「 ありがとう 」

何の因果も無い人を襲う通り魔の決め台詞 
「 誰でもよかった 死にたかった 」
そう言いながら自分より弱い者を選び圧倒的に強い力を発揮する物を使い事前に知らせる事もなく襲う。
『 卑怯者 』
卑怯者を生んだ環境と造った環境
二十歳だからもう大人だと本人の責任とツラこいて出て来る血縁者
卑怯者を育てた生んだ環境が垣間見られると思うのだ。
ニュースも垂れ流すのでなく卑怯者が出来て行く過程を徹底的に検証し教訓としなければ若者の命が無駄になる。

卑怯者が本当に誰でもよかったならヤクザの事務所でも襲ってみれ 
襲いにゆく前に一つ忠告してやる。
ヤクザの事務所のドアは防犯上(笑っちゃうが)必ず引っ張る方向に外に開くようになってる。
理由は色々あるが小難しい本を読んだくらいの脳天気な頭では勝つ事は出来ない
身勝手な卑怯者はボコボコにされて学習して来い

経験上の思い込みで何の根拠もないが男は27歳がひと区切りと感じてる。ここから何らかの転換が無い奴は付き合っても無駄と思っているし40歳頃までに大人しくならん奴は危険極まりなく話合いの余地はなく警察始め行政の仕事と思っている、
例えばギャンブル依存症など27歳までに脱却し他に守るべきものを見つけた者はその後すんなりいってる。
少しでも早く声を掛ける事が出来る者が声を掛ける事が必要なのだ。
それはどうしても元経験者や多少危ない業界の元経験者になってくる。

暴力など凶暴な奴は40歳頃になるとあれコイツこんなに穏やかな顔だっだかと思う時があるが  40歳過ぎても変わらん奴は誰にも迷惑掛けずに早くクタバッテ仕舞えと思ってる。
すべてを知ってる訳ではけしてないがギャンブル依存症など各種依存症は民間が儲けの為に造りだし後始末は皆の税金から対応する。
この後に及んでもIR法案など通そうなどと何を考えてるのか狂ってるとしか思えんのだ。
勝は依存症を生み 負けは他罰へと向かう。

狂った卑怯者を少しでも減らす方法は
俺が稚内で電気関係のその人を初めて見た時に
このひとはなんと素晴らしいのかと感動した事があり少しでも真似をしよう 近づこうと今でも思っている。
そのひとは常に
「 ありがとう 」
と言うその言葉がなんて言うのか身に付いてると言うか自然と言うか、なんとも表現のしようがない言葉でいつも
「 ありがとう 」
と結ぶ 今そこにある状況に 今ある偶然に感謝がこもっているのだ。
俺はそれ以来
 「 ありがとう 」の言葉がこの世を救うのではないかと今でも思っている。
俺の様に右でも左でもなんでもかんでも感動する奴はその反面も反作用として大きく持っている。
その凶暴な感情を押さえる事が出来るのは感謝される事の嬉しさなのだ。
「 ありがとう 」と

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