旅終了


厚沢部から少し行った処で崖崩通行止めで大きく迂回路を回る
渡島半島は砂岩が多いので崖崩れがあっても不思議でない
今回初めて知ったが青森と北海道は氷河期以前でも繋がっていなかったと言う
その根拠はブラキストン線だと言う
いままで青森と北海道は繋がっていて陸奥湾と函館湾はひとつの湖だと思っていたのだ
北海道と九州には炭鉱は沢山あったが本州には常磐炭鉱くらいしか記憶にない
それは本州だけが何か独立した地層だったのか

 
瀬棚海岸は奇岩が沢山あり よく崩れないと思うが熊だの狸だの皆好きな名前を付けていると思う
よっぽど銭が余ってるのか魚族供養塔などもある
魚は供養するものなのだろうか食べてしまう魚に情けはいらないような気が


久遠郡せたな町大成太田神社
10年ほど前に一度登って参拝したが今では登ったら戻って来る事はないかも
登るより下るのは難しいし、どうも人間の関節は下るように出来ていないような気がする
ここに来て仕事も始めて登るより終えて下る事の方が大変だと実感してる
結婚もするより別れる方が大変 多少の事ならくっついていた方がと思うのだが
俺の場合は重大な欠陥があったので仕方ない

 
小さな鵜泊港
以前は行き止まりでここから南行く事は出来なかったが
ここにはスナックも民宿も食堂もあったトンネルが出来て便利にはなったが今は何もない
道路が良くなると何処も同じ現象が起きて道路の功罪がある
商い的には道路幅が6メーターを越えたら向かいは別の商圏と思えと言われる

 
久遠郡瀬棚町元浦 母さん食堂でカレーを食す
うん!母さん食堂 最近どこかで聞いたような・・・・

 
周り家はほぼ無い処に郵便局がある旗日で休み

茂津多岬トンネル 左の脇道を登ると日本で一高い標高に茂津多岬灯台があるが
灯台周辺には誰も住んでいない普通の車で登る事はお奨めしません
二番目は余部埼灯台で標高は茂津多岬灯台とたいした変わらないが
余部埼灯台は急な坂を登った処に結構な人数の人が住む集落がある
傍には余部鉄橋があるが、なんであの辺鄙な高い処に集落がある事に驚いた記憶がある


暗くなったので岩内道の駅で窓ガラスが割れ放置された車と右に動いた形跡がない車の間に入れて寝る
隣の車からの霊気か体調の変化かかなり歯を食い縛ってるのか朝に歯茎が痛い

 
朝食に道の駅すぐ傍にあったセコマで野菜サンドを買う値段は270円だが野菜は多い
セコマの特徴に店員さんが地元民と思わせる人が多くフレンドリーな人が多い
郵便局と信号機があれば近くにセコマがあるし何となくカラーも郵便局と似てる気がする

小樽に行って鱗友市場で魚を買う


231に入ってから石狩でいつも行くスタンドで燃料を入れると驚いた事に灯油が軽油より高い
ここのスタンドは事務所も舗装も何もかもボロボロだが固定費や経費を削っているのか価格は安い
よく価格が安いと良心的と言う人がいるが、
それは間違えで同じ設備で掛かるコストは同じ場合は量が出ない田舎は割を食う
為に田舎は高くなる傾向にあるが、その場合は悪心的、悪意的、不誠実と言う事にはならない
いま時は最後までやれとか簡単に言ってしまなど日本語が凄く乱れていると思う
その一番の元は正しい日本語『からたちのナンチャラ~』よりもスマホばかりで真面に相手の顔を見て話さない事にあるような・・・・・・・

 
雄冬に着いてしまった。
レストハウス雄冬で昼飯におまかせ丼を食べる
仕事の予定は今週は無い 家に寄って薬を飲んで家に寄った事は無かった事にして
道道94号線を走るかなどと考えながら走る


増毛町大別刈
予算の関係で道内と思ったが青森に行って良かった塚原ミュージアムは楽しかったし
小坂鉱山にも再度行って見たいと
俺の車には音の出る物は付いていないが楽しい勉強になり色々と考えさせて貰い
また行く事が出来たらいいなと思う旅でした

道南

18時 津軽海峡フェリー函館入港
海さえ超えれば歩いてでも戻る事は出来る
その安心感は大きい逆を言えば海の向こうから来た者は不安を持つそれをいい事に劣悪な環境で働かせる者は
なんぼ肩書があろうが人としてどうなのと ま~そんな奴は顔に表れそんな顔してるわ
人は横顔と背中は作れない

 
今夜の寝倉は函館港海岸町船溜まり、ともえ大橋高架下 函館駅裏になるので店も近く便利
トイレもあり回りにクレーン船や作業船が夜通しライトを点けてるので明るい

ハセガワ焼き鳥弁当を函館ベイ店に買いにいった
ここはセコマとハセガワが一緒になった店で入港後すぐ行ったので夕食頃で
店の中は観光客でカゴを持って歩けないほどごった返していて多くの人が店内調理のハセガワ焼き鳥弁当を待っていた
初めて食べた感想はこれが函館に来たら食べてみてと言われた弁当かと思った。

 
翌早朝ハセガワ昭和店で焼き鳥弁当を再度買った

函館ベイ店の焼き鳥弁当がメチャクチャ美味しかったからではない
道産子の名誉挽回の為に再度買って食ったのだ
キャパを越えた入店、売上は必ずしもいい結果が得られない事を改めて思った
熟練の人手不足や設備の不足 キャパオーバーは悪い状況をわざわざ金掛けて宣伝してると同じなのだ
この状態は北海道で大きくなった為に閉店してしまった店は沢山ある
月形発祥の某ラーメン店や旭〇ストアー、カレーのリ〇ルスプーンなどいつの間にか無くなってる店はまだまだある
「食っていけるなら店は変えるな」と昔の商人(あきんど)は言う
この言葉を聞いた時にもっと真剣に考え実行していたならいま終業する為に過剰設備の処理に
ここ数年三桁の銭がただ捨てる為に消えていってるのだ

自分で始めた事だがヨレヨレで薬に頼る状態で入り過ぎるお客さんに食材も設備も自分もついていけなくなってる
昨年からの悩みの状態だったが限定にするか、天候など来客予測を間違えると赤字になるしどっちにせ厳しい
価格を抑える為にひとは増やせない この状態が続きマズくなるなら閉店をする方がましかと
全国的にラーメン屋の閉店は多くなってるが、長く続いてる店はごく普通の店が多いと思う

ハセガワ焼き鳥弁当を全店で食ったわけでないがハセガワ昭和店は美味しかった


七飯街道を北上する なんちゅう松か知らんが松並木が続く道南らしい景色

 
落部に着く ここは平日は管理人が居て八甲田山に詳しいとの事だったが、この日は居なかった
道南は熊笹はなく歩きやすいがヒグマが

 
落部市街地 この場所が八甲田山捜索に行ったアイヌの人の子孫がここに住んでいたと言う2カ所
現在は空き地と空き家になっている
地元の人は明治の話なので逢った事はないがと言いながら犬を連れて行ったとか色々な話を聞けた
落部から道道67号線を通って厚沢部町に抜け日本海側を走る事に
旅もよいよ終盤に入る小樽に向かい走れる処まで走ろう

旅は自分を主張する場ではなく自分を振り返る場だと思うのだが
人生縄のごとしと言うが整理整頓出来ない俺の場合は何本もの縄がこんがらかってほどけない

青森市に着いてしまった

 
幸畑墓苑内八甲田山雪中行軍遭難資料館
締り雪になる前の1月23日から最後に救出されたのは11日後になる寒かったろうに

本来なら青森側から資料館を見て露営地に行くのが逆に黒石側から入った為に近藤伍長像で沢山いたボランティアガイドの説明を先に聞いてしまった
後で行った八甲田山雪中行軍遭難資料館での資料とは違う説明が幾つかあった
遭難事件が起きたのは明治35年1月24日 明治がキーワードに
当時の陸軍大臣は児玉源太郎  青森歩兵第五連隊は兵卒はほぼ青森岩手東北の出で幹部は九州出身者が多かったとの説明だったが
神成文吉大尉は秋田県出身 山口少佐は東京 福島泰蔵大尉は群馬県で明治35年にもなると必ずしも薩長閥だけではなかった
もう一つは2月10日から捜索隊に加わったアイヌの人達の人数と出身地などや
山口少佐の最後なども違っていた
ボランティアガイドの前職によるのか、ここ津軽と新政府との関係なのか

 

 
犬を連れて捜索に来たアイヌの人達の出身地は落部
どうして海を越えた北海道ですぐ傍にいたマタギではなかったのか
マタギは単独行動が主だと思うがアイヌの人達は首長を頭に集団行動が慣れていたからなのか
なんでだろうと疑問が残った
北海道の先住民はアイヌではないと言う竹ナンチャラや水田水ナンチャラなど狂った者が居るが
間違いなくアイヌの人達は和人より先に住んで居た先住民である事は間違えない
ことさらそれ以上先の先祖と言えば大陸に繋がっていたので元々はモンゴロイドで猿人と言うのが一般的な説になる
シャクシャインの闘い1669年で和人に敗れてから明治35年は233年もたっているが
それでもアイヌの人は文字を持たない民族と言われて口承で文化を継承し同化されずに残っている、
口伝え文化は原作を読んだら映画は見れないのと同じなのだろうか
本は行間を読むが映画は考える間もなく押し付けられる
265年も続いた江戸時代から明治になり、いきなりちょん髷を落とし高帽子を被る和人
アイヌの人達その高貴な姿勢とシステムは驚くばかり


歩いて腹減った~長尾中華そば 背油煮干しラーメン950円を食する
北海道で食べる煮干しラーメンとは違うような気がする味が濃く美味いのだ


ラーメン食って、つがるフェリー乗り場に向かう途中で道路沿いや交差点にやたら人がいる
青森に天皇行幸啓があるとむつ市で聞いたが沿道や駐車場や建物の高い処に警察官や私服がびっしいて怪しい車や人を警戒してるのか
港まで延々といる何千何万人いるのかと思った。
2003年に富良野学田でセンチュリーに向かっていった軽自動車のオヤジがいて結果として白バイがセンチュリにぶつかった事件があった
明治だったらオヤジは即刻死罪だろうが確信犯が執行猶予付きの有罪で済んでいるのは
昭和天皇の意向が入ってると思うのは考え過ぎか?そりゃ~警備にも力入ると言うものだと思った
いかん八甲田山で気持ちが明治になってる


フェリー乗り場に行く為に左折する事になったが交差点に私服が立ってるので
こりゃ~歩行者優先だべ~と思ったので俺は止まった
しばらくしたら首からカードを下げた私服がイケイケと手を振るが
歩行者に「行け」と言われて反則切符を貰ったと言う話があったので 無視して止まってみた
いつまでも止まっていたらパトカーが来た


津軽海峡フェリー青森乗り場
まだ帰りたくね~
が心の臓に血圧に胃に穴が開いた時と何の薬かわからんが
4粒の薬が切れて二日目になる崖下村までさらに二日掛かるので仕方ない
青森ラーメンをもっと食いて~あと二日居たいのに あ~あ~

11日八甲田山

小坂鉱山から碇ヶ関道の駅まで結構きつい峠を走り27キロに一時間以上掛かってしまった
カーナビは有料道路と高速は走らない設定にしてあるが
北海道の移動は1キロ1分でみると大体間に合うが内地は全然違う1キロ2分でもいいくらい掛かる


碇ヶ関道の駅で進行を諦めて一泊 ここでも同じく誰もいない隅に止めるが夜中にまた車が1メーターほど隣に車が寄って来て
スライドドアを乱暴に何度も閉める 音より皆が寝てるであろう場所でのその行為にムカつく
黙ってトラックゾーンに移動する 翌朝どんな奴かと思ったら分別付く年頃のオヤジだった


さすが弘前リンゴ畑が続く
旅最後のあがきに八甲田山山系を通る
八甲田山と言う名前の山はない、それは大雪山も同じで何度も青森に来てるのに知らなかった
冬は測量機器などの物資運搬をスノーモービルでやって来たが
山は怖いと言う思いが強いので仕事でもなければあえて冬山に登ろうと言う気持ちにはなれない


城ヶ倉渓谷
渓谷に掛かる橋は突風が吹くので結構危ない実際に警告の吹き流しが揺れてるし観光地で車の通りも多い
そこで女の子が二人駆けっこしてる
最初に向かって来た子に危ないょと注意したらゆっくり歩き始めた処に
いい歳しこいたジジイが追い付き孫らしき子と競争し始める
青森八甲田山近辺は歴史的に無鉄砲なジジイが多いのかと思ってそれ以上は注意を止めた
このやたら体力のあるジジイが橋の中央あたりで孫を肩車して
『高い高いバァ~気合いだ気合い』などとやるのではないかと思った
絶対高所恐怖症なるぞ~

 
平沢第一露営地と第二露営地とは距離にして800メーターほどしか離れていない

雪山は天候が良くて膝程度あれば壺足で1時間で1~2キロ程度は移動出来るが一日掛かって800メーターしか移動出来ていない
山で困難に落ちいったら動くな、下がるな、は基本 かなりの猛吹雪でも森の中では風は木々に吸収され割と静かな場合が多い
困った時はその人の統率力にも寄るが普通人は1グループ5人が限度で前後はベテランを配置するのでそれ以上は難しい事は何度も経験している
普通の作業でも船頭が現地社から一人と本社からの一人で本社人が口を出し始めたら最悪で自然界では命の危険すら招く事がある
自衛隊の最小単位は分隊で8~10人程度になる

 
後藤伍長の像 実際に発見された場所とは違い2キロほど下がった青森に近い場所で発見される

ボランティアガイドが何人もいるがその人によって説明が違うと感じた
この時に助かったのに日露戦争で戦死すると聞いて可哀そうだと、戦争は嫌だと年配のお姉さんが泣いていた
言葉が少し違い何処から来たのか聞いた埼玉在住で中国から来たひとで日本に自分の子供がいると言う
像から駐車場まで階段を降りずっとその人の話が聞けてよかった
言葉の端箸から中国残留帰国日本人なのかとも思った。

 
青森歩兵第5連隊神成文吉大尉 弘前歩兵第31連隊福島泰蔵大尉日露戦争で戦死


後藤伍長の像から青森市街方向を見る

辛抱の木に花が咲く

朝一から昼過ぎまで説明してくれた方とレストア中の方にお礼を言って辞する
ここで問題が発生 確かに持って来た薬が無い!昨日まであったのに無いもしこのまま無ければ戻るしかないだが!

欲張りなので帰り路にある個人がやっている博物館に向かうが看板もない道もわからない
山奥の砂利道をグルグル回るやっと小さな看板を見つけたカーナビが無ければ発見は出来ないだろうと思う

  
整理整頓が出来ない俺は個人でここまで集め整理出来る事に感動してしまった
バイクも多いが関連の小物も数は凄い どうやってこの奥地で生計を立てているのか
ここは入場料はいらないと言うが浄財を入れると
「みちのく記念館」の店主と言うのか店ではないので庵主と言っていいのか
ザルに入れたステッカー好き物を2枚選んでと言う
バイク屋をやっていたので殆どのバイクは一度は乗った事がある物だった
奥地の元学校だったらしい建物で学校再利用方法のひとつだろうと思うが
北海道ではこの山奥に住む人はいない
それが内地に来るともう住人はいないだろうと思う奥地でも住人は居るし会社もあったりする
その地に何百年と住んで来た人の歴史の問題なのだろうと思う
それに経済観念が明らかに違う生活も何もかもが慎ましいのだ走ってる車も北海道は新しい車が多いが内地はトコトン使って
3反5畝の農地でもそれに合わせ新玉美千代のようなお姉さんが「辛抱の木に花が咲く」などと言いながら農作業をする
それは北海道では無い!グイグイ行くのが北海道道産子
とは言っても元々は内地人なのにどこで切り替えたのか、次男坊以下の冷や飯食いが北海道に渡って来たからなのか
これから混迷の時代に入っていくだろう それを生き抜くには内地人の辛抱を見直す事がSDGナンチャラになるのだろうと思う

薬を探すが丸ごと無い すぐすぐダメになる事はないだろうが
修理は自然治癒力がある人か機械かの違いはあるが長引けば経過観察に入る
経過観察とは先生の言う事を守る事が絶対条件で
飲めと言われた薬は必ず飲み!やってはいけないと言われた事は守る
その結果どう変化するのかを見ているので素人の俺の考えなど要らない
戻る事も考えたらマタギ資料館には行けない明日は青森からフェリーに乗船する事にし予定を変更
どっちにせ人生いずれはアウトになるがハンドルを握った状態で人に突っ込みアウトになるのは避けたい

 
 

途中でこれを見ていく なんてコッタこの山奥にこの建物 洋館がそこら中にある 小坂鉱山
鉱山は北海道では鴻之舞や夕張や赤平があるが北海道ではタコ部屋が横行してる時代になんちゅうのか佇まいが違う
時間が閉館時間30分前で入館を諦め黒石を目指し峠を越える事に

カーバイトライト

ここではレストア前の車やレストア中の作業を見せて貰え話も聞ける
旅に出たら聞くに徹すると新たな発見がある
これは様々な自動車博物館を見て来たが初めての事だったので面白くて予定時間を大幅に超えてしまった。

 
車を作る事は家を作る以上の様々な業種が関わっていなければ作る事は出来ない
鉄板を伸ばしガラスを溶かし布地を張り、ここにはちょっとアヤを付けてと
それだけに車は時代が反映される、何年に作られたか当時は何があったか
最近の車のテールランプは猛禽類で、ヒステリー女のようなフロントマスクに国防色カラーなど
時代は逆行するのか
もしそうなら人類は退化しつつあり猿に戻る証明になる

ここの自動車博物館が他の自動車博物館とは違うのは排気量や重量ではなくその時代に何があったかが書かれている

 
それはロード、トゥ、パーディションでトムハンクスが息子とハンドルを握り走り
ワンスアポンアタイムインアメリカではエンニオ・モリコーネの曲と共にニューヨークブルックリンを走り回る

 
カーバイトでライトを灯す車とバイク 車はなんだか忘れたバイクはハーレー

カーバイトは水と混ぜてアセチレンを発生させるのだが扱いを間違えると爆発する
そのカーバイトを海抜0メートルの元塩町からゴミで埋め尽くされた大江川を越えまだ空襲の傷があちこちに残っていたスラムを越えて大同製鋼跡地に拾いに行った事を思い出してシマッタ
いま北海道住める、住んでいる事に感謝しかない、いまで充分でこれ以上は要らないし望まない

ここ塚原ミュージアムでは車が説明書きと共に走り始めるのだ。

10月10日

土日だけ半年ラーメンを作り続けてひとりでやる限界を超えてしまって味も接客も思うようにいかなかった
来年は10食余分に売る為に一人増やすか提供数を制限するか。
制限すると1時頃には終了してしまう、予約制は障害があり過ぎて出来ないし
どうしたらいいのか何か解決方法はと思案する旅になった

車旅の朝食はコンビニの野菜サンドイッチ、大福、牛乳
サンドイッチは耳を切り斜めにカットしてるがカットは包丁でなく押さえてプレスカットしてると思う
なぜかと言うと切り口の野菜が下に広がり実際より多く見える
農業王国の我がコンビニの野菜サンドイッチはそんな事はないしセルフレジもない
内地のコンビニはセルフレジが普通だが人手不足解消の為にと言うが 本当なのだろうかと思ってしまう
難しいがではそんなに売らなければいいのではと
売上イコール利益とは必ずしもならない事は商いをした人なら経験しているだろうと思う
留萌では今月で続けざまに2店のスーパーが閉店する
大きい事はこれも一概にいい事ではない事を証明してしまったような事が起きている
商いとはと考え続ける旅である

朝5時からやってる 壽浴場 で風呂入ってお客さんに色々聞けてよかった

 
うみねこライン 太平洋と日本海とは波の形態が違う

 
震災以降は中々来る気にはなれなかったが久しぶりに来た 蕪島神社

 
やっと来れた自動車博物館 ロータス18 色々な自動車博物館を見て来たが ここは全然違う
全車ではないが触ったり乗る事も出来る 説明も今迄で一番面白いかも


へ~レーシングカーの中はこんな事になってるのかと初めて乗ったがロールバーで守られて出る事は中々難しかった
フォーミュラーも乗る事が出来たが身長140センチ以下の子供だけ

9日八食センター

一日空いたので金曜日は以前にも見た三沢航空博物館に行く事に博物館は生きてる
学芸員も少しづつ進歩してるし展示物も変化するが
見てる自分が同じ物を見てもその時の生活状況や世間の状況などで見方や感じ方が変わっていて
何度見ても飽きる事はない

 
航空機は自動車と違い軽くなる事は性能に直結する為に余計な物はほぼない
その無駄がないからの美しさがある
これを100年も前から作り始めているのだ
自分で組むとしたらと言う目でみると当時の職工さん達はいかに凄いかわかる
このエンジンの隙間からオーバーオールを着た職工さんの「俺が作ったんだょ」と顔が見える気がする

 
YS11操縦席 アナログ計器とスイッチの量に圧倒される
俺だったらどれほど訓練したとしても離陸しても乗客乗員もろとも目的地に着く事はないだろう
見るのはいいが一切関わってはいけない業界
バイクを長い事乗って来たが100キロ以上を普通に出し止まったら倒れる自分のバイクを還暦過ぎたメカニックには任せない
そう思った時に他人のバイクを触る仕事はやめた

赤い飛行機はミス、ビードル号 レプリカ 1931年 三沢海岸から離陸し太平洋横断した
展示方法が変わって燃料をドラム缶本数で見せこれほど積んだのかと立体的でわかり易く面白い
ミス、ビードルは人の名前ではなくアメリカのオイルの名前
ここはなにせ歩く 腹減ったのでラーメン食べに

 
煮干しラーメンを食べたかったが煮干しラーメンはどうも青森市内に多いようでここ周辺には無かった

空腹に負けて近いここで鶏そばを食すスタッフ全員女性
『私はラーメンは食べませんのょ~』と言ったスタイルの女性達だったが美味かった
岩見沢にも全員女性のラーメン屋があるが美味しい

大好きな八食センターに行く なんか以前より大きくなってる気がする
魚は飼うのも食べるのも大好きなので格安ラーメンを食う目的をすっかり忘れて魚を何品か買い
今夜は車中泊でひとり宴会をする事に


「道の駅はしおか」で車中泊をする
車にはFFヒーターが付いてる
FFヒーターは原理はジェットエンジンなので始動時は小型ジェット機離陸時並みの音がするので乗用車からは離れた処に止めるのだが、なぜか車が寄って来る
皆んなはきっと自分よりボロイ軽が好きなのだと思う
「道の駅はしかみ」ではすぐ横に乗用車が来て止まったので逃げて迷惑だろうがトラックゾーンの隅に移動してしまった
視界の悪いトラックのそばに止める時は自分の車を運転手さんが直接かミラーで視界に入る処に止めないと迷惑を掛けてしまう

24時間拘束される鮮魚運搬4トントラックに乗った経験があるが魚箱を手積みしてヘトヘトで運転し目的地に少しでも早く着いて休みたい
それで追い越しをしないのに右寄り車線を走る事はほぼしないが
気が短い俺にはトラック業界も向いてない事を知って免許は二輪と普通車とトレーラー免許しかない

明日10日はよいよ目的の場所に

下北半島横断


9日朝 自家米だと思うが稲架は久しぶりに見る
これは手刈すると思うのだが稲刈りは腰に来てかなり辛い
子供の頃は田植えと稲刈り時期は母親が農家の手伝にいって何日も帰ってこない
それが終わるとガンガン背負って山奥に魚売り
母親への恩は生涯忘れる事はないがのちに市払下げの小さな家を買って住んで貰ったが
小遣いというものを一度もあげた記憶がない
いまになって滅茶苦茶悔やんでいる


六ケ所村に近付くとこの手の大型バスが何台も走って電源開発に入っていく中でどれほどの人数が働いてるのか
自分の代で処理方法すらない核のゴミを何世代もの次の子供達になんとかせと言うのは
国の借金 1,346兆円も作ってこれも同じく次世代子供達でなんとかせと言う
後は野となれ山となれ、この毒食わば皿まで体質が借金を返す為にサナエミックス経済最優先政策と言う
必ずしも経済と幸せは両立しない金が無いなら無いなりに思案もし工夫もする
修理工をやってると金があるなら壊れたらすぐ買い替えれとはならない
無い頭を絞り工夫してと、その治す過程が楽しいのだ
借金だらけなのに高速道路も新幹線ももう要らんべやと銭が無くて軽しか乗れないでも俺は思う

 
青森県庄内ここは戦後開拓地

下北半島は地形図を見ただけで冬も夏も北海道以上に厳しい土地である事は誰でもわかる
戊辰戦争で敗れた奥羽列藩同盟の庄内藩や会津藩に与えられた土地が下北半島
東北は蝦夷征伐で7世紀頃から大和朝廷や鎌倉幕府などに何度も侵略されていて
庄内藩の誰の言葉か忘れたが「戦争は西からやってくる」と
確かに世界地図を見ても戦争や揉め事は西からやってくる確率は現代でも高い
自分の事は自分でやるから他っておいてくれよを何故に許されないのか


小川原湖内沼でシジミ取り
初めて見る漁法で川に打った杭のロープを巻き取りながら横に走って鋤簾を引く
つい声を掛けてしまったら船を止めて鋤簾を上げて見せてくれた
効率とか収益とか関係なくこれがこの地のやり方なのだ
たった十数キロの海峡を越えただけなのだが北海道とは何かが違う
それは
 
斗南藩先人記念館 アンドリュー、マキノン アルフレッド、ルセー 太田廣城

   
「野にあって国家に尽くす」廣澤安任 中々の顔立ちに刀

北海道は全国各地の集まりで遠い先祖の血を自分の中に感じる事はあまりない
その点は内地の地方は祖先の苦労や血筋を直に見たり感じる事が自分のアイデンティティを作ってるのだろうと思う
その辺を歩いて人すらなんか背筋が伸びてると言うのか違うのだ
北海道の先住民であるアイヌの人達を押しのけて北海道開拓をした歴史はアメリカ西部開拓に似てると思うと背筋に何やら感じる
ここまで来て今回目指す処をカーナビに入れると土日しかやっていないとカーナビが言う

下北半島大間着


フェリー右舷に七重浜
「働けど働けど我が暮らし楽にならず・・・・・」
そりゃ貴方~自分の器量で稼ぐ以上に借金して遊興費や女遊びに使えば暮らしは楽にはならんでしょう
それをさも社会のせいにしたような詩を書いて銅像にまでなるのは納得できないな騙されてやんの
左舷に函館ドック 愛媛の再建屋坪内寿夫氏によって再建を目指した事があった
その過程の本を読んで経理と財務は似て非なるもので、その違いを学んで勉強になり記憶に残っている

函館から90分後大間接岸
暗くなっていたが目的地まで下北半島を走る
下北半島もまた高い山は無く唯一釜臥山は800メーター程度になる
周辺に高い山が無いと言う事は農業に向かない地となる
雪国の雪は水を貯める水瓶となり地中に染み込んだ水は地下伏流水となって農地を潤す
がなだらかな丘陵地帯の下北半島は灌漑用水施設も難しい
斗南藩の先人達が困難を極めた土地に戦後開拓農地となって多くの引揚者や復員軍人を入植させた地でもある
やっと酪農でなんとかなり始めた時に六ケ所村に電源開発計画が持ち上がり凄まじい反対の末に現在に至る
戦後開拓農地の多くは国の都合で農地は奪われ大規模に変えられていく
代表的なものは電源開発と成田空港

むつ下北駅無料駐車場で車中泊をする
駅駐車場はJRではなくむつ市が運営してる駐車場で7日以上動かない車は然るべき措置を取ると書いてあるので
1日で移動する車は使用してもいいと解釈して車を止めてタクシーで目的地に向かう

 
着いた先はなんと神社境内に十数軒の呑み屋さん路地がある
東京には坊主バーなどはあるが神社境内に呑み屋路地は珍しいと思うのだが適当に選んで店に入る


ヒラメにヒラマサにガヤ 他にも食って呑んでもう一軒とも思ったが
ここまで来たなら明日も行きたい処が続くので歩いて駅に向かう
全国アチコチ行ったが青森は全国一と言っていいほど美人が多い
美人の基準は世間ではなく自分が決めるもので
男損女陽の俺は男は損しても女を綺麗にし陽を充てるのが男の務めと思っている
さ~寝て次に行こう明けたら9日