コロナワクチン撃った。

金曜日午後からコロナの注射を打った。
夜中に関節が病み始めて朝には起きる事が出来なかった1回目2回目はなんともなかったが3回目は二日間苦しみ物を食べる事も出来なかったので
今回は簡単に食えるカップ麺を大量に買い込んで用意した。

回りでコロナに感染した人達は2~3日苦しかった程度と言う、だったら予防ワクチンで苦しむのと大したかわらんのではと思うが
俺が思うにはこの曲が流行った頃にもう一つ流行ったのが字もろくに書けない俺にも来た
不幸の手紙でコロナは不幸の手紙と同じで
予防ワクチンを打つと言う事は自分の為もあるが自分から連鎖拡大させていくチェーンメールを断ち切る行動だと思う。

2日目の夜になっても関節が痛むがこのまま寝ていたら寝たきり状態になるのではないかと思い無理くり動く事にして何か出来る事をせんといかんと思い起き上がった。
この具合悪いのは機械だったらアッチバラシこっちバラシと何かしらの行動が出来るが
人間の連れ添いが居る者なら自分より他の者を見る方が辛いと思う。
今週もいく旭川の整形の先生の右腕内側、鶏手羽で言えば最初にかぶりつく手羽元あたりに
たった今抜糸したと言う様に縦に10センチほどの傷とどす黒く腫れた傷跡があったが
これは集金先の背中の刺青ほどの効果があり 俺はすごく丁重に治るもんでしょうか、と聞いた。
その先生は「 私は魔法使いではないので何もかも良くなる事はありません 」と言ったが
ふんふん、なるほどその傷は自分でぶった切って治療して失敗コイタのですねと思った。
ふっとこれが外科だから外から見えて凄いが歯医者さんだったらどうなんだろう
連れ添いが歯が痛いとなったら、
あ~ん~アン~タ~と無防備に口を開けてる連れ添いをどんな思いで治療するのだろう
やはり特別な感情を抱くのだろうかと考えてしまった。
それともチャンと歯磨きせんからよ!とサッサと土方がコンクリーを砕く様に削岩機を掘り込んで済ますのだろうか
その状態により今夜のメシが変わるのではと

 神かまうな、仏ほっとけ

痛みもあるのか握りが甘く危なくて電動工具を持って使えなくなってから、
今はドライバーが回せない 回すと強烈な痛みが生じる。
ドライバーが回せないのでスクラップ解体作業が進まない

そんな日々の中で留萌の焼き鳥屋さんが心配してパンフレットを持って来て呉れた。
パンフレットはお買い得、多宝塔か、はたまたサターンを追い払うパンフレットかと思ったが違った。

ごく近い回りに奥さんのガンを直すために多宝塔を6000万出して買った八百屋が居た。
多宝塔を買って拝んでいた八百屋はその後奥さんが亡くなり
先に父親は行方不明になり出が内地で地元に身寄りのいない まだ小さい子供二人は家に残されていたがやがて何処かに行ってしまい家業も家もすべてが吹き飛んでしまった。
その場所は今でもわずかに痕跡を見る事が出来る
何処に行ってしまったのか返還訴訟とかなんとか世間に訴えられる者はまだましな者達なのだと思う。

別の新興宗教にハマってる一家が居て俺はそこの子供に言った
「 もし事故にあって輸血が必要になったら親に連絡をする前に俺に連絡をせ 」と
でなければ助からないと言った事がある。
俺はその一家に今でもサイトウ、サ~ンではなくサイトウ、サターンと言われている。

などと思い出していたら焼き鳥屋さんが持って来たのは旭川の病院のリハビリのパンフレットだった。
今まで何処に行っても加齢から来るものでと説明されリハビリの話は何処の病院でも出なかったが
その病院のパンフレットには自分で家でも出来ると書いてある。
この右半身が痛む様になって2年になるが病院には行きながら様々な方法を試みた。
ベットを三回交換しても駄目で結局は元に戻り
以前何かの本で読んだ人類発祥の地、アフリカに伝わる医療方法を試みる。
それは痛い処の物を食えと
右肩が痛いので鳥手羽先唐揚げを食い続けたが 空を飛べる事も肩の痛みも治る事は無かった。

今週そのパンフレットの病院に行ってみた。
やたら長い時間身体を固定されMRI検査を受けて結果は筋が固まって擦れているとの事だった。
2年前に痛み始めて別の3か所の整形に通ったが年齢から来ると言われてリハビリの話は一度も出なかった。
ここでは痛いので動かさないのは筋が固まる原因になるとの説明に機械も使わないと錆びるなと納得がいきリハビリをする事になった。
えええ~こんな簡単な事で腕が上がる様になるとわ
今まで車に乗っても右腕でディマースイッチを動かす事すら億劫だったのにと旭川からの帰りに思った。
3か所も行った病院はリハビリをする話は出なかったが何んだったのだろうと帰り道考えたが
俺の中で同じ距離なら旭川より札幌と言う意識があった事が大きな原因だと思った。
それか! 雪駄に七分でガラが悪いので病院に用心されたかも

マリーナーでも小樽のマリーナーで小さい船でもここのマリーナーに持って来ると大きな船の分類に入る。
何処かに小さい街はダメと言う思いがあるのかも知れないと深く深く反省した一日だった。

味覚、不覚、

納税者は日々「カモの水かき」状態にあるのに
国会で112回も嘘付いた元総理など噓つきは泥棒の始まりの様な政治屋達
前総理が「反社と言う定義は無い 」と言った言葉に統一教会で今更納得がいった。
不覚ではすまん人間の・・

 


ガソリンクーラー付きエンジン
最近多いのが
ボートのタンクは100~180リッターと言うデカいタンクの為に燃料を消費し切れずに持越し冬季間乗っていなかったタンク内の結露などの水分混ざりの燃料を使う事でデイトネーションが起きエンジン回転制御が掛かるなどの現象が多い
対策は燃料を使い切る事か添加剤を入れる酷い場合は燃料経路や高圧ポンプ交換もしなければない為に銭も掛かるので
作業をする側も悩む事が多いが高揮発性燃料は鮮度が命かも・・・・・

修理屋と言う仕事柄 細かい作業や考える事が多く仕事中に話し掛けられると部品の付け忘れや作業手順の狂いなど不覚の事態が起きる為に
来客が多く作業を中断させられる事が多い日曜日は修理はやってはいけないと思う。

作業中はただでさえ不細工な面がさらに面倒な面になってるし話し掛けられるのには対応は出来ない
何もしていない様に見えても机に向かってる時も作業手順を考えているのだ。

こちらの都合などお構え無しの近所の戦前生まれの元お姉様達などに声を掛けられると白紙に戻る事も多く作業を諦めるか
冷たい態度で追い出すと
元お姉様達は不貞腐れて今生の別れの様な帰り方をするのだ。

それでもこちらの都合のいい時間帯に懐かしい人やお世話になった人達の顔を見たいと言う贅沢な事を思っている。
それはラーメンを介した場所を作る事だと思って来た。
わざわざ遠くから来て貰う人に出せるだけの値するラーメンをと思うのだが
いま壁に突き当たって
二週休んでラーメンを作ったが満足がいかないのだ。
丼一食に300ccのスープを使うのだが36000ccの寸胴で作ると天候や日回りで余り近隣に貰ってもらってもほぼ廃棄する事も起きて来る。
さすがに最近は勿体無いと思い寸胴を半分に小さくしたが火加減がイマイチ分からないのだ。
香りも色も一瞬美味く出来る瞬間があるのだが
寸胴が小さいと5時間と言う営業時間の間、味が持続しないのだ。

色々ドッタラコッタラと考えたが
もはやラーメン屋ではなくただの趣味で
ラーメンで生計を立ててる人には唯々恥ずかしい限りなのだが
今週金曜日はコロナ4回目ワクチン接種でラーメンは休み
来週からは土曜日は仕込みをし日曜日だけのラーメンを作ろうと思うのだが・・・・・

味覚について

やっと時間が取れる様になったので今週はアチコチ食いあるこうと思うが一人なのでどんな先客が居るかは味の重要な要素になる。


メニューに学生ラーメンがある事に感動するが学生ラーメンはラーメン屋繁盛には必要だと思う
俺も目付きもガラも悪いがこんな先客が居たら味など吹っ飛んでしまい味覚も不覚もあったもんでない
常連になったら店は潰れる。
ラーメン屋繁盛の為に早く帰って貰いましょう。
小津 安二郎風にもっと普通に呑んで欲しい

用心して二週休んだラーメン屋を今週はやろうと思ってるが味の好みが変わっている。
若い頃は銭出してまで蕎麦やうどんを食べたいとは思わなかったが今は普通に食べる
スパゲッティは自分作って食べるがこれは一回に何千円も掛かる羽目になり食いに行った方が安く付くのだ。

美味いと言われるラーメン屋も店も月火は定休日が多く中々食いに行く事は難しい
蕎麦などは美味いと言われても未だに これはどんなに遠くても通うぞと言うほど美味いと思う蕎麦を食った事がないのだ。
何が美味いかわからんが蕎麦を食う様になった。
元々大した物を食ってないベロなので味覚がおかしいのかもしれないが
そもそもは味覚とは食ってはいけない物を見分ける為にありさほどの精度は要らないのである。
そこに美食だの美んまいだのと星を付ける様になって刷り込まれさらに味覚がおかしい事になったのではないか
星を付けるのは勝手だが自分がせっせと稼いだ銭払う側かも知れないが店もせっせと稼いでいる。
客も店も対等なのだ
食うにあたっての礼儀と言うものがあると思うのだ俺はテッシュを使ったら必ず持ち帰る様にしている。

味覚はどの状況で食ったかも重要で
安心して食える状況がもっとも美味いと感じるのではないかと思う。
子供の頃に味覚は決まると言うが
それは親と食った事で味覚が出来るのではないかと強く感じるのだ。

 華火


どこまでゆくのかガット船が黒岩で取られた大割砕石を積んで夕方出港してゆく
内航船の中でもこのガット船は一隻だけで経営してる零細規模が多く
その為かスピードも遅く機関音からも老朽船が多い様に感じる。

土曜日は花火だった、
花火は崖下村の港から打ち上げられ毎年ここから皆で酒吞みながらワイワイと見るのだが
今年はラーメン屋は諸般の事情で休業で観覧会は中止
外に出ると周辺で騒いでいる皆が寄って来るので家の中で音だけを聞いた。
花火は音とセットで音の無い花火は花火ではないと以前から思っていたが
家の中で音だけを聞いていると昔の花火とは様変わりをしている。折角だが音に風情がない様な気がし打上げる高さが低く感じるのだ。
前半と後半に分けて前半は最近風の花火で後半は昔風の花火にしてはと思う。
最近は機械装置で着火する為かやたら派手で早い

風情に付いて思考してるのだが
風情もヘッタクリも無く高さイコール価格で全体予算をどっちに振り分けるかと言う銭の配分の問題だと思うのだが
寄付は取に来るが希望は聞かれた事はないな

花火師が一発一発に火を付け夜空に広がる華火の後にドーンと聞こえる間合いがなんとも言えない風情があるのだ。
去りし日を思い、来る日はあと10回花火を見る事はないだろうと思う。
近くに居てもすべての人が華火を見れるわけではない
数発は思いっ切り高く上げて御料地の年寄り農家や沖の本船航路をゆく船などにも見える様にし音だけでも聞こえる様にしたら、いいのではないかと思った。
今年は見てはいないが例年通りなら600メーターほど目の前の堤防で打ち上げるのでサンイ、コサイン、ナンチャラから考えると打上げ高さは高くてせいぜい300~400メーターだろうと思う。
暑寒岳が1400メーターなので1000メーターもブチ上げれば山奥の人にもベットで寝てる人にもせめて音だけでも聞こえるだろうと思う。

ふっとやたら遠いと光より音の方が聞こえんのかと思ったが
花火の音の記憶はあるが音の無い花火の記憶がないぞ