奴隷

選挙投票率が50パーセントを切った。
その時にふっと川崎人工島を思い出した。
1990年代に最終便で羽田に降りて翌日北海道に最終便で戻るを数か月の間に何度かやった。
着陸態勢に入った飛行機の中から下に見える羽田沖にぽっかりと浮かぶ工事中の海ほたる川崎人工島 
鋼管ジャケットを埋めていく工法だったと思うが
鋼管ジャケット工法は一時も休まずに昼夜を問わず行われる工事は過酷で数年でアパートを一軒持てるほどの賃金が入るほど身体に過酷なのだ。
東京湾に煌々と見える工事現場を空から見た時に
働く者と働かせる者が居る事を知った東名トンネル工事飯場生活を思い出していた。

1990年代に予兆は与えられていたのにそれを掴み生かす事が出来なかった。
その数か月は人生の中でも最悪の出来事が起きて心もボロボロで結果も散々な結果だったが
その最悪の時期に学んだ事は
ただ与えられたチャンスだけでは駄目なのだ
チャンスは自分で果敢に掴みに掛かって行かなくてはいけないと言う事だったのだ。
掴みに掛かっていってこそ与えられたチャンスを見落とす事もなく有難く頂戴する事も出来るのだと

選挙は制度はどうであれ与えられたチャンスなのだ それを棄権する事は自分の人生を捨てたに等しい
その行為はピラミッドの石を運ぶ奴隷と同じで現状に逆らいさいしなければ命とメシがあたる奴隷とたいした変らんと思うのだが

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