投票に行って来た

ユーチューブを見ていてビックリする動画があって それがまた何千人ものいいね!が付いているのだ。
コメントを見ても人はどうしてこうも簡単に、いかにも怪しい女、ナンチャラ勝子に騙されるのか驚いた。
それは選挙開票に不正があると言う動画でコピーした同じ筆跡を多数見たとか鉛筆書きを書き換えてると女が言ってるのだ。
一枚や二枚ならあるかも知れんが、この女はそんな数を言ってるのではない結果を左右する数に不正があり自分で見たと言う。
開票作業は公務員が多く意外と自民党支持者ばかりではない
国政選挙開票場は全国1700の市町村があり不正をして結果に影響させるには膨大な人数が必要になる。
そんなバカな~ここはロシアか~


楽しい~шашлык シャシリク

日本人ファーストとか言ってるが一次産業はもはや外国人がいないとやっていけない
ここの浜でも夜明け3時に浜に出て何十人と言う外国人が働いている
農家も同じで外国人が大勢働いている。
もはや外国人がいないと米も魚も輸入をせざる得ない
それでも日本ファーストなどと言ってるのは働いて貰ってる外国人に失礼だろうが
一定数集まれば外国人だろうが日本人だろうが外れた奴は出て来るのは当たり前で
毎日のニュースに犯罪を犯した奴を日本人と外国人ですと分けたら人口対比はどうなるかわからんが
同じ日本人の弱い年寄り目掛けて襲ったり騙したりする日本人の方が遥かに外道だろう

有権者が数百人しかいない一次産業の田舎など眼中にないのか
選挙で叫んでる奴はいったい何処を見てるのだ。
いまや世界中でナンチャラファーストと叫んでいる連中がどれほど非道な事をやってるか
家にテレビはないのか、知らんのか、
この状況は1921年頃のドイツの状況に似ている様な気がしてならない
結果は第二次世界戦争に繋がっていったのだ。

世界と比べて日本は充分な恵まれた国で80年間も戦争に巻き込まれていない
金をだせば食料も酒も充分に買う事も出来る
なんだかんだ言っても道端で飢えて倒れている者もいないほど福祉は充分揃っている
夜道も熊に襲われるかも知れんが大概は安心して歩ける
一国の指導者を公然とクソ味噌に言っても闇に葬られる事もない
不安を煽る立候補人はいま現在世界中のどこの国の様になったらいいと思ってるのか
いったいどこの国になら移住してもいいと思うほどの見本になる国があるのだ。
あの国はいいこの国はいいと言うならそこに移住するほどの覚悟はあるのか
あるなら言ってみ~


それほど恵まれた日本をまだ足りない、まだ足りない、と不安を煽るのは詐欺師の手法なのだ。

自分に逆らえない家族に食わせ「お~お父さんの作るラ~メンは美味しい~」とか何とか言われて
ラーメン屋を開業して失敗こく奴は五万といる
家族や取巻きに酔っぱらった勢いで政治論を噛まして、「お~お父さんは凄い~」などと言われて
タスキを掛ける決断した程度の奴しかいない今回の選挙はまったくバカバカしいのだが
明日から土日ラーメン屋をやるので今日金曜日に不在者投票を役場でして来たが
これ本当の話
受付でハガキを出したら、なんか知らんが機械が故障してA4くらいの紙が出てこなくなった
何人もが二階から降りて来て あ~だのこう~だのとやったが待っても治らず
シッコしたいとMお姉さんに言ったら、
ゆっくりして来て下さいと不在者投票コーナーの横にあるシッコ場に案内された。
新興宗教の奴に俺にはサターンが憑いてると毎度言われてるが本当かもと思った。
待ってる間ひまなのでどうして投票用紙は鉛筆で書くのか聞いてみた
役場の若い兄ちゃんが目を逸らしながらのシドロモドロの説明だがなるほどと納得がいった。

いいニュース


増毛で三國と言えばあの三國さんである
その三國さんがラーメン屋をやるらしく看板がたったが
なぜこのソデ看板は人通りが多い通りに面せずほぼ通る人もいない南を向いて立ってるのだろうと考え続けた。
通りから見え難いソデ看板は一見さんお断りなのだろうか そうなると価格はそれなりの価格になるのだろうかと考えたが
旧志満川は明治25年に建った建物でその頃は看板が向いてる方向がメインストリートだったのだ
元々あったソデ看板を書き換えたのだ。
増毛には並ぶ超有名店の麵屋田中商店があり他にも雄冬にはあの海鮮ラーメンと何軒かありラーメン屋で町おこしなど出来るかもと
今から開店が楽しみなのだ。


〇に助 丸助

上湧別に入ると突然大きな由緒ありそうな建物があるが向かいのセコマで聞いても散歩中の人に聞いても
枕木を作っていたとか割箸を作ったいたとかハッキリした事は聞けなかった。
ただ割箸はなんぼ作ってもこんな立派な建物は立てれないだろと思うと
なんぼ作っても苦労ばかりで儲からんだろうと思う商品はモヤシは30円そこそこ軍手なども1双作って30円から40円で売ってる
卸価格はよくて8掛けか作ってる人は可哀想すぎ
軒先の織機で作られる軍手は儲けはほぼ材料代に消え軍手の指先をひとの手でクルクルと結んでいた。

話はそれたが
ここもそうだがずっと地元に住んでいたら昔の事などでもいい事なのかも知れない
北海道人は特にそう感じるのだが、日々前を向く後ろは振り向かない、
悪い事は忘れるそれは前に進む生きる為の技術でもあるかと思う。

目的地は近い


ポント浜に立つ塔は太平洋戦争初期の昭和17年に機雷事故が起き112名もが犠牲になった慰霊碑
北海道はアリューシャン列島に繋がる為に戦争では重要な拠点となっており今でもあちこちに戦争遺跡を見る事が出来る
大勢の人が犠牲になったこの機雷事故も破片を調べればどこの国製かわかるだろうが殆どの資料は意図的に無いらしい
今も年間1800発の不発弾処理があり昨年は宮崎空港で爆発 今年6月に読谷村爆発し第101不発弾処理隊員が負傷した沖縄では毎日一件は不発弾処理がある
戦争は始めるのは簡単に起きるが80年たっても後始末は続き
戦争に勝者はいないと言うまったくその通りと思う。
お参りしてからさらに海岸沿いをゆく

突如現れる日本ではあまり見る事はないCONTINENTALのテストコース なんでこの場所にどんな縁があったのか
周辺数キロを高さ3メートルほどのガード鋼板で囲って中が見えない様になっている。

仕事柄Brunswick 、Zodiac 、TOROなど様々な外国社の技術講習を受けて来たが
これは日本でやって行くのは難しいだろうと思う事が多々あったがその殆どは日本では縮小していった。
逆を言えば厳しい自己管理がいる稲作農業と四季折々の美感覚を持つ日本市場を無視した製品は海外も含め伸び続ける事は難しい事になる。
日本で売れなくても海外で売るからいいやと地元日本市場を軽く扱った過去に世界NO1だった日本製品が海外製品に負けて生産は近年終了になってシマッタ。
実験市場としても地元日本内需を無視した日本製品はやがて世界市場からも淘汰されるのではないかと老婆心ながら危惧するのだ。


カーナビでは目的地まで行ける事になってるのに道は崩れ行って、行けない事はなさそうだが安全をとって断念する。
うんうん人生終末になって少しは物を考える事を覚えた。

インカルシ

増毛を去り新天地に行くかどうするか考える事があって月曜から
涼しいだろうオホーツクに行って来たがここより熱かった
街のど真ん中に岩が見えるアイヌ語でインカルシと言い遠軽の語源になった。
網走にはよく行くが改めて遠軽に行く事はなかったが今回は道の駅が出来たのでそこで車中泊して翌朝目的地に
町外から来た素人にはタダの石だが町内どこからでも見えるこの岩が望郷のシンボルになってるだろうと思う。
 
遠軽には明治32年に留岡幸助先生によって創設された家庭学校がある
家庭学校は「有難」を是としている 書いたのは明治なので今風に書くと「難有」となる
人生は難が有るものなのだと言う教えで難があって身を持って経験したからこそ「有難う」と言うお礼の言葉が出て来る事らしい

 

目的地にいく途中の湧別で無敵の親子鶴に行く手を阻まれた。
子供鶴が草の中に2羽いてク~ク~と泣いているのでもしクラクション鳴らしたり
写真を撮る為に車から降りたりして親鳥が飛び立ったら
飛べん子はパニックになるしキツネに襲われるかも知れんので3羽が道路を横断するまで待つしかない

鶴の恩返しは、あれは確か見てはダメと言ったのに見てしまい鶴は飛び去る話で
約束は守れと言う話だったと思うが
やや待ってる間に思うのは鶴が羽根を引っこ抜いて機織りをしてたら折角助けた鶴は早晩干乾びて
しまうだろうに見て飛んで行って良かったのだと
鶴でラーメンスープは何杯取れるだろうかと考えたり
鶴親子がサッサと避けて呉れないから う~ん心が汚れていく
助けただのあんだのと、してやった事は忘れろ、して貰った事は忘れるなかな!

 
俺が通り抜けた後に浜側からむさい顔したオヤジや気合の入ったお姉さんが朝の忙しい時間帯に根気よく待ち続けやがて逆走行して通っていく

ハイ解散!

名古屋のナンチャラ言う暴走族グループが7月6日熱田署で解散式をした
一時は500人が居たらしいとの事なので一大グループになる もともと名古屋はバイクグループは出来やすい土地柄で
古くは鍋田干拓や伊勢湾台風後に出来た伊勢湾堤防の巨大な堤防がバイクで走りたい放題だった事などもあったのかと思うのだが
集まれば不良も出て来るそれが集まり一大勢力となっていった。
ただここで言える事は不良集団=ヤクザと言う括りをしてしまうと大きな間違えになる
いわゆるヤクザとはヤクザを業として稼業にしてる者も多く、それではメシが食えないので正業を持ってる者も多いが
暴走族不良集団は仕事をしてる者が仕事が終わって夜な夜な集まる事が多く
集まる群れる事の多くは仲間を求めてと守って貰える事もある
頭も良く自分で決めた事は守り抜く根性があれば上下やわざわざ縛りのある仲間に入る必要はない訳で
その多くは環境に問題を抱えた者も多い
育ちや環境に問題がある者をどう一丁前にさせるかが社会や世間の大きな宿題になっていく
右が悪で左が善だとすると右にいったり左にいったりとその狭間で揺れ動いてるのが実態で
それが悪に固定化される前に世間が出来る事は沢山ある
愛知県でも特に名古屋は昔から改善更生に熱心で色々なバックアップが用意されている
その手法は様々だが知る限りでは他地方より手厚い
10人のうち1人でも更生させる事が出来たなら何もしないより成果はあったと思うべきだと思う。

北頭高架橋下

中京地帯は一大工業地帯で地方からの若者を抱え込む事で発展して来た工業地帯なので多少問題があっても包み込む容量がある。
一度は決心し折角解散式までやった者をこんどは世間はどう接するかは
多くの者はいままで褒められた事はそうないだろうと想像できる中には環境に問題があり
やっと日々のメシ食って来た子もいるだろう親に要らない子とまで言われた子もいるだろう
その様々な環境下では怒って躾ける事はやってはいけない
なぜそうなったのかと一緒に考える事の方が遥かにいいと信じている。
散々怒られて育って来た事は想像に難くないので
なら何かしらいい処を見つけて褒めて礼を言う褒められる事は自分の存在を認めて貰えた事になり社会で必要とされてる事になる
都会のスーパーに行くとセルフレジだかなんだか知らんが田舎者にはなにせ戸惑う
そんな時は買い物に来てる恐そうな兄ちゃんや姉ちゃんを選んで聞く事にしてる。

バイカルハナウド華

 

 

 
国道231号線留萌礼受から増毛間にバイカルハナウドによく似た2メーターほどの草が生えてるが
不思議な事に増毛に向かっていくと阿分稲荷神社超えた萱泊を最後にしてそこから増毛に向かって生えてるのをほぼ見る事はない
あるのは箸別のバス停に数本見る事は出来る
なにか違う事は231の道路斜面が萱泊まで北西の方向を向いているがそれを過ぎると斜面は北を向いていて
そこから埼が阿分の埼、舎熊の埼、てんやの埼と地形が複雑になってる事くらいで
他になにか分布が突然無くなる事は他に理由があるのだろうか
いつも歩いて通る場所に数本あるので毒草なのか早く知りたい

修理業を半世紀以上やってるとサービスマニュアルがない時代は外観から判断をして無駄な分解をしない様にする
平らな部分に丸い凸がある場合は中にボルトかノックピンがあると言う様にエンジンを分解する前に中はどうなってるのかと途切れ途切れの情報をつなぐ癖が付いている。
これは一般生活する上にもよく作用する場合と悪く作用する場合があり
思い込みの激しさにもつながる。
バイカルハナウドらしい華を見ながら背丈もあり華と優しさとちょっぴり毒を持ったMさんの顔を懐かしく思い出した。

バイカルハナウド?


なんかわからんがそっくりなのがそこら中に群生してる

バイカルハナウドかどうかわからないが似たような草はこの辺の海岸道路沿いになんぼでも生えてる
想像するにはバイカルと言うからにはバイカル湖だと思うのだが
ロシアにはバイカルと言う清涼飲料水があるらしい
日本で言えば飲んで爽やかトリカブト飲料と言ったところかなオソロシア

続き
字にする以上は出来る限り正確にと思い北大植物園に聞くが返答は地元で聞けとの事だったので
地元振興局に聞いたら自分でも見て大丈夫かと思ってる最中で親切にわかるまで触るなとの事だった。


本棚にあった植物本
何十年と川や沼の魚を育ているうちに水槽の浄化を自然の草でやろうと水草を探して
自然の草を色々探していた時に使った本
 
バイカルハナウドに似た草はセリ科エゾニュウがもっとも近い花ではないかと思うのだが
留萌港には頻繁にロシア船が入港していた時期があって船は税関検査も甘いのでバイカルハナウドが周辺に生えていても何も不思議はないと思うが
結果は持ち越しに

植物は魚や動物と違い胞子が飛んでいくので怖い事だけはわかった。
ただ糸口を見つけると大きく広がる楽しさは田舎だからこそだと
何処で見たのかゴビウスかとも思うがバイカル湖にはハナカジカがいるらしい

価格考

最近旅の通りがかりの物好きなひとが中に入って来る
このボロボロな店に先週は東京から来た人が口切りに千葉や岡山などから来て
「 よくこのボロボロな店に入って来たね 」と言うと地元のこう言う店を探していたと言う
折角北海道の黄昏た西海岸に来たなら何か美味い物でもごちそうしようと思うが俺はなにせ
てっぼこ、なので何も出来ない
せめて美味いラーメンをと思うのだがこれも毎度思案してばかりで終わりが見えない


木曜日にシイタケと根昆布をステンレスキッチンポットに入れて冷蔵庫に一日置き
金曜日は鶏ガラ豚骨を入れ朝7時に火に掛け軟骨が解けたら出来上がりなのだが
その日によって8時間から10時間となぜか時間が違う
ここが機械と違うところで面白いのだが作った醤油ラーメンは地元のひとは醤油ラーメンで地方の人は殆どがホタテラーメンばかリになる
中も外もたいした変わらない店なので満席になると地元民はスルーして手間暇掛けた醬油ラーメンスープが余ってしまう。
土日しか営業しないので廃棄にするのでそれは価格に影響する
地元民と一見さんとどっちかに偏るのをどうするかが思案中なのだ。

悩んだら旅に出るのが俺 この道がこうなる道道1030号線

 

月曜日から釧路に行こうと思ったが行っても観光客が多いだろうと思いなおし
幾寅から山越えをする事にこの間およそ20キロ誰にも会う事はほぼないので考え事するには丁度いい

全国旅して思うのは北海道は物価が高い、特に飲食店は高い、厳しい冬は売上も極端に落ちるのと暖房費が極端に掛かるからで
半年で一年分を稼ぐ必要があるからなのだがそれを割引いても高い
ラーメンは青森県には180円ラーメンなどもあり東北は総じて価格が安く400円台が多い
青森で出来る事が食料生産地の北海道で出来ないのはちょっと考えてしまうのだ
観光客用の価格などは自分の首を〆る事になる事は眼に見えてると思うのだが
海や山や川などそこでもともと長い年月で育ったものを力で変える事はやがて衰退する事を証明してる観光地は沢山ある
幾寅から道道1030号線の出た処は一世を風靡した関兵トマム

海は広いな~大きいな~

海には白線も標識もないあるのは広い海原だけで自分の思った通り走り自由に何処にでもいける


道路に穴があったとか標識が欠落していたとかと道路管理者を訴える人もいるが
海は突然の三角波が来ても濃霧が出ようが暗岩があろうが誰も訴える事は出来ない
自由とは自分に対する責任が伴う、
その多くは自分の命を持って償うのが海なのだ
多くの罠がひそんでいる海で危険を回避する方法は沢山あるが
その中でも仲間を作る事も大事なのだ一人で海に出る事は落水があった場合は
ほぼ船に戻る事は出来ない
船頭が多すぎても困るが何かあった時は正確な判断が出来ない事が多く
嬉しいのもわかる 気がせくのもわかるが
初めて船を買ってひとりで海に出る事は絶対にやってはいけない

海も山も救助は蟻地獄に落ちた者を助けに行くに等しく
自分が困った状況のおちいった場所に、状況に、同じ目に、あってくれと言ってるのだ
助けるには経験と充分な準備と多くの陰の人員が必要なのだ。

この時代に命からがら戻っても誰もジョン万次郎にも大黒屋光太夫にもなれん
ただ皆を危険な状況に引き摺り込んだ者として記憶される。

覆水盆に返らず

北海道なのに名古屋のような暑さ
いま終活中で鍋と軽トラ以外はすべて処分しようと倉庫を片付けていて二階にあった思い出のバイクも処分する事に
逃げられた嫁さんとの物もあって一品一品づつ見入ってしまい
片付けが全然前に進まない


小さいのから大きいのまで様々なバイクに乗ったが
モトクロスレースで道内各地を転戦していた時に最後に乗った
CRこの頃は力がすべてでイケイケでなんでも自分の思い通りになると思っていた。


先週はここに持っていた家は誰かに貰って欲しかったが誰も現れずに解体に
倉庫や車庫など見たら進まないので解体業者に頼んですべて壊して貰った。
掛かった費用は百数十万
後継者がいないと言う事は築き上げた物をすべてを壊し
さらに一円にもならない事に高い銭を払わないといけない
今更だがこれも自分で選んだ人生なのだと


春夏秋冬で送ってくれる同人集を読む
ささやかな生活のなかで堅実に日々を暮らす人達の言葉が綴られている
俺にもこんな心掛けがあったならと思って読んでいる。
バイクで走ってから考える野生児のような生活だったが
終活をやっていて捨てる物を見る度にあの時に知性があって踏み止まっていたならと