百里!中国三国志辺りの2000年以上前の話と思うが
今まったくそうだなとツクヅク思う
だけど不思議 漢だの俠だのと言う考え方は
いつ頃に確立されたのか
人間の心理など猿から大した進歩してない事がわかる。
最近札幌に会合や仕事で出掛ける事が多い
ある夜札幌の駐車場の車の中でぼんやり外を見てると見知った顔姿が近づいて来た。
俺は慌てて外に出て「 どこにゆくのよ 」と声を掛けた。
相手はチラッと見てそのまま通り過ぎてゆく
俺は後ろ姿にさらに声を掛けるがそのまま去って行った。
冷静になって考えると嫁さんに逃げられてから20年以上はたっている。
そうだよなあれから20年
20年も同じ立姿顔形はそんな訳はないのだ。
ふっとそう思うと逃げられた嫁さんに払っている自動引き落としの慰謝料がそろそろ終わる頃だと気付いた。
資料の類は一切廃棄したので無いが気になりだしたら止まらん引き落とし先に聞いて見るが払ってるのは俺なのに個人情報とやらで一切教えてはくれない。
セコイ俺は後どれだけあるのか一度気になりだしたら気になって仕方ない
その月々の銭が有ったらバイクでも買おうか車もだいぶガタが来たので
予てからの念願の軽自動車キャンピングカーを買おうかと思ったりした。
色々調べ聞いた結果は後3回残ってるらしい
今まではたいした気にならなかったのに後3回と知った時から
その3回が7月8月9月27日と永いやたら永く感じるのだ。
『 百里を行く者は九十を半ばとす 』
出所まじかで脱走する者の気持ちがよくわかる。
逃げられた嫁さんが再度嫁にゆくまでは俺は再婚しないと己に誓った。
顔も姿も昔の姿しか思いだせないが
それでいいのだ何か困った事があったら言って来るだろう。
もうそろそろいいかと携帯のメールアドレスを削除した。