父~殿~

4月10日から続いた修理が一定の完了をみた
それにしても船主さんが昨秋に上架するまで異常に気付かなかったと言う
そこが引っ掛かり悩みに悩んだ


参考画像

エンジンは馬力も違う参考画像だが同じ4気筒、180度クランク、EFIと基本は同じ
船主さんが気づかなかっただけではないかと言うと悩みはそこでストップしてしまうが
気づかなかったのであれば半年上架してる間に故障が進んだ事になる
その原因はと18日間悩んだ結果は一応の推測と仮定をして原因追及をしてみる事に
360度クランクの気頭数を増やす一番の理由はピストンスピードを下げる事が出来るのだが
船はその事によって弊害も起きる
4気筒エンジンは共振を防ぐ為に点火順序は1,2,4,3とバランスを崩す様に点火する
縦置きエンジンは上が1番で次から4番まであるが4サイクルの場合は1番が圧縮上死点で止めた場合は2番は吸気行程が終わった下死点にあり3番は膨張行程が終わった下死点にあり4番は排気行程終わり上死点にある
最後にエンジンを止めた時に1番が圧縮上死点で止まった場合は4番のバルブはオーバーラップの排気も吸気も開いた状態の下死点になってエンジンが日格差によって息をしてる状態にある事になる
ここからさらに電気系にいき面倒な話になるので端折るが
これは多気筒である限り防ぐ事は難しく特に塩を被る海での使用は宿命と言っていい


宿命の度合いは父殿の仇を討つために大菩薩様に願掛けし食う物も食わずに姉弟が宿敵を探し諸国を回るくらいの厳しい状態にある。

シリンダー内部を塩抜き洗う事は出来ないので対策は定期交換部品は使用時間ではなく年数で交換する事が大事と今更ながら気付かされた件だった
海上では急停止をしない事、追い波を被らない事しかない
人様の困り事で言っちゃなんだが今回は4月10日からメシ食ってる時も寝てる時も考え続けたが修理業は楽しい

基本と原則

街のクズにダニは言い過ぎたが今度はボウリングの球で車のテストを言いだした。
ある映画で松方弘樹のセリフで「 神輿軽けりゃ担ぐ方は楽だ 」と
劇中では終わりに「 神輿が担ぎ手なしでひとり歩けるなら歩いてみれ 」と突き離す
大国の大統領が膨大な仕事と情報を抱えてる中でボウリング球の情報は誰から何処からの過程を通り得たのか
この異常状態は嫁か家族か取巻きか誰か道化を演じさせる黒幕が居るのではないかと思うのだが

アメリカといいロシアといいイスラエルといい兵庫県知事といい人としての基本に問題があるような人たちが指導者になる異常事態に落ちてる。


映画のロケ地 呉港

目の前の現象の原因と根拠を探し続けるのが修理の仕事
毎年の事だがこの時期は除雪機の集荷と格納
船の使用前点検と下架で寝る間もないほど忙しいが
さすがに寝ないと意識朦朧になるのでしっかり寝るが今年は特に忙しい
修理の経験上難しい中々直らない故障は意外と簡単な原因が多く
それは簡単単純さゆえに基本を飛び越して難しく考えてしまうと言う盲点があり
そんな時ほど基本に戻る事が大事になってゆく
常に基本があってそれから先に独創性など自分自身の考察などがあるのであって
基本がしっかりしていなければ独創性や新しい考え方などないと言うのが俺の考え方なのだが
基本を飛び越してしまい一週間悩んでしまった。


船外機をパソコンで繋ぎ船内からバルブ駆動やプラグを失火させたりと色々遠隔操作をするが異常は見られず今までにないほど奇麗な履歴データー
何が悪いのか一週間毎日船に通って盲点に気づき解決するに至ったが
今回は奇麗すぎるデーターと思い込みと新しい慣れていないパソコンと部品システムと何重にも重なってしまった。
原因を確認する前に安易に部品交換をする事は原因をわかりづらくする為にするべきではないと思う。


古いパソコンを引っ張りだして再度挑戦し確認してから目視や音や振動など体感点検を繰返す
いつもなら綺麗なお姉さんが乗る船はワーニングデーターも綺麗~などとギャグも噛ますのだが
連休までには解決せんならんと今回は追い詰められてそれすら浮かばない

基本があっての修理業と毎度思わせられる
基本を大事にするのは人間生活も同じだと思う
ひとが嫌がる事は言うな、やるなと、

遠くの親戚より近くの他人

昔はどこにでもいた自分から手を出し返り討ちに合うと泣きを入れる
街のクズにダニそう言う連中は取引と言いながら負け惜しみで恫喝をする


USAマークルーザー

アメリカ製がなぜ売れないのかそれは単純に競争相手より品質や使い勝手が悪いからなのだ
問題が起きた時
俺が言うのもなんだが自罰、他罰、無罰、と広く原因を探し見直す努力をした者がその後も進んでいく事が出来るのだ


三菱コルト1000の発展型 コルト1500 ライトが2灯か4灯の違いで外観はほぼ同じ
名古屋大江工場で作られた。

この車の大きさ15センチほどのステアリングギヤボックスキャリアを毎日毎日溶接して作り続けた
出来高払いで一個組み立てると確か数十円だったと思うが当時の平均月収の3倍ほど貰えた
この頃には日本車はすでに輸出を考慮していて注文があればいつでも左ハンドルにする事が出来るように
ダッシュボードなどもすぐ左ハンドルになるように左右対称になってる車が多く
少量注文にもさほどの費用を掛けずに輸出する事が出来た
たまにしか左キャリアは作る事はなかったが手順が違い効率は大幅に落ちた
アメリカで沢山売れ始め1970年代後半には日本車の屋根に上がって大ハンマーを振り下ろすさまが放映されほど売れるようになった。
日本車がなぜに売れるのかを考えなかった事がアメリカの製造業の現在に至ってるのだ。
いまは職人も居ない道具もないだろうと思う

誰しもが収入が安定すると苦労の多い物作りからは遠ざかり利幅の大きい仕事に移ろうとする。
苦労の大きい仕事は後進国に押し付け美味い汁の金融や株などで手数料を吸おうとする
今更苦労の多い仕事に戻る構造にはなっていない
その他国を潰してしまっては自分の首を自分で絞める事になってしまうのだ。
唯々アイツ嫌い、コイツ嫌いと他罰を求めるだけでは先には進めない事を見せつけられているのだ。

怖いのは街のクズにダニと思われる者が選挙で選ばれた事でその国が武器を一番持っている事
今回の件でいい事は遠くの親戚より近くの他人でアジアを大事にする事を知らされた。

あざれあ乗船😿

 
魚大好き男なので必ず寄る寺泊 魚市場 なんか以前より縮小してる感じがするし
角上魚類が一人勝ちの様な印象を持った
なぜに突如としてここに魚市場が出来たのか不思議
わが町は港町なのだが魚専門店が一軒しかない
もったいないと思う狙ってる方向は違うと思うのだが・・・・・・
 
国道402号線 砂丘が続く 太平洋側では砂丘を見た記憶はない

 
関谷分水路 ザップンピュ~と川の水と海の水がぶつかり逆巻く波 川口は潮の満引きや天候で変わる

走行距離 ざっと1200キロ いつもだがスタートは気が走って走行メーターを記録していない

フェリー代       24800円
小樽丸亀うどん       990円
ガソリン石狩 17L   2785円
フェリー ツマミうずら卵  880円
新潟無尽蔵ラーメン     900円
万代島鮮魚センター イカ他 857円
伊藤家博物館        700円
三条ラーメン        1000円
十日町市居酒屋いっぷく   4500円
スナックルーシー      3000円
ラーメン代          850円
佐久ガソリン16.72L   3177円
とよおか道の駅 夜食    1660円
上田市ローソン        381円
コメリ灯油他            832円
ヤマザキマザック入館料    500円
ラーメンショップ          750円
郡上八幡ガソリン17.3L  3160円
郡上八幡ローソン      658円
大野市亀山湯        490円
居酒屋亀平        4645円
日本自動車博物館 入館料 1200円
金沢中華そば        850円
糸魚川ガソリン代 20L   3780円
セブンイレブン 水他    554円
上越きときと回転寿司   3377円
角上魚類         1780円
フェリー代       24800円
フェリー三元豚とんかつ  1300円
合計         95、156円

あざれあ 3月16日昼12時出航
もう一日居たかったが新潟フェリーは月曜日と火曜日が運休で泣く泣く日曜日に乗船
翌朝午前4時半に小樽に着いたら雪が降っていた。

天領の里

もう見たい処は見たし新潟まで海沿いを戻るだけなのだが
新潟小樽航路はドライバー2000円、車22800円で24800円だが月曜日は休みで臨時運休も多いので注意が必要
小松市にはちょっとしたやんちゃな知人が居るが気を遣わせるので後で通った事を知らせる事にして通過
金沢で外まで並んでいる店で昼ラーメン食ったが何処かで食べた感じだがいまだに思い出せない


8号線を北上する何度か通ってる道だが
来る時はあの山の向こうを通って来て そこに人が住んでいるのだと思ったら壁の様に切り立つ北アルプスの山々は凄いなと思った。
この山脈を超えるには糸魚川から姫川を遡上するか上越から妙高を通るかしないと長野には行けない
この山々の何処かに日本版アイスマンはきっといるだろうと思う
この山脈を超える事が出来る様になったのは近代に入ってからで同じ日本でも文化や空気感が違うのは当たりまえなのだ。

地図を見ると糸魚川から148号線は一度も通った事がない何か面白そうだと思ったが断念して今夜の車中泊場所を探して走り上越で夕飯にきときと回転寿司を食った
こっちに来て飲食店や店に入ると北海道とは違うと思う事が多く
はっきり言えば北海道の商いはやはり歴史が浅く粗削りな感じがあり
食うには困らない食料自給率200%でそれだけ恵まれているせいなのか
上越を超えた駐車帯で一泊して翌朝新潟に向けて走る

 

 
北國街道出雲崎 元和二年に幕府直轄領になりそれ以降尼瀬獄門所で数千人が獄門にあったとある
無念仏と思われる小さな石が以前来た時より少ない感じがしたので以前の画像を見るとやはり少なくなっている。
管理をしてる人達の高齢化と勝手に思うのだが
小さな石でも無数にあったと言う事は血縁でないとしても何かしらの縁があったと言う事で
滅多やたらに数千人も獄門にした山々の遥か向こうの幕府はけっこう恨みを買っていたと思うのだが

越後の諸藩は幕末には新政府軍と戦っているので庶民と支配階級は違っていたのだろうと思う
越後諸藩が奥羽越列藩同盟を断っていなければ現代もまた違った展開があったのかも知れないが
それはそれで怖いが悠久の歴史時空をたどると夜空の星を見るような面白さがある

 
出雲崎 妻入り家屋 ここはなんども通っている
旅の一番の贅沢は歩く事で次が二輪車で次が公共交通機関で
車は見過ごすものが多い
若い時は稼がないといけないので時間がない 時間が出来ると足腰が痛い
なんてこった。