この辺りの暑寒山系では羆に人が襲われたと聞いた事がない
すぐ傍の元舎熊駅周辺に出没していた羆問題は一定の解決を見た
そこにはたった一軒の店、セイコーマートがある
店のおばちゃんに羆が店に入って来たら『セコマカードありますか!』と聞いたら
『舐めってるんかい』と言われ店はグチャグチャにされるよと言っていたが
先月、羆親子の親が先に駆除され残った子熊2頭が罠で捕獲され昨日解決した
親熊を先に駆除するのは順序としては当然なのだが
親を失い食う物もなく数週間周辺を彷徨い続けた子熊たち
造船場が沢山あった船場町で舟釘を拾い、人造石油で鉄屑とコークスを拾い、
有楽トンネル界隈で酒瓶を拾い今も看板だけが残る雑品屋に持って行き買って貰い
大和田炭鉱でその日の暖を取る石炭を拾い担いで兄弟が待つ家に帰る
周辺を彷徨う日々を過ごした子供達が沢山いたのは
たった70年くらい前の事なのだ。
熊達は見てはいけない世界を見たのか、食ってはいけない物を食ったのか
それは命を持って終結となっていくのか


暑寒山系を浜益側から
この南北に40キロ、東西に60キロ四方に広がる山々には人は殆ど住んでいない
ここを北に超えた40キロ先にやっと人が住む処があり
熊問題も北海道と内地では事情は変わる北海道の山々は兎に角広いのだ
大自然を相手にシノギをして来た人達が多く住む舎熊の
セコマの兄ニーはどうなるか分からないが子熊は山に返してやりたいと言った
暑寒の山々にその器があるのかどうかはわからない
仕方ない、仕方ないと言う中でも僅かでも、
どうにかならんのかと思う気持ちを持つ事はあってもいいのではないかと

昭和40年前後の都会は返還前の沖縄県人や道産子が集まるアパートなどは沢山あった
言葉も通じないあきらかに違う人達が集まる事は当然の事なのだ
ましてや熊とは違う排除や隔離だけで上手く行く事などない
ひとの排外主義は人間とは言えない ひとには知恵もあり情もあるのだ
生まれ育った母なる国を捨て救いを求めて来た人達を羆の子に重ねてしまった。

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