にあった。
人造石油会社は昭和27年に倒産しその施設の鉄くずを拾う為に住んでいた原野2線の貧乏人バラックの子供達で川を越えて鉄くず拾いに行った
時代的には昭和30~33年頃で朝鮮特需の余波でまだ鉄くずは高く売れた時期になる。
集めた鉄くずは周辺のクソガキ達に横取りされない様にするのが大変で後生大事に西田雑品屋まで運ぶのだが
歩くキロ数は往復3~4キロにもなった。

人石社宅 現在のホーマックの周辺になる。
周辺はまだ電気がまばらだった時にここだけは夜は電気が灯っていた。
子供心に水道も電気も無い原野2線とのえらい違いになんとなくなんとなくだった。

大和田炭鉱を超えた処にあった この家は遅くまで残っていて汽車で留萌に戻って来るとこの家を見ると時期に留萌駅に到着になり乗客は棚から荷物を下ろし始める。

古い写真を見るのは好きだが
記憶にある写真は歩いて身体は鍛えられたかも知れんが歩かざるを得んかった者としては懐かしさよりは複雑な心境になる。
ほんと平和は大事だと思う 平和を維持するには常識ある者のお互いの忍耐が必要だと思うが
プーチンなどや権力に溺れたバカに付ける薬は無い さっさとオッチンでしまえと願うばかり


再度54000円の電動ベットに寝る様になって夜寝れない日々が続きなんか調子がイマイチなのだ。
やはりベットが合わないのだと思い電動ベットにコンパネを敷いて、その上に布団を敷いて寝てみると身体の痛みが良くなった。
親にベットを買う時は安い電動ベットや折り畳みベットは絶対に買ってはいけないと思う。
寝たきりになるカモ
人生の三分の一は寝てる事になるが
果報は寝て待てと言っても筋金入りの貧乏人なのでそれも出来ないのだ。