見境ないライフルマントランプ

今や世界を危機に陥れるのは間違いなく政治家で指導者達だと言う事がわかる。

やたら高いビルの屋上の淵と歩いてみたり バイクで飛んでみたりとする
普通では考えられない事をする者は沢山いて自分では出来ないので誰かがやってるのをわざわざ銭払って見たりする者も沢山いる。
人間の中にそういった狂気の部分を持っている者は沢山いる これは紛れもない事実なのだ。
俺は自分の中にある狂気の部分には早くから気付かされていたので
自分で決めた決め事と御法度は馬に食わすほど持っているしそれが無ければ今は無い
臆病であれ臆病者に油断はない

トランプなども裁判にも掛けずに特定の人を抹殺してしまうなど狂人に近い 
当然国として損失に見合ったレベルまで報復は行われるだろう。
それが国レベルで行われるうちは制御は出来るかもしれないが
良識を超えた狂気の人達が個人レベルで行う弔い合戦や正義の名を借りたうっ憤晴らしは続いてゆくだろう。
その制御の効かない報復はやがて一人歩きをしてゆくだろう
背後で笑うのは北朝鮮とアメリカ石油メジャーと防衛産業
突然ガソリン価格は10円もあがりその膨大な利益は何処に
世界は危ないと言いトランプマッチポンプに追従して戦闘機にイージス・アショアは買わされるはで まったく質の悪い狼少年のようなトランプ

歳食ったトランプマンの弾はどこ飛んでいくかわからん 近づいたら危ない

北朝鮮は敵の敵は味方でミサイル物を運ぶと流石に危ないので者に託してミサイル開発技術を中東に売り込みを掛けるだろう。
その為に品評会の様に試し打ちを披露してゆく必要があり
いま起きてる事象に右往左往してるのはもう遅いのだ。
そのもっと先を見越して世界中と縁を繋いで置く事が必要で
俺はお前は嫌いだがお前は俺を好きになれは絶対にないと思うのだが
隗より始めよかも 

かなり前になるが9月に倉庫が満杯になる半年分の仕入れを一気にしていた。
それはメーカーの方針と自分の過信と自惚れだったが気象にも左右され売れ残ったらホント大変だった。
予測を外した年は売れ残った支払いの為に鮮魚トラックに乗ったりスノーモービルで冬山の資材運びとなんでもやった。
その為に春から その年の後半気象予測を立てるのだが
その方法は測候所に通ったり某大学の気象講義を聴きに行ったりとしたが
その時に学んだ事は今起きてる事象に右往左往しては、すでに遅いと言う事と
気象は世界中密接に繋がっていると言う事だった。
そのどうしようも無い中で大事な事は自分の器量を知り
財務内容と自己資本の充実だったが~
その為に苦労を掛け続けた嫁さんには逃げられたが
いまは銭だけを言えばセイコーマートの半額総菜で暮らしてる俺よりは 
メールアドレスと口座番号しか教えてくれない元嫁さんは財務内容は充実してると思う。 
一人の人生を奪った事は間違えないとは思うのだが 
結構冷たい奴で最近はメールも年に一回 新年明けましておめでとう だけ! 

どうも政治の世界の人達には御法度は無いらしいし
元検事が弁護士をやるヤメ検も何かシックリこんのだが

時間切れ仕事せんとイカン

結婚が5割の博打かと言えばこいつと結婚したいと思って結婚出来た時点で峠は越えてる。
峠は山の上下で半分を超えた博打は5割成立 
俺は物事は殆ど結婚と同じだと思う。
物を売りたけりゃ~買う相手を好きになれ、そしてそのお客さんと一緒に歳食っていけりゃ~いいと思うのだ。
その関係は余程の事がなければ生涯続いて欲しいと思う。
5割は自分が相手に与えるモノ 5割は相手から頂くモノ 
その関係が大きく崩れた時に家に帰っても電気は付いていないストーブも付いていない状態になる。

ここ崖下村は裏の崖にはウドも採れる港では魚も釣れる浜を歩けば魚外しで魚が貰える天国のような処だが
田舎暮らしも結婚と同じで頂くモノと相手に与えるモノのバランスを大きく崩した時には成立はしない。
若い時はどうしても頂く事が多くなり下手すりゃ力づくで分捕り状態になる事も多い
競争に勝つと言う事はそいう状態になる。

どうせなら人生一度くらいは互角の相手とトコトン闘って相手を打ちのめすのか
打ちのめさせられるといい 
勝ち負けの差はいったい何だったのか 
そこに僅かな運と差しかない事を知る闘いを経験した方がいいと思うのだが

いかん何時もだが筆が走ると言うか活字が走ってしまい全然違う事を書いている。
本当はZOZOなんちゃらさんを書こうと思ったのだが

もうそろそろ記憶も途切れる頃なのでここでは書けない事も
その時その時で一生懸命生きて来たのに
鼻から忘れ去られる人達の事も実名で書いて残しておきたいと思う この頃なのだが
なにせここではチョットマズい事も多いので、、、、、、、
イカン顔洗って仕事をせんと

寺銭

国民を売る様な真似をする国会議員がハッキリとした形になって表れた。
今は全く通常の博打はしない
何故かそれは今までの人生が博打とほぼ同じでわざわざ時間と銭を無駄にせんでもいいからで それは今を生きてる人ほぼ全員と言っていい
釣りなどは確立は競馬以上にリターンが少ない博打だし 明日オッチヌかも知れんし 結婚そのものが勝率5割の博打で残り5割は自分次第だと思うのだが

通常言われる博打にも寺銭は2種類あり
勝った者から寺銭を頂いちゃう方式と参加した者全員から頂いちゃう方式がある。
仲間内で観楓会や温泉旅行でバスの中で酔っ払い爺が丼にサイコロを投げるチンチロリンなどは寺銭はゼロでその勝った銭は酔っぱらい爺の仲間内に還元されてゆく
公営ギャンブルは寺銭が最も高く率は5割を超えるものもあり
一見高そうな丁半や手本引きなどは二分から三分程度だが
勝った者から寺銭を頂くのだがこれは全員が見てる前で決済が行われる
パチンコなどは一割五分程度でカジノも一分五厘程度なのだが
賭ける者が一人しか居なくても賭けは続行される
カジノもパチンコも賭け金は積み立て方式で その分配が公正に行われてるかどうかは胴元にしかわからないのである。
その仕組みはとてつもない巨額の銭が胴元に蓄えられる事になって
その資金は何処かに流出し続けるだろう。
それは花札やマージャンなどとは全く違う異次元なのだ。


夜明け前が一番暗い 2020年新年釧路検疫錨泊地

単純な賭け事で寺銭が一割の場合は1000円を10人が賭けて10000円から寺銭1000円を引き9000円を総取りした場合は還元率は9倍になるが
残りの運に見放されたドン臭い連中にそこで
ハタと正気になってドアに向かって行って貰っては困り少しでも多くの人に軽い依存症になって貰わなければ
電気代や箱代を掛けた胴元としては身も蓋もないのである。
これが博打の中身なのだ。
何事も360度回りを見渡せる余裕を噛ました奴には勝てない
強い者は勝ち続けるのは当たり前なのだが 
それでは富の集中が起きて格差が広がり しいてはやる気が起きなくなってゆき国全体の荒廃と治安の乱れが起きる。
10人いたら一人の勝ち組より還りは少なくても半分の勝ち組の方がチャンス確率は多く 多いイコール希望になってゆく

その高みの見物をする者、強い者を制御するのが議員の役目なのだ。
今や親分が嘘とスットボケだから下までも嘘で通せると思ってる最低野郎の議員達だが
そいつらをハタと正気にさせ動かすには 
貴方達の首は何時でも挿げ替えられますょと見せなければならない
その為にも誰を選ぼうが選挙に行く事が絶対に必要なのだ。

1000円あったら子供にアイスクリームを笑って食わせてやる事だって出来るじゃね~か~バッカくせ~

初日の出

今年は年賀状も早々と書き終えたが
毎年年賀状を書き始めると夢に起こされそれもカラーでハッキリ見てしまうのだ。

年賀状の画像はその時その時で一番心に残ったものを使っているのでチョット添え書きをと思うのだが全体のバランスを崩すような気がして中々書けないでいる。
そんな中でも名前も顔もハッキリわかるのに住所がわからん
 今どき何処でなにしてる事やら。
何処かでガード下で雨露を凌ぐその姿は昔の俺の姿なのだがオッチンだのもそうでないのも俺の気持ちの中ではいつも生き続けている。

俺は稀にみる幸運の持ち主なのだが年末は色々考えてしまいほんと疲れて歩くもやっとなのだ。

〆縄もホームセンターで売ってるのを見て そんなにご利益は無さそうなので
今は二種類をどんど焼きに出さずに毎年使い回している。
掃除などいつでも出来るわいと考えてサッサと〆縄をさげて受けた恩を忘れないように
ぬるま湯から年末の寒空に逃げ出すのだが
年末は猛吹雪予報なのでもしかしたら生涯で初めての日の出を見に太平洋に変更してドンドンゆく

寄り道につぐ寄り道で31日夜はこのままではガス欠かと思った処でガソリンスタンド発見そこで聞いた初日の出情報をもとに道の駅で車中泊と車中飲酒と夕飯


元旦は白糠道の駅にドンドン車が集まり始めて海岸に人が降りてゆく 俺もおりて日の出を拝むが何も頼み事がないが
とりあえず手を合わせる。


釧路桜ケ丘トライアルに食料調達に行く途中でお~お~飼いシカか~

昨年は安倍政権批判を繰り返したせいかこのブログに 403 Forbidden と出て投稿が出来ないので古いパソコンを起動させたが どうやったらいいかわからん もう風前の灯状態だぞ~

ソコソコに

除雪機を全部運び終わったら後ろの出っ張りは要らなくなったのと歩いてる人がぶつかると危ないが
突然の運搬もあるのでなんとかならんかと毎日考えて折り畳み式にしてみたが~
物を折り畳むと言う事は凄い難しい事だと今更ながら知った。
折り畳むと言う事は背と表と縮む側と伸びる側が交互に入れ替わらないとないのだ。
さらに下着の様な袋状の物は首を最後に脱ぐと裏と表がひっくり変えるが向いてる方角はかわらんのだ。
さらに箱で扉である。その難しさは俺の頭では出来ない事が判明しかけた。
日本では扉の復旧はおそらく忍者屋敷以外では江戸時代以降と思われる
それも開閉は85度程度で180度開く為にはこれまた俺の頭脳では無理と判明したが 一か月以上の日々の努力により

こんな感じに出来上がりました 必要な時は箱袋が飛び出します
細かい処は抜きにして お~お~なんと素晴らしいと自画自賛しております。
掛かった費用は砂川の宮本テント屋さんに払った3800円であとはその辺りにあった物を使った。
ひと月折り畳む物や扉と言う戸はじっくり観察しまくった。単純に扉と言ってもその種類は沢山ありその緻密さ奥深さに今更ながら驚いているのだ。
あまりにも扉を見つめ続けたので扉がひとりでに閉まってしまうと
お~お~こいつ照れてやがるなと思ってシマッタ


さらに星は月と七つ星以外は知らんが 天井には天窓が付いていて満開の星空が見えるのだ。
このガラスは雪印の冷蔵ショーケースの二重になった蓋を使っているので断熱効果は抜群なのだが上に雪が積もっても溶けないのがチョット難点

超田舎者でひねくれ者で芸術などまったわからんので以前から都会ではライトアップだ光のシャワーなどとニュースになるが 
なんでわざわざライトアップするのかわからん
何処か忘れたが棚田に光のイルミネーションをしたのは狂気の沙汰にしか思えんのであります。
都会にも住んだが本質を見間違えるのか意図的に見えなくさせるのか
芸術は狂気なのか
俺が言うのもなんだがホント夜は平和の為におとなしく寝ましょう。 
何事もソコソコがいいのかと思うこの頃なのであります。

車輪は基本


今年は雪が降るのは遅かったが本格的降ってき始めた。
スーパーキャリーのタイヤは以前の三菱ミニキャブの二年使った135-80R13ブリザックを使っていたが
やたらハンドルが取られるので新品の145-80R13で直径が4センチ大きいタイヤに交換したが古いタイヤの外側がやたら減っている 今年秋に履いた時はさほどでなかったので
やはり車高を2インチ上げた事でAアームが引っ張られてキャンバーがポジ側に狂ったのだろう それにしてもやたらハンドルが轍に取られるので
ホイルアライメントに問題があると思ったがトーインを測定するにも旭川か札幌のテスター屋さんに行かないと測定が出来ない
それも面倒なので色々頭をひねって考えた。
まずジャッキ2台でAアームのなるべく外側を水平に持ち上げて留萌ホーマックでアルミアングルを買って来て直ぐかどうか確認して正確に半分に切断してゲージを作り左右のデスクプレートに固定して先端と後端をスケールで測りトーインを測定するとやはりインが10ミリもあった これほどあるとは予想外だった。
4輪駆動は若干アウト側にあってもいいのだがそれでも1~2ミリ程度これは酷いので調整するが力点が本来の位置からかなりズレてるので目安程度にしかならんが0に合わす。
試運転するとハンドルも良くなった様な気がするし走りも良くなった気がする。
昔は車高をいかに下げるかを苦心したのにまさか銭掛けて車高を上げる時代が来るとは、、、、、、、
今や軽トラックはホービー感覚の人は多く留萌でも色々手を入れている軽トラをよく見かける。
その為にもスーパーキャリーはフェンダーとタイヤの隙間がも少し欲しいと思った。ぎちぎちなんだよね~

元々は車の修理工なのである程度は分かるがそれも古い車に限るが
しかし1769年に自動車の原型が出来たが
日本では江戸時代の真っ最中で西洋はいかに進んでいたかがわかる。
日本では写真機に魂が抜き取られるなどと言ってる幕末から200年以上もピストンもワイパーも構造も大した変わらずにシコシコと動き続けて現代に続いている。
自動車の発展と共にワイパーやベアリングや様々物が開発されて来たが
その進化は主に材質の改良はなされて来たが その車輪を回すと言う基本形はクレオパトラの時代から木かアルミかくらいでたいした変わる事はない
不思議だぞ~

う~ん 


賽銭100円を置いた狩勝峠地蔵さん
山奥大好きなので結構アチコチに賽銭を置くのだが その時に貧乏人の俺が少し勿体無い多いかなと思う金額でないとご利益は無いと考える俺は100円の賽銭が多いが手から離した瞬間に誰か腹でも減ってるならパンでも買って呉れと思っている。
賽銭箱は所有者がハッキリしてるが誰の物かもわからん遥か近代からある地蔵さんの賽銭は誰のものなのか

う~ん 2012年に地蔵さんの前にあった賽銭10円を盗んだとして一年の実刑判決が出たニュースがあったが
地蔵さんの賽銭は地蔵さんの物なのかそれとも地蔵さんを設置した者の所有なのか
では山奥の誰が管理してるかもわからん地蔵さんは管理に問題があると思うのだが
数年前に安土城を登った時に石段は墓石で出来ていてその石段に1円や10円などが沢山置いてあったが
その銭の権利者は信長か~いったい誰なのか

10円でも微罪説教ではなく法は法だと言うのであれば一旦出された逮捕状が執行されない 
それも上からの指示とあるのはかなりおかしいし
正当な理由があるなら聞く者には説明をすべきで 
その時の理由書は廃棄せずに後世に残すべきだと思うのだが
最近の日本はほんとおかしいし恐さを感じるのだが
異例の保釈決定にこれがそこらのオヤジだったら保釈はあったのかとひねくれ者の俺は思ってしまった。
それとも温情はこれが現代の司法の流れなのか

安倍晋三夫婦内閣


早朝は霧が結構掛かっている交通法規には50メートル先が見えない場合は前照灯を点灯させなければないと書いてあったような気がするが
10台に一台くらいは車幅灯のみで走ってる車がある。
確かに50メートル先が見えるので前照灯ライトは付けなくとも違反にはならないと思うが
霧の日にアップダウンの多い峠道を走ってると突然車を認識してオットドッコイと言う時がある。
そんな時の為にケチらんでスモールでなくライトを点けるのがいいと思うのだが
それは相手の為であってひいては自分の為でもあるのだ。

確かに白熱球の60Wのライト二個を点灯させるとアイドリングは下がりエンジンに負荷が掛かる事はすぐわかり負荷イコール燃費は悪くなるが~
スイッチはライトを点ける場合は単純に全部回せば点くがスモールはスイッチを途中で止めないとイカン
と言う事は意識してスモールを点けてるのだと思うのだが
いつも不思議に思うのだがスモールだけでライトを点けない理由はなんなんだろうか
法的にはなんら問題はないが
それって
「 法的になんら問題ありません 丁寧な説明を致して参ります 」
といつも言う安倍晋三夫婦内閣と同じではないか

バッカじゃないのかケッチ臭いのか自分の事しか考えないのか世も末だぜ~まったく
今や誰とは言えんがチッコイW球と一緒にされるのは嫌だべ~
 
ちなみにバイクの充電量はエンジン一回転で幾らと固定されてる為とエンジンスペースの関係上充電量を車の様に調整する機能は無い
その為に直線距離の長い北海道を無灯火で走ると過充電になりバッテリーやオルタネーターが焼き切れる事が実際に多く防ぐにはライトの点灯が一番

白熱球などとそんな事を言う私も古い男でしょうかね~
いまのLEDは明る過ぎます~オイラには~

 

車中泊

最近ある人とのメールのやり取りでかなり性格が悪くなってると思い始めてる。
もともと性格は悪いので輪を掛けて来てるのはチョット困る。
それに何故か夜中に口の中を噛んで飛び起きる事が多くなってる、あれやこれやで全てを見直しの時期に入った事なのだろうと思う。
ちょうど雪も降らんので試運転兼ねてアチコチ出かけている。 

上の左は一酸化警報器 右はソーラーコントローラー 下は500Wインバーター
格安品で40Aもの電流に耐えられるとはとても思えないが途中に別途20Aヒューズを入れてるので大丈夫と思うのだが
さらに下は冷凍冷蔵庫


FF暖房の表示板 時刻早朝6時5分 電波状況、燃焼状態、送風、油量ポンプの稼働状態が一目でわかる。
さらに運転席にはワイヤレスリモコンが別にあるのだ。
しかしこの15000円以下の価格でここまで出来る製品はいったいどんな仕組みになってるのかと見る度に思う。

もはや車の中は中華製品ばかり
温度設定は最低レベルにしてるが燃費は一日で1~2リッターほど食う。
極端に寒い日は箱と運転席のつなぎ目から隙間風が入る為にチョコチョコとこの暖房機を稼働させているので正確な燃費は分からない

乾燥を防ぐ為にUSBケーブルで加湿器を稼働させてるが水が全然減らんのに霧の様な物はシュッシュと飛んでいるのだ、なんか不思議だぞ


ある人に行ってみるように教えてもらい静内のねこや食堂にうどんを食いに行って来た。
なんかとても不思議な店だった。
コーヒーを自分で注ぐのだがポットにはかなりの量が入っている。
俺のラーメンを食いに来る人もかなり変わり者と思うが
ここの店主もかなりの変わり者と思ったがそう思う事自体性格が悪くなってる証拠かも知れんと思った。
店内には馬頭琴と思われる物が置いてあった。 
モンゴルの馬は優しいがサラブレットは気性が激しく世話して呉れる人をケリ倒す事があるらしく折角静内に働きに来ても怪我してモンゴルに帰る人がいるとの話だった。
怪我にきちっとした保証はあるのだろうかチョット気になった。
世界はどんどん小さくなっている異文化の人達ときちっと付き合いが出来ないでドンドン受け入れだけはするでは敵を増やすだけだと思うのだが

モンゴル馬が西田敏行ならサラブレットは高倉健ですかね~などと冗談を噛ますが
笑っては呉れなかった。
お命頂戴しますと言われても困るので口を閉じる事に


帰りに二風谷萱野茂さんの記念館に寄る。
著書を読んで存命中に一目逢って見たかったと強く思った。

この壁が無かったらと


芦別道の駅で車中泊

増毛から比べると異常な寒さで手は震えて来るはで温度設定を変更
以前鮮魚運搬トラックに乗った経験からセリの時間に間に合わなかった鮮魚など産廃にしかならん 
その為に前日に近くの駐車帯に車中泊するか路上で泊まるしかない さらに帰りは空車では帰る事など出来ない 
その時にも荷物が決まるまで駐車帯で車中泊するか迷惑覚悟で路上で泊まるしかない 
アチコチにトレーラーの箱が止まってるのは荷物待ちで
ヘッドで風呂やメシを買いに行ってるのだ いつになったら家に帰れるかは荷物次第なのだ。
車中泊、車内メシまで一律禁止、税金を使った公共施設で恥ずかしくないのか
マナーがドッタラコッタラ言うなら責任者がそいつに注意して来い
なんの為に給料貰ってるのだと言いたい
一律禁止するなら道の駅の看板を産直なのに高い高級物産店に変えれって思うぞ。
産直は鮮度がいい安い美味い量はたらふくは当たり前だぞ

24時間同じ格好で座りっぱなしで働き健康を害して前立腺肥大でトイレも無い駐車帯でションベンたれてれってか~
提灯付けて車中泊禁止と言ってる連中の頭の中を見てみたい
イカン~性格が悪くなってる。

沢尻エリカと中村哲さん

俺はカタカナ語の多い業界が長いのでその反動かカタカナで表現する事はあまり好きではないが
中村哲さんを一言で表すには適当な日本語が見当たらない
その生き方はダイナミックと言うかダイナミズムと言っていいと思う。

大自然を相手に一生を終わらせる人達が多く住む
ここ一次産業の地に住んで27~8年になるが
真冬の海に夜明けと共に炭を入れた一斗缶を船に積んで手と炙りながら操業したり
いつ終わるかわからん大地に農機具を持って挑む
獲って来た物を毎日毎日加工してる人達に夜通し走って届ける人達と
その生き様は凄いものがあり付焼き刃ではとても真似が出来るものではない
そんな人達の一生はここからあまり出る事もなく一生を終える。
その生き方はダイナミズムと言っていいと思う。

沢尻エリカなど役者はどんなに演技をしても、その演じる相手を超える事は出来ないだろう。
やればやるほどせいぜい自分がいかにちっぽけな存在かを知る事になると思うのだが
そのギャップが薬に頼る事になる一因ではないのか 薬に頼り手を出した時点でクズなのだ。
都会でどんなに明るくネオンを電気を付けようが その源に土台に生きる人達に並ぶ事など出来ない虚像の世界なのだと言う事を認めることが必要だと思うのだが
手を使い24時間365日 土を思い土をほじくり、
漁場まであと何万回超えるのだという波にぶつかり乗り越える。

ダイナミズムの塊の様な現場主義を貫きそれで逝った中村哲さんの生き方を見て
ここにも沢山のダイナミズム者が居るのではとそう思った。