自然に生きる

そもそも自然界では一夫多妻などは普通に見られる行動でここにある水槽は自然界ではないが約8メーターで 全部繫がっていて魚が行き来できるようになってるが一夫多妻と思われる行動が多く見られる。
その為かある一定数の数が居なければ越冬は出来ないし数も増えないヤチウグイに出会ってもう10年以上になるが今年初めて越冬に成功した。エゾトミヨは昨年で越冬成功に思うに群れの中に強いリーダーと一定数の数が居る事が条件のような気がする。
エサは充分に与えてるのでエサの問題ではないと思うが口が大きくかなり凶暴なハナカジカなどは越冬は簡単にして繁殖もする、 同じような種類でもウキゴリはハナカジカが越冬するとウキゴリは数が減る。
232や40号線ではハーレム型のシカなども一夫多妻で道路に一頭が飛び出すとア~タ~置いて行かないで~捨てないで~津軽海峡冬景色と次から次と真冬の道路に飛び出して来る。
これなども強いオスにすがる事によって子孫を残す行動になる。同じく別刈や雄冬の岩の上にいるトドなども大きな一頭に、ア~タ~そばに置いてね~とオリエンタル風なメスが群がる。
どれも強いオスである事が条件で弱いチャラチャラったオスに付いてしまうと子供にメシさえ与えられなくなり生き残る事さえ出来なくなるのが自然界。


水槽には大きな鯉がいてその一匹だけが大きくなり他の鯉は大きくなる事は無いが鯉の回りには常に小さな鯉やフナなどが付いて回りどうも守られてるようなのだ。ハッキリとした理由は分からないが同じ大きさの魚同士が数年も両方育つ事はない


一方鳥などはハーレム型は少ないらしくタンチョウのように一生一夫一妻型が多い なぜなのか常に高い所からの監視の目がキツイからなのか

その点 人間だけは一夫多妻型から一夫一妻型とその形態も様々なのである。
ハーレム型の一夫多妻は銭を相当豊富に持っていなければ成立たないが
一妻多夫 縄張り型複婚 乱婚型などと種類もとても多い
自然界ではオスは絶えず闘っているので傷つきクタバル率が高くオスがかなり少ないらしくそれで一夫多妻型が成立つが
現在の日本の人間社会の中でも政治界では大した闘わない奴が乱婚型に走るらしい~
おぃ~おぃ~こんな奴に折角稼だ税金を使って養っても人間界は大丈夫かと思うのであります。
猿の惑星にならない事を祈るばかりなのだ。
猿は体力もあり下に付きモップ持って働くのも大変そうだぞ~

Z~だ~サンタマリアだ~お釈迦様だ~

そろそろ新人を見始める頃になった。
新人で大事な事は聞こえる返事をする事で聞こえない返事は返事とわ言ないし
身体を使って働く現場作業では危険が常に隣合せにある為に、お互いに安全確認をしながらの作業で返事をせん奴は自分の怪我だけでなく相手を危険な目に遭わす事になる。 
すぐ会社を辞めて吊るしの背広とネクタイを買って事務職に転職した方が一緒に働く者の為にもなる。
ハイハイと二度返事をする奴もすぐ辞めて家に帰って再度人間教育をして貰うのがこれまた自分の身の為になる。
どんなに成績が良かろうがそれは机上の経験で実戦ではなく実戦で何をやってはいけないか何をどう質問したらいいかを習って来たくらいしかない
新人は人としては見て貰えるかも知れないが仕事人としては見て貰える事は絶対に無い
銭を稼ぐ貰うとなったら役に立たない奴には銭はあたらない 言われた事にデモだのダッタラなどと言う奴や、現場に付いて3年もせん奴が自分の意見はこうだああだと定年まじかのような事を言う奴にも将来は無い
それが通るなら職人など要らない事になる。
能力以上に給料を貰えるのは勤務中に重婚したり事前に聞きますよと通知した事すらロクに答えられない大臣やせいぜい政治家くらいで一般仕事人は自分の手で稼いだ分の中からしか銭は貰えない
出世も銭も諦めるなら話は別だが
仕事人は常に慢心する事無く、臆病であれ、慢心は自信を持ってゆくだけに那須スキー場のように被害も大きい
臆病者に油断は無い


毎日何かしらの荷物が届くので再配達を防ぐ為に大きなボックスを用意してるが
中にこんな荷物があった発送元にまったく心当りがない発送元に連絡するが電話には出ない
ネガティブ・オプションかと思ったが法律通り折角なのでアリガタ~く頂く事に中身はZ50ナンチャラと書いてある。
Z~最後の意味か 開いたら50回ジエンドになるのかも怪しいぞ~ 
機械物で最後で使えない物は日本ではオシャカと言う、お釈迦様は最後最終と掛けている
ロシア人など外人が言う時にはサンタマリアと言う、どちらも終わりジエンドの意味である。
人間同士、世の東西を問わずだいたいは似たような事を考える。
心当たりが無いぞ!何とか言ってこんとこのままでは送り返すぞ!


150馬力船外機点検中に発見
プロペラシャフトに巻き付いた釣り糸 これがシールを破り果てはギヤケースの破損に繋がり漂流の危険がある。
釣り糸を巻いたらサンタマリアになる前にすぐ上架して点検を

完了


スズキDF140馬力 DOHC16バルブ EFI
年に数回しか使わないエンジンのシリンダー内部 ジャケットに白く見えるのは電食部分と塩 
どれかのバルブが開いてピストンが下がってるシリンダー壁には潮風が入る為にわずかだが錆が来てる。 
絶えずポートが開いてる2サイクルになると1~2年で錆によりロックしてしまいセルも回らなくなる。防ぐ為に使わなくてもエンジンを始動し続ける事が必要になって来る。
手で錆を落とす事は今までの経験上は止めた方がいい鋳鉄シリンダーには細かい溝が無数にありそれを削ると一秒間に十数メーター移動するピストンを潤滑する為のオイルが溜まる場所が無くなり焼付きの原因となる。
現在も鋳鉄がシリンダーに使われるのは細かい穴があるからなのだ。
一度錆びてしまったものは交換するかボーリングするかしかないが費用対効果を考えるとそのままエンジンを始動して錆を削り落とすしかなく冷却を海水でしてるエンジンは電食の観点からもある程度の年数がたった物は余程の事が無い限り分解する事は進められない
北海道の浜の場合は春になったら何もせずにエンジンがすんなり始動したと喜んでそのまま使用される使用期間が縮まるだけで問題も起きる事は無い。
使わない期間の長いスノーモービルも除雪機も草刈り機も浜で使うエンジンはシリンダー壁の錆びを完全に防ぐ手立てはなく
エンジンがいきなり止まる事は無いのでダメになりそうになったら買い換えるかアウトになるまで気にせず使うしかない 4サイクルの場合はオイルの量が増えてきたらアウト
見ぬもの清なのである。

心配したメタルもシリンダーも経年変化の電食と錆び以外は問題は無くやや5日間掛かった点検の為のエンジンオーバーホール完了と共にこれで最後終了

名古屋は愛知機械や三菱といった戦闘機を多く生産した土地で昭和40年代頃でも太平洋戦争の航空機関兵経験者がまだ40代くらいだった。そういう人達がゴロゴロいた時代に修理工をスタート出来た事は本当に良かったと思う。
平和の大切さを機関兵から直接この耳で聞いて来た。
昭和40年代頃でもエンジンは殆んどすべてが職人の手による摺合せをして合わせた一品物と言ってよく インテークの段差があったり締付け順序でクランクが回らないなど
同じエンジンでも部品が合わない事はよくあったし組む人によって調子が変わるなどは当たり前だった。
膨張率の違うアルミのヘッドを鋳鉄のシリンダーにボルトも何も使わないで焼き嵌めで組むなどは本当に職人技でそんな人達が指の爪を油で真っ黒にし弁当箱を自転車の荷台に括り付けた人達がその辺に普通にいた。
たった一度しかない人生を勘違いでも結構満足出来た事は油にまみれて修理工をやったおかげだと思う。


次は口だけ出すラーメン屋と口だけ出す機械屋だな~そんな訳で本日は昼間から酒をかっ食らいだった。

終了

若い時と違い仕事する時の気持ちに余裕がまったく無いので、これが最後のエンジンオーバーホール点検と決めて決行する 。
9割以上大丈夫と言うエンジンをオーバーホールまでして点検するのは自分の不始末とボートだからやるのであってこのエンジンが車のエンジンだったらやる事はない
車が常時6千回転まで上げて走るなど通常はありえないしさらに異常が起きてもそれは歩いて帰る事が出来る場所で起きる。
バイクがコンロッドが足を出したりボルトの脱落はそれはイキシニに掛かってくるのでボートとあまり変わらない さらに集団で行動する事の無いボートは怖い
ボートに係わるその恐怖に耐えられなくなったのでこの辺でオシマイにジエンドしようと思う。
最後に残った二年越しの後始末を電話も何も切って世俗を遮断して誰も話掛けないでと予定は5日間でする事に


右舷側 ボートはエンジンを見る時には振り返って見るので右と左を混同するが右は右


左舷側


このエンジンは降ろす時にストリップにした方が後々楽で揚げ下げの作業時の二次災害も起きない


縦型L4気筒DOHC16バルブ


エンジンをカムチェーン側から見る。パワー取出しシャフトが偏心して減速されている事がわかるこれがプロペラの回転を下げてパワーロスを減らしてる。

知ってる限りではエンジンはバイクのエンジンが最高峰で精密に作らている。
今までのエンジンで一番苦労した記憶はヤマハのFZX750 4気筒20バルブ 一気筒辺り5個のバルブが付いていた いつも通りバラしてびくりスリーピースのヘッドからバルブのシムがスプリングで押されて全部飛び出してしまった。
厚さを一枚一枚測定してさらにそれぞれの20バルブに組み込む 組合わせは5の4乗さらに個々のシムの厚さ気の遠くなる作業だった。
40代前半の話でそれでも組んで普通に使う事が出来た。
若いと言う事は素晴らしかったと今になって思う。
今はそれぞれの行程を細分化しないと記憶が作業に付いてゆかずに出来ないのだ。
半世紀の修理工人生ももうオーバーホールはやってはいけないこれが最後の作業になる。
もともと脳味噌の重量も少なく乱暴なので修理工には向いていなかったが兎に角この仕事が好きだったし楽しかった。
そう考えると仕事ってなんなんだろう。
仕事に誇りを持てと言うがそれは使いやすいからなのではないのか
お客さんにとっては迷惑な話だが誇りを持ってるほど修理が上手だった訳ではないが
ただただ楽しかった。

232

稼ぎを大幅に減らしたのに何かと忙しい 今週前半は札幌と後半は稚内往復400キロ日帰り
ここから稚内にゆく道は232と遠回りになるが275を通る道がある。
232と275の大きな違いは廃屋の数でおそらく232は全道で一番だろう。

百姓や漁師廃業後も家は放置され片付ける資金さえないほど困窮している事を表している。
もう一つは夜逃げなのだ 
どうか逃げた先では人生を取り返して欲しいと思うのだが知ってる限りでは多くはいいメは出ない

ここもそうだが坪3000円の土地に家屋解体費用が百数十万円掛かるそれでも更地にして利用価値があればいいが無い!
もし232に津波が襲って来たら二度と復興などありえないのだ。232号線は津波が来なくてもこのままでは復興などありえないのだ。
誰の為の復興か復興大臣は謝り方に問題がある。
『 正直者なので本心を言ってしまいごめんなさい 』と謝るべきだったのだ。
どうせ首だけ挿げ替えるならもっとミヅラのいい奴に替えたら


サロベツ原野

 
稚内にゆく時は十数年前から気になっていた家があり誰が住んでいるのかどんな人が住んで居るのか まるでインガルス一家が住んでいそうな木造の質素な家 草原をローラー、インガルスが走っていそうな家なのだ。
一度も住む人を見た事は無いが見ぬが華と言う事もあるので遠くから一枚
200キロ間にただの一軒と言っていいと思う実際に住んでいる,
昔ながらの3寸板張りの住居 多分数十年前に自分で建てたのだろう百姓とは百の仕事が出来る、百の姓を持つ者と言う意味なのだ。
板張りで寒いだろうし放置された家屋の方がもっと良い家は沢山あるのにである。
耕されている農地の広さは見当もつかないがやたら広く綺麗に葉物か何かを耕している。
この住み人の回りに翻弄されない価値観と土地がここに住み続けていける。
ここをしばらく下ってゆくと昔は旅籠から呉服屋まであった言う歌越の海が見える。


学校に通うにも大変な原野 
人間嫌な事や怒りはいつまでも引き摺るが有難かった事や恩義義理は忘れる 
その忘れる速度は銭の量に正比例して早くなる。
反省~


サロベツ作返

4月は各町村に新人が採用されるが言われる事は市民の為に町民の為に村民の為にと言われるらしい
市の為に町の為に村の為にとは聞いた事はないが
国だけは国の為に美しい日本などと、のたまい涙まで流しながら亭主は賭場を作る。
俺だったら涙流すほど感動したらコンニャク位ならポンと出すダメか~
100万がコンニャク、1000万はレンガ なら一億はブロックか~10万はハンペンか~1万はそんな物は金でないか~

いま自分が持っている価値観が本当に切ったら血が出るような価値観なのだろうか
誰かに何かに洗脳されていないだろうかと常に考えされられるのもこの232なのだ。
地球上で見れば北緯43度以北にある首都のほうが遥かに多いのに日本は43度を境に超黄昏てゆく
ここ北緯43度に住むものとして逆らってみようじゃないか~

もうダメ~

一日は町の健康診断 昨年はどこと言って悪い所も無いし玄関前にカラスが群がっていたのでやめたが何度もどこかの病院で受けれと言って来たので去年は10月に藤田病院で検査を受ける。
ガキの頃はロクでもない事をすると病院に連れていって注射をするぞと脅された結果は効果てきめんで注射を聞くだけで身体が縮まる。
チューブ式のパンク修理を直す時には水に入れ見つけた穴に爪楊枝を刺して置くが抜くとヘナヘナ~となるあんな感じ

増毛町健康一番館の受付からしてどことなくサファリパークを思わせるのだワタシャ~健康に気を使っていますょ 
どう~このスタイルはと言うスタイル抜群で肉食系ピューマーかメスライオン風のいかにも獲物は逃がしませんぜ~と言う感じのお姉さん達が揃っている。
瞼もそう簡単には綴じませんぜ~と言う切れながスッキリ一重が多い
旭川がんセンターの出張って来たお姉さま達もワタシャ~これで食っていますょ~ 
サ~サ~いらっしゃ~ウサギちゃんと言う慣れに慣れた感じでチ~はタップリと頂きましょ~
もうダメ~この雰囲気が~
本日のメニューはバラの脂の乗り具合にレバー、ハツにタン、ミノ、コブクロの検査

二日はマリーナー説明会 見知った顔を見ると春が来たと思うが
もうダメ~記憶が所々途切れるようになった修理工の限界を知る もし俺が200キロ以上出るバイクに乗っていたら還暦を過ぎたバイク屋のオヤジには修理はさせない
今まで売ってしまったもの以外の新規の修理の仕事は一切しないと決めているのでこれからは贅沢かもしれんが
宇宙船は物凄いスピードで動いているがそれでもドッキング出来るのは同じスピードで動いているからでこの顔ぶれで只々何事もなくゆっくり過ぎていって欲しいと思っている。
土日ラーメン屋もやっと再開になった。
高い~船買ってろくに使わないでラーメン食ってる お客さんは大変ありがたい~お客様と思うようになった。

霙と雨

滝川から任地までの燃料を入れた領収書の倍の金額が任地先から支給されるがそれは元をただせば税金。
コースは自由だが燃費との絡みでコースは自然と設定される燃費は距離とは一致しないので市街地を避けて新十津川から石狩に抜けて小樽を回り歌棄を通り長万部から八雲が一番燃費がいいと思ったが
敷島内か雷電で落石で通行止めになったので倶知安を通り長万部に抜ける。
スタート地点の領収書は要らないので増毛からでもいいのだが 
実は俺はけっこうセコイのでこのまま黙って任地までま~いいっかと思ったが
それではこの子の花道にはならない これから先にどうにもならん選択を迫られる事もあるだろう。黒を白と言わんならん時も来るかも知れない 
新卒の真っ白な道に銭金で済む事で汚す事は出来ないとキッチリと新十津川のスタンドで満タンにしスタートした。
任地のすぐ傍にあったスタンドで燃料を入れ領収書を貰う2100円となにがしだった。
修理工は最大トルクを使って走るので燃費はいい うんうん合格


帰りは自由なので熊石に向かう いつも通りアッチャふらコッチャふらと走る。
十数年前は留萌でも一メーター超えのテックイが釣れた 専門に狙っていた人が言うには最初に釣れた魚をそのまま泳がすのがコツらしいが今は釣ったと言う話を聞かない


西海岸にアチコチにあるニシン街道の書き立て たいした事は書いていないこの書き立てはやはり新潟や山形などは結構面白く書いてある。
本当の面白さは大衆の中に市井の中の日常にあると思うのだが


切り通し があちこちにある現代では考えられない何かがありそう
北桧山新成数年前はここがどん詰まりだったが確か呑み屋さんがあった。


大成地区 ここまでが東北の雰囲気が残っている。 


お~お~


茂津多灯台 一月に来た時にあった木がまだあったが先に誰かが進んだ跡があったのでドンドン行ったが行けずに戻る処  地球が丸いと見たかったのに雪で再度断念
先に進んだ車の轍からするとジムニーだと思うのだがジムニーの凄さは一番低いのはフレームで何かに乗り上げてもミッションは持ち堪える。
スズキで16インチの軽キャブバンを発売しないのかジムニーでは中で暮らせないのだ


何が面白いのか お抱え遊び人 菅江真澄 
霙と雨がひどくなったのでそろそろ帰るか~

どうなん!

今年も新卒者が任地に向かってゆく 
俺は新卒者が任地には向かう時は気車でゆけと言う。
馴れ合い同士で揺られてゆく車でもダメだし道中を端折る飛行機などはもっとダメやはりゆっくり景色が変わり乗換がある汽車なのである。
出掛けにある病院看護師のニュースをみる 自らクタバル嫌なニュースだった。

三年間寝る間も惜しんで勉強した滝川から荷物を積んで道南にゆく、学生会館は月を跨ぐと家賃が掛かるので綱渡りの引越しになった。
野郎の引越しはナップッサク一つだが荷物が多いので錆びたボロボロの車にムリクリ積み込んで現地に
道南なので晴れてるかと思ったら恵みの雨だった。
新卒者は三年間お世話になった滝川から汽車で道南に

俺には絶対出来ない職業がある 一つは病院関係 こいつは庭掃除でも無理多分三日で心筋梗塞であの世にゆくか竹箒を投げ出して逃げて解雇されるだろう。
もう一つは何かを教える的な仕事 二回言ってわからん奴は頭をブッタ叩きこれまた三日で首は間違えナシ
自分に出来ない事をする新卒には掛けてやる言葉など見当たらない
「 頑張れ 」自分がパッと頑張って来なかったのによく言うわと思うので却下
「 一生懸命やれば道はドッタラコッタラ 」その根拠はどこにあるのだと思うので却下
何人かの若者の旅立ちに立ち会ったがこの歳になっても結局は何かあったら連絡寄越せくらいで気の利いた言葉など何もないのである。


帰りは西海岸を回って帰る事に初めて通る道だが南無八大ナンンチャラカンチャラあとは無学で読めないがすぐ横に熊注意と書いてあった春の熊は腹すかしてるのでションベンも早めに切り上げて出発だがガンマ250かなんか2サイクルで膝スリスリしながら走るにはいい峠だと思う。

下に旧道が見えるが相当に危険そうだし北海道の熊でも道南の熊は人を襲う事で知られている。そこを歩いて通った人達はどんな目的があったのか知りたい
昔の事をチョロットどこかに書いてあるのかと思ったがそれどころではないのだろう何も気付かなかった。

右に比較的新しい旧道が見える通行止めだがバイクなら、、、、、、
この辺りは北海道としては歴史も正保年間と古く北前船などの交易やニシンなども稼ぎもあったろうに 東海岸はつい最近まで戸と言えばムシロだったと言うのに何があったのか現在では逆転している。
ゆっくり地元の人の話を聞きながら西に東にと歴史を遡るにはいい場所かも知れない

俺の中には海さえ超えなければいつでも来てやる事が出来るがこれからの長い人生を自分の手で掻き分けて生きてゆかねばないが
物事諦めるなと言っても津波や地震など逃げなくてはどうにもならん事は沢山あるし 
何が一番大事なのか大切なのか今でもわからない 

なんだよ~

なんだよ~「 べっぴんさん 」は来週が最終回ではないか 
修理工なので何でも一定の法則を探そうとするので数年見て来たがパターンがわかって来たぞ~ 問題は常に月曜日に起きて土曜日にはチャンチャンで解決する。
それに戦後の混乱の苦労と貧乏を乗り切り成功するパターンも多い もっとも朝にやってる連続ドラマなので大河ドラマのようにバッタバッタと切られるのも朝こっぱやくはメシもマズいしどんなにしてもクタバラナイような中尾 彬のようなオヤジでは一日の始めが憂鬱になるだろうし ま~こんなもんだろうと思うが

戦争経験者は実体験として戦争を語り次ぐだろうが3世代目になると話も薄れてゆく それが世界中が今のなんやら危ない状況に向かってゆく事の理由になってるような気がしてならない
戦争経験者がやはり公平な目で語り次ぐ事の大切さを思うのだが
今は経済的にも自分にとって都合のいい人は良い人で都合の悪い人は悪い人となってるが状況は常に変わり相手が自分にとって悪くなる事はいつでもある。
その時その時で臨機応変にやっているとどうしてもタイムラグが出て対応が少しづつ遅れて来る
為に流れに乗る事などは自分が流れを作らないと所詮出来ない 
時代の些細な流れに左右されない不変の価値観を頑固に持ち続ける事が結局は時代を乗り切る事が出来る大きな要素になると思うのだが


神よ風見鶏達を許したまえ~ アーメン アラ~は偉大なり~ ナマンダブ~

貧乏はどこからが貧乏かと言うと自分が貧乏と思えば貧乏でメシさえ食えればそれで満足と思えば金も含めて何も持っていなくても貧乏とは言えない
物欲の塊の俺は空を飛ぶ物も以外は殆んどの物を手中に収めたが欲しがる物もパターンがある事に今頃気付いた。
駐車場にどんなに凄い車が止まっていてもフェラーリーが止まっていても欲しいとは思わないが無理したら買えると思ったら俄然闘志が沸き欲しくなる。
結局は手に入りそうな物を欲しがる事は自分に似たような者をいじめる者と大した変らん精神構造なのだ。
そう思って見ると神様は乗り越えられる苦労しか与えないと言うのもあながち的外れでないかも知れないと朝の連続ドラマを見続けて思う。
どこかに必ず解決の道はあるのだろう。

来週の最終日は紀夫君が写した全員集合写真の白黒で終わるぞ~きっと!

ラーメン屋今日もお休み

今日で毎朝見て来た朝の連続ドラマ べっぴんさんが終わる。
「飲んで 食って 歌へ」親がいいと子もいいのである大概は
戦後復興期の実在の人物をモデルしてきたのでそれなりに興味深かった。
留萌は今のヤクルトから食道園を繋ぐ道を境に西の金持ちの住む処と東の貧乏人の住む処に綺麗に分かれていた。
東は旧河川があり湿地と谷地になっていて条件が悪く半島出身者や貧乏人が多く住んで居た。
俺の生まれはギリギリの西側で旧東光小学校の正門前に少し大き目の家に住んで居た。
良い処の出らしい、いい振りコキのオヤジはいつも耐水グリスかと思うようなポマードを頭に塗ったくっていて胸ポケットには櫛が刺さっていた。
向かいにある東光小学校では一クラス40人から50人で教室は松竹梅から始まり果ては山菜まであり給食の脱脂粉乳も半端で無いほどあまりいつも余るのでまだ学校にも行ってもいない俺に貰って来るように言って俺はいつも寸胴鍋を抱えて貰いにいった。俺と寸胴鍋は由緒正しい長い長い歴史があるのだ。
オヤジはそれをすぐ傍の湿地帯にあった半島出身の部落にさもさも自分が貰って来たようにして配っていた。
その事はその後長い事半島出身者からは感謝される事になって没落後も半島出身には大変お世話になった。

朝鮮特需の金へん景気でボロ儲けした付け刃焼のいい振りコキで博愛主義者のオヤジは調子こいて夜な夜な遊び歩いたが朝鮮戦争休戦によって没落する事になった。 
元々いい処の出で苦労というものを知らなかったオヤジは今までの良かった事は無かった事に見なかった事には出来なかった。
代わりにこれからの事は無い事に見ない事にしようと何処かに行ってしまい残された家族は東側の原野二線にゆく事になった。
留萌に西と東のいまでも残る痕跡はヤクルトのある交差点を東にゆくと小さな下り坂になっている、そこから先は少し雨が降ると湿地は沼と化す土地で狭い一尺ほどの木の橋が道の代わりだった。
世が世なら木道などと言ってオシャレ~などと言われるがヘビが住むと言う水芭蕉の咲く土地でそれはそれは美しい自然が一杯でメシは食えない土地だった。
鉄屑を入れたミカン箱に紐を付けて引きづり西田ザッピン屋に買って貰ってはメシの種にした。

雪が溶けたら裏の増毛線線路のレールを夜陰に乗じて端から順番に外して留萌のザッピン屋まで引きづって行こうかなどと見るたびに思うのである。