探しても求めても無いものは無い

俺は変った少ない名前の人は金持ちだと思い込む癖がある。
なぜか知らんがありきたりの齊藤などにはあまり金持ちはいない 
さらに修理工が長いので故障には必ず理由があり原因がありそれを何とかせんとまた繰り返される。

森友学園をみる時にやり方が間違えである事は万人が認めると思うが
どんな教育をいつ頃から受けたら こんなに世の中を舐めきった事が出来るのかと思うと
育ち方に問題があったと思う。 
それは誰の責任で端緒はいつ頃から始まったのか塚本学園は1950年に開園となっているから終戦の5年後に開園と言う事になる。
まだ戦争の傷が癒えずにバカな事をやってしまったなと皆が思ってる時期だと思う。
そうなると現在のような教育勅語などを叫ばせるような教育はおそらくしていなかったと考えるのが妥当と思うのだが
ではいつ頃からだろうか そして誰が始めたのか 
最初に始めたのは現在の理事長夫妻で年は若くおよそ50代後半と思うが
育ちに問題があってどこかに人生のプライマリーバランスが取れていなかったのだと思う
キーマンは顔を出す事のない創設者の娘で手にしたいものと手に入れる事が出来るものは違うと言う事を理解出来ていないのだろう。

どんなに頑張っても絶対に手にする事が出来ないものはこの世に沢山あり
それに気付かずにいると無理に無理を重ね人生のプライマリーバランスが崩れる。
得たものは誰かに戻して棺桶に入るのは正しい生き方だと早くに気付いた者が穏やかな人生を送る事を許される。
言動ややってる事をみて勝手に想像するに常に手に届かない上を目指す事を要求され続けた幼少期や現在があったように見える。


上野博物館 ゼロ戦のエンジンは日本中にあり若い搭乗員はほぼ間違えなくクタバッテいる。
乗っていた搭乗員の声が思いが聞けるなら
戦争など政治の最大の失敗でそんなバカな事は止めておけと言うだろう。

三沢航空博物館に行った時に見た十和田湖から引揚げた双発練習機の実機の画像を探したが無い
生々しい壊れた実機に乗っていたであろう年端もいかん十代の訓練生はどこに行ったと思ったら
あまりも悲しくて写真を撮る事も出来なくて写真を撮っていない事を今思い出した。

教育勅語をいいように利用し子供達を利用した罪は重いしそれは褒め上げた連中も同罪で
そんな通常では考えられない事をする動機は
脳味噌の重量からくる劣等感なのか
時を遡る事など出来ない由緒正しい没落した家系ゆえか
世が世ならそこに居るはずだった貴顕社会の出なのか
たいした教育者でもなさそうなのに教育勅語を持ちだすなど何がそうさせているのか過ぎ去った時を利用する者達の可哀想な犠牲者なのか

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