勝負あり~

企業の買収や合併を結婚と考えた場合
自分が不甲斐ない親と思っていても相手から呼捨てされたら
理由はどうであれ一家をあげて対抗せざるをえない
ましてや銭を出す側は特に注意する必要がある
USスチールと新日鉄買収は出来ないだろう なぜなら親を公然と呼捨てされた側は
その馬脚を露したたった一言が一人歩きして共和党だろうが民主党だろうが
一丸となって反対に動き買収は失敗に終わり現在69歳の新日鉄会長の商いに対する姿勢が問われていくだろうと思う。
金は人から人に渡って初めて価値がありカメに入れて隠し持っているだけでは
まったくの価値はなく今どきは危険すらある。

その金は感情を持っているひとに使われる事によって初めて金の価値が定まる。
昔から商人(あきんど)は三河屋から越後屋まで腰を低くして相手の肝を握って商いをして来た。
腰を低くするこれは何もベンチャラとヨイショだけではない相手の信条や置かれてる状況を理解する事でその後の商い将来はどう発展するかを思案する事にもなる。
その為にも相手との関係を居丈高になってことさら悪くする必要はまったくなく
ヤクザ者やゴロツキではないそれが日の本の永く続いた商いの方法なのだ。
ことさら日本人と言わないでも感情は世界中たいした変わらないと思う
金得る為に畑を耕し種を植え鋤で収穫をした事が銭と言う字の語源で
銭を得る為には多くの人に様々なお世話になり食って生きていく事が出来
金さえ持っていれば礼儀を失っていいとはならない
どっちにせいつかは一人で旅立つ自分の人生において金は単なるきっかけにしかならないと
考えた時にひとに恵まれる様な気がしてならないと新日鉄会長のテレビ会見を見て思った。
実るほど頭が下がる稲穂かなと

熊ネズミ


今年は雪が少ないさらに異変が
裏の山からキツネ、テン、アライグマや野生のイタチなど様々な動物が夜に下に降りて来て沢山の足跡を残していくのだが
それが今シーズンはまったく足跡が無いのだ代わりなのかネズミが家に入って来てる
ここの家の構造は少し変わっていて基礎は上まで全面コンクリートで囲まれていて住居部分にはネズミは入り込む事は出来ないのだが朝方5時頃には何処かでカリカリと音がする
いままでここを建てて25年以上そんな事はなかった
考えられるのは野生動物が来なくなった事でネズミが増えたのではないかと思うのだが
試しに外の壁伝いにネズミ捕りを掛けるとまんまと掛かった。

正月三箇日は殺生は止めて放置

ところで野生動物を捕獲するには環境庁大臣や知事の許可がいるがネズミはその対象にならないのだろうか獲ったらダメとは聞いた事がない
ネズミは野生動物以下なのかネズミ野郎と言われない様に気を付けようと思う


根性ナシなので殺生なしの方法を色々考えた結果
ハッカ油、ハッカ由来の防御剤、超音波器具などを砂川まで行って買って来た
三段構えで何が良かったのかわからんが夜中にネズミの気配が消えた。
それにしても他の野生動物達は何処に行ったのだ
ニュースではここから直線距離で2キロほどの朱文別沢に冬眠しないヒグマが出たらしいが
それと関係あるのだろうか鉄砲撃ちに言わせると1月まで冬眠しない熊はこの辺りではよく居るらしいが
他の野生動物が消えているのにネズミに引かれた先にクマがいたら
引いたネズミはクマネズミ
なんか恐い前兆でなければよいが

謹賀新年

的屋のオヤジ一家や大工の一家がしめ飾りを作っていた時は決まった店で買っていたが
ホームセンターなどで売る様になってから作るのを止めてしまった。
もう有難みも何も無いので古いのを取って置き交互に飾っている。
ホームセンターなども何でもかんでも売ればいいと言うものではないと思うのだが

毎年恒例の1月1日年賀に年賀状を書いて郵便局に出しにいったら田中ラーメン屋が開いていた
無性にラーメンが食いたくなったが1月1日に銭は使うなと親から言われてるので
断念して家に閉じこもっていたがやっぱりラーメンが食いたい
最近ラーメンは旭川ラーメンがいいと思い100キロ先だけどアチコチ食いにいっている。
ラーメンは同じ麺類でも蕎麦やうどんと違い
白い上っ張りの袖に涙の跡が見える修行などせんでも誰でも簡単に開業する事が出来る。
ラーメン屋の兄~はチョット強面が多く着てる服も制圧色系で相手を威嚇する黒色や勝色が多く
家に入ったら帽子は脱げと教わっていないのか帽子を被っている兄~も多い
ラーメンはそれでも営業が出来る商売で決まったパターンはない
人生をやり直したいと思った時には向ている商売とも言える
もしラーメン屋をやっていなければ極道になるか違う道を歩んでいくだろうと思う人も多く
実際にそっち系から足を洗いラーメン屋になったひとは多い
ラーメンはそう言う食い物で愛想が悪かろうが出るまで時間が掛かろうが食う方も
その味がその店主の味とスタイルと思う事も平和の為には大事な寛容と寛大の食い物なのだ。
昔ラーメンのオヤジがドンブリを持つ時に小指をドンブリに突き刺すオヤジがいたが
それは突き刺してる様に見えるだけなのだ。
天候を見て新年ラーメン食い初めに旭川に出掛けようと思う。

木は1000年

週2日は休もうとアフタサービスが付く物は売るのを止めて2年目になって結果は少し暇が出来た
例年だと年末は立ってるのもしんどいほどグッタリ疲れるのだが
今年は余裕が出来たのでキャリートラックのヤドカリ号を直す事に
これで大幅に直すのは4度目で総額は考えるのも恐ろしいほど掛かっている。

 
軽量化で燃費向上を目指して断熱材にキャンピングマットを貼ったがやはりマイナス5度以下になると
車用FFストーブがあっても寝ていて寒い事がわかり最初の状態に戻す事に

 
キャンピングマットを厚さ25ミリのスタイロフォームに交換して上にパネコートを裏返しに貼って年末工事完了
フレームは以前は3センチ角の鉄パイプだったが色々問題があり3センチ角木材でフレームを作り直し強度的な物は外壁にアルミ複合で補ったが足りないのか悪路に入るとギシギシ音がする
スタイロフォームをびちびちに入れるとカスガイの代わりになり強度は増し
それにパネコートでさらに強度と断熱効果を向上させてると!思う
知らんけど
結局は一番最初の構造に戻った 問題は内張りにパネコート、外壁にアルミ複合を使ったので
車内と言うか室内温度はエンジンを止めていてもFFストーブで20度になるので結露がひどい事になると思う
対策は何処かに空気穴を開ける事だと思うのだが
骨組みが木なので鉄材よりはだいぶいいとは思うがたまに外壁を剥して点検せんとイカンかも
日本で一番古い木造建築は法隆寺で1300年も持っているのでこれも車は朽ち果てもシエルは残るかも知れん
そう思うと木は凄い材料になる長持ちする一番の理由は木には空気が通る隙間がある事と柔らかい柔軟性が耐久性を上げてるのだと思う
橋やテレビ塔などは接合部分を溶接してしまえば作業性は格段に向上するとは思うが接合部分の柔軟性はリベットやボルト止めには敵わない
柔軟性=緩みなので
人間もどこかに緩みがないとダメなのだと言い聞かせて年末大掃除はサボる事にして真冬の車中泊に行こうと思う。

西は海なので北に行こうか南に行こうか東に行こうかと思案してるが
ここに来る人達を見て思うのは南から来る人達は予定時間より早めに来る傾向があり
北から来る人達は遅い傾向がある。
南は都会が多くそれだけ緩みのない時間に厳しい生活をしてるのかも

納得

修理業が長いが機械は最初から目的をもって作られ その目的にあった使用範囲で使う事が前提になる
違う使い方をすると故障となるが故障をひとつの問題ととらえて何が原因だったかを調べ対処方法を考えるのが修理屋で部品を交換し場当たり的に動かす場合もあるが
使用方法か設計ミスか材料に問題があるのかを常に考え続けるから修理業は面白い

ガソリンエンジンもいまは大変革が起きて付いて行くのも大変な時代に入った
一番の大きな違いは電子化された事で気化器キャブレターは一個のキャブの中にエンジンを始動させる為の気化器と低速アイドリングをさせる為の気化器と実際に使用し力を出す為の気化器と最低でも三つの気化器がひとつの気化器に組み込まれる
それが現在ではECUによって一つの気化器で滑らかな曲線を描きながら動いてゆく

修理業は職人ではない
手先が器用であればそれに越した事はないが予習と復習をすれば誰でも出来る業種で
俺の様なブキッチョはお呼びでない職人とは違う
昔の職人は技術は見て盗んで覚えろと言われ教えられる事は稀で
かと言ってジッと見てると何見てるだと怒られる
どしたらいいのょと言う時代も経験して来たが
戦時中に大江で戦闘機の手作り油圧バルブを作っていた職人が漏れないバルブを作る事で戦地に行かないで済んだと言った。
それは見られ盗まれてはいけない自分の技術が自分の命を守った。
平和な時代では考えられない事でもその場その時代と背景があって成り立ってゆく
その時代にあったやり方があり修理業でも自分自身が納得をしないと相手を納得させる事は出来ない
トラブルが起きて相手を納得させる為には相手にわかる言葉が大事で専門用語など極力使わず
相手の目線になる事が必要になってくる。
あまりにも相手を理解をしてシマッタ場合はミイラ取りがミイラになる可能性もあるが
警察官は大きなトラブルを未然に防ぐ為には相手目線になる事は大切な事なのだ。

説得と納得

世の中の商いで価格が決まっていない物を取引する商いはよくある
我々の修理業もそうで修理が終わってから価格が決まるし売ってる物もほぼ定価では売れず値引き販売が常態化している。
その為に価格に納得をして貰う事が大事で一発屋で終って良ければ説得でいいのだが
交換した部品を見せて説明を尽くし納得してもらう事で商いは長く続いてゆき
説得と納得の違いを常に考え続ける事が重要で
優秀な営業マンと言われる人達は顧客が常に納得のいく商いを念頭においてゆく

福岡で悲惨な事件があったがすべてとは言わないが
なんの因果も無い人に無差別に手を掛ける無敵の人をどう対応するかと考えた時に
それ以前の地域のトラブルで警察官が接触する場面があった時に
その行為がなぜダメなのかと説得をするより納得をさせる事が重要ではないかと思うのだが
犯罪を未然に防ぐ為にも地域課には優秀な人材を充てるべきで
地域課の制服も制圧色と言われる勝色よりもどうしても制圧青系が使いたければ薄浅葱や薄水色がいいと思うのだが

ある地域課のお巡りさんが行った先々の任地で書いて残していったもので
小さな石に書いた物もあったが気に掛る子供達にあげていまはこれしか残っていない。

自分でも持て余すエネルギーで世間を恨んだり誰かを恨んだりとして無敵の人になっていくその過程で
警察との接点があった時に警察官が相手を納得させる事が出来たなら少しは違った展開になって行く様に思えてならない
検挙は一番の犯罪抑止力と言うが事件が起きてしまった後ではあとの祭りなのだ。
無敵の人を減らす為にこれからの警察官は説得より納得をさせる話法技術を身に着け
時間は掛かるだろうが自分を見つめ直す自らが納得のいく答えを探し続ける手助けをすべきではないかと思うのだが
近くにも誰もが持て余すゴンボ堀りオヤジがいるが言ってる事を少しでも理解出来るうちは孤立させる事なく付き合っていこうと思ってる。
それでもチョロっといい面が出る時があり
理解出来る俺自身も危ないなと思いつつその時は思いっ切りヨイショしている。

時間Ⅱ

殆どの人は時間を売って買っている。
一日のうち8時間ほどの時間を売って給料か手間賃かを貰って今度は貰った銭を
自分が楽か便利になる為の時間に銭を払う
除雪機などはその最たる物で他っておけば春には雪は解けるのに何十万と言う銭を払う
雪を踏み固めてイタドリの枯れ木でも歩く処に挿しておけば何十万円分は自分の時間を自分の為に使う事が出来る。
さらに言えば除雪機は小は大を兼ねるが大は小を兼ねない
大き過ぎる除雪機は狭い処は入って行けないし小回りは効かないし危険が伴う
無駄な銭を使う事は自分の時間ももったいなく使う事にもなる。

余裕が出来た時間であらためて自分の為に使うと様々なものが見えて来て
それは壮大な宇宙の大スペクタクルが見えて来る
水槽に入れる為に浜に石を拾いにいくと丁度いい石は中々ないのだ
一番多いのが平たい石で角張った石が何十キロも川をコロコロと転がって来る時に角が削れて丸くなり
やがて川底に止まってる時に上を小さな石が通り表面を削っていくのだと思う
表面がいい塩梅に平らになった石はベルヌーイの定理によって川底から持ち上がりさらに下流にと旅立っていく
知らんけど
さらに何千年か何万年と時は過ぎて海へ着き浜辺で俺に拾われてしまった。


この石と俺とは同じ時間の単位ではない様に
銭のある人とその日暮らしの俺との時間の単位や価格も違うが
それは人が勝手に決めた単位であって俺の単位ではない
アンデスの高地では何時間も瓦礫の山道を歩いている水を運ぶ人達もいると言う
水を汲む為だけに何時間も使うのが不幸や不便と思うのはちょっと違うと思うのだ
便利になる為には銭を得る為に都会か何処かで働き自分の時間を売らなくてはいけないのだ
それは地球誕生悠久の時間から見たら人間が最近勝手に作った時間単位で
幸せを時間や銭で測る事は出来ない
その幸せ時間は自分自身が決めて行くもので他の人に言われるのは大きなお世話なのだ。

時間

毎日雪の量は少ないが風が強く寒さが身体にこたえる日が続いている。
雪が家をすっぽり覆うと寒さもそれほど思わないのだがマイナス4度でも今はこたえる
冬は誰も来ずまともな会話もしていない
春までここはこの状態が続き人間の顔を見るには何処かに出掛けるしかないが
今年は喪服をクリーニングに出す間もなく葬儀が続いて先日、昔世話になった業界の葬儀があった。
葬儀は世話になった故人の近親者にこんな奴と付き合っていたのかと恥を掻かせない為に
持ってる服の中で一番高い服は喪服でダブルの4釦、半オーダーで少々銭が掛かっている
普段は一年の殆どを油が付いて一人者を象徴するように穴のあいたツナギ修理服で過ごしてるので
葬儀場では馬子にも衣裳で気付いてくれない人が多い

俺の葬儀では白装束でなくツナギの作業服を着せてスパナとドライバーを棺桶に入れてくれたら
地獄に行っても修理をして小銭を稼いでいると思うのだ。


全長8メーター水槽を使ってもドブ貝の飼育は難しい ひとの作った機械とは全然違う面白さがあるのだ。

昔世話になった人の葬儀に行って思ったのは
自分自身の時間の進み方とは同じではないのでと思うのだ
右見て左見てるあっと言う間に後期高齢者になってしまってさすがにアチコチ悪いが
いたって元気なので
やりたい事も山ほどありそのやりたい事の為に仕事をサッサと止めたいのだ
魚の飼育もまだまだ調べる事が多すぎて完成には程遠いし食って見たい物も沢山ある
ラーメン屋も味も仕組みもまだまだ満足いく状態ではない
ラーメンに関しては入口が二つあるので左から入ったら居酒屋で右から入ったらラーメン屋にしてみたいのだがなにせ人手不足で中々進まない

なんと過ぎ去った時間の速い事 これから来る時間の沢山ある事よ
もしかして時間は自分が作り出すもので時間とはminute、secondと存在はしないのかも知れないと

あとの祭りにならん様に

いつも行く小児科の先生が俺の顔を見るなり健康診断してるかと聞いた
しばらく行っていないと言うと行けと言う
なんだろう初めて言われ気になって受けた健康診断の結果が来た。


雪が降ってからの駆け込みで修理依頼が毎年数軒来る
外観を見て引取って移動した時点で各操作音や動きでほぼ見通しが付いたと言っていい
何十年もやって来た事で意識せずに五感に刷り込まれてるのだと思う
フリクッションデスクが減って来るとF1速とR1速を入れる時に若干の違和感が出る
その時点で点検をして減ってる度合いに応じて調整をしていたらここまで駄目にはならんと思ったが
部品は廃版になりすり減った中古も数万と高く 今はそれすらも無い
あとの祭り

先生が言うには野菜嫌いは身体が少ない野菜から養分を無駄なく取ろうとするので
たいした問題ではなく偏食の食べ過ぎの方が大問題と言う
銭もこの歳になって思うのは少ない銭でなんとかと思うので
色々考えて工夫が面白いと思う様になった。
今頃気付くなどあとの祭り

健康診断結果は問題なく終了 通知結果を先生に持っていかんとない

生前墓

神かまうな仏ほっとけの俺が
土曜日に人生のほとんどを好き放題に暮らしく行く当てが無くなりここ崖下村に5年前に来た
実弟、八の3回忌を井上円了が禁酒論の講演をしたと言うお寺でお経をあげて貰った。
残った姉弟も姉は新興宗教によって分断され仏事の付合いは一切ないので
ほんの数人でお経をあげて貰ったがお経より初めて入った壮言な作りの本堂に見とれてしまった。

増毛にはたいした縁も無かったが老後は増毛で暮らしたいと漠然と思って海沿いの三反五畝ほどの土地を買って置いたのが
バブルと他の要素で大当たりして見る見る地価があがりその後バブルは弾けて
現在は買った値段の七分の一でも終活処分が出来ないでいる
そんな流れ着いた地と冷や飯食いの次男坊なのでお寺を持っていない
これ幸いとお経をあげて貰えれば何処で良かったのが引き受けて呉れたのが当寺だった。
人間誰の世話にもならんと言っても自ら墓に入る即身仏になる根性も無いので最後は一人で歩いて墓には入れない

生前墓を作ると長生きすると言う説とやめとけと言う説があるが俺の場合は実姉が新興宗教で何されるか危ないので生前墓を作って置いた。
田舎の公営墓地の場合は管理費が掛からない処が多いので墓仕舞いをする必要がないのだ
縁者が途絶えて石が倒れようが転がろうが確かに生きて来たと証が残り通り掛かりの者が手向けて呉れるかも知れないと思うのだ。


国道429号線だが40キロほど誰にもすれ違う事はなかった。
志引峠 明治四十三年 母九十二歳とある
縁者ではないが拝んで来たので喜んでいるだろうと思う


下蒲刈 遊女の墓らしい安永や寛政などもある石としてでも生きた証が残る事は
たいした事をしてこなかった自分には最高の贅沢だと思うようになった。
春休みにさいど山陰山陽に挑戦したいと思う。