ウクライナは時期尚早だったのだ。
日本では江戸時代には国を奪われた大名は数え切れないほどいる。
理由はなんでもよかったのではないかと思うほど様々で後継ぎが居ないからや乱心、乱暴狼藉や言掛りと思われるものまである。
その為に幕府の顔色を見る事に終始する事で生き延びて来たのだ。
一旦改易などあった節には城下の商人も藩札などチャラになって庶民も大変な目にあってしまう。
その為に用心に用心を重ねて忍耐我慢と藩の運営をして来たのだ。
徳川時代になって改易は百や二百ではない その中でも
プッツン来たのが赤穂藩主でその後は赤穂浪士となって長い事語り継がれる事になってゆく
だがこれだけ忠臣蔵が有名になると言う事は当時でさえ忠義など珍しく貴重な話で命を賭して藩主に付いていく者はそんなに居なかったのだ、珍しい話だから目立ち語り継がれていったのだ。
いまも本所松坂に残る吉良邸 吉良殿の好物か お供え物にバナナがあった。
ウクライナは勢い正義だけでは自国の民を守れない事を見せつけた。
日本も核兵器などと言う前に普段お客さんにヨイショする様に
隣国にも宗主国にもヨイショをして行かないとないのだ。
世界では核兵器などは持っていない国が圧倒的に多く 核に安心安全を頼り切る事は出来ない
今回はウクライナが核兵器を持っていなかった事は
混乱で核兵器が分散され何処に持ち去られるか使用されるかと言う事が無いだけが世界にとってはせめてもの救いだったのだ。
ウクライナがもし核兵器を持っていたらプーチン侵攻はこの程度では済まないし、
もっと早い時期に大規模に瞬時に核のボタンを奪う侵攻はあっただろう。
これで日本も核兵器を持つと言う方向に進まない事を願う。
だいたい俺の人生で さ~ケジメを取りに行きましょうとなった時に普段声の大きい奴、勢いのある奴に限って寝坊したなどと言う。
もっともそんな奴は足手まといになるのでそれでいいのだが
思いっきり数人の実名を書きそうなったわ~イカン