悠久の悠


一人では呑む事は殆どしないのだが無性に呑みたくなって たまにいく焼肉屋に峠を二つ超えて泊りがけで呑みに行ってきた。
神かまうな仏ほっとけの無宗教無神論の俺が翌日はお墓に入れる一文字を決定する日なので早朝朝霧のなか戻る事に

ニュースでもよく間違われるのは再犯率と再犯者率なのだが再犯率とは一年に起きた犯罪の中に再犯者が何人いるかで計算する。
再犯者率は塀から出て再度戻った人の率を言う。
平成20年頃を境に犯罪は減少しているので計算上は再犯者率は高くなる傾向にあるが
再犯した人の理由などの調査はよく行われているが
一度でその後犯罪を行わない人の理由などは当然だが調査は行われていない
その人はなんで立ち直ったのか
世界的に収容する事と更生は連動しないと結果は出ているが
再犯を防いだのは地域に母に似た愛があったのではないかと思うのだが

犯罪を犯す当然その国の法によって裁かれるがそれは司法が行うべきで一般人が裁く事は許されていないし有ってはいけない
現在はここが大問題で司法が裁いた者を一般人も追い打ちを掛ける様にして裁いていく
これでは一度でも間違えを犯した者は立ち直る機会を奪って行く事になってゆく
犯罪発生率は経済と連動していて生活に困窮する食うに困る立場になった事で起きる事がわかり
塀の中の収容率はバブルが去った2000年頃から多くなり始め一時期は収容率は100パーセントにまでになったが
現在は収容率は60パーセントにまで下がっている。
すべてとは言わないが元々この立場上からの人達が犯罪に走りその後は立位置を持ち直す事無く約40パーセントの人が再犯を犯す。
収容されないまでも戻って来た人を何の因果も無い人達が各種の媒体を使い叩く事が絶対にやってはいけない事で
それでは逃げ場を奪って行く事になって仕事を失い食うに困る事に追い詰める事になっていく
俺は左目が悪く身体の抵抗力が落ちると左から来る人の判別が出来ない
それは何も顔をそらしている訳ではないが人によっては自分の置かれた環境なども考慮して無視されたと感じる人もいる。

罰を与えるのは司法の役目でそれを何の因果も無い者が一緒になって罰を与える事は長い目で見た生活の安全上もやってはいけない
何の根拠もないが勝手に思うのは
叩く相手は自分が理解出来る範囲の相手でそれはひとつ~ふたつ~みっつ~くらい間違えると明日の自分かも知れない
と思う時にせめて何もせずにほって置けと思うのだが

八を入れる為の墓に一文字 悠久の悠の字を彫ろうと思ったのだが
就学前の頃から縁があった子が彼氏を見せに遠路連れて来た。
その彼氏の名前になんの因果か偶然悠の字が付いていた。
散々酔っぱらった俺は悠の字に言ったわかってるなと

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