後悔先に立たず


毎週通る雨竜洲本 山の麓まで一面の田んぼ北海道は山の頂上でも米が出来る。

一粒の種籾がおよそ600倍に増えるらしい
青森山内に行くと1万6千年も戦が無かったと言われる縄文時代の三内丸山遺跡があり当時の暮らし振りが見れる。
その後に大陸から渡来人により稲作が持ち込まれ弥生時代に入ってからは戦に続く戦でどんどん日本列島は東西に分断されていく
狩猟と違い保管の効く稲作では翌年の種籾までを食ってシマッタ者と残した者との差がどんどん開き資本家と労働者になって地主と小作人にわかれる。
この保管が出来る穀物が資本主義の原点となって
その後に穀物の取れる土地の取り合いが争い事になって現代まで続く事になってゆくが
どうもキリスト教とイスラム教かコーカソイドとモンゴロイドの違いなのか
ウクライナとガザとでは世界の対応が違う様な気がするのは考え過ぎなのだろうか

肌感覚で今年の北海道は稲の作付け面識が例年より多い様な気がするし
それにもう稲刈りが始まっているが例年は9月下旬だった様な気がする
この北海道米が市場に出たら日本全体で買え支え出来るのだろうかと思ってしまった。
もし買え支えが出来な場合は日々倉庫代なども掛かるので安値に走る
安いからドンドン食えと言っても消費される量はさほど変わらないだろう
朝早くから夜はコンバインのライトを付けて働く農家の人を思うと
思惑買いの揺り戻しが来ない事を願うばかりで
農業もそうだが一次産業は家族と言う形態がなければ持続させる事は難しいだろうと思う。
都会とは違った値以上に報酬は家族と一緒に汗をかいた幸せかと
ひとり身の俺にはたわわに実る稲穂を見て思った。

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