お~てんちゃん~

道は目的地にゆく為にあり 幹線道路優先は物資をいかに早く着くかが大きな目的で
その為に広道優先や優先通行帯などがあり 以前は観光などの人達は汽車などを利用して移動していたが 40年~50年で一般にも車の普及が急激に進み ゆっくり走ってもいい人達が車で道路に出て来て何千年と続いた道の使い方が急激に変わった。

電話一本でどこにゆくか指示され何がなんでも朝のセリに間に合わせないと積荷が全部ゴミになってしまう鮮魚運搬のアルバイトをした経験から
困るのは追い越し車線をタラタラ走られるのがゴミなるか銭になるかの境目を走ってる時は本当に精神衛生に悪いのだ。
そのうちにプッツンと来てしまうが 勘違いしてしまうのは乗ってる車で自分の器量を勘違いしてしまう処に問題がある。
すぐプッツン来る奴は車に乗るなと言うのは正論である。
これは政治家もお上の手下も同じで 総理というカラを纏ってる為にプッツンと来てしまう場面が度々あるのは総理と言う車に乗り続ける事は他の者が迷惑するのだ。
選挙は公示とほぼ同時に行って来た。
若狭勝は勘違いし前原誠司は策士策に溺れ 枝野幸男は武士は食わねどだよじっと我慢辛抱の木に花が咲く

旧道を走って思うのは わずか数十年前にそこを歩いただろう人の目線で家々の軒先を見た時に
家人の集まる居間が道路に面し作られ その解放感にびっくりするのです。
出雲崎

ここの前をおてんちゃんが通りタロ坊が棒手振りが通り、通らない日は村中が心配しただろうと思う時に
商人(あきんど)だけでも居間の作りを再度見直す時に来てるのではないかと思うのです。

いつも通りに通り 立ち話する時間に立って居る その日常を金に変えた時にいつかボデーブローのように効いてくるのではないかと

上野公園で顔を見て商いをする商いの原点を見る。

株価がドッタラコッタラなどたとえ持っていようが 人に稼せがし上前をピンハネする不労所得の株価など口に出す事が恥ずかしい事だと言われていたのはわずか数十年前の話なのだ。
昔の人には姿の想い浮かばない物は食うなと教わった。
すべては昔の事なのか


清水沢本通り 俺が言うのもなんだが何をそんなに急いで来たのか機械が壊れる時は加速される。
汽水域のような陽炎がいまはハッキリとした二層海流になってるが 
黄昏たここ崖下村で二層海流の底の楽しみを見つけよう まだ間に合うと思うのだ。

弥生道

内地はこんな山奥に誰もいないべと思うような山奥に人が住んで居る時があり
それは歴史がある為にそこに住まざるをえない人達がいる
昔は本当に住井すゑが言う『 橋のない川 』が実在し実際にそこに何度も行った事があるが
北海道での弥生の歴史はどんなに遡っても太田神社で せいぜい400~500年 縄文の人達は数万年と長いが弥生の官僚機構にやられてしまった事と
明治維新で次男坊以下と負け組が渡道をして来た歴史があり
それがしゃ~ないべと その時々の政策で生まれた地を捨てる事にたいした抵抗が無いのかもしれない

すべての道は江戸にゆく為に作られており その道で儲けた銭も人も運んで行ってしまった。
いままたさらにぺんぺん草も生えないようにしようとしてるとしか思えない道々


『 せんの木物語 』を一目みたいと探しに来たが休館日だった。図書館を探すが夕張には図書館は無いと言う。
赤平図書館で本を読んでからなぜか旧炭山の本を色々読んで見たいと思い続けてるのだ。
買う銭は無い

夕張屋台村 屋台大好きな俺としては、、、、、

丁未風致公園から山道に入る。

丁未、万字線を山越えする 。この何処かにせんの木があるハズだったが間違えた。
この道は行ってはいけない普通の車は通る事は出来ないし何かあっても発見はされないだろう。

延々と砂利と泥の山道を走って出た処がここ万字小学校跡 以前来た時から古い炭住はすっかり壊されて面影はない 夕張市街地もすっかり綺麗になってしまいなんだかな~と思ってしまった。
 
この為にミニキャブのタイヤとスプリングを替えて来たが後で地図を見るともっと近い場所にあった。
大夕張に入った時から丁未はどこかと数人に聞いたが知ってる人はいなかった。
本当の丁未地区は車で走る人以外は分からないのか知れないと思った、旧炭山はそれだけ地区地区の独立が保たれた地域だったのかも知れない 
地域の独立は道に寄って崩壊してゆき その道は霞が関の手下(てか)によって管理され栄て
巻上げる金が無くなったら捨てられ滅びてゆく 

道にはしんにゅう「 辶 」に首を置く 悪霊が入って来ないように道標に首が置かれていたそうだ、
俺は首は見た事はないが
種々雑多の異文化の交差する処に人は集まり商いの種があり それはそこに棲むもの達の手で考え守らんと滅びる。

もうすぐ夕張線廃止らしい 
皇紀2677年 弥生の象徴の神社が儲からんからと廃止する奴はいるのか~
廃寺は有っても廃神社は無い

大夕張、清水沢


ダムの下に住んで居たらしい元住民と思われる総勢217名 表にも書き出し説明はない勝手に想像すれと言う事か もしくはここに住んで居た人達にさえわかりさえすればいいのかも
言葉などほとんど信じない俺にはジンと来る。
みんなどこに行ったのか雨に濡れていなければいいが 
佐々木譲の名前を探すがない 夕張は名を残した人も多くいるが無名の人の人生ほど俺は面白いと思う。


ダム関連を作る前から見続けた俺が思うに深度はせいぜい10メーター程度か 大夕張ダム湖 
本当に必要で生かされてるならいいが 炭山労使紛争の封じ込めに使われたならムットくる人もいるだろう。


道一本外すのが俺流 雨のあがった清水沢 


治作で時間を外し昼飯を食う ここ清水沢は食う処は数軒あるがどの店もやってるかどうかよくわからん
地元の人の利用が多いのだろうか 
他所から来て入りにくい分かりずらいなどと思い付きでアッタラコッタラ言うのは失礼な話だと思う。
昔はチョット綺麗だったろうと思う、お姉さんに何にしますかと聞かれ目の前にあった大きな伊勢海老の剥製を指さし
「 コイツを焼いてくれ 」と言った 
「 シャチョ~伊勢海老~焼いて~ 」と言ったので こいつを本当に焼かれたら高そうと思いキャンセルして
 お勧めの天丼ソバセット900円を食す 中はどれほど儲けたのかと思う丁度品
メニューは酒呑みが おっと思うメニューで若いシャチョ~の心意気を感じた。
時間を外し手隙だったので昔の色々な話を聞いた
今度泊り掛けで呑みの来ようと思う 旧炭山清水沢。


なぜか番場の忠太郎~汗水流して貯めた百両~
スナックの薄らっと灯りが付くカウンターに健さんや文太がカンテラヘルメットを被っていそうな気がする。

南部青葉

留萌に居た時に二車線の国道にあるスタンドの兄ちゃんが、あろう事か国道を走ってる車を片手で制止して給油が終わった車を道路に誘導していた。
青信号をダッシュ~と一斉にスタートした車を見てその車は道路上で止まってしまった。
俺は先頭だったのでその車のドア寸前でゆっくり止まった。車はバックしてスタンド側に戻ったが
何を思ったのか俺の後を付けて来た 俺はトヨペットと喫茶店の間を左に回り俺の店の裏駐車場に止めたら 
その札ナンバーのハンカクサイ奴は何が気に入らのか車の中から怒鳴っているのだ。
イカ漁師と自衛官はどこに居てもすぐわかるが
そいつの社会勉強の為にもと よく聞く為にその車に行き運転席の窓にグワッショ~と顔を突っ込んで何かお話があるのですかと聞いた。
話の要点は誘導されたので道路に出た処で貴方様が自分の車のすぐ傍で止まったのはビックリします如何な物でしょうと言いたいので追い駆けて来たと言った。
俺は大変失礼したので中に入ってお茶などを呑んで行って下さいと言ったが
急いでいるので帰らして貰いますとそのハンカクサイ奴は言ったが
「 あの~車が少しでも動いたら俺の足を踏んでしまいます 」と
いま考えると俺にも問題があって反省してるが遅い

誰が降りて来るかわからん車を脅す事は止めましょう。今もやってるかどうかわからんがスタンドマンに出口をイチイチ誘導されんとないなら免許は返しましょう。出口誘導はスタンドマンの範疇ではない

点検は大丈夫と思っても同じ事を繰り返すのが仕事で半月もやって飽きてきたので息抜きに
唐突に『 白峰丁未が里 三百余年伝 せんの木物語 』を探しにゆく

いつ動くのか鉄橋に列車が止まっている。

一つのダムが出来るまでに水量調査や環境調査などで数十年以上が必要で出来た時は環境が変わってる場合もある。
確かここの下に埋まった集落出身の有名人が居たはずだったが忘れた。

ダムサイトすぐ下にあった店々 工事関係者だけで集落が維持出来るとは思えないので炭鉱集落がダムの下にきっと有ったのだろう。右岸側に店でもあったら入って話を聞きたかったが店は全部シャッターが下りていた。

他にも怪しい金融の店もあった。
最近の商売人の店は費用対効果を考えるので安普請が多く無人になると雪によってすぐ潰れてしまう。

結構大きな集落で南部青葉町 今は誰もいない
この人間関係が濃い地区に住んだ人達はその後はどうしてるのか 廃屋を見ると気になって仕方ないのだ。
ダムが出来た事で人生が変わった人達がいたろうと思うが人間関係が濃い地区から都会に行ったらしばらくは適応出来ないだろう。
都会でどうやって乗り越えたのか乗り越えられなかったのかを知りたい。

生まれた時から25歳までどうしてそんな危ない性格が出来、維持されたかを検証しないと同じ事が次々と起きてくる。
そこに厳罰化したとて危険運転で25年入っていてもいつかは出て来る。
真に更生してなければそれは世間にとっても怖い事でさらに無年金ではさらに困った事になってしまう。
その為にしっかりした家族がいるか 入ったらすぐ住所変更と年金申請をして呉れるよっぽど親切な刑務所でもない限りは無年金者となって出て来る。
只々厳罰を言うだけでしっかりとした検証をし生かしてゆかなければ亡くなった二人も浮かばれない
生立ちから25歳までのどこかにターニングポイントはなかったのか
現場作業は相方に怪我をさせない為にも俺が俺がでは先に進んでゆけないハズなのに
どんな仕事場だったのか仕事の仕方はどうだったのか
親方はどんな人なのか
一緒に車を降りた女の生立ちはどうだったのか
不思議が一杯ある 日常を検証しそれは次に生かされてゆかなければいけない
たんに箱に閉じ込めるだけでは前に進めない

顔を見る限りでは今もどこかでなんとかなったのではないかと言う思いをしてる。
いつかどこかに正確に追及してくれるメデアがいる事を願っている。
たんなる交通事件で終わらせられる事ではないし 
すべての価値観すらひっくり返すほどの身近な問題なのだ。

早くの罪

俺の経験則では
路上で寝ていようがホームで寝ていようがどんなに可哀想でも 
何か買って食えとお金を直接渡してはいけない
何かを食わしたいならアメやパンなど小さな物を買って半分づつ分ける。
家に連れ帰ってメシを食わしては絶対に、が付くほどやってはいけない
中にはパラサイトにしてしまう場合もあり共依存になってしまう場合もある。
俺の場合は場馴れしてるし食った分は働いて貰うが
そこから先は行政に連絡をしてやり遠くで見守る事が一番いい方法だと思う。
全国にいる伊達直人はやっぱり賢者なのだ。

ボート屋だった俺がある日自分のやってる事に気づいた。
ボートとヨットの大きな違いは
ヨットは風が吹かなければ戻ってこれない仕事にもゆけない
風任せで暮らせる人達で それなりの資産を持っている。
ボートは成金で目の前には苦労をしてやっと買ったボートがあり月曜日には何が何でも仕事に復帰せんといかん 
あくせく稼ぐ人達で苦労人が多く
遊び方も豪快だったが その人達は鴨の水掻きなのだ

そんな中に今日のメシも満足に食えない子達が居る事は決していい事ではなかった。
いま目の前で遊んでる人達の苦労した部分がスッポリ抜け落ちて今しか見えていなかったのだ。
自分にも遊ぶ権利があると思わせた事は俺の大きな罪だっと気付いた時から
自分をどこか安全な場所に置いてる仕事してる間は深く関わるのはやめようと思った。
いま満足に暮らせない小さな子達に鴨の水掻きを理解する事は無理があった。
ボート屋だった俺の罪は大きい

が~懲りないのが俺で今日から土日ラ~メン屋を
様々な事を経験したが地道にコツコツの背中にはかなわない

早く

パクられる子供達の夢を見て目がさめた。 親方~と数年に一回くらいの割合で腹減ったと来る子や彼女が出来た、
子供が生まれたと見せに来る子も居ればそれっきりもいるが
みんなそれぞれに大変な思いをして育ってきて幸せそうな家族をみたらムカつくと言う子もいた。
何かを壊さないと身体に傷を付け続ける子もいた。深夜のコンビニ廃棄弁当を仲間から貰う子もいた。
親の顔すらわからん子もいた。
何一つ誇れるものを持たない子が重大事件になるまで自分を認めて呉れるまで悪さをし続ける子もいる。
子供のうちに早く一時も早く声を掛けてあげるべきで早ければ早いほどいいのだ。
施設に居る子は頼れる親もいないのに18歳になれば何がなんでも施設を出て一人で暮らさんとない 

商売は通りに灯りをともし続け 前を通る子に声を掛け続けることも商売で儲ける事だけが商売ではない
メーカーも含めてバイク屋は売るだけが商売ではない


セコイ国鉄 雄信内駅の横で灯りを終電までともし続けたであろう竹内商店

早く一時も早く声を掛けてあげるべきで早ければ早いほどいいのだ。

注意に注意

免許を取った愛知県の事故率は昭和46年頃にワースト1を北海道に譲るまで全国一位の事故率だった。
その愛知県で誰もいない堤防で練習して免許は平針で取った。
当時は自動車学校などに行く者は聞いた事は無いし自動二輪免許を取ると軽4輪免許がオマケサービスで付いて来る時代だった。
そこで鍛えられた走りはそのまま北海道に持って来たが初めての冬に立木に車をぶつけ大破 二回目はトラックにぶつけて中破 段々よくなる法華の太鼓状態だった。
沖縄と四国以外は車やバイクで殆んど走ったが福岡と名古屋ナンバーは要注意で走り方はのんびり田舎とは全然違う。
危ない車を見分ける方法はナンバーで気を付ける事
愛知県と福岡は『 黄色まだまだ赤勝負 』と言う走りをする車が多いので近づかないのが一番
いかにも危ない顔した奴にも近づかないのが一番だが

高速道路で止まらせられた夫婦が帰らぬ人になった。
事前にサービスエリアで車の止め方を注意したのが発端だったらしいので 
これからは人に注意するのは止めようと思った人は多いと思うが
でもそれでは横車を通す者はいつまでもそれでいいと思わせてしまう事は本人の為にも世間の為にもならないので
悲惨な事件があったがこれからも注意出来る者が注意をすべきで
こんな危ない奴には元危ないオジサンか現役の危ない~オジサンの出番になって来る。
ところが危ないオジサン達も暴対法やナンヤカンヤデ怒鳴っただけで身柄を持ってゆかれる時代になったので毒を制する毒が無く
若い者が調子こいていたら危ないオヤジに超法規状態にされるかもしれないと言う危機感が無くなってどんどん図に乗り始めてる。

今回の事件は因縁を付ける常習者らしいので違うかも知れないが
車が通れないなど どうしても注意しなければない状況の時には
その注意方法はどんな方法でもいいとは言えずやはりあり 
それは相手を認める事から始まり諭し怒りを込めての注意ではいけない
どんなバカ野郎でも大概は自分を認めて呉れる相手の話は聞く
『 どうしてこんな大きな車がここに止まっているの~どこか調子悪の~押しましょうか~ 』などと相手を認める事から始まってゆく
『 うるせ~バカ野郎~ 』と言われた場合はケリ倒せる相手ならケリ倒す 
それ以外はバックして横道を探す。
喧嘩慣れをしてる者はどこかに冷静さがあり注意も上手だと思う。

ガキはそうやって大人になってゆき 一定の年齢になると恥ずかしくて穴を掘って入りたくなるが掘っても掘っても足りなくなる。
どこかに早くにいい出逢いがあったらならまた違った人生もあったろうに


この姿で諭されたら大概の者は聞くと思うが
悲惨な事件があったがこれからも注意出来る者は注意をし続けるべきだと思う。

修理中話かけ厳禁で~

ほとんどのカレンダーは日曜日から始まる 
それは遊んでから働けと言う事だと思うが
ここはマリーナーが火曜日休みなので基本火曜日がお休み あわせて俺は月曜日は午後から休み火曜は全休 水曜日は午前中休みで水曜日午後から金曜日まで働くが土曜日と日曜日はお客さんと一緒になって遊ぶのが楽しいのでほとんど仕事をしない またやっても集中する仕事は店の形態上出来ないし もし自分の機械を来たお客さんと何かクッチャべりながら直されたら恐いと思う。
そんな訳で週に三日働き四日遊ぶ事になってしまう。
それでも年金を貰わずに何とか食ってゆけるのはここの場所だからと修理業は収益が高い事と自営業なので深夜働こうが自由なのが大きいと思う。
以前は仕事をする度に伝票にカーボン紙を二枚挟み書きポストに出すのだが今はパソコンで終わり
請求書すらメールで送って来るなど普通にある。
不思議で仕方ないのは歳食って手際の悪さもあるとは思うが昭和に比べ格段に仕事手間は減ってるはずなのにナンだか神田で忙しいのに稼ぎは上がっていない

平成元年には法人税は40パーセントあったが現在は25パーセントに減っている。
法人税率が高い時は儲かってる時に設備を買うと実質6掛けで買った事になっていたり どうせ払うなら給料でとなったりしたが現在は税率が低いので内部留保がしやすくなって儲かってるのに給料は上がらないが内部留保はあると言う状態になってる。
法人税収が元年の半分以下に落ちて代わりに貧乏人の可処分所得に掛かる割合が高くなる消費税に頼る事になって来た。
大企業はセコイ事言っていないで儲かってるならさっさと払えと思うのだ
それでなくとも他に減価償却費や貸し倒れ準備金などが内部に蓄えられ、それは自由に資金運用が出来る。
法人に関してはたとえ赤字でもなんとかなってしまう理由なのだが
赤字イコール給料下げはあっても利益イコール給料上げはない 
それなのに企業の代理人である自民党に32パーセントもの人が自民党に投票すると言うのはダマされている。
民衆べったりでもない企業べったりでもない政党が早く生まれる事を望んでやまない

生まれた家は没落した事を見ない振りし続け家族を放棄した見栄っ張りの家長と母親とでいつも金の事で喧嘩が絶えなかった。
河川敷に勝手に作ったジャガイモやカボチャがあればなんとか食ってゆけるのに
子供がノートも買えないのに
胸ポケットに櫛を刺してる見栄っ張りの家長のおかげで貧乏のどん底を経験した。

男は不細工でもバカ野郎でも食い物を稼げる事が一番大事だと思う。
女は穏やかに綺麗でいてくれる事は男の勲章でもあり点数でもあるのだ。


遊ぶんがクソ忙しいさなかに平家(ひらや)の宿で定例会  
山岡家や吉村家などラーメンなど食い物屋は家を屋と呼ばせるので癖で平家とは読まんひらやと読んでしまうのだ。
で~ひらやの宿で定例会 
いまや一番の長老なので会の経費削減の為に若い連中に俺は自分の車の中で寝ると言ったが却下されてしまった。

見えない敵 三段論法


このトランク付パトカーは登って行った時は駐車場にすでにいた。
最初の位置は俺の車の置いてる横にあり
一瞬変わったパトカーと思った。パトカーにはおおむね二種類あり大型セダンとミニパトがあるが地域によっては山岳仕様などがたまにあるくらいで この小型でトランクがあるタイプは珍しい 
ミニパトの場合は積載物が丸見えになってしまうがこのタイプはコッソリ隠す事が出来る。
実際に片付け中の〇〇〇と〇〇〇をチラッと見えたが 
見てませんょと言う態度はシッカリ見ましたと言うあかし~
パトカーの横に止めるといきなり移動し横にして出口をシッカリと塞いだ当然職質があると思ったが
調理器具を持ってるのでチョット面倒かと思いすぐ灯台に登ったが除ける気配がなく暫くしてミニパトが登って来た。 その後も除ける気配が無く何やら話をし続ける。
アメリカあたりならミタな~黄色人種メ~面倒は拳銃で片をなどと相談してるのだろうが

冬はスノーモービルで各地の電波塔などの荷物運びをやったのでナイショで色々知っている。
見えない敵を探す外事かなとも思ったが?
写真をバチバチ取り始めると封鎖は解除したのですぐ山を降りた。
パトカーは二手に分かれたが当然一方をコッソリどこに戻るか見届けたがナイショ。
結構長い人生でなぜか知らんが囲まれる事は数回あった。

灯台は航路標識事務所の管轄で警察ではない

灯台の灯りは漆黒の海をゆく者に国を超えて誰にでも等しく照らし その灯りは経済効率では測れない GPSではとても代用出来ない安心感がある。 

俺は思うのだが見えない敵と同じ数だけ 見えない身方もいると思う。
見えない身方はそれは商売上も大事な お客さんで物を買おうとする人の奥さんかも知れない 子供さんかも知れない 知人かも知れない 
ボートを言えば一緒に来る人達ややむなく手放した人達をも大事に出来ない商売人には業界では伸し上がれない
いま目の前の金主だけを見る事をし続けると対応にタイムラグが出来る為に右往左往し一貫した行動になってゆかない
還暦を迎えたら見る事をしなかった 見えない身方に何かしらのお返しをするべきではないかと気づき始めてる。

家庭置き薬 
数百年も続く越中富山の置き薬はまさにいつ使って呉れるかわからんのに
御料地や中幌やタルマップの寒村僻地の山奥まで子供達を喜ばせる為に紙風船と共に春になったら見えない御方(みかた)を訪ねて歩く

やい セコイ目先の目腐れ金しか見えんJRや自治体など逆立ちしても真似できんだろう。