核不要

命より大切なものは無い 普通に生きて100年一日の様に暮してゆく
まわりからも好戦的と思われてそれなりの日々を過ごしたが いつの頃からかそう思う様になった。
多分救助船を自分で持つ様になって長年で三桁に近い出動をする様になってからだと思う。
戻って来ない人は知り合いも知り合いの知り合いも含めると一桁を超えてしまった。
今はエンジンの故障も少なくなり使う事は殆ど無いが40ノット超えの救助船を今でも所有している。
海も含めてこれがジエンドと思う事を三度経験したが
自分の命が大切ならそれは軍人であろうが誰であろうが相手の命も大切なのだ。

核武装は幅がせいぜい200キロ 本土の長さがせいぜい1500キロ
ここに何処に何発の核を設置したら日本を守れるのか
その核のボタンをいざとなったら押すのだと言う意思がなければただの金の掛かるハリボテでしかないが
そしてその発射ボタンはいつのタイミングで押すのか
狂ったプーチンが稚内に上陸した時なのか
北海道が占領された時に押すのか
東北六県なのか
そのタイミングはいつなのか
北海道が占領された時だとしたら
日本から飛び立った核弾頭はロシアの広い国土の何処かに何発か着弾しても
その何倍にもなって戻って来て瞬時に日本列島は地球上から消滅してしまう。
NATO加盟国が本当に義務を果たし核で応戦して呉れたなら
地球上の生物は一瞬にして消滅して地球は宇宙を彷徨うだけになってしまう。
そのリスクを負ってまでNATOが核を使用する事は有色人種には適応されない可能性が多く
ましてや出張る事の少ない忍耐の日本人は自分だけで戦争は終わりにして欲しいと考える者は多いだろう。

核を持つには被弾しても残る領土の広さが必要なのだ。
その地政学的リスクから核を持つ事の危険性を知るからこそ世界では持とうとしない国が圧倒的多数なのだ。
日本が核武装をしてとしても
もし北海道がロシアに占拠されても核のボタンは押さないで欲しいと多くの道民は願うだろう。
北海道がハバロスクに組み込まれ津軽海峡から向こうを望郷の思いで見たとしても
北海道の地名が地図上から消えたとしてもだ。
いつかいつかと独裁者の寿命が尽きる日まで待って暮らす事になっても
生きていさいすればいい事もあるだろう。
そうならない為に隣国との付合いは大事になってゆく
付合いとは自分の都合ばかり言っても付合いにはならない
我慢もせんならん時も
分け与える事も貰う時も必要になってゆく
そう思う時に数秒でコロコロ変わる株屋じゃないんだ長い目で見る事が重要になってゆく

ソ連崩壊後北海道にはサハリンから戻った残留日本人が多くいる。
その三世にサハリンと日本はどちらがいいかと聞いた事がある。
彼は半々だと言って夏になると長期の休みを取ってサハリンに戻っていく
不利な条件でも一刻も早い停戦を 生きてさえいたら敗者復活戦だってある。

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