修正温故知新

尾白利加から出てある町に移住した人に金曜日に逢いに行った。
お父さんに大層世話になったが息子さんが丁度暇そうにして雑誌を読んでいたので
以前息子さんから聞いた 本籍はお父さんが亡くなるまで尾白利加だったそうだ。
息子さんは一度も家があった現地は見た事が無 いと言う。
下の名は代々ちょっと変わった名前で
尾白利加出身者らしい名前なので聞けば知ってる人は多い。

修正 明治43年8月の関東地方の大洪水で移転を余儀なくされた人達が明治政府の北海道移住政策を受けて群馬県佐波郡豊受村国領から明治44年4月以降に尾白利加に入植しているが
関東地方の人達が大勢当時の北見村などにも入植している。
何か永い事不思議だった点の謎が解けるような気がしているがまだまだ分からない

一つは北海道を東と西に分けると西海岸側で主だった町は函館から小樽、石狩、留萌、羽幌。稚内しかないが
東海岸側は八雲、室蘭、苫小牧、釧路、根室、標津、斜里、網走、紋別、枝幸、稚内とある
石狩や留萌程度の資金力の町は東側にもっとあるなぜ東側にばかり偏るのか 火山でも東側に集中してると言う事は火山灰土だし東側は凍結深度は深く農業にも決して条件はいいわけではない
西側は大陸とも近く交易にも適しているのになのだ。
尾白利加字国領の歴史から見える明治政府の北海道政策と何かしらの関連があるのではないかと思い始めているが
日本を世界規模で見た場合は日本の日本海側の対岸交易は自国の安定には繋がならいと思ってる国はあるだろう。
現在の韓国との混乱状態はそう思ってる人達に日本人も韓国人もまんまと乗せられているだけなのかも知れない

275号線は札幌苗穂の屋根にライオンが乗っかってるパチンコ屋の傍を起点に浜頓別役場前を終点にするが北海道を結構走った俺は北海道でもとても面白いコースと思って275に引き寄せられる様に始発から終点までバイクと車で3年ほど掛けて隅々まで見て歩いた。
275は歩けば歩くほど面白いコースなのだがそれは月形役場の誰かわからんが
その人のたった一言から始まった。 

月形集冶監を斜に見る。

北海道は縄文文化に似たアイヌ文化と弥生文化がつい最近までブツかった場所でもあり
500年前に突如として消え去ったオホーツク人文化などもある。
新しい文化と古い文化を今でも生きた状態で見る事が出来るとても面白い場所でもあるのだが
点と点を結び探す旅に出るにも残念な事に車を乗っていい時まで時間が無いのだ。

等価交換

早めの盆休み2日間が終わった。
お盆中は部品は入って来ないので故障してもどうしょうもないので気楽に過ごす
その間は懐かしい人達が来て只々気楽にクッチャベッテ過ごすのだがこれも商いのうちなのだ。

春に暑寒岳を元箸別パイロット牧場側から見るこの裏側が尾白利加字国領

何かしらの銭を稼ぐ人は勤め人も含めてほとんどが商売人(あきんど)と思って間違えない
商いは多少の大小はあっても等価交換が原則で
給料は自分の時間か技術を売る事によって貰えるが
器用な人は不器用な人より給料はよく 力持ちは力の無い人よりは給料は沢山貰う
その為に普段から勉強をしメシを沢山食って身体も頭も鍛えるそれは自分えの投資になる。
投資してやった仕事に見合った銭を等価交換で貰う事は商いと同じ事になる。
もし同じ仕事をしてそれに見合った銭が貰えないと言う事であればそれはもう商売人ではない
その会社は人を家畜犬畜生並み扱いの会社と言う事になる。

そこから自分の売った時間と野菜や魚と交換する。
その時に交換した物が自分の時間を売った価値と見合ってるかどうかが重要でこれが等価交換になっていない場合はボッタクリであり詐欺である。
1代目や2代目は凌いでも3代目でアウトになるのは世の常だが
自分になんの投資もせずにボロ儲けをした場合は早晩にブッ潰れるのが商人の道なのだ。
現在においては等価交換が大きく崩れて資本主義の限界を迎えつつある。

内地の奥地も結構見て来た気はするのだが国領に行ってその厳しさを見てから2日間の休みは北竜や雨竜界隈を徘徊していたが 
点と線がくっついたり離れたりとすっかり頭の中が混乱している。

1点は野菜も果物も豊富な増毛に魚と交換にわざわざ熊も出る 道も獣道しかなかった様な山越えをして増毛に出て来る事
実際に登った経験や航空写真から判断するにはどう考えても昭和初期にもっとも可能性のあったコースは国領から北に小さな川が航空写真で見える それを遡り6キロほどゆくと恵岱別川に取り付く事が出来るが地層からして200パーセント勾配に近い崖だと思われる。
崖の部分を抜いて薮道は時速2キロとしておよそ3時間は掛かるそこから恵岱別から道があった御料を下り舎熊浜まで18キロ早歩き時速6キロで3時間 休憩を挟んだら国領から片道1日は掛かる。
作物の豊富な増毛に空の狭い国領の作物と労力も含めた何を持って来たら
魚か米か知らんが等価交換が出来たのか
米ならば雨竜に下るのが早いと思うのだが当時の尾白利加川は夏場は人を寄せ付けなかったと言うが
不思議で仕方ないのである。

当時は尾白利加字国領と言うのが一般的な地名だった冬期間は熊猟や出稼ぎで凌いだらしいが
熊などは増毛にも沢山いて熊の胃や毛皮で満足のいく量の魚と交換が出来たのか疑問なのだ。
魚は当然持ち帰る重量からして干し魚と思われるが それとも米だったのだろうか
どちらにせ往復2日間掛かったと思われる労力プラス品物と米か魚わからんが等価交換が出来たとは思えないのだ。
わずか数十年前の事だが何か大切な現代人の忘れてしまった何かがなければ商いは成立しないと思うのだ。

お盆が終わったら常を超えた50分も掛からん雨竜の町に商いの原点を探しに行ってみようと思う。

字国領


複動シリンダーの場合は押し出すと共に反対側はオイルを吸い取るのでシャフトを折るなどと言う事以外は突然大変な事になる事はあまりなくそんなに大騒ぎをする事でもない
ただ海の場合は電食の問題が起きるのでシールホルダーを分解して確認する。部品を午前中に発注してほぼ作業は峠を越えた。

俺は一度だけNHKニュースの元になった事がある。
その時にキャスターと言う人達はなんと浅墓な知識と見識でモノをしゃっべてるのかと思った。
当然抗議はしたがまったく無視、カエルの面にションベンだった。
結果はひと月後に俺が言った事が正しかった事が証明されたがスミマセンもなければドウ~モも無い 証明されなければ刑法犯になる寸前だったのに もっと悪いのは画面で訂正も無い
それでもNHKを毎度見てるので別にNHKをブツ壊そうとは思わん
日曜朝は必ず、さわやか日本ナンチャラを見て川や湖が出ると見るが鳥などはまったく興味が無いので見ないテレビを切ってややたって再度見ると
テレビから国領から増毛に野菜と魚を交換しに来たと声が聞えた。
え~え~小学6年で暑寒岳頂上を一升瓶に水を入れて浜田潔と登った俺は一体どうやって国領から山越えして来たのかと思った。
仕事が月曜日午前中で目鼻が付いた俺はもういてもたっても居られない車に水を積んで行ける処まで行ってみる事にした。
多分このコースではないかと稲田線をゆく

このカーブの途中に

南に曲がる道がある途中でゲートがありそこから先には車ではゆけないが三段の滝がある。
ここもかなり険しい道だがもっとも可能性のある道なのだが、、、、、 それも今の話

竜西から見るこの山々の向こうが国領


逆を見る 今は工事を中途半端にして放置された立派な道路が留萌側にある。途中に100メーターほどの崖を歩いて降り3キロほど歩くと立派な道路に出て幌糠経由で留萌にゆく事が出来る。

次にもっとも国領に近いコースは桂橋を渡るコース 別のコースもあるがそこはかなり危険

およそ6キロの山越えして元川上小中学校に出る。

尾白利加ダム湖 ここでふっと気付く尾白利加から離農して今は他の町に住んでいる人を知ってるがここからもっと先は上尾白利加と呼ぶ重大な事に気付いた。
ここから先は以前は通行止めで行けなかったが今日は通れるので初めてドンドンゆく
ここから国領までおよそ12キロある。

この地層は反対側の稲田線にも似た地層を見る事が出来るので一つの山だと勝手に思う。
見るからに魚はいない川


国領小中学校跡 道は処どころ舗装になって立派だが
ここまで来るには砂利道で車は一台しか通れないので対向車に注意が必要
それがまった車が沢山来るのだ。

対向車の原因 オットコドッコイと言う施設が表れ初めて見る 山小屋の南暑寒荘 増毛からここまでカーナビでは一時間で着くと出たが64キロ2時間半掛かった。

南暑寒荘から増毛側を見る。

ここから野菜か何かを背負って暑寒頂上経由で山越えしたとは考えられない
やはり国領から北に三段の滝を経由して昭和初期には住民が居たと言う恵岱別に出たと思う。それでも山越えがどれほど危険な事かは何度か登った俺にはわかる。


字国領のクルミ

増毛は気候も温暖で野菜も果物も豊富に取れる その増毛に野菜か何かを背負って魚と交換に来る。
その一点を思うだけで、、、、、、
どう考えても夏は道は無かったと思う 山越えの時期は雪が固まる4月から5月頃だと思うがロクな防寒着も無い昔に一体何が危険な山越えをさせたのか 
子供にカルシウムを食わせたかったのか
すがる国領の民を迎えた増毛の民はどんな出迎えをしてどうして送ったのか
父ちゃんはあの常を超えたろうか いつ帰って来るのかと待つ家族がこの国領に居たのだ。
昭和47年頃まで集落はあったらしい 完 

鬼瓦三蔵恨

今週は三日休みを取ろうと思ったが 
昨日日曜日夕方 鬼瓦三蔵みたいな顔したオヤジからラーメン営業中に電話が入った。
ただ事でない怒りよう なのだが。
船は帰港して地に足が付いてるのでラーメン店が閉まってから行こうかと思ったが
かなり怒ってるのですぐに行った。
油圧ラットからオイルが漏れていて鬼瓦三蔵はかなり怒っている。
高圧の掛かる油圧シリンダーからオイルが漏っているが機械はやがて壊れる物なのだ。
怒り声は聞こえない振りをしながら
お~お~エライコッチャ~とシリンダーを見つめるが部品がなければどうしょうもね~べ~と
怒鳴りまくろうが全然ヘッチャラなのだ。
休み予定は吹っ飛んだ。

鬼瓦三蔵とは崖下村に来る前からの付合いで 
出は聞くだけで怖ろしい遠賀川の川筋を遡りやがて山を二山三山ほど越えた所の出で
稼業はバリバリの土建屋で流れ流れて北海道の旧産炭地に定住した。
一旦怒ると手が付けられない結構な御歳のプッツンオヤジなのでいまは一緒に船に乗る人もあまりにも怒るので一人去り二人去りとしていってる。
だが鬼瓦三蔵とはそこそこの永い付合いで楽しい思い出が沢山ある。

以前の鬼瓦三蔵には冬期間に全国の飯場生活を一緒に渡り歩く心許せる友人達が一個分隊ほど居た。
ドイツもこいつも一癖も二癖もあり個性的な人達で楽しい酒飲み連中だった。
が残念な事に皆早くにクタバッテ鬼瓦三蔵一人残されてしまったのだ。
今の鬼瓦三蔵が夕日を背負って帰港する時にその目に胸に去来するものを思う時
過ぎ去った時間を知るのだ。

出稼ぎ先から無事戻った挨拶にと一個分隊がクラウンのトランク一杯に詰まった京丹後篠山の竹の子を全部降ろせ お土産だと言う。
またある時はハネのメロンだと言ってトランク一杯に積んで来る。
素直に喜びを表現出来ない照れを乱暴な言動で誤魔化そうとする根は本当は優しい人達だったのだ。

鬼瓦三蔵を思う時に恨を思う
相手をすべて自分の尺度で見る事しか出来ない事は自分の器量のなさなのだと

最近は一人の人と話をせんでもじっくりと酒を呑んでみたいと思うようになった。

お手紙頂戴しました。

今日からまたラーメンの仕込みに入る。
今年はすべてと言っていいほど自分で仕込みをやっている 
ラーメン作りは修理と違い部品がきっかりハマると言う事は無く八万ロックに近い組み合わせがありそれがまた面白いのだ。

田村亮は自分一人で老人施設を訪ねて振込詐欺防止を訴えた芸をやりたいと言ったらしい
この子は静かに見守っておいたら大きく育ってゆくだろうと思った。
反社会で稼いだ銭を受取ったとか嘘付いたとかと叩かれているが叩く方もそんなに言えるのかと思う。

反社会と言ってもヤクザなどは足を洗っても その後5年間はアパートも借りられない、
貯金口座も作る事は出来ない、子供の給食費も自動引き落しが出来ない、ゴルフも出来ない、風呂にも入れない、麻雀などもっともダメ 
唯一出来るのは釣りくらい 
それでは足を洗っても生きては行けない結果は闇に潜らせる事になってゆく
正業に就いてもたった数千円を受け取っただけ詐欺罪で逮捕されたのはつい最近の話なのだ。
ほんとうに生きる権利さえ奪うそんな条例をいつまでも放置していていいのか
立法府の丸山穂高は田村亮の何十倍もの税金をこれかも受取り続けるし国民を危険な道に引き摺り込む恐れは充分あるのだ。
頭のいい人達の集まる官僚の氷山の一角でない事を願うしかないのか


メール全盛のいま結構なお話を封書で頂いたが相手は文章を書くのがお仕事なので手間はたいして掛からんと思うが俺は兎にも角にも字が下手で字を書く事が出来ない
さらに何度も書き直すので一旦ワードで書いてから自筆に直すと言う大変な時間を掛かる事をするので返信は数か月後などはざらにある。
そんな訳で自筆のお返事は少々後になります。

切手もレターパックもここに来る配達員から沢山買っているが 以前から末端の郵便配達員もノルマはきついと言うのは知っていた。
数キロ先まで家も無い場所でも82円で配達する事は国営でなければ出来ない仕事なのだ。
その仕事に世間の見回りや保険や年寄の安否確認などと付加価値を付けてそこそこに稼げばいいやと言う事が出来なかった。
そのありとあらゆる無駄は排除すると言う根性が線路の廃止に繋がり
寛容の気持ちも失っていったのだ
自然界では一見無駄と思えるモノの中にも実はそうではなかったと言うモノは沢山あるのだ。

戦国時代の郵便配達員は相手先の武将に届けると同時に口封じにブチコロされてしまう事もあったのだ。
ま~それを考えるとまだマシかと思って今日も頑張ろう~

バカはクタバッテも直らない


水槽の浄化にその辺にある水に強そうな草を入れているが この草は凄い勢いで伸びて4メーターもある天井に届いている。
魚も快適そうに泳いでいるぞ うんうんと毎日眺めていたら移住して来たHさんが何の草か調べてみると言って枝を持って行ってくれた。
今年は水槽の構造を変えたのでさほどではないが例年なら外が見えないほど様々な野草がおがる。
新任の駐在さんが来るとご禁制の野草ではないかと尋ねて来るのだが
率直に近くに来たので寄りましたと言うのからアッタラコッタラとよくわからん事を言う駐在さんも居たりしたのだが・・・・・・

Hさんが枝を持ち帰ってまもなくしてからメールが来たなんてコッタこの野草は日本三大毒草だったのだ。
昨年から水槽に植えたのだがこの二年間誰もこれが日本三大毒草とは気付かなかった。
魚が気持ちよく泳いでいたと思ったのは上流域に遡上止めがあり遡上出来ないから仕方ないから居たのかも知れんと思い3連全部の遡上止めを外し水槽の水位を同じくしたらほとんどの魚は上流域に移動して・・・・・

4匹いるナマズとかなりいるカワカジカに一晩で食われてシマッタ
特に繁殖を目指していた夜光るタナゴと珍しいヤチウグイも全滅 やっと繁殖に成功したヌマチチブも数匹を残すのみで残ったのはウグイのみ
ナマズもカワカジカも腹はパンパンにナンテコッタ
最初は野草も図鑑などを買って調べていたのだが花を付けない なんの華もない野草と言うより
雑草は図鑑で調べる事はかなり難しく途中で諦めてしまった。
魚によかれてとこの雑草を水槽に植えたのに
今年は雨が極端に少ないせいか4年以上飼ったカワガレイ10匹も全滅で落ち込んでいたのに
よかれて思ってやった事が知識の無さと自分の住む処は自分で決めろと遡上止め水門を開けてしまうと言う浅墓さで
自分のバカさ加減にムッタシきた。
バカはクタバッテも直らない

森の人

画題も画材も365日24時間目にする自分の稼業の身近で調達した神田日勝には圧倒されるものがあった。
ふっと日勝峠は神田日勝から取ったのか日勝は実名なのかとも思ったが
人は落ち着く場所にゆくべきしてゆくのかも知れん
川の石に似ている。

なつそらは本当は神田日勝を描きたかったのではないかと
だがあまりにも短い人生で半年ドラマには向かなかったのかと思うのだが
あと二カ月どうなってゆくのかと思うとなつのゆくえに興味が薄れてしまった。
終ってから見るべきだったかもと思ったがま~いいや~
自画像は年代とともに変化をして昭和36年頃の自画像は森の人と言われたオランウータンに似てると思った。
顔つきも漁師には見る事はあまりない藤山や幌糠によく居る農家の人の顔つきなのだ。

ほんとうに容量があるかどうかわからん500WインバーターにソーラーコントローラーにサブバッテリーMF27充電切替スイッチ 一酸化警報機など
後ろのガラスもエンジン整備用のパネルも外して下に足を突っ込んで寝る 
後方に出入りは外した窓ガラスからする もう少ししたらこのパネルを切ってしまおうと思うが新車を切ると言う事が何かまだ決断が出来ない。
古ければいいんかとも思うがどうもそうでもない歳食って少し慎重になってる
毎日が銭が無いからあれやこれやと考えて面白いのだ。
まったく誰も考える事は大した変らんカラー効果なのか軽トラキャンピングカーを見かける事が多くなった。

8月はお盆休みを先取りして月初めは今度こそゆっくり道東にいくぞ~
燃料代込で一日5000円をしっかり稼がんといかん

画家である 農家である


我儘な性格上 一度こうと思ったら何がなんでもせんといかん
火曜日23日 夜中に38号線を東にゆくドンドンゆく南富良野道の駅で寝て朝さらに東にゆく
水曜日24日夕方には何がなんでも戻らんならん
南富良野道の駅で寝ていたら朝に滋賀県から来たと言うオヤジが箱をどうやって止めてるかとか 足はどうやって延ばすのかとか ソーラー発電は何ワットかとか質問攻めにあった。

俺はうん~うん~よく聞いてくれたと窓枠をブチ抜いたスーパーキャリーがドッタラコッタラと説明に次ぐ説明~


24日早朝到着 
久し振りに水の出ている噴水を見る。
何処の自治体に行っても施設は作ったが稼働していない施設は結構あるがここの噴水は水が出ているなんかみように感動するな~
水の無いプールや生徒がいない新築の学校などなど
稼働してない施設を見ると貧乏人の俺にはあの銭があったならとつい思ってしまう。
俺は「 修理工である 貧乏人である 」


開館時間10時まで時間があったので隣に併設してる 
タダで見れる公民館を見学
白蛇姫舞などがあった。
それにしても市でもない道でもない町の施設だが何から何までスゲ~スゲ~のだ。


北海道河東郡鹿追町笹川・・・・・ 神田日勝の生活していた場所に到達
少し前まで日勝の家があって人が居たらしい

なんと言う事だ この景色以前に見た事があるような
物標がない平原は夏見る分にはいいが真冬は恐いのだ その恐怖感が景色を覚えていた。
一キロほど先に村瀬ファームさんがあるはず

朝のなつそらドラマが終わってから見に来た方が良かった思うほど
夕方には戻らんならんのに神田日勝がここで生活をしながらベニヤ板に書いた絵はあまりにも凄く永い時間何度も何度も見てしまった。

ドラマはドラマ作り物なのだと思った。
雪次郎~演劇など男のする仕事でね~べ~ 止めて十勝に戻って菓子作れと思った。

シャチョウさんは冗談でした。

毎日毎日 りょう~りょう~と五月蠅い
中には取り返しの出来ないものもあるが人間誰でも間違えはある
反省後どうして過ごすかでその人が大きく変化も成長も出来ると思うのだが
二人の謝罪会見を見てこの二人は大きくなれると思った。
二人とも土方やるなり道路に立って交通整理の旗振りさんをやるなりラーメン屋のドンぶり洗いをするなりして稼いだ中から僅かでも何処かに寄付をし泥水をすする。
底辺の仕事を自分で決めた謹慎期間やってそこで経験した事をこれからの芸に生かしていった時に人としても大きく成長すると思った。
贖罪の気持ちを心から持った時にはその自分で決めた謹慎期間は永遠に続き心は成長を続けると思うのだが

吉本興業社長は親分にはなれない
「 冗談でした 」そんな冗談を言う時期でも無いし聞いて笑ったら許されるのか
この人は自分の身を守る事に終始している醜いオヤジにしか見えない
一度突き放したのだ。
自分はワル者になって解雇はしません反省するまで下足番の最低賃金で働かせますと陰から見守るのが親分の残された道ではなかったのか
吉本はこんな器の小さい者でもシャチョウさんをやれるのかと驚いた。
根源には大きな株式会社は株主配当と株価を優先するばかりに会社は社員が働いて成立つ事を他所に置いてしまい
無駄と思えるものは切り捨て利益を優先する。 
現在の株価優先主義が偽装を生み株主の顔色を見る事に長けた者がシャチョウさんになる。

保身に走るシャッチョウさんによって
可哀想に若い二人は半端にされ贖罪の道も中途半端に絶たれた。

奴隷

選挙投票率が50パーセントを切った。
その時にふっと川崎人工島を思い出した。
1990年代に最終便で羽田に降りて翌日北海道に最終便で戻るを数か月の間に何度かやった。
着陸態勢に入った飛行機の中から下に見える羽田沖にぽっかりと浮かぶ工事中の海ほたる川崎人工島 
鋼管ジャケットを埋めていく工法だったと思うが
鋼管ジャケット工法は一時も休まずに昼夜を問わず行われる工事は過酷で数年でアパートを一軒持てるほどの賃金が入るほど身体に過酷なのだ。
東京湾に煌々と見える工事現場を空から見た時に
働く者と働かせる者が居る事を知った東名トンネル工事飯場生活を思い出していた。

1990年代に予兆は与えられていたのにそれを掴み生かす事が出来なかった。
その数か月は人生の中でも最悪の出来事が起きて心もボロボロで結果も散々な結果だったが
その最悪の時期に学んだ事は
ただ与えられたチャンスだけでは駄目なのだ
チャンスは自分で果敢に掴みに掛かって行かなくてはいけないと言う事だったのだ。
掴みに掛かっていってこそ与えられたチャンスを見落とす事もなく有難く頂戴する事も出来るのだと

選挙は制度はどうであれ与えられたチャンスなのだ それを棄権する事は自分の人生を捨てたに等しい
その行為はピラミッドの石を運ぶ奴隷と同じで現状に逆らいさいしなければ命とメシがあたる奴隷とたいした変らんと思うのだが