ラーメン屋 のぶりん

書き出しで誰かがひぇ~とか言ってオッチヌのは松本清張
書き出しで初老のオヤジが訪ねて来て過去を語るのは森村誠一

左は国境の海 右はなんと言うのか内浦か 幅200メーターもあるかどうかと言う砂丘の上に舗装道路
社会派と言われたらしい両作家が好みそうな場所を先端を目指し走る。

ドンドンゆくとなんだなんだ何かの旗が

なんと会津の旗ではないか なんでまたと思い書き出しを読むと
万延元年から慶応3年までここに会津藩200名も居たらしい こんな吹きさらしの処にと思ったが後で知る。

砂丘をドンドンゆく

野付半島は海流の影響でこの不思議な砂丘が続いているが今世紀に入って消滅しつつあるらしい。


ここに来るには漁業者以外は この先通行止めと看板があり大概の車はその看板を見て戻ってゆく
道路はかなり悪いがおりゃ~はその為にこの低速付四駆車を買ったのだ。
タカミが生きてりゃ~アニキ~それりゃダメだ~環境がとかなんとか言いそうだが
もうすでのオッチンデしまってるので、、、、、、
看板によると先端は漁業者だけが入れるらしいここまで来て戻る内地の車が数台あった
すぐ目の前の力によって境界を造られた国境の海の半島に民営のこの先立入禁止の境界看板を見るとなんか複雑な思いがあるのだが
まぁ~いいっか~

灯台の横に根室半島を向いて新しい地蔵さんが立っている物事なんでも最初はあるが新しい地蔵さんは有難味が薄れる。
書いてる字も消えてしまい何が何だかわからんくなってやっと有難味が出るのも不思議な話だが
それも まぁ~いいっか~

途中にネイ~チャンセンターとかナントカがあって主に野鳥がドッタラコッタラと説明がある
俺は鳥はカラスしか興味がないのでサラッと見るが加賀伝蔵は読むと面白い

窓から外を見て気になる風景があったのでそこに居たネエチャンに聞く

留萌港の川口にポツンと建ってる電柱のような物はあれは下に結構大きい貨物船が今でも埋まっていて数人が犠牲になった。

なので聞くが遥か海上に木が枯れて立ってるらしい難破船かと思ったぜ~と言った。
少し利口そうな環境庁ご用達風のネエチャンは呆れたような顔をする 
俺は冬期間は環境庁の仕事を結構やったので
この手の扱いは上手なのだ質問に質問で攻める。
利口そうなネエチャンによるとこの半島は年に1,5センチほど消滅してるそうだ。
それも今世紀に入って加速されているそうなのだ このアリューシャン列島に繋がるこの半島が
消滅の危機にさらされているらしい。
落ち込む時は加速されるのは世の習いなのだ。
空知の宮島沼も消滅の危機にある 何か数千年しかない資本経済と因果関係があるのではないのかと疑ってしまった。
考えてもどうしようもないが自分なりの大河ドラマを造っているのだ。

5月28日から突然出て来た道東も30日には数年振りで逢う約束があるので何が何でも戻らんといかん
明るいうちにいける処まで行って寝て早朝に増毛に戻る事に
夕食は見る度に感心する安国のラーメン屋、のぶりんでラーメンを食し丸瀬布道の駅で寝る。
突然旅おし~まい~

さけ科学館

次の目的地は標津サケ科学館 
道内で生息する魚のかなりの数をとっ捕まえて水槽で飼ってるが 
水槽内の魚はいま時期は産卵時期で少し可哀想なのだ。

黒いのはヌマチチブ
ヌマチチブが水槽内で世代交代してる この魚は穴に潜る習性があり穴の沢山あいた石を置いておくと産卵して世代交代する。


標津を目指して山また山の中にそびえ立つ雌阿寒岳と思われる山を左に見ながら東に進む
今回の道は38号線以外は初めて走る道で雄大でこれが北海道と言う感じがいい これだけ広いと何処かに仙人のような暮らしをしてる人がいるのではないかと思うのだが

車の旅は車で泊まってこその面白さがある。
ひとつは気の向くままどこにでもガソリンさえあれば予定変更はし放題
もう一つは夜明けと共に行動出来てその土地の朝の顔が見れる 
夜明けは新聞配達や漁師や農家など働き始める人達で昼とは全然違った顔があり面白い


標津サケ科学館 ヤマベの群れ 
ここは飼育をして研究してるので産卵から世代交代と変ってゆくさまが見れてとても参考になった。


いまは無い寧楽小学校には廊下に水槽が沢山あって地元の川や沼の魚を飼育していた。
それがすごく面白くN先生の心意気を感じた。
意外と地元の川には沢山の種類がいてなぜそこで その種類が多いのかと調べると面白いのだが
地元の魚を知らずにやれ熱帯魚だ、やれナンチャラフィッシュなどと言ってると
チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られと思うのだが


だいたいいい処は見たので展望台にあがって見る。
冬は怖そうな大地 仕事柄どうしても冬を想像してしまい平らな大地は怖い
冬になると平原はたった数メーターが命の境目になってゆくのだ。
冬の平原はまった 恐ろしい事に冬が過ぎてしまえば何事もなかったかの様にしれっと美しい自然が待ち構えている。
近づく者を容赦なく食ってしまう まったくハエトリ草かウツボカズラかと思うような綺麗さがある。
思うに食虫植物のケバさはハエでさえケバさを求めてるのかょと人類の端っこの俺は思う。

大地を延々と開拓してゆく先人達の苦労と何が何でもものにするその根性が俺には欠けている。
多少ボッチに出来の問題があっても根性があればそのうちに何んとかなるべ~と言う世代なのだが
どっちもダメなのだ。
せめて世間様の迷惑にならんように出来る事をやって過ごしてゆこうなどとこの広い怖そうな大地を見て思った。

カーナビのお蔭で時間が出来た 一度行って見たかった場所に移動する事に

何時

よいよ最初の目的地に近づいた 朝早く着きすぎ店は開いていなかった。
ブラブラして開くのを待つ 

てんこ盛り さ~食うぞ~ウチダザリガニ


たらふく食った 近所のアイヌの人達の話など健康そうなお姉さんと楽しく 
お話ししながらやや40分以上掛かった。
一人で食うには量が多いので数人で行って他の物もワカサギの天麩羅やニジマスなどを注文して食うのがいいと思う。
味はシャコか花咲カニに似ている。
下手な冷凍シャコや冷凍のカニを食うならこちらの方が味は濃く遥かに美味い
伊勢湾でもシャコは獲れるが北海道のシャコは倉庫くらいの大きさがある。

場所は阿寒湖の遊覧船乗り場100メーターほど東の釣り堀屋さんで店の名前は食い気で確認し忘れたが
ウチダザリガニを食わして呉れる処と聞くとすぐわかる。
竿も貸してくれさらに釣ったニジマスは食わしてくれる。
中に入ると簡素な造りで食堂かなとチョット思うが 
俺は歯は丈夫なので歯で割って食ったり手掴みで殻がアチコチに飛び散るので 
このシンプルな店がいい事がわかった。
食い物は手づかみで食らうと美味しさが倍増するのだ。

二風谷コタンから始まりポロトコタンと回り混沌とした現代を商人(あきんど)として生きる方法が見え始めている。

坂を登り切った左側の店に入る。
早朝で客は俺一人 おばちゃんからグイ呑みとシャツを買う。
ここはアイヌの血統をひいた者だけが店を出す事が許される。
各地のアイヌコタンをみる度に逃げようのない血統を引いた者達の生き様を少しでも見たい知りたいと
思い続けてる。
北海道旧土人保護法と言うメチャクチャな法律によって土地に住む権利や物の搾取と差別を明治32年から平成9年まで続けてきた歴史があり
その中でも逞しく生きる様が凄いのだ。

現代の資本主義の原型は弥生人≒渡来人によって持ち込まれ様々な方法で狩猟民族の縄文人を北と南に分断し占拠して来た。
その方法は保存の効く穀物を使う。
縄文系は狩猟を生業としていて獲った獲物は保存が出来ない為に皆で分けるのが習慣となっている為にその日暮しが身に付いてる。
山にゆけばその日はダメでも明日は何とかなると言う楽天的な性格なのだ。

「 おらおら縄文家ょ~種籾まで食っちまったなら種籾貸してやってもいいぞ~ 」
「 弥生様~ 」
秋になって
「 おらおら縄文家ょ~返す量が違うんでね~か~ 」
「 一粒から600粒が出来るんだぞ~可哀想だから8は縁起がいい数字だべ~8粒はやるが残り592粒はよこさんかい~ 」
となって資本家と労働者に分かれた。
現代に至ってもアイヌの人達に銀行がすんなり融資をするとは考えづらいので
ここに並ぶ店店は木を手で彫り売れたら次を造りやがて1個売れたら食い扶持を節約して2個商品を仕入れと少しづつ在庫を並べていったと思うのだ。
俺が思うには最初に弥生人に種籾を借りたのが間違いだと思うのだ。
小商いは身の丈に合わせた無借金経営が基本で俺もっと早くわかっていたならと思う。
アイヌの人達はすべての物に神が宿るとするが弥生や資本家は神は一つとして崇める。
その手法を商いに利用し支配を続けさらなる格差を生み続ける事になってゆく

ア~メン 払いたまえ~救い玉枝~ いま何時なんじ信じる者は救われる~

いえ

38号線を東にどんどんゆく 以前はカーナビなど使うものかと抵抗していたが
タブレットとか言うカーナビを使う様になって目的地に直行出来るようになって時間の短縮がかなり出来てる。
高速と有料道路は使わないと設定してるせいか車が少ない場所ばかり走っているし街中はほとんど迂回してる。
これは目的をハッキリさせんとただの輸送トラックになってしまいそうだ。
道の駅 ピア21士幌に泊まる人気がないのか車はトラックばかり


拘束時間が長い長距離トラックは車の中で暮らすと言う普通では考えられない勤務体系になっている。
国産トラックは中も狭くせめてボルボにくらいにならないと次の世代はトラック乗りにはならないだろう。
ベットもクソ狭い棚でなく畳一枚程度にしてコーヒーやチョットした物を食える湯沸かし器程度は標準装備であってもいいのではないかと思う。
トラック乗りはこれからの北海道は大変だと言う夜明けとともに雲霞の如くキャンピングカーや道外ナンバーが動きだし 突然止まるわ追い越し車線をへっちゃらでのろのろ走る。
やはり観光はその土地を横からチョロッと見せて貰うと言う事が大前提になる。
よそから来て自分の流儀や何かをそこに残してゆく事は御法度だと思うのだが
その為には生活の邪魔にならないように後の車と間合いをとってサッサと除ける事が大事になってくる。

夜明けと共に足寄国道を走る 螺湾小学校を少し過ぎた峠の頂きの草原にポツンと一軒家があった。

古いが放置家屋と言うよりは残してあると言う感じでしっかりと立っている。
この峠を走るドライバーにとってはどんなに心の支えになっただろう事は容易に想像できるし
出稼ぎ先から車に夜具を積んで阿寒や弟子屈に帰る人達にもやっと故郷に帰って来たと思わせただろう。

昔の農村によくある家の作りになっている。
左に正面玄関 右に幅一杯の縁側 中は見てないが大体の作りは間仕切りで部屋を区切り間仕切りを外すと大きな一部屋が出来る。
そこは嫁を取り嫁に出し婚儀の宴会場になり 時には葬儀の場にもなってゆく 農作業で土の付いた野良着を脱ぐ事もなくチョコッと腰掛けて一服や世間話も出来る構造になっている。
目的のない雑談には上下を超えた情報の交換や癒しを生み続ける。
たった数センチ高い所に上がっただけで見えるものや感じるものが違って来る。
雑談それは子供の目線と大人の目線との情報交換の場にもなってゆく
縁側や雁木には越中富山の万金丹ほどの物凄い効用と効果があるのである。

一軒の家が家と家との婚儀などその家族の歴史を見守り続けてきた。
あそこの家なら大事な娘を大切にして呉れるだろうと近在の家に娘を嫁がせ地域を育ててきて次を育てる。
もし何かあったなら相談にも乗れる なんだったら怒鳴り込みも出来る
 その重石を背負って風雪に耐えて凛として
この家は立っている。

ここの崖下村は昔は道が無くどん詰まりで殆どが親戚で幼馴染で住民同士はたまに喧嘩もするが仲はいい
その中に住んで12回も住民票を替えた俺がここが一番住みやすいと感じ思うのは 
その延々と繋がっている家と言う集落の中に居るからなのだと感謝してる。