京急線事故に思う。

一昨年からカーナビを使い軽で内地のあちこち走って思う事は抜け道を指示する為に 
もしこれがたまに乗る4トン車だったら曲がり切れないと思う道に誘導される事はいっかたある。

トラックやダンプ乗りに知合いが数人いるが
営業所から営業所を走る路線トラックなら毎日走る道は決まっているが
そうではない一車貸切のいわゆるチャーター便トラックなら その日その日で走る道は変ってゆく
そうするとカーナビに頼る事が多くなってしまうのではないかと思う。
過酷な貸切トラックは路線トラックから定年退職者が乗る事が多く
さらに運賃をトコトン値切られたトラックは有料道路を避けて走り大都市を横断する時は危険が一杯な中を走る。

冬に内地に出稼ぎに出た合材ダンプなどは毎日現場が替わり走る道も変わる。
その為に思った本数が走れずに借金丸めになり北海道に戻る事さえ出来なくなって客死してしまった者もいる。
根本は過酷なトラック乗りは60歳になったら2000万貯めてトラックから降りる様にしてやらなければならないし
早く高齢ドライバー用のトラック専用のカーナビが必要と思う。

運賃値切るな

門前仲町の大層高そうな神輿の寄贈者に告ぐ 宅急便トラック運転手にノルマを課すな 

普段から後ろにトラックが付いたならさっさと道を開けてやる事が
やれ送料無料だとか、やれ即日配達は便利だとか、言ってる者の気遣いではないのか
浜中の二車線の右側レーンを走る小型車の奴の気が知れんと思ったら
こないだ普通走行のパトカーも右車線を走っていた。
お前だ~お前~世も末だぜ~ 

喧嘩両成敗 1

暇と言うか何もする気が起きないので
恥かしながら自分の事を
若かりし頃は力ずくで結構あちこちに迷惑を掛けた。
あのあおり運転のオヤジの身体を動かさないで出すストレートパンチはかなり人を殴り慣れてるし訓練してるが
あんな時は参考までに電動なら窓ガラスを上げて手を挟むと手は離せなくなってしまう。
どうするかは貴方の見識で自分のその後と家族の人生とアホの人生も掛かっている。

俺が言うのもなんだが
大岡越前か誰が最初に言ったか知らんが
喧嘩両成敗は中世に出来たらしい発想で揉め事を起こす奴は一方だけを処罰する事は
その先 未来が危険な事をテレビの大岡越前は知っていて実行して来たのだ。
穂高だかア穂高だか知らんが北方領土発言と竹島発言に対して幹事長と言う責任ある立場の人間が一貫した返答がない事はおかしい
その態度が相手がそろそろ変えて行こうかな~と思う芽を摘み取って行く
ガキの喧嘩と思ってしまう一番の理由は このやられたらやり返すと言う。
マンモスを分け合った類人猿でさえ行っていなかったと思われるのに類人猿イカの現在の政治家を見るとそう思うのだ。
これは喧嘩両成敗で日韓共に責任者は切腹腹切ってしまえ他ご一統様は遠島島流し 
いま一度過去から学ぶ事も大事な事なのだと思うのだが


税金泥棒のア穂高の親の顔を見てみたいぜ

尾白利加字国領から増毛 修正

想像したコースと画像に誤りがあったので修正 

尾白利加字国領

この辺りからシュリ川を目指して北に山越え


修理沢 長右衛門開拓記念の松に出る 画面右に曲がると竜西


竜西 左に曲がると恵岱別ダム 真っ直ぐゆくと石油沢 幌糠チバべり方面 チバベリは走破済だが昔も今も歩きでなければいけない


石油沢チバベリにゆく途中で左に曲がり白い橋を渡る。


稲田線 仁奈良山道駅逓この辺りに出る。


御料小学校跡地 ここからさらにおよそ13~15キロほどで舎熊の浜に出る。
このコースが一番可能性があると思うのだが現在は途中、道は途切れていて道は無い
夏は熊の餌食覚悟でなければ走破は難しいが残雪残る4月頃なら可能かと思うが・・・・
それにしても・・・・・・・こんな話は北海道のいたる処にあるのだと思う。
まだ実際に歩いた人達が健在なうちに聞いておく事も大事かも
今回は様々な人に話を聴いた。
人様に聞くと言う事は聞く為の知識も必要になって自分に出来る事と出来ない事がわかって来ると思う。

続等価交換

31日に初めて見た時は小さなほんと小さかった子が交際相手を連れて来た。
関わりのあった人達十数人がアチコチの地方から集まってワイワイガヤガヤと楽しい一日を過ごした。
不思議な事にこの子は俺の事を留萌のオジサンと呼ぶ 終着駅の増毛に来て暫く立ってから知り合ったのに聞いてみたいような 何か聞けないようで訳を聞いた事はない
この子が最後でもう誰とも知り合う事は無いだろうと思う。

4日に少しだけ仕事をしたら予定表が空になってしばらく休みが続くが
何もしたい事がない 
毎年何がなんでも見に行っていたフクベ漁を見に行きたいと強く思う事もない
今年カレイが全滅して川も沼もたいした行ってみたいと思わなくなった。
国領も近い場所なので時間の合間に自分なりに徹底して調べた。
好物の花咲カニも31日に皆で15~16匹ほど食ってカキもウニもガッパリ食った。
もう何も食いたい物もやりたい事も行きたい処も無くなって
燃え尽き症候群で少し危ない状況なので深酒は止めようと思う。

「 恩人の消息 」を読み切った
 樺太からの引揚げ時に命を助けられた人との別れを読む
したたかに生きて戻る女の物語だと思った。
嫁さんに逃げられた後に愛犬トムと一緒に過ごした日々を思いだしたのか
読み終わった晩に18年飼った愛犬の夢を見た名はトム、姓はアイシェパカケン
アイヌ犬とシェパードとカラフト犬の雑種の大きな犬で綱を切って走って行って車に跳ねられた。
墓はいつも散歩に行った浜中海岸の丘に側溝トラフの蓋で作ったが
数年後に風車が立ち墓は無くなっていた。
逃げられた嫁さんはその後に銭のやたら掛かる小型犬にトムと名前を付て飼った。

戦争はどんな事あっても不思議ではないだろう 相手国には非道な事が有ったと攻めるなら
それは人間同士で自分の側にも同じ事が有ったと思うのは普通の事だと思う。
その検証は後世の為に苦しくともしっかりやっておく必要があったと思うが
口を拭った事が現在の世界の状況を生み出していると言っても過言ではないと思うが
それは生きて次世代に繋ぐ生身の人間の生きる為の本能なのかも知れないとこの本を読んで思った。 


今年も厳しく危険な冬の海に魚を獲りに数十マイル沖まで出てゆく桁漁が9月16日から始まる。
人生も魚もぜひ等価交換であって欲しいと思う。
等価交換は商人(あきんど)の生き様であり矜持ではないのか
それにして何も食いたい物がない なんとかせんと

度量

日韓の現在の状況は度量の無い人達によって引き起こされた。
度量は度胸の度であり器量の量なのだ。
一度上げてシマッた拳は相手も拳を上げるし下げる事は難しい 
ハッタリ状態の最初に一歩下がりある程度の間合いを取る事が必要で
命の喧嘩慣れしていない連中が一歩前に出てシマッタ事が事をドンドン大きくして
それ以降は自分の手を離れて勝手に一人歩きをしだしとんでもない方向にいく
今後当事者同士に出来る事はせいぜい 腹を召されるか当事者同士だけで巌流島で果し合いをするしかないが
それが事を大きくした当事者同士の責任の取り方の一つの方法になる。

根性は無いと思うが懐に飛び込む度量があるなら
一番の解決策は心底解決する気持ちを持ってトップ同士が面と向かって握手をする事に尽きる。
後はすっとぼけて何もしない そうする事で金魚のフンも愚衆も忖度して流れが変わる。

1961年6月3日にジョン・F・ケネディとニキータ・フルシチョフがウィーンでトップ会談をしている。
結果的には今日にも戦争が起きると恐怖に慄いた1962年10月の全面核戦争を寸での処で回避している。
逸話ではケネディがフルシチョフの部屋を尋ねた時 
フルシチョフはシャワーを浴びていて
部屋に入って来たケネディにバスタオルを取ってフルチンコになり私には何も隠す事は無いと言ったとある。
ロシア人はジョークが大好きでそのジョークは面白い

ロシアでは頭(かしら)になる人物は下から順番にフルチンコ、ノドチンコ、プーチンと鼻をかみ順番に頭(あたま)に近づく これは俺の創作ジョーク

ロシアンジョーク
 フルシチョフとブレジネフの相違はなんですか?
相違はない。ただ、ブレジネフはそのことに、まだ気づいていない。
これを現代の当事者同士に当てはめてみると・・・・・・・・


8月27日 D級地帯の著者から自筆の返信と注文した二冊と他に二冊を頂いてしまった。
それぞれ一冊は手元に置き一冊は読みたい人に貸し出そうと思う。

「 恩人の消息 」はまだ読み切っていないが著者は北海道開拓農家歴史の証人でありノンフイックションだからこその迫力がある。
8月4日に見たNHKの番組で不思議さを感じてから自分の肌で感じるものは結構正確なのかも知れんと思う出来事だった。


8月27日半ドン 雨竜蜂須賀農場跡地記念館 

恩義

今の世の中は便利過ぎて物凄くつまらない世の中なのだと思う。
自分の手で何かを一から掛かり完結させる事はほとんど出来ない世の中になった。
せいぜい出来る事は日干し煉瓦を作るくらいのもので 後は逢った事も無い見知らぬ人達が作った電気や工具が必要になり その人達の苦労の上に現代が成り立っている。
見知らぬ貴方は誰であろうが必要な人なのだ。
その目に見えないモノや人の繋がりで微妙なバランスを取りながら生きてる。
それを忘れた一面しか見れない高慢な人達が現在の混乱を作りだし行き付く先は弱い者から順に犠牲になる。

広島平和記念館

とことん腹を空かすと物の有難味が分かり人の有難味もわかる。
腹をすかした家族の為に尾白利加字国領から竜西に出て仁奈良山道を通り増毛御料を通り舎熊浜に出てニシンと交換したらしい
何を背負って来たかは箕に掛けた状態の脱穀前のソバではないかと言う説がある。
羆の巣の竜西までの急な薮道を背負える範囲のソバもせいぜい脱穀前の20キロ程度が限度だと思うが
20キロプラス3日分の労力との交換は等価交換にはならなかっただろうと思う。
もし満足のいく交換になったとしたらそれは情(じょう)と言う荷物が有ったのだろうと思う。
(なさけは掛けるもの じょうは湧き出るもの)

それは富める者の行ないで兄と言われる者の行ないなのだ。
困った奴がいたら手を差し出してやれ それは己の器を作ってゆく
恩は返すもので義理は果たすもの
恩義を忘れたらただの犬畜生になってしまう。


修正 修理沢 長右衛門開拓記念の松 左手が尾白利加字国領 右にゆくと竜西 

政治家は苦労がたらんな~

回りが真っ暗な夜道を走っていて正面からハイビームの車が走って来る。
相手がロービームにしないから
相手がせんうちには絶対に自分はロービームにはせんと
そうして両者は正面衝突ジエンドに

近所にも知合いにも顔突き合わせると喧嘩する連中はいる。
回りから見ると両者バカ 巻込まれたらバカ臭い他っておけとなる。 
そんな親を持った子供は可哀想そうと回りの国は呆れて見てると思うが
選挙で選び作ったのは国民
現在の日韓関係を言うならこんな感じかな!

プライドなど全く無いので俺ならテレビ映りのいい様に全身韓国製品で極めて会談にゆくがな~と思った。
パンツだけは日本製のフンドシで

ただ少し怖いなと思うと言うか おかしいと思うのは
どうも政府がネットを介し政権の為に愚衆を作ってるのではないかと思われるフシが・・・・・
もっと自分の眼と耳と足を活用せんと自分の人生が勿体ない


全休だ~ヤッホ~ホ~

D級地帯の舞台になった場所にある 喜楽橋と御料小学校跡地に立つ電波塔
行ける者しか学校に行けなかった環境で決して喜楽では無かったはずだが誰が付けたか喜楽橋
もし開拓農民が付けたとしたら少し嬉しい

信砂御料北側に立つ仁奈良山道駅逓の目印


雨竜図書館にあった仁奈良山道の本をめっけ~ 
雨竜町の人が暑寒岳周辺の道を詳しく調べて本にした 貸出禁止本


雨竜図書館前の食堂でソバ食った。

D級地帯は増毛図書館に返さないとないので読後感想文と一緒にコッソリ本代二冊分を入れて著者に送ったら著者から直接電話を頂いた。
こちらが携帯なので電話代が心配になるほど
本に出てきた人達のその後や色々教えて貰った。

「 話せて良かった十歳若返りました 」と

D級地帯を読んで

以前からの知合いの滝川の床屋さんが偶然北竜の出身だと知った。
お兄さんが今も健在で兄弟で遊びに来て呉れ段々尾白利加字国領から増毛のコースが分かり始めた 背負った荷が何だったかもうっすらと分かり始めた。


内容と作者の年齢から相当古い本と思ったが平成27年だった、作者の気力にビックリ脱帽
通常なら上下二巻に分かれる内容だが一冊で2500円 と気のせいか採算を無視したかの様な銭の掛かった本の作り 作者に聞いてみたいと思った。「 D級地帯 」をやっと読み切った。 
あまりにも身近過ぎて苦しかったが最後の数ページは開拓農家が国から見放された様に
飼馬の五月号は徳森家族から見放されてゆく
自分達にされた事を五月号にしなければない 
手綱を引き恵岱別山越えをした帰りの祐三の心境を思う時に居た堪れないものがあった。

以前から不思議だった内地はとんでもない僻地でも人が住んでいるのに北海道の僻地にはなぜ人が住んでいないかが少しわかった。
それは北海道開拓政策がありとんでもない奥地に公庫融資や開拓した土地は自分の物になると入植させて開拓は無理とわかった時点で援助を打ち切り融資は返済を迫る。 
今までの融資は返せとなった事で現金収入の見込みの無い奥地は見切って離農し土地も手放さなければ無くなった事が大きな理由だったのだ。
開拓入植地は後から入植するほど条件は悪くなるが強制ではないとは言え
農家経験の無い入植者は山の条件を見る事は出来なかったのだろう。
経験のある者は入植を最初から辞めて他の土地にゆき勤め人になるなど経験の無い者達が根性で行けると判断して入植した結果が梯子を外されてしまった。
それも順調に行ってる農家も地域丸ごと離農させられてしまう。
結果は沢一つ丸ごと無人の地域が出来てしまったのだ。
諦めない事も大事だが諦める事も大事な事なのだ その見極めを付ける事はやはり自分自身の経験と家族や回りの忠告を聞く耳と人間関係が大きいいのかも
この一冊は北海道民ならぜひ読んで貰いたいと思う。

祐三の兄 小学校も行っていない威男がオヤジ、生年月日って何ょと聞く


真田本城

内地は真田村のようにすべて自力で農繁期は農業をやり農閑期は隣村を襲いに戦をしにゆく
狭い村でも適当に次男坊や三男坊の間引きが行われ来た結果 本家筋が残って
長い年月を掛けて半農半漁やサムライ兼業農家が出来て来た結果 とんでもない奥地でも人が住む術を掴む事が出来たのだろうと思う。

信州幸法(さいほう)のオッコラショから

月夜野町のヨィヤショまで

あらためて内地と北海道は歴史は全然違い内地は民衆が長い時を重ねてアッチを削りコッチを足してと来た事がわかり
北海道は近代に国の政策で作られた土地なのだと言う事がよくわかる。
それに乗れた人と乗れなかった人の差は激しく その差は開拓地の地力を見る目に掛かっていたのかも知れないが
この増毛信砂御料開拓地の「 D級地帯 」や尾白利加字国領は資本主義とは商いとはと本当に考えさせられた。


遠くから自筆のお手紙と御菓子まで頂き有難うございます。
此方から連絡する技術がないのでここでお礼申し上げます。
色々教えて欲しい事が沢山ありましたが
またいつか、、、、、、

続等価交換

お盆は様々な事が一気に押し寄せる。

ある人から現金書留が送られて来た。
通常は中に幾ら入れたか確認のしようが無いので現金書留は危ないしトラブルの元にもなる。
その相手を信頼するにはたった一つの所作に掛けるしかない事も沢山あるし信じる事で相手も信じてくれる。
俺はお前を信じていないが お前は俺を信じろは無いのだ。

対等な五分の兄弟分と言ってもどちらかが五厘下がりにならなければいつまでたっても揉め事は収まらん
どっちが兄になりどっちが弟になるかは通常は兄は金を使い弟は気を使う。
日本と韓国の政治家もそれに提灯を付ける連中も腹をすかした事が無いのだと思う。


尾白利加字国領をもっと知りたいと思い始めてから実に様々人から色々な事を教えて貰った。
先週水曜日は雨竜の道の駅に車を停め歩いて雨竜市街地までゆきスナックテファニーで尾白利加字国領の話を聴きながら呑んで帰りはタクシーで道の駅に戻った 金額は840円でスーパーキャリーで朝まで爆睡


増毛の図書館に行って恵岱別で開拓農家をしたと言う 丸山靖生のD級地帯を借りて来たが三分の一ほど読んであまりにも身近過ぎて読むのが苦しくなった。
それでも四分の三ほど読んだが全部読んでからブログを書こうと思ったが
今日17歳から冬山造材の出稼ぎに出たと言う我路の春さんと開拓農家の話になった。
冬山造材は賃金は一日千円だったそうで そこから飯場代や諸々が引かれる
自分の賃金は稼いだ以下でも駄目だそうだが それ以上も要らないと言う。
等価交換の見本のような春さんは昭和40年頃まで出来た作物と品物を物物交換をしたそうで
丸山靖生さんが同じ信砂御料国境に居た事は知っていたそうだ。

人類は一体いつから昼メシ一食に1人250万も掛けて食うなどそんな事が平気で出来るようになったのだ。
メシにそんな事しか思いつかない テレビの話題にするなど哀れとしか言いようがない。

新説 尾白利加字国領

色々な事がうっすらと記憶にあるからなのかも知れないがなぜこんなに国領に引かれるのかと思う。

信砂我路は我路橋をお上が付けて呉れるまで周辺の家々など何処にゆくにも川に降りて川に入り渡りゆく為に自然と出来た道があり
それを我が路と呼んで我路となったそうだ。
我路で生まれた俺よりは遥かに山に詳しい春さんと国領から増毛山越えコースを検討したが春さんが言うには国領から恵岱別ではなく竜西に流れる小さな川沿いを下り竜西小学校があった場所に出て そこから留萌市幌糠側に向かいすぐ左に曲がり山越えをすると御料小学校あった処、今の携帯電話電波塔の付近に出るのが一番可能性があるのではないかと言う。
そうなると恵岱別周辺に7戸から9戸居たと言う人達との交流は無かったのかも知れない
それか恵岱別周辺の人達は増毛に来るより竜西が近かったので竜西で交流が有ったのかも知れない

竜西小中学校跡

増毛町は明治10年9月6日に黒田清隆によって天塩国増毛郡に弁天町や野塚町など七町が町名を許可をされている。現在は増毛郡増毛町野塚町何丁目と町が二つ重なる。
それは昭和36年に町制になった雨竜町よりは大正10年から昭和初期頃は増毛は遥かに栄えていたいう事なのだと思う。
戸の代わりにムシロを下げた住いなど困窮した国領の民はただ単に距離や山越えの困難さより商いのより可能性のある方向へ向かって来たのだろうと思う。
およそ3日行程の増毛山越えは背に何を背負って来たのか 帰り荷は満足のゆく商いだったのか帰りは生きて帰ったのか その姿はアイスマンに重なる。

北竜橋には忘れられない特別な思いがあるが橋梁の上にハエが一匹止まっても何も起こらないだろう。
では1000匹なら500000匹ならハエの糞でそこから錆びたりと何かが起きて影響があると思う。
北海道開拓はハエの一匹程度の足跡から始まってるのか知れんが
そう思う時にこの北海道は先人達の途轍もない苦労をした上に現在があるのだとしみじみ思うのだ。