どうなん!

今年も新卒者が任地に向かってゆく 
俺は新卒者が任地には向かう時は気車でゆけと言う。
馴れ合い同士で揺られてゆく車でもダメだし道中を端折る飛行機などはもっとダメやはりゆっくり景色が変わり乗換がある汽車なのである。
出掛けにある病院看護師のニュースをみる 自らクタバル嫌なニュースだった。

三年間寝る間も惜しんで勉強した滝川から荷物を積んで道南にゆく、学生会館は月を跨ぐと家賃が掛かるので綱渡りの引越しになった。
野郎の引越しはナップッサク一つだが荷物が多いので錆びたボロボロの車にムリクリ積み込んで現地に
道南なので晴れてるかと思ったら恵みの雨だった。
新卒者は三年間お世話になった滝川から汽車で道南に

俺には絶対出来ない職業がある 一つは病院関係 こいつは庭掃除でも無理多分三日で心筋梗塞であの世にゆくか竹箒を投げ出して逃げて解雇されるだろう。
もう一つは何かを教える的な仕事 二回言ってわからん奴は頭をブッタ叩きこれまた三日で首は間違えナシ
自分に出来ない事をする新卒には掛けてやる言葉など見当たらない
「 頑張れ 」自分がパッと頑張って来なかったのによく言うわと思うので却下
「 一生懸命やれば道はドッタラコッタラ 」その根拠はどこにあるのだと思うので却下
何人かの若者の旅立ちに立ち会ったがこの歳になっても結局は何かあったら連絡寄越せくらいで気の利いた言葉など何もないのである。


帰りは西海岸を回って帰る事に初めて通る道だが南無八大ナンンチャラカンチャラあとは無学で読めないがすぐ横に熊注意と書いてあった春の熊は腹すかしてるのでションベンも早めに切り上げて出発だがガンマ250かなんか2サイクルで膝スリスリしながら走るにはいい峠だと思う。

下に旧道が見えるが相当に危険そうだし北海道の熊でも道南の熊は人を襲う事で知られている。そこを歩いて通った人達はどんな目的があったのか知りたい
昔の事をチョロットどこかに書いてあるのかと思ったがそれどころではないのだろう何も気付かなかった。

右に比較的新しい旧道が見える通行止めだがバイクなら、、、、、、
この辺りは北海道としては歴史も正保年間と古く北前船などの交易やニシンなども稼ぎもあったろうに 東海岸はつい最近まで戸と言えばムシロだったと言うのに何があったのか現在では逆転している。
ゆっくり地元の人の話を聞きながら西に東にと歴史を遡るにはいい場所かも知れない

俺の中には海さえ超えなければいつでも来てやる事が出来るがこれからの長い人生を自分の手で掻き分けて生きてゆかねばないが
物事諦めるなと言っても津波や地震など逃げなくてはどうにもならん事は沢山あるし 
何が一番大事なのか大切なのか今でもわからない 

なんだよ~

なんだよ~「 べっぴんさん 」は来週が最終回ではないか 
修理工なので何でも一定の法則を探そうとするので数年見て来たがパターンがわかって来たぞ~ 問題は常に月曜日に起きて土曜日にはチャンチャンで解決する。
それに戦後の混乱の苦労と貧乏を乗り切り成功するパターンも多い もっとも朝にやってる連続ドラマなので大河ドラマのようにバッタバッタと切られるのも朝こっぱやくはメシもマズいしどんなにしてもクタバラナイような中尾 彬のようなオヤジでは一日の始めが憂鬱になるだろうし ま~こんなもんだろうと思うが

戦争経験者は実体験として戦争を語り次ぐだろうが3世代目になると話も薄れてゆく それが世界中が今のなんやら危ない状況に向かってゆく事の理由になってるような気がしてならない
戦争経験者がやはり公平な目で語り次ぐ事の大切さを思うのだが
今は経済的にも自分にとって都合のいい人は良い人で都合の悪い人は悪い人となってるが状況は常に変わり相手が自分にとって悪くなる事はいつでもある。
その時その時で臨機応変にやっているとどうしてもタイムラグが出て対応が少しづつ遅れて来る
為に流れに乗る事などは自分が流れを作らないと所詮出来ない 
時代の些細な流れに左右されない不変の価値観を頑固に持ち続ける事が結局は時代を乗り切る事が出来る大きな要素になると思うのだが


神よ風見鶏達を許したまえ~ アーメン アラ~は偉大なり~ ナマンダブ~

貧乏はどこからが貧乏かと言うと自分が貧乏と思えば貧乏でメシさえ食えればそれで満足と思えば金も含めて何も持っていなくても貧乏とは言えない
物欲の塊の俺は空を飛ぶ物も以外は殆んどの物を手中に収めたが欲しがる物もパターンがある事に今頃気付いた。
駐車場にどんなに凄い車が止まっていてもフェラーリーが止まっていても欲しいとは思わないが無理したら買えると思ったら俄然闘志が沸き欲しくなる。
結局は手に入りそうな物を欲しがる事は自分に似たような者をいじめる者と大した変らん精神構造なのだ。
そう思って見ると神様は乗り越えられる苦労しか与えないと言うのもあながち的外れでないかも知れないと朝の連続ドラマを見続けて思う。
どこかに必ず解決の道はあるのだろう。

来週の最終日は紀夫君が写した全員集合写真の白黒で終わるぞ~きっと!

ラーメン屋今日もお休み

今日で毎朝見て来た朝の連続ドラマ べっぴんさんが終わる。
「飲んで 食って 歌へ」親がいいと子もいいのである大概は
戦後復興期の実在の人物をモデルしてきたのでそれなりに興味深かった。
留萌は今のヤクルトから食道園を繋ぐ道を境に西の金持ちの住む処と東の貧乏人の住む処に綺麗に分かれていた。
東は旧河川があり湿地と谷地になっていて条件が悪く半島出身者や貧乏人が多く住んで居た。
俺の生まれはギリギリの西側で旧東光小学校の正門前に少し大き目の家に住んで居た。
良い処の出らしい、いい振りコキのオヤジはいつも耐水グリスかと思うようなポマードを頭に塗ったくっていて胸ポケットには櫛が刺さっていた。
向かいにある東光小学校では一クラス40人から50人で教室は松竹梅から始まり果ては山菜まであり給食の脱脂粉乳も半端で無いほどあまりいつも余るのでまだ学校にも行ってもいない俺に貰って来るように言って俺はいつも寸胴鍋を抱えて貰いにいった。俺と寸胴鍋は由緒正しい長い長い歴史があるのだ。
オヤジはそれをすぐ傍の湿地帯にあった半島出身の部落にさもさも自分が貰って来たようにして配っていた。
その事はその後長い事半島出身者からは感謝される事になって没落後も半島出身には大変お世話になった。

朝鮮特需の金へん景気でボロ儲けした付け刃焼のいい振りコキで博愛主義者のオヤジは調子こいて夜な夜な遊び歩いたが朝鮮戦争休戦によって没落する事になった。 
元々いい処の出で苦労というものを知らなかったオヤジは今までの良かった事は無かった事に見なかった事には出来なかった。
代わりにこれからの事は無い事に見ない事にしようと何処かに行ってしまい残された家族は東側の原野二線にゆく事になった。
留萌に西と東のいまでも残る痕跡はヤクルトのある交差点を東にゆくと小さな下り坂になっている、そこから先は少し雨が降ると湿地は沼と化す土地で狭い一尺ほどの木の橋が道の代わりだった。
世が世なら木道などと言ってオシャレ~などと言われるがヘビが住むと言う水芭蕉の咲く土地でそれはそれは美しい自然が一杯でメシは食えない土地だった。
鉄屑を入れたミカン箱に紐を付けて引きづり西田ザッピン屋に買って貰ってはメシの種にした。

雪が溶けたら裏の増毛線線路のレールを夜陰に乗じて端から順番に外して留萌のザッピン屋まで引きづって行こうかなどと見るたびに思うのである。

 

ハレ~

「 トンネルを抜けるとそこは雪国だった 」と書いたのは東から西に行った川端康成 
「 トンネルを抜けるとビックリするような晴れた大空晴天だった 」と言ったのは西から東に行った田中角栄
住んでる場所の天候は気分や性格や生活に与える影響はかなりのものがあると思うのだが
サライェヴォ事件など世界の紛争の端緒になった日の天候はどんな日だったのだろうか
東北はかれこれ15年以上、北海道は3年掛かって回ったがほんと西海岸は全体的にすだれが掛かっている。それは天候による処が大きいのではないかと思う。

日曜日は久し振りに晴れて気分も良かったので川に行ってホースの点検に行って来た。

数年前まで凍結する事が無かった40Aのホースが今年はとうとう凍結して春まで水が出なかった。
大きな原因は汽車が通らなくなって横に雪を飛ばさない為に川のカルバートが露出したままになっている。中を風が走る為に凍結する事が分かった廃線がこんな処にも影響してるのだ。


川のホースを掘り起して又掘り起こしてさらに掘り起こして

とうとう水を出した どうでもいい事に身体を使ってるのが一番楽しい40のパイプが太い為にヨコエビの遡上が始まると大量のヨコエビがそのまま水槽まで流れてきて水槽の魚のエサになっている。

冬山の仕事を辞めたが一台だけ残して置いたスノーモービルで線路を行ったり来たり キャタは54リンクだがパワーが無いのですぐ埋まる。このまま線路を走り町まで行って買い物も出来るのだが


崖の下に小さな祠があるきっと縄文人でも住んでいたかも知れないなといつも思うのだが何か恐いんでよくよく覗いた事は無い


思いっ切り身体を使ったら腹減った 
年前にガスコンロに電池が入ってる事を長い人生で初めて知った 
以前のガスコンロの火の付が悪くなったので寿命かと思いオリャ~とコンロを雪の中のスクラップ置き場に捨ててしまったが投げた瞬間に電池がポロッと落ちて初めて電池が入ってる事に気付いたが時はすでに遅しでゴトクが雪の中でなんぼ探して見つからない 
仕方ないので一度は捨てたコンロに電池を新しく入れて煉瓦を積んで使っていたが エキゾチックな綺麗なお姉さんにガスコンロを使わないのでと貰った。
大好きなシラタキにヒメジと豆腐そこにモヤシにブラジル産の鳥を掘り込んで晩飯に
1人者で困るのは一回に作る量が多すぎ最後は飽きてしまい捨てる事になったりするが小分けにして作ると今度は食材があまりやはり捨てる事がある。
だが最近独身で一人者でよかったとつくづく思うこの頃なのである。

イエスさま~

1ドルと112円の変換はすぐわかるでは100円は何ドルこれが瞬時に出来て さすがに今はないと思うが貫とキロの変換、ポンドとキロの変換を瞬時に出来る位の頭がないと悪事では大成はしない
ついでにガラスの心が無いと下は付いてはこない
ハッキリ言えば無神経なドン臭い奴には誰も付いてはいかない ましてや多少の危険が伴う場合は特になのだ。
それだけに一般的に悪い奴と言われる奴は繊細な奴が多く 些細な事で傷つき自分を見失う。
買物をして店を出た途端に店員に戸を閉められ 北海道では外が寒い為に玄関の戸は早く閉めようとする事はよくある事なのだが
『 俺が閉めるより早く閉めやがった俺のようなハミ出し者は早く帰れと言うんか 』
と落ち込む奴がいた。 
ほんの些細な事で傷つく奴はそこは安住の地でない事を知り、
結局は元の鞘が安息の場所であると思い古い電話帳を探す
これが再犯の一つの理由になってる気がしてならない
防ぐには限度はあるがどんな奴でも認めてやる事と
『 ありがとう 』の言葉を掛けてやる事が世の中を明るくする事になるような気がしてならないのだ。
寒さに強い北緯43度野良犬仕様の俺はどんなに寒くても戸を先に閉める事は無い。

先週月曜日は仕事をさぼってここに行ってきた。
金曜日には逢った事はないが塩竈のイエス様の知合いから直接電話を貰った。

聖書ヨハネ福音書8章7節の「 罪無き者のみ石を持て打て 」
などと言って来週あたりには改宗してるかも人様を責め続ける事など出来る奴はどこに居るだ~

気まぐれ小心者のラーメン屋しばし休業

何がどうなってるのか昨年より少し多メの税金を納める事になった。
これ以上数字を見続けると発狂するか失明するかもしれんのでハンを押して終了。
次の決算は5月か~頭が本当に痛くなるのだ。

俺は週に二日でそれも暖かい時期しかしないので年におよそ60日程度しかラーメンを作らないし店に立つのは人任せなので専業でされてる方から見ると俺がラーメンを語るのはおかしいと思うのだが勝手に言わせて貰えば
 元々ラーメンは貧乏人が食う食べ物だと思う。その為には時給より高いラーメンなどはラーメンとは言えない 子供と3人で食ったらどんな事になるのだ。
甘い物も食えない甘味と言えばスイカを煮詰めて作ったスイカ蜜かコクワかクローバー
そんな貧乏村から親子で町に出掛けて映画か電気屋のショーウインド越しにテレビを見て帰りにラーメンを食って帰るのが貧乏人一家の唯一の楽しみだったのだ。
安くて栄養があって美味いのがラーメンなのだ。
最近心が折れてしまった。
こんな状態でラーメン屋を開店する事は今も一生懸命やってるラーメン屋の人達に失礼だと思うのでしばらく休業しようと思う。
気が晴れたら再開 それは明日かも知れない ひと月後かも知れないが殆どの悩みは人の間にあるが解決して呉れるのも人の間 どうせならほっとするような人に逢ってみたい
かき混ぜていいのは寸胴の中だけ


そんな中でも新しい道具を使ってみたギョウザ業界では元々あった物を和歌山県新宮から送って貰い
下手なポンチ絵を描いて留萌の旧松田鉄工に持って行き改良して使ってみたがまだまだ改良の余地がある酒粕を絞る道具を参考にしたのだが国稀に行って実物を見てこよう。
夜中に熱くて熱くて仕方なかった作業から かなり解放されてるが又の再開の為にもっといい方法を考えよう。
などと夜な夜な考えていたらスープがこんな量になってシマッタ
80~90人分どするべ~ 相変わらず加減というものが無い事に気付いた。

今日のメシも来年のメシも確保出来て銭に余裕が出来ると他人様の事が気になりだすのか 
下に立つ者があって上がある 上に立ち給料が上がった分は子方達に祝い事だなんだかんだと何かに付けて還元するのが上に立つ者の器量だと思うのだが
そんなに自分に関係ない者を追い詰める事が成熟した社会の在り方なのか
俺にはそうは思えない
 
ラーメン屋には清濁併せ呑む器量の大きさがあり食えなくなったらラーメン屋をやるといいと思うし愛想もそんなにいらん器用に生きれない連中の
最後の砦がラーメン屋だと思うのだが

275から40号線に

元泥棒も元ヤクザも使ったが大概の場合は悪い奴らでもクズでも社会に戻って来る 
なら罰を与えるより更生して貰った方が世間の安全の為にもいいし世間の為にもなる。
今は財政的にも体力的にも無理だが使う基準は素手で喧嘩して勝てるかどうかが基準になっていた。
今の俺に出来る事は将来は決して暗いとは限らんと元気に稼いで楽しく暮らす姿を見せる事に尽きる。
それが俺を応援し支えてくれた人達に今返せる恩返し

また坊主山連山裏は上記念別か随分昔になるが裏から登って幌加内を見た時は驚いた。
初めての山に登る楽しみは思わぬ町や村が見えるのが楽しい


目的地に到着 長野記念碑でもあったらカジリ付いて少しでも近づきたいと思ったが記念碑は雪でよくわからんかった。
4月1日まで冬期間は閉鎖 コソ泥のように隙間から中を見た。


峠のホーム 初めてこのホームを見て何をグズグズ言ってるのかと思った。
10人失敗しても一人でも当たれば頭の悪い俺にしては上出来と思わんといかん 人間はどうしても悪い方に気を取られ用心して構えてしまうが下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる 
それでもダメならマシンガンで撃ちまくれ
それが俺のやり方だ


カメラのシャッターが開かん 北海道最後の山師と言われた造材の安斉源治さんが住んで居た。
貰った山桜は毎年咲いています。
 パッコンパッコンと叩いて直した言っても聞かん奴はパッコンと叩け
 

蘭留 営業中のノボリ発見喫茶店かとズンズンと進むが体育施設らしいオヤジと暫し立ち話をした。またいつかきっとどこかで逢うだろうと思う人だった。


この山と峠を幾つか超えると海が見える。

すぐカッとなるが何時までもグズグズ言ってるのは俺らしくない 
帰ろう帰って税金の申告にゆこう 

275

石原元都知事のどこがマズイかと言ったらハンコを押す者の責任を感じていないのか逃げてるのか 
どちらか知らんが自覚が無いのがおかしい
自営業と勤め人の大きな違いは自分の箱の中で起こった事はすべてがトップの責任になり腹切るか無一文になるか何らかの形で責任を取らなければならない
それが嫌ならそのシノギから足を洗わなければならない
その為におかしな事をしそうな奴は首を切るなど人事権はトップにあり誰にも侵される事はない
俺は女子供に手を出す奴以外なら泥棒だろうがヤクザだろうが来る者なら誰でも使う
そこに自分には一切実害は無いのに風聞だけで四の五の口を挟む者は許さない
それは俺が貧乏も暴力も経験したクズだったからクズの気持ちはよく分かるし残る少ない人生は退く訳にはいかない。

仕事をさぼって275に

ここは何年も看板が上がってる 
例え包丁一本でも切れなければ研ぎ直す それが責任の取り方でその者だけが看板を上げ続けメシを食う事を許される。


左手に坊主山が見える。山は登るのは楽で頂上は一つだが降りる道は沢山あり迷う。

俺はイエス様じゃないので右の頬を叩かれたらハイそうですかと左の頬は出さん 代わりに相手の頬を思いっ切り叩いてやる。
ただ自分からは滅多に手を出す事は昔から無かったし そのかわり内に溜め一気に出すので性格が悪いと言ったら悪いかもしれない
ここ数週間は溜まりに溜り悪い癖で銭金でないぞとなってゆく
自分がどこかにゆくか相手を〆るか極端な事しか考えない性格が災いして 
これがなければ半世紀もまっしぐらに稼いだので13畳一間で暮らさんでも御殿も建ったものを

ラーメンばかり食ったのでソバでも食ってみるかと
ここは美味いんだな~ 美味い 車には2~3日は泊まれるだけの装備もあるし帰る気がしなくなった。
食いながらふっとここから近いハズと思い道を尋ねると古いからと地図に道順を書いて地図ごとくれた。
こんなラーメンを作ってみたい 

しかし道って人生そのもの登りもあれば下りもあり 人が来ようが来なかろうが赤になれば止まらんならん 前からはみ出し車が来たら違反車だろうがよけんならん

探しても求めても無いものは無い

俺は変った少ない名前の人は金持ちだと思い込む癖がある。
なぜか知らんがありきたりの齊藤などにはあまり金持ちはいない 
さらに修理工が長いので故障には必ず理由があり原因がありそれを何とかせんとまた繰り返される。

森友学園をみる時にやり方が間違えである事は万人が認めると思うが
どんな教育をいつ頃から受けたら こんなに世の中を舐めきった事が出来るのかと思うと
育ち方に問題があったと思う。 
それは誰の責任で端緒はいつ頃から始まったのか塚本学園は1950年に開園となっているから終戦の5年後に開園と言う事になる。
まだ戦争の傷が癒えずにバカな事をやってしまったなと皆が思ってる時期だと思う。
そうなると現在のような教育勅語などを叫ばせるような教育はおそらくしていなかったと考えるのが妥当と思うのだが
ではいつ頃からだろうか そして誰が始めたのか 
最初に始めたのは現在の理事長夫妻で年は若くおよそ50代後半と思うが
育ちに問題があってどこかに人生のプライマリーバランスが取れていなかったのだと思う
キーマンは顔を出す事のない創設者の娘で手にしたいものと手に入れる事が出来るものは違うと言う事を理解出来ていないのだろう。

どんなに頑張っても絶対に手にする事が出来ないものはこの世に沢山あり
それに気付かずにいると無理に無理を重ね人生のプライマリーバランスが崩れる。
得たものは誰かに戻して棺桶に入るのは正しい生き方だと早くに気付いた者が穏やかな人生を送る事を許される。
言動ややってる事をみて勝手に想像するに常に手に届かない上を目指す事を要求され続けた幼少期や現在があったように見える。


上野博物館 ゼロ戦のエンジンは日本中にあり若い搭乗員はほぼ間違えなくクタバッテいる。
乗っていた搭乗員の声が思いが聞けるなら
戦争など政治の最大の失敗でそんなバカな事は止めておけと言うだろう。

三沢航空博物館に行った時に見た十和田湖から引揚げた双発練習機の実機の画像を探したが無い
生々しい壊れた実機に乗っていたであろう年端もいかん十代の訓練生はどこに行ったと思ったら
あまりも悲しくて写真を撮る事も出来なくて写真を撮っていない事を今思い出した。

教育勅語をいいように利用し子供達を利用した罪は重いしそれは褒め上げた連中も同罪で
そんな通常では考えられない事をする動機は
脳味噌の重量からくる劣等感なのか
時を遡る事など出来ない由緒正しい没落した家系ゆえか
世が世ならそこに居るはずだった貴顕社会の出なのか
たいした教育者でもなさそうなのに教育勅語を持ちだすなど何がそうさせているのか過ぎ去った時を利用する者達の可哀想な犠牲者なのか

田舎暮らしのすすめ

世の中を舐めきった森友学園の姿は自分の姿を見るようで反省してしまった。
一時(いっとき)はどんなヒキョウな手を使ってもよければ争いや喧嘩で負ける事などないと思い込んでいたし窮地に陥るのは自分の次の為にあるとすら思っていて もし無政府状態になれば結構稼いでしまう方だと思う。
逆を言えば政府や法律は力の無い者を助け強き者のやり過ぎを抑える為にあると言っていいと思うのだが
現在の大企業重視の政策を取る首相も政府も何もわからん子供に叫ばせるのが気持ち悪いと思わんなど
安倍晋三記念小学校などは出るべくして出た身からの錆びなのだ。
こうすれば時の権力者は簡単に喜ぶと思って計算付くでして、
すべては自分の為に自分はどんなにしても手にする事の出来ない無いものを補う為にしてるのだ。
本当にそれがたった一度しかない人生の幸せなのだろうか
もっと何かあるのではないかと思うのだが俺も現在に至るまでそれが何なのかハッキリとはわからん

トレーラーは狭い処から出すには前進よりバックの方が楽なのだが両サイドに30センチの隙間さえあったら大概の場合はバック出来るし所定の位置に掘り込む自信があったし除雪機など数センチ刻みで操作しどんなに高くても二段切り三段切で進めない場所など無かった。
そんな調子こいた自分がその世の中を舐めきった態度がいつかはジエンドになると思っていたのだが
最近小さなステックレバーで操作する中除雪機を操作していて間違えてスイッチ動かしてシマッタ
まさかと思って同じ状態とスピードをやってみるとまた何度か同じミスをした。
よいよ天下晴れて何も考えずに遊んで歩いていい時期が来た事を思い知る。
森友学園の理事長は背伸びして背伸びしてきっと今まで辛かっただろうと思う。
この日が来る事はどこかで覚悟はしていただろう。
覚悟した素人が怖いのは自明の理 それをよくわかってるので参考人には呼ばんのかな?

富良野25線共進地区に行って来た。
土地の広さに対して農家が多いと感じた。
農家は土地にしがみ付き棲むしか食ってゆく手段は無い 
そこに他人が住む事は田分け状態になる為に警戒されるのは当然で自然な防御本能なのだ。
その点は浜はヤン衆から始まり誰でも受け入れてくれる要素はある。
田舎暮らしの秘訣は八分の満足、二分の油断がいいかと

罪人よ さ~さ~ みんな吐いて食い改めて楽になり田舎でミニトマトか千本ネギでも作って暮らしましょう~
天は二物を与えず~ラ~メン 本日も世の中を舐めきったブログでした。