神様仏様

神も仏も幽霊も信じていない俺は神も仏もそれは人の心の中にあると思っていて
困った時に速攻で助けが必要な時に頼むのが神様
じんわりとボチボチ未来が良くなる様に滝などに打たれて修行して頼むのが仏様と
俺が思うには神様は現世利益(げんぜいりやく)で仏様は将来利益が多いのではないかと思う。
本当に困った時に手を差し出して貰い助かった時などはその人が神様仏様なので
神様も仏様もすべては人の間(はざま)にあると思っている。
その神様仏様を感じる事が出来ない日々は裏返すとまだまだ幸せな事なのかもしれません
神様も仏様も人間なので結構いい加減で助けてと言わなければ素通りもするし
まだまだ苦労が足りないと判断すると遠巻きに見て通り過ぎるかも知れない
神様も仏様もすべては自分の内や人の間にあり殆どすべての人が神様であり仏様ではないかと思うのだが
当然神様仏様にも例外もあるが・・・・・・


月曜から金曜日は修理作業をするのだがDF船外機はよっぽどの事がないと故障は無いので台数はあるのだが保守点検が終れば暇なのだ。
たったこの画像範囲の故障修理に最新型と旧型のパーツリストを見比べ部品番号を見ても違いが判らず画像に撮って何処が違うのかと何度も見比べて分解して寝ても覚めても考え続け作業完了まで三日間も掛かってしまった。
考えている時に声掛けるな電話するなとモンキーやスパナを投げてはいけない仏の修行が足りないのである。

教訓 簡単な単純な原因ほど決めつけてはいけない柔軟に一歩引いて休んで見る事が大事


土日はラーメン屋で月曜日からはラーメン屋の余った食材で生活をする。
余ったカキと漁師のオヤジから貰ったホヤと綺麗なお姉様から貰ったお握りを食す
ただ茶碗に入れた白米は沢山食べれないがお握りは沢山食べれる。
このお握り文化は日本が世界に誇る文化だと思う。
俺にとっては皆さまが神様仏様なのである。
ナンマンダブ~ ア~麺

琉球与那国泡盛どなん


誰か知らんが琉球与那国泡盛「どなん」が土曜日留守中に玄関先に置いてあった。
メモも何もなしこの宅配ボックスには名前も記載なしで様々な物がドデンと置いてある。
先回はセコマのビールひと箱が炎天下にドデーンと置いて在り暫く預かって置いたが持主はわからず皆で呑んでしまった。
せめて何かしらのメモでもあればと思うのだが どなん


25日には八の納骨も済んで一安心
俺は自分だけの墓ならその辺りの石に名前だけで充分なのだが墓を作ると言い始めてから次から次と自分も入れて欲しいと言って来たのでこんなに立派になってしまった。
墓は一種の広告で
そこそこに雑誌広告原稿を書いて来た経験から広告はこれから買って呉れる人も大事だが自分の店で買った人達に「なんだあんな店で買ったのか」と言われない様にせめて恥を掻かせない事も大事で
佐藤隆太も被害者と言っていいと思うのだが

俺はやりたい事はほぼやったし常に現状を受入れると言うか流されるタイプなので小言は多いが常に満足して暮らしているのでいつでもOKょ~状態なのだ。
ひと安心して隣の墓碑をよくよく見ると陸軍工兵上等兵とまでは読めたのだが
画像に撮って寝倉に戻って画像を見ると旅順203高地明治37年12月8日戦死と書いてあった。
重機も無い設備も無い時代にこのひときわ大きい墓碑を立てるには当時は相当な銭が掛かったろうと寄付などあったのか全額自費で立てたのか
息子が戦死して喜ぶ親がいるとは思えないが軍神の親として悲しむ事も許されなかったのかも知れない
旅順203高地は司馬遼太郎が秋山兄弟の旅順攻略を題材に「坂の上の雲」を書いた。
他には北海道にもなじみがある高田屋 嘉兵衛 を題材にしたのが「菜の花の沖」である。
司馬遼太郎は一時期総理経験者が一番好む愛読書となった時期もありその他の執筆も国の指導的立場の人向けの小説が多く
江戸城は誰が作ったかと問うと司馬遼太郎は徳川家康と言い藤沢周平は農民と答えると言われた。
後に司馬遼太郎は自分の文筆活動に疑問を持ち始め執筆を止め下々の暮らしを見る「街道をゆく」紀行文を書き始める。
もしかして司馬遼太郎はこの墓碑も見たかも知れないが先にこの墓標を見たら司馬遼太郎は「坂の上の雲」は書かなったかも知れんと思った。
隣に自分と回りがチマチマ食って平和にその日が楽しければいいやと言う墓を作ったので
上等兵殿が怒ってこちらに倒れて来ない様に拝んで来た。

The Last of the ryo

ここに来た30年前に初対面で知らない奴にまで、ryoちゃんと何人かに呼ばれてびっくりした事があったが
嬉しかったここを終の棲家に決めた。


神も仏も幽霊も信じていない俺が墓を作って完成した。
ガキの頃はその日のメシも食えない その後は夕方になったら今夜は何処に寝ようかと言う生活も経験したので夕陽など見て綺~レ~などと思った事がないので場所選びは西向きはやめて東向きしたが狙った訳ではないが背後に後光が~
いままで数回海の散骨を頼まれて生前乗っていた船の操船をした事があったが
俺は海に散骨されるのは嫌で樹木葬も嫌なのだ生きた証を残したいので管理費の要らない
公共墓地に墓を作ったが手入れをしない墓は撤去すると書いてあったが
後継ぎがいない墓を税金を使いわざわざ撤去はする訳はないのだ、それは倒れた墓や大きな木が生えてる事からもわかる。
黄昏て数年後に消滅もありそうな町でも何かの事情で撤去などとあるかも知れんので
撤去など不埒な事を考えたらこの小じゃれた白い石の下は全部分厚いコンクリートで
費用はかなり掛かる様に作ってあるのだ。
八も俺も銭が仇の人生だったので完成前に払い早速週明けに墓開きと八の納骨をする
私も入れてと言う希望者も数人いるので死後の世界はハーレム状態なるのは間違えないのだ。
ナンマンダブ~ 色足是食う~ 右の頬を叩かれたら左の頬を叩け~ あらーは偉大なり~


内田橋 ここに三カ月ほど暮らした。

脳科学者じゃないけど人間はトコトン追い詰められたら脳内で記憶を消し去る事が起きるのではないかと思っているが
現代はSNSとやらナンチャラでそれすら許す事なく追い詰めていく社会になっている様に思える。
俺もこのブロブを書く様になってから記憶を甦る事が多くなってシマッてほんと皆にどれほど世話になって、迷惑や不始末をして生きて来たかを突然思い出し詫びで済むとは思えないが過ぎた事と耐えてる。
それでも書くのは見ていて呉れてるかはわからんが多少若い子達と関わりを持つようになって俺でさえ生きていると言いたいのだ。
能面は見方によって泣き顔と笑い顔が一緒になってるそんな感じでトコトン困ったら笑って誤魔化せが俺の信条でもあるのだ。
脳はそれを許す構造になってると信じている。
知らんけど

夏は海を走り回り冬は雪原を走り回りとやって来た俺の血統は絶えるが今までの人生でゆったりなどは無かったので悠ったりと悠大な暑寒別岳の麓で季節季節を味わって笑っていきたいと思う。
数人に俺には心が無いと言われて来てそれもあり悠の字を選択したが
他の墓にも一文字は多いが思うに最後のあがきで自分に無いものを書いてる様な気が~
真実一路を貫き通すなどは人間の一生ではあろうとは思えんのである。

もうバイクやスノーモービルで野山を走り回る事ないだろう
The Last of the ryo

恐い夢を見てしまった。

ずうっと少しだけ知った川でのイカダの事をなぜすぐ員数点検は行われなかったのかそんな事を考えていたせいか夜中になぜかモービルではなくクレーンを水没させてしまう恐い夢を見て起きてしまった。
冬は30年以上各地でスノーモービルを数台使いチームで物標の無い湖川や平原や冬山に測量機材や物資運搬をやって来たが一寸先も見えないなど何度か窮地に落ちいた時には仲良しクラブでは脱出は出来ない船頭が必要で
それはメシの数から来る野生の勘だったりする。
その平時と違う勘の様なものを持つ者は普段意外と目立たない処にいる事が多く平時に声が大きい者はあまり役には立たないのは常識
黙り者の屁は臭いのである。
大昔コンバットと言うヒューマンテレビドラマがあったが その中のリーダーは少尉ではなくサンダース軍曹だった。

 

朝起きると堤防に必ずムラサキウニが乗っている。
この堤防の向こう側はテトラがあってそこにはウニやアワビやイガイなど浅海水産物が多数ありカラスが取って来てこの堤防で食ってるのだ。
いつかは横取りをしてやろうと思ってるのだが食ってる処はよく見るが取って来たばかりの処は見た事がない
この辺りのカラスはハシブトガラスが多くクチバシは10センチほどありそうなのだが潜る事が出来ないカラスがどうやってウニを取ってくるのか面白いのだが取る瞬間も一度も見た事がない
あと数万年もすると鵜の様に水に潜るかも知れない
その時に確実に言える事は人間は弱くなっているだろう。
たった数年前はカーナビなど絶対に使わないと言っていた俺がいまでは無しでは困るので頼り切っている。
携帯だってもしこれを無くしたら仕事や生活を戻していくには相当の月日が必要になるだろうと思う。
以前はかなりの数の電話番号を暗記していたのが今では自分の番号しか知らないし暗算が出来なくなっている。
これが暗算が出来なくなってるだけなら、まだいいが思考力まで落ちて来ているのではないか
最近の犯罪を見るとチョット考えたらすぐ捕まる事はわかるし割に合わない事もわかるのに思考力が停止した様な事件や事象が多い
文明は確実に人間を弱体化させているのはほぼ間違えはないだろうと思う。
そういえば青鼻垂らして国民服の様な服の袖をテカテカにして棒ッコ持って走り回っているガキも見た事がない
現在に生存していたならコロナなどどこ吹く風でそこら中を走り回っているだろうと思うのだが
何処に行ったのだ。


土日朝からビールと日本酒をガバガバ呑んで浜の別荘に帰る旧産炭地から毎週来て毎週同じ事を言ってる酔っ払い石炭コンビ
人生ってほんと様々だなと思う長生きしておくれ
俺も含めて酔っ払い達の為に、美味い酒を呑む為に土日ラーメン屋をやってると言っていいので30食売れたら充分なのだ。

断捨離

千葉からは3年振りで来たと言って呉れる人や埼玉から毎年旅行に来て呉れる人が立ち寄って呉れたりと
その為に出来る限りラーメン屋は開けなくていけないので土日は汗だくなりながら時間短縮でラーメンを作った。
いつもの吞兵衛がA市からやって来たがいつもなら反射神経で宴会に入るのだが流石に今回はお付き合いは止めた。
そんでもガキの頃から稼ぎ続けたがゆっくり休む口実が出来て少し嬉しい


こんな物から

DF225馬力付き 45ノット超え こんな物まで終活で処分に困っている。
あとはバイクが若かりし頃レースで乗っていたモトクロッサーなど7台ほどや鉄アレ~や多分武家の由緒あるだろうと思う道端で拾った鉄瓶や鉄釜など山ほど持っている。
他に倉庫や家が2軒とバンガローが二棟
捨てるのも銭が掛かるご時世であ~あ~なのだ。
銭も物も持ち続ける事は出来ないが人との交流や思い出はいつまでも持ち続ける事が出来る素晴らしいものなのだと思うようになって
困難があればあるほど後になったら笑い話に出来るそこが血が通う人間でAIとの違いではないかと思うのだが

昨年久しぶりに28年ほど前に逃げられた元嫁さんから純国産のウナギが食いたいとメールが来た。
メールの陰に うな亭 わがつのウナギ重を一緒に食したいと言ってる様な深読みは奈落に落ちるので
天然ウナギは高いだろうから1年待ってくれと
鉛筆程度のウナギの子を三重から取寄せて1年半で3匹が水槽で丸々と育ったが
「 情が移り捌く事が出来なくなってしまったので申し訳ないが吉野家のウナギ丼が美味いらしいからそこに食いに行ってくれ 」
昨夜メールを返した。

自然に近い状態にして8メーター水槽で飼育するとウナギの大好物はエビで次は子魚やドジョウ ウナギの姿は中々見えない

銭でも物でも物事でも始めたり何でも集めるのは簡単だが別れる切れろ捨てるはほんと難しいなと俺~は思うのだが

一番の儲け

誰にも知らせる事なく身体の中を点検する為にこのひと月ほど旭川と崖下村を行ったり来たりで忙しかった。
旭川は100キロ程度なのだが休み休み走るので片道に何時間も掛かる
昨日金曜日で一定の結果が出て対策をする事になったが
春に美濃に行った時はさほどの疲れも無く走り切ったので仕事で疲れるのは気分の問題で仕事は健康に悪いのだと思っていたが
どうもそうではなかったらしい


旭川一条20丁目あたりの民家 普通の民家にも常夜灯が付いている。
商売とは通りに灯りを付け続ける事なのだと教わって来た。

若い頃もよく旭川に行ってそれなりに裏側を見たが今は見える景色が全然違うのだ。
いま思うのは俺は商売人としてはそこそこやって来たと思うが経営者ではなかった。
やはり経営者は仕事と責任を繋いでゆく事が大事で後継者を残す事が重要な事だったが
俺は後継者を残す事が出来なかったので経営者とは言えずにいまは残っている施設をどうやって処分するか
預かってる物をさっさと返す事と売った物でアフターが付く物の、その引継ぎを考え続けた日々で
後継者がいないので建物や設備などの残務処理の為に稼いだ銭の大半が消えてしまい生涯収支が赤字になる状況に陥ってしまってる。
自分で売った物は出来るだけ買い戻しをしてさっさと処分をする事にしてるが
プーチンのバカ野郎の為に対岸貿易も止まったままになって処分は中々出来ない
さらに何でも拾って溜め込む、見る物乞食の性格で
この期に及んでなんのコッチャなのだ。


先週はお話がありますと悪魔の使いの様な若いネエチャン二人が役場から来て
これがこれで左がドッタラコッタラでとデーターを見せながら説明をする。
一番下にはビックらポンのデーター表が挟まっているが
赤ひげ大賞を受賞した増毛診療所の増子 詠一先生でさえ若くしてオッチヌのだから覚悟は出来てる。
説明など聞きたくないので若いネエチャンを喋りくり倒そうとクッチャベってると
船を手放しもう逢う事もないからと先月お別れの日本酒を二本も頂いたMさんが
「 や~今まで面白い話を一杯聞いたが今の話が一番面白かった 」と言って気付かぬうちに玄関に立っていた。
船のキャビンスペアカギをわざわざ100キロ以上も離れた処から持って来て呉れたのだ。
数十年のお付き合いの中で命の瀬戸際までとほんと様々な事があったが
俺は一個歳食ってるがお互いに戦後のどさくさに紛れて生まれて来たが強面の見た目からは想像出来ない
この人の実直で不器用な生き方に何度も助けられて来た。
もしこの商売をしていなければ出逢う事は無かっただろうと思うと
商売の一番の儲けは人に出逢えた事だったのだ。


今年に入って皆さんから日本名酒会かと思うほど貰ってしまった。
再度健康に気を付けて呑むぞ~ありがとうございやした~