よう来た よう来た

現実とは違うと感じる嘘臭い事が多いから俺はドラマはほとんど見ない
だが朝の時間が拘束されるのだが朝ドラは毎度見てる。
「 なつそら 」を見て草刈正雄はそんなにいい役者だったのかと
 
2日放送の千遥を迎える時に
「 よう来た よう来た 」と迎える姿は演技とは思えんかった。
色々考えさせられた場面だった 
なつが柴田牧場で頑張ったからこそ千遥は温かく迎い入れられたと思うのだが
なんの情報も無い者を迎えた訳ではないが初対面の者を迎える時に無償の愛を表現できる事は素晴らしい
「 草刈まさお 」と言えばどっかの草刈り機だが
人としては相当の苦労人なのかも知れんと思った。

案じていた者が戸口に立った時に
「 よう来た よう来た 」と言うのは昔はよく聞いた気がする。
ここ増毛でも稲田線恵岱別から信砂停車場までおよそ18キロある冬は道路は閉鎖して歩くしかなかった昔でも
それでも吹雪でクタバッタ者は聞いた事が無いと言う。
途中で吹雪にあったら近くの農家に泊めて貰う事が度々あったと言う。
困難を経験したからこそ出来る。
「 よう来た よう来た 」の無償の愛なのかと
俺よりはだいぶ若いが俺もあんな歳の食い方をしてみたいと思った。

して貰ったらして返すだが やられたらやり返すではいつまで立っても事態は改善せん
ガキの喧嘩かと思ったら安倍晋三の選挙前のマッチポンプトランプ流の三文芝居の景気付けかょ~

昨日一日で箱を一旦バラしてスーパーキャリーの荷台に合わせてここまで切り詰めた。
箱をアオリの中に入るようにすれば良かったかなと思ったが後の祭り
夏なので内装は後回しにして早く釧路に行きたい
後にドアを付けるのは難しいのでブルーシートでも貼って
来週は新得で神田日勝の馬を見て釧路でクジラ食って花咲カニ食って携帯が鳴らなければ網走を回ってオホーツクにも行こうと思う。
そんな訳で来週は流されたらロシアにゆく前に自力で戻って呉れ~

途中あの柳月にも寄って大好きな甘納豆を食おう。
初めて柳月に行った時に偶然に少し不自由そうな子供達が大型バスで一個団体来ていた。
その子共達が手に手に100円程度の菓子を一個買うのだが柳月のスタッフは 
原価500円位はしそうなスタンドパックにその小さな菓子を入れて一人一人に手渡していた。
それ以来狩勝峠を越えた十勝の空はなんか青さが違う様に気がしてならないのだ。

クジラ食いに行きたい

駆込み需要なのかやたらと忙しい日々が続いたがやっと一段落が出来る。
今日は久し振りの全休なのだ。
何がどうなってるのか商業捕鯨が再開されたのでスーパーキャリーを長距離用に改造して釧路のスーパーひろせにクジラを食いに行こうと思う。

クジラが賢い事はニシンやイワシを集団で囲い込み全滅させるやり方を見るとわかるが
このままイルカやクジラばかり保護していたら その食欲が漁業に及ぼす影響はかなりあるのではないかと漠然と思う。
以前肉類が食えなくなった時期があったが そうとばかり言ってられないので再開して食い始めた肉類は美味かった。
今は禁肉を脱した俺の中では誰かお助け人(ひと)に〆て貰いさえすれば羊も豚もクジラも牛もたいしたかわらんのだ。
自分で食っておきながら メ~メ~テ~メ~と泣く羊はいいがクジラはダメと言うのは白人至上主義と思うのだが
こうなりゃ~意地でも釧路に行って冷凍前のクジラを食うぞと思うのであります。

日本海は潮流れから対岸の国までわずか200キロに満たない玄界灘を入り口に
2キロに満たない間宮海峡を出口にしてる小さな海なのだが 
その広さはかろうじて塩水だが海なのか湖なのか陸封された黒海やカスピ海とたいした変らん広さなのだ。
黒海やカスピ海が海なら宍道湖も海だと思うのだが?

少々乱暴な考え方だが日本海にも結構居るシャチやイルカとクジラを全部食っちまったなら
日本海の漁業は復活するのではないかと・・・・・・・

商業捕鯨が再開しても調査捕鯨より供給量は実際には半分近くに減るらしいのでクジラが高くなる前に釧路にさっさと食いに行こうと思う。
だけどなんで調査捕鯨の時より供給量を半分に減らしてまで今頃商業捕鯨なのか


2017年撮影 網走キャッチボート

俺は乗り物が好きだ。空を飛ぶ物以外は地べたを走る物は殆ど乗って来た。
その中でも道を走る物とモトクロッサーや船の様に道も信号も無い物は別として
道をゆくものは自分がなんぼ望んでも信号が赤になったら止まらんならん 
追越し禁止では追越しは出来ない 一時停止は絶対に止まらんならん
ルールを破る事はルールを信じた者を怪我させる事になる。
その道を走る時に自分がいつも車列集団のケツを走ってると感じた時には 
それはアクセル緩めると後続集団の先頭を走る事を意味する。
人間社会の道をゆく者は今の立位置など大した重要ではないのかも知れない
そこに、その場所で何をするか何を持って幸せと感じるか
それが大事なのではないのかと俺は今頃気付いてる。


トヨタ博物館 愛知県長久手

決められた道が無い 物標も無い海をゆく時に一軸右回りは反力で船は自然と左にそれてゆく
それも常に風や潮流れが大きく影響し右にゆく場合もある。
その時に修正する方法は方角を確認しながら絶えず細かく修正して
目指す場所は方位はどうなのか 
その確認は常にしなければやがて座礁か他国に着く事になる。
スノーモービルで山を走る時にもホワイトアウトすると登っているのか降りてるのかが分からなくなる。
気付いた時には奈落の底などは普通にある。
チョットでもおかしいと感じた時は立ち止まる事に尽きる。

息をしてる限り状況は千差万別に刻々と変わり現場では一番頼りになるのは
正しい王道なのだ。
その王道が無いと場当たり的に対応してゆく為に少しづつタイムラグが起きてゆく
今目の前に起きてる事はすでに過去の事なのだ。
逆を言えば自分の王道が正しければ多少の事は目をつぶっていてもなんとかなってしまうのだとおもうのだが。


函岳

自分を守るものは正しい王道なのだ
ナンマンダブ~ 右の頬を叩かれたら~ あら~は偉大なり~

若者よチョット立ち止まって考えろと


天北原野

昨日は雨の夕方酒盛りの最中に店の前を見た事が無い怪しい車がウロウロしてたが
突然初対面の見知らぬオヤジが降りてきた。
最初は何を言ってるのか分からなかった。
一緒に呑んでいた崖下村の御姉様が
「 あれ~そんな若者が来たべさ~ 」とかナントカ言って 
やっとそんな事もあったなと思い出したが
そのオヤジが出逢った若者が言った ここが本当にあるのか確認に来たらしい
そのオヤジが語るには・・・・・・・・

俺の生き方は地べたを這う様にして底辺に生きる者にこんなバカも居ると笑いと多少の癒しにでもなって呉れたらそれで充分と思っているし
振り返っても物凄い強運と見える見ないもある多くの人に助けられて来た。
それも陰で世話になった人達に恩返しなど出来る訳がない
せめても出来る事をその時その場でしてゆくしかないのだ。

若者には早まるなチョット立ち止まって少しは考えろと
だが若さゆえにのこれからの時間を考えるととてつもない可能性もある。

荒野で道を見失ったら北斗七星を探そう
そのゆび差す先に目指す星がある。
猛吹雪で前が見えなくても潮に流され風に流され崖にゆく手を阻まれしても目指す方角を忘れなければ進む事は出来る。
とは思うが
俺の生き方は参考にもならんしリスクも大きい
若者には早まるなチョットは立ち止まって少しは考えろと
北海道は半年は雪だし風は半端でないしアッタラコッタラだし

若者よ何処に居ても君のこれからの幸運を祈る。

笑う

ほんと大した銭にもならん処か出る一方で銭も時間も何かと忙しくてせわしない
病院検査結果は先生は他に何か聞きたい事はあるかと聞いてくれたが
臆病な性格上知らん方がいいので俺は
「 知らん方がいいと思います 」と言った
先生は笑ってくれた その笑い顔はどんな薬より効くと思った。


スーパーキャリーは1200キロ走ったがバックラッシュの無いステアリングやこれが軽かと思う走りに少し慣れたが 
ガサはあるが重量物は積まないので最近はEKワゴンのECUとカムシャフトが気になって仕方ないのだ。
今までの軽トラックと違い姿勢に無理が無く連続200キロ走破しても身体が痛くならない 
俺には充分な広さの荷台と運転席
早く後ろに箱を乗せて十勝のなつそらを見に行ってみたい
不思議な事に狩勝峠を超えると空の青さが違うのだ 気のせいなのか


今年忙しい一番の原因はこれスープ取りに丸々一日掛かっているのだ
今は鶏ガラと豚骨を分けて取り営業直前に混ぜているのだが今度はコンブを木曜日から仕込んでみようと思う。
やる事は大した無いのだが寸胴の見張り番で30分事に時間が拘束されるのだ。

俺は国民年金でさらに自業自得の無年金者に近いがこれから2000万などどうやっても溜まる事は無いので
頼みの綱はラーメン一本で食って行こうと思っているが
薄々気づいてはいたが2000万問題は最後通告を国民に突きつけたに等しいが
病気でも機械でもなんでも知ればいいと言う事ではなく
機械でも毎分6000回転など普通にするがワイヤーツイスター無しで大丈夫かなどと知り過ぎると恐くて使えなくなる事が沢山あると思っている。
なんでも口に出せばいいと言うものでは無いし
それを笑って支えてゆくのは専門職ではないのか

年金は当てにならん若い頃から老後を見据えて遊びもせずに勉強に明け暮れて
さらに社会に出ても遊びもせずに銭貯めて老後になったら今度はもっと足らない
だから70歳まで働いてそれもチョット見誰でも出来そうな肉体労働で働き年金支給前に過労で倒れあっけなくジエンドに最後に笑うのは一体誰 

それは国民のせいなのだ
弱い者を助けるにも資金がいる 
その銭の出所は税金で 大企業など稼ぐのが好きな者は稼ぎ税金を納める
その大企業の味方は自民党
弱い者の味方の最左翼は共産党などなどでその両輪をバランスよく配分出来なければ
政権だけの都合で国が固まってしまうのだ。
選挙に行かない者に何ひとつ批判など許されない

駄目でも歩いていればいつか当たるかもしれねぇ~


今日駄目だったら明日当たるかもしれねぇ~
明日駄目だったら次当たるかもしれねぇ~
駄目でも歩いていればいつか当たるかもしれねぇ~

大間マグロ漁師 山本秀勝さんの一言Tシャツ

令和元年は丸山議員や川崎事件や池袋事故は事故と言っていいのかわからんが元次官息子など東大出ても頭が良くても金があってもぜったいに幸せなるとは限らん事を見せつけられた。
元次官の暴力息子の件は自分でも家庭内暴力を散々経験したので痛いほどわかり
公的機関などクソの役にも立たん事も肌に染みている。
( 俺の場合は格闘技を習った )
よそのメシにトゲが有る事も散々経験した俺は根性が無かったので右も左もわからんうちに
道徳本町を飛び出し内田橋に向かいひたすら歩いた。
人様の何倍も自覚し気を付け努力しないと暴力は遺伝し連鎖しより過激になってゆく
対策は打ちこめるものを早くに見つけ命に代えても守りたい人を持つ事だと思う。
 
ほんと何が幸せの切っ掛けになるかわからん 
考えるに自分で自己満足出来るならそれでいいのではないのかと
ふっと山本秀勝さんを思い出した。

「 ここは本州最北端の地 」大間崎

こんどは一所懸命生きてる誰かに恩返しをしたい
最近下向きにひたすら作るラーメン作りが楽しいのだ。

スーパーキャリー 夢

この2年間で新車を買う銭が無かったので中古の軽を三菱とダイハツ二台買ったがそれぞれに良さがあった。
二台同時に維持して年代で変る保険料がやたら高くなったので やっとこさ銭を貯めてスーパーキャリーを買ったが
スズキのエンジンは最初はバイクから来ているのはホンダも同じだがスズキはバイクでは立ち位置は二番手三番手にある。
それゆえの良さが沢山ある。
一番には生産台数の低くさか、目指す処の違いかスズキの細かい部品は一般汎用部品と共通する物が多い それは修理時の迅速さと維持費の安さに繋がってゆく
エンジンに至ってはバイクから来てるせいかシンプルな作りで整備性がいい
これを乗り潰そうと思っているのだが~

軽トラをホビー感覚で見てる人は多いと思う。
春の作業が終わった、仕事が定年になったと荷台に幌を張って中に布団を敷いて旅に出たと言う人が道の駅には沢山いる。

俺もそのうちの一人なのだが2時間も走ると眠くなるのでタイマーを掛けて20分間寝るのだが足を延ばして寝ないと疲れが取れないのだ。
よく長距離トラックでハンドルに足を掛けて仮眠を取ってるドライバーが居るが あれはシフトレバーやシートなどで簡単に横になる事が出来ない為にあの格好になってしまうのだ。
日本のトラックは20分仮眠を取る構造にはなっていないのだ 
これからはドライバーの高齢化は待ったなしの状態になってゆく


スーパーキャリーを買う気になった ひとつにはこの構造にもあった。
この黒い板を外すと外の荷台に繋がっているのだ。

フム~フム~この窓枠を上までブッタ切ると歩いて荷台に移って足を延ばして仮眠が取れるぞ~と
日本の軽トラックで現在は運転席から荷台に出れる車は無い 数百万もする高価な軽キャンピングカーはほぼこの運転席の隔壁を取って作ってある。
隔壁を取ると車検が受からないので強度計算などで大変な事になってしまうが
千葉県の陸運局では実車の検査をしてくれるそうで それに合格すると以後は継続車検になる。
そこで俺は思うのだが 
この隔壁を取り外し出来るボルト止めで作ったら 軽トラユーザーの救世主になるのではと思ってるのだが
春の農作業が終わったら荷台に幌付けてヤカンとカセットコンロを持って一人旅に出ようと

なんか夢が広がるではないか 
レジャー商品を永い事売ってきたがレジャー商品は実際に買うまで永い事楽しませてくれる商品だと思っている。
だからレジャー商品は相手が欲しがるなら小学生だろうが中坊だろうがカタログはバンバンやれって思う。
カタログは確かに高い物なのだ いつの頃からかカタログを無償で貰える事が無くなった。
夢を与えられない社会や会社などセコ過ぎると思ってるのだが

「 戸を開けょ 外は広いぞ 」
と言ったのは豊田佐吉でスズキ湖西工場の前にある豊田佐吉の生家に書いてある。

スーパーキャリーX

時間とはなんと残酷なと思う時がある。もの凄い勢いで自分を通り越してゆく
それも踏み付けるように過ぎ去った数十年の速さと これから来る待つ時間の長い事 
今の今も過去と未来の瞬間にいる。
まるで回転寿司で大好きな寿司ネタが価格を考えてる間に通り過ぎてゆくように早い
大間の山本さんの様に「 やいや~や 」と
なんでこんなに早いのだろう、たいした事をしてこなかったからだろうか 
たいした事を成し遂げた人は過去の時間も永いのだろうか
すべてではないが大概の事は時間と銭が解決して呉れると思っているが
渦中に居る時はそれが見えて来ない その過酷さ残酷さは経験した者にしかわからない


保険料などの維持費を節約する為に車を一台に減らした。
待ちに待った今度の車が来た。
最初の目的の車はこれよりちょっと安い車だったが低速ギヤ付にしたらこれしかなかった。

びっくりアクセルにベタ踏み防止装置が付いている。だが前後に障害物が有る事とハンドルが真っ直ぐでないと駄目らしい 若かりし頃ならすぐ試してみるのだが最初の最後になったら勿体ないのでやめた。
この車にした理由は青天井で荷物も積める事と車内で仮眠が取れる事 マニュアル5速シフト4輪駆動で低速ギヤ付
この車にして今まで何を見ていたのかとびっくりした事は足元の広さ
昔の車はトラックにただ屋根を付けただけがバンだったが 
キャブバンは乗り心地を重視してるのかホイルベースが長い トラックは小回り重視かホイルベースが短い結果は
今はトラックもバンも姿は似てるがフレームからして全然違うのだ。これは狭い処に入る事が多い俺にはピッタリ


これもラインが少量生産にも対応出来るようになったからなのだと思う。
走りがこれが軽かと思うほど走り音も静か 荷物は滅多に積まないので早速タイヤを145/13R80にしてホイルも中古のアルミホイルに交換した。
多少変速比は変っただろうし回転する物の重量一グラムの差は燃費に大きく影響する。


運転席もシンプル これは年寄りには大事な事でハンドルに色々なスイッチがゴチャゴチャ付いてるのは事故の元になる。
早速インパネを外そうと試みるが爪が折れるのも恐いのでもう少し後で外して見ようと思う。

この車を設計した者はこの車は素人によってキャンピングカーにされる事を想定していると思う。
軽トラキャンピングカーは道の駅にゆくと俺の様に安く旅に出れさいすれば外観などどうでもいいと言うのからこれが素人が作った物かと思うほどの出来栄えの物まで沢山出逢う。
高度に完成された現代の車に素人が何か手を加える事が出来ると言うのは現代ではあまりないが
その緩さはこれからの時間の楽しみにもなってゆく

ついでだから運転席と荷台の間仕切りをボルトオンで外せたら結構軽トラキャンピングカー目当ての人に売れると思う。
俺は間仕切りをジグソーで切り取ってやろうかと思って事前に陸運局に相談済で次回車検は車体歪み検査が出来る日本では千葉にしかない陸運局車検場に持ち込もうと思っている。

グルジ~イ~ながくない~かも~

町の健康診断にまたひっかったので素直に昨日30日は医療センターに行って来た。
M壁がドッタラコッタラと読めない字で書いてある マッキンレ~の絶壁かと思った。
インドか何処か忘れたが自転車だって食ってしまうオヤジが居た もっともその後どうなったかはわからんが
そこまではいかんが俺の胃は何でも消化する。胃カメラでも消化しようとするが歳食ってカメラに負けてグルジ~イ~かった。
重い病気になった事は無いが超臆病なので多分治療には耐えられないだろう 検査結果は次回に持ち越し 自己満足だがもう充分に生きた、
ただ預かってる物もあるので後始末だけはしたいので残り期間を知りたいのだ。

最初に超臆病な事を告げていた担当先生は
「 組織検査結果を見ないと分からないが大丈夫 」と一言

自分では忘れているのかも知れんが世間を恨んだ記憶は無い 
他の何かを恨む事は相手が変らない限り自分にツキは回って来ないと言う事なのだと色々な人に教わった。
それより自分で出来る事をして状況を変えていった方がいいと俺も思う。
いつの頃からか手当たり次第に食う為に次から次となんでもやった その中で現在は空腹に悩む事もなく食って楽しく暮らす事が出来て余裕すらある。 
余裕は気持ちの安定を生みほんの些細な事に反応しなくなる。
俺の場合はその余裕はどうやって作るかは稼いだ銭より使うなと言う事で銭が無ければ高い車も要らん家も家賃さえ掛からないなら狭くても一向に構わん
都会では難しい事なのだろうが田舎ならそれも可能にして呉れる。
ここまで書いてホントなのだろうかと思い直してみる 

陽と日影 裏と表 作用と反作用 の様に俺のせいで陰で泣いてる者が居るのかも知れんが
それにしてもなんで俺がこんな幸せな暮らしが出来るのか
何が良かったのか自分でもわからんのが本音なのだ。
川崎事件を思う時に10年間も座して考え続けた結果は見知らぬ相手の人生を突然奪う事しかなかったのか
旅に出ると言う選択肢はなかったのか 
人生とはそれは毎日が旅だと思う 旅とは人に出逢う事なのだ。 
何も相手と話しをせんでも人の一生懸命生きてる姿を見るだけで嬉しし楽しい
こっち側にいる者として何が出来るのかわからんが
出来る者が出来る事で相対してゆくしかないのかと
ここまで書いて何も無い 混乱している 難しい本当に難しい


土日はラーメンの日 25食分をいまは鶏ガラと豚骨を時間も火の強さも分けてスープを取って営業直前に混ぜている今回で3度目だが少し先が見えた気がする。
俺は思うのだが人生をやり直したかったらラーメン屋はいい選択肢だと思う。

亀の甲より年の功

エビ地酒祭りも終わり一段落したが 
祭りの期間中はここの崖下通りは一方通行になるので暇なのだ 今回は頑な爺が居た為に自分の住んでる場所に入るにも国道を数キロ迂回をしないとなかった。
毎度の事だが村内には通知は無い 有ったのかも知れないが俺は聞いていない。
この崖下村に住んでる者は入れると思っていたが 俺はガラが悪いからか高齢の警備員が頑なに入れようとしない
本部の責任者に言ってくれと言う。
俺は今すぐ本部に高齢警備員爺が自分で連絡せと言うが 
まったこの爺がやり手爺で所々を聞えないフリと次々と来る車に対応する為に話を赤い棒を振りながら背中を見せて話を中断させるのだ。
 人生の先輩だけあってまったく上手と言うか、そのスッ恍けた態度にクソ頭に来た。
ムッタシ来て高齢の警備員に久々にかなりの音声で言ってシマッてから諦めて迂回したが
走り始めて後ろを見ると白いキャブバンが一台侵入していくではないか
俺の怒りはマックス、最高潮、見た事は無いが瀬戸の大潮小潮の大潮状態
すぐ戻って高齢警備員爺に言ったらツラこいて あの車はすぐそこの会社だからいいと言う。
俺の一軒隣なのだ ただ車に看板があるか無いかの違いだった。
怒りまくった俺は車で道路を封鎖して爺をやり込めたが 敵もサルものでびくともせん
では早く早くあの車に付いていって下さいと 
俺のボロ軽トラが道路を封鎖して渋滞してるので早く早くとせかす。
少し落ち着いて考えると俺も爺なのだがあれほど上手には出来ない それから坂を数百メーターほど下ってここに着いたが 
このクソ熱い中で立ちっ放しで本部の指示通り真面目に交通整理をする爺に精神のダメージがドッタラコッタラとなったらイカンと思い
缶コーヒー二本をこれで機嫌直せと差し入れしてヤッタ 
その時だけは本州より熱い炎天下で立ちっ放しで働く すっ呆け爺~は満面の笑顔でや~や~ありがとう~ありがとうと受け取った。


数年前に銭が無かったので原付バイクで行った秋田男鹿半島

先週はいい事がひとつ 少し寂しい事がひとつ 安寿と厨子王並みのかなり悲しい事がひとつ
高齢警備員のように亀の甲より年の功 俺も爺になったのだ 
これからは何か相手に背中で見せるものを探そうと思った。