自己申告主義

ザキトワの無免許運転はもうオリンピックの限界と無駄を表したのだ。

昨日21日は8年間手間だけで役所も俺も一円にもならんなんと無駄な事がと思い続けた問題に一定のピリオドが打たれた。
役所の担当者によって状況がたった本紙と複写の紙二枚でまったく変わった。
役所は基本的には自己申告主義で自分で難解な法律を調べて自己申告をしなければ何も変らないと言う事なのだと思っていた。
俺は面倒臭い事大嫌いだし自分で調べるなど弁護士でもあるまいしヤッテられないと言いなりで従っていたが
昨日は綺麗なお姉さまが分厚いファイルを抱えて現われた。
ファイルを見ながら「 これでは実体がありませんね 」と現金ではなく帳簿上のたったの数十万の放棄と紙二枚に理由と自筆署名捺印をする様に言われて十数分で8年間の無駄にピリオドが打たれた。 
今までは窓口で数年間訴え続けた事は一体なんだったんだと言うほどあっさり終了。
役所の浮いた手間と俺の浮いた精神的負担と手間は何処かに寄付でもしよう。


昔し冬の荷物運びの作業中にチーム全員猛吹雪に巻き込まれて何処が道なのか身動き取れなくなった時の画像
これすら当時は楽しんで仕事をしていた。

俺はブッ叩かれようが埋められようがクタバラないが経験上強い者 それは自分の限界を試すようにゲーム感覚になってやり過ぎるほどやってしまう。
政治と役所は強い者を押さえ弱い者を助ける為にあるべきと思うのだが
弱い者は窓口の担当者で運命も変わる者も居る事を示した。

もうすぐ納車らしい

ロクデナシと言われた俺が言うのもなんだが狂人を国政に送り込んだ大阪維新の会が謝罪するのはロシアではなく元島民に根室まで行って土下座して謝罪すべきで 
それが人の道と思うのだが

リトルボーイ( 広島原子爆弾のニックネーム )

一年の大半の仕事が終わった。
後は10月まで食ってゆくのもやっと言う程度の仕事をこなすだけなのでノンビリと言いたい処だが
待機と拘束時間は何も変らないので三日以上もここを離れる事は許されないし何事も無ければ無報酬になるので食糧を確保しつつ何をして過ごすかが課題になっている。
そろそろ稼ぎからして車二台所有は贅沢と思うのと軽トラックは座席ポジションからして少し走ると疲れるので一台にまとめる事にした。
条件は車の中で足を延ばして寝れる事 除雪機が積める事  維持費の安い事と幅が狭い事
四輪駆動で低速ギヤ付でリクライニング付 入口と天井の高さは130センチ以上 希望の車は軽ではまったく無い 


 多少の悪路も戻って来れる事
出来る事なら15インチタイヤのスズキのジムニーのキャブバンが欲しいのだが無い無いのだ。
冬は除雪機整備をするので室内と入口高さが130センチあればいいのだが それも無い
折角作った軽トラ用キャンピングカーも長距離は身体が痛く使われず置いてあるだけになってるし
ほんと車選びは難しい  
実感のある500円程度の物を買うにはやたら慎重になるがナン万円と付くと思考回路がパンクするので無駄な買い物がやたら多いのだ
そんな中で選んだ一台がまもなく納車になるらしい
らしいと言うのは装備品は何も無いので色も納期も一切お任せになっている。
急がせても製造ラインのスピードが速くなる訳でもないし 色も派手な色も散々乗ったし
装備サービスと言っても原価がある事だし 出たとこ勝負ホイはまいどの事
気に入らなければ切ったり穴をあければ済む事 
止まってたって陸の上だべや~ 

丸山穂高2

点検整備でなく故障を直す方の修理工を半世紀以上もやってると故障がメシの種になっているので誰かが壊れて困って呉れないとメシが食えない。
故障が起きる⇒原因を探し特定する⇒バラす前に対策を考える⇒費用対効果を考える⇒印度を渡すか直すか⇒どっちにせ説得に掛かる⇒捨てるか直すか作業に掛かる⇒
これを毎日繰り返し闇雲にバラしたりはしない問題と対策がメシの種
狂人の頭の中を考えると

北方領土を取り返しに一体誰が戦地に向かうのか 戦線布告した途端に圧倒的国力の違いのロシアから迎撃ミサイルの数以上のミサイルが根室や釧路に飛んで来る。
アメリカは島などなんの利益にならんと絶対に助けには来ない
俺なら間違えましたと無防備の民間人地域に一発打込む
実際にロシアは無防備の旅客機を撃ち落としている 稚内で大韓航空機 最近ではウクライナでマレーシア航空撃墜
戦闘部隊は犠牲が出ようが必要経費でしかない 世論を厭戦気分にさせるには民間人の犠牲が一番の費用対効果なのだ。
よしんば宣戦布告をせずに卑怯者と言われて急襲闇討ちを掛けて領土を戻したとしても74年前の日本人が受けた事と同じ事を現在の島民にする事になる。
それをしないからこそ日本人なのだ。

島国の日本と違いロシアはアムール川の川中の中心を境に
やり手婆のような中国や
隙あらばネズミのようにカジって見ようと手ぐすね構える中東諸国や
理路整然とやり込めようとする黒縁メガネでタイトスカートOL風の北欧
などの国々と地続きで接する常に緊張状態のロシアの危機意識の高さ 
そのロシア国民を占領下に置いて一緒に暮らすには安全保障上の莫大なコストが掛かる。
大勢の犠牲者を出し莫大な維持コストに見合った費用対効果は果たしてあるのか
見返りは海洋資源と日本人の意地と政治家の得点だけではないのか

もし話合いで戻って来たとして 日本中に村ごと消滅してしまった処は一杯あるのに
北方領土で生まれた者達を追い出し一体誰がそこに住み暮らすのか
魚も獲れて自由往来が出来るようにするのが現実的と思うのだが


そもそも誰の領土だったなどと言い始めたらそれはネアンデルタール人かホモサピエンス様の物だったのだ。
近い処では縄文人の物で
気持ちの落としどころは戦争さえなければと戦争そのものを恨むしかないのではないのかと思うのだが
時間が解決していつか笑ってあんな事もあったなと笑える日が必ず来る。 
その為にも非人道者にはなってはいけない

丸山穂高

俺は酒呑む奴は嫌いだったのと煙草を買いに冬も夏も何キロ歩かされたので煙草は吸った事がないが酒は呑むようになってシマッタ
若い時は一升くらいは呑めたし、かなりの酒豪のうちに入ると思うが
酒での失敗も結構ある 
酒は普段から隠していた考え方やその人の本心を暴くので酒の呑み方である程度わかる。
それでよく酒を呑まない奴は信用出来ないなどと、のたまう方も居るが俺は酒を呑む奴の方が信用出来ない
なぜなら酒のせいにして逃げるからなのだ。
それは酒豪と言われる俺でさえ許される訳がないと言い聞かせているので
ある時を境に数十年飲酒運転をした事は一度もない。

昨日15日はロシアハバロスクからアムール川沿いを千キロほど下流のある田舎に向けて船外機が数台行った。
一台は250キロもあるホンダOEM115船外機と160キロの船外機 どちらもEFIで調子はいい 
事前の打合せではトラックに乗ってフェリーで来るはずが
ハイエースで来た どうやって積むんだとしばし悩んだが俺とロシアの若者と二人で持ちこの車に積み込んだのだ。
日本の若者なら無理~ムリ~無理~とか言ってハナからやる事は無いだろう。
ロシア人はタッパはそれほどはないが作りが凄い それは初対面の握手でわかる。
この若者は初対面だが他国に来てる事をしっかり認識して郷に入っては郷に従えをキッチリと守る。

ロシアは日本の何百倍あるのよと言う国土にたった1.4億人しかいない 国土全部が過疎なのだ。
そこに日本の中古機械がドンドン輸出されてゆく 国土が広い為になんでも自分で直そうとしドライブシャフトすら切って繋ぎ直そうとする。
北海道が過疎などと言うのとは桁が違い過ぎるのだ それでも高価な船外機を買い使う経済力があるのだ。

いま日本ではそこら中にボートが放置されている 親が歳食って子供にやると言っても熱いだの寒いだのと軟弱な事を言って親から貰い身体を使い海に出ようとしない 
結局ボートは家に持ち帰るにも大き過ぎて放置されている。
バイクも同じなのだ使える物が貰い手もなく放置されている。
それは日本の若者が身体を使う事を嫌がってる事を意味する。
日本がロシアと戦って領土を取り戻せると思っている事と
普通に生活していた親も子もある相手の頭をブチ抜き脳味噌を地べたにバラ撒き 
女子供を凌辱する戦争をする事を
北方四島やサハリンから戦争によって嫁や子供が口に出せない事をされながら命からがらで戻った人達に面と向かってまた戦争をしようと言う。
頭の中身が狂っている ぜひ狂人の親の顔を見てみたいと思う。

平和は三世代続ける事はかなり難しい事を狂人の丸山穂高は見せつけた。

母の日

妹はクタバッタが他の5人の子を飢えさす事もなく育てた母親は偉大だった。
言葉が7~8歳になっても遅く頭も悪い俺は学校にゆく事は苦痛でしかなかった。
ある言葉を切っ掛けに学校に通う事を勝手に免除してしまった俺はさらに字も読めない書けない状態になったが
今の市立病院とバイパス道路の間に大きなコンクリー製のタンク群があった そこでの鉄屑拾いや開運町での空き瓶を拾い西田商店に持って行って買って貰いアチコチにチョコまかと稼ぐ事を覚えた。
一向に稼ごうとしない実兄に替わって
その稼いだ金を母親に持ってゆくのだが鳥取出の厳格な母親はその金を受け取らなければ
たった一合の闇米すら買えないのだ。
冬を過ごす暖房の為に薪も石炭も買えない一家は人造石油にゆき沢山落ちていたコークスを袋一杯詰めて持ち帰って冬の燃料にする  
副港の原田木材に行って原木の皮を剥ぎ冬の燃料にと
好都合な事にアチコチにゆくには学校などノンビリ行ってられないのだ。
母親は子から金を受け取る度に自分の不甲斐なさを突き付けられる様に感じたのだろうと思う。
母親はあきらかに俺を嫌っていた。
母親に気に入って貰えるように媚びるようにさらに稼ぐ、
まるで虐待を受ける子のような その悪循環に落ち入ってしまったのだろうと今は思える。
やがて言葉の遅い分力に暴力に頼る癖が付いていった。
母親には一度も怒られた記憶がない
その母はいつも「 悪に強い者は善にも強い 」と言った。
母は辛抱強くそれから そこそこの大人になるまで十数年も待つ事になったが当時はどうやって苦労して稼いで来るかわかっていたのだと思う。
それでも受け取らねば一家飢え死に状態にしてしまう父親
父親には本気で殺意を持った事は何度もあった。
やがて限界を感じ親元を去る決心をするがそれは正しい判断だったと今でも思っている。


母の日に
俺は男で立場は違うが ふっと桜木紫乃の本日開店を思い出した。
桜木紫乃にどうして書く気になったのか聞いてみたいと思った。

何かがおかしい

なんか世界中が悲惨な事故事件が多いような気がしてならない
原因はなんなんのだろう。
平和が三世代続くと言うのは珍しい事なのだが それは後において

以前に留萌のバイパス道路で神居岩に行く道を
前から来る大型が通り過ぎるまで右折の為に停止していた。
その時に後ろから某建設会社の普通車に追突された。
その衝撃で前方から来た大型トラックの前に押し出された その頃はモトクロスをやっていたので反射神経も0.1以下で反応でき今よりはかなり良かったので
アクセルを吹かし大型トラックの前をすり抜けに成功
乗っていたのは軽キャブトラックでその後は何度も夢に出るほどの恐怖だった。
右折など毎日ある事なのでまた同じ事が起きたらどうやって防ぐかを考え続けた。

対策は
右折停止する側は進んで来たレーンなりに真っ直ぐ停止する事でハンドルも安全を確認するまで右に切らずに真っ直ぐしておく。
真っ直ぐ停止する事で顔は前方に向く為に前から来る車もよく見える。 
さらに追突された場合はハンドルを右に切っていない為に真っ直ぐ前の空いてる場所に進む事になる。
前方から来た車は停止してる運転手の顔がどっちを向いてるかである程度の今後の動作がわかる。

これはバイク乗りの必見で必ず右折待機中の運転者の顔を確認しながら交差点は進まなければならない
運転者の頭が動いたら危険
右折の為に斜めに停車する事は二車線を塞ぐ事になるのだ。
俺は車同士なら100/ゼロなどありえないと自分に言い聞かせている。

以前は請求書もカーボン紙を挟み手書きで切手貼りポストに行って投函した。
工具も格段に進化して大幅に時間は短縮されているのに兎に角時間が無い 
なぜ不思議で仕方ない
原因の一つは先進国や大企業は正当な対価を払っているのか
粗末な安全策もロクに取っていない現場が存在する事を見てもロクに対価を払ってるとは思えない
同じく10連休は大企業だけで下々は鼻から無かったのだ あっても手取りが減ってそのシワ寄せが明けに来たりする。
その穴埋めに60過ぎてもせわしなく働く
 
普段のせわしなさが前を見る余裕すら奪ってゆく

修理でさえ一か所に5人のメカニックが居たら それぞれが一件事に10分間考える事は50分のロスと
考えるのはチーフメカニック一人でいいと言う考え方が何も考えない日常を生む出してゆく
何かがおかしい

金メダル以外はメダルでないと言い切る 
そこに勝つか負けるしかない発展途上国の選手など眼中に無い 
勝か負けるか 金を持ってる者か持っていない者かしかない
何かがおかしい

今朝食ったメシさえ忘れて思いだせない 
それでも70歳まで働けと言う年金も支給しないと
何かがおかしい

自分に実害も無い殴られた事もない相手や国をクソ味噌に叩く 
それは自分自身の内に問題がある事を見つめようとしない
何かがおかしい

世界中で正当な対価が払われていない 誰かがよっこしている。
正当な対価があったら後は使う者の知恵と見識に掛かって来る。
鼻から普通の国民と
自分以外の有色人種は三等国と思ってる事が
世界中が最近の悲惨な事故事件を多くしてる気がしてならない

ただ有名と言うだけで買ったり喜ぶのはもう時代遅れなのだ
自分の眼で見て触って考えて財布を確かめて買う 買った物は永く使う時代が来た。

遠き島より椰子の実ひとつ

30フィートを超えないとボートとは言わんと言う人もいる。
確かに波長や対波性を考えた時にそうかも知れんが 
要は波のある時や波の出そうな日に海に出なければ済む話なのだ。
そこが遊びと職業の違いなのだ。
末席の端くれではあるが両方を見て来た俺には遊びには一定のルールがありどれほど知識を知ってるから述べたからと言って職業人には勝つ事はかなり難しいし命の掛かる浜で知識をひけらかす事はかなり恥ずかしい事だと思う。
メシの数なのだ。

なんぼ話し合っても分かり合えない人が一定数いる事は紛れもない事実なのだと思う。
海は歩いては帰ってはこれない 
一人を助ける為に見えない処で連絡掛かりや緯度経度の確認などやバックアップの待機に多くの人がいる事すら気付かない また見ようともしない人がいる。
まったそう言う人はそのまま何も気付かずに人生をあっけらかんと過ごしたりする。
いちいち裏の裏まで考えたら恐くて暮らせんと思うので気付かずに過ごす事は何も悪い事ではないと思うが
だが不備を指摘されたら一応考え 海に出るのは止めるべきだと思うのだ。

『 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ 』
は愛知県伊良湖岬にゆくと歌碑が立っている 
伊勢湾や三河湾で
『 波をチャプチャプかき分けて~ひょっこりひょうたん島 』
などとやっていて伊良湖岬を出たら名も知らぬ椰子の実、のチョット困る状態になるが
北海道日本海側は何処もそんな海域なのだ。

お前だ お前の事だ~ ドンガバチョ~

昭和一合升

連休も中日になった。
連日誰かしら来てくれる 時代は確実に変って、
何処の誰か何をしてるのか一切聞かない事にしてるが 生まれてこの方悪事などまったく無縁と思えるこの人と俺はどんな繋がりなのかと自分でも思ってしまう人達も来る。


朝 目が覚めたらポストに置きメモと缶コーヒー 一瞬言葉を交わしただけなのでチョットビックリ 
字数にしたら半角を除いて30文字 缶コーヒーがタダの缶コーヒーではなくなった。

北海タイムスと加地外科の間に二軒続き長屋にあった闇米屋の婆さんがいた。
鉄屑や空き瓶を拾い雑品屋に売って( ちょっと頂いた物や横取りもある )帰り道に闇米屋でいつも持ち歩いてる小さな米袋に一合を入れて貰うのだ。半世紀を超えて一合升は本当に180.39ccか測ってみた結果は169.29 6パーセントほどが減額になっている 
木は古くなると縮小するのと淵を20回ほど叩くとかなり隙間が空く人生帳尻は合うのである。

俺は思うのだが、ふるさと納税や伊達直人の中に名誉も物も要らね~ょと人生の帳尻を合わせようとする人達が居ると思うのだが
俺の右足には当時飛び降りて錆びた鉄筋を踏み抜いた傷が今も20センチほどハッキリ残っている。

平成

なんかこのブログがおかしい事になってる全然関係ない会社が表示されるが
消す事が出来ない 
どっちにせ大して役にも立たんブログなので平成と共にブログを消してしまうかどうかなんとかせんといかんのだが・・・・・・やり方がわからん
いっそ全部削除か間違えて削除かいずれにせ整理をせんとイカン

昭和炭鉱跡地
 

NHKの大河ドラマは前作が終わってもしばらく見ない事にしてるが今年のはまだ一度も見ていない
朝ドラも次回作は最低一週間は見ない事にしてるが 今回は北海道と言うので二日目から見てしまった。 
去ってゆくものにたいしてたった一日で次の月曜日に何も無かった事にするように新しい番組を見る感覚がよくわからんのだ。
半年も見続ける朝ドラを見てる人が二回前は何だったか覚えてる人は居るのだろうかと思うほどすっかり忘れて見てしまう事になんか無情を感じるのだ。
テレビに映る新元号をバカ騒ぎで祝う群衆を見てもなんかこの世の無情を同じく感じるのだ。
俺にとっての平成はほとんどがここでの暮しと独り身に戻った時間だった。
思いかえせばこの閉塞された狭い土地だが次から次と揉め事が起きてやがて解決してと
それは様々な人達との出会いと別れで永かったような短かったような様々な事が起きた。
ただ昭和と違い力ずくで解決と言う事はなくなった平成だったが
土から染み出た水がやがて急流になり次はゆったり流れる河になってゆくそんな様を見るような昭和平成と過ごしたが最近はすべてが運命だったのだと自然に思うようになっている。

夜寝ていて誰かが部屋に居るような気配が一晩中していた。
一体誰なんだろうと朝になったらまた誰かの訃報を聞く事になるのかと考えたり何か不思議な感覚だった。
俺は平成になにを残したのだろうか 俺は一体どんな奴だったのか
ふっと20数年一番ながく暮らした逃げられた元嫁さんに聞いてみたくなった
が、やめた令状の令、令和は整理整頓の時代にしようと思うので逃げられてから25年過ぎた。
男の責任として何処かに再婚でもして幸せになって呉れるまではと思って来たが一番にコイツを記憶から整理しようと思う。

ノスタルジックイン留萌

港で待ち合わせをした。
待っていた相手はここでしか生きてゆけないと思わせる相手で親方から離れたら生きていけないだろうと思わせる連中だった。
親方は明るい元町でガキの頃から知ってる若い親方だが
仕事帰りの一杯か大きな鞄を小脇に抱えて夜の街を歩く姿に
頼って来る奴らの為にもいつまでも元気でいて呉れょと思った。


一面が真っ白な雪で覆われる冬が過ぎて春が来るとアチコチからゴミの山が出て来る
そのゴミの下には港湾荷役に使われた線路の一部がある
それももうすぐ雑草で覆われて見えなくなってしまう。

どんな人間にも心の何処かにゴミを抱えていて何処かに仕舞っていてふっとした時に出て来るのを押さえながら生きているような気がしてならない。
地域性がありそこから出なければ普通の事として過ごして居られるものを外に出たばっかりに
上を見てしまったばっかりに元に戻る事すら出来ない
それでも足掻いて足掻いて日々を暮らす人達の中に安らぎを覚える時がある。


大和路地トンネルビルが解体された。
 
この狭い場所に何人も何十人もの雑多な悲喜こもごもが詰っていたのに
こんな狭い場所だったのかと驚いた。

ここには昭和35年当時は路地トンネルがざっと4本ほどあって中でさらに路地に繋がっていて今でも二本が残っていて通り抜けるにはチョット心構えが要りそうな雰囲気がある。

35年当時は右側の階段を上るとさらに路地があった。


通りを挟んだ別のシマ
この界隈を離れて東に渡り北海タイムスと加地外科の間にあった闇米屋でたった一合の米を買う為に走り回った子供達がいた。
どんな奴でも食って生きてゆく権利はある、だが同じくどんな相手にも生きてゆく権利はある。