早い小さなうちに

なぜに防ぐ事が出来なかったのかと思う隣町の子が犠牲になったニュースが流れる
防ぐ事は出来なかったのかと皆で考えて欲しい
トラブルになりそうな時の対策の一つとして普通に暮らしていたら縁はないように思うが
自分の住んでる町にある弁護士会の電話番号を登録して欲しい
弁護士と言う職業はトラブルを生業にしてるので普通では考えられない事件や民事の経験でメシを食っている
その為に凄く悩んでしまう事も今までの事例を元に割と簡単に解決していく
弁護士会に電話すると刑事、民事と弁護士を選んでくれるし予算もわかる
些細なトラブルなどは法テラスなど無料相談もあり
警察との違いはたとえ犯罪者でも味方になってくれる上に厳格な守秘義務がある
たった一日で胃に穴があくほどの恐怖のうえ亡くなった
この子が弁護士会に電話していたならと思うと残念でならない

ふたつ目は未成年者の事件は20歳になると担当者から関係書類は廃棄されると告げられるが
どうしてこう言う被告人や場面が出来てしまったのかを検証して欲しい
遺伝子や生活環境もあるだろうが同じ条件下で全員が同じ事をする訳ではない
その成長過程のターニングポイントは何処だったのか
何が因子となったのか その殆どが人との関係性で良くもなり悪くもなって来たのだと思う
縦の人間系列が無くなりつつあり親身に相談出来る相手は少なくなった現代では
袖振り合うも多生の縁と声を掛ける事が出来る者は声を掛け続け
いい思い出を沢山作ってやる事が大事なのではと思う
それも早い小さなうちに

何処かの監督が逮捕されたが将来に繋がる事件を未然に防いだかもしれない
生きていさいすればやがて孫も出来て爺ちゃんが自分の通報で捕まったさ~と笑い話も出来る
これはいい事例となるだろう。
家族を失うくらいなら失った地位や銭など大した問題ではない

記憶の貸借対照表

ここに来た最初に建てた格安D型倉庫  幅6間 奥行き8間 一部二階建て

  
浜のカラスが魚を獲って来て屋根の上で食うのでトタンは腐る

  
3年ほど前から屋根の頭頂部のトタンが腐って穴が開き雨漏りもするし後継者もいないので
今月解体撤去した

基本的には捨てるのはいつでも出来る取って置けばいつか使うと言う事でドンドン溜まっていった
捨てると決めてから2年掛かっても片付かない
燃える物、ゴム、プラと分別をするのだが
部品番号のわからない物は捨てる
いまも銭出して買える物は捨てる
と決めて片付け作業がわずかづつ進んでいる
思うのは後継者がいたなら殆どが資産となる物が今や負の資産となって
事業ゴミをすべて処分するのに三桁以上の銭が掛かるナンテコッタ

手作業をする業種で職人と言われる終戦前後生まれは
根性と竹槍があればB29でも落とせると言われて育ちその癖や思考回路で
後継者を育てられないのを身近でいくつも見て来た
ひとの仕事を我慢しじっと見て見守る事が出来ない
たまにじっと見守っているかと思うとあと少しで完成と言う処で堪えきれずに手や口を出してしまう
そりゃ~跡継ぎも出ていきますがな~
後継者だけならまだマシだが嫁にも逃げられるのだ

個人成りしてから後半は見る物乞食で集めた物が山になっていて
片付けを毎日してると写真が出て来るのが一番作業が止まってしまう
なぜか昨日食ったメシは忘れても古い記憶は鮮明に思い出し
いま記憶にも資産と負債がある事を実感している
皆は記憶の負債をどう処理してるのかと思ってしまった。


貸借対照表は左右が合わないのが普通と言ったひとからお酒を貰ってしまった。

一燈照隅

毎日が終活の片付けに追われ忙しい 捨てる物に銭を払い年金が無くなっていく
確実に歳は食って身体は動かなくなるのにもう少し計画的にやっていたならと・・・・・・・
そのゴミの多くはナフサ由来で溶かして何とかならんのかと思う
ロクデナシトランプ野郎のせいで罪もない女子供は毎日亡くなり原油も不足してるが
これはクズトランプだけではなくアメリカが持つ体質なのではと思い始めてる

人生の多くを寡占化された業界にいたので思うのは
世界でバイクと言えばホンダ、ヤマハ、スズキで他にもあるがそれは小いメーカーばかりで
日本の三大メーカーが市場を占拠してる為に販売店は逆らう事など出来ない構造になっている
今は離れたのでどうなってるかはわからないが
卸値が95パーセントなど当たり前で付属品や故障修理で儲けなさいと
売先は世界中にあるのだと、平気で言った業界で
パレートの法則通り日本の零細販売店は淘汰されたが
因子は他にもあるのだが結果は二輪業界はみるみる縮小して行って市場から青い除雪機も消えていった。

原油は備蓄はあると言う、なのにナフサは無いと言う
これは今まで買って貰う側だった出荷元が売ってやる側になったのだ
商取引は等価交換対価が基本でどちらが上はない
買ってやるからと担当者を虐めたり法外な値引きを持ち掛けたりした者が
今度は逆の立場になったのだ
売る側はこの機会に少しでも出荷を遅らせる事で値上がりし本来の利益以上に儲ける事が出来る
それは果たして本当に商いなのか
これは寡占化した業界はその後どうなったかは二輪業界を見たら先の事が見える
「利は元に在り」と言い古された事だが仕入れ先も大事にする事は商売の基本

販売店の現実はパレートの法則通りなのだが
地方は売価に対して輸送料がネックになってゆく
それは地方をさらに追い詰め衰退させていく事になる
それをカバーして来たのが問屋制度で改めて問屋と過剰包装も含めて見直す時期が来たのかも知れない

 
北緯35度26分59秒、東経135度18分52秒の道の駅に車を置いて暗闇を歩いて
さらに先に歩いて

 
暗闇を塀伝いに歩いて 着いた先が居酒屋隠岐
北緯35度26分55秒 東経135度19分30秒
やや歩いた~

地元の人しかいかない店で地元の言葉を聞きながら呑む びっくりした事があった。
政治も商いも明かりを見せる事も仕事 灯る先に進むのはその人の器量

ザイ・ジェン

5月8日から始まった多国籍チームの作業は無事終わった
メンツは日本のある企業のOBと俺とスタッフ4人
12日から13日は日本の法律上作業が中断され14日に再開し実質5日ですべて終了
もう逢う事はないだろうとささやかな食事会をして別れた
テレビニュースでは負け犬の遠吠えの様に見えるガタイのいいオヤジが映っていた。
人権と高い給料が割に合わない汚れる仕事を出来ない構造になっていった
2足歩行のアシモが出現したのは今から26年前で
2025年にやっと歩いたロボットが2026年わずか1年で人間より早く走る事になったが
異常に早い出来には労働時間無視の寝ないで作業や開発したりしてる
ひとつの仕事には沢山の陰と陽があり
綺麗なべべに楽な仕事をしたい国は その陰をよその国に押し付けてる事は間違えなく
排他主義などただの負け犬の遠吠えなのだ。

日本の高速道路は大阪名古屋間の名神が最初に出来
その後に東名高速が出来た
起点は小牧から始まり各セクションに分かれプラントや飯場と共に延伸をして行ったが
日本は静岡富士川を境に60サイクルが50サイクルと変わり
工具もドイツ式とフランス式と変わる物もあり
アタッチメントが接続出来なかったりする為に両者の工事が跨る事は少なかった
建設機械の見習い修理工は小牧から始まり
主にUDや日野のエンジンを整備して来たが定期交換部品を変える時はバックアップエンジンを動し
24時間全体が止まる事はなかった
エンジンルームで仮眠をして毎月残業時間は150時間をゆうに超えていた
当時は小牧JCTも田舎で貰った給料も使う処がなかった
プラントが移動する時はトラックに布団袋と工具を積んで次の飯場に移動していった
新城、三ケ日間の宇利トンネルまでの飯場暮らしが昭和43年に終了した。
雪降る田舎に居る弟や母親に仕送りする為にはさほど辛いとは思わず
高給を維持するには次はどうするべ~となった。

14日の食事会の目の前にいる歩いて戻る事が出来ない国から来たスタッフ4人は58年前の俺なのだ。
ザイ・ジェン

如実智見

5月8日から俺にとっては2年前からの懸案事項の多国籍大プロジェクトが始まる
問題から思案と計画に700日以上掛かって実行期間は短期決戦7日間
メチャクチャな和製英語と前後支離滅裂の日本語で初対面を相手にどうなるか
自分が試される場でもある

 

 
場所がなければ穴を掘り、木で作るより石を削って階段を作る餅屋は餅屋


石見銀山市街地

旅とは相手を受け入れる場で、そこで暮らす事のない自分を主張する場ではない
受け入れる事とは学びの場でもある
う~ん 俺も遅まきながら段々人間が出来てきたぞ~ 完成=ジ、エンド


北海道では見た事がない お寺の山門

石見銀山名無し間歩

連休が終わった。
連休と盆休みは暫く逢っていない人に逢う場であり俺の修行の場でもある。
皆はドンドン新しい事を吸収し成長して逢いに来る
教えられる事ばかりで、なんて俺は物を知らないのかと気付かされる
皆が来るので焼肉でもやるべ~となって
牛サガリを食い易いようにと一口サイズに切った
子供より若い子に焼肉は焼いてから切った方が美味しいと理由も教えられた
なるほど、だから韓国焼肉はハサミで切るのかと納得した。
他人の事は一刀両断で右か左をそく判断出来るのだが
これは人生の大方を修理工として生きて来たので理詰め一辺倒で
部品は納まる処にしか収まらないと、そう言う生き方をして来たが
処が自分の事は何も出来ないし何も知らないし優柔不断で気も小さい

それが日常でも二股の道を右か左かとどっちに行くかとなったら
必ずマズい道に行ってしまいさらに泥沼にハマる
自分の事はウッカリ八兵衛どころか十兵衛なのだ
そんな俺でもここまで来れたのは相手は合わせ鏡なのだと早くに御器所で教えられた事だった。


俺を含めて4人が一組となって3時間ものあいだガイドさんに付いて間歩に入ったりと
鉱山人足見習いになり銀鉱山の説明を受けた
解散になってここから元の場所までおよそ3キロあり若さの順で歩いて戻る事になったが
よそ見しながら歩き途中ではぐれ道に迷って川を超えてしまった。

 
それぞれの間歩には番号が付いているのだがここには無い
岩場には梶屋の勝蔵のようなマムシが居そうなので近寄らない
陽の当らない坑道や地下街に入ると方向音痴になる
峰は超えていないので下ると案内所には戻るだろうと下がる


ここ石見銀山はアチコチで入場料が掛かり全部では数千円ほどが必要になる
来る時はなかった建物に出逢うが誰もいない
誰も来ないから入場料も入らないのか御浄財を請うと書いてある

道に迷う事で見れる物も楽しむ事もあると言う事かも

土日ラーメン再会

連休からまた土日ラーメン屋を再開出来た。
今年は不手際でガス配管を壊してしまい復旧工事に時間が掛かってシマッタ


後やっても1~2年だろうと思うので資材費8万の出費を出来る限り抑える為に
中の配置も変更して、使っていない物は撤去し配管を短くした。


結果は費用は半分以下になって大掃除と動線も改善された。
たった此れだけの事に数人掛かりで積算や工事や配置換えで一週間以上掛かった
普通、修理は新設より撤去や出入り口を合わせる為に時間が掛かるのは当たり前なのだ。
ましてや石油施設なら復興は相当掛かるだろうと思う
もはやペルシャ湾の魚など食えんぞ、どの口がノーベル賞が欲しいなどと、推薦しますなどと

今までラーメン屋を数店作っては壊しを繰返し現在も残ってる店もあるが
まさか自分がお客さんに直接出すラーメンを作る事になるとは思っていなかった
俺が考えるラーメンとは小腹を満たす為のものであり主食ではなくわき役で
それは漫画を読みながら食おうが雑談しながら食おうが一向に構わないし
何となく食って見るかと言う程度がいいと思っているが
仕事中に食ってエネルギーの補填にする為にも量もある程度が必要で
その為の宿命もある
高級料理の様に一口サイズの料理をちょぴっと食って
美味しゅうをすえ~、ブォ~ナ~、セ~ボン~とはならない
ラーメンは鳥や豚のエキスの塊で麺よりスープに栄養があり
スープを飲む事で労働者はエネルギーを得る
量がある為に一口食って美味いと思わせると最後まで食うとクドくなるので
その狭間を目指すのがラーメンだと思っている
価格は家族4人が食う為に父ちゃんが半日働いても食えないラーメンはラーメンではない
その中でも 美味しゅうをすえ~、ブォ~ナ~、セ~ボン~と