前回の朝ドラは実生活からあまりにもかけ離れていて面白くなく見てなかったが
今回の朝ドラは何かどこかで見た感じだったが
じぇ~じぇ! 行った事のある三陸の久慈小袖ではないか
いつ撮ったのか堤防も流されていたのが港も綺麗に直っていたが 海女さん達が新築して一年しか立っていない浜の食堂は跡形も無く流され後に作ったスーパーハウスの仮設の食堂がチラッと写っていたので震災後なのは確実だと思う。
まだ借金もあるだろうに知人も行方不明になってると言うし北限の海女さんの暗い瞳が気になった。
小袖海岸はかなりの崖に囲まれていて行く気でなければ行く事は難しい所にあって
このあたりで言えば送毛のような場所にある。
人だけはいち早く崖を登り非難して人は助かったらしいが漁師の財産はすべて流されてしまって貰ったという小舟が数席あっただけだった。
ここでも震災の話を色々沢山聞いた。
どこでも俺が聞いた限りでは3月のクソ寒い中に一番最初に防寒着などをトラックに積んで運んできたのは手続一切無視の業界 親分の鶴の一声で動くあきらかに堅気とは思えない人達だったらしい
俺は思うのだが物を受け取ってもらって震災以後堅気になった人は多いと思う。
「ほりゃ~車の中にある物なんでも持ってケ 」と言ってあれやこれやを貰ってもらった。
事前の調べでは什器類が足りないとの情報があったので、
ある閉店した飲食店から引き上げてきた什器類をかなり持って行ったので喜ばれた。
お礼にと仮設の店の商品をくれようとするのだったが断ると
これだけは持っていってくれとくれたのがこの日本手ぬぐい
中の一人の元気のいい「なんとかなるさ 」と元気一杯のおばちゃんは荷物の中に昔着ていた。
二度と着る事はない、ちょっとロクデナシぽい背広を見つけ「これくれや爺さんに着せるから 」と言って貰ってくれた
おばちゃんは自分の出自をよそ者の俺に語った。
言わなければ見た目にはわからない、おばちゃんはきっと俺に聞かせたのではなく
自分の出自をよそ者の俺に語る事によって、そんな自分を今まで見守ってくれた地域の周りの人に今までの感謝を伝えたのだと思った。
ハングルおばちゃんはいつか北海道に行きたいと言った。
「 お~いつでも来てくれや~ 」と俺は大柄に言った。
観光地は元気を与える為にあるのだから