黙して語らず

生きる事は妥協で妥協がなければ生きてはゆけない
妥協とは左右のバランスを取る事で物事すべて作用と反作用で成立ち支えられる。
生きる為にはバランスが必要でそれが左右バランス妥協となってゆく
だが両極端の端っこを知ってこそ妥協が出来るので20歳や30歳のニイチャンに言われるのは間違いで
上っ面をテレビか何かでサラッとなぞって妥協などと言うと お前に何がわかると一喝されるのがオチ 
人間は本来は少しチョット賢いくらいの動物でやはり最後は自分の身体で感じ覚えた事がもっとも生きてゆくには役に立つのではないのか
何かが便利になり自分に地位や銭など何かしらのものを持ったりすると少しづつ生き抜く力が衰えるような気がしてならない

日本海と太平洋の海に出た者ならわかると思うが同じ海では無い
太平洋より日本海の方が波の波長も短くはるかに厳しい そこにあの粗末な木造船で着る物も食料もロクな物が無かったろうに 冬の日本海を漂流して来てどうして生き抜いたか不思議で仕方ない
生き抜く為に何が必要かを暗示してるような気がしてならないのだ。
俺の処に流れ着いたらバイクでもテレビでもタマネギ一袋とサバ缶一箱と日本酒となんでもやる持ってけ泥棒
あれも無くなったこれも無くなったとニュースで切り取られて顔を出して語るが それは冬の凍てつく厳しい日本海で稼ぐ漁師の総意ではない

リモコンで頭カチ割り 可愛がりと称して若い子がオッチンデしまう 八百長相撲はするそんな業界に闇の部分が無いのはおかしいし そう簡単に綺麗に片付くと思えない
貴乃花の黙して語らずは大相撲を残そうとしてる固い決意に感じるのだが
言えば言うほどなんの責任も取らん連中が無責任に大勢でアッタラコッタラとやってくる。結果はロクな事にならん事は分かり切ってる。
木造船も黙して語らずらしいが どっちも端っこを知った者の凄まじい生き方に思える。

あ~俺ですか~言いたい~言いたい~あれもこれも言いたいと

ごめんね~は日本の文化

海外に一度も行った事が無いのに偉そうに言ってスミマセンが
日本は謝りの文化なのだと思う 何がすまないのかすべてスミマセンで始まりスミマセンで終わる。
雪の中に出来た一本道ですれ違う時に少しづつよけてスミマセンと言うから相手もスミマセンと言う。
無言で通り過ぎる奴は滅多にいない
この子が頭悪いのは私のせいですスミマセン この場合は多少の因果関係があるからまだマシだが
字を間違えたスミマセンと便箋にあやまり
天気が悪いのも雪が降るのもスミマセンすみません
お歳暮貰ったスミマセン
散々殴りあってからスミマセン
「 すみません 」と言うから相手も「 こっちもすまん 」と言う。
どっちがどっちかか何がなんだかわからんが兎にも角にもスミマセン
江戸時代は「 誠にすみませんが 」を三回繰り返す時には痛いなんて、もんでない陰腹を切って、その上にサラシを巻いて腹にチ~滲ませながら「 誠にすみませんが 」を三回繰り返したのちに こと切れてオッチンデしまうのが由緒正しい日本の文化なのだ。
なので三回スミマセンを言った相手を責めてはいけない 
そこを間違えてグズグズ言うと刃傷沙汰になったり恐ろしい返り討ちに合ったり置手紙一つで荷物持って出て行かれたりする。 

日本には謝った相手を責める事は器量が狭い 寛容の精神が足りないと言われるのだ。
日本で普通の人がたいした用事もないのに車を持ち始めたのは昭和40年代頃が始まりになるが
その年代頃から先に謝ってはいけないと言われ始め 謝るのは自分が悪いと認める事で交通事故の場合は謝ると先に謝った方が弁償させられると言われ始めた。
欧米では決して謝らないのが普通と一度も欧米に行った事も無いオヤジから運転を習った、時についでに教えられた。

俺は思うのだがその郡に入ったらその郡に従うのが一番穏やかに暮らす方法と思うのだが
『 郷に入っては郷に従え 』ちゅうやつで日本が発祥かと思ったらどうも違うらしい
世界中に同じ意味の言葉あるらしい
『 ローマにいるときにはローマ人がするようにせよ 』と言うらしい

騒動の発端を作った一方の当事者の白鳳の背中にモンゴルがドッタラコッタラと書いてあるのは
このままゆくと国対国の争いに発展させる端緒になるかも知れないし
今後は国籍に注意となってゆくかも
その時に白鳳の品格にクエッションが付き
45歳の若い貴乃花が横綱の品格に危惧してる事なら
貴乃花部屋は日本国籍だけでまとめるべきだったのか知れんな~
若さゆえか~

大相撲はガチンコ勝負を欠いた時は廃れてれゆくだろう
若い貴乃花に方法に間違えがあるとしてもヤメ検の印象操作や裏で情報操作などせんで堂々とガチンコで受け止めてやるのが執行部の大人の男の器量と思うのだが
経験上、角ばかりの八角親方も貴乃花のようなタイプには本気でぶつかり本気で怒鳴りあった方がいいと思う。
土俵で裸で回しを掴み取り組んだらいいかも

「 すみませんでした 」を人の三倍は謝り続けた俺が大きな口を叩いてスミマセン~スミマセン~


取りあえず謝っておいて後でバカ野郎~と うん、違うか~

裸の大将

ママ 「 成績優秀な日馬くん どうして貴岩君の頭カチ割ったの~ 」

日馬 「 だって~先輩の白鳳君が皆で貴岩君を取り囲んで説教垂れてる時スマホをいじってるから頭カチ割ってやったの~ 」

ママ 「 じゃ~ママは謝りに行かなくていいわね~ 」

日馬 「 ママの知合いで給料払ってるヤメ検がいるしょ 繋いで上手い事やって~ 」

ヤメ検 「 日馬くんが日頃可愛がっていたのに貴岩の態度が生意気で睨み返したから頭カチ割った~点々 」

ほんとうに可愛がっていたのか 可愛がっていたら頭カチ割っていいのか 睨んだら頭カチ割っていいのか
常日頃ただ呑んで説教たれていたのかも

喧嘩ぱ早い俺が言うから間違いない暴力を振るうのは頭が悪い証拠 
説教は背中で 諭すは言葉で それでわからん奴は見捨てるしかない

普通の会社で自分のとこの若い衆が同業の集まりで他社の若い衆に怪我させたら 親方はどんな行動すべきか皆分かっていると思うが

高血圧の裸のデブの集まりに給料貰って言い訳する ヤメ検 秋霜烈日のバッチを付けていた奴の発言とは思えん 結局は立場で自分の意見信念がコロッと変わる 立場には金が付きまとう 
どいつもこいつもおかしい


苦労に苦労を重ねても この立姿 お千代さん 俺だったらお千代さんには苦労はさせん

さいなら三角また来て八角は無い

親方は親ではない 
実親は無償の愛があり見返りを求める事もない 実親子関係以外は仕事が出来る間は親方と子方で 自分の言う事や施設のルールを守る間は愛情を注ぎましょうと言う関係がほとんどで 
本当の無償の愛は中々存在しないし成立させる事はかなり難しい 実親の愛はそれは離れてみて少しわかり 失くしてすべてを悟り。親はたとえ子が何か不始末をしたとしても超バカで眉毛剃り落しパンチパーマーの子であってもそれは変る事はない
大きな愛情で凍えた手をさすり包んでくれる。それを早くに失った体験した子の心中は他の人にはわからない 
生まれた実家の建物が残っていても その屋根の下に親が居なくなった途端にそれはもう兄弟の家であって実家ではない

自分の子が怪我させられて帰って来て それも数人が居ても止めもせずにビール瓶で殴られたと聞いたらクタバッタかも知れんと思うだろう。
それを聞いた親は何するんだと台所に飛んでいって包丁を握りしめても何もおかしくはない 
その姿を回りに止められて少し落ち着いたとしても 怪我させた相手の親は何も言って来ない その場に居た連中の親方連中も誰も何も言って来ない そりゃおかしい筋が違うだろう トコトンやってやろう この子を守ってやらな誰が守るんだ となってゆくのは当然で疑似家族であっても無償の愛を注ごうと思えば思うほど当たり前の行動になってゆく

「 電話して謝った 」 お前はバカか仮にも親方と呼ばれる人間の詫びる作法ではない
どっちがドッタラコッタラではない怪我をさせた方がすっ飛んでゆき土下座をするのが作法で筋と思うが
八角か六角か知らんが その角だらけの総元締めが丸く収めてとは相撲の存続を願う事で 取引であって商売人そのもので幼くして一人ショッパイ川を超えて来た人の子を預かる仮親とはおもえん
そのどこかに他人事では相撲協会そのものを考え直し無くなるなら 国技だろうが親方がバカの集まりでタニマチも相撲評論家もバカの集まりなら それは無くなっても仕方ない事なのだ。
国技と言う言葉に甘えた連中が人としておかしいと思うのだが

飲酒運転でよその子を跳ねたなどアンタには同じくクタバッテ貰おう それが塀の中で叶わないのなら我れの子で同じ思いをして貰おうと考える親が居ても何も不思議ではない
  
貴乃花親方は境遇からも親をやろうとしてる気がしてならないのだが