犬も歩けば

春に熊野古道の看板を見ただけで今更修験者になる訳でもないしと入口でバックして来て帰り道は愛知県が近づくと色々思うと事があって鳥羽からフェリーで伊良湖岬と名古屋をワープし静岡から岐阜敦賀と戻ったが
名古屋で流行っているらしい台湾ラーメンを食ってこなかった事はずっと心残りだった。

それがこないだ札幌に行った時に厚別北海楼で台湾ラーメンを食って来た。
中国訛りの日本語と言うのかオネエチャンの言葉がやたら愛想がいく聞こえる。

本場名古屋でも台湾ラーメンはこの愛想で食えるのだろうか
と思うほど北海楼は愛想がいい、声のトーンが愛想が良く聞こえるのだろうか
名古屋に結構長い事住んだが名古屋人に愛想を求めてはイケないのだ。
名古屋は大きくわけて東の良い処と言われる出と西の工場や港湾関係の出とにわかれ西にはドンコ競馬や中村競輪などがあり
パチンコなどは名古屋が発祥の地と言われているが
俺は賭け事は一切しない それは賭け事を裏から見た経験があり
半世紀以上前のある日 手配師のアニーに大門の傍にある競輪場に連れていかれアルバイトをした事がある。
耳に赤鉛筆を差しミカン箱に立ったオヤジに言われた数字を書いて紙を三角に折るバイトだった。
競輪は競馬と違い馬の機嫌や場場の状態など条件が少なく
一定の条件の元でやる為に配当が少ないが予想がしやすいらしく結構な人数のミカン箱オヤジが居た。
一レースが終わるとサクラのアニーがオ~オヤジ~当たった~と大げさに車券を振り回しこれで一杯呑んでくれ~と百円札を振って向かって来るのだ。
ミカン箱オヤジはオヤジで、ありがと~な~も~う、などと語尾を遠くまで聞こえる様にやたら伸ばすのだ。
これはボートを売る様になった時におおいに役立った。
ボートを買う人は漂流を考えて進水式でご祝儀を呉れる事がよくあった。
そんな時は集まってる皆の衆の前で蟻が十匹ありが~とう~ございます~と
最高金額は一月食えるだけ貰ってシマッタ事が二回あった。
そんな人に限って漂流はしない

競輪場の常連はまたやってると思うが知らん者はそれで結構買うのだ。
俺はと言うとここまで来て小学もまともに行っていないので字が早く書けんし字によっては鏡文字を書くので
クビになって現地解放になったが
電車賃もないので歩いて東に向かい出来たばかりの新幹線線路沿いを南に歩き続け元塩町まで戻る道中何時間も歩いて二畳半には食う物はないしと歩きながら色々いっぱい考えた。
こまったら外に出る陽にあたる歩くは今でも心してる。

千原町 ここのひだり側をゆっくり歩くとメシ食ったかと声を掛けられた。

いまも賭け事はしない

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