除雪機とコロナ

あるメーカーから除雪機のプロトタイプを貰って使った時があった。
それをあ~でもないこうでもないと報告をすると真冬に内地から夏靴履いた若い子が当時は似た様な年齢だった思うが道北までレンタカーを借りて何度も来た。
その結果を本社に持って帰り対策部品を作って送って来る。
そうして数時間使うと壊れる除雪機が一日使える様になってゆく
それを何度も繰り返しやっと半年使える様になってくる。

使用中もエンジン回りがプラス温度になる事が無い地方は逆に凍結の心配は無く
マイナス5度や10度などと半端な温度は周辺機器の使用中の温度がプラスになり溶けた雪がありとあらゆる隙間から浸み込み使用していない時間帯に凍結してしまう。
除雪機は言ってみれば車のボンネットを外して吹雪の中を走ってるのと何もかわらん
さらに使う側の問題が起きて来る 暖かい家から出て除雪する為に暖機運転などやって呉れる人などいない
それはマイナス温度の空気を吸い込みガソリンと15対1で混合する事になるが
冷たい空気に合わせると暖まった時にエンジンの不都合が起きる。それを一つのキャブで調整を自動で行っていく様に改良していく
部品番号の末番に01とか02とか付いてるのは改良型を表す場合が多い これにはもっと複雑な意味もあるが・・・・・
小さな機械ではあるが皆んなの苦労がぎっしり詰まっているのだ。


何度もの改良で完成された最終型PZのエンジンを現場で降ろし修理する。

ここに販売する側の人間の利益や思惑が入って折角良い物が出来たのに大した必要で無い見た目とインパクト重視の構造が入って来ると只々現場泣かせの機械が出来て来る。
同じ機械同じシリアルNOで何も変わらないでもジッと何年も見て来ると気付いて来る事があり
これはこう使っていけないと気付く事があり なんで今まで気付かなかったのだと言う事は結構ある。
それは単純な事ほどそう思う事が多い様な気がしてならない
まったく同じ機械を使って最初はあんなに壊れたのに今は快調に動いて使っていると言う場合は
それは気付かない内にオイルや周辺機器の性能アップや使用する側や点検する側の技術の向上があり常に動いているのだ。

技術者になりたかったと言う夢は果たせなかったが
いい物を作る それは一時沢山売れるがやがて飽和状態になる。
故障が少なく寿命が延びる結果は買替年数が伸びる部品も売れない修理業者は仕事があぶれる。
メーカーの中でも営業側は素人が喜びそうな目先の変わった物を競争して作り
それは往々にして失敗に終わる事が多くなるが
その機種のダメな部分を改良するを繰り返してゆくが大きな流れを見ると回帰現象が起きている。
現象が起きてから対策を考えるそこにタイムラグが生じるが
それすら見越すのは技術者でその手法は作っては壊すを日々タメ息を付きながらコツコツと技術者と現場は繰り返して来た。

コロナを解決から遠避けている諸悪の根源は技術者や現場の邪魔をする。
ド素人の票狙いで口出す政治家だと思う。
どいつもこいつも顔が卑しい。

コロナと除雪機

最初はアメリカのTORO社の除雪機を売ってやがてヤマハが自社で作った除雪機が赤い除雪機だった頃から売り始めて数十年
その初期モデルだけでも二桁以上売ったが 除雪機はこうして開発され作られて行くのかと見て来た事はその後に大いに役立った。

その年の販売する分を9月に発注するので雪が少ないと死活問題までは行かんが
少雪で半分ほど売れ残った除雪機の支払いの為に塗炭の苦しみを何度も経験した。
鮮魚運搬トラックにも乗りチョット稼げると言ったら雑品屋でアルバイトし土方に非正規労働者に行ったり冬山の測量機器運搬となんでもやる。
冬山と海は本当に死活まで数度行った。
そうして稼いだ金は殆どがメーカーへの支払いに回って

売れ残った新車除雪機は翌年年式落ちとなって正常価格では売れる事は無く
例えば50万だった物は翌年は資金繰りの為に40万程度まで落ちて儲けは0円
さらに毎年30台売れると前年の売れ残りを先に処分する為に半分は利益0円で売るが経費は通常通り掛かってゆく
9月発注をしなければ仕入れ価格は変わってそれまた苦しい経営になってゆく
どんなに困っても巨大メーカーは助けて呉れる事はなく
やはり顔の見える範囲の人達がお情けで買って呉れたりとして来た。
それでも死活問題までは行った事はない せいぜい苦活程度なのだ。
商売は一度つまずくと元に戻すまで ゆうに3年は掛かると経験則で感じているが
まったその「 一度つまずく 」と言う奴は
慢心や分不相応な生活や天候などで一度でなく数年置きに何度も来るのが商売で
平時にその備えが出来た者だけが生き永らえる事が出来るのがジエイギョウなのだ。
本気で泣き言を言ってるならサッサとジエイギョウは辞めましょう。
今時は酷い追い込みに遭う事もなく破産の通知一つで楽になってしまう。
だが非正規雇用やアルバイトで働いてる者は失業保険を貰う事はかなり難しいのだ。
口は立ち心理戦に長けてる金食い虫のジエイギョウに回す金があるなら
今日食うコメも無い雇止めなった末端の本当に困っている者達や失業者は職安と連携して直接助ける方が銭も遥かに安く付くと思うのだが
ジエイギョウをやりながらアルバイトも数々やった俺がそう思うのだ。

いかんタイトルと外れてしまったが
本当は除雪機の構造とコロナの話だったのだが
女とは違い男一匹なんとでもなるそれが男の人生なのだ。


除雪機販売業者の高齢化や昨年のまったく雪が降らずにアチコチから換金の為に持込まれた除雪機達これの何倍もある
直せば使えるがそれをやると ただでさえパイの少ない近場の除雪機業者は困る。
銭の続く限り買え支えと思ったが
ドッドどうするべ~箱に詰めてロシアにでも~カニ食いて~

終日

高齢者講習に行って来た。
ここの自動車学校は昭和60年頃から平成の初め頃に夏期間だけ二輪車の講師として座学と実技に7年ほど通った。
その後後任に変わってから一度も行った事は無く
数十年ぶりに行ったが建物も変わり書けない事も多く何の感慨もない

受講者達は戦後の食う物もロクにない時代を港町や炭鉱町で過ごした方達なのでチョット雰囲気が違って面白かった。
俺みたいに年から年中ツナギと違いラインがビッシと入ったズボンやジャンバーでもリブが入って身だしなみもチョット気を使ってる。
おりゃ~若い者には負けんぞ~と言う気概が感じられて こりゃ~免許書返せとは中々言えんぞな~と思ったが
狭い駐車場に入れる時に何度も切り返すのを教室の中から見てるとやはりチョットなのだ。
マスクに帽子を眼深に被って黒の防寒ジャージ  手は指先の無い白い薄手の軍手をした目付きの悪いオヤジがいて
コイツと目を合わしたらイカンと思ったら目の前に座りやがって
そのオヤジはマスクと同じく帽子を眼深に被った俺を見て、
うん~コイツは何処かで遭った事あるなと思って自分の脳味噌のページを探っているのだが
なにせ人生が長い分だけページ数はあるし数々の修羅場を渡ってる世代なので頭の中を検索するにも
ページ落ちしたりして途切れ途切れになってる為に多分頭がごっちゃになってるのだ。

こう言う不特定多数が集まる場所は早く付いて出口に近い一番後ろに座るのが常套手段でまったく良かったぜ~と思っていたが
相手もなんか背中が気になるのか何度も後ろを振り返る。
名前を呼ばれても俺は何処にでもある名前と通り名で通ってるのでまだ気付かん
後ろを振り返そうになったら教本を読んでる振りして下を向くを繰り返していた。
まったく食うや食わずの世代は振り返ると謝っても済まない話も多く落ち込む事も多いので
前を見てゆこうと思ってる高齢者は下手な若者より多いと思う。

講義も終わり頃にマスクと帽子を取って顔を見せてやった。
お互い十年ぶりで近況を報告しあい またいつかと遭おうと言って別れたが本当に遭うなのだ。
元桜の代紋かと思えるオヤジと同じ実車運転になったが
アクセルがドッタラだのハンドルがドッタラだのと煩いのなんの
帰りの駐車場もワレ先に出ようとするしサッサと免許返せと思った。

一昨年は終活とかで良くも悪くも昔し十数年付き合ったオヤジがわざわざここ迄来て
「 すまなかった 」と謝れられたが
歳こそ上だが一緒につるんんだ仲なのに過ぎた事なのに無性に腹が立った なぜだろうと一昨年らい考え続けたが、


中村終日 ここを走り抜けた時代は遥か昔に終わったのだ。

三島由紀夫にはなんの関心も無いが何気なく見たテレビニュースで
当時一緒に自刃した25歳の若者が居たと知った。
もし三島由紀夫が現代に生き返り、
その若者に すまなかったと謝ったとしたら
返す刀で三島はその若者に切られるかも知れないと思った。

何でもかんでも謝れば自分は楽になるかも知れんが
相手はそれで失った時間もモノも価値観も戻って来る事は無いと
高齢者講習と重なったニュースでそんな事を思った。
そんな世代なのだ。

しゃ~ない

命と金どっちが大事なのと思うが その日食う物がなければ正常な判断は出来ないかも知れんが
遊びに行く金があるなら全額自費で行くのが貧乏旅行でも面白いと思うのだが

俺なんか性格が元々悪いから
不要不急の外出は止めて下さい
だけど旅行に出かけるなら国が小遣い上げますよ メシ食うなら銚子一本一品サービスを国がしますよ
ぜひコロナに掛かって下さいと一見矛盾してるこの動きは
安倍政権で桜や森友や加計問題で加担した ご本人様やご家族様やご官僚ご一行様などを訴追はしませんと誓った者が次の政権を担うのは当然の筋書通りだし
このコロナが続く限り桜やモリカケには国民の関心は回らんのだ。

困っている自営業にはただやるのでなく無利子で貸し付けを重視すべきで
その返済を考えても継続をして行けると考えるか 手持ち資金が残ってるうちに廃業するかは事業主の判断になってゆくが
そうなった時に小泉政権と竹中平蔵が作り出した非正規労働者がいかに酷いものだったかを反省すべきだと思う。

倒産しても債権はキッチリと返して貰わんと 今度はこっちが支払いを出来ずにキリトリに遭うので法の許す範囲とチョットで集金に出掛ける。
昭和40年代頃の商売人は倒産しても負債額は資産の3倍程度でキリトリに出掛けるだけの価値はあったが60年代頃は資産や売上の10倍もの負債などは普通になってしまって手持ち債権額の1~3パーセントも回収出来たら御の字なってしまった。
以前は負債の大きなものは手形決済が多く 3ケ月後決済は通常だったので
これが4ケ月などとなって来るとあそこは危ないぞなどと噂が立ち始め買い掛も出来なくなり本当に危なくなってしまう。
その為に債権額はそうそう膨らむ事は無かったが
手形がプラスチックマネーに変わり現在に至っては財産はすべてリース物件で回収はゼロなど普通にある。

倒産してしまった会社は一番に国が税金などの債権回収をし次に銀行などの担保物件と労務費で一般売掛債権など一番最後なので如何に早く情報を掴みキリトリに出掛けるかが勝負になってくる。
のんびりと債権者集会などまってた日にはハイご苦労さんで終わってしまうのだ。
そのババ抜きゲームで誰を出し抜くかはカンと経験値がものを言うがその話は端折ってっと・・・・・・・


十三湖 以前原付バイクで行った時に台風に遭い凄く世話になった新岡商店さん 当時のお礼も言えたし良かった。

商売をやっていくと言う事はそれだけ厳しいものがあり現在の様に起業だかなんだかわからんがロクに資産もないのに思い付きだけで商売をやる事自体がおかしいのだ。

その結果は回りの債権債務の踏み倒しが始まるが
債権者集会で資産を持ってる会社は再建の可能性を探るし
このままやってもさらに債務が増えるだけとなって再建は認めないとダメにする場合も
その債権者集会でも市中の弱小債務50万までの債務は8割払いましょうとか10万までは全額払いましょうとやって来た。
それは債務者がこれからも暮らして行く為に味噌米に困らない様に市中の債権債務は綺麗にさせてあげましょうと言う意味合いがあったし
それが今まで取引頂き儲けさせて頂きましたと言う貸した側の気持ちでもあった。

資産とは何も土地や銭金だけではない
頭だけで考えたアイデアなどすぐ真似されアウトになってしまうが
身体で覚えた技術や人間性は立派な資産で
それは物的資産と違い誰にも持って行かれる事はなく
また裸一貫で一から出直せる事が出来ると回りも判断する事も多かった。
ま~そんなノンビリした時代もすぐ前にはあったが
それも顔の見える範囲での商売の話で これが仕入れ価格重視で遠方との取引が多いとそうはいかない

困る前から遠くの親戚より近くの他人なのだ。

早まったらイカン、ワンテンポ遅らせて


冷却水漏れがスロットルボデーから吸い込んでエンジンの不調になったがウォーターハンマーを起こしていなければいいが確認はエンジンをオーバーホールしかないのでしばらく様子を見る事に

結局は外観から見える部品交換で終わってしまった。
この原因を特定出来ない修理はまた同じ事が起きてしまうのでいつまでたっても頭から離れない

この小さなエンジンでさえ水槽から3メーターほど離れたデスクトップでエンジンの遠隔操作と状況判断が出来るようになったので仕事がはかどる様になった。
アクセル踏み間違えを誰かの陰謀だとか言いそうだが
やれなくもない所迄来ている。

数年燃料を入れたまま放置されたスノーモービルのツーバレルキャブをオーバーホールする
今週はキャブOHはこれで3台目
現在はEFIが主流なのでこの各回転域の繋がりが引っ掛かると言う事はないが
キャブは燃料と空気を計量して混合する為にあり
中の回路にはエンジンを始動する為だけの燃料と空気の混合回路があり
他にアイドリング域、低速域、中速域、高速域とハッキリと別れた回路区域がこの単体の部品の中に入っている為にキャブ式はそれぞれの回転がスムーズに繋がる事は無い
キャブ式は使っていて違和感を感じる回転域の受持ち箇所を点検しバラス事になるが空吹かしでは分からないので実際に走って見る事になるが・・・・・
エンジンは使う時にはどんなエンジンも回転域のタイムラグがある為に
ワンテンポ遅らせる気持ちでゆっくりアクセルを操作すると燃費も寿命も延びる。

みな用心して買替しないのか今年は月曜日午後から水曜日まで週三日休もうと決めたがやたら忙しく仕事が切れない
地方への出掛も多いが夕方の231や232を走ってる札幌ナンバーの商用車を見るとどんな会社に勤めてるのよ
と思ってしまう。
この時間帯に231や232を走っていたら札幌まで夜9時や10時になる。
宿に泊まるのか帰るのか、だいたいが車間距離を詰めて来るのは札ナンバーが多いので
俺が言うのもなんだが道を譲る事が多い
今年は特に国道を走る車が多く俺には本当にコロナで田舎の経済がおかしくなってると思えないのだ。

このコロナで都会と田舎の境がハッキリと出来て
必要とされる商売が必要な数だけ残るだろうと思う。
田舎では人手不足で技能実習生などと大嘘こいて外国人労働者に3K仕事をさせているが
日本の地方の田舎にはそれだけ働く場所が隙間がまだまだあるのだ。

なにもバス停に座っていただけで石で殴られる都会に居続ける事はないし
若い身空で生きる事を諦める事もない。

俺も若い頃は生きるのは結構しんどいと思ったが
若い身空で生きる事を諦める奴は ま~あ~諦めがいいと言うか
了見が狭く身勝手で自分の事しか見えていないのだと思う。

世界中にはゴミをあさって生きてる子供も沢山いる自分が生きて少しでも100円でも10円でも救いの手を出してみようと思ったなら自分の世界は大きくひらくと思うのだが

田舎にはすぐ住める空き家も沢山あり職安の募集も沢山ある。

早まったらイカン

全行程約1836キロ
フェリー代  往復  21,700円
ガソリン代       9,019円
食料品、漁長、     2、369円
ファミリマートさとう、 3,418円
ウエル蟹カワハギ刺身他 1,380円
旅路 煮干しラーメン    550円
道の駅、鱈の里、      540円
あっちゃの店コーヒー他   600円
むつ ラーメン代      600円
暖房用灯油代        231円
雑費約         1、800円
合計         42,207円

フェリー代 21、700円とガソリン代9,019円が大きいので海を一度渡ったら一週間は居たかったのだが携帯も便利なのかどうなのか修理業の悲しさで呼び戻される。
今年は遊び過ぎて銭が少々足りないのとコロナで外呑みは無しでメシは車内で自炊

コロナで自殺者が4割増えたと言う。
しかし俺は思うのだが軽自動車は速度制限を掛けて昔のように車検制度を廃止したら
軽トラックに拾って来た板でも張り付けるかブルーシートでも張って車の中で経済が回復するまで車中泊で暮らすのも悪くないと思うし
動かんば一日1、000円もあれば景色見ながら充分生きていける。
海辺に車で居座って魚釣って山菜取っては結構楽しいと思う。
生きてゆく心には雨露凌いで足が延ばせて寝れる場所を心配せずに持つ事はとても大切な事だと思う。
それには一番金の掛かる車検制度を見直す位の事はせと思うのだ
車検が無かったら税金と保険を掛ければ何処にでも行ける。


どこでも田舎に行くとこのスズキの看板がやたら多い 田舎の味方スズキ

東北震災後に物資運搬で行った時に見たものは真っ暗闇の瓦礫の中に灯りを付け店をいち早く再開したのはプレハブのローソンだった。
その時に商売とは通りに灯りを付け続ける事なのだと確信させたのだ。
そのせいか現在東北はローソンが多く青森は他のコンビニは滅多に見ない


下々は身体張ってアチコチ遊びに行ってコロナをバラマキながら貰いながら
経済を回せと言うが下北半島も津軽半島もコロナが有ろうが無かろうが元々売上はたいした変わらんのだろうと思う。
いまこそ田舎の生活に学ぶ事は多いと思う。

GOTOは例えば東尋坊までタクシー代は補助金で出す後は飛ぶなり戻るなり選ぶのは貴方次第と言うに近い
お前はバカか

何があろうが命は大切早まったらイカン
なんだったら崖下村の俺の空き地に車止めていいぞ~

青函トンネル


竜飛岬
いつかはここに来てみたいと思ってやっと来た。
外ヶ浜町は蟹田町、平舘村、厩村 、が合併して出来た町で
今別町は合併に加わらなかった為に外ヶ浜町は飛び地になり地名が再び現れる事になったのだ。
それは竜飛岬のマグロの模型がドデ~ンと置いてある売店のおばちゃんに聞いた。
おばちゃんいわくはこのマグロ模型は脂が乗っていないと言い作った奴を恨んでいるようだった。
チョット知った奴に痩せてると散々言われているのだろう。

今別町は青函トンネルの入り口がある町でその事と合併に加わらなかった事と何かしらの因果があるのか どうなんだろう。

はいタッチ 靴下を持ってこなかったし車も車高を2インチアップした為にキャンバーがまだ若干狂っていてタイヤが片べりする為にスタッドレスは履かずに夏タイヤで走って来た。
明日から雪予報


青函トンネルは昭和38年から22年の歳月を掛け延べ1400万人が工事に関わり1.5キロに一人の割合で34名が亡くなっている。
東名高速三ケ日トンネル下り線側に機械工として行った時期があり ほんの少しだけトンネル工事の過酷さは知っている。
炭鉱夫やトンネル工夫は遅くまで
タコ部屋の気風が残っていたのではないだろうかと思う。
これだけの人数が亡くなってる陰にもっと沢山の労災事故があり3次下請け以下になるとカウントすらされない事もあると思う。
もう半世紀も前の話だが危険作業の孫請けの枝葉は組夫と言う制度があって何から何までその組夫の中で処理をしなければ行けなかった。
その為にここでは詳しくは書けないが  無印ヘルメットの中には人間以下も沢山いて俺などもそのうちの一人だった。
当時はトンネル入坑ですら防塵マスクをした記憶がない
現場では何もかも大きく重く一人で出来ない作業が多く合図と同時に作業をする時に
聞こえない返事は返事ではなく 自分以外の誰かを危険にさらす事になる。
その為に聞こえない返事には物は飛んでくる殴られるは当たり前だった。
「 怪我と弁当は自分持ち 」と言われ苦しむより一気に命を落とすならシャ~ナイベ~と言う雰囲気もあった。
労災がドッタラコッタラ言うが一旦労災があると現場が止まる事を恐れる為に様々方法が取られて来た。

日本中にあるトンネルやダムなどが出来る陰にそういう人達がいないと出来なかったのだ。
結果手足の欠損や肺に異常がある者は山谷や寿町や釜ヶ崎などのドヤに行くしかない者も出て来る。
ただただ昼間っから酒をかっくらっている訳ではないのだ。


殉職者 34名

もう少し津軽に居たかったが明日から雪予報と用事が出来て明日7時のフェリーに乗る事に
青森は二泊三日だけの滞在になった。

少し波があり窓に飛沫が飛んでくる。

むつ市を通り過ぎて大間に向かい太平洋側に出た辺りの真っ暗闇の工事中の道を走っていたら、前にやたら派手な大型バスがドデ~ンと通せん坊をしてやがる。
行けないので止まっていたら俺が工事中の赤信号を無視したらしく
バスの運転手が窓を開け何やら怒鳴っているが
ここは下北半島 津軽弁か何を言ってるかわからん
ただ「 バカか 」と言ったのは理解出来たので
『 うるせ~下北のサル 』
と言いそうになったがコイツよりサルに失礼かと思い留まった。
バスは下がる事も出来ないので仕方ない 俺が工事中の道路を四駆に入れて登りすれ違った。
津軽弁を聞きたいと思っていたが こんな処で津軽弁を腹一杯聞くとは思わなんだし バカか、の発音は全国区か~と思った。

11月6日9時函館港着岸 俺が最後尾で北海道行はこれしか乗っていない
コロナで苦しいのは声の大きい者だけではない

今回は天候の隙間を狙って来たので呼び戻されるのも仕方ない

裾がボロボロの毛布は元義理の弟 カツノリがガンで亡くなる前まで使っていた毛布で形見分けに貰った。
これが俺の安全を守って呉れてるような気がして何処にでも持っていく
それでもなぜかいつもより疲れを感じない
それは電気毛布の下にある黒いマットにある。
今までエアーマットを使っていたが身体の座りが悪くアチコチ動いたがこの高反発マットレスはしっかりと身体をホールドして呉れる為に疲れがない
なんだろう実はこれは出掛ける前に突然貰った物で本来は俺が世話になってるので逆なのだが・・・・・・ありがとうございます。

雪が落ち着いたら再度津軽に行ってみたい。

外ヶ浜怪


舟屋は越後や山陰ではよくあるが
日本列島は海岸線が新潟あたりから折れて北に向かうので対馬海流がもろにぶつかる為に海は荒れている東北日本海側では珍しい
陸奥湾側だから出来るのだと思う。

ここを通り越したらもうメシは食えないべと思い引き返して食った。
俺が言うのもなんだが外観はほんとに小さくこの民家が数十軒しかない土地でこれで商売になるのかと思うほどだったが季節になると稼ぐのか地元ご用達なのか
「 ラーメン店 旅路 」
東北で店主に愛想を求めるのは間違っている。
客は俺一人なので食い切るまでにこのオヤジから笑いを一発取ったろうと頑張るが
サルは車に引かれないとか色々な話が聞けて良かった。

海岸線によくある家 俺の住んでる崖下村の様に道路が後から出来たのだろう。
以前は凄い生活だったと思う 風雪に耐えるこういう処に住む人達はやはり何処か違うだろうと思うが
俺は崖下チロリン村と言われた此処に来るまでに住民票は12回変えたが崖下チロリン村に住んで27年になる。
一旦住んでしまえばここほどいい処はない 田舎暮らしはそこにはそこの歴史があるので流されるままに暮らすのがいいかなと思う。


出ました~女泣かせの義経様
あれ~変だぞ~道を間違えたかと何度も確認するが間違いなく外ヶ浜町だ
確か外ヶ浜はとっくに通り越しているはずなのに
そんで最後のメシ屋だと思って戻ってまでラーメン食ったのに
竜飛岬を目指して海沿いの一本道を走って来たのに道は間違えるはずはないのに今別町からまた外ヶ浜町に戻っている。

俺は美人が多い都道府県と聞かれたら青森と答えるほど美人は多いと思うが
美人は俺が美人と思えば美人で美人は男が作るものなのだ。
お狸様か、お狐様に騙されているのか
なぜ道が外ヶ浜町に戻ってしまったのか暫し思案するがわからん

ひとは皆無口で~津軽海峡

浅虫も青森も早朝に通り抜け津軽半島にはいるが何処から津軽で下北かはよくわからん もしこれが歩き旅ならきっとここから違うだろうと漠然と思わせる場所があり
山頭火も山下清も歩く事で成立したと思う。
18000円の年金暮らしには歩き旅は贅沢なのだ。

北海道ではあまり通りに墓は見る事はなく墓の形態も違う。

津軽半島外ヶ浜付近 突然通りに面した処に塀をしてる地域にはいる。

塀 へイ~ヘ~イ~ホ~与作は~

塀 これなどまだいい方 浜で拾って来たような木や板を紐で括ってる処もあった。

サル避けとも思えんが田舎でこれほど塀が続く土地は珍しい
越後や山陰で城かと思うほど立派な塀があるが それは相応な家が建っているし道路ギリギリに建っている処は珍しい
たいした通らん車が突っ込んで来る事を心配してるのか、ここから自分の土地と境を主張してるのか なぜこんなに塀にこだわるのか不思議
津軽の門付と何か関係があるのだろうか
門付けは東北でも日本海側でよく聞き ここ増毛でも門付けがあったらしいと実際に縁戚と言う関係者から聞いた事があり
その人は演歌がやたら上手だった。

津軽弁といっても地域によって色々あるらしいが俺には一緒に聞こえてるし函館なども津軽弁と同じに聞こえる。
この津軽半島も下北半島も北海道から比べると遥かに所得が低いと漁業施設や農村施設を見ても感じ
あらためて北海道はかなり恵まれていると感じる。

が売上とキャッシュフローは連動していないし
さらに人の幸せも銭とは連動していない
何が悲しいと言ってすぐ傍に格差を見せつけられる金満が居たらそれはチョットだと思うし
それは恨みを買い人としての琴線に触れる芯からの付合いを知らずに人生を送る事になるかも知れない
そう考えた時にこの日本海側の近代はニシン漁や北前船交易によって栄はしたが格差は太平洋側や現在の比ではなかったろう。
歌謡曲で演歌は圧倒的に北日本の日本海側が多くそれも海の歌が多く 農作業関係の歌は与作しか知らん
その歌を作る原動力となったのはどうしようもない格差や天候だったのだろう。
救いはあったのだろうかと思う時にこの津軽や下北の人達に関西や東京の下町の人達に見る明るさがないのは仕方のない事なのだろうと思う。

なんの予備知識も無しに吸い寄せられる様に蟹田駅前にオヤジギャグの建物発見
俺は国道はなるべく走らん様にして一本外れた処に町の本当の顔があるような気がしてる。

漁箱に二匹しから入らんほど大きいカワハギは初めて見た これ美味いだよ~

魚が安い
店は観光客用にも見えるが中は普通の店でなんでも売っていて小さな食堂もあるが
一見観光客用に見えるこの手の店で何が違うと言うと次から次と地元客が入って来ては魚や野菜や日用品を買ってゆく 掌より大きいシマダイは一匹60円だった。

コロナで商売の形態は大きく変わっていくだろうと思うが
エラソ~に俺に言わせれば観光施設だろうが地元民にソッポを向かれては成り立たない事を知らしめた。
これからは観光客も地元をチョット覗かせて貰うと言う態度が必要だと思う。
まだ様々なウイルスが出て来るだろう、その度に人を実験台にして 度胸出して、身体張って、経済回せドッタラなどとGOTOトラブルキャンペーンなどやってられなくなる。

海外は一度も行った事はないが観光も大きく分けてアメリカ型とヨーロッパ型がある様な気がする。
アメリカは観光客だけの為に街全体を作ってしまう そこにその町に遊ぶ者とそれを支え寝る時間も働く者を作ってしまう。
漠然と思うヨーロッパ型は歴史の中に居る人達の暮らしを垣間見る観光の様な気がしてならないし
これからはこの容になっていき観光客と言えども地元の人の生活を変えたり踏みにじる事は出来なくなる。
その意識がお互いに生き延びて行く事に繋がっていく

ウエル蟹の魚屋でこの魚食ってみたいが旅なので残念と言うと300円だった思うが忘れた。
別料金で捌いて食べれると言う。

カワハギとアオリイカの刺身 美味い、美味いぞ~
一人で食い切れないと言ったらパックに入れて呉れた。
お代をと言うが全部捌き代に入ってると言う。

何処か目立つ処に書いておけば客も増えるだろうと思ったが
それが津軽なのだと
ひとは皆無口で~津軽海峡~冬景色~

野辺地千石船

「 若い子に仕事は何の為にするの 」とたまに聞く事がある。
もっとも真面目な話はこっぱずかしいので酒を呑んで聞く事が多い
そうすると九分九厘 「 お金を貰う為 」と答える。
それは自分の人生を凄く勿体無い事をしている。
仕事は今すぐなのか近い将来なのかの差はあるが自分以外の誰かの役に立った度合いに応じて銭が貰えると思う。
もし金の為だけで仕事をしてるとしたらそれは結構不幸な事なのだ。


むつ市「よしの湯」で風呂入って
「道の駅よこはま」で一宿一飯をし4日朝明るくなる前に出発すると今度は船が凄い風の中にド~デンと置いてある。

千石船の原寸大を復元したものだと言う。
「みちのく丸」全長32メートル 積載トン数、千石、150屯
留萌の船場町は船を作る場所で船場町 そこで木造船を作ってるのを何度も見て来たのでこれを作る事がどれほど凄い事かはおよそ想像が付く
木造船を作る時は崖などに曲がって生えてる、その船の曲線にあった木材でさらに水に強い木を切出す処から始まり
それを木の筋を切る事が無い様に大きな蒸し器で蒸しながら船に合わせて曲げる。
木造船は山を見る処から始まる大変な作業なのだ。

千石船は北前船となって日本海を明治中期まで航海をされて来た。
船主はこれだけの船を作り大黒屋光太夫や高田屋嘉平など船頭に預けるのだから船頭になる人物はやはりカシキの頃から相当の人物であったのだろうと思う。
その船頭達はやがて一本独鈷になり船主になってゆくが大黒屋光太夫の様に途中で難破しカムチャツカ、オホーツク、イルクーツクと10年の歳月を掛けロシアを縦断する羽目になった。
エカテリーナ二世から帰国の許しを貰った光太夫達は怪我や心折れたりで数人をロシアの地に置いて来ている。

ここにこの船がある事がわかっていたなら
みんないい仕事をしてるね~とここで野宿をし風を聞き吹付ける塩を一晩感じてみたかった。
また必ず近いうちに来るぞ~

千石船を見てシマッタので木造のゴミ箱さえなにか悠久の時を感じ有難く見えてしまう。ナンマンダブ~ナンマンダブ~

夏泊半島に入る。

地元の車とすれ違いで俺が路肩に落ちた場合を想定してスーパーキャリーデフロック付きを買ったので車が通れれば何処でも入ってゆく

こういう岩を見たらおりゃ~とケリ飛ばして見たくなる。

対岸は下北半島だと思う海が東に西にと変わるので方向感覚が来るって来た。ちょっと危ないかも
大昔地下街を歩く生活のせいか酷い方向音痴になってしまい完治するまでに数年掛り酷い目にあった。

こんな海辺の田舎まで ま~いいけどよ~
誰であろうが光太夫になる前に半島人であろうが誰であろうが手を差し出してやるのが海の男だと思うのだが