さいなら三角また来て八角は無い

親方は親ではない 
実親は無償の愛があり見返りを求める事もない 実親子関係以外は仕事が出来る間は親方と子方で 自分の言う事や施設のルールを守る間は愛情を注ぎましょうと言う関係がほとんどで 
本当の無償の愛は中々存在しないし成立させる事はかなり難しい 実親の愛はそれは離れてみて少しわかり 失くしてすべてを悟り。親はたとえ子が何か不始末をしたとしても超バカで眉毛剃り落しパンチパーマーの子であってもそれは変る事はない
大きな愛情で凍えた手をさすり包んでくれる。それを早くに失った体験した子の心中は他の人にはわからない 
生まれた実家の建物が残っていても その屋根の下に親が居なくなった途端にそれはもう兄弟の家であって実家ではない

自分の子が怪我させられて帰って来て それも数人が居ても止めもせずにビール瓶で殴られたと聞いたらクタバッタかも知れんと思うだろう。
それを聞いた親は何するんだと台所に飛んでいって包丁を握りしめても何もおかしくはない 
その姿を回りに止められて少し落ち着いたとしても 怪我させた相手の親は何も言って来ない その場に居た連中の親方連中も誰も何も言って来ない そりゃおかしい筋が違うだろう トコトンやってやろう この子を守ってやらな誰が守るんだ となってゆくのは当然で疑似家族であっても無償の愛を注ごうと思えば思うほど当たり前の行動になってゆく

「 電話して謝った 」 お前はバカか仮にも親方と呼ばれる人間の詫びる作法ではない
どっちがドッタラコッタラではない怪我をさせた方がすっ飛んでゆき土下座をするのが作法で筋と思うが
八角か六角か知らんが その角だらけの総元締めが丸く収めてとは相撲の存続を願う事で 取引であって商売人そのもので幼くして一人ショッパイ川を超えて来た人の子を預かる仮親とはおもえん
そのどこかに他人事では相撲協会そのものを考え直し無くなるなら 国技だろうが親方がバカの集まりでタニマチも相撲評論家もバカの集まりなら それは無くなっても仕方ない事なのだ。
国技と言う言葉に甘えた連中が人としておかしいと思うのだが

飲酒運転でよその子を跳ねたなどアンタには同じくクタバッテ貰おう それが塀の中で叶わないのなら我れの子で同じ思いをして貰おうと考える親が居ても何も不思議ではない
  
貴乃花親方は境遇からも親をやろうとしてる気がしてならないのだが

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