謹賀新年

明けましておめどうございます。
最近楽しく適当に自立して暮らすにはどうしたらいいかと考えヒントは参考になる青い鳥は身近でないかと思い道内を回ってます。
まとまった休みが取れる、この休みと思ったが年賀状を書いていなかった、
速攻で書いてポストに入れてそのまま南に向かいました。
機械打ちすれば簡単なのですがやはりそれは一枚一枚に思いで深いものがありチョットと言う事で手書きしておりますが
御尊名書き洩れ等あるやと思いますがご無礼のだん年寄に免じて平にご容赦のほどを

今回は初めて走る西海岸回りで暮れからいって参りました。
あっち寄りこっち寄りして書こうかどうか悩んだが参考に
「 みなとまれ~ 」と言う道の駅でうっかり向こうを見ながら進んで間に掘割の船着き場を見落としあと少しで港に落ちそうになりビビった。
なぜと止まったかと言うと横に船がチラッと見えた 港の構造を少しは知ってる俺でも危ない
冬の北海道は夜は港に入っていけない事を痛感したので通りこし島牧の道の駅で一泊 
車の中で焼き肉して酒かっ食らいして年越し

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ここにはなんやら高そうな車やレジアスやハイエースが集結していて みんな高い車買ったばかりに掛け取りの追い込みから逃げて来たのかと思っていたら
明け方に頭にライトを付けて集まり始めなんやらコソコソ話が始まりスリーケーの儀式でも始まるんかいな!と思ったら何がなんだか一斉にどこかに行ってしまいました。

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暗がりでこの横にあった看板を読むには日本一高い所にある灯台「茂津多岬灯台」と書いてあった。
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それなら登って世界平和でも祈願しようとチャレンジしたが15パーセント勾配と書いてあったのと約18センチ(自分の掌の長さ参考)ほどの積雪で登れずに途中でそのままバック 帰りも同じコースを通る予定なので二日もたてばランクルかプラドの車高を無茶苦茶上げた誰かチャレンジして道でも付けて呉れるべと断念

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トンネルがやたら多いがこのトンネルが多いと言う事はその閉塞された地域なりのものが残ってる可能性が多く細かく見ると色々面白い
俺は誰とでも喧嘩するが代わりに誰とでも話が出来るのが特技。

瀬棚から229号線を右に曲がり海岸線を走る この線は本当に色々考えさせられる事が多かったが
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朝8時頃 途中で崖の下に大きな神社発見これは初詣をせんとイカンと思ったのが少々難ジャラカンジャラに
お賽銭100円を入れて頼み事を目一杯してる時に奥から爺様が数人出て来て俺の成りをみて
「 どこから来た 」
「 増毛から来ました 」
「 マシケ、、、、留萌か、、ニシン、、、、、 」
爺様達は酒が入ってるのか増毛は意外にもあまり知らてないようで話が続かん
「 ここは昔は大層賑わって家も50軒ほどあった 」と言う
「 古くは室町時代にドッタラコッタラ 」と
『 日本昔話し 』かと思ったが、ここの本殿はあそこにと指さした先が
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ここ

ツナギ作業服に安手のジャンバーの俺の頭の先から爪先まで見て爺様達が言うには
「 あ~あ~40分もあれば登れる 」と言うが冬で危なさそうなので却下

カッパの三太郎

佐川の配達人が荷物を投げた。

小学生の頃から始まった。
今の留萌中学の処に当時は留萌高校があった 当時は留萌高校しかなかった、その高校の右から山に入り今の緑ケ丘小学校と今の千望高校の間にあった山道を通り南町が見える丘まで真っ暗な山道を歩いた。
山道を越えると丘の下に南町が突然に現れる南町は人造石油の官舎だった所で裕福な人が多く電気が灯っていた。
歩きは毎日開運町から始まり配達は五十嵐町から千鳥町、南町と配達した。
給料が入った日は配達所の二軒隣にあったヤミ米屋から米を買って帰り母親の顔を見るのが楽しみだった。
俺はある日、下に明かりが灯る南町に向かって小脇に抱えた新聞の束を丘からバラ撒いた。
 
翌日 当時若く19歳位だった布施のオヤジは何も言わずに新聞を拾い集めて一緒に謝りながら新聞を配ってくれた、
その事は布施のオヤジから生涯一言もいわれる事は無かった。

冬の山超えは厳しくもあったが春はその埋め合わせをするかのように青い芽が芽吹き山には青笹が雪庇の下に見え始める。
もうそろそろ川の向うにある大二の山に冬焚く木を切りに行かなければないという時に新天地に向かって留萌駅から汽車に乗った。
街の電柱のスピーカーから裕次郎の赤いハンカチが流れていた。
 

ここにたまに交代で来る佐川のニイチャンが擦り切れ穴が開いたボロボロった靴を履いて来る。
「 お前宅急便は靴は基本だべ靴買え 」と言った。
「 嫁が子供生まれるんで、、、、、 」
聞かんばよかったと思ったが後の祭り
ナイキのナンチャラいう靴を箱にリボンを付けてやってシマッタ
腰からジャラジャラった鎖を付けた財布を持ち頭に皿を乗せたらカッパの三太郎風のニイチャンは一度だけ履いた。

吹雪だろうが大雨だろうが集荷にここから70キロ先の深川から来て、ここからまだ20キロ先の雄冬まで配達があるのに時間指定など出来る道理はない 
佐川は毎回毎回下車する度に前輪に車の輪留めをする、それを狭い車がすれ違う一般道で流れに背中を向けてする事がどれほど危険な事か考えなくともわかる。
やい! 重箱の隅をつつく会社や取締り官庁の上司と中枢でマネジメントしてる若造 自分で輪ッパを握って車転がしてみろ
サイドブレーキはなんの為にある日本では5パーセント勾配で止まれない車など走ってはいない
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門前仲町で登別を捨てたと言う女将の居酒屋で酔っぱらって歩いて帰る時に お寺だか神社に佐川が寄贈した神輿を見っけた大層な高い物らしい
受ける方も出す方もいまや宅急便なしで成り立つ会社など日本には一社も無い

年末黄昏てみました。

都落ちして再起して頑張ろうと言うのもわかるが 笑っちゃうが紀夫くん あ~た~どんな権限があって仲良し四人組にアッタラコッタラと言うの~
だいたいが女ばかり四人組の中に誰かの亭主が入るのはグループの乗っ取りと思われてもおかしくない 実在のファミリアを元にしてるらしいが脚本に荒っぽさがあるな

ファミリアの親であり近江商人の流れの潔くんは我々世代には懐かしいレナウン あのレナウン娘がワンサかワンサかアッタラコッタラ言う宣伝のレナウン 宣伝の重要性を見せつけた会社でもある 同じ類では化粧品のマンダムなども同じ手法を用いてる。
どちらも労働者にはどうでもいい様な商品である。
物を売る時はこのどうでもいいような商品はかなり儲かる。

時期は今は大出世した千葉県知事が髪に串を当てて『 オシャレじゃないよエチケット 』とかなんとか言っていた時代でイケイケドンドンで全体が盛り上がっていた時代だった。
皆が汗水流し真っ黒になって働いて週末になると工場で働いたニイチャン達がやっと動くようなバイクを持って集まったり「 う~んマンダム~ 」とかナントカ言ったりダーバンの服を着るとすぐ自分はアランドロンかチャールズ・ブロンソンになったような気にさせて呉れるような宣伝で宣伝方法にも夢があった。

男は強くあるべきで守るべきものを持ちその為には耐えると言う事を思わせた宣伝でもあった。


城達也
いつ乗ってくれるかわからん相手に送る広告にも夢があった。

このどうでもいいような有っても無くてもいいような品物を売るのは大好きで色々な物を売ったが悪い癖は勝とか負けに凄くこだわって兎に角、勝つ為には自分が気が済めば利益など度外視と言う手法を取る シェアートップになり勝てばそれでももう興味が無くなり他の物を探すと言う性格だった、
俺に貯蓄の二文字があったなら
今も充分楽しいが今頃もっと楽しい人生もあったものを
しかしなんであの時代に出来た事がいま出来ないのだ 強気を挫き弱気を助けるなどと言って拍手喝采の時代だったが今は強気を助け弱気を挫く いじめなど恥さらしで結局は似た者を排除するケダモノ以下でその事に鈍感になる事は強い者にとっては恥 
日本には恥を知るという文化があり恥かくくらいなら 相当にかなり痛い!と思うが腹をも掻っ捌くと言う伝統文化がある。

なぜなのだ本当にグローバル時代だからと言うのは本当なのか
なら鎖国をしてしまえ その時だけの嘘八百を並べる選挙ならやめて王政復古でもやったらと思うのだが営業マンも自社製品の改良に田舎の隅々まで行って状況を聞いたりして物作りに生かして来た 農家にはコメの取れた時一括払いなどが普通に行われて来たし 商売が立ち行かないで夜逃げする店には夜逃げの前の晩に「 今まで儲けせて貰いありがとう 」などと言って投げ銭したものだったのに 
儲かってる奴から取れる処は取り諦める処は見栄張って投げ銭だとどこかに線引きがあった。

いまの状態は誰かにダマされてる その手法は逃げようと思えば逃げれるのに逃げない 
越えられない一線を自分の中に作らせる収容所の手法に近いと思うのだが 
 

面白過ぎて分割特集

最近はどんな移動手段をするかを考えてる。
遠くは公共交通機関で近場の荷物を運ぶのはライガーワンワンが気に入っている
それで色々探してる時に読めないが「我爱发明」と「脱困力士」を見っけ~面白過ぎてハマッテしまった。

なに言ってるか全然わからんが土と共に生きる妹背牛の婆ちゃん思い出す。

羊羹掘り出す記と読むのだと思うが字を見るとなんとなくわかるのも面白い 中国では羊羹はいきなり土から出るのか? 差一点はもチョットと言う意味だと思うが?

以前、小関 智弘大森界隈職人往来を読んでその書いてある通り蒲田周辺を歩いた事がある。
人々を見る限りはたった30年~40年前の蒲田や六郷土手の景色ではないか 国は違っても人は何も変わらんなと思う 
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六郷土手にて 大企業は今一度原点に帰らないと先は無いと思うが

物を作る上で大事な事は芯を出す事で昔は芯だし屋が居たくらい難しい 発想はなんぼ良くても芯が出せなければアウトで それが動いてるのだから凄い 巨人になるのもわかる。
中国がここまで来るには日本の下町の工場で月3万程度で働いて技術を身体に覚え込ませて記憶させて持って帰ったのだ。
その延長線上に今があると思うので何国人でもやはり親切にするに越した事はない
いまや政治ほど民衆と乖離してる勘違いな醜い商売はないのかも知れん
手は地域事の意識の鎖国、独立しかないのかも知れん ダブルスタンダードちゅうやつ
成功するのは真っ先に沖縄かも近代の日本では唯一 住民が消耗戦で敵と戦う経験を持って土壇場になったら根性が違うと思うが

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好きだな~こういうの羽田周辺だったと思う。数日歩きに歩き結局は羽田まで歩いたが空港には歩きでは入れないので駅までまた戻った事を思い出した。

俺が言うのもなんだが根は同じ仲良くせんと 困難は時間が解決してくれる 
どうにもならん事は笑って誤魔化そう。

エライコッチャ~だべ

冬山は止めると決めてモービルは小さな一台を残し4台は処分した。
そんな中で山に登ってくれと言うのを断ったが代わりにゆく者も皆「 たいぎだ~ 」と言って誰もゆかない チームでする仕事は一人の失敗が全体の一番弱い者を奪ってゆく 見た目はネジ三本くらい抜けてそうだが、その恐さを知っている優しい連中なのだ、
気持ちだけでない冬山の恐さに対抗する器量、体力、知力と年食う恐さを知ってるからこそ誰もゆかない 
全道規模で探せば必ず居ると思うが予算と組む人との協調性の問題がありままならないで一月立つ 
組む相手を作る時に用心するのは普段声の大きい奴やたら元気な奴と組むと危ない
危ない場面では大概はロクでもない方向に声の大きさで引っ張ってゆく 
恐さを知らない 事の奥行を知らない奴は簡単明瞭で単純明快 
選挙の時の候補者かな

場所は言えんがモービルが滑落する場面を30年ほどの間に何十回と見ている。
山は永い間に雪が斜面を削りながら落ちてコースが出来て無人の場合は落ちる先が決まってる場合が多い だが人がしがみ付いてると人為的動作で思わぬ事故になったりする。
どうにもならん事は流れに任せるのも一考かも

そんな中でコイツは何があっても戻って来るだろうと言う風貌の海の男が居る。
仕事場の戸開けるなり
「 シャチョ~俺助かったデヤ~ 」と言う訳を聞くと落水したと言う。
浅かったが海の中歩く事数分で身体が固まり電話をするにも操作出来なくなったそうだ 見せてくれたのは防水スマホだった。
俺はスマホはどんな仕組みになってるのか知らんがスマホは海の中では操作は中々出来ないそうだ。
寒い海の中で身体が氷付く中でこうしてクタバッテゆくと思い始めた時に岸から服のままガッパガッパと歩いて来る二人に身体を引き摺られ陸に上げられ救急車で運ばれたそうだ。
服のまま歩いて来たのは別嬪の嫁と娘だった。
「 そりゃ~感謝感謝でしばらく借りて来た猫だな~ 」と言った。
俺にしたら香典を出すか これからも修理代を貰え続けるかの違いは大きいのだ。
俺にとってもエライコッチャ~だべ

一つ スマホは防水でも水中では使えないのかも知れん一回試してみる必要あり

二つ よく胴付を着てるのを見るが胴付は足から浮き上体が下になるので危険 必ず救命胴衣を着用この状態でジエンドになった例は多い

三つ 冬は汗を搔かない事 身体を濡らさない事

えらいこっちゃ~

エライコッチャ~いつも世話になってるブリキ屋さんから毎年貰うカレンダーを勤務先兼仕事場 逆から見たら寝グラのドアに貼ってビックリなんと今年はあと8日と16分しかない 
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右側は姿見  年賀状もまだ作っていない 俺の中の時間は一体どんな事になってるだ!
時間は皆に均等に過ぎると思ってるが俺はそうは思っていない 
なぜか
増毛に住んで札幌にゆく事が多いが途中はトンネルやカルバートがやたら多い15カ所以上あると思う。思うと言うのは工事で絶えず数が変わる。
カーラジオが壊れてもう何年にもなる途中でストーブ屋ケンチャンに貰ったがそれも壊れたのでどこか他が原因かも知れんが とにかく通算すると3年以上はカーラジオを聞いていない
その為に走行中に色々な事を考える。
強制的に聞かされる音がない車も中々いいのだ。

トンネルの中で俺に深い~恨みを持ってる奴が弾速の遅いピストルで進行方向反対車線側から撃ったとしたら 右運転席のガラスは割れるだろうが 左側はどこのガラスが割れるだろう。
弾はおそらく車の左側後部座席に近いガラスをブチ破るだろうキット
そして車が通り過ぎた時にトンネルの中では撃った反対側の真っ直ぐの壁に弾痕が残るだろうキット
だが車の中の弾道は右運転席から左後部座席に斜めに弾は走るだろうキット
そうすると車の中での弾の走った距離は各々の走るスピードで変わる事になるキット
弾の仕事量は
仕事量≧時間と考えると時間の量は質は個々の速度や過ごし方で変わる事にならないだろうかと
そんな事をトンネルを通る度に思うが
時間と質と距離の三角関数なんぼ考えてもわからん誰か難問を解いて欲しいと思う。

雄冬のナンチャラトンネル内の右壁に頭に四半を付けた白装束の太ったネエチャンが眠そうに半眼で立ってる~らしい~
トン、ネル 元ダンプ運転手の話チョットだけ脚色

御口直しに~

それにしても一年が早い 今年もいい事が沢山あった、チャッカリ花嫁の親族席で父親の代わりに座り記念写真にも納まってしまった。俺は花嫁の父親より若く見えるし スーツ姿はかなり恰好いい いつか100年後くらいにこの人誰~とひ孫に聞かれるかも知れない
 未来の誰かに誰だべ!と聞かれるなんと幸せな事か

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新潟出雲崎 泥棒は持てる分しかカッパらわないが火事は思い出以外全部持ってゆく
それでも思い出は残る。

ゆるさが世界を変えるかも

短腹な俺は真田丸を見るとストレスになるので後半は殆んど見なかった。
あの大蔵卿だとか淀君とかなんでここ一番に女が出張ってくるのょ、と思うと腹が立って仕方なかった。
よく考えると見なければ済む話なのでそれいらいプッツリと見ていない 力と力のぶつかり合いになると力それだけではない何かを持つ者は意外と強い 強い者だけが勝つとは限らん
最近ではベトナムしかりアフガンしかりでそこに大義があるかどうかだと思いたい。 

つい最近30年ほど前には農家に物を売る時は秋の収穫一括払いがあった。仕入れ先の問屋にも農家に売った分は秋に払えばよかった。
さらにバイクなど年に10台も売ればよくて問屋からは一泊の温泉招待などもあった。
それが今は15日後には支払をしなければない為に請求書など書いてる暇もない 手持ちの自己資金が無いと物を売る事も出来ない これが物販のみの小売店を存続させる事が難しくしてる大きな原因でもある。
ではすべて現金仕入れにしたらどうなるか それでは長期在庫をする物は在庫出来なくなり結局は縮小せざるをえない
それは買い物難民を生み、いつまでも車に頼らざるをえない状況を作って行った。
俺なんか性格が相当悪いので取り立てが厳しくなるのはチマチマた販売店に力を持たせないようにしてメーカーがリーダーシップを握りたいのと内部留保を使い本業以外の資金運用で稼ごうとしてると思っている。
調子こいてると痛い目に遭うのは常識 

対抗手段は地産地消で物々交換がかなり有効な手段になって来る。
一度買った物はとことん使うに限るその為にも良い物を選ぶ
かなりの除雪機を見て来たが一生に一台しか買えないと言うなら使い勝手は悪いが迷わずに石狩造機の除雪機を買う壊れるが何度でも修理が出来る。
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 北海道の場合は24時間は一日のサイクル 7日間は一週間のサイクル 30日は一月のサイクル 6カ月がほぼ一年のサイクルになる、あとはゆっくり休みましょうとなる その中でも前後の2か月は季節の変わり目で衣服や気持ちも道具も少しづつ形態を変えてゆかなければならない 
その変り目が物も動き仕事に使う物であれば収益を上げて戻って来る時期にもなる。
その間の金の流れをもっと余裕を持ったら世界は大きく変わる。
せっかちで短腹な俺が言うのもなんだが今世界中が集団ヒステリー状態になってる弱い女はすぐ首〆てみたりバッコンバッコン弾も打込んだり何もかもが急ぎ過ぎてる。
北海道に戻って来た時はなんとま~ゆっくりした土地と思ったが 
そのゆるさが世界を変えるかも

毎日何がなんだか忙しい

や~全く忙しい でもブログ依存症ではなかったのが救い
あっち走りコッチ走りと本当に忙しい でも夜中は相手のライトの光が目を通してと言うより少ない脳に刺さるように眩しく すれ違う一瞬何も見えなくなってしまう。この瞬間に誰かが道路に立って居たらと思うと恐いので夜は走らんようにして車にストーブを積んでいる。
だけど本当に目のせいだけなのだろうかやたら眩しい 異常に明るいワット数で自分だけ見えればいいと言うのは正面衝突されても仕方ないかも知れんぞ。
車のライトにビックリして固まるのはエゾタヌキだけではないぞ~

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政府の世話にならず少し足りないので当然貰えない年金も貰わずに楽しくいい加減に暮らす勉強中 中々面白いが200円やたら安いとネットで買ったが字が小さく読むのに苦労してる。

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どっちかにせと思うのだが寒かったり暖かったりすると水源地の水が凍結する 今回も凍結してしまい仕事を投げてリュックを背負って水源地に ここから凍結してる場所をスコップで延々と掘り魚の為ならエンヤコラ~さ~デンカンショ、デカンショとハンマーで叩き 続ける。

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久々に太陽を見る。
確かこの辺りは歩いていたシェーンを乗せた場所だった。
このクソ寒いなかどこに行ったのか連絡は一切ない ま~そんな律儀な奴なら今の境遇はないだろうが 困り事の原因が外にあるなら時間が立てば何とかなるが 我が内にあるなら それも自業自得と諦めて一生彷徨うのも一つの選択肢ではある。
ただ声を掛けて喜んで車に乗って呉れた事は俺自身の自己満足の為にはなったし、ここ崖下村で生きる気持ちを新たにした。
あのまま通り過ぎていたらセコイ気の小さい俺はいつまでもクヨクヨと考えただろう。

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275 雨竜町にある「 食彩まこと屋 」さんここは凄い何が凄いと言って2500人規模の町には珍しい店で品数が多く価格も手頃で毎度寄って買物をする。
どんな構造になってるのか不思議 雨竜町はやたら広く西は増毛町に隣接し北は面白内辺り南は新十津川まであり、この広大な土地にこの店舗が成立つ事が凄いと思う。
何かこれからの暮らし方にヒントがありそうと思う。ちなみに雨竜町圀堺は天気の変り目で雨竜町がピカ~と良いからと言って面白内の峠を越えると八甲田山並みに悲惨な目に遭う。
でもどうしてこの店はこの場所は石狩川を背にしてるのにいつも流行っているのか不思議 川と海は違うのか?
鶏脚鴨掻

12月から冬も店をやる予定が人手がなく出来なくなりそうで職安に人の募集を出しました。
条件は整理整頓が出来る事 ギャンブラーで無い事 年齢男女容姿問わずで募集中

折角だ

自分の目で見ない物、実際に手にしない物は自分には一切関係ないと、それが自分の為でもあると今でも思っている。最初に記憶にあるのは花園町の沼地で集落を走り回るガチョウだった、こいつは相手が弱いと思ったら結構強気で来る奴で乱暴者だった。
その後の記憶は原野二線の養豚場と川だった。それでも記憶では学校にはロクに行かずに季節季節で山菜採りに山に行ったり魚を捕りに川に行ったりと田舎暮らしは好き勝手に生きけっこう幸せだった。 
13歳でいきなり飛んで大都会に暮らす事になって生まれて初めて地下鉄から地上に上がった時に何か異変を感じて、それ以来方向が全く分からなくなってしまった。  さらに困った事は場所を聞くと留萌ではアッチと指指すだけだったのが スモッグでパッと太陽もでん街で南に何丁、北に何丁と言う説明にもこんがらかった。
それは行かなくていいような場所や路地に紛れ込んだりと本当に困った。
そんな中でも自分一人なので逃げればすんだが
不安と絶望とで何がなんだかわからない状態が数年続き自分が恐いと思う時もあった。
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俳優のNが14歳で弟の手を引いて一人でやっていかなければならないと言う不安と恐さは少しは分かる。
ある程度の目星がたった時に今度は手にした物を失う恐さに繋がりそこから物に走るか人に走るかで大きく別れると思う。中には両方と言う人もいるだろう。
底を知っただけにその失う恐さはちょっとやそっとでは分からないと思う。
幸せだからこそたまには生きるとクタバルの狭間を見てみたいなどと思ったりもする。
それを思い留まる引き戻すのは絶対に裏切る事の無いはずの両親だがそれすら居ないと それは想像に絶する。
自分は傷つきたくない戻りたくないと、それが今でも人との間合いを取る習性が残ってしまった。

人は多かれ少なかれ何かに依存せずには生きてはゆけない
クスリなのか物なのか人なのか 
何にでも飽きやすい俺だが修理工は永い機械工特有の理詰めで思うのは折角だ自分の生立ちや境遇を生かさん手はないと思う。
回りを見渡した時に自分より悲惨な奴は沢山いる、そこに依存してみよう手を掛けて声を掛けて
それは小さな親切大きなお世話で同病相哀れみ状態になるがわかるだけに そこに癒される救われる自分がいる、、それは自分の為に自分の自己満足の為にやってるのだ。
何かを出来るそこにはクスリではない救われる世界があり貴方のいま困った状態は誰かの為の救いになってる。

ブログ依存症です。

読む人はバカくさいだろうが下手に外に出ると歩道が無いので車にパッコン~と跳ねられるし 第一当事者にだけはなりたくないしで、なにせ冬は暇なのです。だからと言って突発的な除雪機修理があり遠くに遊びにはいけない

南北に約180キロ東西に約25キロ 45.000人しか住まん留萌管内にパチンコ店が11軒あり約4.000人に一軒 高齢者が多いので就業人口は大目に見て半分とすると2.000人に一軒 毎日の昼間の入数を考えると昼間に来る人達の資金源は? 
黄昏た田舎から集めた金はどこに? 
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船外機に直接ホースを繋ぐ為の作業中 二枚目画像は繋いだ状態 真水を何日も流してエンジン内部の塩を流す これが長持ちには必要 寒いょ~ 手が冷ちめたいょ~

大概の真っ当な商売の場合は集めた金のおよそ大雑把に8割が人件費や食料品や機械など何かしらの対価、形ちとなって地元に残る。
残りが利益として造った会社が本社に持ってゆく ところが金融投資商売とギャンブルは人件費を除いて殆どの金は地元に落とされる事は無い 集める金に対して人件費などチョロイのもギャンブル商売のうま味
ギャンブル依存症は世界レベルは1パーセントらしい
突出して多いのは日本で5パーセントもある
対策をするらしいが、
誰も責任をとらん官主導は絵に描いた餅になる事はハッキリしてる。
それなら5パーセントをせめて1パーセントに下げて依存症対策効果を確認してからやるべきでないのか
ギャンブルもバブルもいつまでも続き自分は歳を喰わないと思っていた たった10年前には雪が降るのが楽しみで楽しみで今年はあの山登ろうこっちの山登ろうと思っていたが今は雪が降らなければいいと思ってるしモービルは1台を残し4台は処分した。稼ぎはバブル期の十分の一以下になった! ただし動かす金は減ったがなぜか生活も気持ちも楽
車はお魚依存症で魚と水を運ぶので床に穴が空いたが風さえ入れなければいいとゴムマットを敷いてる。
もうそろそろ物に依存する時代は俺の中では終わった。

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主の居なくなった線路 今まで留萌に呑み会付の会合にゆく時に乗るくらいで大した利用して無かったが 
景色は12月4日以前と何も変わらんはずなのだが なんか景色が非常に侘しいのだ
非情のレンズを通して見たら どんなんかと思って写してみたが現場を見るとはかなり違う。

道路をバイパスや無料高速で切り替える 線路が無くなると集落があっと言う間に無くなる気持ちがよくわかった。
前へとの気持ちも一緒になくなるのだ。