隙間

日本の大部分を引っ張る東京都ではないと思うが
都知事選は将来の日本を見る様で面白かった
俺が勝手に思うのは二位と三位に付いた二人に共通するのは隙間の無さだと思う
二人共攻撃は最大の防御とばかり攻撃する事が得意そうでその姿は見た目にも表れている
その攻撃性は己の何を守る為の防御なのかわからないが
その隙間の無さは自分自身の成長を妨げるものにはなってる事に気付いていないのだろうと思う
平たく言えば二人共なんの用事やメリットも無ければ近寄りたくないタイプで
そうなると自分一人で学び気付き学習するしかないが一人の人間の思考回路ではおのずと流れが出来て限界が見えてくる
隙間のない人間はその優秀さによって成長が止まってしまう見本なのである

その自分自身の限界や弱さを隠す為にさらに攻撃性が増してるのだと思う
少し恐いなと思うのは二人合わせて293万、42パーセントの票を取った事で
如何に首都圏の人は土と水の恩恵を受けて生きる田舎から見たら乖離してるのかとこれにはびっくりした
土も水も思う様に手を加えて征服してる様に見える街の攻撃性を象徴してる様な選挙結果でなければいいなと思うのだが


新潟県十日市博物館 土と水でこねくり回して作った土器


ある地方の博物館 う~んチョット違うのではないかと思うのだが
今もこのままなのだろうか

文明も商いも隙間に水が流れ染み込む様にして育って進んでいく

ホタテラーメン再会

海水温が上がりホタテの自主規制になりホタテラーメンが出来ない状態になってしまった。
生貝を水槽に生かしておいてそれを食う直前にさばき貝ダシを取りながらラーメンに使うのだが
他の二枚貝ではラーメンに使う事は素人には難しい シジミラーメンやカキラーメンなどは天塩や釧路ではあるが
カキは食べれない人が結構いる事と熱の通し方で身がこれでもかと言うほど小さくなり
その様はビビった男の様に小さくなり価格の割に見た目がショボくなるのだ
ひる貝も同様で価格の割にショボくなるので色々試したが素人が使うのはホタテしかない
皆んなは二枚貝は痛風の元になるプリン体が多く悪いと言うがホタテは魚介類の中でもプリン体が少なめな食材なのです。

当初から浜なのでと生貝を使った事で今更に冷凍ホタテは使えないので
自分で自分の首を絞める状態を作ってしまった
この間に道内外アチコチからラーメンの価格に見合った二枚貝を取り寄せて試食を繰り返したが
素人が扱い易い貝で誰でも食えるのはホタテと何度も再認識するに至った
漁師さんの努力で生育タナを深い処に移動するなどして昨日から自主規制解除になって今日からやっとホタテラーメンに再会できる様になったが
試行錯誤でラーメンの少ない利益が吹っ飛んでしまった。


ホタテラーメンは成貝二個入りで800円だがお客さんでお釣りは要らんと言う人が結構いるので
世界には食えない子や親から離れて暮らす小さな子が沢山いるので募金箱でも置くかなと思っている

海に来る人

ここの海には様々な人が来る

この子は6年間一度も休まず旭川の小学校を卒業したばかりだったが
皆勤賞を貰えると思ったのが貰えずにガッカリしていた
もう一度ここに来る様に言って賞状用紙を買って俺は字が書けないので達筆なK女史に書いて貰い手渡したが
拍手する面々がいかつい吞兵衛オヤジ連中だったからいい迷惑だとは思ったが皆で表彰式をやった
学校も紙代などセコイ事するなケチるなと

納豆の水戸から来た少年 バイクが壊れ頑張ったがダメで俺のバイクを貸してそのまま水戸まで乗って行き翌年戻しに来た お土産は納豆 元気か修理で悩んだらまた来て

元気か強さを持った優しい男になれ待っとる

サハリン残留帰国2世3世の人達 釣りが上手で酒がやたら強いまたいつか一杯

徒歩で日本一周中寄った青年

旧産炭地の子供達元気良過ぎ

ヒッチハイク途中の少年、東京に着いたか

道内各地のバイク少年達事故るな

去っていく人いま頃どこで何をやってるのか

怪しい少女 誰だったか忘れた
 
記憶に残る若者はまだまだ沢山いる。

「 粗にして野だが卑ではないつもり 」と言ったのは石田禮助
なんでもいいから北海道の厳しい自然に負けない強い優しさを持って元気でやっておくれ

手数を重ねる

月曜日は久しぶり旭川に行って来た
旭川は所々に古い建物が残る街で内地やアチコチ行って感じるのはこの古い建物が残る街は
それは永く維持し続ける為に後継ぎなど人的資源も要る新しくするより大変な事なのだ
古くは北方の守りの為に明治の第七師団から始まり経済と結びつきその名残が永山などの地名や建物に多く残っている
北緯43度46分標高120メートルの盆地にあり氷点下41度を記録している

旭川だけでなく北海道全体に言える事は生きようとしないと生きてはいけない地なのだ
半年雪に閉じ込められなんぼ歳食っていても雪を除けなければお陀仏になり春になった時点で休む間もなくやがて来る冬の為にアリの様に準備をしなければならない
それが内地に行くと北海道の人はよく働くと言われる由縁なのだ
北の大地は生きる為の力が必要になっていく
その力は暖かいノンビリした地に住む人から見たら粗暴粗野に見えるのかも知れない
いま旭川は叩かれ一纏めにして云々と言う人達はその地に立って空気を吸ってから
物事を考えるのがいいと思うのだ
それでなければただのゲスの極みだと

時間も余ったので予てから食べたかった昭和22年創業の青葉のラーメンを食いに行ったが
残念スープが切れて食えなかった
一度思い込んだらラーメン食わずに帰られようかと昭和24年創業の蜂屋に行く事にしたが近くに大好きなトライアルがあるらしいので腹減っているのに先に行ってシマッタ
ニュージーランドから生のまま運ばれるらしい生ジンギスカンは特に好きで食い切れるのかと言うほど買ってしまった
腹減って食品スーパーに行ってはいけないのだ。
蜂屋のラーメンは2度目だが見た目に圧倒されるが実は手の込んだスープで結構癖になる
どうやって作っているのか気になって仕方ないのだ
俺が言いうのもおこがましいが永い事続いて行くにはそれなりの訳があり言葉では伝え切れないまさに手数を重ねて来たラーメンと言っていい

俺は犯罪を防ぐ為に誰でも出来る事は「 ありがとう 」と言う言葉ではないかと思っている
その言葉はここから200キロ北に離れた厳しい自然の中で電柱に登る電気工事屋さんの自然に出る
「 ありがとう 」と言われた時に
なぜかしらその言葉を聞いた時によく言葉では説明出来ないが嬉しかった。

とん寝る

今から25年ほど前の国道231号線は千代志別から雄冬間は夜間通行止めになり
時間に間に合わなければ一度浜益まで戻り国道451線を走り滝川経由で来なければならなかった。
その時に15歳の男の子をトラックの助手席に乗せて石狩からここに戻る最中だった
閉鎖時間には間に合わないのかも知れないので石狩から当別を走った方がいいのだが
目的があって231号線を千代志別に向かい走った

ある地方の都会でどうやって生きて来たのかと言う生活をして来た子は突っ張って突っ張って暴力と非行で生きて来た
その子と夜のトンネルを歩いて見たかった。
当時は厚田から増毛100キロ間は20カ所ほどのトンネルがあり途中のトンネルに女の幽霊が出ると言う噂があった
若い頃に東名高速道路三ケ日から新城間のトンネル建設機械の整備工をやっていたのでトンネルはどんな物かはおおよそは知っていた。

千代志別トンネルに着いた時点で時間切れでゲートは封鎖されていた当時は雄冬まで総延長5キロ間に4本ほどのトンネルがあったが現在は浜益トンネルとタンパケトンネルと名称が変わり途中はカルバートで繋がれほぼ一本のトンネルと言っていい
千代志別ゲートに車を乗り捨て会社の若い子に雄冬まで向かいに来いと言い
幽霊や死後の世界などまったく信じていない俺は怯えるその子と1本目の千代志別トンネルから二人で歩き始めた
一本が1キロほどありトンネルとトンネルとの間に満点の星空と暗い海に操業してる漁船の漁火が見えていた

自分を大きく見せる事でしか生きて来れなかった小さな子の話を沢山聞いて星の話や海の話など沢山話をした
最後の雄冬トンネルで俺のお願いを言った
これからの人生何があっても自分より弱い者には手を掛けないで欲しいとお願いをした
雄冬トンネルを抜けるとナンチャラ組をすでに卒業した若い子がゲートで待っていた
帰りのブルーバードの中で
眠そうな半眼の太った女が立っていたと言い怯えさせた
眠そな太ったトン児はトン寝る
いまは何処に居るかわからないがテレビにも新聞にもその名を見る事はない

一期一会

留萌と旭川
お互いに不幸な出遭いをしてしまった事を考え続け燃え尽き症候群状態になってしまっていた
どちらかにでも先に出逢って見たかったと今でも思っている
自分だったらもしかした避けられたかも知れないと思うのは大きな勘違いだとは思うが
その勘違いをしたままこれからの人生も進んでいきたい

 

5月から再開した土日ラーメン屋がなぜかやたら忙しく素人の俺では店を一人で回す事が難しくなり
折角来てくれた人に丁寧?に接する事が難しくなりグーグル地図から削除したが
なんてコッタお客さんが数人になって
土日しか営業しない店は食材を投げる事態が続く事になってしまった。
筋金入りの貧乏人の俺は食える物を投げる事はひどい苦痛を感じてしまうので
土日で30人分のみ仕込む事にしたが それでも余る日が続いた
しかたね~やとグーグル地図表示を29日から戻した
29日は来客予約があった事もあり食材を3割増しで仕入れたがラーメンの食材は日曜日午後1時の時点で食材がすべて売れてしまいさらに6人の人が食えない状態になって
今年になってスマホなどと言う物を使い始めたがその影響力をハッキリと知った。

ここの辺鄙な場所にあってさらに怪しい外観なのに利益がわずかでも出ると言うのもスマホなどの影響かと思うとなんとなく釈然としないのだが
商いは等価交換が基本なので出した銭に見合ったものを出す事が出来れば現在では場所は何処でもいいと言う事になる。
ラーメンは庶民の食い物なので安ければ安いに越した事はないと考えている
やっとたどり着いた現在は水1リッターに対してハッピーフーズの鶏ガラと丸骨1本 日高根昆布1 シイタケ1 あまった野菜などを使用してるのだが
鳥インフルエンザの影響らしくハッピーフーズの鶏ガラが入手困難になって手持ちの在庫では10月まで営業出来るかどうかわからないが
それはそれで仕方のない事だし本来の目的は達しつつあるので諦めようと思う。


商いは食えるうちは変えるなと教わった俺は思うのだが
何かの事情で食えなくなったら一家で海になどと考えないでラーメン屋をやったらいいと思う。
もうひとつは相手よりいい店構え(かまえ)にはするなと教わった。