禍福は糾える縄の如し


月曜日は船の廻航があるので朝早く起きて表に出るとやたら騒がしいぞ
野次馬には滅多になる事はないがなにせ近くなのと自分の敷地内なので行ってみるとハイエースらしき車が丸焼け
後で聞くには深夜盗難車がガス欠か何かで止まった処でドアをロックして火を放ったものらしい
傍には民家もありそれ以上の大事に至らずに良かった。
車を盗んでさらに放火 悪質でかなりの重罪になると思うが勝手に想像するには若い子の犯罪と思う。
犯罪はなぜ起きるのかと考えると沢山の要因はあるだろうがその中でも大きなものは
自分の今の現状に漠然とした不公平感があると思っている。
アイツは良くてなぜ俺はダメなのかと何が違うのかと
世の中は公平になっているのだろうかと
そういう意味では世相が犯罪に結びつきやすいのではないか
魚屋一心助けオヤジを見て戒心した者は少なからずいると思うし指導者たる政治家もそうあるべきと思う。

その中でもなぜ自分の今の現状があるのかが正しく理解が出来ていない事が大きいのではないか
自分のすべてがわからなくても知ろうとする事はとても大事な事だと思うのだが
そこから こりゃ~俺には無理と諦め違う路線に変更する事も大事で他人様を羨んでいても先には進めない
犯罪は根絶は出来ないと思うが出来る限り早いうちに小さなうちに修正する事が重要だと思うのだが
それには己と先祖の歴史を正しく知る事も大事な事になる。

一度くらいはクタバリかける事も大事でそこから実際には自分はどんな行動をするのかを知って身に刻む必要があり
逃げる事も必要で平時の勢いだけで向かって行っても筋肉が萎縮して普段出来る事も出来ない事もあるし
火事場の馬鹿力も出る事もある。
自分は何者なのか音も普段の生業もすべてを遮断して一人旅に出る事を若いうちにやっておく必要があると思うのだが
角を曲がったらそこから旅と言ったのは泳六輔

極刑でない限りいつかは社会に出て来る。 
すべてを極刑にする事は出来ない その為にも犯罪を作られてゆく要因を知り責めるばかりでなく 
早いうちに真の更生をして貰う事が社会全体の安全に繋がってゆく
その為にも街中で働いている若い子には声を掛け続ける必要があるのだ。
クソ熱い中で屋根に上がって働いていたりコンビニや店で若い子がイラッシャイマセ~と言ってるのに無言で店を出たり通り過ぎる事は大人の男のする事ではない
いまそこに居る事を認めてやらんと

『 禍福は糾える縄の如し 』言うが俺にはそうは思えない どうせ中国かどっかのエライ学者か誰かが言ったのだろうが
一見最高の不幸と思えるような出来事も後か考えるとよかった思う事も沢山あるし失敗だった言う事もそこから学びより良い事の材料にした事は沢山ある。
しかし~良かった事と思う事を深く考えてわざわざこれは悪い事の予兆かもと思う事はないので
良かった良かったと喜んでしまえばいいと思うので縄の様にはなっていない
圧倒的にいい事の方が多く
悪い事も不運な事も日々暮してゆくうちに大概はなんとかなってしまうのだ。

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