砂川に

いったいどうなってるのかやたら忙しい 
遊びでなく仕事で網走からやっと戻って今度はNV175のエンジンオーバーホールをせんといかんかも
その前に忙し過ぎた頭を冷やすのに上砂川岳温泉のパンケの湯に行って来た。


初めてみる地下無重力実験センター 海で仕事をするがひどい船酔いをするのにさらに無重力などには耐えられないので無視して通過

砂川は何かと縁がありパンケの湯の後は中央市場に行ってラーメン食ってカネイ池内で海鮮丼を食おうと思う。
砂川はラーメンに至ってはそれぞれの店の独自の味付けがあるし何処も美味い価格は600円前後が相場
お菓子も美味い 北菓楼のおかきは美味いが俺的には、おかきは駄菓子屋風の処で買いたい
自営業はお客さんより店も立ち姿も車も 心根以外は立派になってはイカンと思うのだが
母親はよく言った「 商売はバカにされるぐらいが丁度いい 」と


砂川中央市場 俺が砂川で物販自営業をするなら家賃が多少高いくらいならこの場所を選ぶ
理由はコマが適度な広さと駅が近い 店頭は少し小さい位が商品も見栄えがするし店舗も無駄な銭が掛からん 
駅が近いと必ず無料駐車場があるし
駅は何処の駅でもその駅から立って行った人は現在の街の人口の数倍はいる。 
駅前の景色は一個人の所有物ではない そこから大志を抱いて行った者 挫折を抱えて行った者 閉山によって去って行った者達を待ち続ける心の場所でなくてはいけない
その為にもやたらめったら駅前の景色を変える事は止めるべきだと思うのだ。
サ~サ~大都会でド~ンと稼いで戻って来て古巣で銭を思いっきり使ってチョ~ダイ~となる。
良い時は誰だって上手くいく 落ち込んだ時や何か道を踏み外そうと考えた時に、なんの損も徳も考えずに過ごした、ふる里を持つ事は大事な事なのだ。
その為にも駅前の景色を変える事になる建替え等は慎重にするべきと思うのだ。


海の傍に居るから美味い物を食ってるかと言うとそうでもないマグロやサケは地元では取れないし地元は意外と高いのだ。
流通がこれだけ発達した現在は何処でも店主の努力で何処でも美味い物は食える。
それだけに対面する人間臭さが大きな勝負どころになる。


海鮮丼 価格は確か900円くらいだったと思う。
2時半以降はお持ち帰りのみだったので駐車場で食った。


向かいの店で好物の釧路サバ味噌缶詰とニシンの切込みを買う。
そのあとは砂川オアシスパークか何処かで車中泊をして夜は初めて行く焼き鳥ロッジにでも呑みに行こうかと思ったのだが
電話で予定が入りやむなく戻る事に
呼び戻したのは貴方

田舎暮らしにようこそ


花巻宮沢賢治なにか館だったか忘れた。

ド田舎の自営業が考える有意義な人生とは
40代まではイケイケドンドンでアチコチに作った敵にはなるべく遭わない様にして謝って済むものはサッサと謝り
そこそこに楽しく恨みは買わない様に地域循環型社会に潜り込む様にする事ではないかと思っているのだが
田舎から大都会を見てるととてもでないが循環型社会にはなっていない
人も物資もブラックホールの様に飲み込んで消費しているのだ。
50代を過ぎたら戦線離脱をして体力勝負の田舎で暮らした方が有意義な人生を送れると思うのだ。
コロナは大都会での生活を見直す切っ掛けになってゆくだろう。

実体経済が困っているのに株価はたいして下がらんのは
金融経済が実体経済を先食いして食い物してる証拠なのだ。
食い潰される前にそこそこに働き休日には土を耕し竿を垂れる
田舎暮らしにようこそ

田舎暮らしのコツは流されるままにそこそこに
もっとも限界集落で楽をさせて貰える保証はないが

皆勤賞


先週土曜日には若者がラーメンを食いに来た。
隣の店は今もやってるのかと色々聞く 
以前ここ崖下村に別荘を持っていた人と知り合いだと言う。
その若者が言うには
すっかり忘れてたが今から13年前になるらしいが小学校を皆勤したのに学校からは皆勤賞を貰えないと言っていた子がいた。
いまは熱を出しても学校行くのがいい事だとは思えないとの事で皆勤賞は無いらしいが
小学校6年間を休まずに行くなんて俺は半分位しか行っていないので凄い事だと思った。

勉強嫌いでロクに学校に行ってないのでよくわからんが小学校6年間およそ1300日くらい出席するとしても雨の日も風の日も雪の日もある大変な日数になる
それを皆勤したと言う事は風邪も引かん下痢にもならんと言う事で家族も含めた健康管理が出来たと言う事なのだ。
一人だけでは出来ない、いかにいい親で家庭だったかがわかる。
そう思った俺はその子に手書きで皆勤賞の賞状を作ってあげた事があった。
実際に書かせたのは漢字検定2級の事務のお姉様だったが
渡したの俺だった。
土曜日に来た若者はそれは嬉しかったと言ってくれた。
若者が帰ったあとにその場に居た連中と昔話しを肴に酒盛りに

その時の写真を探したらあったが本人の承諾があったら載せたいと思うのだが・・・・


今年はまったく忙しい 
およそ考えらる部品と工具とパソコンを持って二か所を回って歩く事に
移動は二時間走っては20分寝るをしないと走れん
遊びで走る時はどんどん走るのだが仕事となるとやたら眠たく
働き税金を納めると言う事は結構疲れるのだ。


来週は290キロ東にゆかんとない北海道は広い


船外機ボートは6000回転が常用回転で車では考えられない回転域を常に使う為に車とは違った故障が起きる それも歩いては戻れない海の上で

にあんちゃん

自営業には残業手当はないし仕事の出先でメシ食っても、それは遊んでいても食うのでメシ代は基本経費では落ちない事が多いし、夜通し走って眠いからと言って自販機で缶コーヒーを買っても経費では落ちないが、それでもサラリーマンからしたら自営業は恵まれている。

昔し活動写真かと思うほどタライ回しになったブツブツ切れるフィルム映画をよく見た。
大和田まで線路を歩いて行くと炭鉱映画はタダで見れたし八幡屋デパートの映画館は宣伝チラシを配るとタダで見れた。
その中でも「 にあんちゃん 」は長門裕之が言ったと思った言葉はいつまでも心に残って今の自分を作っている。
子供に『 髪は必ず伸びる 食うには困らないから床屋になれ 』と言った。
将来を見越した言葉だと思う。
内田橋でガソリンスタンドのアルバイトした時もスタンドの大将は今は風呂屋に行かんでもスタンドには来ると言った。
よっぽど頭が良ければ需要を自分で作る事は出来るかも知れんが
必要とされない処には自営業は成り立たない

孫子にまで莫大な借金を残してまで自営業を助ける必要は無いのだ。
自営業はどんな事があっても生き残ってこそ、その経験は財産となって力となって強くなっていく
一方庶民が居て呉れてこその自営業で庶民を助ける事が出来る商売や道具を売る作るなど出来る商売は生き残っていくだろう。
銭持ってる奴から頂き従業員や無い所に回すのがジエイギョウ

田舎者の自営業者から見る大都会はもはや人がたった一度しかない人生を続けていく場所ではない
虚構に虚構の厚化粧を重ねているとしか思えないのだが


天北はやたらシカが多いぞ~気を付けないと軽では運転者はタダでは済まない
体脂肪ゼロのマイクタイソンの腕の様な足で跳ねた時点で防御のケリが入るらしい
『 怖いですね~怖いですね~ 』
帰りは少し時間があるので遠回りになるが東浦に回り浜頓別から俺の大好きな275を通り帰る事にした。

美深で信号待ちしてたら、
おお~昭和かと思える外観の大衆食堂発見で入って見る事に時間は12時半過ぎ
入ってびっくりやたら人が居る。 アマチュアラーメン屋の俺は食堂に入るとすぐ人数を数えてしまうのだ。
俺の勝手な計算では一般食堂は昼12時から1時までの間に入った瞬間に居た人数の4.5倍が一日の売上なのだ。
その時に居た人数は俺も含めて8人が店内に居たので✕4.5で36人が一日の来店数✕客単価が一日の売上になるがラーメンは520円と店の物はすべてが安い
ラーメンは貧乏人ご用達の贅沢外食なのだ。
最低賃金で一時間働いても食えないラーメンは家族4人でラーメン食ったらチャンの半日分の稼ぎが飛んでしまうなど
ラーメンでは絶対ない!バカこけと思うのであります。


店主お勧めラーメンを食す 620円 メンマやチャーシューが別の皿に入って来るが量が普通より多い
店内がやたら面白い電気代節約かカウンターに座ると自動で電気が点くが麺を口に入れようとすると電気がまたパッと点くま~いっかと思える店だった。


275を通ったらお参りする旧光顕寺が雪で潰れていた。
ナンマンダブ~

またまた稚内


またまた稚内に
ここからおよそ160キロ 片道3時間いつまでこの仕事をするのだと思いながら霧雨の中ゆく
小ぶりの雨の中で一時間半作業をして完了 故障修理は事前の下調べと部品調達と二度いかさるので修理工賃より出張料の方が遥かに高いはずなのだが自分売った物は泣く事が多い
帰りは稚内で寝て帰る事に


いつも行くスーパーは閉店していたのでユアーズで食料調達して宗谷岬で車中メシ ご飯は自宅の炊飯器から持ってきた。


海から日の出を見たのは正月に釧路で見て以来


二ヶ月分の生活費で買ったナンチャラ軍ご調達の距離、方位も多少暗くても見える双眼鏡タスコは サハリンの様子がすぐ傍に見える。
双眼鏡は揺れる小さな船で役に立つ事は中々難しく安い物は無駄金になる。


あれ~赤白灯台なのに白の閃光だぞ 
赤と白が交互に光る不動互光か閃互光なはずなのに
なんでだ~と不思議なので戻ってから東京の元航路標識事務所に聞いてみたが明確な答えはなかった。
これなら稚内は浅く暗岩が多いのでうろ覚えでなく北海道航路標識案内本を持って航海しないと危ない


サハリンがはっきり見える。
サハリン残留二世の方が稚内の灯りはサハリンからハッキリ見えると言っていた事を思い出した。
残留一世の方は日本人としての振る舞いを固く守り二世に伝えてゆき
まるで日本の缶詰の様な二世と親交があるが 
一世の人達が今の日本を見たらどう思うかと思うと複雑なものがある。

戦争は経済が密接に絡み起きていくが金のある者や権力のある者はそれを利用していち早く逃げ帰る事が出来たが 
犠牲になるのは全く何も関係ない弱者が一番に犠牲になっていくのは現在も変わらない
この構造は原発も同じで一番電力を使う地域ではなく戦後開拓農地に半数が作られて残りは低所得の地方に作られてゆく

逆にいまコロナは所得の高い地域に集中している。
若かりし頃は夜な夜な飲み歩いた俺が言うのもなんだが 
コロナは所得と享楽を取るのか健康を取るのかと問題を投げかけている。
ある時を境に呑み歩くのを止めたら別に呑みに出んでも良いわいとなった。
元々は男女間の虚構の世界なのだもう水商売は凋落の一歩を急激に進んでゆくだろう。
かつて連日都会の状況をこれほどニュースで見る事はなかっただろう 
命を掛けても繰り出すそれは田舎者から見ると不思議な世界で息子や娘に田舎での暮らしを選択させる切っ掛けになるかも

義経伝説

文字を持たないアイヌ人は口伝によって様々な事を伝えて来たが
口伝は伝説を書き換えるには都合がよかっただろうと思う。
義経は奥州衣川で生涯を終えてると言うのに文治5年西暦1189年渡道したと言う。
北海道平取には静御前の墓まであるらしいしが
民話と違い伝説は時の政権の嘘ニュースなのかもょ。
義経伝説を作ってアイヌの人達をたらし込んでの協力を得ながらアイヌからの搾取が無しでは
北海道開拓は出来なかっただろうそれは昭和初期と近代まで続くが
その為に義経がアイヌ伝説として利用されて来たのだと思う。
積丹ブルーの海に沈む夕日が黄金色に輝く時に悲恋の話などはぴったりなのだが
現実に見たモノと手で触ったモノと力しか信じない俺には身も蓋もない話ではあるが

二年前に行った弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民俗資料館 
和人が持ち込んだシントコ 熊10頭と交換が相場だったらしい 
以前はヒグマは一頭100万したが現在は暴落してヒグマ20万としても数百万になる おいおい


美国漁港横で美国川が流れ込んでいる。
 ここにサンキャット7.7双胴船を海底深度測量の為に増毛から回航して来て途中でシケに合いえらい目にあったのが25年前になる。
双胴船は一定の波までは安定してるが大シケになるとハルとハルの間の波は横に逃げる事が無いので腹が叩く為に通常のモノハルよりは衝撃は大きい事を実感した。
当時はGPSは高価だった為にコンパスと山を見ながらの航海だった。
増毛から積丹半島に向かっての回航は大変だったが逆に積丹半島や小樽から増毛に向かって来るのは日方岬を目標にするので楽だったし時間も早かった。
あちこち回航を何度も経験した身として同じ海でも岬を交わすとベタ凪になる為に緊急避難や港の利用に制限を掛け違反した船長には過料5万円が課せられる北海道独自の北海道漁港管理条例には今でも強く反対をしている。
ここでも条例が出来る過程を見て来たが作る側は何の責任もとらんがそれによって海難死する者にとっては100パーセントの不幸となる。
世話になった人が海難に逢う度にもう嫌だ嫌だと思いながらもいまだに海に関わって生きてる。

もう食いたい物もやりたい事も大したない
今年こそ週休3日を実現させようと思ったがコロナがあるのに例年以上に忙しく時間にゆとりがないのだ。
出張修理で地方に出る事が多いが国道の電光掲示板に札幌にはゆくなと書いてある。
コロナは都会と田舎に壁を作ったのだ折角なので今まで都会に流出していたマネーは田舎で使ちゃいましょう。
地元の物を食って車はもう一年余分に使いましょう。

ロクデナシ義経 2

積丹半島神威岬を出帆してものの八海里もいかんで積丹半島入舸で難破してしまったアンポンタンな義経主従
そこで怪我をした義経を看病したのが入舸の酋長の娘シララ姫だがそれもまた二人の子供まで作ったのに、またまた袖にした為にシララ姫は積丹ブルーに呑まれてしまい女郎子岩となりました。


この高さ170センチほどのトンネルを歩いて抜けると。

島武意海岸 左にゆくとシララ姫の女郎子岩 


下に降りる遊歩道があるが靴に替えてこなかったので少し躊躇したが夕暮れまで戻れそうなので雪駄で降りて見る。


降りる途中で息のあがった二人の若者とすれ違う、俺の雪駄を見たのかここを降りるのは大変ですと言って呉れた。 下から上を見る。 


後でプリン体を食いながら聞くには昔のニシン番屋だったらしい銘板には大正六年、石工 中村栄一郎とあるあとは読めん


ハングルのポリタンク


不思議なボンベがあった。プロパンではない充填口がある処を見るとアセチレンなのか 
147kgf/cm2まで充填する工業用酸素瓶(注意医療用ではない)ならシームレス一体構造になってるはずなのに
なっていないしかと言って口金は酸素瓶のフランス式になっている。
酸素瓶の口金にはドイツ式とフランス式があり吹管も両方あるが日本では愛知県を境に東はドイツ式で関東方式と呼び西はフランス式で関西方式と呼ばれていてこれは電気のサイクルが違うのと同じで
県をまたぐ工事現場に行く時は確認をしないと現場がストップしたりと少々困る事になってしまう。

愛知県を中心に西は和歌山県、東は静岡県と各地の工事現場を夜具を布団袋に詰め込んでガス器具や工具を持たされて飯場を渡り歩いたがこのボンベは知る限りでは何とも判断が付かない
きっとかの国の船が難破して流れ着いたのだろう使っていた者達は海の藻屑と消えていったのだろう。
昭和40年代の荒くれ飯場に送り込まれた修理工は次の交代要員が来るまでに現場の労務者と渡りあって行かなければならなかった。
当時はトンネル工事も切り通しも火薬を使いドッカン~と爆破が主流で労務者の賃金は支保工を何本立てたかで決まっていた為に手が遅い者には容赦ない言葉が投げつけられ
その荒くれ労務者を相手にする修理工の給料は破格だったが機械以下の扱いだった。
飯場から遥か眼下に見える街の明かりに早く帰りたい交代要員は来ないのかと思い続けた日々だった。
日本国内ですらそうだったのだ、
有志で銭を集い海外の傭兵を使い一旦海外に出国させるなど手段は無かったのかと横田さんのニュースを見た。


トンネル出口にあった店でプリン体三銃士を食う。 

ロクデナシ義経 1

今日はエンジンは掛かるのだろうかとキックを思いっきり降ろす。
クランクが回りピストンを叩き上げる。 カムチェーンが唸りカムシャフトがロッカーアームを叩きつけバルブを叩く 油がシリンダーに叩き込まれ電気を貯め込んだコンデンサーが今か今かとポイントが開くの待っている。逆起電流がプラグに走りピストンが叩き落される。オイル上がりの青い煙が吐かれる。
さ~今日は何処に行こうか 西郊通りを走り六番町を抜けアクセル全開出来る鍋田干拓かエンジンが持つなら足を延ばし白子まで行こうか
ホンダSA250で今日こそプッシュロッドの白バイなど振り切って見せるぜと
 

 

寿都のカキを食ったし積丹半島を一回りする事にして戻るが
途中寿都吉野商店でシラス丼の看板発見で入って食ってみた。

腕にタツーを一杯入れた外人のニイチャンの店員で昨日から寿都産のシラスではなく静岡産だがいいかと聞く 
食う気満々だったので仕方ない静岡産で我慢をする。
国は何処かと聞くとスコットランドだと言う。竹鶴か~


積丹半島を目指す。


意外にも初めて来た神恵内を左折する。


花咲カニ食いて~


道の駅 オスコイ!かもえない 流木で作ってある。


神威岬 箱に100円入れてここまで歩いて来たが本日強風で通行止め 


無視して通行止めの先に行こうかと思ったが本当に風で崖下まで飛ばされそうなので止めた。


義経を追いかけて日高平取からやって来たアイヌの娘チャレンカは義経が
すでに船で大陸に行ってしまった事を知って積丹ブルーの海に身を投げチャレンカの岩となった。
その後ここは世の別れ余別となって ここの海を和人の船に女人を乗せてるとチャレンカの嫉妬で難破するらしい

「 私は何をしていたのでしょう ボーっと貴方の横顔を見続けていた数年でした 」と

寿都弁慶


朝一に寿都漁港到着 
ガビ~ン 生シラス丼の寿都漁組直売所は火曜日は定休日 月曜日に出遅れたのが祟った。


道の駅、みなとま~れ寿都裏口
さらにシラス漁は前々日で終了だったので生シラス丼はなんぼ待っても食えないぞと傍のオヤジが教えて呉れた。
グーグル先生で下調べをしてから出ればいいのだが俺の一人旅には誰かわからん奴の筋書き通りに歩く事になってしまうのでグーグル先生は邪魔なのだ。

寿都は夜来てその辺で呑むのは面白そうな場所だが夜までは待てない
何処かで二度寝して次の目的地に向かう事にした。


岬に立つ弁慶 
文治5年奥州衣川から逃げて来た義経主従がこの地に立ち寄ったらしい
その際に弁慶はアイヌの人達と相撲を取ったと言う場所が数百メートル南にもある。

弁慶の土俵

増毛町別刈にも義経が隠れ住んだと言う洞窟があるが実際には海なので人が住める処ではない
知る所では北限の義経だろうと思うが
いったいいつ頃からこの義経伝説が普及したのかが面白い
文治5年は西暦1189年 源氏の時代が始まったのだろうが
日本には西暦と元号と使う事はないが皇紀があり今年は皇紀2680年になる。
いまさら目くじら立てないが海外でもキリスト生誕が元年になる。
西暦や元号や皇紀と言っても時の政権に都合よく作られる。
 ま~そんなものなのだ 
だが!昭和、平成、令和、と変わると困った問題が起きたりする。
メーカーの製造番号がその元号の年を表してる場合があり06101234は頭が捨字で昭和61年01月で次が実際の製造された番号になった場合は これは西暦2006年なのか平成06年なのかと混同するなど混乱が起きて
時の経営者が右寄りで昭和も自分の命も永遠に続くと思った経営者の大きな勘違で部品発注ミスが起きるなど、どぇりゃ~迷惑なのだ。

義経とアイヌの話は全道各地であり日本は奥州にもアイヌが実在したのは確実で東北各地にアイヌ語でよく使われるホロ、ナイ、ベツなどが付く地名があり
アイヌは津軽海峡を渡っていないなどと考える 一国一民族などと言う政治家や連中の脳味噌は狂っている。
弁慶はアイヌだったとしても何も不思議ではないし 北海道と義経伝説を思う時にそう思った方がスッキリするのだが


弁慶岬突端 さもありなん


寿都美谷の小さな港で直接買ったプリン体が滅茶苦茶美味い
このカキを買った漁師のオヤジの水槽に60センチほどのサメが泳いでいた。
番人と言うか番サメと言うのか寝たらイカンぞう~眼はサメたか~

プリン体の旅

コロナと忙しすぎて全く何処も行っていないで テレビを見てるのだが政治がこんなに健康に悪いのかと少々プッツンが来始めた。
今時は寿都ではシラス漁の真っ最中だと思うのでプリン体の生シラス丼を食いに
月曜日から出掛ける事にしたが
荷物の集荷が中々来ないで午後3時になってシマッタがこれが大きく響く事になった。


写真は厚田安瀬の登りだが231は普段の何倍もの車の列
俺が思うには札幌から275を走り当別から道道28号を浜益に抜けて231を走りまた札幌に戻るドライブが多いのではないかと思う。
名付けて初狼231ローリング族 
今時暇なのはだいたいが60代後半から70代でリボンスカーフを頭に巻いてド派手のワンピースを着たオネエチャンを助手席に乗せた元々カミナリ族なのだ。


デートの必需品は車だった現代の若者ょどうした。


岩内に近づいたが今夜は何処に泊まろうか
この今夜は夜露を凌いで何処に泊まろうかと考えるのは
行く当てもなく飛び出してしまった時の不安が一杯だった昔を思い出す。
駅で朝まで寝たりそんな時にメシ屋で声を掛けられたりしたが
その多くの一言が今の自分を作って来た。
今度は自分が一人でも多くの人に声を掛ける年代になったのだ。
コンビニで年端もいかん子達がマニュアル通りの応対でも
大人の男として「 ありがとう 」とか「遅くまでご苦労さん 」とかの声掛けするべきだと思う。


岩内沖に漁船の灯りが見える きっとシラス漁だろうと思う 
その向こうに見える灯りは泊原発
日本中にある原発の半数は戦後開拓農地にあると言われ低所得地に作られて来た。

雷電トンネル出口駐車帯で車中泊 夜食は明日から始まるプリン体の旅に備えて質素に岩内のラッキーで半額で調達した晩飯を食う。
早朝日の出と共に出発なので酒は呑まん

今回は断崖絶壁を歩く