オホーツクに行って来た

金曜日から仕事でオホーツクに
夕方5時ころ上川を過ぎたあたりから雪が結構降り始めたので無料高速にあがったが大きな間違え
除雪が悪く狭くて一台走るのがやっと層雲峡超えた辺りから道は凸凹で後ろの箱が壊れるかと思った。
やがて大型トレーラーも30キロ以下で走ってるので詰まって来て
道路封鎖になったら閉じ込められのかと思ったが食料もあるしFFヒーターもあるしで俺は何も困る事はないが
零細トラック会社や鮮魚運搬トラックなら運転手はタダでは済まされない 
左右もよく見えずに成り行きで終点まで走る 上川から遠軽までやく3時間半も掛かった。

 
途中で埋まってる車があったがニイチャン達がワイワイ言いながら上げていた。
やはりオホーツクのニイチャンは元気がいいな~
俺の車も二度ほど低速4駆に入れてしまうほどだった。

いつか15インチの軽キャブバンが欲しいと思ったが もう発売されても買う事はないだろう。
途中の駐車帯は大雪で除雪されていないので一番近いサロマ湖道の駅まで行って車中泊する事に着いたら10時チョット前
雪ダルマになった大型トレーラー 朝まで止まっていた。
日本の大型車は仮眠スペースが畳一枚以下で寝返る事すらままならない
セコイぞ~畳一畳半位の仮眠スペースと電子レンジとコーヒーポットくらい標準装備にせって

俺は思うのだが北海道は少ないが車中泊や車中メシを禁止するなら税金で作った道の駅は返上して物産館にした方がいいと思う。
全国アチコチ走る俺が感じる車中泊禁止や車中メシ禁止には銭の匂いがプンプンするのだ。
車中泊禁止や車中メシ禁止を歌ってる道の駅のそばには有料オートキャンプ場がありそちらに誘導されるが仕事で走ってるトラックやバンの運転手の事など眼中にないのだ。
「 車中泊、車中メシはご遠慮下さいとは言ってるが禁止とは言っていない 」
この論法は募っているが募集はしていないとクズの政権与党党首が使う手法だが
仕事で走る者に肩身を狭くさせてどうするだ 世も末だぜ全く
あ~あ~嫌だ~嫌だょ~お天道様ょ~
60過ぎても肩身狭くして働かならんなんて~


回り道してしまったのでサロマ湖を大きく迂回して目的地に向かう 路肩に雪の壁が無いと怖い
冬になると乗っていた網走の底引きを追いかける鮮魚トラックを思いだしたが我ながらよくやったと思う。


パーキングエリア能取駐車場トイレあり

農工、商士

半端者で大儲けはしないがなぜかそこそこに稼ぐ俺が考える商人とは
右の物を左に動かして利ザヤを稼ぐのが商人で
紀州で大量に採れるミカンを江戸に運んだのが紀伊国屋文左衛門だが問題は熊野灘で地形からいくと航行は相当難しいだろうと言う事はすぐわかる。
太平洋側は陸地から離れる海流がありジョン万次郎を始め多くの人が太平洋に流されている難しい海流なのだが
その点日本海側は陸に流される為に江戸時代から高田屋嘉兵衛で知られた北前船は頻繁に往来した
動力船や汽車の出現により北前船は終了したが
望んだ結果ではないだろうが結果として太平洋側と日本海側の圧倒的格差を生んだ。
様々な要因はあろうが原因の一端を作っていったのは北前船のアイヌや地元人などから搾取に近い物流と優秀な人材の吸い上げがあったのではないかと思うのだが

丹後由良湊 北前船資料館

農は農、工は工、商は漠然とした範囲が広く、士は刃と槍で支配をした側だが商が士に近づいた事によって地球では現代まで悲劇が起きている。
俺が言うのもなんだが商に関わる人すべての人が士農工商の中でも、もっとも厳しい御法度を持つことが世界平和に繋がっていくと思うのだが

世間ではお客様は神様ですと思ってると思うが それは間違えで作られた間違え錯覚なのだ。
お客様は神様ではない 圧倒的に売る側が強いのである。
それは昨今のコンビニ騒動を見るとわかる。
お客さん⇔店舗⇔コンビニ本部
たかだか一軒や二軒のコンビニ店舗など有ろうが無かろうが本部は痛くも痒くもなく風で何処かに飛んで行って欲しいと願っている。
戦いを挑んでも資金力や人材力に圧倒的差があり風前の灯以前の問題なのだ。
店とても珠に色鉛筆一本買うお客さんにも同じことが言えるし店側は危機の分散を図る為に少額のお客さんを大量に集めようとする。
その結果は順序は
本部メーカー☚店舗☚お客さんとなる。

圧倒的物量の前に弱小店舗やお客さんは何をすべきかは揉め事が起きた時に本部相手に改善を迫っても時間ばかりが掛かり此方の息切れ状態が起きる。
即刻やるべき事は自分の側に内に改善すべき点はないのか、反省する事はなかったのかと点検する事なのだ。
そこを改善してゆき相手にも改善を迫る これが最善策でこれ以外には無いと思う。
それでもダメな場合は船を乗り換える。
これが無く一方的に相手を土下座させたりすると窮鼠猫を噛んだりして場は戦いに消耗戦にと一歩前進してゆく

商は誰とも戦わない事 敵はテメ~の中にあり
大事な仕入れ先や農工に寄り添い商人こそが寛容の精神を持たなければと今頃気付いている。

農工商士

札幌から戻ったが今回はとても衝撃だった。

一つはある人の言葉にとても衝撃を受けた 北24条の居酒屋で日本酒5合目を呑み始めた時に雑談の中で
「 職人は商人にはなれない 」とその人は言った。
その人の仕事ぶりや会社を何回か目にしていた俺は衝撃だった。
儲かっている会社は一律に綺麗なのだあるべき処にあるべき物は置かれ掃除も行き届いている。
危険な仕事をする会社は特に本当にこの会社は稼働してるのか思うほど綺麗な会社もある。
それは整理整頓出来てない現場は足元を取られるからなのかも知れない
その儲かっているだろうと思われる会社のトップが言うのだから
整理整頓が出来ない不器用な俺にそれは大陸間弾道ミサイル並みで酔いも一遍に覚めてしまった。
「 いいメカニックはいいセールス 」と言われていい職人になりたいと仕事をして来たが
俺は不器用なのと千分の一ミリを手の感覚だけで知る事も出来ない 整理整頓も出来ないのでいい職人とはとても言えない
さらに適正価格で売る次世代を育てる事が出来ないのでいい商人ともとても言えない
職人は商人にはなれないかも知れんが、逆に商人は職人にはとてもなれないと思う。
沢山の優秀な職人を見て来た俺は優秀な職人はたまたまその仕事をしただけで何をしても能力を発揮するだろうと思うし
優秀な職人に共通するのは普段の生活でも物を置く時に育ちの悪い店員が釣銭を渡す時の様に手から捨てる様に放す事はない
バラバラになった家族をまとめる為に食っていく為にとガムシャラにやって来たが
俺はほんと半端者でいったい何者なのか何か世の中の為になったのかホテルまでの帰りの道々考え込んでしまった。

もう一つは懐かしい恩人にあったが現在を作って呉れた恩人なのに一瞬顔が分からなかった。
確実に時は過ぎ去り続けている事、歳食った事を突き付けられた。
もう都会では生きてゆけない早く石狩川を越えよう。


最近は仕事場で呑む事が凄い贅沢な事と思うようになった。
昔は夕方になると異業種がアチコチから人が集まり軒先で宴会だったが
それがどれほど技術の進歩に貢献した事かと思う。

25日は留萌で定例会 呑んだあとは船場公園で車中泊 
朝7時に眼が覚めてこのまま何処かに行きそうになったが増毛に戻る。
船場公園は24時間トイレも綺麗ですぐ傍にコンビニもあり歩いて数分で居酒屋将軍など飲食店があり車中泊にはぴったり
ここは時間調整の為にトラックが車中泊で結構止まっている。
北海道にも何を勘違いしたのかドライバーの為の国交省所轄の休憩施設である道の駅でも車中泊や車中メシも禁止してる道の駅がある。

トラックは大きい為に止める処は制約があり道の駅の車中泊がダメと言われた場合は止める処は道路縁のトイレも無い駐車帯しかない 我々の為に夜通し走っているドライバーにほんとそれでいいのか
船場公園は車中泊、車中メシが出来る優しい駐車帯として売り出してはどうかと思う。

朝増毛を通り越しそうになる誘惑を振り切り いつもの舎熊地元資本のセイコーマートに寄って牛乳と総菜を買った。
コンビニにゆくたびに思うのだが コンビニはいい時代に入った。
それはこれだけ乱立しても何処に行っても無機質の金太郎飴で品質も品揃えも設備もほぼ同じで
それはコンビニとしては誰も満足しているだろう。
そうなると残るのは人間性しかない 朝の稼ぎに向かう人達にマニュアルにない
その人ならではの一言を言える人間臭い店主か店員を持った店が残ってゆくだろうと思う。
何も特段銭が掛かる話ではない

月曜日からは札幌で二日間 最近は大都会に出かける事は何か億劫になっている。
それも左目が悪いせいなのか光の点滅が脳に響きなんか気分が落ちる。
光より灯(ともしび)がと思う年代に入った。
ずる休みして中山道に行きたい~

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や~ほんと数年前に古い家の解体中に6メーターほどの高さから落下して二階の床をぶち抜き背中から一番下まで落ちた時は持っている物はポケットから飛び出し 財布から携帯までが全部何処かに吹っ飛んでいった。
その時の痛みを思い出して
ホームを飛び越え背中から落下した若者には共有してしまった。

ホームの高さは大型車荷台くらいありそうだが
鉄のレールと砂利にシコタマ背中を強打して今頃入院してると思うが 
それにしてもロクに助走もせずに飛び越えるのだから凄い奈良県も災害になったら大活躍するだろう。
目の前に難関があったら飛び越えるのは男の本能でいたって正常な本能と思うのだ。
仕事上でもないのに上司や勤め先にはなんの責任があるのか知らんが役所まで引っ張りだされて大変 
生物本来の生き物に近い若者が首にならん事を祈っている。

何かあったら兎に角丸々り転がる事が瞬時に出来る様に練習しておいた方がいいと思う
俺は何かあるたびに錬成館で受け身を教えて貰ってよかったと思う。


博物館大好きなのだが3年ほど前に十日町市博物館で初めて見た火炎土器には驚いた。
なんでも信濃川流域に発展した土器で北海道では普通にある生活の為の縄文土器と違い何かの祭事に使われたらしい
文明は川の流れと共に発展していき川や遮るものは飛び越えるのが動物本来の生き方なのだが
超える事の難しい高い山や崖は川の流れを作りまた違った文化が発展して温存されてゆく事になって来た。

トンネルや橋が出来て自由に往来が出来てる様になってまだ百年チョットしかたっていないので
文明の発展の跡形を今ならまだ見えると思うので
ひと月休めたら舞鶴から滋賀、三重、奈良、和歌山、淡路島、四国と回ってみたいと思ってるがいつの事やら

それも石川県から紀伊半島ラインは何を見てもほんと不思議で
一昨年より昨年と歳食うほどこの国は不思議が一杯なのだ。


そんな訳で今年も不思議の国探検に行こうかと思いサブバッテリー残量計を取付ける事にまたまたバラシて見た。

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ヒネクレ者の俺は災害が起きる度に忘れないで下さい共有して下さい 
といつまで言ってるのだと思って腹立つのだ。
支援してる側は支援金を元手に何倍にもして欲しい為に支援してるのだ思うのだが

「 忘れないで下さい 」
それは自分に言い聞かせる事で他の人に悲しみを押し付けるべきではない
小さな個人に次から次と起きる災害や不幸を分配していったらタダでさえ生きてゆくのが大変なのにさらに心に溜めさせて行ってどうなるのだと
それは災害地もふるさと納税の様に宣伝合戦でパイの奪い合いになってゆく
テレビ向かったらこんなになりましたよ
あの時はありがとうございました。ではないのか
東北震災物資を運んだ時に
「恩は忘れません」 「ありがとう」 と家の窓々に手書きで書いてあった。
心配を掛けたくないと言って歯を喰いしばって頑張る人も沢山いるのに

これは激辛ラーメンの様に実態から離れた過激であれば受けると思っている
ニュースを流す側の見識の問題だとも思うのだが

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1月17日は上記念にベースキャンプを作り霧平トンネルを作る為の雪崩調査に2日間の予定で山に入り上記念に戻った時に車のラジオで震災を知った。


くつ塚
ここは伊勢湾台風の被害者が一番多く出た海抜ゼロメートル地帯で大江川のすぐそば
ここから歩いて1分程度の元塩町4丁目の二畳半矢作アパートに伊勢湾台風の4年後から一年超えて住んだ
当時はアパートの壁に水害の証明の様にクッキリと跡が残っていて
学校は南光中学でNHK中学生日記の舞台になった学校で先生は実在の先生でホントボロボロの校舎で二階に上がるのも怖かった。
さらに夕方になるとコウモリの大群が学校に戻って来るわで北海道にはいないコウモリを初めて見た俺はいつチ~吸われるかと恐怖のどん底だった。
南光中学の卒業アルバムは何処に行っても顔写真が載った唯一の証明なので今でも持っている。
学校も被災地の中心だった為か生きているかたまに顔出せと言う程度で
辛うじて立っていたアパートには海抜ゼロメートル地帯で家賃が安かったからか様々な人が住んでいて
その日のメシの種に日雇いの仕事を笠寺観音のテキヤの手伝いからネジ切りと学校にも行かんで食う為になんでもやったが
日当は早朝から夜暗くなるまでやって200円が相場だった。
大江川は満潮になると汚い港の水が逆流してくる川ですぐ傍の大きい工場は製鋼所だと思ったがカーバイトなども大量に捨てられていて拾いにいった。
そんな中でも高度成長期だったせいかそんなに皆に悲壮感はなかった様な気がする

俺には共有と言う言葉は無い
それは男なら他の人を引きずり込むなと言う思いもあり どんな境遇でもまずは自分の精一杯の努力の上に共有があると思うのだが
「 ニイチャン頑張れょ 誰が見ていなくてもお天道様は見てるょ 」
とどれほど言われた事か
いまはすっかり変わってしまった名古屋に沢山のものを捨てて来た。
俺の中にもし共有と言うものがあればそれは自分の為なのだ

17日は早朝から年始の挨拶に231を通り札幌に

俺は思うのだがこのクソ寒い中鼻水たらして眼もショボくれた旗振りオヤジに止まらずに右に出る時は必ずウインカーを出してやるべきだし停止線に余裕を持って止まるべきだと思う。
それでないと運転手が自分を確認してるかどうか確認のしようがない

帰りは遠回りして一度行ってみたかった市場に 色々買って来た。

古い市場は自分が立っていた場所の確認なのか懐かしいのだ。

予言者牡牛モ~ゼ~

雪が降らず暇だ~若かりし頃なら雪を求めて山に行ったものだが もう全然そんな気も起きない 
かと言って片付けもする気が起きなく何となくテレビを見てる生活なのだが
世の中は凄い人もいるもんだと感心してしまった。
創業からたった20年足らずで売った会社の代金1000億円も通帳に記帳したらしい
それも歳は40代前半らしく凄いぞ~ぞ~
40代前半と言えばプライベート自転車も買えなかった俺が初めて新艇のプライベートボートを買った頃なのだ。
ただ残念なのはその若さならほぼ怖いものなど有るかって言うくらいの時期だと思うのだが
折角1000億円も記帳して公開したなら その金で世界の若者の為とかなんとか言って井戸掘り財団でも作ってスッテンテンのゼロ円を再度記帳して公開しそこから再度立ち上がったら 
そりゃ~拍手喝采ものだったのに残念~

だが会社とは資産とはなんだと言う問題を多く考えさせられたニュースだった。
現在は穀物が作られた時から始まった資本主義の限界を人類は出くわしてるのだ。
人類は何かしらを口に入れ続けないと生きては行けない 
その大事なものを生産してる現場を置き去りにし投機の対象にして有名になったのが十勝の赤いダイヤである。
赤いダイヤはなんぼ高くなろうが安い時と何も変わらない小豆なのだ。
そこに天候と言う不確実な物を織り込んで投機の対象にしてしまったがその手法は生産者の汗水を博打の材料にしたのだ。

今から400年ほど前にオランダでチューリップ球根が投機の対象になり最高高値はその球根一個が肥えた牡牛40頭分に匹敵するまでに価格が上がった。
食えもせん花しか咲かんただの球根なのだ。
いま考えるとなんとバカなと思うのが投機でほぼ実体のない博打なのだ。
日本の小豆なども投機の対象になっていい迷惑は実際にそれを使って細々と餡コロ餅を作る人達で価格が上がっても末端の餡コロ餅には価格転嫁は出来ない部分を自分達の身を削っている。
生産現場が世界に広がっている現在はその実態が見えづらくなっているが
もうそろそろ限界が来るだろう。
口に入れる物に一番近い処に住んでコツコツと働く者が世界を救うと思うし正しく評価されるべきだと思う。
北海道や日本に博打場のIRなど絶対に要らん

最近深川の農業を教えてる学校にある物を持ていったが
そこで20代の実直な若者と出会ったが俺の説は確信にかわった。
俺は丑年なのでこんどから俺の事を予言者牡牛モ~ゼ~と呼んでもらうか

サルもの追わず。

たかだか銭金で済む物と済まないものがあるし
誰でも人を見間違える事はある。それも苦しい時はなおさらで
あんな奴だとは思わんかったと言って離婚なども普通にあるし
超大企業の日産は倒産寸前にまでいっても日本の企業も政府も誰も助ける事はなかった。
その泥船にルノーは代貸しゴ~ンを送り込み見事に再生した。
日本の関係者よりニッサンの可能性と資質を見る目があったのだ。
人が困った時、苦しい時に揉み手して乗り込んで来るのは新興宗教と怖いオジサンと相場は決まっている。
ここでは書けないが何度も身近で見て来た。

良くなったら苦しかった時の事は忘れて恩も義理も忘れるのも、
なんも政治の世界だけではない
通常にある事なのだ。
ご~んょ~手切れ金持って行け泥棒なのだ。
丁度年の瀬ではないか ご~んなのだ ご~ん
面子を潰された連中はあの手この手で躍起になるだろうが

後ろ向きに囚われるより
大事な事は安全に関わる品質を落とさない事で日産首脳陣のやる事は
現場に戻りラインや末端販売店で働く派遣社員、正規社員を問わず謝罪と頑張って下さいと頭を下げる事ではないのかと思うのだが

10億もヨッコしたオバサンだって銭は戻ってこない 
いい迷惑は馬で桜に肉にされるかもしれない
青森のアニ~タ~だって回収は出来ていない
人を見る目を養いましょう~見間違えた時には授業料は当然払う事になる。
反省の為に書類の廃棄はやめましょう~ 
反省だけならはサルでも出来るらしい~ぞ
元ニッサンボート販売店より

質素倹約

嫌な時代になった
皆で決めた事から離脱して経済封鎖をしちょっかい最初に出したのはトランプで
裁判にも掛けずに抹殺していいのは戦争だけで人間のクズトランプやアメリカは狂ってる。
制御の効かない状態が起きてウクライナやカナダ人はトランプの犠牲になった。
一人一人に親も居れば子もいる数ではなくさっきまで生きていた人なのだ。

俺は自分の生活を60代より一割下げて暮らす事を目指して来て
銭を掛けないからこその工夫など楽しさがある事に気づいてる。

どうやったら安くできるかと散々考えて
箱の構造は安い3×6センチ角を半分に切って銭の節約と軽量化を図って
間に居れる発泡ウレタンがすじかいの代わりになって構造的にハニカムになっている。
寝ながら星を見る天窓は捨ててあった雪印の冷蔵ショーケースの二重扉を使った。
ただただ銭出して買った物よりは数倍楽しめたのだ。

どこの道の駅でも車中泊していても見学者が来るほどで説明する俺の鼻の穴がピクピク動くのだ。

もう金や馬力にものを言わせる時代は終わった。
青龍刀より日本刀、元々質素倹約は日本の伝統なのだ。
浮いた金で落ち着いて考え
儲かれば人さえ殺す国や連中と間を取って暮らす事を目指すべきだと思うのだが
俺が言うのもなんだが喧嘩して徳になる事は何も無い