マヌケな俺

海をゆく時に世界三大発明の一つと言われる。
羅針盤をルネサンス期から少し前まで永いこと使って来た。
だがそれは磁針方位と言う真北とは若干のズレがあり修正をくわえながら進んで行かないといけないし操舵室の環境にも左右され潮流れや風の影響もあり絶えず自分の位置を確認して修正が必要なのだ。
ところが現在の衛星位置を掴んで進むGPSは正確に進路を指し 何処にでもゆく事が出来修正は全く要らない
その為に一度間違って情報を入力してしまった場合はなんの物標も無い大海原は ゆくとこまで行かないと間違いに気付かないそれは現代の科学で便利なった代わりに間違えに気付かずに ゆくとこまでゆく危険性を多くはらんでいる。
人間社会と言う大海原をゆく時にどこで自分の間違いに気付き修正を加えるか それは原理原則で生きる馬や鹿や自然に学ぶ前に やはり人間社会に学ぶべきで たえず修正を加えて行かなければない 多くの友人知人に学び失敗に学ぶ誰かと疎遠になる手痛い失敗をする、その原因は何だったのかそこに真剣に学ぶ 三日かも知れない三ヶ月かも知れない三年かも知れない その原因を外に求めた場合はほぼ修正は出来ずに また条件さえ揃えばまた同じ事が起きてゆく
原因は我にあると思った方が 我を変えさえすれば過ぎ去った時間は戻らんが これから先の人間社会のかなりの部分で我のゆく道が見えると思うのだが
失敗は銭を失うかも知れない、腕の一本くらい折るかもしれん多少痛い思いもするかも知れないが 失敗は天が神が呉れた暗示なのかも知れない
何がなんでも失敗を恐れずドンドン進めとは思っていない 我の失敗は気付かなくとも誰かに迷惑を掛けている事は間違いないのだ。
土曜日に青い車に乗って来た人に火加減を間違えてマズイラーメンを食わしてしまった。
失敗してしまったスマン
万が一再度逢う事があったならひと月分の無料ラーメン券を発行しようと思うのだがどこの誰だかわからん


最近この「 ゆ 」という字が大層気に入ってるのだ。
マヌケな俺をゆるしてくれ

砂川

あらためて衝撃を受けた。
なんであんな こ汚いオヤジに高学歴の者達が考えなくてもわかる犯罪を犯してそれも何度も繰り返すのか 
その構造仕組みは解明されたのか何省などと もっと研究すべきではなかったのか 
それでなければ浮かばれない人達が大勢いいると思うのだが
そう思ってみるとつい最近も高学歴の者達が普通に考えてもわかる忖度や検証の必要な文書改ざん廃棄をしてしまう。
その構造仕組みは 自分の何を担保に取られてしまったら加担してしまうのか 

砂川でラーメンを食ってみないで やれラーメンが固いとかやれコクがとか言ってると 
チコちゃんにぼーっと生きてんじゃねぞ と叱られそうなので
大雨で外仕事が出来ないと言い訳して濁流の石狩川を超えて泊で砂川でラーメンを食い続けた。
最初は軽い気持ちで行ったのだが 
滝川には頻繁にゆくのだがよく考えるとどこから滝川でどこから砂川なのかわからんほど近くさらに同じ石狩川の左岸にあるのだが 
北海道の大きな街は石狩川の左岸に集中し多くの町は川の字が付く
砂川は余程用事でもない限りは通り過ぎていた街なのだが まじまじと見るとこれほど滝川と砂川と似ても似つかない街は他にあるのだろうか思ってしまった。
数年前にラーメンを食った時に一杯450円はこの店だけなのだろうと軽く考えていたが
砂川は一杯450円や550円は当たり前だった事が今回わかったしさらに味も美味いのだ。
ラーメンに関してはアイツが大好きでも俺は大嫌いと意見が極端に分かれる珍しい食べ物なのだ。
それが滝川駅と砂川駅はおよそ5~6キロしか離れていないのに価格帯も味も全然違うのだ。
一体これはどう言うの事なのだと思い始めて注意深く見ると あちこちの建物はやたら大きくて屋上にヘリポートまである。
さらに菓子屋の多い事それも異常に多いのだ
さらに焼肉屋に飲食店も異常に多い事に気付いた。どこから境界なのかもわからん隣町滝川は寂れた感が満載だが
砂川は元気が一杯で不思議が一杯の街が砂川

砂川の今までのイメージでは野郎は財布にクサリを付けて腰から下げてオリャ~オリャ~とジャラジャラ言わせて歩き
お姉さまは朝からヒールの高いサンダルを履き古代エジプト人のクレオパトラ風の白系のサラサラったワンピースを着て歩くイメージがあったのだが
三日もいればなんだかわからんが元気で奥の深い街だと気付いた。
でもその差はなぜなのか不思議が一杯なのだ。続く

バカこけ

月曜日から降り続いた大雨で水槽の水取り入れ口が石や流木で夜中に流されて水槽の水が止まってしまって
気付いた時には一番大きいニジマスが一匹だけオッチンデしまった。
その後は水道の水を源泉掛け流し状態にしたが増毛の水道水はそのままでもなぜか渓流魚でも飼育出来るのだ。
いまやニジマスは川でも池でも何処にでも居てニジマスは持ち帰らないようにしてるのだが 小さい時には狙ってる魚と区別が付かないので三年で一センチほどのものがこんなに大きくなってしまう。
思うに一匹だけが大きくなると他のエサを横取りする為に異常に大きくなってゆき他は大きくは育たない
その為に大きい魚を別水槽にするのだが活動域が大きくなってさらにエサを食う さらに大きくなるの悪循環に落ちいる。
まるで今の社会や政治のようなのだ。

岩盤になってる崖の石が崩れて来て大きい物で直径20センチほどある石がベットと壁一枚隔てた川を転がって来る音が凄いので目が覚めてしまうのだが
慣れと言うのは怖いもので雨がチョット強く降ると毎度の事なので最近ではまたかと気にならない
これもまるで現在の政治の様なのだ。


昨年から軽自動車に替えたが 最近気になって仕方ない事があるのだ。
俺の車と大して変わらん車が白いナンバーなのだ。以前あった排気量ボアアップ版とも違うようだし
物売り商売でよく使うカラーバス効果なのか気になり始めたら次から次と来るのだが一体なんなのだ。
と聞くと寄付すると白ナンバー貰えるらしい~
そう思って見ると軽は一体いつの間に黄色ナンバーに変ったのだ さらに最高速度も60キロに上がってるぞ~
板厚など作りは高い割にケッチクサいが税金は安い車検は二年といい事づくめではないかと言う事と引き換えで黄色ナンバーなら甘んじて受けようではないかと思うのだが
黄色ナンバーに皆は劣等感があるのかここに来て白ナンバーがやたら出て来る構造が気に入らない
銭さえ出せば~中身は何にも変わらんが 銭さえ出せば~国民の劣等感を払しょくさせまっせ~と言う お上のその根性が気に入らないのだ。
借金一千兆円で金が無いならオリンピックはやるな
まるで三河の百姓の出の藤吉郎に官位を売り付けた公家や都会にある中身は板張りなのにレンガ模様の壁と同じではないか
切ったらチ~の出るような無垢材こそが真実の道に繋がるのだと
バカこけ~貧乏人で 軽しか買えない維持できない俺は意地でも黄色ナンバーでゆくのだ。
俺は高速は走らんが料金はナンバーの大きさと色で見分けてるのだ像~

内開き 外開き

以前にドアの開く方向を書いたが危ない業界は安全の為にはドアは外開きにすべきで内開きにすべきではないと

俺は性善説を信じてるが危ない現代に置いてはドアは内開き外開きには大きな違いがある。
北海道は風除室がないと朝に外に出れなくなるし体当たりでも押し入られる可能性が無い人達は過剰な防備の為に失うものも沢山ある。最たるものは疑心暗鬼に負ける事 今まで生きて来てコイツは本当に悪い奴と思った奴に逢った覚えがあまりないのだ。
どっちを選択するかは本人の自由と言う事で 

欧米は防犯上内開きが主流と言う CMにレスリング選手が出て来るナンチャラ言う有名防犯会社は欧米ボケ平和ボケで間違えてる。  
欧米の内開きはもっと違う理由があると思うのだが
船の扉は浸水と水圧で押される為に外開きになっている。こんどフエリーに乗ったら内側はどんな構造になってるかを見て欲しい
さらに安全を考える時はドアには取っ手やノブを付けるべきではなく鍵を回して鍵の頭を引いてドアを開くようにしなければない これは鍵を奪われない限りはドアを開ける事が出来ないし 
もし襲われた場合に中に子供などが居る場合は鍵を何処かに投げてしまえば取っ手の無いドアは中に侵入する事が出来なくなる。
内開きのドアだとガタイのいい奴なら思いっ切り体当たりでラッチは壊れて内側に簡単に開いてしまうのだ。
外開きは内側に船のように頑丈なドア止めが有れば簡単に開く事はない
安全の為にはドアは外開きでドアノブや取っ手は内側にだけで外側に有ってはいけない

その為に危ない業界のドアはドアノブも無く外開きになっているので 別に内開きにすると中の靴がズルズルと引っ掛かるから外開きになっているのではない


ゴリラ対ゴリラ ヤクザゴリラは開けれないと自信があるのか「 破ってみんかい~ 」と強調してる。
どっちもどっちなので判別付ける為に白いラインが入ってる方が警察 チェンソーなどは鉄製ドアにはハッタリだけだが まさかとは思うが使い方によっては エンジンカッターでラッチを切ってもドアノブが無ければ引っ張る事は少々難しし 外開きはカンヌキが別にあったら開かない 内開きはラッチを切ったら簡単に開いてしまうのだ。

恨みを買ってる者や危ない業界で生きようと思ったら裏口のドアにはドアノブは付けてはいけないし外開きにしなければ危ない
内側にサムターンを別に付けて相手を確認してからサムターンを開けなければならないのだが
身勝手で卑怯者の犯人が最初に侵入した交番の裏口のドアが内開き外開きどっちだったのか

御口直しに

うら~うら~とあっと言う間の人生だった。

ウチダ

なんか危ない時代になったと思う。
以前は危ない奴は外観である程度わかったしそう言う人達はそういう人達でつるんで近づかないば良かったが
いまは突然なんの因果も恨みもない者を襲う。
理由は沢山あるのだろうが身近な処から一つ一つ潰していく事が必要だと思うのだが
現実に出来ない事を出来ると錯覚してしまうゲームなども止めた方がいいとゲーム関係者は思って
自分の子供にはさせんと思うのだが
俺なんか相当ひねくれてるし結構短腹だし さらに最近は北海道の形をした傷が顔に残って見てくれも相当悪い 
一時は北海道の覇者になる為に生まれた証の傷かと思ったが全然違うらし~い ケンシロ~ウとか

レストランなど一生いかんでもいいし 観劇や芸術など一生見んでも構わない わかる人達だけで頷きあってればいいと思っている。
それより釘を口一杯に入れて口の中で釘を舌で頭を整列させて次々に打ちまくるニイチャンの口の中を見てみたいし
軍手の繊維クズは呑み込まないのかバイ菌に対する耐性はどうなってるのだ と不思議が一杯なのだ
その口に口髭など生えてる暁には口がもごもご動く姿を想像するともう寝れん~
留萌の作業服屋ワーク留萌にゆくとそんなニイチャンやアニ~やオヤジやおばさんが居るのだ。
機械打ちが普及したのでさすがに指に血豆を作ってる人はおらんくなったが 少し寂しいのだ。


恵岱別ダム湖から岳を見る。
山は残雪が少し残るくらいの時は登りやすく見ていても好きなのだ。何も仕事でもないのに厳しい冬山に登ろうとは思わんし
有名人が厳しい冬山に登ろのはなまった身体で挑戦はそれはそれで大変だろうがカメラマンは重たい機材を持って先に登ったり後を追い掛けたりと それ以上に大変な作業を人知れず行っている。
だいたいは地元の人達は山を神とあがめそう簡単に登ったりしないらしいではないか


お~お~ウチダザリガニが川エビをすくう要領でやるとウジャウジャいる間口30センチほどの網で一回に数匹入って来るが親は凄いスピードで動き一匹も獲れない
阿寒湖で食ったウチダザリガニが美味かったのでウチダザリガニで作ったレイクなんたら言う缶詰を一個400円で数個買ったが可愛いネェチャン達にやってしまい一個も食っていないので
親が沢山獲れたら食ってみようと思ったが一匹も獲れんで終わった。
ウチダザリガニは生きたまま移動飼育すると数百万の罰金もしくは懲役になるらしいので そんな銭も時間も勿体ないので可哀想だが戻れないだろう処に放置 場所はナイショ

しかし北海道大学の内田亨先生もウチダ~ウチダ~と外来ザリガニに名前を貸したばっかりにあちこちで名前を使われエライ迷惑な事で~


道道251号線をドンドンゆく

行かない方がいいと思うような 誰も来んようなナンチャラダム湖にナンチャラ衆議院先生のお名前がド~ント石碑に彫ってある。


ドンドンゆく ウチダザリガニが獲れなかったので今夜の食材を探しに羊の里に下りるが目当てのジンギスカンは店に無かった
なんでも地元の人でも中々買えないらしい 
羊の看板おろせ~と思ったが地元の西条デパートで輸入ジンギスカンを買って今夜の夕食に 
ジンギスカンは他の肉とは違い癖があり一旦食いたいと思うと止まらんのだ

留萌本線深川駅


秩父別

汽車旅はなんかいいなと思い どこが違うのかと思ったら見知らぬ同士対面で移動してる 対面で移動はあまりないかも知れん
留萌線も廃止が決定らしいが折角ある鉄道を残す ふるさと納税もあってもいいのではないかと思った。
返礼品は御当地発切符10枚 原価率はほぼ使われる事は無いのでタダ同然 ただしインクで印刷
力尽きて廃線になった暁には切符を抽選券にして線路のコマ切れやその他備品を抽選で分けるのはどうだ。
セコイか~
 

新幹線事件は同じ車両に役に立つ男は乗っていなかったのか 
以前にも事件が有ったのに目の前に刺されて倒れてる人が居るのに車掌が15分も説得に時間を掛けるなど信じられない
あれだけの人間を守るのに凶器持込を防ぐ事は出来ないと言うなら当然力で乗客を守る方法はあるはずで
車掌はよく頑張ったと言うJRは甘い
何らかの格闘技や捕捉術は訓練してなかったのかJRも儲ける事ばかり考えてるからなのか
車掌室には刺又を常備するか各入口に常備するのはどう 一本だけだと取られると危ないので各車両二本必要になる。
二度の犠牲者はこのままでは浮かばれん

野郎も生まれてこのかた一度も殴り合いの喧嘩をした事が無いと言う人が多いので乗っていても逃げるだけになってしまうのか
逃げるのも身を守る立派な手段ではあるが それにしても全員が逃げんでもいいべと思うのだが
ガキの頃の小競合いも素手で喧嘩をするうちは首でも〆ん限りは他って置くのがいいと思うのだが
それくらい経験してないと只々逃げるだけの男になってゆく

男と女が喧嘩になると男は女には勝てん 
それは男は身体張ったり銭を損した経験で手加減を知ってるからで狂気が凶器を持った場合は勝つ事は難しい 
そんな場合はショルダーバックや上着も有効な武器になってズボンのベルトなどは一撃で〆る事が出来る。
一度は家庭内でも訓練をしておくべきと思うのだが
本気でやっちゃダメょ~

どうしても大勢の中に入るとデンジャラス~な事を考えてしまうのだ。イカン~

懐かしい深川駅 
横にあった食堂で姉とチョット豪華メシ食った。
すべてのものは因果で繋がってると信じてる俺には現在の枝葉だけを考えるセコサには付いていけんし
町もJRも一緒に協力して形を作り折角ある建物や施設を有効利用し維持してゆこうと考えないのも信じられないのだ。
いまどき鉄道も街中にある時計や花壇と同じで 今どき誰も見ん食えもせん花でも時計でも時を刻んでいるではないか
利益優先第一なのが諸問題の壁になってゆくような気がするのだ
児童虐待でももっと隣近所の付合いがあったならと思うし 
かなりの問題はその人の人格を認めてやらない事から
起きてるのではないかと思ってるので早くに手を打つべきで
その最小単位は向こう三軒両隣になって次は町内会になってゆくと思うのだが
盆踊りでも宝引きでも出来る事は銭が掛かってもやってゆく
その中でも世直しを出来るのはやはりJRも含めて時間に自由度がある商売人ではないかと思うのだが
街の構成も職域で作られた街をもう一度見直し研究する事も必要と思うのだが

ひろゆきは今まで一所懸命頑張って来たのだ
「 辛抱という棒を立てろ 」と言うではないか~

留萌本線留萌発

月曜日は昼12時18分留萌発 深川行の汽車に小学校もろくにゆかずに母親と一緒にカツギ屋をやって魚を売って歩き家族を育ててくれた 歳の離れた姉を誘って留萌深川間を往復して来た。

姉とは小さいが初めて旅で意外な話を初めて聞く事があり もっと早く一緒に乗るべきだったと思った。
魚をガンガンに入れて運ぶカツギ屋は昭和30年前後に冬の間にやったそうだ。
ガンガンに干し魚を入れて担いで 
ホッケの開き大3枚で米一升と交換が当時のレートだったらしい 当時はコメの価格は今より良かったと思うが今のレートでは開きホッケ一枚 150円程度になる2倍としても一枚300円 留萌の南岸にゆくとホッケやサメやカレイ、タラなどは野積みであったので安かったとは思うが干して運んでと大変な苦労があっただろう事はわかる。
ガンガン売りも条件のいい地域や時期はすでに縄張りが決まっていて そこに踏み込むと怒鳴られたり脅されたりと酷い目にあったらしい
農家回りのカツギ屋は行も帰りも荷は軽くなる事はなかった。 

昭和30年頃に商売が没落した当家の主はプチ失踪し残った母親は後発組で農村地帯でも条件の悪い所と悪い時期しかゆく事は出来なかったそうだ。
姉は小学校5年生頃から始めたが深川から妹背牛に向かって農家を一軒づつ回って歩き
妹背牛周辺がシノギの場だったらしい
当時の深川駅周辺は大変な賑わいで冬道を少しでも荷を軽くしたい姉達は深川駅を降りた右側に子熊を飼っていた店があったそうだ
その店の側でこっそりガンガンの蓋をあけて置き
それを見た駅の乗降客が姉さん幾らと買って呉れる事があったそうだが
そこで商売をしてる事が地回りにバレたら酷い怒られたそうだ。
小さな子がいるとよく売れるらしく小さな子を連れて歩く物売りや棒手振りは何人か居たらしい 
戦後10年前後の大変な時代だったろうが人情、情というものが残っていたのだろう。

姉は字もロクに書けん勉強大嫌いな俺とは違い頭も良く字も綺麗で学校こそ行かなかったが何時も勉強していた。
その姉は今でもどこかに劣等感を持っている。
それも男のくせにプチ失踪を繰り返す良い処の出と称する辛抱我慢の足りないオヤジのせいなのだ。
 
その姉が留萌駅で列車から御用カゴをガタイのいい男に何かを言われてホームに降ろされた事があったらしい 
それは60年たった今でも恨んで覚えていたのだろう。
だが
その男はきっと戦争で辛い事を一杯経験しただろうし息子か娘を失っているかもしれん
カツギ屋をやってるくらいだからいい暮らしをしてるとは思えん
その時に年端もいかん息子娘に近い子供が真冬の原野に向かうとしてたなら
真冬の原野には行くなと御用カゴを降ろしたかもしれん
当時の汽車は雪でよく止まったのは峠下の急な坂道に二か所あるトンネル付近ではなく碧水や北秩父別付近の吹さらしの平原が多かったそうだ。
その男は真冬の平地平原の恐さを知っていたのだろう。

苦労の連続だった姉に今の俺がもしその列車に乗っていたとしたなら俺も行くなと言ったかも知れん
と言ってみた。

日本海岩老

お前ひとりどれほどのもんなのだ 何を甘えて思いあがりの無能者で卑怯者が
看護師に成る為にどれほど苦労するかを知っている。
新幹線内の卑怯者といいどこに美しい日本が 
各界の指導者達は皆がそれでいいと真似する前に作法にのっとり潔く腹を切れ

昨日は初めてここの集落に入り仕事
ここに生まれたら高校にゆくにも朝一番のバスは7時41分 それからトンネルを幾つも抜けて増毛駅に付いても汽車も高校もすでに無い 
そのままバスで留萌にゆき途中で乗換 学校はすでに遅刻 料金は片道1230円
バスは一日二本だけ
お前らが廃線反対とジョッパレば他の地域は値上げするぞと脅すJR
年間50億円もの赤字の新幹線だけを残すのは地域格差をさらに生んでゆく 
北海道汽車会社の中に誰か折角ある線路で地域を育てみようと言う気概のある奴はいないのか 

漁師のオヤジは前歯が一本も無い 
歯医者に通うにも予約など出来ないチョット時化たら国道なのにいっかた通行止め 
車の免許など自動車学校に通う手段すらない
凪れば漁に出んならんシケれば通行止め
崖の下で陸からの電波も来ない 
店など一軒も無い タバコが欲しけりゃ近い処で19キロ先に買いに出ないとない 
たまに町に出て焼酎を買って後生大事に抱えてバスに乗って帰り家で呑む 
獲った魚も運ぶコストがまかなえるだけの量を獲れん日には廃棄
機械も遠すぎて売っても修理にも集金にも行けないと言われ
どしても欲しけりゃ現金でと
地名も岩尾なのか岩老なのか誰も気にしない
樺太から引き揚げて親戚知人でも他所のメシにはトゲがあると言い
追いやられて追いやられて苦労の末にここの硫黄鉱山に辿り着きほどなくして閉山
漁師になったと言う。
年から年中の着枯らしは出稼ぎに行った先の土建屋の作業服
それでも 
夕陽が綺麗でょぅといい ウニを獲り山菜を採り
息子娘の手紙を待ちひたすら生きてゆく

出来る事は少しでもいい値で買ってやる事しか出来ない
一発屋の根性を掛けて


久し振りに崖下村の前を新造船が通ってゆく
いってらっしゃ~ 
いって来るわ いって来るまた戻って来る 日本語っていいなと思う。

「 ありがとう 」

何の因果も無い人を襲う通り魔の決め台詞 
「 誰でもよかった 死にたかった 」
そう言いながら自分より弱い者を選び圧倒的に強い力を発揮する物を使い事前に知らせる事もなく襲う。
『 卑怯者 』
卑怯者を生んだ環境と造った環境
二十歳だからもう大人だと本人の責任とツラこいて出て来る血縁者
卑怯者を育てた生んだ環境が垣間見られると思うのだ。
ニュースも垂れ流すのでなく卑怯者が出来て行く過程を徹底的に検証し教訓としなければ若者の命が無駄になる。

卑怯者が本当に誰でもよかったならヤクザの事務所でも襲ってみれ 
襲いにゆく前に一つ忠告してやる。
ヤクザの事務所のドアは防犯上(笑っちゃうが)必ず引っ張る方向に外に開くようになってる。
理由は色々あるが小難しい本を読んだくらいの脳天気な頭では勝つ事は出来ない
身勝手な卑怯者はボコボコにされて学習して来い

経験上の思い込みで何の根拠もないが男は27歳がひと区切りと感じてる。ここから何らかの転換が無い奴は付き合っても無駄と思っているし40歳頃までに大人しくならん奴は危険極まりなく話合いの余地はなく警察始め行政の仕事と思っている、
例えばギャンブル依存症など27歳までに脱却し他に守るべきものを見つけた者はその後すんなりいってる。
少しでも早く声を掛ける事が出来る者が声を掛ける事が必要なのだ。
それはどうしても元経験者や多少危ない業界の元経験者になってくる。

暴力など凶暴な奴は40歳頃になるとあれコイツこんなに穏やかな顔だっだかと思う時があるが  40歳過ぎても変わらん奴は誰にも迷惑掛けずに早くクタバッテ仕舞えと思ってる。
すべてを知ってる訳ではけしてないがギャンブル依存症など各種依存症は民間が儲けの為に造りだし後始末は皆の税金から対応する。
この後に及んでもIR法案など通そうなどと何を考えてるのか狂ってるとしか思えんのだ。
勝は依存症を生み 負けは他罰へと向かう。

狂った卑怯者を少しでも減らす方法は
俺が稚内で電気関係のその人を初めて見た時に
このひとはなんと素晴らしいのかと感動した事があり少しでも真似をしよう 近づこうと今でも思っている。
そのひとは常に
「 ありがとう 」
と言うその言葉がなんて言うのか身に付いてると言うか自然と言うか、なんとも表現のしようがない言葉でいつも
「 ありがとう 」
と結ぶ 今そこにある状況に 今ある偶然に感謝がこもっているのだ。
俺はそれ以来
 「 ありがとう 」の言葉がこの世を救うのではないかと今でも思っている。
俺の様に右でも左でもなんでもかんでも感動する奴はその反面も反作用として大きく持っている。
その凶暴な感情を押さえる事が出来るのは感謝される事の嬉しさなのだ。
「 ありがとう 」と

夏休みに家出のすすめ

弥生の貸元のお蔭で充分に食っていけるようになったばっかりに今の時代みなどこかしらおかしい
精神の均衡が取れなくなりそうだったら壊れる前に海も山いつでも待っている。

冬山の荷物運びを大事な収入源とし始めて何度か危ない目にあった俺にはエベレストとかナンチャラ言う山に買物にゆく訳でもなく用も無いのに登る奴や小さなヨットで用も無いのに太平洋を渡ろうとする奴やロッククライミングなど掴んだ石がポロッと取れない保証はどこにも無いのに狂ってると思ってしまう。
それで本でも書いて稼ぐ人は仕事になるが
殆どの人は精神の家出で右でも左でもどちらかに優れてしまったばかりに危ない事を狂気をしたくなるのではないのかと
それで他人様に迷惑を掛けないように精神の均衡を取っているのではないのかと思うので
登山も太平洋横断もたいした事ではない
凡人が一番なのだ。

月々18000円の年金生活に入っていまは毎週月曜日午後から水曜日は休みと決めていて その日が来るのが楽しみなのだ。
それでも予定通りには中々休めないが
5月28日から30日まで道東を832キロ走って使った燃料が45.4リッター リッターあたり150円とすると6750円位になる。
後は大好物の筋子オニギリとカップ麺とウチダザリガニとアイヌコタンの品物代くらい いつもポケットに18000円を入れて使い切りそうになったら戻るので細かく計算する事は無い
なのでどのズボンも洗濯する時はポケットに小銭が入っている。

ほとんど街中に行く事はない海辺か大した事がない山にゆく 
仕事でもないのに寒いのも嫌 暑いのも嫌 疲れる事も嫌なのだ。
ただ自然は怖いそして自然は決まった決まり事で機械のように動くのに自分がいかにちっぽけかを知らされる。 
自分の小ささに出来る事、出来ない事を身体で肌で知る。
それに比べて人は何を考えてるのかわからん読めんのだ。
それゆえに俺は人であふれる都会に出る根性はないのだ。
人間水と空気があればなんとかなる 
どうせ家出するなら食える野草の本を持って土のある処に出て見るのもいいのではないか
二年前に一円も持たずに北海道を苫小牧から釧路、帯広、増毛とお貰いと人頼みで東西に縦断出来る事を証明したシェーンのようなオヤジもいる。
少し余裕があったら有料もあるが各地に無料で見れる博物館もある。
芸術はまったく理解出来ないししようとも思わんが博物館は自分に出来る事と出来ない事を教えてくれる。
ガンタ一本すら自分で作る事は出来ない
どうせ家出するなら難しい本ばかり読んでないで厳しい北海道で自分を見つめ直す事も大事だと新幹線のニュースを見て思った。