ここは何処私~だあれ~

最近まで移動時に使うNTTモバイルなんちゃらを使っていたが採算が取れないとかで廃止になった。
たった2年で廃止するなら最初からするな機械まで買ったのに迷惑だぞ~とNTTは辞めて
うんで今度は日を跨ぐ時はタブレットとか言う物を使っているがどうも上手く使えないので長野にゆく前に試しにアチコチ走って見てる。 
が~コイツはマズイと思い出した。道中を覚えないし楽しめないのだ。
これは何度言っても一面真っ白で物標の少ない冬山で道を間違える奴と原理は一緒だと気付いた。
カラ松の木を見たら右に曲がれ赤松は左に曲がれと教えても一人になると何処かに行って行方不明になり全体を危険に落す奴と原理は一緒なのだ。
海霧の時はゴメの後を追うと助かるなどと信じる奴を作る原理とたいしたかわらん

知ってる事と自分の手で実際に出来る事は違うと言う事を命の瀬戸際まで気付かない奴を作る機械と感じた。

こんな奴にハマったらイカン 数回使ってパタンと閉じてるが電源を切る方法がわからんで
いつまでたっても右です左ですと息も絶え絶えにクッチャべっている。
ほぼ99害あって利は一利程度と思うので使うのは良い時だけにしようと思っている。
コイツにも一利があるので休みに運勢で方角を見て一利を探しに適当に東に行ってみた。

で着いた先がここ 何にでも感動する俺はこんな近くにこんな施設があったとは大感動

縄文土器と擦文土器がずらり


明治初期の入植達 いつも思うのだが昔の男は顔が端整で綺麗なのだ何か修正してるのか 

廃校の中が教室事に年代を遡る展示になっていてどん詰まりは調理実習室になっていた いつも通り越していた廃校がこんな事になってるとは大感動 全部見るのは一日掛かるだろう。
さらに入館料が地元民以外でもタダだぞタダ~

タダが必ずしもいいとは限らんがタダで公開して20年以上たつらしい 地元に力のある証しか

さ~次はメシにラーメンを食う処を検索し行ったが 何やら趣味でやってるラーメンでこだわりましたと言ってる。
コジャレタ店まで行って いつまでも趣味でやってれと却下 ラーメンは貧乏人の栄養補給の食い物でドンブリ抱えて新聞読みながら食う食べ物なのだょ~ 
白いうわっ張りを着て努力と辛抱に辛抱をかさね やっと店を持ちましたと言う、うどん屋や食堂のオヤジの足元にも及ばない 
ラーメン屋店主は元はどうもならんバカ野郎で暴走族で元バイク乗りと大概は決まってるのだょ~
それだけにラーメン屋は人生再起には持って来いなのだ。
俺は能書きタレてるラーメン屋が大嫌いなのだ。
男なら黙って一品ださんかいと店を素通り

でまた検索すると近くにバイクの博物館があるらしい で又また右だの左だのと機械に指図されながら着いた先は冬季休業中だったが 
除雪してる若いアニ~に聞くと見せてくれるとの事で中に入ったが
これまた凄いの一言 この田舎でどうしてこんなにバイクを集める事が出来
さらに動かす事が目標だとの事で綺麗に整備されている。
実際に乗ったバイクやなぜここにあるのだと思うバイクなど凄い
TAKAMIが乗っていたCB450クジラがあった なんか色々思いだしジ~ンときた。
過ぎ去った人生はあまりにも早く短い 感動のあまり写真を撮り忘れた。

以前は胸が震えるほどの感動が一杯あったが 
コンビニで後ろから来る人の為にドアを押さえてるニッカポッカのニイチャンや何気ない日常に
大感動したりしたが最近はそれが無いのだょ~
どうもパソコンや動画のせいではないかと思い始めてる。
戸を開けよ世界は広いと豊田佐吉の生家の戸に書いてあった事を思い出した。
旅に出よう旅に 

日本品質らしい~

不思議でしょうない
昭和45年頃 借金の為に数物屋になり朝から晩まで毎日毎日同じ物を一年半溶接をし作り続けた。
 画像はまったく関係ない大田区六郷土手にて

同じ物を数作る時に気を付ける事は外径寸法を正確に作る事でそれが狂うと入らないなど作った物が本体に取付が出来なくなる。
溶接の場合は突合せで溶接する事が多いが突き合わせる部分が平らでない場合は隙間を埋める為には強度が要らなければアンコを詰めるか強度が要る場合は部材のどちらかを削り溶接する。 溶接面間に隙間を作る事は最悪の溶接になる。特に局面がある場合は突合せ部分を最初から削る事を想定して最初から厚みを持たせる事はよくあった。

局面がありながら削る事が出来ない一番の理由は材料費をケチったか軽量化をする場合
馬力÷重量=速度 で重量が増えると速度は落ちる。
最初に速度ありきで重量を落とすのは強度が不足する それを補うのは職人技になってゆくが
現場を知らない設計者が出来ない図面を引く事があるのではないのか
現場は全体原価など そんな事はあまり頓着が無く 自分の作った物の心配の種を減らす為にどちらかと言うと過剰強度になってゆく
昭和の頃は現場の職人は旋盤工や製缶工からして気難しく乱暴者が多く 出来ない物を遣らせられるとそれならテメーがやって見れと遮光面も皮脚絆も設計者や図面屋にブ投げる者が多かった。
そこには設計者と現場の距離の近さがあった。

当り面を削らなければ溶接出来ないとなると手間と強度不足の心配が起きるので当然に現場から声が上がってる。
その声は設計者まで届いたのか 設計者は現場を見る事はなかったのか 
速度÷馬力=重量ではなかったのか
さらに発注側≧下請けではなかったのか
TIGを一度も握った事が無い 見た事も無い者がその組織の頭に居るのではないのか

8ミリを半分弱も削る事が本当に現場の裁量だけだったのか 
それなら削った分は外径寸法は変ったはずで 分業制のボルトなど取り付くはずは無い
設計図は誰が引いたのか不思議で仕方ないのだ。

どこかに現場より設計者が上と言う意識があるのではないのかクソの役にもたたんプライドなど捨てて現場を見ろ

見ようとする者に見え聞こうとする者に聞こえる。

現場は自分の今やってる仕事が終わりもせんうちにたった数秒で自分のまったく知らない処で自分の仕事の評価を株価と言う形で評価され稼ぎを横取りされる。
自分の手を油で汚さん者が現場をネタに数百倍数千倍と言う金を手にする現在バカらしくて
なんの根拠があって物作り日本 日本品質 出来るちゅうならテメ~がやって見せろアホ 
誰が一体設計したのか JR≧川重≧現場 かな

生涯現場に居た本田宗一郎は退陣する時に全従業員の手を握りたいと新幹線と飛行機を使い
全従業員と握手をした。
地方工場の一人が油で汚れた手を洗いに走った時にその手がいいのだと言い手を握った。