自分のこと

旭川通いが増えさらに南に東にと何かに付けて忙しい 旭川にゆく時でさえ途中で一度後ろで寝る事が多くなった。
EIJIからわけて貰った車は二台ともラジオを一度も聞いた事ないし聞こうとも思わない 
昔から初めての場所のはずなのに来た事がある 見たような気がすると言う事が多かったし
最近は何度も通ってる道中の景色がよく見える。
身体の中の遺伝子が太古からの何か道を探してるような気がしてならないのだ。

およそ人類300万年の歴史の中で仕事と言うものが発生したのは数千年前だと思うのだが
それ以前は自分か家族が食う為に動く 誰かの為に動き対価を貰う事は仕事になる。
仕事は誰かに仕える事で誰かの役に立った度合いに応じて相手の知と時間を貰える。
殆どのものは時間を買う事に繋がってゆき高いものほど早く着き早く作業が終わる。
そのなかで知と時間もある意味結構重たいので運びやすい貨幣が現れるのは 
人類300万年の中でそれはせいぜい古代エジプト程度もので日本では価値の裏付けに乏しい怪しい和同開珎が廃れ渡来銭が渡って来たのが たかだか1000年ほど前で北海道でもあちこちから出土している 
函館でも正式にはなんと言うのか忘れたが銭を紐で結んだ大量の銭がカメの中らから発見されている。
銭は使われて初めて銭で 貯め込むのはせいぜい精神安定剤程度の役にしかたたん
仕事をした結果が銭になると言うのは精神安定剤を必要とする者のする事でやはり若い者は仕事をする自分以外の誰かの役に立つ その結果に相手の知と時間を貰う、その相手の知と時間も誰かから頂いたものになる そこに足して次の誰かに手渡しをするその関係は対等であると思うのだが
そこを端折ってナンチャラコインで楽して稼ごうなどと思うと自分の価値と時間は銭となってカメの中にタンマリあるが どことなく虚しい寂しい人生になってしまうと思うのだが
ナンチャラコイン騒動は若い人が多いらしいので思いっ切り損して欲しいと願わずにはいられない
自分の対価をその程度で終わらすか生かすかは自分の素手に掛かっている。
素足を大地の土に付け素手に風を感じ油を染みらせてこそ生きてる意味があると思うのだが

北海道は太古から現代までと博物館と資料館の宝庫でこんな土地も珍しいのではないかと思うので
おりゃ~思うのだが北海道の博物館は暖房なんかいらんから年中無休がよろしいかと

なにせ国税から一人株主であろうが休業法人会社の施設に住んだり個人営業する事は泥棒と同じで
「 税務署の机の上にあるパソコンを私が家に持ち帰るのと同じ 」
と言われたのでもう仕事せんで良いのだょ~
佐川だせ~と言いそうになったが仕返しが怖いのでホームレスとなって今年は遊びまっせぇ~

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