自分の目で見ない物、実際に手にしない物は自分には一切関係ないと、それが自分の為でもあると今でも思っている。最初に記憶にあるのは花園町の沼地で集落を走り回るガチョウだった、こいつは相手が弱いと思ったら結構強気で来る奴で乱暴者だった。
その後の記憶は原野二線の養豚場と川だった。それでも記憶では学校にはロクに行かずに季節季節で山菜採りに山に行ったり魚を捕りに川に行ったりと田舎暮らしは好き勝手に生きけっこう幸せだった。
13歳でいきなり飛んで大都会に暮らす事になって生まれて初めて地下鉄から地上に上がった時に何か異変を感じて、それ以来方向が全く分からなくなってしまった。 さらに困った事は場所を聞くと留萌ではアッチと指指すだけだったのが スモッグでパッと太陽もでん街で南に何丁、北に何丁と言う説明にもこんがらかった。
それは行かなくていいような場所や路地に紛れ込んだりと本当に困った。
そんな中でも自分一人なので逃げればすんだが
不安と絶望とで何がなんだかわからない状態が数年続き自分が恐いと思う時もあった。
俳優のNが14歳で弟の手を引いて一人でやっていかなければならないと言う不安と恐さは少しは分かる。
ある程度の目星がたった時に今度は手にした物を失う恐さに繋がりそこから物に走るか人に走るかで大きく別れると思う。中には両方と言う人もいるだろう。
底を知っただけにその失う恐さはちょっとやそっとでは分からないと思う。
幸せだからこそたまには生きるとクタバルの狭間を見てみたいなどと思ったりもする。
それを思い留まる引き戻すのは絶対に裏切る事の無いはずの両親だがそれすら居ないと それは想像に絶する。
自分は傷つきたくない戻りたくないと、それが今でも人との間合いを取る習性が残ってしまった。
人は多かれ少なかれ何かに依存せずには生きてはゆけない
クスリなのか物なのか人なのか
何にでも飽きやすい俺だが修理工は永い機械工特有の理詰めで思うのは折角だ自分の生立ちや境遇を生かさん手はないと思う。
回りを見渡した時に自分より悲惨な奴は沢山いる、そこに依存してみよう手を掛けて声を掛けて
それは小さな親切大きなお世話で同病相哀れみ状態になるがわかるだけに そこに癒される救われる自分がいる、、それは自分の為に自分の自己満足の為にやってるのだ。
何かを出来るそこにはクスリではない救われる世界があり貴方のいま困った状態は誰かの為の救いになってる。