グルジ~イ~ながくない~かも~

町の健康診断にまたひっかったので素直に昨日30日は医療センターに行って来た。
M壁がドッタラコッタラと読めない字で書いてある マッキンレ~の絶壁かと思った。
インドか何処か忘れたが自転車だって食ってしまうオヤジが居た もっともその後どうなったかはわからんが
そこまではいかんが俺の胃は何でも消化する。胃カメラでも消化しようとするが歳食ってカメラに負けてグルジ~イ~かった。
重い病気になった事は無いが超臆病なので多分治療には耐えられないだろう 検査結果は次回に持ち越し 自己満足だがもう充分に生きた、
ただ預かってる物もあるので後始末だけはしたいので残り期間を知りたいのだ。

最初に超臆病な事を告げていた担当先生は
「 組織検査結果を見ないと分からないが大丈夫 」と一言

自分では忘れているのかも知れんが世間を恨んだ記憶は無い 
他の何かを恨む事は相手が変らない限り自分にツキは回って来ないと言う事なのだと色々な人に教わった。
それより自分で出来る事をして状況を変えていった方がいいと俺も思う。
いつの頃からか手当たり次第に食う為に次から次となんでもやった その中で現在は空腹に悩む事もなく食って楽しく暮らす事が出来て余裕すらある。 
余裕は気持ちの安定を生みほんの些細な事に反応しなくなる。
俺の場合はその余裕はどうやって作るかは稼いだ銭より使うなと言う事で銭が無ければ高い車も要らん家も家賃さえ掛からないなら狭くても一向に構わん
都会では難しい事なのだろうが田舎ならそれも可能にして呉れる。
ここまで書いてホントなのだろうかと思い直してみる 

陽と日影 裏と表 作用と反作用 の様に俺のせいで陰で泣いてる者が居るのかも知れんが
それにしてもなんで俺がこんな幸せな暮らしが出来るのか
何が良かったのか自分でもわからんのが本音なのだ。
川崎事件を思う時に10年間も座して考え続けた結果は見知らぬ相手の人生を突然奪う事しかなかったのか
旅に出ると言う選択肢はなかったのか 
人生とはそれは毎日が旅だと思う 旅とは人に出逢う事なのだ。 
何も相手と話しをせんでも人の一生懸命生きてる姿を見るだけで嬉しし楽しい
こっち側にいる者として何が出来るのかわからんが
出来る者が出来る事で相対してゆくしかないのかと
ここまで書いて何も無い 混乱している 難しい本当に難しい


土日はラーメンの日 25食分をいまは鶏ガラと豚骨を時間も火の強さも分けてスープを取って営業直前に混ぜている今回で3度目だが少し先が見えた気がする。
俺は思うのだが人生をやり直したかったらラーメン屋はいい選択肢だと思う。

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