もし日本に飛行機と新幹線が無かったら自民党は大敗しなかったのでは
選挙区から国会まで列車を乗り継ぎ雑踏の中に庶民の姿と声を聴いただろう
川端康成がトンネルを抜けると雪国だったと言ったのは上越清水トンネルだと言われているが
峠を越えた時にまったく違う景色が表れるのはたった1.2キロしかない中越三国トンネルでも同じで天気も変わる

上越だろうが中越だろうがどっちにせ関東平野と日本海側では生活も規模も大きく変わる
そこに地元代議士が必要とされ
その大先生様がお選びになる、お頭を総理大臣にしようと言うのは当時は自然な流れだったのだろう。

 
上越妙高から群馬に向かう途中の急な坂にある集落

土地への執着がない流れ者が多い北海道では考えられない所にも内地はひとが住んでいる
旅に出るつどに関東平野東京の価値観をベースに考える事に政治家のずれがあるような気がしてならないのだ
商いの鉄則 価値観や格差などの違いに価値があり利に繋がっていく
嫉んだり叩く事だけではメシは食えない
俺の持っていないものを貴方は持っている 貴方の持っていなものを俺は持っている

石破総理戦後80年所感発表

昨夜NHKプラスで石破総理の戦後80年所感と記者質問を最後まで見た
さすが著書を数十冊を書いただけあってこの人らしいなと思ったと同時に自民党は終わったと思った。
自民党の大敗はこのひとが総理をしたからでは無い それ以前から崩壊に向かって行ったのだ
美しい日本を作りましょうなどとスローガンに言いながら実際は森友から始まり桜をと酷いものだった。
3本の矢もナンチャラミックスもスローガン
スローガンに頼るのは自分の不出来を隠す為にあるのだ
峠を越えた処に住むオヤジがここに来ては
「 俺は余計な事は言わない男なのだ 」と言いながら毎度1時間は油を売っていく
聞いていてオイオイそんな事言って大丈夫かと思う不確かな言葉が
余計な事は言わない男の口から次々と出る 田舎でもスローガンなどその程度のものなのだ
言葉はやがて消えていくが文字は残る
人類史でも文字を持たない文明は滅びていっている
20数年雑誌数社に原稿を書いて来て文字を残す事は最大の注意が必要で
大損の元にもなる事を身に染みて知っている
1行の文字に確信や裏を取る為に1時間掛ける事などザラで石破総理はどれほどの時間を割いて来たのか
その為に自分の身の回りなどに割く時間はなかったのだろうと思う
文字を書く人は細心の注意が必要で著作はその人なりを残してゆく
石破二朗の息子、石破茂総理の話は聞いていて安定したいい話だった。

自民党議員も党員も後悔先に立たずと知るだろう。

偽善者です

土日ラーメンは過去最高売上を出して日曜で今期終了
一番売れてるホタテラーメンのホタテを臼谷漁港の漁師さんを回り仕入れに行くのだが
海水温の影響か4年物の大きいサイズのホタテを買う事が出来なくなり買えても5割も値上がりするなど仕入れに苦労した
例年通り最終日にはその場に居た人達で残った物を食って酒類は呑んで処分し大掃除をして電源を落としてガスを止め終了
来年はホタテが買えないかも知れない そうなった時に浜で働いて貰っている雪も降らない海外から来た沢山の人達はどうなるのだろう。

もうすぐ冬が来る あ~あ~嫌だ~

代わりになる目玉ラーメンを考えてるのだが他の貝類は好みが大きく分かれ
ホタテに勝る物は無い
何か食材を探さないと思案してる時に次はヒグマラーメンかとニュース見てると
箱罠で捕獲されたヒグマのその後を思う時にせめて箱罠画像を流すのは止めて欲しいなどと思ってしまった
半年間散々豚骨や鶏でラーメンスープ作りをした偽善者なのです。


北海道常呂郡佐呂間町栃木 幅1キロ奥行およそ7キロほどの空の狭い土地でよほど行く気でなければ通る事はない
明治44年 栃木県下都賀郡南部7町村の鉱毒と水害による生活困窮者二百数十名が移住して出来た村

最後の車旅行になると思うので何処に行こうか毎日地図を見てるが
関東平野は北は栃木と群馬まで広がりその広さは十勝平野、釧路平野、石狩平野を合わせたほどあり人口は4千4百万人が住んでいる
改めて見ると関東平野はダークマターのようなひとつの国と言っていいかも知れない
その中心に殆どの国会議員が住んでいるので現在の状態はなるほどと思ってしまった。
さ~何処に行こう~
角を曲がったらそこから旅と言ったのは永六輔 歌はジェリー藤尾

終了

本当に本当にと何回言ったか数えていないが
同じ言葉を繰返す人の特徴は根性論やスローガンに頼り理を後にする傾向がある
と言うか理に疎いと言う事は物事を組み立てて考える事が出来ない能力に問題がある
残念ながら経済はスローガンや根性論だけでは進まない
利益を出さなければ電気代も水道代も払えない
根性で乗り切ろうと思っても支払いの遅延を生み周りに迷惑を掛ける破産などもある
鹿を蹴った、だからどうしようなどとスローガンや根性論で世界と競争する経済が上手く行くほど甘くはない

今日でラーメン作りが終了するが本当に良かったと思う
日本はこれから何処に向かうのかと思うともう物を作って食べて貰うと言う心境にはならない
これから右傾化と排外主義は進むだろうが
嫌ってるのに来て働いてくれと言う自民党総裁候補者達
一定数が来ると玉石混合は当然の事なのに何処の国よりも、いい人材だけを取ると言うほど賃金は高くない日本
対策は迎える気持ちと安全と住み心地しかない

これから軍拡が始まるだろうがそれは不安をあおり来るかも知れない、来ないかも知れないと言う
金の無駄を覚悟でしなければならない
さらに兵器は日進月歩で毎日が新しい兵器競争で負ければ無用の危険物となる
一番新しい物は一番最初に古くなると言う途方もない軍需技術競争と不安な精神面に追い込まれていく
そうならない為に相手に必要とされる国になる事が必要で
それは食料なのか何かの技術的な手助けなのかそれぞれの分野で相手に必要とされる事が大事なのだ
必要とされない事には経済もヘッタくりもない
狭い国土の日本は決して自国第一主義や排外主義や軍拡だけでうまくいく話ではない

あと一週

ラーメン屋も5日で総裁選が終わる頃に今年の営業が終了する
立ち仕事で右足は痺れ立ってるのもやっとだったがOさんがわざわざ持って来てくれたツムラ68を飲むとかなり楽になるのだが
身体が薬に慣れきってしまわない様に飲むのをチビチビと飲んでいる
今までの人生で点滴はたった一度しかした事がない俺はお医者さんに自然治癒力が凄いと言われてるが
修理業は人間も機械も様子を見ましょうと言う時は指示を守って呉れる事が条件なので
先生に言われた飲む時間と用法は必ず守る
家賃ゼロ円、償却資産で営業して20年値上げしてないラーメンは来シーズンも出来るかどうかわからないが残りの人生をもっとゆっくり営業したい

総裁が総理になるとは決まっていないが
いまの世界情勢を見ると闘うとか対立や排外主義は悲惨な結果を招く事を毎日見せつけられている
いちど選んでシマッタ指導者は嘘を付く事になんの恥も持ち合わせていないし身勝手で非道な行動をする事は
ネタニヤフやプーチンやトランプを見るまでもなく日本でも兵庫知事や市長達を見てると
選んでる者にも責任もあるし指導者はいったいどんな親に育てられたのかと疑ってしまう
いま日本の総理に求められるのは世界の対話と協調の仲立ちする事で対立を煽る事ではない
商人は作り手も立て、消費者も立て、必要とされ自分の立場を最後に持って行く事で成り立つのだ。

奈良の女ならどうした

「高円の 秋野の上の 朝霧に 妻呼ぶ雄鹿 出で立つらむか」
北海道では雄鹿が牝鹿を呼ぶのは春でビヒ~ヒ~と高いその声で目が覚めるほどなのだ
高市早苗が総理になったら精神論と根性が足りないとぶちかませそうで怖い
一国の総理を目指す人が外国人が鹿を蹴ったとかナントカと小さい事を他に言う事はないのか
北海道では日本人が鹿をバカスカ撃っている。
清国は外国人排外主義の義和団事件が元となって清は滅んでいった。
西太后が最後に残した言葉は「以後、再び婦人に国政をまかせてはならない」だった

精神論や根性を全面否定するものではないが行き過ぎると事の本質を見や誤る事を日本人は
先の大戦で学んだのではないのか


まほろば奈良宇陀市 道の駅のトイレ

一応お情けで貰った簿記3級だがいまだによくわからんのが内部留保が右貸方負債の側に入るのがわからん
さらに何が何だかわからんが貸借対照表は合計が必ず左右同じ数字になる
ならなければ何処かに振替の間違えがあるのだが、探しだすのに何日も掛かる事などざら
この内部留保は銀行などは資産や利益より重視され経営者は必死に内部留保を目指すのだが
これがまた問題になるのは会社も人間が運用してる為に経営者の性(さが)が出る
昭和59年から平成元年頃までは法人税は40パーセントの税率で税金に払うなら給料に払うと言った経営者は多かったが
その後法人税率はドンドン下がり現在は特例措置で中小は18パーセントとなっている
かわりに増えたのが内部留保で賃金は据置になったどころか派遣労働者に置き換えされていった。
いったん経営者になると設備投資などの前向き資金は使うが環境や賃金などの後ろ向き資金は出さない
それは会社の物は竈の下の灰までワイの物や~と思ってる経営者は多いからで
俺もバイクからボートまでと物欲にまみれ際限が無くなり抜け出す事が出来ない小さな男なのです。

自業自得

一応自営業で自民党員ではないが総裁選が始まった
そもそも自民党は資本家の味方で自民党員自体も経営者やその地域で強い立場にあり意見が通る立場の人が多いと思う
経営者としては利益が上がる事に集中するのは当然だが儲けた金を皆に分配するかと言ったら
そうとは限らない
その証拠に内部留保は過去最高の600兆円を超え、
さらに経営者は数億円の報酬を取る事もいま時は珍しくもなくなった
なのに賃金は上がらないと言う
これは経済が良くなっても皆には分配はほぼ無い事を示している
竹中平蔵が言うトリクルダウンなど夢の夢どころか嘘なのだ
では誰の為の経済成長政策なのか、
それは経営者と政治家の為の経済成長で庶民にはとりあえず言って置けみたいなモノなのだ。
人手不足と言うが自国の消費分を自分でやったら人手不足は起らない
誰かよその国の分まで余分に稼ごうとするから人手不足が起きるので
その穴埋めの為に外国人に来て働いて貰ってるのに外国人はドタラコッタラ言うのは天に唾する事と変わらない
1億2千4百万人のうち4400万人が首都圏に集中し中京圏に1100万人、関西圏に2000万人
残り4900万人が全国に散らばっていて多くは残された年寄り
すべての道は東京に行かす為にあり上りと言い 遠ざかる道は下りと言う
成田空港に降りるといったん東京まで出なければならず隣の茨城県に行くにも苦労する
一応大都会も経験したがここに移住して来た30年前は40数人が居たが今はたった6人しかいない
自民党の言う経済を優先させた結果が今の状態を招いたのだ。

地方と都会に格差があるのはおかしいと言うのは間違で
働き方も全然違う田舎と都会で経済格差があるのは当たり前で一緒にする事など出来ない
都会では寝る間も惜しんで働いて運動不足だと言い銭出して運動をする
田舎は交通機関もロクにない、裏山で食料を探す、住む事自体が運動になる
それをあたかも議員に票を入れたらすべてが上手く行くと思う事自体が間違えなのだ。
自分の出来る事は自分でする町内の側溝の蓋が外れていたら役場に電話する前に地域の事は地域でする
田舎に住む事自体を楽しみ、自分で出来る事は自分でして地産地消し地域を育てる
車は1年余分に乗る浮いた銭は地域に使う

高市早苗や小林 鷹之が外国人がドッタラコッタラと言うが物が売れなければ人手不足も起きない外国人に頼らんでもいいのではと!
この二人に共通する処は現実に起きないだろう不安を煽る傾向にあるしそんな顔
ナンチャラビーフの県知事や三浦按針と言う外国人が居たナンチャラ市の市長や国会議員の
恥ずかしい為体は日本国民が招いて望んだ事で自業自得なのだ。
都会は都会、田舎は田舎でそれぞれに役目があり経済だけですべてが解決する事はないし
欲を掻かない事が戦争への回避にもなる。


SNSとやらは資金力のある者や政治組織が田舎者に向けて偽情報や情報操作をしてるフシがありそれは一定の傾向とカウント数字となって現れる。
木綿のハンカチ一枚で都会者に騙されたらイカンが
ここに住んでから久しく若い子を見ていないな~

 

スイカ蜜

西達布で農業をやっていた、家族が甘い物を買う余裕がなく
売物にならなかったスイカを家族総出で拾い集めて大きな窯で煮詰めてスイカ蜜を作ったと言う
その後離農し大都会に出るが家族総出で作ったスイカ蜜を作った時が一番幸せだったと言う

お金は大事で粗末に扱っていいのものではないが
経済は金ですべの尺度を測る処に間違えがあると思うのだが
明日食う物があったらいいとはならない さらに欲を掻くのが経済でたった一人しか乗らないバイクに1300や1500ccはいるのか
3人しかいない家族に3階建てはいるのか、それは対外的に見せる為のモノでないのか
もっと、もっと、と経済はそれを煽る事で成り立って部分がある事に気づかなければならない
いまの生活を5パーセント下げたらなら進歩速度を5パーセント遅らせたなら
全然違った世界と価値観が見えて来ると思うのだ
すべては作用と反作用で成立ち、得るモノがあると失うモノもある
大昔都会で生活していた時は飛ぶ鳥を落とす勢いどころか飛ぶ前に獲る生活をして来たが
今頃になって気づくがその為に失ったモノも沢山ある

スマホに替えて先月頃からラインとやらで誰かわからん人達から文が何件も来る
その中で鎌倉に居るある業界のビックボスと言われる人が亡くなっていた事を知る
いまも付合いがありながらママはなんで今まで知らせて呉れなかったのかと思ったが
俺もこの歳になるとひとが亡くなっても寂しくはなるが悲しくはない
それはそのひとが今までやって来た事や思いが魂となって誰かに引き継がれたり心に残ったり
この空をアチコチ自由に飛んでいるのだと思う様になった。

後悔先に立たず


毎週通る雨竜洲本 山の麓まで一面の田んぼ北海道は山の頂上でも米が出来る。

一粒の種籾がおよそ600倍に増えるらしい
青森山内に行くと1万6千年も戦が無かったと言われる縄文時代の三内丸山遺跡があり当時の暮らし振りが見れる。
その後に大陸から渡来人により稲作が持ち込まれ弥生時代に入ってからは戦に続く戦でどんどん日本列島は東西に分断されていく
狩猟と違い保管の効く稲作では翌年の種籾までを食ってシマッタ者と残した者との差がどんどん開き資本家と労働者になって地主と小作人にわかれる。
この保管が出来る穀物が資本主義の原点となって
その後に穀物の取れる土地の取り合いが争い事になって現代まで続く事になってゆくが
どうもキリスト教とイスラム教かコーカソイドとモンゴロイドの違いなのか
ウクライナとガザとでは世界の対応が違う様な気がするのは考え過ぎなのだろうか

肌感覚で今年の北海道は稲の作付け面識が例年より多い様な気がするし
それにもう稲刈りが始まっているが例年は9月下旬だった様な気がする
この北海道米が市場に出たら日本全体で買え支え出来るのだろうかと思ってしまった。
もし買え支えが出来な場合は日々倉庫代なども掛かるので安値に走る
安いからドンドン食えと言っても消費される量はさほど変わらないだろう
朝早くから夜はコンバインのライトを付けて働く農家の人を思うと
思惑買いの揺り戻しが来ない事を願うばかりで
農業もそうだが一次産業は家族と言う形態がなければ持続させる事は難しいだろうと思う。
都会とは違った値以上に報酬は家族と一緒に汗をかいた幸せかと
ひとり身の俺にはたわわに実る稲穂を見て思った。

ものつくりびと達

明日からまた土日ラーメン屋をやる
人に任せてラーメン店は何店か作ったが人生終盤になってラーメンを
実際に自分の手で作る事になったが
人生の殆どを誰かが作った機械を分解して部品を交換して元通り組むと言う
修理工を業として過ごして来たが
物を作ると言う事は自由裁量が大き過ぎて俺には難しいと言う事を痛感している
農作物や米を作る、木や鉄を削って、と回りにいる人達がどれほど凄いかを思い知らされている。


そんな中で本を作ってるひとが最終号と送って頂いた
本もまた何の文を選ぶか、改行は、句点は、字体は何を使うか
挿絵はとまるで青空に浮いている白い雲をひとつずつ手でかき集めるような、
雨上がりの空に浮かぶ虹も
バイクで何処まで追い掛けて行っても虹の中に入って見る事は出来ないような、
そんな途方もない作業をしてゆく


北の彩都 編集長に送る今週の一曲 パーリースペンサーの日々