小っせい通りの小っせい商い

とうとう雪が降って来る。
春に行った和歌山と岐阜にもう一度行きたいと思った秋の旅行も忙し過ぎたのと銭が~で諦める事になってしまった。

敦賀に行けば時間短縮になるがフェリー代33000円、新潟は21000円で船酔いをするので出来る限り短い乗船がいい
ひと月休めたら青森から陸路を走って和歌山も面白いのだが
いっその事、春まで戻らんのもありかと思ったりと
考えてばかりでなんか出不精になってるが歳なのか山菜取りもいかん冬山も登らんくなって確実に身体がなまっている。
修理は立ったりしゃがんだりとスクワットをやってる様なもんだが
これも回数が減ってドンドン老人の域に近づいてる。


一番奥のべリング交換 ベアリングは三ヵ所付いてる
開発当初の試作機を使った時から除雪機を見て来たがカバーの芯、センターを合わせる事は大変な事でそれがベルト外れやシャフトの破断を招いた。
以前はそれを防ぐ為に自動調芯のピローボールベアリングが付いていたが
今は殆どのメーカーは単純なボールベアリングを使用している。
せめてセンターのベアリングだけでも自動調芯を使って欲しいと思うのだが
と言う事は除雪機も使い捨ての時代に入ったのだろうと思う。

長持ちするいい物を作れば売れなくなり
ガサい物を適度に!適度に!うまく作り金掛けて宣伝をすると販売もドンドン回転してゆく
現在の消費社会の矛盾でもある。
ところがである。
コロナになって全体の売上は減少したが一回の販売額は数百円や数千円と小さいが取引回数は明らかに増えてるのだ。
ボートの様に一回の販売額が大きい物は次迄の間が永く資金や設備の待機期間が増えてしまうので結構不安があったりと大変な商いなのだが
その点は細かい数百円や数千円の商いは毎日あるので安定と安心感がある。
その数百円規模の商いがコロナ以降明かに増えて儲けは薄いが仕事は増えたのだ。
原因は船と違い除雪機はエンジンが止まっても焼付いてもたいした事は無い
それなら時間もあるし何処にも行けんし自分の機械は自分で修理をやって見るかと言う人が増えたのだと思う。

自分の手を使う事に目覚めた人が増えたのだとしたら、
それはとてもいい事で自分の手を使い自分の手を汚して初めて人の苦労もわかり視線も変わってゆく
よいよ手に負えなくなった時にはそこら中に歳食った鍛冶屋や修理屋が居る。
年寄りは皆なにか言いたくて仕方ないのである。

動かない物が自分の手で動き出すそれを子供さんや家族や近所で
アッチ持てやとかコッチ押さえれとかと一緒にやって行く事で
家族や子供と何かをやって見る。
それは今までとは違った世界が広がると思うのだが
コロナがまったく全てを奪うとは限らんと思い始めている。

最近また朝ドラを見始めた
雉真たびのオッカが言った。
「 小っせい通りの小っせい商いが 」これからを変えてゆく可能性も見えて来たような

色は必ず付いている。


真直ぐ前が北北西
入港は赤灯台右小回りが原則だが15日はシケで漁船は北西から進んで入港するが風と
赤灯台の堤防に跳ね返った潮流れが船にブローチングを喰らわし横に倒しながら危険な暗岩が数か所あるテンヤの岬にどんどん流されながら入港して来る。


午後から風が変わる。
19屯のブリッチは三階の建物ほどの高さにある。
さらにブリッチより上にカゴを積む為の枠があるが
それがすっぽりと見えなくなるほど波の谷間に入ってしまう中で出航してゆく
毎日この光景を見ながら仕事をしている。

「 金には色は付いていないから貰う 」
「 へ!金に色は付いていない!お前まさか白紙の紙幣を持ってるんでないべな 」
と言いケリを入れてやろうかと思った。

たとえ思っても言葉を呑めと思いながら、まさかコイツからそんな言葉を堂々と聞くとは思わなかった。
すべての紙幣には必ず色が付いている。
何色で刷ってるか知らんが血の色の赤もあれば空の色の青もあるはずで
漁師でも誰でもいま手渡しして呉れた金になんの色を見るか苦労の色を見るかで男の甲斐性と器量が決まるのだ。
金には色は付いていないと言い切り
誰にも迷惑掛けんでコロッと行くと言った奴は今は病院の中
言葉が軽いんだょバカが

あとひと月で今年度の売上が確定する。
領収書の無い金など一円たりとも経費には認めてもらえん
トラックで夜通し船を運び続けて眠気覚ましに飲んだ缶コーヒーも自販機で買ったら経費にはならん
シケの合間を見て海を夜通し船を回航しても時間外手当などもない

へ!領収書も要らん非課税非公開で100万そんな上手い話があるのか
知らんかった。
お前ら金には色は付いてないと貰いながら今さら言葉かるいんだょ一度脳の病院にでも入れ

上天ざる蕎麦

少し暇になったと思ったら
交通事故ではないが第一当事者も第二当事者もどっちも知合いのトラブルに巻き込まれてアッチ行ったりこっちに行ったりと走りまわった。
第一も第二もどっちもガッテン系だが第二当事者の面子と意地の丸出しで
部屋に入ると天照大御神とはかなり違う強面ツラの歴代の白黒肖像写真が長押に飾ってある。
う~んこの感じ雰囲気は末広のコメ10キロ事件以来で久しぶりだな~と思って眺める。

バイクの販売店をやった時期があって当時はコイツはどうもならんと言う奴が多く出入りしていたのでトラブルには若干慣れている。
バイク事故はむき身で乗ってるので必ず人身事故が付くし右からぶつかると左に倒れるので車と違い片側だけ壊れると言うのはなく
ほぼ全損になってしまう。
若い子でカスリ傷程度なら罰金刑が付く人身事故扱いせず物損事故にして一ランク上の新車を買ってやった方が早い解決になってゆく
若い子は自損事故なら全額自分が泣く事になる事を思えばカスリ傷などヘッチャラの平左なのだ。

事故が起きる時は100/ゼロは無い 同じ場面でも切り抜ける者も沢山いるし原因を相手側に100を押付けるといつか同じ場面が起きた時に同じ事が起きてゆく
そうなった時にどう避けるか避けるすべは無かったのかと追求する事が大事でこれを怠たる様なら海に出たりバイクなど乗ってはイケない
相手がどんなに悪くても信号無視しても怪我をする命を危険にさらすのはバイクの方なのだ。

海もバイクも自分の身は自分で守るが原則でオッチンでしまったら文句も言えんのだ。

先週から話合いの立ち合いに行ったり来たり北に向かいひたすら走る。

話合いとはお互いにま~ま~よかったかと思う処が大事で一方が儲っけ~とか一方がもろに損をしたと感じる事はあってはならない
銭金的にはそうなってしまう事が多いがお互いがなぜそうなってしまったかと言う処に
行きつかせないとまた同じ事が起きるし折角危ない目に遭った事が今後に生きてこない
ホントかどうかわからんがひとつの事象の陰に300の危険が隠れていると言う。
海もバイクも命あっての物種なのだ。
些細な事にこだわり先を間違えてはいけないと思う。

一昨日で一定の解決を見たので自分へのご褒美に上天ざる蕎麦を食べようと思ったが
留萌い行こうか!深川に行こうかと何処に行こうか折角なら車中泊で一杯呑みたいと思ったりと
ひとの事なら な~な~そうせ~と肩など叩いて一刀両断で決断出来るのだが
自分の事は優柔不断の性格が出て上天ざる蕎麦 予算1500円をまだ食っていない

普通の人

除雪機の整備も船の上架も終わりこれから春まで巣籠になる。
以前はスノーモービルを使い冬山の荷物運搬をやったが歳食って自分のミスはチーム全体を危険にさらす事になるので60代なかばで辞めたが多少の怪我はあったが大した人的損失もなく辞めれた事はよかった。


北緯45度 遮る物がない平地では数分で環境が変わり閉じ込められる。

俺はいつも思うのはヒマラヤに登ったとか滑り降りたとか画像があるが
カメラクルーは本人より先に登り重いカメラを覗き込み足元が見えない中で構える。
たいした生産性もない有名人が山に登るなら勝手に一人で登れと思うのさ。

環境や通信を守る為に常時メンテナンスが行われているが
冬ですから吹雪だからやりませんは無い どんな時も人知れず行われその人達は表に出る事も脚光を浴びる事もない
そんな人達と電波塔や水質調査や雪崩調査に荷物運搬で30年を越えて同行したが画像に残せるのはまだまだ余裕を咬ましてる時だけで本当に窮地に落ちいった時は画像などない

書けない事も沢山経験したが、ただ困った事に
春が来て氷が解け草が見え始めるとほっと安堵するのだが
それも数週間で何か身にテンションを感じないと日々が退屈してしまうのだ。
そんな奴は表に出てはいけないと思う。

何の用があるか知らんがビルも下に降りて歩いて隣のビルに行けばいいものをわざわざ屋上から綱で渡ろうとしたする奴もいるが実際の現場では危険を犯す事はチーム全体を危険にさらす事になるから、そんなはねっ返りや独断形は要らないのだが
近年のゲームは勘違いを起こさせる様な気がしてならないのだ。

沢山の現場に居させて貰ったが地道にコツコツタイプの現場代人の方が安定して作業も終了していく
もうすぐ厳しい冬が来るネットを使えるのも綺麗な水を飲めるのも
物が普通に届くのも陰で支える続ける人達がいる。

69歳にもなって新幹線に火など付ける前に目立たない普通だった事が社会には必要で役に立った事を思い起こすべきだと思うのだが

上越高田雁木通り 

死にたかったと言って誰でもいいと言って誰かを襲うのはまったく論理が破綻してる。
それなら確実に返り討ちにされとどめ刺して呉れる相手を選ぶべきで
福岡から出てこんでも世話になった親の為に生命保険でも掛けて有名な地元の工藤会にでも行って玄界灘にでも掘り込んでもらえばいいものを

それは勝手にクタバッテ呉れと言う風潮を生み本当に大変な中で生きてる人達を助けようとする人達が減る事になりかねないし
どうしたらたった24歳でこんな思考回路が出来るのか成長過程を詳しく調べる必要があると思う。

最近病院の付き添いに行って先生から俺の脳じゃないが脳の画像を見せられて説明を受けた。
どっちが正面かわからんかったが右半分のさらに下半分が白くなっていて言語がドッタラコッタラと説明されるが病院大嫌いどころか恐怖すら感じるので説明は上の空で聞いたが
なんとなく今までの頑固な生活態度は高齢以上に脳から来てる事が分かった。
なぜ出来ないのだとよく攻めたがもっと優しくしてやればよかったと思ったが後の祭りだった。

俺自身はすぐカッとなる性格だがその怒りは5分と続く事はないのでカッとなったら鼻から息を吸い込んで口から履くを三回繰り返し
その場を少し移動する様にして
相手の心理を逆に相手の立場に立って思考して返しを考えると
こいつは金を払いたくないから挑発してるとか朝出がけに嫁から怒られたのではないかと色々面白い事に気付き始める。

これで大概の怒りは収まってゆくがこの方法を四十代でやっていたら巨万の富まではいかんがそこそこの富は蓄積出来たと思う。
もっとも田舎なので六十万もあれば結構な富ではあるが

これが無敵の人と言われる人達は何ケ月も準備などで異常行動を持続させる。
それはもう病気と思われるので一度脳のCTを撮ってみたらと思うんだが
それも毎年撮って経過を観察し脳科学の観点から自分は何が欠点なのかを知り
その領域に近づかない事も必要だと思う。

『 そうョ~貴方の脳は~イカレてるから北海道の大自然で癒されなさいな~ 』

同じ脳科学者の髪が爆発したような茂木健一郎先生に言われるよりは中野信子先生のぽってりした唇で言われたら少しは社会も良くなると思うのだが

現在では脳科学で
「 生みの親より育ての親  」と言うのは証明されている。
それは地域は育ての親として子供を見守る育てる事がしいてはこれからの安全にも貢献していく事になる。
小さなうちから地域で声をかけ続ける事が絶対に必要になってゆく
その為にも個人商店は大事にしてゆく必要があり特に自転車販売店などは小さなうちからチェーンが外れたパンクしたと出入りし親も含めて成長を見守って来ている。
もう大型店は限界に来ていて中でも大型店が取り扱ってはイケない
商品を自ら自粛する事も必要になって来ている。


上越高田雁木通り
仕事場が通りに面してあり店主は通る子供達を見守り続けている。

店にある小さな飴玉でも小さな時に貰った事はその後の成長に大きく作用していくと思う。

端折って4割5分

ワクチン接種率より低い選挙投票が終わったがそれは一体どう解釈したらいいのだろう。

選挙はすべてが分かって投票する訳でないしどこの党に入れるかはそれぞれの信じた考え方がありその結果は後世に判断される事になるだろうからすぐには何が良かったのか分からないが
選挙に行くと言う行動は自分達の立場を国に対して意思表示する場でもあり、
何か不始末があったら次はと言う監視の眼でもある。
それが4割5分も棄権すると言う事はその棄権者の多くは怒る事も無くなされる儘にする集団と見なしてもいいのだろうか
その人達は何か起きた時にただただ逃げ惑うだけの人なのかも知れない
投票日に理解に苦しむ京王線刺傷事件が起きた。
逃げる人達を動画で撮る人が居るがそれだけ落ち着いて撮れるなら何故に向かって行かないかこっちも理解に苦しむ
ここは汽車もタクシーもないド田舎で電車はよくわからんが汽車の様にあの座席は外れないのか
日本刀でもない限りカバンもジャンバーもベルトも外し振り回せば有効な武器になり
逃げ場が無くなったら背を向けた時点で助かる可能性は低くなる。
対処療法になるがこれからは電車内に長物を外せる様にする必要があり使える様に心構えも必要になってゆく
赤穂浪士は討ち入りに使う刀は屋内での闘いになる為に普通より刀は短かったと言うし
新選組の池田屋襲撃は襲われた側の大刀が室内の鴨居にひっかり戦う事が出来なかったと言う。
闇討ちや討ち入りが多かった新選組の用意周到に分があったのだ。
長過ぎてもダメだがその点カバンやベルトは有効な武器になる。
柔道も空手も習う前にこの手を技を使う事は凶器になり犯罪になると心構えから厳しく教えられるのだが現在ではどうなんだろう。

男と生まれたなら選挙でも背を向けるな棄権するなと泳ぎと受け身くらいは身に付けておいた方がいいと思うのだが

1978年にヤマハによって作られた除雪機 7F7数々のトラブルに背を向ける事なく週単位で改良を加えてヤマハは現在も除雪機を作り続けている。
ヤマハはスノーモービルしかりモノクロサスしかりと挑戦をし続ける。
残念ながら俺には気持ちはあったがついて行く銭が無かった。

男は黙って

ここ数日捨てた女の夢を見た奴が多いと思う。

俺の人生で記憶にある限りでは女におごって貰ったり割り勘にした事はないし女に使った銭をいちいち覚えてはいない
もし息子がいたら同じ事をさせる。
野郎であっても貸した銭は戻らんのは常識
かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻めと言う。

もし娘がいたら金でこじれている相手と逢わせる事は絶対させない
刃傷沙汰になる恐れがあるからなのだ。
どんな揉め事でも揉めてる交渉事は相手を自分の方に越させた時点で一歩リードで
相手側に行く事は危険が伴い家だとしたら台所は何処にあるかを
把握しておく必要がある。
解決金を払うだの逢わないうちは受取っらんだのとそんな小さな男がいた事自体が不思議でならない
自分自身が小さな男と世間に益々言っている様なもんだと思うのだが
何かしらの結婚反対グループが策を弄してるのではないかと思ってしまう。
人間誰でもすべての先を見越して遂行させる事など出来ない それはコロナだってそうなのだ
ただどんな時も自分が守らんならん相手が居る事は困難に向かった時は大きなエネルギーになる。
これはなんの為にこの世に生まれ生きて行くかと言う問いにもなる。
「 愛してます 」
遠距離恋愛で途中でバッタする奴は多いと思うが今このご時世にこんなにハッキリとすがすがしく言い切る若者を日本国内では住めなくしてる連中がもし海外で何かあった時には自分達も加担した事は覚えていた方がいいと思う。
税金がドッタラコッタラはそんなに言うのならアベのマスク保管料に6億円も掛かったそうだが
そっちはどうなんだと

30歳の若者に寄ってたかって集団で上げ足取りをする連中がどれほど自分に関係があり責任を取れるのか
お互いに好きだと言ってるのだから阿寒湖の氷も溶けるってもんだしカップ麺でも分けて食えば美味い 他っておきゃ~いいんだよ
男は黙って見守る。

親は中絶と言う手段で子を選ぶ事は出来るが子は親を選ぶ事は絶対出来ない
凄い小さな話だが父親の残した借金を次男坊なのに3年も掛かって払った俺は特にそう思う。
取りに来た奴も奴だと思うが今だったら絶対に払わない

そんな事より選挙が終わったらコロナ第六波が来ました。
選挙期間中の感染者集計は間違えていましたと言わんべな
以前選挙期間中の景気指標は間違えていましたと言う事があったような

トリクルダウン

選挙行って来た。


シャケが入らずブリばかり定置に入る為に
小さいけど食うか~と言われて貰ったのがこれ
前日は別口で沖ニシンも貰ってシマッタ。
魚版トリクルダウンにダマ~された。

定置に入った魚も処理ルートから外れた魚は町内に溢れてしまう。
アチコチ貰い手を探すがブリはわざわざ取りに行ってまで要らんと言われ結局は自分の手で解体調理する事に

トリクルダウン理論は小泉純一郎とアベに重宝された竹中平蔵によって富裕層を富ませれば溢れた金が下流にも流れると実践されたが
バカなんじゃないの
魚と違い金は腐らないし場所も取らないので保管が効くし保管する事でまた利益を生んでしまう。
それが内部留保を生みだしたが内部留保は電気を食わせてればいいパソコン一台ですむマネーゲームの金融市場に流れさらに利益を生む
この恐さはゲームと名が付くだけに中毒性があり貯める事だけに目的があり評価もされ設備投資などには回されないのだ。
法人税は昭和の頃は43パーセントあったものが現在は23パーセントになっている。
昭和の頃はどうせ税金に盗られるなら社員にやった方がマシと言って社員に払ったが
現在は賃金を下げる事で得た20パーセントの利益は面白い様に内部留保に向かっていった。
これはバカじゃなく身体を使って稼ぐ者をコケにした自民党によって仕組まれた確信犯なのだ。
設備投資は銭が無いから儲からないからやるのが大半で設備投資でなんとか売上を増やしコストを下げ粗利を出し世間に恥ずかしくない給料を若い衆に払おうとするのが大半なのだ。

個人消費もある程度銭を持ってしまうと減る恐さとすぐにでも欲しい物が無くなってしまう。
食い物以外の物を買うと言う事は一緒に夢も買ってるので買ったらアッタラコッタラと夢を見るが現実はその品物を買える者は稼ぐのが忙しくて実際には使用される事は少ない
俺自身は車やバイクはよく買ったが中でもコンバーチブルは何台も乗ったが
横に綺麗なネェチャンを乗っけてドライブと思ったが髪は乱れるは炎天下で直射日光でクソ熱いわで横に乗って呉れる綺麗なネェチャンは居なかった。
多分極貧時代を一緒に過ごして呉れた元嫁さんが助手席を塞いでいるのだと思う。
銭以上に大切なものは沢山あるが後悔先に立たずなのだ。
ま~他の野郎も夢破れて可哀想だが市中でもBMだろうがポルシェだろうが屋根を外して走ってるのは大概は野郎一人が圧倒的多いのだ。

結局は今はたいした欲しい物はなく狭い山道を走るので小型で低速四駆でデフロックが付いていればなんでもいいわいとスーパーキャリーに乗っている。
買えない時は無性に欲しかった物もいつでも買えると思ったら考えてから買うので欲しい物が無くなってしまった。
個人消費にしてもトリクルダウンなど無い!
設備投資も個人消費も使わなければただの数字だが0を一桁減らす根性もない
金の魔力など経験した事はないが1万が一桁減っても1000円だが10億が一桁減ればそりゃ~恐ろしいと思う。

2位じゃダメなんです!

選挙が公示になったが商売人から見ると蓮舫議員が何か一言いう度に一票減る様な気がしてならない
明かに失敗だった事に対して総括をしていないし学んでいない
嫁にはしたくない女のカテゴリー別NO1だがまだ辻元清美の方がマシに見てしまう。

弥生時代から続く官僚制度を利用しなければならない処を吊し上げた事で官僚を敵に回し協力は得られなくしてしまった。
「 2位じゃダメなんですか 」
経済を考えた場合は常に競争があり破れた場合は市場をリード出来なくなり2位じゃダメなんです。
常に1位を目指し追掛ける続ける事が商の基本なのだ。
1位という先人が苦労して切り開いて呉れた道の何処がいいのか何処がマズいのかを後ろからよく見みて未来に繋げて行く事が先人に対しての礼儀でもある。
夜空にクヮ~クヮ~クヮ~と集団でここの上を飛んで来る渡り鳥の時期が来たが風除けの為に1位を飛んでる鳥は途中で過労の為に海に落ちたり中継地に無事着いても過労でエサも食えずにそのままオッチヌらしい
次を繋ぐ鳥は1位を目指し1位を継げる鳥が居ないとその集団は全滅してしまうのだ。

北海道でも極寒の地で作物もろくに育たない十勝地方を苦労して切り開いた先人が居て
その先人の苦労を見て退く事も無く何処が良いのか何処が改良点なのかと見て後を追いかけた結果が現在の十勝地方なのだ。
北海道の中心は札幌ではない十勝釧路地方の農水産物が北海道を支えているのだ。
ま~ま~ソコソコに付いて行けばいいやと言う心構えでは見なければならないモノも見えてはこない
1位も安閑とはしては居られない処に切磋琢磨がありその為にも1位を目指し倒すと言う気構え心構えが必要なのだ。

何をもって1位とするかは沢山の選択肢があり
売上金額なのかシェアーなのか店の品格なのか
さらに地域の住んでる場所から見える範囲なのか何処まで広げて見るのか
そう考えた時に誰でも1位になる可能性はあり
1位になる為の手段手法はほぼどの業種も大して変わらないのだ。
その方法はお客さんに恥を搔かせない事、質素倹約、勤勉努力と2位以下同文に対する気遣いに尽きる。

留萌には金市館が閉店してもまだまだ元気で営業してる店がある何か古い物で探し物は向かいの金物店


水槽浄化の為にその辺の雑草を植えてるが雑草は場所に合わせてどうにでも育ってゆく

田舎暮らし

この時期は朝から晩まで同じ事の繰返しで苦痛なのだ。
機械には壊れる場所が大たい決まっていて そこを重点的に分解して見るのだが修理工も半世紀もやってると何となく勘と言うのか結構当たるが大丈夫と思ってるのに分解し点検する事は無駄な作業と費用も掛かり結構苦痛になる。
大丈夫と言う思い込みがその後にしっぺ返しが来てトホホとなったりと点検作業は自分との戦いになりほんと苦手なのだ。
何も無くて当たり前 あったら切腹モノの危険な航空機などの点検作業をする人達は相撲行司の様に短刀を呑んでいるのかもと思ってしまう。
派手さはないが点検作業だけを生業とする人達には本当に尊敬してしまうのだ。


例年はすでに終わっている作業が思わぬ事があり仕事が大幅にずれ込み例年の雪降る前の長期休暇も何処かにいってシマッタ

地方都市から田舎にやって来て住み付く人がいるが見ていて思うのは
田舎から都市に行って暮らす事は出来ても都市から田舎に来て暮らす逆はかなり難しい事がわかる。

ここ崖下村では銭などあっても使うのは週二回来る移動販売車くらいだしタクシーもないバスなど坂の遥か上だし他の集落ではバス停まで5キロ10キロなど普通にあり
数台あった乗合白タクも陸運局の摘発に遭い全部無くなってしまった。
タダならいいが有料はダメと言うがでは10キロも歩かんならん場所はどうすりゃいいのとなるが対策がないまま都会の本局から摘発が先に来てしまう。

田舎暮らしにスローライフなどハナからないのだ。
季節季節で
秋には冬の準備と春にはこれから来る芽吹きの為の準備に土を起こして置くなどやって置かなければならない事が沢山ある。
その一つ一つは自分の手を使う事が基本で
その為には木を切る釘を打つ紐を結ぶなど素材を型にする寸法を測るなど技量が必要になっていきそこでは自分の器量が問われるのだ。
ここは漁業と農業の一次産業の田舎町だがコメ作りに関わる人達の
百の姓を持つ者ものと言われ百姓は
小屋など近所で集まり簡単に作ってしまうし刃物砥ぎから農機具修理といいなんでも自分達で出来てしまう。
そこまでいかんでも身の回りの事が出来ないでは田舎暮らしは出来ないのである。
新参者が物珍しいうちは近所もアッタラコッタラやって呉れるが
あとはすべて自分の手を使いやらなくてはいけない
これを乗り越えなくては田舎暮らしがドッタラコッタラ以前の話になり
移住はして来たが自分は何も出来ない奴と自覚するも手遅れでただの自堕落な奴になっていく様な気がしてならない


右角の川カジカは体長12センチあり大きいが天塩山脈より西側で採取したものは育てる事は難しいが石狩川水系のカジカは水槽でも育つ
田舎暮らしには何にでも興味を持ちその中から不思議を追求し生涯学ぶと言う気持ちがないと面白くも何もないと思う。
もしかしたらこれからノーベル物理学賞は日本からは出ないかも知れないと思った。