貧しき者


人様の商売にケチを付ける事になるが
ズワイガニはカニの中でも美味いカニとは思うが どうしたらズワイガニ一匹に五百万もの値が付くのかわからん
ズワイガニはタラバや花咲ガニと違い確かに足の数は二本多いが数百万も出して食っても
貰って食っても大した味に変わりがあるとは思えん
場所によって呼び名は変わりエチゼンガニ、マツバガニなども同じだが紅ズワイガニは違う種類になると思う。
勝手に思うにはカニやメロンやマグロに異常な値が付く事は買った者の宣伝などもあると思うが
宣伝などいつ迄も覚えているのは当人と関係者くらいで
せいぜい三日が限度でそれ以降は日々のニュースの中で忘れ去れてゆく

片や震災に遭いやっとこさ立ち直ったと思った記憶も消え去らないうちに次の台風に遭いとさらに数百万の借金をしようか
また来年も台風が来たらと思って収穫寸前の作物を前に呆然としてる人達もいる。
その中で異常な価格の物を食うと言う事は味よりその異常な価格の物を食ったと言う事に価値があり
言ってみればとっても寂しい人達なのだと勝手に思う。
その五百万から本来のカニの価格2300円くらいを引いて四百九十九万七千七百円をほらっと被災者かどこかに寄付でもしたら
その記憶は帳簿の片隅に永遠に残るかもしれんし
その十倍も寄付したら小さ目の石の一つでも何処かにおっ立て呉れ永遠に残るかも知れん
だが一番には誰も褒めて呉れんでも自分に金星をおっ立てる事が出来ると勝手に思うのだが

京都先斗町に降る雪も~

ズワイガニはこの辺りでは貰って食う物で一杯500万やメロン一個数十万など狂気の沙汰だ。
そんな事に銭を使う事しか考えられないのは精神の荒廃劣化が始まっている。
何処かに寄付でもせって

毎年冬になったら貰う毛ガニとズワイガニ 500万もこれも大した味に変わりがあるじゃなし~


この車に積み切れない物はトレーラーで運ぶ事にしてヒッチメンバーを付け
試しに2トンほどの船を引いてみたがこれが軽かと思うほど楽に引く事が出来た。
技術の日進月歩は凄いなと思ったが連結検討計算ではこの車で引く事が出来るトレーラーは積載量200キロまでとなった。
950登録は諦めてっと 
縁石を超える時にフロントメンバーが縁石に擦るので2インチ車高を上げてタイヤは145-13にした結果は縁石にする事はなくなった。
あとはキャンバーとトーインの確認をする為に旭川か何処のテースター場に行かなければならない。

5日夜雪予報の三笠道の駅で寝てみたが結構寒かったのでFF暖房を13900円で買う決心をし注文したが中国製とは言えなんで以前の十分の一以下の価格で買えるのかいったいどんな仕組みになってるのかわからん
修理場に付いている天井クレーンの200キロウインチを新品価格9400円で買ってもう10年も故障もなく使用してる。
なんぼ日本製はいいと思っても価格が十分の一以下では買う事はなくなっていく
物作り日本と言ってもすでに中国には勝つ事は出来ないのではないだろうか
これからの日本が進む道は内需の拡大と物を作る為の工作機械とその工作機械を作る為の工作機械マザーマシンを作る道しか残っていないのではないだろうか

観光でも依然と違い外国人観光客が大幅に減っていると何処に行っても感じる。
大陸とのやり取りをかなり昔からしてるので外国人にはまったく抵抗は無いが 日本人の分かり易い意気に感じるとか損得でないとかと言った日本人の持っている気持ちの安定感を失った時には観光もきっとダメになってゆくだろうと思う。
その気持ちの安定は確証の取りようがない裏を探り続ける事ばかりしてると心は荒んでゆくと思うのだが

幼い子をBB弾で撃ったり職場の同僚を虐めてみたりといったい何がこの国に起きてるのか
経済とはパイを奪い合う競争である事は間違えない 
そこに経済優先を第一に持ってゆく事でひずみが出て来た結果なのだと思うのだが
いまや誰でもホームセンターや中国製などがある為に安価な工具を手にする事が出来るようになった
対策は消費経済より時間を楽しむ、過程を楽しむ事をやってみる事もありかなと思い始めてる。
思うようにいかない作れないそれも含めた経過を楽しんで笑い話にしてみたらと

あ~ほ~ばんざい~


信砂岳にうっすらと雪が降った。
きっと1週間後に旭川に積雪があるだろう その1週間後に増毛や留萌に積雪があると思うのだが
どんどん雪が積もる時期が遅くなっている気がする。
一言で自然には逆らえないと言うが小さい自然は人間の手によってかなり克服している。
何事も程度の問題でわかり易い言葉には危険が一杯詰まっている。
雪が降る頃になるとアチコチの沼や三日月湖に川から魚が遡上して来るが殆どの沼や三日月湖は人工的に作られた落差溝が有る為に生まれた処に戻る事は難しいが知る限りで1か所だけは落差溝が無い沼があり 
毎年この時期そこに見にゆくがここで生まれたのか放されたのかわからんが今やなぜこの魚がここに居るのだと思う魚に出逢う。
一度は時期は早いがグッピーを見た事がある。
色の綺麗な魚は他の魚に食われる確率が高く生延びる事は難しいはずなのに
生きる生きようとする力は凄い

この頃になると北竜や雨竜の沼にはあれだけ沢山いた渡り鳥も居なくなっているが極わずかだが渡りそこねたのか鳥が残っている時もある。
大型の渡り鳥には空気抵抗を減らす為にV字編隊飛行を組んで次の越冬地に飛んでゆくが
若く体力と方角を正しく知る知恵のある鳥が年老いた鳥や子供の鳥を守りながらV字の先頭に立ち疲れたら次の鳥にと変りながら飛んでゆく
それでも過労で海にポッテと落ちてしまう鳥や無事着いても過労でエサを探す事もままならずにオッチヌ鳥もいるらしい
頭もいい体力もあるが相当のアホ~でもあるがア~ホ~が次の時代を作るのかも知れん。
どこか新天地を目指す北海道初代開拓者の姿に重なるのである。

今シーズン終了


今年は一度も出動する事がなく終わったが訓練をする事もなかった。
歳食ったせいかだんだん海に積極的に出たいとも思わなくなっている 
このマリーナには今年から海で生計を立てて来た海のプロが居るので一度一緒に海に出て下さいとお願いしてるのだが
 忙しすぎて実現出来ていない

自己研磨型船底塗料は動かしていないので汚れが付いている。
船底が汚れると抵抗が掛かりすぐ一割や二割のスピードは落ちるし燃費も悪い 
酷い場合はエンジンのオーバーヒートを招く今はヒートセンサーが付いてるので警告の回転制御が掛る為に焼き付くところまでは行かないが広い海で制御が掛ると「 お~お~どしたどした 」とかなり不安になる。
時間数乗る船はいい船底塗料は高いが燃費ですぐ元を取ることが出来るので価格だけを重視する事は一概にいい決断とは言えない。


火事は泥棒と違いすべてを奪ってゆく。
中一の時に原野二線の養豚場の向かいにあった石炭小屋より少し大きい水道も電気も無い
家族5人が住む家が近所の火事で延焼し突然家族が住む家を失った。
悪ガキだった俺にその時の同級生が八幡屋の前に立ち募金活動をして呉れた当時の担任は行徳千里先生だった。
あちこちから集まった、 おそ70,000円と言うお金が手渡された家族はそれを元手にそれぞれの地に分かれていった。
母親には何があっても恩は忘れてはいけないと言われたが その時に留萌市民に受けた恩はまだまだ返し切れていない
返すにも誰だかわからん 目の前を歩く人かもしれんもうすでに鬼籍に入ってる人かもしれん 
利息はどんどん膨らむばかりなのだ。
生まれは何町だかよくわからんが留萌市に生まれた事は本当に良かったと思って来たし
暖房器具と言えば火鉢しかない内地の生活でも支えになって来た。


あと数日で今年の仕事が終わる。
今度はマキストーブにオデンでも乗っけて置きます。

小っさい男の秋です。

俺はほんと小っさい男だと実感している。
30年間実子のように思ってきた子の親が戻って来た 
その十数年振りの親子の対面を見てからは自分の人生を改めて見詰めているが
なぜか虚しいのだ。
数人の親代わりをしてきて こんな思いは何度か経験してきた筈なのにやっぱり歳なのだろうか

後ろをよく見える様にアクリル板の位置を入れ替えた。
そこに親子が一緒に車に乗って現れ娘が
「 おじさんこんなにして違反でないの 」と俺に聞く
父親は「 全長の一割以内だから違反ではないのさ 」とさもったらしく言う。
俺は俺が聞かれているのになぜ、お前が答えるんだとムッと来た。
誰が一体良かったのか 30年間日送りをし続けた奴が良かったのか
日送りをして貰っている事を子供達に報告し続けた別れた嫁さんが良かったのか
どっちにせ良い事なのだが。


秋は地方に出かける仕事が多く夜明け前に出ようと出発する。
牧岡台地から雲海に包まれた空知平野を夜明けに見下ろす。
この時期だなと思いちょっと回り道をしようと


38号線の廃校になって子供らの姿が消えた小学校に立ってる銀杏の木に寄って拾った。
もう誰も拾う子は居ないのか沢山落ちていた。 
近所のアンソニー・クインに似た住人に見つかってオラ~オラ~誰に断って拾ってるのだとミジカメ料を取られる前にと銀杏を沢山拾って来て
皮を剝いて軽く干しあがったらこんなに沢山あった。


翌日戻ったらお貰いボックスに大根が乗っかっていた。


中には型のいいガヤが大量に入っていた。
蝦夷メバルは煮付けでも刺身でもソイより美味い
早速捌いて一人で食った 食いきれないのであちこちに配る。
ここに居さいすれば誰か彼かが見守っていて呉れる事を実感する。
こうして小っさい男の日々が過ぎてゆく
 

見栄えはま~いっか~

船を上げる準備と除雪機の移動でめちゃくちゃ忙しい日々が続く


冬になったら自作のキャンビングボックスがある為に全長170センチある除雪機が積めないので荷台の箱を下すかと思ったが
考えて考えて出張ったハンドル部分だけの箱を作る事にしたのだ。
 


これで中型除雪機はすっぽり収まる事になったので年中箱は降ろさんでよくなった見栄えは悪いが我ながらよくやったと自画自賛 出張った部分は車両全長の一割以内で収まるようにして合法的にOK。
スーパーキャリーの後ろの隔壁がボルト止めで外せるなら170センチでも積めるので何も苦労せんのだが

これで何処かに行ってみたくなり

行ってウチダザリガニを食って来た。


白藤の滝 こんな奥まで誰もこんべと思ったが次から次と人が来る。
すれ違う人と何気ない会話が楽しいが
道内の観光地の書き出しは日本語、英語、ハングルが殆どだがケツを見られた。
一度吐いた唾は呑み込めない


埼玉から珍しい人がわざわざラーメンを食いに来てくれて恐縮してしまった。
俺とは全然違う穏やかで誠実な人でこの人が出世する会社は素晴らしい会社と思った。
数十分の会話でまた埼玉に戻って行ったが 
飛行場から借りてきた北海道でまた復活した れナンバーにびっしりと付いた雪虫がどれだけ急いで走って来たかを物語っていた。
またいつか


そんな訳でラーメン作りをもっと精進せんといかん
スープを作る時に水1リッターに対し鶏ガラ一個と別の寸胴で豚骨と分けて同時に取り営業寸前に混ぜてるが
今週土日で今シーズンは営業終了なので余った材料を大量に入れてみる事にした 
材料を入れて水から炊くのだが飽和塩水の様になる事はないのだろうか 果たして結果は

勝手に思うに

二階幹事長の「 まずまず 」の発言を冷静になって考えるには
規模的には明治43年8月の関東大水害を想像し覚悟していたのではないかと思う。

保険会社は本来は相互扶助が基本だが大きく内部留保を取り崩す事になりかねない事態になる事を恐れたと思うのだが
損保保険会社は車メーカーなどが株主になっているので一定の線までは『 風吹けば桶屋が儲かる 』論が成立する。
それも保険を掛ける事が出来る人達の話で保険を掛ける余裕の無い人達に目を向ける方法はないのかと考えた時に
台東区の様な考え方が根底にある場合はやはり問題が生じてしまう。
経済発展と人間本来のあるべき姿や考え方は反比例するのかも知れないし
便利な社会は自分の命の管理を外部委託して人間本来のなんかアヤカンと危険を察知する生きる力も反比例するのかも知れない

北海道は水害と密接に結び付いた土地でもあり
新十津川町も和歌山県十津川村からの被災者が移住して来て現在の新十津川町が出来た。
尾白利加字国領の入植は明治43年関東大水害の被災者が群馬県佐波郡豊受村国領から移住して来た人達によって開拓され
その関東大水害は栃木県からも多くの被災者も移住をして来て佐呂間地方に栃木集落を作った。
時の明治政府は水害被災者に北海道開拓をさせる計画だったが
移住した被災者は自分の土地を持っていなかった農業未経験者が多かった為に
多くの北海道開拓農地は失敗に終わる事になってゆく
栃木集落開拓者も離農を繰り返し現在は栃木県出身者はわずか数戸を残すのみで最初の開拓者とは入れ替わっている。
だが実際に行って見た時にあれっと思った。
そこは行止まり集落でいい意味で北海道なのに内地の集落に来たような感じがした。
来年は栃木集落村祭りがあるなら来て見たいと思った。

思うにはテレビに写る事もなく保険も掛ける事も出来なかった人達に貧者の一灯を確実に届ける方法はないのかと思うのだが
それは政府でもなく保険会社でもなく小さな集合体にしか出来ない事なのかも知れない
『 風吹けば桶屋が儲かる 』は本当だと思う
だがそれは被災者に一番近い桶屋でなければいけないと思うのだが


田舎では儲けた銭を内部留保などと独り占めすると因業爺と言われる。

時効で内緒だぞ~

もう関係者も居ないし時効だと思うので
ある時ある施設の沖合1マイルほどを船が流れていった。
引く船よりかなり大きい船で時間掛かって戻ったが問題が生じる
その有料施設の会員の船ではなかった。

有料施設責任者のバカにまた沖まで引いていって放すのかと聞いた。
責任者は返答しない出来なかった
その場で〆られ出来なかったのだついでに周りにいる奴も〆た。
それ以降机の前に飛び蹴り防止のカウンターが出来た。
それを見るたびにバカはAIだったのだとクック~笑っちゃっう。

台東区の何が国会でそんなに問題になるかわからん 
そんな窓口対応する台東区役所の奴自身が人として男としての尊厳がないAIだったのではないのか
税金がドッタラコッタラ言うなら消費税10パーセントを払ったなら何国人でも同じではないのか
払った過多でわけるなら沢山払った奴は避難する時はゴールドの背広着用などどうだ~


ズンズン~ズンドコ~ズンズン~ズンドコ~
一番に救助されてもかなり恥ずかしい~

とうとう10月も中に


カメラの中心にあるナイフはスミス&ウェッソン 刃物は沢山持っていたが
珍しい物や思い入れのある物以外は処分をしてる最中なのだ。

写真は嘘も付く 代表的なものはロバート、キャパの『 崩れ落ちる兵士 』
俺には写真は 
何を見たいと思ったのか何を残そうと伝えたいと思ったのかと言う 撮った人の網膜の裏側だと言う思いがあり
その人の品性が表れると思う。
同じく本も作者は何を見たいと思ったのか何を残そうと伝えたいと思ったのかと言う作者のその人の品性が表れると思う。

本を読むにも体力がいると思い始めてるが
朝の連続ドラマの奥原なつは運が良かったと思う 柴田大樹が三人兄弟の一人だけ連れ帰った婿殿に
「 半端な事しやがって 」と言った俺もそう思った。
でも現実には実際にはどうしたろうか考え始めると際限がない そんな中で読んでくれよと本が近寄って来た。
アマゾンで調べてから すずらん通りの本屋さんに取り寄せて貰った。

この本は決して薦めはしません 読む気力と体力のない人には薦める事は出来ない本だった。
ただ読み終わって
昭和38年10月に上野駅から東京駅に乗り換える上野の地下道を通った時に寝てる人を避けて歩いた記憶があるだけに
他人事ではない。

ナカヒロさんありがとうございます

現在のネットでものを言うネトウヨはあまりに酷いと思わせる事が多いので書いてみたが
アナログな機械の修理しか知らないが 故障がどうしても直らない場合は末端の左右両極端な考え方をして左右から消去法で消してゆく
その残った点が故障の原因となる訳だ。
それは前に進もうとする意思がある場合で 税金泥棒政治家の様にどうでもいい人間は意見のセッションはしないであえて論点を合わそうとはしない

すべて点検しても異常が無いエンジンが始動しない 
そんな場合はエンジン側の末端から再度燃料は本当にガソリンかと
自分側からは操作方法に誤りはないのかと極端な末端から攻めてゆく
それを何度も始動するまで繰り返す
いまの隣国との状況も含めて自分の意見は絶対でなんの誤りも無いとして書かれる意見が多いが
本当にそうなのか その検証は自分ではなく自分以外の責任のある意見の確認作業をするしかない様な気がしてならないのだ。
責任ある他人の意見とのセッションが必要だと思うのだが
hiroさんが自分のブログで返答をしてくれた。
してくれるだろう、してくれる人と思って書いたので俺は確信犯なのだ。
山の中で道に迷ったら下には降りるな上にあがれ 頂上は一つで一番助かる方法だと思う。
でなければ動くなと
何かを言って貰える事はありがたい事なのだ。

悲しい酒の呑み方が多いYがいつも新たに封を切る一升瓶に残した酒に飲みすぎだと印を付けてやった。
数十年の付き合いがあるYは「 りょうチャン馬鹿にしてるのか 」と怒る。
奴は言葉には出さんが残した酒はみんなで呑んでくれと言ってるのだ。
言葉には出さない想いを汲んでやるのも付き合いのうちなのだ。
ただし頭も切れる実行力もあるYの酒を呑む資格のある奴は少ない