明日は我が身

コロナでここは逆に他所の車が増えたそんな某月某日9時4分一報が入る。
急いで浜に駆け付ける そこには突風か竜巻に呑まれた無残な姿の船が引き揚げられていた。
家族と共にこの地に流れ着き漁師になってまだ数年の日が浅い若い漁師は救命胴衣と浮いていた船に掴まっていた処を他の漁師の船に助けられる。
漁師が船を失う事は明日からどうやって家族を食わして行くのか
隠居した老漁師から譲って貰った償却年数を越えた船には保険も雀の涙で万度におりる事はない
船に積んであった自分の手に合わせ使い易い様に作った漁具もすべて失ってしまった。
それは陸の勤め人が本社と工場が一気に全焼するに匹敵する。

北海道では62年前の4月6日に当時の目梨郡羅臼村知円別沖合約4キロ付近で突然の突風天候変化でわずか3~4キロの海岸にたどり着くのもままならず次々と遭難、15隻が沈没・転覆し、死者・行方不明あわせて85名が亡くなっている。
天気を見る事に長けてる漁師でさえ突風や竜巻を予測する事は難しく
その危険をおかしても生活の為に家族を養う為にと海に出てゆく
その船が無くなってしまった。
浜の男達の歩く凶器と思われる顔とダミ声で集まり明日は我が身の浜の男ならではの
その場で即断即決で次々と若い漁師の明日からの身の振り方が決まってゆく


80歳になった漁師の徳さんはいつも胸ポケットに1000円札一枚だけを入れ帽子の中にはタバコとライターを入れている。
仕事が終わるとここに寄ってビールとラーメンを食って好きな事を言って帰るのが土日の日課
某月某日その日の午後にここに事後処理の相談に来た若い漁師に
「 時化たら出るな ラーメンおごる食え 」と一言
朝から何も口に入れてないのか浜の漢二人で黙々と食うラーメン
これからの家族や銭の心配する若い漁師に
こらからも続けていくと言うならエンジンの心配はするなと言いそうになったが
老漁師と若い漁師が無言で肩を並べて海を見る後ろ姿を見て言葉を呑んだ。
命を的に稼ぐ浜では言葉は目と背中で語る。

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