琉球与那国泡盛どなん


誰か知らんが琉球与那国泡盛「どなん」が土曜日留守中に玄関先に置いてあった。
メモも何もなしこの宅配ボックスには名前も記載なしで様々な物がドデンと置いてある。
先回はセコマのビールひと箱が炎天下にドデーンと置いて在り暫く預かって置いたが持主はわからず皆で呑んでしまった。
せめて何かしらのメモでもあればと思うのだが どなん


25日には八の納骨も済んで一安心
俺は自分だけの墓ならその辺りの石に名前だけで充分なのだが墓を作ると言い始めてから次から次と自分も入れて欲しいと言って来たのでこんなに立派になってしまった。
墓は一種の広告で
そこそこに雑誌広告原稿を書いて来た経験から広告はこれから買って呉れる人も大事だが自分の店で買った人達に「なんだあんな店で買ったのか」と言われない様にせめて恥を掻かせない事も大事で
佐藤隆太も被害者と言っていいと思うのだが

俺はやりたい事はほぼやったし常に現状を受入れると言うか流されるタイプなので小言は多いが常に満足して暮らしているのでいつでもOKょ~状態なのだ。
ひと安心して隣の墓碑をよくよく見ると陸軍工兵上等兵とまでは読めたのだが
画像に撮って寝倉に戻って画像を見ると旅順203高地明治37年12月8日戦死と書いてあった。
重機も無い設備も無い時代にこのひときわ大きい墓碑を立てるには当時は相当な銭が掛かったろうと寄付などあったのか全額自費で立てたのか
息子が戦死して喜ぶ親がいるとは思えないが軍神の親として悲しむ事も許されなかったのかも知れない
旅順203高地は司馬遼太郎が秋山兄弟の旅順攻略を題材に「坂の上の雲」を書いた。
他には北海道にもなじみがある高田屋 嘉兵衛 を題材にしたのが「菜の花の沖」である。
司馬遼太郎は一時期総理経験者が一番好む愛読書となった時期もありその他の執筆も国の指導的立場の人向けの小説が多く
江戸城は誰が作ったかと問うと司馬遼太郎は徳川家康と言い藤沢周平は農民と答えると言われた。
後に司馬遼太郎は自分の文筆活動に疑問を持ち始め執筆を止め下々の暮らしを見る「街道をゆく」紀行文を書き始める。
もしかして司馬遼太郎はこの墓碑も見たかも知れないが先にこの墓標を見たら司馬遼太郎は「坂の上の雲」は書かなったかも知れんと思った。
隣に自分と回りがチマチマ食って平和にその日が楽しければいいやと言う墓を作ったので
上等兵殿が怒ってこちらに倒れて来ない様に拝んで来た。

The Last of the ryo

ここに来た30年前に初対面で知らない奴にまで、ryoちゃんと何人かに呼ばれてびっくりした事があったが
嬉しかったここを終の棲家に決めた。


神も仏も幽霊も信じていない俺が墓を作って完成した。
ガキの頃はその日のメシも食えない その後は夕方になったら今夜は何処に寝ようかと言う生活も経験したので夕陽など見て綺~レ~などと思った事がないので場所選びは西向きはやめて東向きしたが狙った訳ではないが背後に後光が~
いままで数回海の散骨を頼まれて生前乗っていた船の操船をした事があったが
俺は海に散骨されるのは嫌で樹木葬も嫌なのだ生きた証を残したいので管理費の要らない
公共墓地に墓を作ったが手入れをしない墓は撤去すると書いてあったが
後継ぎがいない墓を税金を使いわざわざ撤去はする訳はないのだ、それは倒れた墓や大きな木が生えてる事からもわかる。
黄昏て数年後に消滅もありそうな町でも何かの事情で撤去などとあるかも知れんので
撤去など不埒な事を考えたらこの小じゃれた白い石の下は全部分厚いコンクリートで
費用はかなり掛かる様に作ってあるのだ。
八も俺も銭が仇の人生だったので完成前に払い早速週明けに墓開きと八の納骨をする
私も入れてと言う希望者も数人いるので死後の世界はハーレム状態なるのは間違えないのだ。
ナンマンダブ~ 色足是食う~ 右の頬を叩かれたら左の頬を叩け~ あらーは偉大なり~


内田橋 ここに三カ月ほど暮らした。

脳科学者じゃないけど人間はトコトン追い詰められたら脳内で記憶を消し去る事が起きるのではないかと思っているが
現代はSNSとやらナンチャラでそれすら許す事なく追い詰めていく社会になっている様に思える。
俺もこのブロブを書く様になってから記憶を甦る事が多くなってシマッてほんと皆にどれほど世話になって、迷惑や不始末をして生きて来たかを突然思い出し詫びで済むとは思えないが過ぎた事と耐えてる。
それでも書くのは見ていて呉れてるかはわからんが多少若い子達と関わりを持つようになって俺でさえ生きていると言いたいのだ。
能面は見方によって泣き顔と笑い顔が一緒になってるそんな感じでトコトン困ったら笑って誤魔化せが俺の信条でもあるのだ。
脳はそれを許す構造になってると信じている。
知らんけど

夏は海を走り回り冬は雪原を走り回りとやって来た俺の血統は絶えるが今までの人生でゆったりなどは無かったので悠ったりと悠大な暑寒別岳の麓で季節季節を味わって笑っていきたいと思う。
数人に俺には心が無いと言われて来てそれもあり悠の字を選択したが
他の墓にも一文字は多いが思うに最後のあがきで自分に無いものを書いてる様な気が~
真実一路を貫き通すなどは人間の一生ではあろうとは思えんのである。

もうバイクやスノーモービルで野山を走り回る事ないだろう
The Last of the ryo

恐い夢を見てしまった。

ずうっと少しだけ知った川でのイカダの事をなぜすぐ員数点検は行われなかったのかそんな事を考えていたせいか夜中になぜかモービルではなくクレーンを水没させてしまう恐い夢を見て起きてしまった。
冬は30年以上各地でスノーモービルを数台使いチームで物標の無い湖川や平原や冬山に測量機材や物資運搬をやって来たが一寸先も見えないなど何度か窮地に落ちいた時には仲良しクラブでは脱出は出来ない船頭が必要で
それはメシの数から来る野生の勘だったりする。
その平時と違う勘の様なものを持つ者は普段意外と目立たない処にいる事が多く平時に声が大きい者はあまり役には立たないのは常識
黙り者の屁は臭いのである。
大昔コンバットと言うヒューマンテレビドラマがあったが その中のリーダーは少尉ではなくサンダース軍曹だった。

 

朝起きると堤防に必ずムラサキウニが乗っている。
この堤防の向こう側はテトラがあってそこにはウニやアワビやイガイなど浅海水産物が多数ありカラスが取って来てこの堤防で食ってるのだ。
いつかは横取りをしてやろうと思ってるのだが食ってる処はよく見るが取って来たばかりの処は見た事がない
この辺りのカラスはハシブトガラスが多くクチバシは10センチほどありそうなのだが潜る事が出来ないカラスがどうやってウニを取ってくるのか面白いのだが取る瞬間も一度も見た事がない
あと数万年もすると鵜の様に水に潜るかも知れない
その時に確実に言える事は人間は弱くなっているだろう。
たった数年前はカーナビなど絶対に使わないと言っていた俺がいまでは無しでは困るので頼り切っている。
携帯だってもしこれを無くしたら仕事や生活を戻していくには相当の月日が必要になるだろうと思う。
以前はかなりの数の電話番号を暗記していたのが今では自分の番号しか知らないし暗算が出来なくなっている。
これが暗算が出来なくなってるだけなら、まだいいが思考力まで落ちて来ているのではないか
最近の犯罪を見るとチョット考えたらすぐ捕まる事はわかるし割に合わない事もわかるのに思考力が停止した様な事件や事象が多い
文明は確実に人間を弱体化させているのはほぼ間違えはないだろうと思う。
そういえば青鼻垂らして国民服の様な服の袖をテカテカにして棒ッコ持って走り回っているガキも見た事がない
現在に生存していたならコロナなどどこ吹く風でそこら中を走り回っているだろうと思うのだが
何処に行ったのだ。


土日朝からビールと日本酒をガバガバ呑んで浜の別荘に帰る旧産炭地から毎週来て毎週同じ事を言ってる酔っ払い石炭コンビ
人生ってほんと様々だなと思う長生きしておくれ
俺も含めて酔っ払い達の為に、美味い酒を呑む為に土日ラーメン屋をやってると言っていいので30食売れたら充分なのだ。

断捨離

千葉からは3年振りで来たと言って呉れる人や埼玉から毎年旅行に来て呉れる人が立ち寄って呉れたりと
その為に出来る限りラーメン屋は開けなくていけないので土日は汗だくなりながら時間短縮でラーメンを作った。
いつもの吞兵衛がA市からやって来たがいつもなら反射神経で宴会に入るのだが流石に今回はお付き合いは止めた。
そんでもガキの頃から稼ぎ続けたがゆっくり休む口実が出来て少し嬉しい


こんな物から

DF225馬力付き 45ノット超え こんな物まで終活で処分に困っている。
あとはバイクが若かりし頃レースで乗っていたモトクロッサーなど7台ほどや鉄アレ~や多分武家の由緒あるだろうと思う道端で拾った鉄瓶や鉄釜など山ほど持っている。
他に倉庫や家が2軒とバンガローが二棟
捨てるのも銭が掛かるご時世であ~あ~なのだ。
銭も物も持ち続ける事は出来ないが人との交流や思い出はいつまでも持ち続ける事が出来る素晴らしいものなのだと思うようになって
困難があればあるほど後になったら笑い話に出来るそこが血が通う人間でAIとの違いではないかと思うのだが

昨年久しぶりに28年ほど前に逃げられた元嫁さんから純国産のウナギが食いたいとメールが来た。
メールの陰に うな亭 わがつのウナギ重を一緒に食したいと言ってる様な深読みは奈落に落ちるので
天然ウナギは高いだろうから1年待ってくれと
鉛筆程度のウナギの子を三重から取寄せて1年半で3匹が水槽で丸々と育ったが
「 情が移り捌く事が出来なくなってしまったので申し訳ないが吉野家のウナギ丼が美味いらしいからそこに食いに行ってくれ 」
昨夜メールを返した。

自然に近い状態にして8メーター水槽で飼育するとウナギの大好物はエビで次は子魚やドジョウ ウナギの姿は中々見えない

銭でも物でも物事でも始めたり何でも集めるのは簡単だが別れる切れろ捨てるはほんと難しいなと俺~は思うのだが

一番の儲け

誰にも知らせる事なく身体の中を点検する為にこのひと月ほど旭川と崖下村を行ったり来たりで忙しかった。
旭川は100キロ程度なのだが休み休み走るので片道に何時間も掛かる
昨日金曜日で一定の結果が出て対策をする事になったが
春に美濃に行った時はさほどの疲れも無く走り切ったので仕事で疲れるのは気分の問題で仕事は健康に悪いのだと思っていたが
どうもそうではなかったらしい


旭川一条20丁目あたりの民家 普通の民家にも常夜灯が付いている。
商売とは通りに灯りを付け続ける事なのだと教わって来た。

若い頃もよく旭川に行ってそれなりに裏側を見たが今は見える景色が全然違うのだ。
いま思うのは俺は商売人としてはそこそこやって来たと思うが経営者ではなかった。
やはり経営者は仕事と責任を繋いでゆく事が大事で後継者を残す事が重要な事だったが
俺は後継者を残す事が出来なかったので経営者とは言えずにいまは残っている施設をどうやって処分するか
預かってる物をさっさと返す事と売った物でアフターが付く物の、その引継ぎを考え続けた日々で
後継者がいないので建物や設備などの残務処理の為に稼いだ銭の大半が消えてしまい生涯収支が赤字になる状況に陥ってしまってる。
自分で売った物は出来るだけ買い戻しをしてさっさと処分をする事にしてるが
プーチンのバカ野郎の為に対岸貿易も止まったままになって処分は中々出来ない
さらに何でも拾って溜め込む、見る物乞食の性格で
この期に及んでなんのコッチャなのだ。


先週はお話がありますと悪魔の使いの様な若いネエチャン二人が役場から来て
これがこれで左がドッタラコッタラでとデーターを見せながら説明をする。
一番下にはビックらポンのデーター表が挟まっているが
赤ひげ大賞を受賞した増毛診療所の増子 詠一先生でさえ若くしてオッチヌのだから覚悟は出来てる。
説明など聞きたくないので若いネエチャンを喋りくり倒そうとクッチャベってると
船を手放しもう逢う事もないからと先月お別れの日本酒を二本も頂いたMさんが
「 や~今まで面白い話を一杯聞いたが今の話が一番面白かった 」と言って気付かぬうちに玄関に立っていた。
船のキャビンスペアカギをわざわざ100キロ以上も離れた処から持って来て呉れたのだ。
数十年のお付き合いの中で命の瀬戸際までとほんと様々な事があったが
俺は一個歳食ってるがお互いに戦後のどさくさに紛れて生まれて来たが強面の見た目からは想像出来ない
この人の実直で不器用な生き方に何度も助けられて来た。
もしこの商売をしていなければ出逢う事は無かっただろうと思うと
商売の一番の儲けは人に出逢えた事だったのだ。


今年に入って皆さんから日本名酒会かと思うほど貰ってしまった。
再度健康に気を付けて呑むぞ~ありがとうございやした~

旭川不思議が一杯

先週金曜日から痺れていた足が月曜日には右下半身も突然痛みで動かせなくなり火曜日は車に這って乗り旭川の整形病院に行く事になった。
ケツに注射と薬を貰ってやっとこさ戻って来てそれから3日間寝て過ごした。
痛みとは機械で言えばセンサーみたいな物でこれ以上は動くなと言ってると思うのだが
そう思う時に根本原因を排除せずに痛みを取る事が本当にいいのかと言う思いが常にあり
機械修理の場合はオカシイからと言って何でもかんでも闇雲に触るなと言うのは基本だが
人間の構造を考えると機械などとは比べようもないので下手に考えるより医者先生に任せてしまうのが一番と考えてるので言われた通りに
寝て薬を飲んで過ごしていたが徐々に良くなり火曜日には以前から数値がおかしいと言われた甲状腺の検査にまた旭川に行く
好き嫌いが激しく野菜はほぼ食わないが海草類はよく食う。
前回のチ~を抜いて検査してから海草類を一切食わずに再度検査に行くと正常と出たので海草類は週一程度にしましょうとこの件は終了だが兎に角疲れるのは同じ
疲れて来ると何もかもが面倒になり興味のある事以外はしたくなくなる。
幸いな事に故障探訪には興味深々なのだ。

北海道はそこら中にタコ部屋があり俺などは逆らうわ体力は無いわで真っ先に埋められていただろうと思う
日曜日は普段はタコ部屋の棒頭の様なオヤジ達が数人入れ替わりに来てメシ食ってるかと異口同音に言って呉れる。
タコ部屋はもう無いが声を掛けて貰えるそれだけでも現代に生まれて良かったと今更ながら思う幸せ者なのだ。


旭川4条通り21丁目 「場市出の日」右書きなので戦前からあるのかもどっちにせ相当古い市場

毎週旭川に通うようになって思うのは全国何の脈絡もなく旅して歩いたが旭川の
飲食店人口比はおそらく市では全国一ではないかと思うのだが
それと気になって見始めるとカラー効果なのか廉売市場、小売市場がやたら多い
なぜにこんなに多いのか雪が降る町だからか?それとも違うようなやはり武家や殿様がいない北海道と言う土地柄なのか
古い街の小樽も市場はあるがこれほどではないもっとも背後商圏の広がりは比べるまでもなく旭川が大きい事と小樽は海が近い為に個人の棒手振りが多い事もあると思うが
それにしても小売市場が多い
ロールモデルはあったのだろうが出来たきっかけは内地の戦後の混乱期に出来た闇市の発展系とも思えないし不思議
いまならまだ間に合うので誰か旭川廉売探訪写真集を出さないかと思っている。

氷点下の廉売市場通りで家族が食っていく為に魚を捌くその手はどんな手だったのか
きっとひびあかぎれで我が子の顔をなでる事も出来なかっただろうと思う。

悠久の悠


一人では呑む事は殆どしないのだが無性に呑みたくなって たまにいく焼肉屋に峠を二つ超えて泊りがけで呑みに行ってきた。
神かまうな仏ほっとけの無宗教無神論の俺が翌日はお墓に入れる一文字を決定する日なので早朝朝霧のなか戻る事に

ニュースでもよく間違われるのは再犯率と再犯者率なのだが再犯率とは一年に起きた犯罪の中に再犯者が何人いるかで計算する。
再犯者率は塀から出て再度戻った人の率を言う。
平成20年頃を境に犯罪は減少しているので計算上は再犯者率は高くなる傾向にあるが
再犯した人の理由などの調査はよく行われているが
一度でその後犯罪を行わない人の理由などは当然だが調査は行われていない
その人はなんで立ち直ったのか
世界的に収容する事と更生は連動しないと結果は出ているが
再犯を防いだのは地域に母に似た愛があったのではないかと思うのだが

犯罪を犯す当然その国の法によって裁かれるがそれは司法が行うべきで一般人が裁く事は許されていないし有ってはいけない
現在はここが大問題で司法が裁いた者を一般人も追い打ちを掛ける様にして裁いていく
これでは一度でも間違えを犯した者は立ち直る機会を奪って行く事になってゆく
犯罪発生率は経済と連動していて生活に困窮する食うに困る立場になった事で起きる事がわかり
塀の中の収容率はバブルが去った2000年頃から多くなり始め一時期は収容率は100パーセントにまでになったが
現在は収容率は60パーセントにまで下がっている。
すべてとは言わないが元々この立場上からの人達が犯罪に走りその後は立位置を持ち直す事無く約40パーセントの人が再犯を犯す。
収容されないまでも戻って来た人を何の因果も無い人達が各種の媒体を使い叩く事が絶対にやってはいけない事で
それでは逃げ場を奪って行く事になって仕事を失い食うに困る事に追い詰める事になっていく
俺は左目が悪く身体の抵抗力が落ちると左から来る人の判別が出来ない
それは何も顔をそらしている訳ではないが人によっては自分の置かれた環境なども考慮して無視されたと感じる人もいる。

罰を与えるのは司法の役目でそれを何の因果も無い者が一緒になって罰を与える事は長い目で見た生活の安全上もやってはいけない
何の根拠もないが勝手に思うのは
叩く相手は自分が理解出来る範囲の相手でそれはひとつ~ふたつ~みっつ~くらい間違えると明日の自分かも知れない
と思う時にせめて何もせずにほって置けと思うのだが

八を入れる為の墓に一文字 悠久の悠の字を彫ろうと思ったのだが
就学前の頃から縁があった子が彼氏を見せに遠路連れて来た。
その彼氏の名前になんの因果か偶然悠の字が付いていた。
散々酔っぱらった俺は悠の字に言ったわかってるなと

チ~抜かれた~

目の前をスピリット・オブ・エクスタシーが通ろうがスリーポインテッド・スターが通ろうが
だからどうしたのと思う
それよりは軽のパネルバンが通ると俺の目はカッパと開き欲しいなと思う。
普通の実感として恐いと感じる金額は庶民なら払えそうで払えない100万程度ではないかと思うのだが
俺が回転寿司屋だったら6700万などどうやっても裁判で認めて貰える事などないだろうから
アンポンタンな子に100万請求し示談に持込み
その銭で岐阜県で一度も回転寿司を食った事がない育児園や施設の子供達を招待してレーンを回して食わせてやる。
当然そのアンポンタンな子と共犯にもスシローの帽子をかぶり接客をさせる。

商売をやってると相手先の倒産や自分の事故など損する事はよくある事で損を絶対しないなどと言う事はありえないその為に貸し倒れ引当金や控除があるのだ。
個人商店でもない大企業が高々アンポンタンに株価を下げられたと請求する事はその程度の会社と言わざるをえなく
企業は儲ける事は大事な事だが何かの役に立つ事も大事でいい機会だと思うので
このアンポンタン家族のメンタルが壊れない様に長引かせないで結論はさっさと出してやるべきで
たった一人でも救ってやる事が出来て再犯防止や事後処理などその手法も学んだらそれは企業の本望ではないかと思うのだが


これだって犯罪 信号待ちしていたら二人が乗ってるピカピカに磨いた車の窓からタバコをポイ
隣に乗ってるのも注意せんと共犯になる。

火曜日は医療センターには7時に入って一番乗りをしたのだが
そこに爺が入って来て「 あんたが一番か 」と聞いて来た。
そうすると間隔を開けずに隣に座り何やら書類を見せる旭川の高齢者検診ドッタラコッタラと書いてあり
これはどしたらいいと聞いて来るが俺は分からないと言う
それから俺の状態を聞いたり自分は無料だとか色々話掛けて俺より2歳上だと聞いた。
受付のシャッターが開くと俺を飛び越えて診察はいつまで待たせるのだと怒り始める。
俺は時間は一杯あるべし急ぐ事はないべ帰って何かやる事があるのかと聞くが俺には怒らんが
順番を無視して受付にずっと怒鳴り続けて早く採血をせと言う。
話が合わずに一方的に怒鳴りつけ結局は掛かりつけの医者に行くと帰ってしまう。
当日は一日待ち時間なのでずっと話を聞いてもよく俺は商人(あきんど)なので見知らぬ爺相手でも一時間や二時間なら相手は出来る。
生まれついての気が短かった俺でも商人はお客を怒らせない事も大事だが貰った対価にたいしてきちっと納得させる事が大事な事になる。
刑法も賠償金もその都度その都度きちっと相手に納得させる事が出来ないと無敵の人を作る一因にもなってしまうと思うのだが
俺は受付のネエチャンを慰めて大嫌いな診察と採血に向かう。

ヤフコメは回る

なんか忙しい日が続く
海の上で使う船外機はエアクリーナーと言う物が付いていないが港内で使う場合は土場などの砂ホコリが舞う中で使う為にシリンダーがスカスカになる。
エンジンにパワーが無くなると後進が出来なくなる=停止が出来ないでぶつかる。
予算がなくても多くの人が関わる作業船を止める事は出来ない
どうしょうか悩みに悩んで世話になってる若い現場代人の顔が浮かんで新品エンジンをバラし
このショートブロックを使う事に

あ~あ~もう新品では売る事は出来ない涙がちょちょ切れる。

夜中に目が覚めて バカになるからよせばいいのに
回転寿司大好き男なので あきんどスシロー6700万賠償のヤフコメを見てしまった。
なんだ、なんだこのコメントはここは日本かと思ってしまった。
今後の見せしめの為とか言って6700万賠償はせと言うコメントに13000ものイイねが付いている。
俺は法律家でもないし小学校も中学も貧乏でロクに行ってないがその俺でもわかる。
現在の日本には見せしめの為の刑や一罰百戒などは存在しない
もしそれがまかり通るのであれば誰かに見せる為に一人の人間を利用し過度に裁く事になる。
裁く時には起きた事に対してだけに誰であっても公平に裁く事が絶対条件で、
これから起きるかも知れないと言う事で裁く事があっては絶対にいけないのだ。

6700万もの銭をこの若い子の家庭で持ってるとは想像出来ない
もし持ってるのあればそんな~育ちの悪い
食ってない子みたいに醤油など舐めないでもいいべ~と思うし
まだ若いだろう親ももう少し育て方も違うのではないかと想像するのだが
持っていない場合は将来の稼ぎから賠償をして行かなければならないが
このアンポンタンな子にもし兄弟が居たなら
その子は親や兄弟を選ぶ事は出来ないと言う不可抗力の世界に生まれてしまったが
その子がこれからごく普通に生きていく事を出来なくする事はこの日本では出来ない
ま~ま~どれほどの財産を持ってるか知らんが
親は仕方ないとしても兄弟などのメシ代や学費など普通に暮らしていく為には賠償金を差し押さえしたとしても控除されるべきで
その事を考えたら親は子の為に鬼になっても家族を守る為にどんな手を使っても闘う事が今度は親の責任になっていく
サバンナでライオンがトムソンガゼルの子を狙って噛みついたら親ガゼルにライオンの〇玉にケリ入れられ泣く泣く諦める図が見えた。

ない袖は振れません、それに長い事関わる事は時間の無駄だし危険な事になり
銭貸してブツチコロされるのは大概は貸した側が多く
関係者がバカなヤフコメを見てうん、うん、俺の考えは間違っていないなどと思ったらおお間違えで
なんの根拠もないが裁判で賠償額が決まるのはせいぜい200万以下だと思う。
裁判に時間を掛けるならもっとやる事があり腹の太い処を見せた方が客商売としては得だと思うので
間抜けな、あきんど、と言える。

問題が起きるそれに向合い改善していく その事がより良い物を作って来たのだ
今頃みせしめの為にだとか一罰百戒だとか どこの国の話だと
このヤフコメは何処かの国の人間が日本を乱す為に日本語で書いてるだけなのだと思った。

お天道様


昨日16時10分に電話が来てやや一年振りに海に出た。
もう故障が起きる船も無くなり海に出る事は無いだろうと思って自分の船は陸にあげたままにしていた。
日暮れまで3時間しかない
チームを集め自分の船を点検し下架させるには時間がまったくない
近くにあった馬力のある船を事後承諾で借り出港する事に
30年のあいだに76回までは数えたが面倒になりその後は数えていない
その間に心に残る事がいくつかあるが
歩いて戻る事が出来ない海から戻って来た時に
心配させたと非難する人が大方だが
それは陸に足を付けて何もせずに待ってるだけの人達全員にハンドマイクでも持ってスマナカッタと言えばいいのか
いつの頃からか見守る事が出来なくなって
思いつくままに口に出し批判する人達が多くなって来たような気がする。
曳航作業のなかでそう思う事が一杯あった中で今でも記憶に残るひとがいる。
ただ一人事務所玄関の横にあった自販機から
買って来たのだろうと思う缶コーヒーをよかったと手渡して去っていった人がいた。
今でもごくたまにその人を見かける事があり
俺はそのひとに大きく手を振る相手も手を振り返して呉れる。
それだけで俺は1日が楽しい

たった1人でも作業終了するその陰には何人もの人が関わっている。
事後承諾で借りた船も
普段の立ち姿にその人ならと思える人の船だから事後承諾で借りて
暗くなる前に曳航作業が完了する事が出来たのだ
ありがとうございました。


お天道様が見ていてくれる。
海の上で命と身体を掛けた寄せ集めチーム解散
また何処かで逢いましょうと完了さっさと本業に戻る。