17日ハッピーケバブセントラルキッチン


もう都会での生き方を忘れてしまって この土も水も無い処で生きて行くのは無理と思う
人間本来の生活習慣から外れ寝てる時間も働く都会では生活空間はどうなっているのか
電車内や屋内で自分のパーソナルスペースにスマホを持って会話も無しで
知らないひとが居る状態を異常と思わない事が異常なのだと思うのだが
馬を運ぶ時は馬運車が使われるが牛と豚は専用車ではない
この崖下村では3メートル以内にひとが入ったなら知らないひとでも何らかの会話が生まれる
会話は最低限の意思疎通方法で安全確保の手段でもあり
会話が無ければ相手を勝手に解釈せざるを得なくなる
それはとても危険な事なのだ

古代には電話やテレビなどと言う言葉なく その生活は家族が最低限食っていくと言う今より遥かにシンプルな生活で言葉の数は半分も無かっただろうが愛はあっただろう。
現代は多くの言葉や物で様々な生活選択肢を選ぶ事が出来るが
その溢れる選択肢の中で都会人は溺れているように見えてしまうのだ
信じる事も多くのエネルギーを使うが疑う事も多くのエネルギーを使う
人を疑う人は疑う事にたけた能力を持っているが
その疑う事に使われるエネルギーは相手を狩るまで際限なく続き顔は相となっていく

 
目的地は富士見市と流山市の中間にある北緯35度51分 東経139度44分に向かっている
その場所から真っすぐ南下すると20キロで皇居に着く場所なのに舗装もされていないデープな場所をどんどん進む

周辺の写真を撮る事はトラブルになる可能性があるので殆ど写真はない
そのなかにトルコ系労働者向けに朝食を提供する店があり
着いたが時間が遅くメニューは少ないと言うが作ってくれると彼は言う
その店から6~7メーターほど離れた場所でガタイのいい男たち6人ほどが粗末なテーブルで朝飯を食っている
そのパーソナルスペースに紛れ込んで来た、Tシャツに雪駄の人相風体も怪しい俺に自分達のテーブルに座る様に進められた
座ろうとした椅子が破れて水が沁み込んでいるからと自分の椅子を差し出し座れと言う。

テーブルの中心に自分達の大きなナンがあり千切って間に卵焼きとミニトマトに細く切ったキュウリを挟んで手渡してくれ俺に食えと言う
それは彼たちが今日1日稼ぐ為に食わなければならない物を俺に食えと言う
有難く頂き食ってる間に注文したケバブが出来たと言う
その空間に長居する事は彼達のメシが減る
途中で買った唐辛子を置いて来てケバブを次の目的地の駐車場で食った。
800円で量もありピリ辛で美味いのだ


ハッピーケバブセントラルキッチン

歩いて帰れない海を越えて知らない土地で暮らす事はどれほど大変か
だから言葉の有難さとその言葉によって救われる事を身をもって知っている
年から年中女物の安い下駄で過ごした俺も皆の愛で今度は声を掛けれる立場になった
愛と笑顔が万国共通の言葉なのだ。

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