兄弟達に

いったい生きるとはどんな意味があるのか。
故郷とはいったい何なのか
こればかりを考え続けた数日だった。
道すがら誰かに声を掛けたかったし声を掛けて貰いたかった。
異常にションベンが近い俺は搭乗する前にションベンをしに旭川空港のトイレに入った。
そこに薄い青いツナギの背にスカイマークと書いた作業服を着た若い男が入ってきた。
その男はションベンをし終わった後に便器に向い深々と頭を下げ礼をしてるではないか
俺は上野駅でホームやトイレの清掃をクタバルまでし続けなければならないだろう、小柄で痩せた、さくら姉さんを思い出した。
この若い男は便器を清掃してくれる清掃員にきっと感謝をしてるのだろう。
「清掃人に感謝するなんて兄さん感心だな~」と言った。
「え!あ!それはツナギのチャックがしっかり納まってるか確認してるのです 」
そうだ! ツナギの作業服は通常のズボンとはチャックの上下が逆なのだ、その為にチャックがしっかり納まらないので確認が必要なのだ。
後でスカイマークの手荷物カウンターにいたアニ~に紛らわしい真似するなと言ってやった。
あ~あ~クッソ~もう駄目だ 思い込みが頂点に達してる。

あれほどここ北海道に帰りたかった奴がそんな簡単に
箸別に広い売り土地があって もうすぐ買う予定だったのに バンガローもすでに表札を付けて用意しておいたのに
あちこち転々とした俺は今となっては留萌は故郷ではない
たまに行っても何かよそ者のような感覚しかない
なぜだろうか古くても足を延ばして寝る家が無いかからなのか
知り合いは沢山いるが家族はいない
いまは増毛が終の棲家となってそれで満足してるし、ここに戻ると安心する。
岩橋英遠の言う「故郷とは自分を記憶してくれる人達のいるところ」
と言うがそれだけでもなさそうな気がする。

数日の関東滞在だったが俺には絶対にこの大都会には住む事は出来ないと思ったし
奴が帰りたい帰りたいと言い続けたのもよくわかる。
人間は魚ではないので特に北海道や沖縄など歩いて帰る事が出来ない場所ほど望郷の思いは強いのかもしれない。
都会は金を稼ぐ場所で暮らす場所ではないと強く思ってしまった。
スカイツリーがなんぼ高くてもわざわざ見ようと思わないし 3Dの映画を金出して見なくてもよいし 電車に乗ってまでゲームをしようとも思わない
東京という大都会は手に入れる事が出来ない事が多すぎる為に虚構に頼ってるような、まったく可哀想な場所だと思ってしまった。
ここでは暑寒の山々に囲まれて毎日が3Dの世界だし波もかぶる。
毎日が誰かに声を掛けて貰える。
叶うものなら連れて帰りたかった。

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