自分のこと 2

会社は株主の物であって働く者や社長のものではないらしい
で跡継ぎが無く会社を清算する場合に社長が全株を持ってる場合も
その場合も全部の会社財産を売却し銭にして社長兼株主に返さないといけない 会社の一部に住んで居る場合は立退き売却するか その建物を社長が買取らなくてはいけない その時に社長が買う価格は全国一の下落価格の実勢価格ではなく3倍もする評価額で買わなくてはいけない さらに売買なので消費税が発生する。
かくして登記変更や消費税が莫大に掛かり払えない場合は差し押さえて貰うしかないので廃業
即ホームレスになるしかなくなるのである。
誤魔化すと懲役もあるのだ。
それを避ける為に一旦誰か赤の他人に一円で売却してツラこいてそこに住み続ける事も出来るが
それとて自分の家に住むのに相当な登記料と銭が掛かるので万全の策ではない 
ましてや若いネエチャンならいつ気が変わるかわからん危険があるのだ。
かくして泥棒~犯罪者と言われようが何とでも言えのこのバカ野郎どもと 
自分一代で築いた家に住み続けるしかないのだ。
国は罠に掛けようと一円で法人に出来ますよ~
貴方も今日からシャッチョさんですょ~などと言うが調子こいて法人などにしてはいけない。

明日はどこの旅の空

網は入ってるがまだプリズンウインドではないホテルの防火窓から


何気に下を見ると隣のビルの窓に何か書いてあるぞ ネエチャンのレスキューコメントか~事件か~
と思ったら由緒正しい四文字熟語 平仮名だが!
「 ごーんめん 」と書いてある日本ではまず日本文化のスミマセンと謝る事から始まり 何が何だかわからんでもスミマセンで終わり事件になりかねない事も未然に防ぐスミマセン大変便利な言葉なのだが
「 ごめんね 」の場合は事件性に乏しく
これは本心から謝る言葉ではなく軽く その場が過ぎてしまえばOKと言う場合に使う。
例としては逃げられた古女房から若いネエチャンに乗換えた時に一生懸命作った、クラムチャウダーを古女房の茶碗蒸しを思い出しながら食った事がバレテしまったりした時に使う。
たいした反省してない、ごめんね、なのだ。
窓の住人はきっと下手な日本人より日本人ぽい義理と人情のトミー・リー・ジョーンズかも知れん

自分のこと

旭川通いが増えさらに南に東にと何かに付けて忙しい 旭川にゆく時でさえ途中で一度後ろで寝る事が多くなった。
EIJIからわけて貰った車は二台ともラジオを一度も聞いた事ないし聞こうとも思わない 
昔から初めての場所のはずなのに来た事がある 見たような気がすると言う事が多かったし
最近は何度も通ってる道中の景色がよく見える。
身体の中の遺伝子が太古からの何か道を探してるような気がしてならないのだ。

およそ人類300万年の歴史の中で仕事と言うものが発生したのは数千年前だと思うのだが
それ以前は自分か家族が食う為に動く 誰かの為に動き対価を貰う事は仕事になる。
仕事は誰かに仕える事で誰かの役に立った度合いに応じて相手の知と時間を貰える。
殆どのものは時間を買う事に繋がってゆき高いものほど早く着き早く作業が終わる。
そのなかで知と時間もある意味結構重たいので運びやすい貨幣が現れるのは 
人類300万年の中でそれはせいぜい古代エジプト程度もので日本では価値の裏付けに乏しい怪しい和同開珎が廃れ渡来銭が渡って来たのが たかだか1000年ほど前で北海道でもあちこちから出土している 
函館でも正式にはなんと言うのか忘れたが銭を紐で結んだ大量の銭がカメの中らから発見されている。
銭は使われて初めて銭で 貯め込むのはせいぜい精神安定剤程度の役にしかたたん
仕事をした結果が銭になると言うのは精神安定剤を必要とする者のする事でやはり若い者は仕事をする自分以外の誰かの役に立つ その結果に相手の知と時間を貰う、その相手の知と時間も誰かから頂いたものになる そこに足して次の誰かに手渡しをするその関係は対等であると思うのだが
そこを端折ってナンチャラコインで楽して稼ごうなどと思うと自分の価値と時間は銭となってカメの中にタンマリあるが どことなく虚しい寂しい人生になってしまうと思うのだが
ナンチャラコイン騒動は若い人が多いらしいので思いっ切り損して欲しいと願わずにはいられない
自分の対価をその程度で終わらすか生かすかは自分の素手に掛かっている。
素足を大地の土に付け素手に風を感じ油を染みらせてこそ生きてる意味があると思うのだが

北海道は太古から現代までと博物館と資料館の宝庫でこんな土地も珍しいのではないかと思うので
おりゃ~思うのだが北海道の博物館は暖房なんかいらんから年中無休がよろしいかと

なにせ国税から一人株主であろうが休業法人会社の施設に住んだり個人営業する事は泥棒と同じで
「 税務署の机の上にあるパソコンを私が家に持ち帰るのと同じ 」
と言われたのでもう仕事せんで良いのだょ~
佐川だせ~と言いそうになったが仕返しが怖いのでホームレスとなって今年は遊びまっせぇ~

下屋


すが漏りは一か所だけ水の道を作りそこからどんどん流せば解消する。
すが漏りの為に雪おろしをする事は必要なくなったがパイプの設置場所は窓を避けたのだが南に移動してしまった。
日によっては4~5日でガラスが割れそうになる ツンツンと突いて落とすのだが一気に落ちてくるかも知れんと思う緊張とワクワクする。
そう思ってツンツンして下敷になった人は多いだろうと思う。ま~それはそれで

数時間もの連続運転が難しくなったので いま行っておかないと後は難しいかもと
もっともいつもそんな理由を付けてあちこち遊んで歩いてるのだが
毎日長野の地図を見てあ~でもないこうでもないと思案してる。長野は周辺を8県に囲まれている 日本列島の中でも珍しい県なのだ さらに山のツネで集落が別れ川の流れと共に発展して来てる山一つ越えると違う文化圏があると思う。その変り目をこの目で確かめてみたい
きっと長野のどこかにいまだに隠れ里がありそうな気がして
なんか考えるとワクワクするのだ。
村で一番小さな店でメシ食って酒呑んで村の古老の話を聞いて一日の予算は8000円あれば充分なのだ。 
今回はラーメン作りのヒントになるかも知れない北海道では見る事が中々ない下屋の効能と構造と変化を見ながら一週間ほど掛けて太平洋側に抜けてみようと思うのだが
仕事が落ち着く3月が待ち遠しい
都会の人にはわからないかも知れないが雪のある地方はやっぱり爆発するような春3月末辺りがなんと言うのかいいのだ。

小さい男発見

 交際してる女に貸した400万を返せと言ったらしい そんなセコイ男など俺のまわりではあまり聞いた事がない
そもそも銭を都合出来たから貸したのだろう別れた女から金を取り戻そうなどとセコイ 
そんな男もこの世に居る事をぜひ逃げられた嫁さんに知って欲しいと ついセコさでは負けていない俺は思ってシマッタ。 
子供がいないのでどんな子でも見ると将来が楽しみなのだが そんな子達もいまやいいオヤジになってる。
どうして交際してる女の子供の成長を楽しみ手助けする事を喜べないのか不思議でしょうがないのだ
セコイ何もかも上も下も小さい小さすぎる。
まったそれを週刊誌にペラペラと喋り週刊誌も取り上げる事は最近の週刊誌は書いてもいい逆らわない適当な相手を探し袋叩きにするのが趣味なのか
もっと叩く大物がいるだろう。
そんな所に努めて本当にいい人生だったと言って棺に入れるのか
当然売上が上がるからやってるのだろうが買う方も買う方で都会に居たらそれくらいしかやる事が無いのはわかるが くだらん週刊誌でウンウンとうなずきネットか何かでさらに袋叩きにして輪を掛け再起のチャンスさえも奪ってしまう。
見ず知らずを叩いてそれで自分には何かの利益は有ったのか 只々後悔と後味の悪さしか残らんと思うのだが
まったく都会に住んでいるとゲームと袋叩き以外する事なく暇なのか
どっちにせ隣のガキでもない全く関係ない人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてクタバッテしまえ
人口比でどこの都道府県が一番週刊誌が売れるてるか調べてる奴はいないのか


スガモリが全くしなくなった屋根からオーバーハングした雪がいつ落ちるか楽しみにしてる。

朝から雪掻きはせんといかん 今日も崖の上に住むオジロワシは元気か点検せんといかん 
隣近所の爺婆の機嫌は取らんならん 
マキを焚いてるのでマキはわらんならん 春になったらゆく川や沼の様子もあれやこれや考えないかんし貰った魚はさばいて干さんならん
雪が溶けたらフキノトウを天ぷらにして食わんならん 田舎に暮らすと忙しくて大変なんだょ まったく


大釈迦村徳長 店の中はチョットした寄合所と言うか待合のようになってる田舎の噂の発信地兼お裁きの場かな?グフフ~
田舎に暮らしたら長い物には巻かれろ 情に竿さすな 爺婆には逆らうな

コツコツ銭も貯めたし~ 

毎日どこかの送り状を書いているがなんか覚えがある住所だぞ~と思い地図で確認するとやっぱし近いぞ~ストリートナンチャラで見ると景色も覚えがある。
追いかけて雪国~で書いた同じ人だった懐かしい 自分で文に書いてしまうと恥ずかしいので後ではあまり読まんのだが色々と思い出した。
石川県はやはり遠いのでその後は行っていないが帰りに見た大釈迦村の画像の父さんに逢いたくて 車をフェリーに載せる銭も無かったのでそこらに合ったスズキのK50にテントと荷物を積んで大釈迦村徳長に行ったが逢う事は出来なかった。
元気なのか話はしなくとも逢ってみたいのだ。

俺にはまったく持合わせていないものを持ってる。

福井でまった車が閉じ込められてシマッタ
冬はスノーモービルで荷物運びを40年近くやったのでモービルでも車でも猛吹雪で閉じ込められた経験が何度もある。
その時の経験から車にはエマージェンシーシートを積んでいる( 数百円のは使えない 2000円位のは使える )他にも救命胴衣や毛布、ロープなども常に積んでいる。
若い頃は吹雪が面白くてしょうがなかった。オリャ~と吹き溜まりにわざわざ突っ込んで突破してみたり色々やったが一度だけ橋の一番最初に立ってる石柱にブツカってひどい目にあった事がある。
ま~そんな話は置いて
俺は思うのだがスタッドレスを売る時に一緒にエマージェンシーシートも一緒に売場に置いたら たいした儲からんでも商人の品格だと思うのだが


14,1ボルト スペアバッテリーM27MFの電圧計 電気敷き毛布を2200円で買ったので夜に車の中で寝て試してみた暖かいが
そもそも極寒の地に行ってないので効果があるのかないのかわからん
バッテリー電圧はドンドン下がる一方で2時間寝て寝飽きたので終了


後窓は大した役にたたん冷蔵庫の冷却フアン エンゲル冷蔵庫が欲しいのだが5000円以上のもんは買わん そんな事に使う予算は無い
前に見えるのは1800円で買った20Wのソーラーパネルなので車が南に向くと発電がアップし最大14,2Vまで上昇する。

3月は田舎暮しの自説を確認にこの車で新潟から阿智村にゆくぞ~フェリー代は別にして一日8000円の予定でコツコツ銭も貯めたし 
なんか内地の山奥の街には北海道にはない幽玄の灯りを感じるのだ 
まさか商店街街灯がLEDになってないべな~

ニシン大漁

大相撲と他のスポーツと大きな違いは道具を使わない事でフンドシ一丁で闘う
そこにスポンサー企業が入り難い要素がありいたってシンプルなのだ。
スポンサーが付く事は選手だけの技量だけでなくスポンサー企業のイメージにそうパッと見の良さなども必要になってゆき 選手が使う物は莫大な利益を生む そこに何かしらのドロドロったものを見てしまう。
フンドシや廻しがなんぼ良くても作ってる処が莫大な儲けを手にする事は出来ないだろう。  ゆえに相撲は裏も表も無い 珍しいシンプルな競技と言ってよい
それは生きてゆく上に欺瞞と矛盾を常に抱えた人間社会に生きる者達に一時の夢と頑張れば裸一貫フンドシ一丁でもなんとかなるかも知れないと言う希望を見させる。
それが大相撲なのだ。
せめて大相撲だけは正々堂々とやって欲しいと思う人達に支えられている。


3時頃になってようやく一枚を撮る

朝っこ早く電話がなり暇だった来てくれと言われ 岸壁にゆくと大量のニシンが揚がっていた。初めての魚の網外しを手伝う。
ニシンはずうっと外ればかりだったが大漁になってそれぞれの漁家は人探しに奔走していた。
武洋丸には総勢15から17人ほどの下は中学生から上は80近い爺婆が集まって朝7時から終わったのは夕方5時頃 

網と魚を傷付けないようにするのだが手はかじかむはで大変な作業だった。
それが終わるとニシンのオスメスを分ける作業に入るのだが一匹づつ白子か数の子かを見分けるのも大変 さらにオスは安い為に発泡の箱に無造作に入れられるがメスは腹を上に向けて綺麗に10匹づつ並べて箱に入れて秤に掛けるのだが
そこには価格価値が誰でも一目でわかる一定の仕方があり面白いと感じた。

商人の品格があるとしたら獲られた水産物や農産物を効率よく無駄なく動かし一次生産者に頑張った分の適正な利益を手渡す事にあるのではないのか
クソ寒いわ手はかじかむ身体は心底冷えるはの現場に一日いてそう思った。

金を稼ぎたかったらまずは目の前の問題に自分の身体を使い真摯にガムシャラに取り組む事が一番大事な事で
金を稼ぐには一人では出来ない誰かの応援があってこそなのだ。
いい若い者がナンチャラコインなどで稼ごうなどと恥臭い いい人生は送れんぞ~

貴乃花

オスはマンモスと闘い引き摺って持ち帰り家族を守るのがオスに架された使命なのだ。
それは四本足だろうが二本足だろうがたいしたかわらん

やがて時がたちここ数千年になって文化などと言うチャラチャラたクジャクやオシドリのような人間のヤサ男が出現する。
鳥の場合はエサを取る能力はたいしたかわらん事と卵を抱く為にメスは目立たん方が都合がいいからなのだが
人間は体格からしてオスメスは明らかに違う
そこにここ数千年になって表れたヤサ男でも闘いに勝ちメスに尊敬の眼差しでウットリと見られたいと言う本能は残っている。

オスは今の自分は世間の家族の役に立ってるのかと言う自問は常に付き纏い
特に世間に対してどうあるべきかと言う問いが薄れた事が現在の荒れた世相となっている。
いまは有っても無くてもたいした誰も困らん仕事に従事してる者は多く
オリンピック、オリンピックと世間では騒いでいるが何兆円も掛けるオリンピックは有って無くても大した困らん代表格になる。 
困るのは選手とぶら下がっている関係者位なもんで
政治に利用されてそれで一時でも平和への光を探す道を見つけられるなら
それ以上の喜びはないのではないのか
グズグズ四の五の言ってないで行ってこい

野獣に比べてか弱い人類300万年の歴史でつい最近
絶大な知能で食うに困らんくなった人類が素手で闘う事を興業として変化し残った。
そこに生物本来の闘うオスの遺伝子を持ってる貴乃花親方の苦悩があると思う。
誰の為の大相撲かと世間に必要とされてるのかと 
であればどういう形が望ましいのかと
これはすべての興業者スポーツ関係者に問うてる問題なのだ。


築地魚屋の大将

華やかに持て囃される人達より土をいじり 水に手を漬け働く人達が居て食ってゆき生き残る事が出来る。 
道路で排気ガスにさらされて旗を振る人達や雨風にさらされて働く人達に貴乃花は勝てないと感じたのではないのか
銭を貰い興業する大相撲はどうあるべきかと貴乃花はその姿を晒しすべての興業者にスポーツ関係者に道を問うた。

男損女費

決して女嫌いではないが男の世界に女が入るとその世界は早晩崩壊するのは世の習い

散々売った俺が言うのもなんだがバイクは男の乗り物で女が髪振り乱して乗るものではない
昭和50年代後半あたりから女がバイクに乗り出してバイクが廃れてゆきツーリングクラブは修羅場になってあえなく空中分解しDOバイク誌が廃刊
今でもDOバイクに最後に書いた記事を思い出す。
釣りも女が岸壁でチカでも釣ってればよかったものを本格的に船釣りをし始めてから北海道の釣り雑誌が突然廃刊に

そもそも魚も野獣も生まれて来る比率はオスが多く
オスはマンモスと闘ったりメスの取りあいで闘い傷つき矢折れ刀尽きてジエンドになる為にオスが多く生まれるのは自然の法則なのであり
野郎は古来からメスにとっては消耗品なのだ。
俺の知ってる限りではメスが多いのはエビくらいで自然界ではオスが圧倒的に多く生まれて来るのです。

そもそも格闘技は野獣と闘いマンモスを獲って家に待つ子孫と連れ合いに持ち帰る為に行ったのが初めで 
そのうちに銭で食糧が買えるようになって筋肉に養分を取られて脳味噌に養分がいかないオスがメスにいい処を見せる場が無くなった為にメスに良い所を見せようとやり始めたのが格闘技で
それも筋肉バカに勝てる奴が固定し始めたので弱い奴が集まり弱い奴にもネエチャンにアピールするチャンス挽回とルールを作ったのが各種スポーツな訳で
それでも勝てん奴は銭に物いわせ貢くのでネエチャンには何かと費用が掛かるのであります。

今はメシも充分食えるのでルール有ってのスポーツや格闘技なのだが
どこかに野生の本能が芽生えた者達や最初から野生の者達の世界にメスが入る事は信号が青に変わった瞬間に道路を横切るに等しい暴挙なのであります。

待ってれば棚ボタで美味しい話が入るものを人間界だけが自然の法則に反してメスがオスの世界にシャシャリ出て来るから話がややこやしくなってゆくのであり
相撲もしかりで女が男の世界の表に出るとロクた事にはならないのであります。
ま~そんな訳で池坊ナンチャラさんも横野ナンチャラさんも話がややこやしくなるので出張らんほうがいいかと

貴乃花親方も阿武松親方も二人とも当選させんとトドかセイウチかと言うほどの首捻挫もいとわん野獣連合会のメンツが立たんと思うが


そもそも男がだらしないのだが
うんな事を言ってるので婚活すれど未だに1人暮らしで飯炊きに洗濯

春よ来い~サッサと来い

もう何日も太陽を見ていない 今年に入ってからあまり太陽を見た記憶がないのだ。
さらにここに居たら吹雪になって荒れたら人間の顔すら一日見ない日が結構あるのだ。
以前に陸封状態になり言葉が出なくなった事があり 医者先生にテレビと話をせと言われてテレビを見るのだが
最近は見過ぎなのかふっと気付いた事があってから なんかやたら気になってチャンネルをコロコロ替えてばかりいる。

テレビを数回手伝った事がある俺は数分のテレビを撮る為に数週間前からクドイくらいの打合せと時間を掛けて撮る事を知ってる。
遺跡や博物館大好きなので三内丸山遺跡は二度ほど行った時にマツコナンチャラが撮っていた画像に写っているからと突然承諾書にサインをさせられたが使われる事はないべと思っていたら 暫らくして誰かに写っていると聞かされたが自分ではそのテレビを見ていないが
どこに行っても無精ヒゲとナッパ服で貧乏くさいところがいいのかなぜか数回撮られている。

結構ひねくれてる俺はなんでタレントの顔が大写しになると たった今知りましたと大袈裟な顔 そんな訳ないべ~と
まるでCB72のクランクケースのボルトを閉め忘れた修理工みたいな大袈裟なリアクションをするのが無性に腹が立つのだ。
オ~マイ蛾~なのだ なんでもっと自然に撮れないのかと
あとその日のメシも食えないカツれた生活を経験したので大食い番組も腹が立つのだ。
そんなんでテレビがいまアレルギーになりつつある。
早く川にも沼に行きたい花が咲き乱れる春がこんかと


昨春の画像

春が来ると水槽はこんな事になり外から中が見えなくなるほどおがるのだ。
三つ葉にクレソン ヤチブキにフキノトウなどが咲きほこる。
ここの駐在さんは新任になるとなんか怪しい植物を栽培してるのではないかと一度は見に来る。
疑ってる事は目が横向いてるし質問がトンチンカンなのですぐわかるのだ。
たった今知りましたと そんな訳ないべ~と

早く春が来て欲しい せっかちな俺は春を迎えに3月はこの車で新潟から長野阿智村にゆく予定をしてる。 
路銀は以前なら冬山に数日稼ぎに行けば稼げたが 年食ったので冬山は辞めて今はその辺に銭になる物はないかと必死に探して路銀を稼いでいるのだ。

さいなら三角また来て四角


野中 廣務はスピードを重視した裏と表の差が厚みとなったヒラメのような政治家だったのではないかと感じた一冊 ヒラメの牙は結構鋭い


霊波之光のカレンダーが神かまうな仏ほっとけが信条の俺にいまは上野駅でホームの掃除をしてる初老のオバチャンから昨日送られて来た。
横にチョロット写るは毎年使い回してる〆縄

かなり前に東京に頻繁に行っていた時に
あれ~この親子は何か変だぞと感じた瞬間があって声を掛けたのが始まり
現在に至るまでたった一回その時に逢っただけだが それから律儀な事に毎日メールが送られてくる。
なぜおかしいと思ったか話せば長いのでカットするが 
話を聞いてズブズブの知合いだった機捜のアニーにすぐ電話をして相手を〆てもらい一件落着
その後この霊波之光の会に入って仲間を作ったらしい

困難の最中に居る時は第三者から見ると そんな馬鹿な話があるかと思う、どうと言う事がない事でも弱い当事者では解決は出来ない事が多いとつくづく感じた事件だった。
女子供は困った事があったら抱え込まないで誰かに相談すべきと思う
「 六次の隔たり 」と言うではないか
世界は六人だけで繋がっているので六人に相談すれば殆どのもめ事は解決すると俺は信じてる。

4台あるうちの真ん中の移動時に使うパソコンはやっとなんとか使えると思ったら電波配給会社がヤメやがったくっそ~
で新しくナンチャラ電気でネエチャン個人レッスン付タブレットパソコンを買ったが~上手く使えんぞ~
ムッタシきたぞ~回し蹴りでも~
そんな時は水槽を見るにかぎる。

ヤチウグイがやっと年を超える事に成功したヤチウグイ越冬を思ってから3年ほど掛かった。