石さんへ

東欧と西欧ですかさすが深いですね~

宗谷は日の出と夕陽が見えるらしいです。地形的はそんな感じがしますがでもでも自分の目で見るまで信じられないのです。
宗谷は昔は漁業の一大基地で特殊な地域と言っていいかと思います。
ロシア人は船に生き物を乗せるのが多く稚内港には散歩に出した犬が出航まで戻らなくてそのまま放置してる例が多くロシア語しかわからん犬がいるらしいです。
犬をプーチンなどと呼んだらチンをがぶっと来るかも、
狂犬病の予防注射をしていないので注意書き看板も立って居ます。
ルーブルが下がってからロシアとのやり取りも少なくなりましたが一人一人は義理(現代の日本人の比ではない)堅く陽気でいい奴が多いです。
日の出と夕陽を見に今度は宗谷岬に泊まりにいかんとない

世間の役に立たん 方法が間違ってる場合はポシャルのは商売の王道で
また誰も見向きもせん安い土地を開発するとボロ儲けするのも真で大体の場所は分かりますが3500人も住んで居て信号機も郵便局も無いセーコマも無い! 素晴らしい~
俺のセーコーマートの法則を立証してますがな~
増毛は4500人で二軒 浜益は2100人で一軒 厚田は2700人で一軒で田舎だったらとっくに出店してると思うのですが 石さんがお住まいの場所にセーコマが出来るのはかなり後になると予測します。
60人に一軒くらいで何か採算の取れる方法はないのかと日々考えていますが
瀬棚太田集落は20軒でも店がありました。当然買物をして来ました。
内地なら結構な田舎でも店があったような気がするのですが

いま毎日次に何するか悩んでいます ぐっすり寝ていてふっとアイデアが夢に浮かびメモするのですが
朝飯食う頃になったら大した事ないと思い 昼飯食う頃には財布と現実に気付き殆どが却下です。
そんな中ででも今一つだけ神が降りたような夢枕に七福神がボッコで突いてるような降ってわいたようなアイデアがありますが どうも頭が整理出来ないのです。

都会をさまよっていた時にナップサックに本を四冊入れて今でも持っていますが
一冊は卒業アルバムでこれは身分証明書代わりで一冊は教科書の世界地図でそれを見ながら街を彷徨い一冊は「 道をひらく 」でもう一冊は世界偉人伝でした 
その本で学んだ事はキューリ夫人はオデコが大きいと言う事と手先が器用な奴は頭がいいと言う事でした。
最近ボールペンで物を書く事が無くなったらかなりバカになった事を実感してます。
Aaiとかを推進する者達は宇宙から地球を滅ぼしに来た回し者と思うのですが

追伸 予測に反してセーコマが出来たら教えて下さい でわでわ

下見張り

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いまでも瀬棚辺りまでは普通に見る事が出来る下見張り 丁度表にいたオヤジに聞くとかなり詳しく説明をして呉れた。
ここらの地方は杉の木林は普通にあり昔は外壁と言ったらこの杉の木の下見張りが普通だったそうだ。  杉の木と言うと内地の木と思われるが道南地方もかなり多く植林されていて知る限りでは杉の木の北限が崖下村から北に二ついった沢にある朱紋別沢(いまはこの地名はない)にある高橋さんの十数本の杉の木が北限ではないかと思う。
縄文時代から近代まで、この杉の木や皮は船の外板や隙間を埋める事に使ったり穀物倉庫などに多用されていて宝物を入れている正倉院なども杉の木らしい
町の形態はどうしょうもない気候風土によって長い年月をへて作られてゆく
そこに竿を刺すと余計な労力と摩擦が起きてゆく 
なすがまま流されてゆく事ももしかして一つの選択肢ではないかと思う。
やっぱり年食ったなと思うこの頃なのです。

道南は昔からあるのでとにかく道が狭く車を停めるスペースが無い 
観光を意識するなら集落の外れにチョットした駐車スペースを作って貰えると嬉しい
すみません竿刺して
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若い時は色は白か黒しかなかった 
この辺りでは見かけない黒白の鳥 
目が悪いので最初は黒白で小さなペンギンかと思った。
西原理恵子の故郷土佐では遠洋漁業で子供の土産に連れ帰ったペンギンが野良化して野良ペンギンがそこら中にいるらしい 

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知内町矢越
北海道は縄文系アイヌの人と突如消えたオホーツク人以外は内地からの移住者が普通で地名もアイヌ語と集団移住先の長島や新十津川など内地の地名が多い その思いある地名を勝手に変え旧地名を消滅させる事はやってはいけないと思うのだが、、、、、増毛町ニセンハッピャクキュジュキュウバンノニなんじゃそれどこだそれ 

今日は旭川に久し振りにいったが太陽がまぶしかった帰り道 道路標示板を見たがやはり道南それも西側のような表示板は見かける事は無かった。
歴史ある道南はそれぞれに思いがあり譲れなかった表れかと思う。
その違いは実際に行ってみよう

今度はもう少しゆっくりと出来れば東北のように歩きか汽車かバイクで回ってみたい

さ~今年も~

北海道をもっと回ってみたいと思い始めて亀田半島の恵山の一部を除きやや4年で一回りした事になる。
函館には仕事でよくゆき小樽、倶知安、長万部、八雲と言うコースを通る。
今回初めて島牧から先の海岸線を走った最初に想定した事がなんとなく当たっていた。
北海道を西と東に分けると大きな違いは西は黄昏ている ここから稚内まで沖縄本島より広い土地にたった45000人しか住んで居ない 反対に東海岸は網走、紋別、興部、枝幸、浜頓別、とあるどれも規模は留萌市を超えている。
下がっては苫小牧、室蘭とありなぜか東海岸に人が多く住む
陽が昇る地区と陽が沈む地区との違いなのか 狭い海を見てる側と太平洋との違いなのか 

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地球物理的な地球の自転の方向なのかいずれにせハッキリと東と西は違う 石さんはどない思います~

そうなると渡島半島も例外ではないのではないかと想像したがやはりそうだった。
渡島半島の東海岸には長万部、八雲、森町と続くが西は江差くらいが少し大きい町と思うくらいだった。後は数十人から数百人規模の集落が続く

一定の法則を発見 郵便局と信号が一か所でもある集落にはセーコーマートが一軒ある事が分かった 郵便局や駐在さんだけしかない集落にはセーコーマートは無い
今や北海道のどこにでもあるセーコーマートだがフランチャイズにも限界が来てると思う。
これからは郵便局だけでも駐在さんだけの所でも出店を出来るシステムを考えた時に北海道の為になる本当の企業と言えると思うのだが 20軒家があったら一軒から月に3万程度の何かしらの買い物をして貰ったら店は残るのではないかと その事が集落を維持し毛細血管を維持する事が出来ると思うのだが
 

国道は数字が多いと後から出来てる事になるが228と229は北海道の中でも道路標示板が違う 231や233など他所では記憶違いか見かける事がない
上ノ国は北海道発祥の地とあったが全体的にここが能登半島や越後と言われても違和感はない
500年以上前に東北の海岸から戦に負けて都落ちした一団か厭戦で嫌になった者の一団が新天地を求めて来たと思われるが それだけに故郷の風習や文化をあえて守ろうと言う事なのかも知れない
すべての道は江戸に人を集める為に出来ているように ここも交通がよくなり若い人はどんどん函館に吸収されて年寄が残る。

物の質量が増えるとその増えた分だけまたエネルギーを必要とする為にその事の為にまた外から何かを入れ続ける事が必要となってゆく やがてはその為に崩壊へと進む
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付いてる名は親子熊岩 どう見ても背負われてる熊の方が大きいぞ~世も末か~留萌には世界を股に掛けた発破屋がいる爆破してしまえ~

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このバスを追い越した先にバス亭に1人立つ大きな旅行鞄を持ったナナのような子を見た。
帰省して都会に戻るのだろうと思うが都会には田舎の子が人として生きる場が本当にあるのか
働いてガムシャラに働いた結果が老後の不安 都会には夢があり働きさえすれば薔薇色の未来があるといったい誰がダマしたのよ やめて戻れといつも思う。
若者の未来の為にも年寄は崖下村で楽しく有意義に暮らす必要がある。

地球規模のほんの僅かの時間の流れの中で誰にも迷惑を掛けないなら自分なりに自立して生きてみようと思うのだが
なにせ腹もすく 多少の楽しみも欲しい たまには皆と楽しく酒なども
記憶力の低下は修理工の責任を全う出来ない限界を意味する中で考えて行きついたのは
やっぱり物を売る小商いとラーメン屋か焼き鳥屋でもと思い至った。

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崖っぷち男

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渡島半島 知内町小谷石側終点

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福島町岩部側終点 隣の知内町小谷石側までは断崖絶壁距離はおよそ10キロ 大きく回り福山街道を通り山越えするか船でゆくしかない

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屋根の形に特徴があり積雪が少ない事が想像できる この屋根は乙部あたりで見かける事は無くなってゆく

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白神岬の漁 何を取ってるのかカゴを使っている 海は陸にある山の裏返しなので断崖絶壁のここは相当深いと思われが陸地が近いぶん危険も多いし海峡のベンチュリー部になり潮の流れが極端に速い しばらく見ていたが板子一枚地獄がぴったり 性格がきかなくなるのもわかる。

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茂草あたりだったような気がしたが 消防団 数は写っている倍くらい居てこの小さな集落にこの数がチョット意外

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崖の下によく見かける地蔵さん お供え物がきちっとある。

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切り妻屋根の集落 目隠しして連れて来られここが越前だと言われても何も違和感はない
こいう感じの集落は島牧あたりが最終かと思った。雪が少ないからできる構造か土地が狭いゆえにこうするのか密接な近隣関係がなければ出来ない構造

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倒木に乗り上げて先に進めなかった 木は腐っていて蹴って蹴ってケリ折って脱出 標高は100メーターは超えてると思うが 軽キャブバンで15インチタイヤで低速四駆の車があったら先に進めたものを ジムニーは中で寝れないし狭い

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商店は地域の集会所兼情報交換の場になる。
お客より立派なハッタリ的な店頭が持てはやされ始めたのは僅か前で明治維新後の話
不思議な事に腐らないはずの金物を売ってる店はどこに行っても店頭は質素

近世では木戸ごとにあった井戸が集会所兼情報交換の場であり 木賃宿の大部屋が果たした役割も大きい 
近い処では町工場の軒先で道路に様々な構造がチョークで書かれ技術の情報交換と発表の場であり 嫁取りも含め万相談の場でもあった。それがいつしか門が出来て関係者立入禁止となってゆくと同時に他国との競争に負けていった。
いま一度閉塞されているように見えるが集団は個の集まりで個々の重要性を見る。

鎖国だ鎖国

松前

今回は2泊3日 ここの崖下村を終の棲家と決めた俺がこれから何をすべきか今までと違い少しづつだが見えて来るものがあった。
昨年の亀田半島周遊で何か漠然としたものを感じていたが、桧山、松前半島周遊でいまは少しづつ糸が解けている
この糸を忘れないうちに自分の為に書いて記録と思い始めている。
この半島は括れていて面積が小さいが30万都市の函館を近くに持っている 函館は大きく見ると割と特殊な街で山と海に囲まれて面積は小さい割には人口が多くブラックホールのように周辺町村から人を呑み込んでいる。
もし周辺市町村が観光で生きようとすると元々周辺市町村からの出身者が自分の出た処を観光と言う目では見る事は出来ないし食に関しては函館には美味い物は山ほどあり周辺市町村が函館に対抗する事は難しい事はすぐわかる。
戻って留萌、増毛を見た時に周辺都市に旭川、深川、滝川、砂川、当然赤平も入るがなどの後背地都市を抱えてる留萌、増毛は努力さえするなら恵まれた町と言っていい

人は人を食って生きてゆく 増毛駅は始発駅であったが、それよりは終着駅としての方が人々は『 人の不幸は蜜の味 』状態で集まって来る。
その冠が取れてしまった今 これからどうなるのかは押して知るべしだと思う。
ではとっくに黄昏た俺が自立する為にメシの種をどうするのか考え続けて来たが
 ほんの少しだけこの半島を周遊して何をしたらいいか見えて来たものがある。

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切り通し

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切り通しと切り通しとの中にある黄色い店

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切り通しと切り通しとの中にある商店

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切り通しと切り通しとの中にある集落

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切り通し

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福島側の新幹線出口 
三ヶ日トンネルで少しだけトンネル工事に従事し教えられ厳しく鍛えられる事が多かったので思わず涙が出そうになった。

海峡に吹く風は海だけの問題ではなく陸には木も草も大きくは育たない
農業生産高は他所に比べて格段に少ない漁業は松前側は海峡になってる為に潮の流れがビックリするほど早い為に漁業も限られている。
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ここに来て人も物も吸い取るばかりの函館に対抗する西側周辺町村の新幹線に対する思い悲願が痛切にわかった。

山岳信仰願掛け

四十分で登れるならと入口を見る。
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両側に狛犬らしきもがあるが風雪で狛犬かどうかもわからない 石段はおよそ50度くらいありそうでさらに石段の奥行は20センチもあるかどうかで爪先が掛かるだけやっぱり危ない危険と一旦は却下した。
先に進みやたら永いトンネルを抜けるとそこは久遠と言う抹香臭い地名だった 
500年も前のヒエとアワしか食っていない爺様が昇れるなら昨夜焼き鳥食った俺が昇れない訳がない これも何かの縁と戻る。
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この石段に足跡が全く無かったので新年俺が最初かと思って登る事を決心
最初に注意書きがあり自己責任でと書いてあったが、そんなの当たり前と思って登るが兎に角急で手すりとロープを頼りに登る。
足のサイズ26,5でインナーの入った靴では所々半分も足が掛からん所が何か所もあった。
こんなのは序の口だった。
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石段を登った左にある石仏、拝むのもいいが足場は幅30センチ程度しかなく下手に座ると滑落する。
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ここまでが相当危ない 足を滑らせたら確実にアウト、ジエンドに下界では打ち所が悪かったなどと言ったりするが、ここでは落ちたら一回目は外しても次回の岩石に頭は確実にヒットする
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やった~本殿に着いたと思ったが 所要時間は約50分 雪で足が滑った割にはなかなかいい出来と 
でも営業所と言うのかなんと言うのか下の神殿から見る場所と少し感じが違う。

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遭難した時ようのアーモンド8粒と100円をお供えして下がるかと思ったら横にロープが下がっていた。
やはりまだ上があるのかと悩んだが上に向かって出発

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まだ着かん ここまでで命の危険を何度か感じたセサミンが必要かも知れんが 俺は危険な事をやるなら一人で単独でと思うので三浦雄一郎を認める事は出来ない 

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チラッと見えた。

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畏れ多くも鳥居をくぐるがここまで息も絶え絶えだが本殿がまだ見えない

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右の手すりはボロボロで動いているいつ取れてもおかしくない 急で足はやたら滑る。

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下を見るとこんな感じ 海に見えるのは奥尻島

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チラッと見えるのは本殿の屋根 
手袋は黄色の防寒手袋ですっぽ抜けるし長靴は輪にハマったら脱げてしまうのでここから先を登る事を断念する。
だが一番大きな理由はこの鉄で出来た輪は下が固定されていない物もある。
縄梯子を登った事が無い人は縄梯子を登れると思ってるかも知れないが下が固定されていない
梯子は素人は登る事は出来ない 例え木の梯子であっても下が固定されていない梯子を登る事は訓練なしでは出来ない コツは足の力より腕力で手で身体を引揚げるようにしければない
海上保安庁の普通の人でも簡単に昇れると言う説明は無責任で間違え もし船から落水した時にと思って非常用の梯子を考えてる人は一度は登ってみる事が大事

ここまで来たら太田大権現様も喜んでくれるべと お頼み事を目一杯して下山
頼み事に我が身に替えてなどと頼むと 下に着くまでに本当に我が身に替えてとなる事間違えないと思うので適度な当たり障りのない願掛けにするように! 
歳食ったら無病息災なども過剰な頼み事になるかも
世界平和とついでにカツノリの事も頼んで下山
登るのに1時間53分 下山に50分 何事も登る時より下りる時が危ない 冬山で学んだ事は頂上は一つだが降りる時は雨竜側や増毛側と道は沢山あり迷う。
人間の足は下に降りるように出来ていないので滑り落ちるロープを掴んで掴んで手も感覚が無くなって来た。
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降りて社務所にお参り居た人に登った事を告げたが ここが日本で一番危ない神社と言われてる事と結構怪我人がいるらしい事を知らされる。
40分で登れると聞いた事を告げると
「 40分無理無理危ない一人では絶対に登らないで下さい 」と言われてシマッタ
クタバル事覚悟の危険を目当てに全国から熊に食われ、マムシにカジられに来るしで地元のレスキュー隊は大変らしい~

謹賀新年

明けましておめどうございます。
最近楽しく適当に自立して暮らすにはどうしたらいいかと考えヒントは参考になる青い鳥は身近でないかと思い道内を回ってます。
まとまった休みが取れる、この休みと思ったが年賀状を書いていなかった、
速攻で書いてポストに入れてそのまま南に向かいました。
機械打ちすれば簡単なのですがやはりそれは一枚一枚に思いで深いものがありチョットと言う事で手書きしておりますが
御尊名書き洩れ等あるやと思いますがご無礼のだん年寄に免じて平にご容赦のほどを

今回は初めて走る西海岸回りで暮れからいって参りました。
あっち寄りこっち寄りして書こうかどうか悩んだが参考に
「 みなとまれ~ 」と言う道の駅でうっかり向こうを見ながら進んで間に掘割の船着き場を見落としあと少しで港に落ちそうになりビビった。
なぜと止まったかと言うと横に船がチラッと見えた 港の構造を少しは知ってる俺でも危ない
冬の北海道は夜は港に入っていけない事を痛感したので通りこし島牧の道の駅で一泊 
車の中で焼き肉して酒かっ食らいして年越し

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ここにはなんやら高そうな車やレジアスやハイエースが集結していて みんな高い車買ったばかりに掛け取りの追い込みから逃げて来たのかと思っていたら
明け方に頭にライトを付けて集まり始めなんやらコソコソ話が始まりスリーケーの儀式でも始まるんかいな!と思ったら何がなんだか一斉にどこかに行ってしまいました。

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暗がりでこの横にあった看板を読むには日本一高い所にある灯台「茂津多岬灯台」と書いてあった。
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それなら登って世界平和でも祈願しようとチャレンジしたが15パーセント勾配と書いてあったのと約18センチ(自分の掌の長さ参考)ほどの積雪で登れずに途中でそのままバック 帰りも同じコースを通る予定なので二日もたてばランクルかプラドの車高を無茶苦茶上げた誰かチャレンジして道でも付けて呉れるべと断念

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トンネルがやたら多いがこのトンネルが多いと言う事はその閉塞された地域なりのものが残ってる可能性が多く細かく見ると色々面白い
俺は誰とでも喧嘩するが代わりに誰とでも話が出来るのが特技。

瀬棚から229号線を右に曲がり海岸線を走る この線は本当に色々考えさせられる事が多かったが
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朝8時頃 途中で崖の下に大きな神社発見これは初詣をせんとイカンと思ったのが少々難ジャラカンジャラに
お賽銭100円を入れて頼み事を目一杯してる時に奥から爺様が数人出て来て俺の成りをみて
「 どこから来た 」
「 増毛から来ました 」
「 マシケ、、、、留萌か、、ニシン、、、、、 」
爺様達は酒が入ってるのか増毛は意外にもあまり知らてないようで話が続かん
「 ここは昔は大層賑わって家も50軒ほどあった 」と言う
「 古くは室町時代にドッタラコッタラ 」と
『 日本昔話し 』かと思ったが、ここの本殿はあそこにと指さした先が
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ここ

ツナギ作業服に安手のジャンバーの俺の頭の先から爪先まで見て爺様達が言うには
「 あ~あ~40分もあれば登れる 」と言うが冬で危なさそうなので却下