D級地帯を読んで

以前からの知合いの滝川の床屋さんが偶然北竜の出身だと知った。
お兄さんが今も健在で兄弟で遊びに来て呉れ段々尾白利加字国領から増毛のコースが分かり始めた 背負った荷が何だったかもうっすらと分かり始めた。


内容と作者の年齢から相当古い本と思ったが平成27年だった、作者の気力にビックリ脱帽
通常なら上下二巻に分かれる内容だが一冊で2500円 と気のせいか採算を無視したかの様な銭の掛かった本の作り 作者に聞いてみたいと思った。「 D級地帯 」をやっと読み切った。 
あまりにも身近過ぎて苦しかったが最後の数ページは開拓農家が国から見放された様に
飼馬の五月号は徳森家族から見放されてゆく
自分達にされた事を五月号にしなければない 
手綱を引き恵岱別山越えをした帰りの祐三の心境を思う時に居た堪れないものがあった。

以前から不思議だった内地はとんでもない僻地でも人が住んでいるのに北海道の僻地にはなぜ人が住んでいないかが少しわかった。
それは北海道開拓政策がありとんでもない奥地に公庫融資や開拓した土地は自分の物になると入植させて開拓は無理とわかった時点で援助を打ち切り融資は返済を迫る。 
今までの融資は返せとなった事で現金収入の見込みの無い奥地は見切って離農し土地も手放さなければ無くなった事が大きな理由だったのだ。
開拓入植地は後から入植するほど条件は悪くなるが強制ではないとは言え
農家経験の無い入植者は山の条件を見る事は出来なかったのだろう。
経験のある者は入植を最初から辞めて他の土地にゆき勤め人になるなど経験の無い者達が根性で行けると判断して入植した結果が梯子を外されてしまった。
それも順調に行ってる農家も地域丸ごと離農させられてしまう。
結果は沢一つ丸ごと無人の地域が出来てしまったのだ。
諦めない事も大事だが諦める事も大事な事なのだ その見極めを付ける事はやはり自分自身の経験と家族や回りの忠告を聞く耳と人間関係が大きいいのかも
この一冊は北海道民ならぜひ読んで貰いたいと思う。

祐三の兄 小学校も行っていない威男がオヤジ、生年月日って何ょと聞く


真田本城

内地は真田村のようにすべて自力で農繁期は農業をやり農閑期は隣村を襲いに戦をしにゆく
狭い村でも適当に次男坊や三男坊の間引きが行われ来た結果 本家筋が残って
長い年月を掛けて半農半漁やサムライ兼業農家が出来て来た結果 とんでもない奥地でも人が住む術を掴む事が出来たのだろうと思う。

信州幸法(さいほう)のオッコラショから

月夜野町のヨィヤショまで

あらためて内地と北海道は歴史は全然違い内地は民衆が長い時を重ねてアッチを削りコッチを足してと来た事がわかり
北海道は近代に国の政策で作られた土地なのだと言う事がよくわかる。
それに乗れた人と乗れなかった人の差は激しく その差は開拓地の地力を見る目に掛かっていたのかも知れないが
この増毛信砂御料開拓地の「 D級地帯 」や尾白利加字国領は資本主義とは商いとはと本当に考えさせられた。


遠くから自筆のお手紙と御菓子まで頂き有難うございます。
此方から連絡する技術がないのでここでお礼申し上げます。
色々教えて欲しい事が沢山ありましたが
またいつか、、、、、、

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