らべんだあ 乗船


北海道では売られる事は無いフキノトウとウド新芽の天麩羅 春の味がする。

ちょっとビックリ

さらにビックリ ここ崖下村に住んでいたら少し歩くだけで殆どがタダで手に入る。


あゆ大500円 小380円 色々食いたいので小を食す うん 

内地では高級魚 ノドグロ 800円( 税別 )を初めて食す。
味は増毛では流通に乗らない魚を勿体ないと思ったしクソ寒いなかで漁をする桁や刺し網漁師さんの暮らしが楽になるのにと

夜は走らないので翌朝のフェリー出航に備えて出雲崎の道の駅で寝る事に6日間の滞在で2キロ太ってチャウチャウの顔に似てきてシマッタ

 
今回の旅の一番の感動 出雲崎の道の駅の自販機でガソリンより高い水をバッカくせい~な~と銭を入れるか躊躇しながら考えていた。
そこに写真の親子が
「 お父さん、お金入れたから好きなの飲んでいいょ 」と女の子の声 
振りかえると50代くらいのお父さんは普段辛抱してるのか高い自販機で買う事はないのかボタンを押すのに悩みに悩んでいた。
普通は会話としてはおかしい『 お父さん、なに飲む 』と先に聞いてから銭を入れるのではないかと思った。
そこで年上はほらとかなんとか言って千円札を財布から出すのが普通
ましてや年下が年上に使う言葉ではないし上下の厳しい怖い世界の人達ならケリを入れられる。
格上が格下におごって貰うなどは普段その何十倍も面倒を見てる場合だけが許されるのだ。

稼ぎも育てる銭に消えてしまったのか、たいした高そうでない車の父子はその後ずっと海を一緒に見ていた。
オヤジには娘の出す小銭が佐渡の小判に見えたと思う。
3月 娘は就職も決まり土地を離れるのだろうか 
そこまで育ってくれた精一杯の感謝が
「 お父さん、お金入れたから好きなの飲んでいいょ 」


25日昼に出航
人間悪い事は出来ない 一番安い部屋が空いてなく二人一組のベットで北海道に
隣の定年したばかりと思われるチョットオシャレな徒歩で乗船したオヤジが俺に
「 北海道にゆきますよね 」
とオイオイ出航してしまって今更何を聞いてるのだ、丘走るバスではないぞと思ったが心優しい俺は
「 北海道にゆきますよ~どこまでゆくのですか~ 」
その後がビックリ
「 フェリーは初めてで留萌にゆきます 」
「 え~え~留萌のどこですか~ 」
「 留萌市増毛町南暑寒町なのですが町が二つ続くのですが これで大丈夫でしょうか 」と
下船は北海道ではまだ雪が残り暗く寒い早朝4時
「 南小樽まで歩き列車で札幌に出て乗換て深川にゆきまた乗換て留萌で又乗換てバスと、、、、」
佐渡で生まれ育ち定年になり娘を訪ねてゆくと言う。
増毛はまだ留萌と合併してない事を伝え増毛は町が二つ続く事もあると説明した。
よりに寄って隣同士になるなんて人間悪い事は出来ないと思いましたマル
佐渡や新潟の風習や火焔土器など珍しくもなんもない事など沢山話を聞いて良い旅の締め括りになりました。


善人を絵に描いたような赤い靴のお父さんと記念写真 
旅は道連れと俺のゴミステーションと化した車で一緒に増毛に
増毛でこの赤い靴を履いたオヤジを見たら佐渡から来た お父さんです~
ひきりに名前を聞かれたが俺は相手に名前も職業も聞かない代わりに自分でも言う事は無い事を伝えて別れた。

    完

フラフラとアチコチ


燕三条では道の駅トイレの鏡は磨きステンレス 出来にビックリだが価格は幾らするのか気になって仕方なかった。
鏡はどうやって止めてるのか裏をつい見てしまい
ドアノブも凄く生活には困っていないがネジを外しポケットに入れそうなる。


獄門首切り墓 内地の田舎は歴史が長いからか家のすぐ傍に墓がやたらある。墓見る度にイチイチ親指隠していたら運転が危ないぞ 住んでる人はどう思ってるのか聞いてみたかった。


白樺湖標高1420メーターにある食堂でソバ食す 暑寒別岳は1492メーター キャブ式のバイクでは酸欠で登って来るのも苦労すると思う。林相が北海道と全然違う これは内地の人は北海道の山を勘違いすると思った。危ない

炭焼小屋の前を通り越

道幅ギリギリでガードレール無し 下は数十メーターありそう北海道なら冬期間当然通行止め 
がこの奥に人が住んで居る。

近代の宿場跡

長野は人など滅多に通らんだろうと思われる処でも憲法9条を守れと看板が長野県内至る所にある。
他の県と比べて長野は山岳地帯が多く生活も大変だろうと思う その生活の大変な中でも9条を守れと言うのは守る事が出来る事を証明してるような気がしてならない
俺が言うのもなんだが平和は大事だが守る手段は他所は他所、人様のものは奪わない、欲を掻かない、足るを知るに尽きるのではないかと思うのだが

和合小学校 下は崖で山を崩して作ったと思われるがここに現在も開校中の学校がある事が不思議
中は広いらしいが撮影の為に後ろに下がると急流の崖があり全体像を撮る事は出来ない
生徒も少ないのか静まりかえっているぞ~

どうやって資材を運んで学校を作ったのかと言うほどの場所
左端にあるのは俺の車だが道ギリギリに止めてありここに来るにはこの道しかない校門にはこの坂を登ってゆく開校中なので外観だけ

おりゃ~と信州新野千石平に恐そうなオヤジや

月夜に矢を放つ月夜野町の大将や

黄昏ている良寛さんのご幼少の姿や

田中角栄生家 ここ数年誰も来ないと隣の婆様が言っていた。写真撮るならアッチの方角がいいとかコッチもいいとか言っていた。場所を見て豊田佐吉の家とそっくり爺様は大工だったらしい事も同じ

百叩きの刑 数は結構いい加減だったと書いてある。うん、うん、

崖下村のMさんに長野近辺には富岡製糸場もあると言われたので富岡製糸場を見る。
 4年前に世界遺産に登録されたが現在は観光客が激減して何かないかと対策中らしい 現在進行中の復旧工事費は36億円
国が12億 県が12億 人口5万人の市が12億 世界遺産も財政が大変らしいもっと見に来て欲しいと言っていた。


別料金でヘルメットを被り工事中を見学できるがここまで来る観光客は数人だけ ものの裏側を見れるのに勿体ない
どうやってこの特大瓦を止めるのか柱の中も見れ説明も現場の本職がしてくれる。
どんな施設でも博物館でも通りすがりでも人として会話が詰将棋のようにやり込める事にならないように気を付けている。

続24日十日町市なんじゃこりゃ~

初めて見てあまりにも驚いたので写真は殆んど撮っていないがロビーにやたら大きい人では持つ事が出来ないほどの火焔土器のレプリカが展示されている。
火焔土器を縄文土器と一緒にするには無理があると思うのだが
北海道でも800年ほど前に突如として消えてしまったオホーツク文化があるように信濃川周辺だけが早くから渡来系弥生人による文化圏があったと考えるべきではないのか 弥生系の大きな特徴は集団を神と言うもので統率して来てそれは現在の神社などに表れている その祭典に使われたのが火焔土器ではないのか 
複雑な土器は実際の煮炊きには面倒臭いし破損の心配もある。
面白すぎるが旅も終盤になって見たのでそれ以上新潟県内の探索は行う事が出来なかった。
縄文時代が長く続いたのは小さな集団だった事と狩りが主な食糧調達方法で今日がダメなら明日が有るさとあまりクヨクヨしない大雑把な性格だったのが良かったのではないかと思うのだが
弥生になると天候や収穫物の横取りや種籾の管理などが必要で先の心配事が多かったと思われる。
心配事を与えられ心配が多ければ多いほど人は管理されやすくなる。

北海道では紀元1300年頃までと縄文時代が遅くまで残り 釧路北斗遺跡展示館にゆくと縄文時代でも続縄文から擦文と変ってゆくさまを見る事が出来る。
東北をかなりの年数を回って歩いたが秋田県北部から青森県などは人相が違う吉幾三や千昌夫風のガッシリ系が多く見られる。
稲作に適さない気候が弥生人の定着を阻んで来たのではないかと思うのだが稲作文化が育たない処は狩った獲物を塩蔵と言う方法で蓄える為に青森の塩分取り過ぎが現在まで続いていると思うと面白い


23日はある高齢トラックドライバーに逢いに三国峠を越えて太平洋側の一号線をひたすら走った。


新城から一号線 どこかに行ってくれと思ったが目の前をこのミニクーパーがかなりの時間一緒に走っていて
なぜ鳥は丸い物が嫌いなのか分かった
この丸いテールレンズの中にさらに丸がありレンズを見続けると何かしら意識が催眠術に掛かった様な変になる感じがする。
こういうタイプのテールレンズは作るべきではないし要注意だと思う。

トラックドライバーは車の中で何日も寝泊まりするなど拘束時間が多く普通の給料体系では成り立たない為に今でも出来高払いの個人事業主が多く独身者が多い
その年金は万度に貰っても月6万程度しかない者が多く さらに収入が不安定な事や事故などで未納者も多く老後の不安の為に高齢となってもトラックから降りる事が出来ない者が多い
もう充分生きて来た今度は ここ増毛で魚の網外しでも手伝いながら暮らせと誘いに行ったが酒を呑んでる時は一旦は決心したが 
翌朝になったらやはり生活の不安からトラックから降りる事は出来ないと言った。

日本の物流を支えた者達の末路をみた永久の別れにならない事を願うばかりだった。

24日十日町市なんじゃこりゃ~

何千年前の事なので素人がどう想像しようが勝手だと思うのだ。
縄文時代とは獲物を狩って木の実を取って共同体皆で分け合うか物々交換をするのが縄文時代だと思っている。
その為に共同体で何かをする事があっても誰かの労働や物に対価で払う事は無くお返しは自分の作業で返したと思う
弥生時代になって稲作が普及する事で種籾を貸したり与えたりし お返しは採れた作物に何がしかの上乗せをして返して貰う
これが資本主義の始まりの起源ではないのかと思っている。
それは各地の縄文土器を見ても生活に必要な物は使用する個人個人が作って来たので形も模様も誰でも作れるいたって単純な物が多い

十日町市博物館火焔土器 初めて見たが非常に驚いた。
これは明らかに作る事に慣れた者が作った物でおそらく専門に作る者が居たと思われる。
もしそうだとすると縄文時代の自分の物は自分で作ると言う事から外れ分業制の始まりで現在の資本主義の始まりになる。
ローマ時代でも紀元前800年程度だからさらに4000年ほど前に日本では分業制がある事になる。
この火焔土器は日本でも信濃川流域でしか見つかっていないそうだ。
だとするとこれを縄文土器と言う事は出来ないのではないか 
初期弥生かオホーツク文化と同じで似てはいるが非なるものと言うべきではないのか
朝鮮半島から渡来人が対馬海流に乗って来ると能登半島で渦を巻き新潟海岸や山形に多くが流れ着いたと考えてもおかしくはない それは現在の北朝鮮の木造船漂着が新潟方面が多い事もわかる。


十日町市博物館
一国が単一民族で成立ってるなど世界中ありえない事を十日町市博物館は物語っている。
縄文時代はおよそ1万五千年から1万六千年と続いたが資本主義の原型になる弥生時代は三千年程度でたった数パセントの人が過半数の人達の富と同じだけ持っている事で弥生時代はゆき詰まりをみせ始めている。
次はどんな時代が来るのかそれは過去から学ぶ事も大事な事なのだ。 

22日 長野あちこち

貴乃花 光司 45歳 たいした誰にも迷惑掛かる訳ではない業界だし勝ちさえせばいいと言う世界で生きると多少は変でも仕方ない 
まだ若いなと思ったのは「 ゼロからのスタート 」誰でもゼロからのスタートはありえない
親から貰った身体もあるし貴乃花と言う名も言ってみれば隠れ含み資産になる。
最低でも「 一からのスタート 」と気付く日が来る 
その時が負ける事も大事と気づき本物になるだろと期待して見てる。 


カーナビを無視して雪道をドンドン進む 内地の不思議さはどんな田舎でも誰かしら住んで居る北海道では考えられない 今回はそんな場所をこの目で見てみたいと奥地に奥地にと進むが早朝に誰もおらんべと言う場所で前からミニクーパーに乗った若いネエチャンやら軽に乗ったニイチャンがドンドン来る不思議で仕方ない

で着いた先がここだが!歩いてる爺様が言うのは
「 あれは本城ではない出城じゃ~ 」と他でもそう聞いたでも本城と書いてるではないか
下に真田と言う小さな村が見える 一体どうなってるのか
さらに真田の配下で優秀な者は全部連れて行ったので子孫は真田村にはいないらしい なんかよくわからん
真田記念館も見たが
誇りある地元民としては大河ドラマに譲れない何かがあり戸惑ってると感じた。
「 呉れるってもんは病気以外なんでも貰っておけ 」と真田昌幸は言ってないらしい
内地で暇そうな年寄を見つけては話を聞くのは楽しい 
あの山の向こうはロクデナシしか居ないと言うので先を聞いてるとナンチャラ氏郷に戦国時代に騙されたとか言うのは普通の話。

でまた次の目的地にカーナビを無視してドンドン奥に

中津川に抜ける振袖街道を目指し大平宿場を見にゆくが途中数軒の廃屋はあるが

倒木で断念する迂回路を探すが立て看板にここは携帯電話は繋がらず危険ですとあった。
さらに神戸市立御影工業高校が遭難したと書いてあったので長居は無用と戻る事に

この看板と運転手さんがあと何台と指で教えてくれるので待機所で待ちすれ違いがスムースにいった。
ダンプは道幅ギリギリで走る 
突然入山する一般車はガードレールは無しで落ちても誰も気付く事も無いだろう。

街に戻ってスーパーで朝ごはんに買ったのがこれ生姜の天ぷら 初めて食す美味い下は鳥から揚げ
もうすぐ大台を超える年代になって記憶に大問題が出始めてる。

20日 道の駅 あらい

岸波紋章ネーム店さんの店主に誘われるままに付いてゆくと主な家を説明してくれ雁木通りプラザに行って資料を沢山貰った。
出逢う人はその町を代表してるとつくづく思い知る 俺も気を付けようと思った。

戦前からある家で上に部屋があるそうだ、その部屋は大概は客間だそうでこの上に一晩で比重0,3程度の大量の雪が上がる事を考えると間柱の少ないこの構造では梁は相当頑丈な物なのだと思うのだが道路側の梁を見る事はどの家でも無かった。
何か大事な物は見えない処にと言う粋なのか
仕事の手を止めてしまった事に重々にお礼をいいその場を辞す。

殆んど車が通らない道を左右を伺いながら横断をしようとする子供

気が競って走行距離を書きとめなかったが内地を走ってる間にセンターラインを踏んで走る車や停止線を超えて止まる車は一台程度しか見ていない
北海道ではセンターラインを割って向かって来る車など普通にいるし停止線を超える車なども当たり前 
日本では法規に車は左側の左寄りを走れと書いてあり停止線の手前で止まれとも書いてある。
停止線で止まらないと言う事は止まる気は無いと言ってるのと同じ事で優先道路を走る車に喧嘩を売ってるのと同じで肌を晒し左寄りを走るバイクなどには一発や二発殴られても仕方ないと俺は考えてる。
今までは北海道は半年も白線を見る事がないのである程度仕方ないと思って来たが どうも北海道気質なのかと同じ雪国の新潟や長野を走って思った。
留萌浜中の二車線など夏でもパトカーも右寄り車線を走ってるのだょ。
バイクに乗っているので速度違反はしても白線を跨ぐ事と仕事で運転をしてる車の邪魔にならんように左寄りは特に気を付けているが新潟、長野、群馬では当たり前に守られてる。

内地では国道でさえ狭く車がすれ違うには気を使う道で白線を踏んでツラこいて日常走っていたらそりゃ~追い掛けらるかも
法律が良いだの悪いだの言っても何かあったら痛い思いをするのはバイク側で
16歳でバイクに乗る事は自分の命を守る習慣を付ける事になる
忙しい社会人になる前に免許を持ち公道を走らせる事は余裕を持って交通ルールを教えてゆけると思うのだが

新潟県妙高市 道の駅 あらい 寿司屋から海産物農産物と何でもアリの道の駅で一泊
太平洋側と違い車で暮らしてると思われるホームレス風は少なく年配の夫婦らしき旅行車中泊がやたら多いと思った。
俺は銭が無いので車中でお湯を沸かしカップ麺、ホームレスとほぼ同じ

20日上越高田

27日はテレビで日本の文化を見た 
「 すみません 」取りあえず謝っておけ 本音も明かさん前に進む為の検証もせん一族の我が身可愛さの保身あるのみか
最初はもしかしたらと思ったが相当の悪玉を演じる印象操作をし黒幕に貸しを作ったと見るのは勘繰り過ぎか
今後七代後まで検証が必要かも
サッチーが居なくなったらと思ったら平成後期三代悪女 総理夫人 谷岡学長 池坊議長 共通項は、、、、、なのだ。
金魚のフンに丸川珠代 肝心な事は「 関与はありませんでしたね 」と確定した誘導尋問で
後は「 関与は有りませんでしたか 」と聞くわかりやすい単細胞どっちかと言うとバカ
バカとハサミは、、、、、、
言い出したらとっと止まらん~ 


新潟港から右だの左だの機械に指図され着いた先がここ 公財 道の駅 燕三条地場産業振興センター
燕三条と言えばバフ掛けとハサミの街、飛んだ鉄粉がそこら中に飛んで道路まで赤いのかと思ったら 
融雪の為に地下水を汲み上げてる水が金気が多くて道路が赤くなるとの事
新潟はアチコチ融雪パイプがあり雪が全くなかった。

カーナビの指示通り走って来たがここはバフ掛け製品の即売がおもで実は見たかった施設は違っていた事を帰って来て違うと気付く
展示や見たかった物に少しガッカリし簡単に見て上越高田に出発 
一つとして同じ物を作らないのが芸術家 一つとして違う物を作らないのが数物職人 どっちが難しいかはハッキリ歯の字

上越高田雁木通り こんな感じが普通の町屋通りのアチコチにあり歩くには広すぎるが歩く事をお勧めすします。

写真を撮ってると丁度店主が戻って来て中も撮りなさいと言われた。

間口に税を掛けた為に幅が狭く奥行が異常にあり天井が兎に角高い古い城下町によくある作りで店主は5代目との事

ここに座って仕事をしながら行き交う子供や人達を5代に渡り見守っている。
気になると声を掛け写ってはいないが客用の座布団があり腰を掛けさせるそうだ。
東北などの雪国のながまれか、この差が北海道との差 
この後付いて来なさいと裏路地を通りさらに右に左にと曲がり何処かに

21日阿智村

「 お兄さんが封筒に入れてくれたサクラの花びらを見て日本を思い泣きました 」
「 にほんごをいつかあえるときまでこれからおぼえます 」
残留孤児が書いたガラスケースに入れられ展示された便箋に桜色の赤いインクでたどたどしい日本語で書かれた手紙を何人分も何通も読んだ。漢字は読む事が出来なかった。
博物館が大好きでアチコチを見続けた俺が展示されている資料で初めて泣いた。
最初に誰かが考えて始まった事が皆の名誉や欲を養分に育ちひとつの生き物となって一人歩きし進んでゆき
その結果が弱い者を最初に犠牲にしながら とんでもない事になってゆく
何かあった時には関東軍が必ず守るからと言った関東軍はすでに居なかった。
誰が最初に情報を掴み危険を察し最初にその場を去ったのか
その歴史の証明がここにはあった。
館内でビデオによって生きて帰った人達の肉声を聞く事が出来
小さな子まで巻き込んで集団自決した人達と生きて帰れた人達の違いはその開拓団の指導者の違いだと言う。
数々の歴史の資料をぜひ今の指導者達や多くの人に見て欲しい
そこそこの階級で満州から帰国した父親は壊れていて兄弟の中でも頭が弱く少しバカな俺に暴力を振るい続けた。
暴力は連鎖し癖になる対策は自分を知る事かも、決定打は無い少しづつ少しづつ地道に戻すしかないかも


21日 長野県下伊那郡阿智村満蒙開拓平和記念館
映画などになって著作権や肖像権があり館内は撮影禁止との事
ここを作った目的の為に、この映像情報時代ぜひ著作権や肖像権を放棄して欲しいと思った。
2016年11月 天皇、皇后両陛下がここに来ている。

20日新潟

苫東のフェリー乗り場でたった一人テレビを見ていた 危ない冬山で数人での作業をする時に訳も無く初対面の人に対して直感で
これは危ないと感じる時があり
実際に危ない目に何度もあって来た。

およそ生き物のなかでも、
か弱い人の類(たぐい)として300万年生き延びて来たのはご法度があり法があって
か弱い人類は生き延びて来ることができた。
その法は例え法を破った者にでさえ法に守られ生きる事が出来るが
どうも鼻からその法を守る気が無い人種がいる 
それは最初から狂ってる人で自分の法で介護施設などを襲った人達や
もう一方はテレビに写る時の指導者達 絵を描いた者は誰なのか分かっているのに
ツラこいて「 美しい日本を取り戻そうではありませんか皆さん! 」
などと、どこに美しさがあるのか、どの口が言うのかと旅立ち前においおい大丈夫かと思ってシマッタ
勘違いもここまで来ると危ないな
俺も危ない自覚しよう。

20日下船、新潟から下伊那郡阿智村に向けて欲張りコースに出発

19日苫小牧東港

この時期はほんと何かに付けて忙しい
 
汽車に乗る時はかあさんは言った「 上を見たらキリがない下を見て暮らしなさい 」と
その日食う米も無い今より下などある訳ないと思っていた俺にはその言葉はつい最近まで理解が出来なかった。
そこそこに永い人生でたった数百分の1の期間で起きた事がグッサリと刺さり今でも思い出したくもない
2月の湖西の現場である朝に会社が無くなった事を知る 伝手が有る者は伝手を頼り次々と去ってゆく
どこにもゆくあてが無い俺はその数日後に気付いた時には天王寺動物園公園の香具師の動作を漠然と見ていた。
それからの生活は人生の中でももっとも下で許す事が出来ないし忘れてしまうと思うのだが
実際にはその時期があったからこそ今の自分がいるのだ でも大した人生でもないがその時期の事はトゲなのだ。
最近かあさんが言った「 上を見たらキリがない下を見て暮らしなさい 」は今に感謝を忘れるなと言う事だと気付き始めた。
さ~明日は新潟だ~
そろそろ自分で恥くさい自分を許してあげようと思い始めてる。