空がなぜ青いのかそんな事は知らなくとも知る必要もないがその時その時に一生懸命に生きた人の魂はガンタの柄に汗となって染み魂となっていつまでも確実に残る。
触ってみたかった。 

ちょうどTAKAMIを思い出しながら博物館でCB450クジラを見てる時にKATUNORIがいってしまった。
二人で分けて食ったパンを昨日の事のように思い出す。
なんで俺より若いのにドンドンいってしまう。
石井と三人で昔のようにそっちでバイクに乗ってれ

金がなくやっと手に入れたバイクを自分達の手に油を染みらせ直し
XS650が走りエルシノアが走るCL72があと追う。T20がオイルを撒きながら走る。
過ぎ去った人生はあまりにも早く短い このブログを書く理由がまた一つ減った。
きっと俺はもうここから動く事はないだろう逢いに来てくれますか

ここは何処私~だあれ~

最近まで移動時に使うNTTモバイルなんちゃらを使っていたが採算が取れないとかで廃止になった。
たった2年で廃止するなら最初からするな機械まで買ったのに迷惑だぞ~とNTTは辞めて
うんで今度は日を跨ぐ時はタブレットとか言う物を使っているがどうも上手く使えないので長野にゆく前に試しにアチコチ走って見てる。 
が~コイツはマズイと思い出した。道中を覚えないし楽しめないのだ。
これは何度言っても一面真っ白で物標の少ない冬山で道を間違える奴と原理は一緒だと気付いた。
カラ松の木を見たら右に曲がれ赤松は左に曲がれと教えても一人になると何処かに行って行方不明になり全体を危険に落す奴と原理は一緒なのだ。
海霧の時はゴメの後を追うと助かるなどと信じる奴を作る原理とたいしたかわらん

知ってる事と自分の手で実際に出来る事は違うと言う事を命の瀬戸際まで気付かない奴を作る機械と感じた。

こんな奴にハマったらイカン 数回使ってパタンと閉じてるが電源を切る方法がわからんで
いつまでたっても右です左ですと息も絶え絶えにクッチャべっている。
ほぼ99害あって利は一利程度と思うので使うのは良い時だけにしようと思っている。
コイツにも一利があるので休みに運勢で方角を見て一利を探しに適当に東に行ってみた。

で着いた先がここ 何にでも感動する俺はこんな近くにこんな施設があったとは大感動

縄文土器と擦文土器がずらり


明治初期の入植達 いつも思うのだが昔の男は顔が端整で綺麗なのだ何か修正してるのか 

廃校の中が教室事に年代を遡る展示になっていてどん詰まりは調理実習室になっていた いつも通り越していた廃校がこんな事になってるとは大感動 全部見るのは一日掛かるだろう。
さらに入館料が地元民以外でもタダだぞタダ~

タダが必ずしもいいとは限らんがタダで公開して20年以上たつらしい 地元に力のある証しか

さ~次はメシにラーメンを食う処を検索し行ったが 何やら趣味でやってるラーメンでこだわりましたと言ってる。
コジャレタ店まで行って いつまでも趣味でやってれと却下 ラーメンは貧乏人の栄養補給の食い物でドンブリ抱えて新聞読みながら食う食べ物なのだょ~ 
白いうわっ張りを着て努力と辛抱に辛抱をかさね やっと店を持ちましたと言う、うどん屋や食堂のオヤジの足元にも及ばない 
ラーメン屋店主は元はどうもならんバカ野郎で暴走族で元バイク乗りと大概は決まってるのだょ~
それだけにラーメン屋は人生再起には持って来いなのだ。
俺は能書きタレてるラーメン屋が大嫌いなのだ。
男なら黙って一品ださんかいと店を素通り

でまた検索すると近くにバイクの博物館があるらしい で又また右だの左だのと機械に指図されながら着いた先は冬季休業中だったが 
除雪してる若いアニ~に聞くと見せてくれるとの事で中に入ったが
これまた凄いの一言 この田舎でどうしてこんなにバイクを集める事が出来
さらに動かす事が目標だとの事で綺麗に整備されている。
実際に乗ったバイクやなぜここにあるのだと思うバイクなど凄い
TAKAMIが乗っていたCB450クジラがあった なんか色々思いだしジ~ンときた。
過ぎ去った人生はあまりにも早く短い 感動のあまり写真を撮り忘れた。

以前は胸が震えるほどの感動が一杯あったが 
コンビニで後ろから来る人の為にドアを押さえてるニッカポッカのニイチャンや何気ない日常に
大感動したりしたが最近はそれが無いのだょ~
どうもパソコンや動画のせいではないかと思い始めてる。
戸を開けよ世界は広いと豊田佐吉の生家の戸に書いてあった事を思い出した。
旅に出よう旅に 

日本品質らしい~

不思議でしょうない
昭和45年頃 借金の為に数物屋になり朝から晩まで毎日毎日同じ物を一年半溶接をし作り続けた。
 画像はまったく関係ない大田区六郷土手にて

同じ物を数作る時に気を付ける事は外径寸法を正確に作る事でそれが狂うと入らないなど作った物が本体に取付が出来なくなる。
溶接の場合は突合せで溶接する事が多いが突き合わせる部分が平らでない場合は隙間を埋める為には強度が要らなければアンコを詰めるか強度が要る場合は部材のどちらかを削り溶接する。 溶接面間に隙間を作る事は最悪の溶接になる。特に局面がある場合は突合せ部分を最初から削る事を想定して最初から厚みを持たせる事はよくあった。

局面がありながら削る事が出来ない一番の理由は材料費をケチったか軽量化をする場合
馬力÷重量=速度 で重量が増えると速度は落ちる。
最初に速度ありきで重量を落とすのは強度が不足する それを補うのは職人技になってゆくが
現場を知らない設計者が出来ない図面を引く事があるのではないのか
現場は全体原価など そんな事はあまり頓着が無く 自分の作った物の心配の種を減らす為にどちらかと言うと過剰強度になってゆく
昭和の頃は現場の職人は旋盤工や製缶工からして気難しく乱暴者が多く 出来ない物を遣らせられるとそれならテメーがやって見れと遮光面も皮脚絆も設計者や図面屋にブ投げる者が多かった。
そこには設計者と現場の距離の近さがあった。

当り面を削らなければ溶接出来ないとなると手間と強度不足の心配が起きるので当然に現場から声が上がってる。
その声は設計者まで届いたのか 設計者は現場を見る事はなかったのか 
速度÷馬力=重量ではなかったのか
さらに発注側≧下請けではなかったのか
TIGを一度も握った事が無い 見た事も無い者がその組織の頭に居るのではないのか

8ミリを半分弱も削る事が本当に現場の裁量だけだったのか 
それなら削った分は外径寸法は変ったはずで 分業制のボルトなど取り付くはずは無い
設計図は誰が引いたのか不思議で仕方ないのだ。

どこかに現場より設計者が上と言う意識があるのではないのかクソの役にもたたんプライドなど捨てて現場を見ろ

見ようとする者に見え聞こうとする者に聞こえる。

現場は自分の今やってる仕事が終わりもせんうちにたった数秒で自分のまったく知らない処で自分の仕事の評価を株価と言う形で評価され稼ぎを横取りされる。
自分の手を油で汚さん者が現場をネタに数百倍数千倍と言う金を手にする現在バカらしくて
なんの根拠があって物作り日本 日本品質 出来るちゅうならテメ~がやって見せろアホ 
誰が一体設計したのか JR≧川重≧現場 かな

生涯現場に居た本田宗一郎は退陣する時に全従業員の手を握りたいと新幹線と飛行機を使い
全従業員と握手をした。
地方工場の一人が油で汚れた手を洗いに走った時にその手がいいのだと言い手を握った。

自分のこと 2

会社は株主の物であって働く者や社長のものではないらしい
で跡継ぎが無く会社を清算する場合に社長が全株を持ってる場合も
その場合も全部の会社財産を売却し銭にして社長兼株主に返さないといけない 会社の一部に住んで居る場合は立退き売却するか その建物を社長が買取らなくてはいけない その時に社長が買う価格は全国一の下落価格の実勢価格ではなく3倍もする評価額で買わなくてはいけない さらに売買なので消費税が発生する。
かくして登記変更や消費税が莫大に掛かり払えない場合は差し押さえて貰うしかないので廃業
即ホームレスになるしかなくなるのである。
誤魔化すと懲役もあるのだ。
それを避ける為に一旦誰か赤の他人に一円で売却してツラこいてそこに住み続ける事も出来るが
それとて自分の家に住むのに相当な登記料と銭が掛かるので万全の策ではない 
ましてや若いネエチャンならいつ気が変わるかわからん危険があるのだ。
かくして泥棒~犯罪者と言われようが何とでも言えのこのバカ野郎どもと 
自分一代で築いた家に住み続けるしかないのだ。
国は罠に掛けようと一円で法人に出来ますよ~
貴方も今日からシャッチョさんですょ~などと言うが調子こいて法人などにしてはいけない。

明日はどこの旅の空

網は入ってるがまだプリズンウインドではないホテルの防火窓から


何気に下を見ると隣のビルの窓に何か書いてあるぞ ネエチャンのレスキューコメントか~事件か~
と思ったら由緒正しい四文字熟語 平仮名だが!
「 ごーんめん 」と書いてある日本ではまず日本文化のスミマセンと謝る事から始まり 何が何だかわからんでもスミマセンで終わり事件になりかねない事も未然に防ぐスミマセン大変便利な言葉なのだが
「 ごめんね 」の場合は事件性に乏しく
これは本心から謝る言葉ではなく軽く その場が過ぎてしまえばOKと言う場合に使う。
例としては逃げられた古女房から若いネエチャンに乗換えた時に一生懸命作った、クラムチャウダーを古女房の茶碗蒸しを思い出しながら食った事がバレテしまったりした時に使う。
たいした反省してない、ごめんね、なのだ。
窓の住人はきっと下手な日本人より日本人ぽい義理と人情のトミー・リー・ジョーンズかも知れん

自分のこと

旭川通いが増えさらに南に東にと何かに付けて忙しい 旭川にゆく時でさえ途中で一度後ろで寝る事が多くなった。
EIJIからわけて貰った車は二台ともラジオを一度も聞いた事ないし聞こうとも思わない 
昔から初めての場所のはずなのに来た事がある 見たような気がすると言う事が多かったし
最近は何度も通ってる道中の景色がよく見える。
身体の中の遺伝子が太古からの何か道を探してるような気がしてならないのだ。

およそ人類300万年の歴史の中で仕事と言うものが発生したのは数千年前だと思うのだが
それ以前は自分か家族が食う為に動く 誰かの為に動き対価を貰う事は仕事になる。
仕事は誰かに仕える事で誰かの役に立った度合いに応じて相手の知と時間を貰える。
殆どのものは時間を買う事に繋がってゆき高いものほど早く着き早く作業が終わる。
そのなかで知と時間もある意味結構重たいので運びやすい貨幣が現れるのは 
人類300万年の中でそれはせいぜい古代エジプト程度もので日本では価値の裏付けに乏しい怪しい和同開珎が廃れ渡来銭が渡って来たのが たかだか1000年ほど前で北海道でもあちこちから出土している 
函館でも正式にはなんと言うのか忘れたが銭を紐で結んだ大量の銭がカメの中らから発見されている。
銭は使われて初めて銭で 貯め込むのはせいぜい精神安定剤程度の役にしかたたん
仕事をした結果が銭になると言うのは精神安定剤を必要とする者のする事でやはり若い者は仕事をする自分以外の誰かの役に立つ その結果に相手の知と時間を貰う、その相手の知と時間も誰かから頂いたものになる そこに足して次の誰かに手渡しをするその関係は対等であると思うのだが
そこを端折ってナンチャラコインで楽して稼ごうなどと思うと自分の価値と時間は銭となってカメの中にタンマリあるが どことなく虚しい寂しい人生になってしまうと思うのだが
ナンチャラコイン騒動は若い人が多いらしいので思いっ切り損して欲しいと願わずにはいられない
自分の対価をその程度で終わらすか生かすかは自分の素手に掛かっている。
素足を大地の土に付け素手に風を感じ油を染みらせてこそ生きてる意味があると思うのだが

北海道は太古から現代までと博物館と資料館の宝庫でこんな土地も珍しいのではないかと思うので
おりゃ~思うのだが北海道の博物館は暖房なんかいらんから年中無休がよろしいかと

なにせ国税から一人株主であろうが休業法人会社の施設に住んだり個人営業する事は泥棒と同じで
「 税務署の机の上にあるパソコンを私が家に持ち帰るのと同じ 」
と言われたのでもう仕事せんで良いのだょ~
佐川だせ~と言いそうになったが仕返しが怖いのでホームレスとなって今年は遊びまっせぇ~

下屋


すが漏りは一か所だけ水の道を作りそこからどんどん流せば解消する。
すが漏りの為に雪おろしをする事は必要なくなったがパイプの設置場所は窓を避けたのだが南に移動してしまった。
日によっては4~5日でガラスが割れそうになる ツンツンと突いて落とすのだが一気に落ちてくるかも知れんと思う緊張とワクワクする。
そう思ってツンツンして下敷になった人は多いだろうと思う。ま~それはそれで

数時間もの連続運転が難しくなったので いま行っておかないと後は難しいかもと
もっともいつもそんな理由を付けてあちこち遊んで歩いてるのだが
毎日長野の地図を見てあ~でもないこうでもないと思案してる。長野は周辺を8県に囲まれている 日本列島の中でも珍しい県なのだ さらに山のツネで集落が別れ川の流れと共に発展して来てる山一つ越えると違う文化圏があると思う。その変り目をこの目で確かめてみたい
きっと長野のどこかにいまだに隠れ里がありそうな気がして
なんか考えるとワクワクするのだ。
村で一番小さな店でメシ食って酒呑んで村の古老の話を聞いて一日の予算は8000円あれば充分なのだ。 
今回はラーメン作りのヒントになるかも知れない北海道では見る事が中々ない下屋の効能と構造と変化を見ながら一週間ほど掛けて太平洋側に抜けてみようと思うのだが
仕事が落ち着く3月が待ち遠しい
都会の人にはわからないかも知れないが雪のある地方はやっぱり爆発するような春3月末辺りがなんと言うのかいいのだ。

小さい男発見

 交際してる女に貸した400万を返せと言ったらしい そんなセコイ男など俺のまわりではあまり聞いた事がない
そもそも銭を都合出来たから貸したのだろう別れた女から金を取り戻そうなどとセコイ 
そんな男もこの世に居る事をぜひ逃げられた嫁さんに知って欲しいと ついセコさでは負けていない俺は思ってシマッタ。 
子供がいないのでどんな子でも見ると将来が楽しみなのだが そんな子達もいまやいいオヤジになってる。
どうして交際してる女の子供の成長を楽しみ手助けする事を喜べないのか不思議でしょうがないのだ
セコイ何もかも上も下も小さい小さすぎる。
まったそれを週刊誌にペラペラと喋り週刊誌も取り上げる事は最近の週刊誌は書いてもいい逆らわない適当な相手を探し袋叩きにするのが趣味なのか
もっと叩く大物がいるだろう。
そんな所に努めて本当にいい人生だったと言って棺に入れるのか
当然売上が上がるからやってるのだろうが買う方も買う方で都会に居たらそれくらいしかやる事が無いのはわかるが くだらん週刊誌でウンウンとうなずきネットか何かでさらに袋叩きにして輪を掛け再起のチャンスさえも奪ってしまう。
見ず知らずを叩いてそれで自分には何かの利益は有ったのか 只々後悔と後味の悪さしか残らんと思うのだが
まったく都会に住んでいるとゲームと袋叩き以外する事なく暇なのか
どっちにせ隣のガキでもない全く関係ない人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてクタバッテしまえ
人口比でどこの都道府県が一番週刊誌が売れるてるか調べてる奴はいないのか


スガモリが全くしなくなった屋根からオーバーハングした雪がいつ落ちるか楽しみにしてる。

朝から雪掻きはせんといかん 今日も崖の上に住むオジロワシは元気か点検せんといかん 
隣近所の爺婆の機嫌は取らんならん 
マキを焚いてるのでマキはわらんならん 春になったらゆく川や沼の様子もあれやこれや考えないかんし貰った魚はさばいて干さんならん
雪が溶けたらフキノトウを天ぷらにして食わんならん 田舎に暮らすと忙しくて大変なんだょ まったく


大釈迦村徳長 店の中はチョットした寄合所と言うか待合のようになってる田舎の噂の発信地兼お裁きの場かな?グフフ~
田舎に暮らしたら長い物には巻かれろ 情に竿さすな 爺婆には逆らうな

コツコツ銭も貯めたし~ 

毎日どこかの送り状を書いているがなんか覚えがある住所だぞ~と思い地図で確認するとやっぱし近いぞ~ストリートナンチャラで見ると景色も覚えがある。
追いかけて雪国~で書いた同じ人だった懐かしい 自分で文に書いてしまうと恥ずかしいので後ではあまり読まんのだが色々と思い出した。
石川県はやはり遠いのでその後は行っていないが帰りに見た大釈迦村の画像の父さんに逢いたくて 車をフェリーに載せる銭も無かったのでそこらに合ったスズキのK50にテントと荷物を積んで大釈迦村徳長に行ったが逢う事は出来なかった。
元気なのか話はしなくとも逢ってみたいのだ。

俺にはまったく持合わせていないものを持ってる。

福井でまった車が閉じ込められてシマッタ
冬はスノーモービルで荷物運びを40年近くやったのでモービルでも車でも猛吹雪で閉じ込められた経験が何度もある。
その時の経験から車にはエマージェンシーシートを積んでいる( 数百円のは使えない 2000円位のは使える )他にも救命胴衣や毛布、ロープなども常に積んでいる。
若い頃は吹雪が面白くてしょうがなかった。オリャ~と吹き溜まりにわざわざ突っ込んで突破してみたり色々やったが一度だけ橋の一番最初に立ってる石柱にブツカってひどい目にあった事がある。
ま~そんな話は置いて
俺は思うのだがスタッドレスを売る時に一緒にエマージェンシーシートも一緒に売場に置いたら たいした儲からんでも商人の品格だと思うのだが


14,1ボルト スペアバッテリーM27MFの電圧計 電気敷き毛布を2200円で買ったので夜に車の中で寝て試してみた暖かいが
そもそも極寒の地に行ってないので効果があるのかないのかわからん
バッテリー電圧はドンドン下がる一方で2時間寝て寝飽きたので終了


後窓は大した役にたたん冷蔵庫の冷却フアン エンゲル冷蔵庫が欲しいのだが5000円以上のもんは買わん そんな事に使う予算は無い
前に見えるのは1800円で買った20Wのソーラーパネルなので車が南に向くと発電がアップし最大14,2Vまで上昇する。

3月は田舎暮しの自説を確認にこの車で新潟から阿智村にゆくぞ~フェリー代は別にして一日8000円の予定でコツコツ銭も貯めたし 
なんか内地の山奥の街には北海道にはない幽玄の灯りを感じるのだ 
まさか商店街街灯がLEDになってないべな~

ニシン大漁

大相撲と他のスポーツと大きな違いは道具を使わない事でフンドシ一丁で闘う
そこにスポンサー企業が入り難い要素がありいたってシンプルなのだ。
スポンサーが付く事は選手だけの技量だけでなくスポンサー企業のイメージにそうパッと見の良さなども必要になってゆき 選手が使う物は莫大な利益を生む そこに何かしらのドロドロったものを見てしまう。
フンドシや廻しがなんぼ良くても作ってる処が莫大な儲けを手にする事は出来ないだろう。  ゆえに相撲は裏も表も無い 珍しいシンプルな競技と言ってよい
それは生きてゆく上に欺瞞と矛盾を常に抱えた人間社会に生きる者達に一時の夢と頑張れば裸一貫フンドシ一丁でもなんとかなるかも知れないと言う希望を見させる。
それが大相撲なのだ。
せめて大相撲だけは正々堂々とやって欲しいと思う人達に支えられている。


3時頃になってようやく一枚を撮る

朝っこ早く電話がなり暇だった来てくれと言われ 岸壁にゆくと大量のニシンが揚がっていた。初めての魚の網外しを手伝う。
ニシンはずうっと外ればかりだったが大漁になってそれぞれの漁家は人探しに奔走していた。
武洋丸には総勢15から17人ほどの下は中学生から上は80近い爺婆が集まって朝7時から終わったのは夕方5時頃 

網と魚を傷付けないようにするのだが手はかじかむはで大変な作業だった。
それが終わるとニシンのオスメスを分ける作業に入るのだが一匹づつ白子か数の子かを見分けるのも大変 さらにオスは安い為に発泡の箱に無造作に入れられるがメスは腹を上に向けて綺麗に10匹づつ並べて箱に入れて秤に掛けるのだが
そこには価格価値が誰でも一目でわかる一定の仕方があり面白いと感じた。

商人の品格があるとしたら獲られた水産物や農産物を効率よく無駄なく動かし一次生産者に頑張った分の適正な利益を手渡す事にあるのではないのか
クソ寒いわ手はかじかむ身体は心底冷えるはの現場に一日いてそう思った。

金を稼ぎたかったらまずは目の前の問題に自分の身体を使い真摯にガムシャラに取り組む事が一番大事な事で
金を稼ぐには一人では出来ない誰かの応援があってこそなのだ。
いい若い者がナンチャラコインなどで稼ごうなどと恥臭い いい人生は送れんぞ~

貴乃花

オスはマンモスと闘い引き摺って持ち帰り家族を守るのがオスに架された使命なのだ。
それは四本足だろうが二本足だろうがたいしたかわらん

やがて時がたちここ数千年になって文化などと言うチャラチャラたクジャクやオシドリのような人間のヤサ男が出現する。
鳥の場合はエサを取る能力はたいしたかわらん事と卵を抱く為にメスは目立たん方が都合がいいからなのだが
人間は体格からしてオスメスは明らかに違う
そこにここ数千年になって表れたヤサ男でも闘いに勝ちメスに尊敬の眼差しでウットリと見られたいと言う本能は残っている。

オスは今の自分は世間の家族の役に立ってるのかと言う自問は常に付き纏い
特に世間に対してどうあるべきかと言う問いが薄れた事が現在の荒れた世相となっている。
いまは有っても無くてもたいした誰も困らん仕事に従事してる者は多く
オリンピック、オリンピックと世間では騒いでいるが何兆円も掛けるオリンピックは有って無くても大した困らん代表格になる。 
困るのは選手とぶら下がっている関係者位なもんで
政治に利用されてそれで一時でも平和への光を探す道を見つけられるなら
それ以上の喜びはないのではないのか
グズグズ四の五の言ってないで行ってこい

野獣に比べてか弱い人類300万年の歴史でつい最近
絶大な知能で食うに困らんくなった人類が素手で闘う事を興業として変化し残った。
そこに生物本来の闘うオスの遺伝子を持ってる貴乃花親方の苦悩があると思う。
誰の為の大相撲かと世間に必要とされてるのかと 
であればどういう形が望ましいのかと
これはすべての興業者スポーツ関係者に問うてる問題なのだ。


築地魚屋の大将

華やかに持て囃される人達より土をいじり 水に手を漬け働く人達が居て食ってゆき生き残る事が出来る。 
道路で排気ガスにさらされて旗を振る人達や雨風にさらされて働く人達に貴乃花は勝てないと感じたのではないのか
銭を貰い興業する大相撲はどうあるべきかと貴乃花はその姿を晒しすべての興業者にスポーツ関係者に道を問うた。